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110話 夕暮れに降る青い雨

 



『やっぱり空は気持ちがいいな』

『ゴーグル買っておいて良かった』

『わ、私は、落ちたら死ぬっていうのが……まだ……』


 時間は午後5時。日が沈み始めている時間帯。

 今はグライダーにて高所を飛行しているが、日が沈めば念力は弱体化するので、グライダーでの飛行は危険になる。

 つまり、飛べてあと1時間程だ。


『これだけ風の音がうるさくても会話出来るなんて、念話は便利だな』

『私に感謝しなさい』

『半分はりりの魔法だがな』

『でも大声出さずに会話出来るから助かってますよー』

『これで窮屈でさえなければ完璧なんだがなぁ』


 グライダーは1人乗りだ。

 前はアーシユルと2人、小柄な者同士だった為さほど問題はなかったが、今は身長170と少しあるケイトが居るのだ。

 致命的な程窮屈だが、野宿にはかえられない。


『しかし早いな……』

『そうね。馬の単騎駆けの2〜3倍早いわよ』

『これで最大速度じゃないんだろう?』

『最大は私も怖いのでこれくらいで』


 最大速度に近くなればなるほど、首がもげそうになってゆくので、速度は程々にしてある。




 1時間後。

 ゼーヴィルの手前。

 出入りする馬車があったので、人目を避ける為に、やや遠くに着陸してグライダーを回収する。

 既に一度見られているので今更感はあるが……。


『長い事念力使いっぱなしで疲れたから魔力プール解くね』

『おう。ありがとうな。お疲れ』


 アーシユルの頭部に溜まっていた魔力が、プールの解除と共に流れ落ちる。


『そろそろ獣達の時間よ。急ぐわよ』

『そうですね。あ、ゴーグル回収しますよ』

『有難うね。目が乾かなかったわ。それと……はいこれ。私のだけどあげるわ。私より、りりの方が必要でしょうからね』


 ケイトはそう言って、ゴブリン討伐時に貸してくれた、バイザータイプのマルチグラスを手渡してくれる。


『え、良いんですか? 確かに便利ですけど』

『勿論よ。私、それが無い方が良く見えるもの。良くも悪くも1人で森で生きてないわよ?』


 自虐のように聞こえたが、その顔は穏やかだ。

 多少は気が晴れたようだった。


『ではありがたく貰います』


 ずっと装着していると疲れそうなので、額の2本角の上に乗せるようにかけた。

 丁度良い置き場所になる。




 ゼーヴィルに向かって歩く。

 すると、どこかで見たことのあるようなシチュエーションで、どこかで見たことのあるような[人のようなもの]が倒れている。


「あれは蛸人だぜ? 判ってるな?」

「いやぁ、流石に二度も引っかからないよ」


 そう。20メートルほど前方の岩の上に、倒れるように蛸人が倒れたヒトのフリをしている。

 つまり、自らを疑似餌として、心優しい人を急襲する為だ。

 あからさまな手口だが、良心のある人は判っていても騙される事がある。

 それ程には擬態の完成度が高いのだ。


『あなた達、何故悠長に歩いているのよ? 行き倒れよ!? 私は行くわよ!』


 ケイトが走って近づいていく。


「待て! ケイト近づくな!」

『ケイトさん! 待って! それ違います!』

『何が!?』


 ケイトは走るのを止めない。

 アーシユルの言葉はそもそも届いていないので、止まろうはずもない。

 そしてケイトは体格に似合った速度が出るので、あっという間に蛸人にたどり着いてしまった。


 ケイトが近寄ると、まんまと蛸人の触腕がケイトを捉える。


『何よこれは!? 此奴は……ヒトじゃないの!?』


 ケイトはずっと森暮らしだった為に、蛸人を知らない。

 蛸人は陸でも活動が出来るが、基本的に海の生物だ。

 当然、海岸付近にしか姿を現さないので、ケイトとの接触は今までなかったのだ。


『息が!?』


 いつもの窒息攻撃だ。

 陸なので殴れば良さそうなものだが、とにかく初手は窒息させてくる。

 よく解らないがそういう生態なのだ、だが、今はそれが助かっていた。


「アーシユル! ケイトさんの右腕にナイフ投擲お願い!」

「なるほど毒か! 任せろ!」


 アーシユルが駆ける。

 今は夕方だ。降り注ぐ魔力も夜仕様だ。

 よって、りりの念力もヘナチョコになっている。

 使えないことはないが、出力が低く、しかも制御が難しい。

 ここはアーシユルに任せる事にする。


『ケイトさん! 右腕にナイフが行くので、毒生成お願いします!』

『ぐっ……解ったわ!』


 ケイトは締め上げられているだけで、まだ余裕がある。


「チッ、腕が触腕に邪魔されてやがる。だがっ……」


 アーシユルがナイフを、時間差で2本投擲する。

 1本目で腕を剥がし、2本目でケイトの腕に刺さる寸法だ。


 が、それは躱されてしまう。

 簡単な話だ。

 蛸人が、飛んでくるナイフを見てから、横に少しズレただけだ。


「「うそぉ!?」」


 動体視力良し。

 身体能力良し。

 衝撃耐性高し。

 ジンギ耐性高し。

 3点どころか4点揃いした、魔物を超えすらする生き物。それが蛸人だ。


 ジンギの効果が薄く、火と斬撃しかまともにダメージが及ばない。

 つまり、アーシユルの装備では相性が悪い。

 前回はのたうち回っていたので剣を叩き込めただけだ。

 今回の蛸人は無傷な上に、有効打を持っているケイトが捕獲されている。

 その上、りりも念力も使えない。

 手詰まりだ。


 だが、ここで閃いた。

 ポーチからスマートフォンを取り出し、アーシユルの側まで近づく。


「アーシユル。合図したらさっきのナイフ投げお願い」

「策有りか!? 良いだろう!」


 スマートフォンをのカメラを起動する。

 動体視力が良いなら目を潰せば良いのだ。

 即ちフラッシュだ。


 電子音のシャッター音と同時に、強い閃光が蛸人を包む。

 蛸人は大きく怯み、余った触腕で目を覆う。こういう反射行動は人でなくとも同じようだ。


「アーシユル!」

「まったく、とんでも……ねえなっ!」


 時間差を置いたナイフの投擲。今度は躱されない。

 1本目がケイトの腕を保護していた触腕を剥がし、もう1本がケイトの右腕に刺さる。


 ケイトの体がビクンと一瞬震え、血がナイフを伝ってゆっくりと滴ってゆく。

 滴り落ちるケイトの血液。

 初めて見るケイトの魔法の発動の瞬間だ。


「なるほど、血が出てから毒にしてるから、体には回らないのか……今度教えてもらおう」


 こうなると最早勝ったも同然だ。

 余裕を持ってその血を念力で拾い、蛸の顔面に軽く投げつける。


 しかし何も起こらない。


「おい、りり、あの毒確かさ」

『遅効性なの。時間稼ぎなんとか宜しくね。あんまり長く息止めてるのは無理だから、そこら辺もついでによろしく頼むわ』

「そうだった! っていうか結構無茶言ってません!?」


 ケイトの毒は即効性ではない。

 体内で大量に増殖してから効果を発揮するタイプの、致死性の猛毒なのだ。

 りりの毒とは性質が違う。


「じゃあ私もやれば良いだけっ!」


 腰のナイフホルダーからサバイバルナイフを取り出し、掌を薄く切った。

 じんわりと痛みが広がる。

 出てきた血液を念力で溜めてゆく。


 殺さなくて良い。

 目一杯苦しんでもらえればそれで良い。

 毒の生成、今度教えて貰うまでもない。今やるのだ!


 騎士達を撃退した時のアレだ。

 掌の血液を拭い、溜めた血 "だけ" を穢れとして強くイメージする。

 間違っても、血そのものを汚れとしては扱わない。

 飽くまで、溜めた血だけだ。


「蛸人はぁ! 絶対にぃ! 許さないっ!」


 蛸人への恨み、未だ消えず。

 それどころか蛸人は、ケイトまで害しようとしているのだ。


 怨みはたっぷり。

 溜めた血はコップの底に薄く張る程度の量の血だが、間違いなく毒に変質していると確信する。

 それを念力で浮遊させ、目の見えない蛸人の顔にそっと浴びせた。


 効果は劇的だった。


 血を浴びせられてほんの一呼吸。

 蛸人は一瞬暴れて、すぐさまケイトを手放し、海の方角へ凄まじい速度で逃げてゆく。


「ケイト! 大丈夫か!?」


 アーシユルが駆け寄るが、かけた声はケイトには通じない。

 しかしケイトは人差し指と薬指を立ててサインをする。

 りりの世界で言うところのサムズアップだ。


「りり! ケイトは無事だ……ぞ……」


 アーシユルがケイトの側に行ったのだ。

 心配を過度にするよりも、蛸人を逃すまいとグライダーを呼び出す。


「……何してるんだ……?」

「逃 が さ な い」


 逆上している気もする。

 殺さなくても良いとは思ったが、それはケイトが捕らえられている時の話だ。

 ケイトが居ないなら、狩るしかない。


「りり落ち着け! 血が上りすぎて何も考えれてないだろ! ナイトポテンシャルが発動してるだろ! ちょっと光ってるぞ! 阿呆か」


 アーシユルの考察は全く外れいない。

 むしろど真ん中を捉えている。


 阿呆扱いされたが、ゴーグルを付け、殺意満々でグライダーに飛び乗る。

 そのまま、速力全開の低空飛行で後ろから、逃げる蛸人追いかける。


 距離0メートル。

 後ろから爆風を吐き出しながら、グライダーを持ち上げつつ翼で轢いた。


 やや下方から上方へ突き上げられ、無様にも空を舞う蛸人。

 一方りりは、最高の表情を持ってサバイバルナイフを構え、グライダーを旋回させる。

 そして落下してきた蛸人と交差する瞬間に切り裂いた。


 前回と同じだ。

 速力があれば、小さな切れ目は裂け目となる。


 蛸人は、夕空に映える青い血を吹き上げて即死した。




「はー。満足」

「お前怖えよ」

「蛸許すまじだからね。仕方ないよね」


 りりが余裕を見せて居られるのも、少しヌメヌメとしているがケイトがどこも怪我をしていないからだ。

 いや、ナイフの刺さった右腕だけは軽い怪我をしているが……。


『私、海と関わると碌な目に合ってない気がするわ』


 シャチに恐怖を植え付けられ投げられたり、蛸人に窒息させられそうになったり。

 だがそんなものは生ぬるい。


『私はシャチさんにも蛸にも食べられそうになったから、大した怪我がないだけ大儲けですよ』

『……強いのね』


 ケイトがへロリと笑う。

 少し垢抜けた様にも見えた。


「さて、お金も稼げたし、ゼーヴィルまであとちょっと。がんばろー! おー!」


 憎き蛸人を1匹狩れ事によりテンションが上がる。

 だがこれは無意識下で発動していたナイトポテンシャルのせいでもあった。


「金は稼げてないな」

「え? 蛸狩ったじゃん?」

「猛毒付きのな」


 完全勝利のガッツポーズをしていたが、その姿のまま固まってしまう。


「………………だめ?」

「だめだな」


 ケイトの毒はケイト自身により解毒が可能だが、りりの毒はそれが出来ない上、即効性のある劇物だ。

 恐らく触れてしまうだけで危険だ。

 ギルドに預けるどころか、運ぶことすら危うい。


「じゃあ……」

「燃やす他ないな」

「えー勿体ない!」


 草原に不満が響いた。




「1万円の焚火ー。金貨1枚の焚火ー。どうだい? これで明るくなっただろう?♪」


 体育座りをしながら、焚火に向かって枝を投げ入れる。


「確かに勿体ないが、その歌やめろ夢に出そうだ」

『蛸人ね……覚えておくわ。次は一撃で仕留めてあげないとね』

『毒はダメですよ! 売れも食べれもしなくなりますからね』

『食べ!?』


 こうしてりりの悪食を知る人物が1人増えた。


「あ、良い香り……」


 少し焦げた脂たっぷりの焼き蛸の匂いだ。


「そろそろ飯時だからなぁ。ゼーヴィルに行ったら何か食おうぜ。あと涎拭け」

「ハッ!?」


 アーシユルに言われ、涎が出ていたことに気づき、慌てて回収する。


「あたしには良い匂いに感じないんだよなぁ……」

「勿体ない」

「ところでケイトは良い匂いに感じるのか聞いてくれないか?」

「いいよ?」


 アーシユルはメモを取り出している。魔人研究用の物だ。

 納得してケイトに問いかけるも……。


「全くだってさ。匂いだけで判断するなら不味そうなんだって」

「ありがとう。つまりこれは魔人の味覚と言うよりは、りりの、または日本人の味覚なわけか……ケイトのメモも作らないとな」


 頭をガリガリと掻くアーシユルだが、例のごとく楽しそうだ。

 りりはそんな……というか、どんなアーシユルでも見ているのが好きなので、特に何というわけでもなくただじっと見る。

 金貨は逃したが、こんなアーシユルを見れるなら金貨などいくらでも払える気がした。


「はぁ……」


 ケイトから大きなため息が聞こえた。

 ケイトには心が丸聞こえだと言うことを自覚してしまい顔が赤くなる。


『……』

『……』


 特に言葉が交差するわけではない。

 ただケイトと見つめ合う。


『……焼き鳥が欲しいわ』

『くっ……買えばいいんでしょ!』


 どうやらケイト対策に魔力のコントロールを早急に覚えないといけないようだった。




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