104話 ハント
村長を魔力プールから解放し、ゴブリンの集落の場所を教えて貰い、里の端へ向かう。
黒髪で顔立ちが違うりり、赤髪のアーシユルに加え、誰よりも目立つ漆黒のエルフに野次馬達も騒つく。
だが騒つきはすれど、誰も近寄ろうとはしなかった。
ケイトは、最初こそ酷い顔で足取りもフラフラとしていたが、虚勢もあるだろうが、やがて調子を取り戻していった。
里の端までやってくると、テーレに矢を射ったらしいゴブリンは、変わらず、生きたまま木に磔にされていた。
『なるほど……ね……2人が嫌悪感撒き散らしてる正体が解ったわ。こんな事をするのは考えるまでもないわ……テーレね?』
ケイトも不愉快になる。最も、2人とは理由が違う。
死んでなお自己主張が強いテーレに不快感を感じているのだ。
ケイトはそのゴブリンに近づくと、まるで神事かのようにゆっくりと動く。
弓を足の指で挟み、矢筒から矢を取り出し、構え、弦を引く。
その美しい動きは憎しみで構築されたものだ。
Y字バランスをしているかのような曲芸じみたポーズだが、隻腕のケイトは普通に弓が構えられない。
結果的にこの構えに到達したわけだが、その姿は洗礼されていて、何処か神々しさすら感じさせる。
伊達に矢を射ってきたわけではない事が伺えた。
そして、やはりゆっくりと、気持ちのこもっているであろう矢を……放った。
美しいフォルムから、軽々と放たれたように思われた矢は、磔にされていたゴブリンの頭を貫通し、木をも貫通してしまうのではないかという程に深々と刺さった。
ゴブリンの頭から僅かに出た矢羽がその威力を証明する。
[屍抜き]だ。
ケイトは、深々と矢が刺さり絶命したゴブリンをしばらく見て、ゆっくりと、何かを噛みしめるように弓を担ぎ直し、りり達の元に戻ってくる。
『……少し……本当に少しだけだけど気が晴れたわ』
その目からは、先ほどのような大粒の絶望の涙ではない、どこか、何かを1つふっ切った物の残滓のような涙が一筋溢れていた。
『……』
りりは何も言えない。
りりの人生経験程度では、ケイトにかける言葉が見つからない。
『ケイト。気持ちは切り替えていけ。あたしらチーム初の連携戦だ後方支援は任せたぜ。あと、ゴブリンは毒を持ってる。りりは対処出来るらしいが、あたしは無理だ。ケイトは自分の毒だ。そもそも効かないだろう?』
『その通りよ。解ったわ。アーシユルは無傷で守ればいいのね?』
『そうだ』
アーシユルがリーダーのように、場をまとめ上げてゆく。
『それと、りり。これは、りり含め、あたし達が苦手な集団戦になるだろう。最大限の注意を頼むぜ?』
『解かった』
『あと、戦闘中は、あたしとケイトでの間でコミュニケーションが取れないのを改めて認識しておけ』
『そうね』
『うん』
『良し! じゃあ行くぜ!』
これがチーム名の無い新造パーティの初の任務だった。
フォーメーションは
前衛、りり
中衛、アーシユル
後衛、ケイト
と、いう形にして、森へ入る。
入ると直ぐに空は木々で覆われ、足元は草と茂みにより、多少動くのに不自由するような、自然そのままの険しさが顔を表す。
試しに振り返ってみると、森へ入って間もないというのに、既にエルフの里が見えなくなっていた。
「意外と天然要塞なんだね」
「りり。よそ見をするな。そしてトラップにも気をつけろよ」
いつもなら気さくに返すアーシユルも、冗談抜きの真面目モードだ。
改めて気を引き締める。
『りり、足元』
ケイトからの声に、ピタと足を止め、視線を下ろすと、そこに草結びがあった。
しかしそれだけだ。
周りにトラップらしいトラップもないように見える。
「ん? ああ、トラップか。面倒な事を……」
「そうだね」
取り敢えず草結びを跨いで一歩踏み出す。
「阿保っ!!」
「ぐえっ!」
アーシユルに首輪を掴まれ、後ろに引っ張られ、そのまま尻餅をついてしまう。
「ゲホッ……何すんの!」
少し首が絞まった。
コケたことよりも喉のダメージの方が強い。
「落とし穴だ。躓いたら落ちて、棘に刺さって死ぬ」
「は?」
簡単に死ぬという言葉が出てきた。血の気が引く。
アーシユルの手が出るのがほんの一瞬遅かったら、りりは死んでいたのだ。
「……何で判ったの?」
「……何で判らないんだ?」
アーシユルと話が通じない。
『本来そんな罠誰もかからないのだけれどね。りりは戦闘慣れしていないからもしかしてと思ったけど……』
「……え? これそんなに稚拙なの?」
起き上がって土を払い、振り返って地面を見るも、そこにはただ草の生えた土があるだけだった。
「いや、やっぱり判らないんだけど……」
「よく見てみろ。根が露出してる。この雑さと、罠の敷いてある方向を見るに、仕掛けたのはゴブリンだな。ゴブリンは普通こんなことはしないから、ハーフがいるのは確定だ」
アーシユルは、罠1つでそこまで見破ってしまった。
ケイトも分かっていたようで、りりは今更ながら、自分のお荷物感を噛みしめる。
罠を迂回して先へ進む。
「ったく、賢いのか阿呆なのかよく分からんな」
「何が?」
『りり、これを貸すわ。邪魔だと思ったら返してくれていいわ』
そうして渡されたのは、りりには似合いそうにもない、黒いバイザータイプの眼鏡だ。
「これは?」
『マルチグラスよ』
マルチグラス。
りりが痛いからという理由で付けていないモノクルのことだ。
これはメガネのようにかけるタイプで、眼窩への負担はない。
「なるほど、今ならその方がいいかもな。りり。それ掛けたら、あたしの左前方の木の上を見てみろ」
「木の上を?」
レンズを掛ける。
何となくだが、これを掛けてるだけで "出来る女感" が増すように思えた。
「えーと左上……」
亜人:ゴブリン(92.3%)
身長 109cm
年齢 4〜5歳
状態 興奮
腕力 156
脚力 170
体力 169
棍棒
亜人:ゴブリン(92.5%)
身長 112cm
年齢 4〜5歳
状態 興奮
腕力 179
脚力 168
体力 180
棍棒
マルチグラスに映し出されたのは、木の上に隠れたゴブリンの姿。
葉と同系統の体色のせいで保護色になっているが、バイザー型マルチグラスの前では無力だった。
「ゴブリン……」
「確認だが、2人で良いんだよな?」
2体ではなく2人。
飽くまでゴブリンは亜人。ヒトの近縁種なのだ。
「……うん。ふ、2人だよ……」
りりは緊張から、少し苦しさを覚え、肩で息をする。
「落ち着け。奴等は罠にかかった奴を確実に始末する為に配置されてる奴等だ。つまりこっちには気づいていない」
「そうなんだ……」
確かに、りり達が見ているのに行動を起こす気配はない。
そもそもりり達に気付いてすらいない。
「そこでだ、りり。おまえがやれ。ケイトや私がやるのは容易いが、集落では確実に戦闘になる。今のうちに慣れておくんだ」
嫌だ。
そう言いたいし、喉までその言葉は来ている。
しかし、この世界にいる以上、それは許されない。
農家の人がイナゴを、飲食店の人が鼠を駆除するように、ハンターであるならゴブリンは駆除すべき対象なのだ。
りりとて馬鹿ではない。そのくらいのことは理解は出来る。
しかし、理解出来たところで、実際に体が動くかというと違う。
ゴブリンを殺す。それはもう心には決めている。
一応だが、確かに決めている。
冷や汗が吹き出し、足が震える。
1分程で自身を奮い立たせたが、体感は10分程にも感じた。
「……いけるな?」
「……やる……」
「トラップは無い。存分にやれ」
返事はしない。まるで殺す事を楽しむように思えたからだ。
1歩づつゴブリンの居る木へ近づいてゆく。
異常に距離が長く感じる。
草木はそっと踏み、音が出ないように心懸けた。
しかし、近づくにつれ、どんどんと心臓は早くうち、呼吸は荒くなる。
腰のホルダーからサバイバルナイフを取り出し、念力で浮遊させた。
木まではあと少しだが、ゴブリンは既にりりの念力の射程内だ。
やれる……やれる……やれる! 自身を鼓舞する。
息が浅くなり、体がガチガチに硬くなってゆく。
目を見開き力を込め、浮遊させたナイフを手前のゴブリンの背後に回す。
「っ!」
歯を食いしばり、ナイフを動かす。
そこからは一瞬だった。
ゴブリンの喉の、左後方から右前方に向かって深々とナイフが刺さる。
刺されたゴブリンは突然の事に声も出せずに地面に落下……せずにそこで留まった。
りりが念力で押さえつけているのだ。
喉を分厚いナイフが貫いていて、悲鳴も出せないままゴブリンはそのまま絶命した。
今、りりの心は停止している。
体は未だに緊張しきっているが、心が全く動いていない。
ゴブリンを仕留めたのを確認してナイフを引き抜くと、切り口から大量の血が溢れ出る。
血が落ち葉の上に落ちた音で、もう1人の方に気取られてしまった。
もう1人のゴブリンが慌てて木から飛び降りて見上げる。
其処には、つい先程まで、一緒にエルフの里を監視していた仲間が、何故か木から落ちてこないまま、おびただしい量の血を滴らせている。
「なぜ……なぜ……」
子供の声だ。ゴブリンから発せられている。
りりの停止した心が動きかけた。
ここで動いてしまってはいけないと、意識して、再度必死に心を凍りつかせてゆく。
そして、死んだ仲間を見上げ、恐慌状態に陥るゴブリンの腹部に、念力で操ったナイフを刺す。
「どこから……どこからぁ……」
ゴブリンが少しして痛みを訴え出す。
あまりの出来事に思考が追いついていないようだが、それでも必死に腹部のナイフを抜こうとする。
そこへ更に、念力で作り上げた見えないナイフを心臓に突き刺す。
ゴブリンは、わけもわからず胸をかきむしる。
触れている内に、それが見えないナイフだと気づいたようで抜こうとした。
だが、りりもそうはさせない。
刺したナイフで更に心臓を抉ると、ゴブリンは口から血を吐き、間もなく地へと沈んだ。
片付いた。
りりの凍っていた心が動き出す。
その場にへたり込み少し呆然とする。
「………………………………ぅ」
思い切り泣き叫ぼうとした瞬間、駆け寄って来たアーシユルに抱きとめらる。
りりは、アーシユルの腹の、少し汗臭い革鎧を防音クッションにし、気を失うのではないかというほどに、全力で泣いた。




