112話 暴走
ケイトが突撃する。
今は少し冷静だ。
ケイトの顔面がくる位置にバリアを設置する。
そう。ものすごい速力で突っ込んでくるのならば、意図しない場所に罠を仕掛ければ良い。
勢いの全てがダメージとして反射してくれるのだ。楽なことこの上ない。
が、ケイトは左右にステップを踏んだ後、迂回しこれを避ける。
「え!?」
ケイトには魔力が、念力が見えていないはずだ。
なのに避けられた。見えていると考えた方が良い。
とにかく全方位にバリアを展開して固定する。
ギリギリ間に合うが、ケイトは直ぐ様離れてゆく。
これで模擬戦は終了。
何者にも固定された全方位バリアは突破できない。
そう思い、下を向きホッと一息着くと、忘れかけていた肩の痛みが蘇ってくる。
「いてててて……これシャチさんに肩ハメてもらわないと……」
悠長な独り言を零し、顔を上げてシャチの方に行こうとすると、視界の端にとんでもないものが映る。
ケイトが弓を構えている。
りりへ向かってだ。
何かの間違いかと思い、後ろを見るが、誰も、何も居ない。
完全にりりを狙っている。
よく分からないまま、慌てて固定してあるバリアの中に、更にもう一層バリアを展開してゆく。
しかし、とてもではないが固定等している暇はない。
矢が放たれる。
凡そ人間の放って良い速度でない矢が、空を切り裂き飛来し、バリアに "突き刺さった" 。
エナジーコントロールで作り出したバリア。それの空間固定。
強靭な防御力を誇ったソレは、絶対ではなかった。
狙われた場所は頭ではなく腕の部分になるが、矢尻が固定したバリアを貫通している。
中に更にバリアを展開していた為、大事には至っていない。
それどころか、届いていないのだ。
りりの体には傷一つ付いていない。
しかし、絶対と思っていた固定バリアが貫かれた。
[屍抜き]
今回は屍を作らなかったが、第2射が同じ威力とも限らない。いや、間違いなくこれ以上だろう。
そう。ケイトが再び弓矢を構えているのだ。
冗談ではない。
毒は無いにしても、あのような化物地味た威力の矢等、まともに受けてはショック死してしまう。
止めねばならない。
しかし、何を? 矢を止めても次の矢が来る。
矢が尽きるまで防御するにしても、りりの集中力が持たない。
大体腕か痛いのだ。
最優先で腕の脱臼くらいは直さねばならない。
念力で腕をはめ込もうと試みるも、医学知識がないりりは、関節のはめ込み方など解らない。
第2射。
同じく右腕部に射られたそれは、先程よりも深い位置で止まる。
血の気が引いていく音がする。
今理解した。
止めるべきは矢ではない。ケイト自身だ。
3射目が射られたらバリアを解いて、矢を避けながら突撃する。これしかない。
砂浜は走りにくいので、先に、念力で辺り一帯に足場を作り出す。
これならば、ケイトに見られていても問題はない。
感覚を研ぎ澄ます。
ケイトの矢は屍抜きと言われるほどの威力なのだ。飛んでくる速度も信じられないほど速い。
なので、指を離した時にはもう走ってないと避けられない。
矢が放たれる。
と同時にバリアを解き走り出す。
出遅れた。
しかも力が入りすぎたのか、足を滑らせてしまう。
3射目。それは足に向かって射られていた。
つまり、滑りコケた結果、矢の向かう先はりりの頭部だ。
『りり!!!』
ケイトが念話で絶叫する。
当たり前だが、これはケイトとしても不本意だ。
なにせ、りりが勝手にコケたのだ。
しかし、もう遅い。覆水は盆には返らない。
りりは肩から、念力で作った足場に落ちる。
脱臼しているところに衝撃が加わる。
だが、不思議と痛みは感じない。
キッと頭を上げて矢を見る。実にゆっくりと飛んで来ているように見える。
死ぬ寸前には、脳が快楽物質をこれでもかと言う程分泌して痛みを消そうとするという。
つまり走馬灯だ。
今見ているものはそれではないだろうか?
しかし、別に思い出が呼び起こされたりはしない。
りりが今考えていることは、
ケイトを止めること。
自分が助かること。
先程ケイトに踵落としを受けた時の悲鳴を聞いて、遠くから走って来ているアーシユルの心配を取り除くこと。
この3つだ。
バリアは張れない。どう見ても間に合わないからだ。
そして矢は、りりに突き刺さった。
正しくは、りりの背中から伸びて来た腕に……だ。
矢はりりの第3の腕を縦に貫こうとして、腕を貫通したあたりで軸が歪んだのか、りりの右頬を掠ってから地面に突き刺さった。
ケイトが弓を下ろしへたり込み、アーシユルも足を止めた。
りりは、顔中血だらけになりながら、立ち上がり後ろに振り向く。
やはりどう見ても背中から大きな腕が生えている。
その光景に、後からやって来たシャチを含め全員が絶句する。
「こういう感じかな?」
背中から新たに、するりと鮮やかに2本の腕が生える。
「ふ……ぶっ殺す!」
凡そりりが発言するような内容ではない言葉が口から漏れる。
1歩踏み出す。
その1歩だけで2メートルは前進して、バランスを崩し、コケた。
体の動きと頭で想像する動きに差異がある。うまく動けない。
「くっそ……ケイト! 許さないからなぁ!!!」
完全にキレている。
しかし、背中から生えた腕。これに対して、不思議と気持ち悪いなどとは感じない。
と言うより、ケイトを叩きのめしたい気持ちでいっぱいだ。
だと言うのに、起き上がると、眼の前にシャチが割って入って来ている。
「退けええええ!」
両腕が動かないので、背中から生えた2本の腕で殴る。
しかし、シャチの大きな水掻き付きの掌に止められてしまう。
「りり。しゃしんで、じぶんをみてみろ」
「気持ち悪いって言うんでしょ! 知ってる!」
「違うりり! 腕もそうだが、後ろだ!」
アーシユルの声だ。
流石に少しだけ耳を貸してもいい。
そう思い振り返る。何も無い。
「何も無い……けど?」
「なら写真だ! シャチの言う通り撮ってみろ」
「…………シャチさん。ケイトさんの、弓矢壊して来て」
「……いいだろう」
やけに素直なシャチに感心しながら、仕方なしに高ぶる気持ちを抑える。
スマートフォンを取り出し、カメラをインナーに切り替えた。
どうせ5本腕の気持ち悪い自分が写るだけだ。あまり見たいものではない。
そう思っていると、そこに写し出されたのは、真上に展開された腕を矢で貫かれ、滴る血で血まみれになっている、日輪を背負う5本腕の魔人の姿だった。
「私の……私の説は正しかったぁー!!!」
肩も外れて血まみれになって、化け物のような見た目になっているにもかかわらず、りりはこのテンションを維持する。
りりが発見した魔法。間違いなくナイトポテンシャルの対になっている。
腕が生えたのはナイトポテンシャル【静】に当たるものなのか、回復ではなく、生成を行うようだった。
走った時、コケてしまったのは肉体能力の増加に頭がついていかなかった故だ。こちらはナイトポテンシャル【動】の対になる。
「とにかくその腕仕舞え。腕はハメてやるから」
「腕の消し方なんか解らない。いやでもそれよりも、やっぱり先にケイトぶっ飛ばす!」
再び動こうとする……途端、右から2番目の腕に軽い衝撃が加わる。
見上げるとナイフが刺さっていた。
嘘だと、信じられないという気持ちに覆い尽くされる。
「落ち着け」
「……これ……アーシユルが?」
アーシユルが近づいてくる。
嫌だ。怖い。よりにもよってアーシユルに攻撃されるなんて。信じたくない。来ないでほしい。
そんな気持ちが一気にりりの心を埋めつくす。
もう他には何も考えられなかった。
「りり。もう一度言うぞ? 落ち着け」
涙が溢れる。
ケイトにバリアを破られた時の衝撃よりも、シャチに食い殺されかけた時の恐怖よりも、蛸人に対する怒りよりも、ただアーシユルに投げられた1本のナイフが何よりも痛んだ。
その場に崩れ落ちる。
生えていた腕からナイフと矢がスルリと剥がれ落ち、腕が体に戻ってゆく。
それと共に日輪は霧散した。
そこに残されたのは、腕も動かせずにえんえんと泣く血まみれの少女だった。
アーシユルに抱きしめられる。
「偉いぞ。よくやったりり。」
「やだ! やだー! 離して……離してよ!」
りりは何を褒められているのか全く解らない。
泣いて酸欠になった頭では、腕の痛みと合わさって何も考えられない。
ただ、アーシユルに撫でられる頭は気持ちが良かった。
ただ、同時に攻撃されたショックから、大人しく撫でられていれば良いものを、逃げ出そうとしてしまう。
もっとも、腕が動かないければ、足にも力が入っていない。
ろくな抵抗も出来ずに撫でられ続ける。
少しして体をだらりとさせ、逃げることは諦めた。
その後、シャチとアーシユルの2人がかりで、脱臼した肩を整復してもらう。
一息ついてからシャチの陰から、ケイトが顔を出した。
『りり、ごめんなさい。貴女相手だからとやり過ぎたわ』
『……怖かったです……』
『本当にごめんなさい。でも途中から光り出してたから、本当に魔法を開花させたんだと思ってはしゃいじゃっ……いえ、言い訳ね。これで許してほしいわ』
りりの前に放り投げられたものはケイトの弓だ。
真ん中から砕けている。
『シャチに頼んで壊してもらったわ。私の矢は味方を傷つけるためのものじゃないもの』
『そんな事より、光り出したのっていつ頃からですか?』
『そ、そんな事……』
ケイトの顔が引きつる。
ケイトの弓の思い出と愛着。りりの知ったことではなかった。
そもそも、暴走状態の時とはいえ、りりはケイトの弓矢を壊せとシャチに言っているのだ。
壊れた状態で出てきて当然だった。
『光り出したのは矢が、バリアに当たった直後からよ。つまり、さらに追い込めば……と思ってね……』
『つまり、そのときの、かんかくをおぼえて、つかいこなせるように、なれということだな』
シャチも念話に参加してくる。
入れないのはアーシユルばかりだが、念話をしているのを察してか、特に割って入る気配はない。
『……自分でも腕は意味不明だけど、高揚感が凄かったです……肉体能力もシャチさんみたいにぐっと上がったし、使いこなせれば強くなれるんでしょうけど……』
「りり。会話内容は判らんが、さっきの日輪を背負うやつ。練習だけはしておけ。気乗りがしてないのは表情を見ていたら判る。だが、使えるならば使えるように、コントロールも出来るようにしておけば、いざという時に役に立つ。後悔したくないのならやっておくべきだ」
本当に聞こえていないのかというほど的確、且つ含みのあるアドバイスだった。
一番の懸念は、上がったテンションの制御だ。
先程ケイトに殺意を向けたように、仲間を傷つける可能性がある。それが何よりも恐ろしかった。
『りり。それは回復してから試しましょう。もし日輪を背負えたなら私が教えるわ。その時、全魔力を破棄しなさい。そうしたら魔法の効力は消えるはずよ』
『……なるほど』
りりは全魔力を破棄しても勝手に溜まって行くので、ある意味0にまではならない。だが魔力の総量が0に近づけば抑えられるかもしれない。
『でも悔しいなぁ……元気だったらこの後蛸狩りでもしようと思ってたのに……』
『……元気ね』
ケイトに呆れられてしまう。
蛸人狩り。
りりとしては、寧ろこちらの方がメインディッシュと言う程まであった。
だが、負傷したおかげで今日の夜は浜辺で野宿になるのだ。
今から楽しみで仕方がない。
『……りり、それ、私としても良いんじゃないの?』
『………………は?』
ケイトの爆弾発言にずるりと肩を落とし、目を丸くする。
『……あ! 違うの! 変な意味じゃないの! ただ快楽がすごいって聞くから、どんなのかなって! ほら、私って今まで相手がいなかったわけだし!』
変な意味じゃないとは何なのか、そのままの意味だった。
だが、ケイトがこれだけ慌てるのも珍しい。
『て言うか、すごいって聞くからって、一体どこで聞いたの?』
『猫が言ってたけど』
『猫が……』
猫に広がっている魔人の噂。下手をするなら人にも広がりかねない。
そうだとするならば……いや、心当たりがないわけではない。
今日会ったハンターも情報屋も、目より少し下を見ていた気がする。
胸ではない。そもそもこの大陸に於いての女性の身体的モテポイントは体格なのだ。
胸に執着する者はあまり居ないだろうし、りりもある方ではない。
ならば何処を見ていたのかというと、唇だ。
ケイトは大人と子供がブレンドされたかのような性格をしている。興味はあるのだろう。
しかし、だからと言ってさせるわけにはいかない。
りりがキスをしたい相手はアーシユル1人だ。たとえ仲間でもここは譲れない。
何かテンパっているせいでズレているような結論に行き着くも、なしの方向で固まっている。これで良い。
『解ったわ……でも、気が変わったら試してみてくれても……いいのよ?』
エルフといいヒトといい、色白が大多数のこの大陸では、照れたら皆顔があっという間に赤くなる。
ケイトは黒いので全く赤くならないが、表情に出るのでよく判る。
『恥ずかしいなら言わなければいいのに』
『興味はあるのよ! いいでしょ!』
ケイトも少し怒りかけているので、からかうのもここまでだ。
「という事だからアーシユル。夜お願いね?」
「……おう」
ニコリと笑い手を振ると、期待するような覚悟をするような、そんな微妙な返事をするアーシユルだった。
「なあシャチ。子供でも効くような精力剤みたいなのって無いか? 実際に精力を上げるって言うよりはスタミナとかをだな……」
「おれが、しるわけないだろう」
「だよなー」
訓練は明日も続く。
つまり、りりとの夜の逢瀬も続くのだ。
「嬉しいやら疲れるやらだな……」
アーシユルのオイシイ受難はしばらく続きそうだった。




