103話 呆気のない物
朝起きて、油の少々切れている扉を開けリビングに出てみると、既に全員起きて寛いでいた。
居ないのは、この家の主人のエディだけだ。
「皆さん早起きさんなんですねぇ」
「りりが寝すぎなんだ。お前、あたしより先に起きたことないだろ」
「えー? 1回くらいは……あった筈だよ?」
リビングに向かいつつ、数えるくらいしかないモノで反論する。
「魔人さんはいつまでおられるのですか?」
書斎から、眼鏡をかけたエディが出て来た。
仕事中だったようだ。
朝早くから仕事熱心だなと感心するが、よく見ると目にクマが出来ている。
昨日からずっと籠もっていたようだった。
「えっと、とりあえず明日までは居る予定ですけど、お邪魔になるのは悪いので宿を探そうかと……」
「……ふむ……」
エディは柔和な雰囲気を崩さず、右上を向いて何か考えている。
心理学的に何かあったはずだが、思い出せない。
少しして考えが纏まったようで、口を開く。
「アーシユルさん。少しツキミヤマさんと2人きりでお話があるので、良いですか?」
「りりの返事次第だぜ?」
「ツキミヤマさん。構いませんか?少しお外で」
「え? はい」
「では」
まだ明るくなり始めたばかりのエルフの里は、山を少し登った位置にある。
山と森を兼ね備えた特有の冷えがあり、それなりに肌寒いので、持ってきたスーツの上着を羽織り外に出る。
なんの話かは分からない。
エディとは特に接点はない筈なので余計にだ。
もしや写真を撮っている理由を気取られたのか? と、色々試行が巡る。
町から外れた誰もいない森の近くまで来た。
そこで、エディの口から出たのは全く別の事だった。
「さて、ツキミヤマさん。あなたは敵意がない魔人だと……僕はそう聞きました」
「はい」
「では、城を強襲した理由を教えていただきたい」
「……城を?」
城の強襲。
身に覚えのない話だが、心当たりがないわけではない。
「僕はあの場に居たのですよ。強い光で顔までは見えませんでしたが、貴女のその羽織っている服に覚えがあります」
強い光と言うのは、貨物車のライトの事だ。
エディは逆光になってりりの顔が見えなかったということを言っているのだ。
「私やってません! あれは事故です!」
「事故な訳がない。僕が空間をつなげた直後だったんです。そこにあんな巨大な鉄塊をぶつけて来るなんて……一体何の為にですか?」
眼鏡をクイと直し、エディはりりを睨む。
完全に疑ってかかっている。
昨日エディから感じた冷たい視線はこれが原因だったのだと知った。
このままでは、りりは城へ直接攻撃を仕掛けた大罪人になりかねない。
いや、既になっている可能性すらある。
信じてもらえないかもしれないが、無実を証明するために正直に話すことにした。
「つまり貨物車とは……あの巨大な未知の鉄塊の事で、それに襲われていた……と?」
した説明は、貨物車に追われていた事、パニックになってあらぬ方向に逃げた事、怖くなってクリアメの所からも逃げた事。
どれも本当のことだが、逃げろとクリアメに唆された事は伏せておいた。
「本当にその言い訳で良いんですね?」
「え? はい。多分」
変な事を言ってはいないだろうかと思案する。
この男性は少々怖い。
りりとしては冷静に答えたつもりだが、心臓がバクバクと鼓動を打っている。
なにせ、これはある意味事情聴取だ。しかも、りりの世界の常識が通じないもの。
最悪無実の罪を着せられることだってありえる。
「なるほど……お話はここまでです。僕はこれから王都へ向かうので、今日は貴女達を泊めることは出来ません」
ともかく、この場でいきなり何かをされるわけではないようだった。
「いえ、十分良くしてもらいました。有難うございます」
「……いえ。ではこれで」
エディは家に戻らず、そのまま去っていく。
言葉遣いは丁寧だったが、終始威圧を感じた。
コテージへ戻ると、帰ってくるのを待っていたようで、アーシユルはりりの荷物を持って立ち上がり、老夫婦に感謝をしてから向かって来る。
「さあ、早速撮影開始だ」
「気、早くない?」
「何言ってるんだ。その間にテーレは狩りに行ったし、リリィも遊びに行ったぜ? お前と遊ぶ準備なんだとさ」
「それは……困ったね……」
ありがた迷惑だ。
遊ぶ準備とはトラップの設置に違いなかった。
次に来るのは、しなる枝などという可愛いものではないだろう。
村長宅へ挨拶へ行き、その後食堂で食事をし、生肉の刺身を食べてエルフ達の目を輝かせた後、道行くエルフや町並みを撮影していった。
昼。
日も高く登り、エナジーコントロールが本領を発揮する時間。
りりは、お代の代わりに写真を撮らせてもらい、エルフを空中浮遊させるという大道芸……という名の魔法を披露していた。
アーシユルと一緒に、スマートフォンの写真フォルダを眺める。
『いい調子で集まってるな』
『本当にね』
エルフを空へ持ち上げながら、アーシユルとの念話をする。
昼ならば、なんの苦労もなしに出来てしまえた。
『もう既に全体の半分くらいか? 出不精の奴らと夜間活動組くらいかね後は』
『そんな感じかな? 後でまた村長さんに聞いて、回ってみようよ』
『そうだな』
りり達が大道芸をしている場、そことはほんの少し離れた場所で声が上がる。
「ハーフゴブリンよ!」
なんだろうと思い、持ち上げていたエルフを下ろし、そちらへ向かう。
「ハーフゴブリンか……厄介ね」
「しかも今回のは少し頭がいいわ。囮を使って死角から2連の弓矢よ。幸い擦る程度だったけど、1人で狩りなんてするものじゃないわね」
そう言うのはテーレだ。腕には矢が掠った跡がある。
狩りの途中にゴブリンと遭遇して戦闘になったようだ。
「嘘ばっかり。1人で嬲り殺すのが好きなくせして」
「アッハッハ。バレた?」
狂気じみた会話に似つかわしくない明るい笑い声が起きる。
「で? ハーフゴブリンは?」
「その場には居なかったわ。矢を射ったゴブリンは、傷付けてくれたお礼に、あそこに縫い付けておいたけどね」
そう言ってテーレが指をさした先には、灰色の体をしただけの、ヒトの子供にしか見えない生き物。
手足は折られているのか、あらぬ方向に曲がっており、顔には上唇と下唇を貫通するように矢が刺さっていて、それでなお生かされている。
「うっ……」
一気に気分が悪くなる。
先程食べた肉が喉のあたりまで来ている気さえする。
「見るな……と言おうとしたけど間に合わなかったな……アレがゴブリンだ。な? パッと見ただけだと、色のついただけの少し不細工な子供だろう?」
「……うん。でもどうしてあんな……酷い……」
あまりの仕打ちに、逆に目を反らせられない程だ。
「確かにやりすぎではあるな。テーレの本性見たりって感じだ。だが、ハーフは不味いな。ハーフが居ると、ゴブリンの危険性が一気に跳ね上がるんだ」
アーシユルに読んでもらった亜人図鑑にもそう書いてあった。
その焦り方からしても、相当危険なようだ。
「手伝おうか? あたし達はハンターだ」
「いや……それには……及ばないわ……」
「テーレどうした? しんどそうだが?」
「どうしたのかしらね……長老のところに行って……報告がてら……休もうかしらね」
しんどそうと言うよりは、もはや苦しそうだ。
「テーレはこう言っているが、ハンターだと言うのならやってもらおうか。報酬は出す」
「ちゃんとハーフの金額で頼むぜ?」
「勿論よ。さて、誰かテーレを村長宅まで運んで頂戴!」
そう決まった。
りりのハンターとしての初めての依頼。
それは色の違うだけの、子供に見える亜人を殺すことだった。
重い空気が流れる
「りり。キツイとは思う。お前は優しいからな……だが、参加はしてもらう。金額が高いからじゃない。ゴブリン討伐はハンターにとって、いや、全種族の悲願だ」
「判ってる……けど、アレを見たら……」
「……ゴブリンの巣はアレと逆の光景が広がっている事もあるんだ。止めるぞ」
アレと逆。
つまり、ヒトや亜人が貼り付けにされて、ズタボロになりながら孕み袋にされていると言うことだ。
アーシユルの口ぶりからだと、そういう事もある……という程度という話だが、蓋を開けてみるまでは分からない。
「……それはそれで許せないんだけど……」
「テーレは後でお仕置きしなきゃだな」
「そうだね……」
落ち込みがちだった気持ちをテーレへの怒りで塗りつぶすと、少々ながらやる気が出てくる。
「さて、じゃあ村長宅で作戦会議だぜ」
「うんっ!」
顔を叩き気合を入れ、2人は村長宅へ向かった。
「再びおじゃしまー……アレ? 他の人は?」
「あんたらだけじゃ」
テーレが襲われて、全種族の敵であるゴブリンが、それもハーフという危険なモノが出たというのに、誰一人と集まっていなかった。
「チッ……こう来たか……」
「なんで!?」
アーシユルは頭を掻き、難しい顔をしている。
何か思い当たるようだ。
「テーレが襲われて死んだだけじゃ。珍しいことではないのじゃよ」
あり得ない言葉が聞こえた気がした。
「……今……なんて?」
「テーレが死んだ。毒じゃろう。困ったものじゃ」
村長はふぅとため息をつき、本当にただ困っただけという顔をしていた。
りりの価値観から言えば信じられないことだが、それ以上の事が起きている。文句を言っている暇ではない。
エルフが毒で死んだ。恐らくあの矢傷だ。犯人など1人しか思いつかない。
『ケイト! 聞いてるんでしょう!』
『……私じゃないわ』
りりの思考を聞いていたのか、即座に否定をするケイト。
『いいから来て!』
『無理だとわか……』
『来て!』
『……』
連絡が途絶える。
「っ!」
「……ケイトはなんて?」
アーシユルは、りりがケイトと念話していたのを察していたようだった。
「やってないって……」
「そうか……」
「今、ケイトと言ったかの?」
長老が話に割って入るタイミングで、外で少し騒つくのが聞こえた。
何かと思い外を見ようと振り返り立ち上がろうとすると、丁度そのタイミングで、長老宅にケイトが入って来た。
外の騒ぎは、ケイトというダークエルフの登場によるものだったようだ。
ケイトは念話を無視したのではなく、その姿を晒してまでここに来るという事に集中していたのだろう。
だが、毒矢の犯人が、まさに今そこに居る。
りりは、怒りを抑えるのに手一杯だ。
「来たか……」
「おお、主はケイトか。久しぶりじゃのう。よく生きとったのう」
ケイトは応えない。否、応えることができない。
「あー、ケイトは耳がだな」
「知っておるよ。耳が聞こえないのじゃ。どこぞの馬鹿がケイトをおもちゃにしたらしいのでな」
「……長老さん。動かないでくださいね」
「なんじゃ?」
長老に魔力プールを展開する。
「なんじゃ!? 頭が動かぬ」
長老という割に、狼狽えているのは少し情けない。
フラベルタのような見た目をしているので余計にだ。
だが、エルフにとってこれは未知の現象なのだ。仕方ない事かもしれない。
『ケイトさん。話出来ますよ』
『長老様。テーレは何処に居るの?』
「声が! 魔法か!?」
ケイトからの念話を受信し、頭が動かせない分、目だけキョロキョロとするとする長老。
「長老さん。心で返事してあげてください」
「心でじゃと?」『……こうかの?』
『それで良いわ。テーレは何処に?』
『……あっちの部屋じゃ』
長老が指をさす先の部屋に、3人で向かう。
面倒なので長老は固定したままにする。
テーレが横たわるのは、先程お邪魔させてもらった時に見せて貰ったベッドの上だった。
『……糞がっ!』
ケイトはテーレを見るや否や、ぼそりと小さな声を上げる。
『ケイト?』
『コイツよ……コイツが私をこんなにした内の1人よ……勝手に……勝手に死にやがって! 糞! あんたは、あんたは私が! 私が殺してやる筈だったのに!!!』
ケイトは、ボソリとした小さな声からどんどん感情を爆発させてゆき、着地点が見えなくなるほど激昂してゆく。
いつもの気品さはそこにはない。
ケイトは、そのままナイフを取り出し、勢いよく突き立てた。
ベッドにだ。
テーレに刺すほどの勢いだったが、あまりの速度に2人とも反応できなかった。
『ケイトさん落ち着いて!』
『落ち着いていられるわけないでしょ! 復讐相手が! これからって時に!』
ケイトは半狂乱になりながらだが、ギリギリテーレには手を出していない。
『ケイトよ。お前さんは復讐をしに来たのかい?』
部屋の外から長老が会話に参加してくる。
『ええそうよ! ちゃんとした裁きを受けさせようと思ってたけど、こうなっては我慢できないわ! 残りの2人は何処! 言わないのならば探し出してでもこの手で殺すわ!』
もう完全に回りが見えなくなっている。
怒りのあまり苦しんでいる様子ですらあった。
どうやら本当に、毒矢をけしかけたのはケイトではないらしい。でなければこのように怒り狂ったり等しない。
状況証拠だけでケイトを疑った事に激しい自己嫌悪が湧き立つ。
『それは無理じゃよケイト』
激昂していたケイトに冷ややかな声が浴びせられる。
『……まさか……嘘よ……そんなの……嘘よ……』
ケイトの怒気が霧散してゆく。心の何処かで可能性としてはずっと考えていた事だったのだろう。
『1人はゴブリンに攫われ、1人は魔物に食われてしもうたよ。いくらエルフが長寿とは言え、死には逆らえぬ物なのじゃ』
『……嘘よ……信じないわ……そんな事……』
ケイトがずっとどこかで考えていた事。
復讐相手が既に死んでいる可能性だ。
その可能性こそ、ケイトにとって最悪の事態であり、生きる意味を失う事に直結する事だ。
可能性こそあれ、ケイトはこれから目を背けて、出来る限り考えないようにしていた。
だが、森で1人で生きていく事、強くなる事を優先させた結果がここにきて清算されてしまった。
しかし、テーレは毒死したのだ。
恐らく、過去にケイトが売った毒が、回り回ってゴブリンの下に届き、それがテーレの命を奪った。
そう考えるならば、1人だけとはいえ、間接的に復讐は果たせた事になる。
惜しむらくはケイトに実感が全くない事だ。
ケイトは泣いた。
悲願が、人生を賭けた復讐が無駄に終わったのを実感してしまったのだ。
もはや自分には何も残っていない。そう思ってしまっている。
『ケイトさん』
呼びかけるも、ケイトからの返事はない。
へたり込んで、下手くそな声を上げてわんわん泣く大きな子供がそこにいるだけだ。
『分かりますよ。復讐した感覚はないですもんね……でも、1人ゴブリンに攫われたんですよね?』
ケイトは泣くのをピタリと止め、ハッとした顔でりりの方を見る。鼻水も涙もそのままだ。
しかし、顔に理性が戻り始める。頭が急速に回転しだしたのだろう。
『……あぁそうか。確かに、ゴブリンに攫われたからといっても、死んでるとは限らんな……長老さん。ケイトの復讐相手が攫われたのはいつだ?』
『3年前じゃったかのう』
『だそうだぜ? ケイト。どうする? あたし等は今からハーフゴブリンの討伐をするんだが?』
ケイトは涙と鼻水を拭い、壊れかけた心を必死で寄せ集め、フラフラと立ち上がる。
『私……私もやるわ……私の獲物を奪ったゴブリン供は根絶やしにしなくちゃ……』
『そのゴブリンって確か……』
『あー、あいつだな』
2人して嫌悪感を表した事がケイトには解らなかった。




