115話 代償
宿屋のホール。
ガイドのエルフは魔人に、つまり、りりに会いに来たらしかった。
「生き物が……焼ける匂いが……戻ったら……森が……火に……」
生気のない能面のような顔をしたガイドエルフ。
先にハンターギルドに寄ったようで、夕暮れ時だと言うのに、腕っ節の強そうなハンターが何人もここに集まっている。
「皆……死んだ……生き残ったのは、私と……3方に警戒に出ていた者だけだ……」
「長老さんは? エディさんは? リリィちゃんは? お爺さんお婆さんは!?」
お世話になった人達だ。
他のエルフは写真には撮っているし名前も控えてある。だがそれだけだ。知らない人に等しい。
しかし、この人達は違う。
「エディさんは王都に行っている……手紙は送っておいたから、テーレの死は知っただろうが……」
言い淀むガイドエルフ。
嫌な予感に全身の毛が逆立つ。
「リリィはエディの両親と共に里に居た……エディを待つ……つもり……だったんだ……」
「じゃあ……」
「……死んだ……老夫婦に抱き抱えられるようになって……黒焦げになっていた……」
「そん……な……」
よろよろとよろけると、後ろでケイトが支えてくれた。
りりもショックを受けているが、ガイドのエルフはそれ以上だ。
燃え切ったエルフの里を、生存者を探しに見て周った結果、誰も生きていないという事実に直面してからここへ来ている。
「……あんた魔人なんだろう」
返事が出来ない。次に来る言葉が判るからだ。
此方の世界に来るさらに前、つまり上京する前だ。
りりの実家には時折こういう人が来た。そしてそういう人は決まってこう言う。
「あんた凄い奴なんだろう……頼むよ……仲間を……家族だけでもいい……」
やめて欲しいと思うも、こういう人はそれをやめてはくれない。
「生き返らせて……くれ……」
エルフはりりの手を握る。握手だ。
テーレから聞いたのだろう。これこそが魔人との仲間の証……そう伝わっているはずだ。
最悪以外の何物でもなかった。
「……ごめん……なさい……」
「……冗談……キツイよ……」
「ごめんなさい」
「ハハ……ハハハ……」
エルフはりりの手を握ったまま、脱力して、膝を打つのをお構いなしに崩れ落ちる。
ガイドのエルフ。
第一印象はクールでカッコいいエルフだった。
その人が、今、りりの目の前で、聞いたこともない名前を沢山口にして泣き崩れる。
そこには、恥も外聞もない。
エルフは仲間意識が薄い種族だと聞いていたが、どうやらそういう人ばかりではないようだった。
「こんなの……こんなの嘘よ! 何故何も無いところから……あんな……あんな大火が……」
アーシユルが、りりを掴んでいたエルフの腕を振り払う。
「りり。部屋に行くぞ」
真剣なアーシユルの表情。
振り払われたにもかかわらず、再度摑みかかれない程衰弱したエルフ。
そしてハンター達の一言。
「そんなのジンギでしか……」
数歩アーシユルに引っ張られた後、気付いてしまった。
目を見開き、足を止める。
こういう時には鈍感でいたかったのだが、気付いてしまった以上、もう止められない。
「りり、喋るな」
アーシユルはさっさと気づいていたようだ。
ショックを与えないように部屋まで連れて行こうとしてくれていたのだろう。
だが、りりの口も止まらない。
「ハーフ……ゴブリン……だね」
アーシユルは苦虫を噛み潰したような顔でコクリと頷く。
「なんて……? 言ったの……」
喚いていたというのに、ハンターや宿の客が騒ついていたというのに、その中で、りりの小声を拾うガイドのエルフ。
ゆっくりと起き上がり、1歩づつ迫って来る。
1本踏み出すごとに生気と狂気を強く孕ませてゆく。
りりまで後1歩の距離にまで近づく頃には、最早別人というような顔になっていた。
ガイドのエルフは、その悪鬼羅刹のような表情のまま、りりの首を絞める。
流石と言うべきか、エルフの身体能力をもってしてそれをしているので、一瞬で意識が飛びそうになった。
直ぐ様アーシユルがガイドのエルフの腕にナイフを突き立てたので、りりの首からエルフの手が離れた。
「げほ……げほっ……」
首を押さえて、咳き込み、アーシユルとガイドのエルフを交互に見る。
「なに……? 私……今……?」
りりは首を締められた事にすら気付く事ができずにいる。
そのくらい一瞬の出来事だった。
アーシユルはりりを手で後ろにやりながら、ガイドのエルフを睨みつける。
「どう考えてもあたしらのせいじゃない。そもそもエルフ達がハーフゴブリン討伐に乗り出していれば、例えジンギを使えるハーフゴブリンなんていうイレギュラー相手でも逃すなんていうことはなかった」
「……くそ……くそう……」
ガイドエルフは、負傷した腕からナイフを引き抜き、横に放り投げて、再び蹲る。
そして、それとは対象にハンター達が騒つく。
「ジンギが使えるゴブリンだと!?」
顔に傷を負った強面のベテランハンターが怒鳴る。
「ハーフだ」
「より悪い! 何故逃した!」
「エルフが協力しなかった。あたしと、りりと、ケイト。この3人でゴブリンを100は殺した。だが、たった3人で逃げた1匹のゴブリンなんか見つけられると思うか?」
「……なんだと?」
ベテランハンターの怒りの矛先がガイドのエルフに向かうが、直ぐに霧散する。
流石に一族の全てが死滅したのが自業自得だなどという追撃を行うほど無神経ではないようだった。
「ボクスワにはハーフゴブリン討伐隊の要請は出した……間に合わなかったようだがな……」
「……だがどうして燃えたのだ……いくらハーフゴブリンが火を起こしたとは言え、エルフ達には神が付いているのだ。火くらい……」
「……」
「……」
「……」
沈黙がガイドエルフの返事を促す。
「神は……来られなかった……私は神子ではない……何故……神よ……」
「……あ、あたし神子だったわ」
「あ、そう言えば確かに」
「「ハア!?」」
ベテランハンターの後ろに居たハンター2人が仰天する。
ベテランハンターだってちょっとヒクヒクしていた。
「どうすりゃいいのかな……ウビー様? 聞こえますかー?」
《聞こえている。エルフの里の件なら魔人の失態だ。俺は魔人をヒトとは認めない。覚悟しておく事だ。そしてお前は今を持って神子の資格を剥奪する》
「えちょ!?」
返事が途絶える。
「……だとさ?」
「何がだ?」
「あー、今のあたしにだけ聞こえてたやつか……ややこしいな……つまりだ……」
アーシユルはたった今聞いたことをそのまま説明する。
「そんなに簡単に神子って決まってたのか……」
「みたいだな。神からの初音声がこんなのになってまあ……」
アーシユルは大きなため息をつく。
そこをベテランハンターに背中を叩かれれ励まされている。
「で、だ。わかりやすく言うとボクスワの神的には、魔人さんを敵扱いしたと言う事か……」
「そう言う事だな……こりゃあボクスワには戻れないな……」
「えっと……つまり?」
まだ事態が飲み込めない。
いや、把握は出来ている。信じられないだけだ。
「……世界の半分がりりの敵に回った……」
「……そんな……そんな馬鹿な!? 私あんなに辛い思いしてゴブリンさん達をこ、殺した……のにっ……!」
何故か、ハーフゴブリンが行った火計でりりが割りを食うことになってしまった。
あまりの理不尽さに頭を抱え、思う存分振り乱す。
そんな時、宿に1人の女性が入って来る。
銀髪の美しい髪をたなびかせ、それに気付かぬりりの元まで歩き、抱きしめた。
「! ……長老さ……いや、フラベルタ……」
「大丈夫かしら? りり」
この事態を察知して来たのだろう。
りりとしては嬉しいところなのだが、タイミングと場所が悪い。
「長老様!? 生きておられたので!?」
そう。ガイドのエルフが居るのだ。
ここに史上最悪の勘違いが生まれた。
「私は……何も出来なかった……でも長老様が生きておられて……私は……」
「ごめんなさいね。私はフラベルタ。ハルノワルドの神と呼ばれるものよ。長老様から聞いた事なかったかしら?」
「……あ……あ……ああ……?」
眼の前で、人の心の折れた音がした。
最早枯れ果てたのか、涙ももう出てはいない。
哀れ過ぎるのか、誰もガイドのエルフに触れることができなかった。
この大陸にたった2人しか居ない神。
その神に守られていたはずの種族が、まさにその神の気まぐれで見捨てられ、各地に散っていた極少数のエルフを残して全滅した……。
そんな者にかける言葉など誰も持たない。
突如、アーシユルが意味有りげに立ち上がりジンギを起動する。
「……何してるの?」
アーシユルは答えない。
直後、ガイドのエルフが立ち上がる。
「お前の……お前のせいでええええ!」
ガイドエルフは激情を込め、装備しているナイフをりりに投げつけて来た。
りりは唐突の事に反応出来ないが、それは空中で鉄塊によって弾かれる。
アーシユルの鉄塊だ。先程のジンギ起動はこれを呼び出す為のものだったのだ。
「誰か騎士を呼んでこい!」
アーシユルが叫ぶ。
即座に反応する1人のハンターが、ガイドエルフを後ろから押し倒す。
「離せ! こいつのせいで皆死んだんだ! 殺す! 魔人は殺す! 殺す! あああああああ!!!」
エルフは最早声にならない声を上げる。
『コイツは殺すわね』
『え!? だめ!』
気がつくと、ケイトがガイドエルフの元へ歩み寄って、片膝をついてしゃがみこむところだった。
「アーシユル! 止めて!」
「何をだ? ……っ!?」
アーシユルは今気づいたようで。ナイフを取り出そうとしているが間に合わない。
ケイトはガイドの頭を把持し、そのまま勢いよく捻ろうとした。
誰もがケイトが、発狂したエルフを殺した……そう思った。
しかしケイトの手は、影から現れた腕に掴まれ阻まれた。
あまりの事態に、ケイトもベテランハンターも跳びのいた。
ガイドのエルフも、自らの影から生えている右腕に、恐れおののき、ずりずりと引き下がってゆく。
が、腕は影に着いて行く。
「……何だこの腕は……」
「ダークエルフの影から伸びてるぞ」
誰もが腕に注目する最中、たった1人だけ、ガイドのエルフの生存と、ケイトによる殺害の失敗を喜んだ者が居た。
その者は「良かった……」とだけ言って、その場にへたり込む。
そして、エルフの影から生えていた腕がゴロリと倒れると、そこから夥しい量の血が溢れて来る。
「……りり……りり!?」
こんな怪現象がタダで起きるわけがないのだ。
そしてこんな事が出来る人物など1人しか居ない。
アーシユルがケイトを押し退けると、そこには右腕が消失し、やはり夥しい量の血を垂れ流して、腕を押さえるりりの姿があった。




