109話 それぞれの憎しみ
重い足取りで部屋に入る。
そこには、老夫婦に頭を撫でられ、長ズボンをぎゅっと握りしめたテーレの子、リリィの姿があった。
そしてケイトと、出入り口の側で知らないエルフの女性がメモに何かを書いている。
老夫婦は、りり達に気付いたようで、立ち上がり振り返る。
「あら、来られたのね。ありがとう。エルフの人はあまり来なくてね……」
「お婆さん。それは文化の差です。気になさらずに。それより、だ。あんたは?」
「え? 私? 物書きよ」
アーシユルに "あんた" と呼ばれた人物は、メモを取る手を休めずに、悪びれた様子もなくこう言った。
「その物書きが何でここに居るんだ?」
「え? 私は物書きよ?」
小馬鹿にしたような笑み。そしてメモ。
りりの予想が正しいのならば……。
念力でメモ帳を奪い取り、物書きのエルフを固定する。
「あっ! 何これ不思議! じゃなくて、メモ帳返しなさい!」
次回作のネタバレはダメなのよ。との声が聞こえるが、無視してアーシユルにメモ帳を渡す。
りりは此方の文字は読めないのだ。
「ん」
読めの合図を送る。
アーシユルがメモ帳の最新部分に目を落とし、嫌悪感を伴う特大のため息を吐く。それで十分だ。
「りり。追い出せ」
「うん」
そのまま外に放り出し、扉を閉めて念力の壁を空間固定する。
メモ帳は勝手ながら、村長の背後の棚の上に隠した。すぐには見つけられないだろう。
部屋に戻って、バリアを撤去すると、エルフはすぐに入って来た。
メモは隠したと言うと早速探し始める。
これでしばらく邪魔は入らないはずだ。
もっとも、邪魔をするようなら次はメモを燃やすだけだ。
「りり、ありがとうな。さあ、そろそろ行こう。これもあたし等が関与して良い話じゃない」
「でも……」
「行くぞ。ケイトにもそう伝えろ」
『聞こえてるわ……行きましょう……』
魔力プールはアーシユルに付けたままだった。
付けている以上、心の声はダダ漏れだ。
「……殺してやる……」
声の持ち主はリリィだ。
それに返事をするのはアーシユル。
「やめておけ。復讐なんて、何もかもが虚しいだけだぜ?」
「知った風な口聞かないでよ!」
リリィは立ち上がり振り返り、アーシユルに詰め寄る。
「知っているさ。復讐は辛いだけだ。ケイトだって復讐者だった。復讐相手はお前のママだ」
「!?」
「アーシユル!?」
アーシユルは気迫たっぷりにリリィに一歩近づく。
身長はリリィより少し高い程度のアーシユルだが、その威圧感は、いつものアーシユルらしくないものだ。
リリィはそんなアーシユルに圧倒され、ケイトを睨むこともできずにいる。
「だが神に誓って言おう。ケイトはお前のママに殺意を持っていた。それは間違いない。だが、テーレを殺したのはやはりゴブリンだ。ケイトじゃない」
更に一歩近づく。
「じゃあゴブリンを根絶やしに!」
「じゃあなんて言ってる段階でお前は復讐者でいる価値はない」
更に一歩。
近づく毎にリリィは後ろへ下がる。
「アーシユルさん。言いたいことは分かりますが、この子は子供です。それくらいで」
「コイツは子供なんかじゃない。復讐を口にした瞬間にコイツは復讐者だ。子供と扱うと復讐相手に殺されるだけだ。そしてそれが解らないのなら口を出さないで貰いたい」
説教のようなことを言っているのに、復讐を肯定しているのか否定しているのかよく分からない物言いになっている。
アーシユルも迷っているのだ。
迷いながらこの気迫を出せるのはある意味流石と言えるが……。
「でも!」
「ケイトの顔を見てみろ」
素直にケイトに目を移すリリィ。とても素直だ。
「それがお前と同じくらいの時に復讐を考えて、復讐を果たせなかった奴の顔だ」
ケイトは目をぎゅっと瞑り下を向く。
「アーシユル。さっきからちょっと……」
「あたしも酷いと思うぜ。解ってる……解ってるさ……」
自覚あって、敢えてケイトを槍玉に挙げたのだ。
『……行くわよ。もう良いでしょう?』
『ああ……行こうか』
『……うん』
老夫婦に別れを告げる。
「じゃああたしらはここら辺で」
「待ってよ! 私もハンターになるわ! ハンターになったらゴブリンも狩り放題なんでしょ! だから私も連れ」
「弱い奴は要らん」
「私弱くないわ! トラップ作らせたら一番よ! それに弱さで言えば、りりお姉ちゃんより!」
リリィは、りりに指をさして吠える。
りりは確かにトラップに翻弄されている所しか見せていない。
「りりはお前の何十倍も強い。そうだな……100前後に8、8……なんの数が分かるか?」
「知らないわ」
「今回あたし達が殺したゴブリンの数だ」
「え……」
リリィどころか、老夫婦も揃って目を見開き、りりを見る。
そこには奴隷服を着た、ただの黒髪の少女が居るだけだ。
「1人で100を超えるゴブリンを屠り、その力が神にも迫る程のりりに勝てると言うなら、パーティに加えてやろう」
さあどうする?
アーシユルは、そう高圧的に言い放つ。
しかし、リリィはホラ話とタカをくくったようだ。
「いいわ! 勝負しなさい!」
「え、嫌ですけど」
「なんでよ! やっぱり嘘なんでしょう!」
この言葉はりりの神経を逆なでする。
「二度とそんなことを言わないでください……私はケイトさんの復讐相手を救出するために、殺したくもないゴブリンの方々を殺したんです。命がけで……殺した相手、全員のお墓も作ってきました。嘘じゃありません。私は間違いなく、その数の人の人生を奪いました」
この言葉は悲しみを含んでいる。
りりが自らを戒める言葉だが、これはアーシユルの気迫とは別の、そしてより強い迫力としてリリィの元へと届く。
リリィが椅子に落ちるかのように座る。
「リリィちゃん。復讐より、テーレさんをちゃんと弔ってあげて。これは鬼人としての文化のそれなんだけど、死んだ後も見えてないだけで、テーレさんはそこに居るの。きっと弔って貰えたら喜ぶよ」
少しの沈黙。
リリィの目に涙がたまってゆき、やがて泣き出した。
顔を見るに泣き疲れた後だっただろうに、まだ涙が残っていたようだ。
ママ。と、もう返事を返してくれない名を呼び、冷たくなったテーレに抱きつく。
今は乱れているだけだろうと、少女が復讐の道を選ばないように願いながら外へ出た。
宿に戻り、荷物を回収した後、エルフのガイドに金を払いエルフの森から出る。
「ガイドありがとうよ」
「いいえ。仕事なので」
「そうか。じゃあな」
「また、いらして下さい」
「……気が向いたらな」
ガイドが森へ帰ってゆく。
それを見届け、りりは口を開く。
「アーシユル。復讐したい相手居るの?」
アーシユルの顔は見ない。
確信に近い推測だった。
今はアーシユルの顔を見るのが怖い。
「……解るか?」
「アーシユルおかしかったからね」
「……大丈夫だ。あたしの目的は殺しじゃない。ただ、何故あんなことになったのかを知りたいだけだ。そして見返してやりたい……と、考えているが、正直に言うと分からんな……余りにも意味不明な事を言われると逆上してしまうかもしれないからな……」
「……何があったかとか聞いても?」
興味本位ではない。
りりはアーシユルのことは何も知らないのだ。
できる限り知りたい。これは素直な気持ちだ。
「……すまん」
アーシユルは、軽くだが肩を抱えだす。
「ううん。ごめんね」
「……でも、もう昔の話なんだ。本当に小さかった時の話だ」
りりは1歩前に出て、振り返り、正面からアーシユルを抱きしめ、何も言わずに背中を撫でる。
アーシユルも何も言わずに、抱き返してくる。
話してもらえないのは残念だったが、アーシユル自体、まだ抵抗があるようだったので仕方がない。
しばらく目を閉じて抱き合っていた。
ふと、何か気配を感じ、目を開く。
ケイトが胡座をかいて、ただじっとこちらを見ていた。
『……やっと気がついた?』
『……はい』
『私、逃げるなって言われてるけど、今、別の理由でパーティを抜けたいわ』
『……ゆ、許してにゃん!』
咄嗟に出てきた言葉がこれだ。
最悪だ。何がにゃんなのかと、顔を真っ赤にする。
『……いいわね。それを言われたってアーシユルに言う事を考えると、今の妖精と過ごすかのような時間くらい許せるわ』
つまり、甘ったるい空間に気分を害していたと言う事だ。
こちらの諺は分からないが、これは解り易かった。
『おのれ……』
ケイトを睨むが、そのケイトが苦笑いする。
少しして、ケイトの視線が泳ぎだした。
『どうしました?』
『えっと……ねえ、りり。後ででいいからその抱きしめるやつ、私にもしてくれないかしら?』
これは照れている。
『え? あ、そうですね。後でと言わず今』
察しがついた。
『いえ、後でが良いわ。まだ完全には整理が付いていないのよ』
『分かりました』
ケイトの復讐は取り敢えず終わったのだ。
その対象は誰も殺す事はなかった。
いや、誰も殺す事が出来なかったが正しい。
間接的に殺しはしたし、その相手に八つ当たりじみた矢を射ったが、直接的には、やはりしていない。
ケイトは未だ迷っている。
幼少の頃よりの復讐心なのだ。
こういう結果になって、そんなにカラッと気持ちが晴れるわけがない。
「さて」
アーシユルから離れる。
「さて?」
「ゼーヴィルまではグライダーで良いの?」
「あー、野宿を考えてたけどそれでも良いな。頼むぜ」
言ってよかったと、小さくガッツポーズをする。
りりは虫が耳元を飛ぶ野宿は難しい。
一応、ケイトの毒で虫払いはできるのだが、そんなことのために毒を撒いてくれというのも気が引ける。
疲れるが、飛ぶことにした。
ゼーヴィルに到着すれば泥のように眠るのだ。




