21、地下牢への来訪者(ローゼリア視点)
ちょっと長めです。
明日も更新予定です。
妹は、いつも両親に疎まれていた。
六歳ぐらいの頃だったか、たまたま授業終わりに自分の部屋に向かっていると、窓の外に見たことのない魔術が視界に入り、興味を惹かれて覗いたのがきっかけだ。
それは本当にただの気まぐれ。
舞い上がる花びらに、合わせるようにひらひらと踊る蝶。
優しい風に重なる虹。
あまりの美しさに言葉を失った。
何よりも、その中心に立って魔術を使っているのが妹だと言うことに自分の目が信じられなかった。
一歩近づいた時、驚いた妹は慌てて屋敷の中に隠れていった。
それから数日後、また庭で妹の姿を見つけ、魔術の練習をしているようだったので声をかけてみた。
あの魔術は何だったのか、幻だったのかと。
ただ、普段顔を合わせない妹に六歳の私が気の利いた言葉などかける余裕はなく、口をついてでた言葉は「元気にしてる?」だった。
その時、いつも暗い顔をしている妹が、一瞬驚いた後、嬉しそうな顔で笑ったのを覚えている。
両親と会話らしい会話もなく、メイドすら彼女の扱いは最低限。
彼女を気にかける言葉など、今までかけてもらったことがないのだ。
それから数回アリアに話しかけた後に私は確信する。
『この子には私しかいない』のだと。
あの時感じた感情が何だったのか分からないが、自分にだけ懐くそれに気分が昂ったのは間違いなかった。
私がアリアを捨てたらこの子はどんな顔をするだろうか。
父もこの子には何も期待していない。
どんなに魔力があっても、父の中でそれは『白魔術』でなくてはならない。
どうせ父はこの子にまともな将来を用意することはないのは分かりきっている。
だから、この子は私のためだけに生きていけばいい。
そう思っていたのに、十三歳になった妹は突然私の指示に逆らって魔術師団学校に入学を決める。
父は無能なアリアが屋敷にいることが気に食わなかったので、厄介払いができると魔術学校への入寮を条件に受験を認めた。
その結果、「私の役に立ちたい」と、妹が魔術学校に首席での入学を果たす。
――私は白魔術学校への入学は首席ではなかった。
白魔術学校で首席を務めたのは、第一王子の婚約者、『レベッカ=フォンテーヌ公爵令嬢』。
しかも、王子殿下自ら選ばれた婚約者だった。
私は一番ではなくてはいけないのに、そこだけは譲れないというのに。
そんな屈辱の中、アリアの首席入学は私が白魔術師団に入った翌年の出来事で、まるで、私が「アリアより下」だと言われたような気分を味わわされた。
両親にも疎まれた妹より劣るなんてあってはならない。
魔術師団学校でアリアの評判が上がれば上がるほど、私のプライドはズタズタに引き裂かれていった。
決して私の出来が悪いことなどない。
けれどいつもレベッカの次席だというのになぜアリアが私よりも上に見えるのか。
そんな中、留学先のアレンダ国の図書室で勉強をしている時、そこの王子に声をかけられた。
『我が王家も昔竜の血が流れていたんだ。血族は絶えたけれど、話を聞きたいな』
『竜の鱗には不老不死の力や魔力を高める力があるって本当?』
王子の言葉に、『鱗は竜魔症を抑えるもの』と訂正をすれば、彼は不思議そうな顔をしていた。
昔そのような文献を見たと言い、『鱗じゃないなら何だったかな』と首を傾げる。
嘘を言っているようには見えず、強く興味を惹かれ、王子を言葉巧みに誘い、図書室の禁域に入って竜について書かれた本を見つけた。
その本に書かれた『竜の血』についての記述は私の沈んでいた心を高揚させた。
けれど、この内容が全てであるならば、私は見つけなければならない。
『竜』を。
それから数日後、魔術学校の実地試験に紛れ、アルバルトと共に竜の谷に行った。
そこで私は『奇跡』に出会う。
思い描いていた白銀の竜ではなく、漆黒の竜。
明らかに弱っているその姿に体中の血が熱くなるのが分かった。
これなら行ける。
その刹那、こちらの気配に気づいた竜と視線がぶつかった。
黒い肢体に、金の瞳。
まるで『アリア』ではないか。
――そう思った瞬間、竜は血を流して倒れていた。
その返り血が手についていたことに気づき、ペロリと舐めた。
瞬間、身体中の魔力が急激に膨れあがることに気づき、笑みが溢れる。
これで、私はアリアの『下』になることは無い。
湧き上がる感情と共に笑いを堪えることが出来なかった。
他の誰かが白線の向こう側に居たことなど気づきもせず。
***
『最高の聖女』
そう呼ばれるようになったのに、妹はちっとも悔しそうな顔をしなかった。
それがただただ憎かった。
ただ、尊敬の眼差しで見てくる妹の口から出る言葉は、『“姉様の努力の賜物“だわ』だった。
努力?
そう、私は竜を殺すことに尽力した。
ルールを破り、危険を犯し、それを乗り越えた結果だ。
なのに、なぜかさげすまれた気分は消えず、ストレスが溜まっていく日々を過ごす。
そんな中、アリアに恋人が出来たと人づたえに聞いた。
相手が第二王子のシリウス殿下だと。
昔、私の婚約は第二王子になるだろうと父が言っていたのに、何故アリアが彼を手に入れたのか、全く理解が出来なかった。
シリウス=リントヴルム第二王子。
王妃譲りの青い瞳に金色の髪。
幼い頃から優秀で、生まれた時から既に兄王子を凌ぐ魔力を有していた。
神童と呼ばれた彼は、幼いながらにも数々の功績を上げ、次期王太子にと推す声も多かったと言う。
彼を遠目に見たことがある。
幼い頃父に連れられて行った王宮での魔術師団での訓練場での模擬戦。
当時王子は十歳で、正式な魔術師団員ではないにも関わらずレオナルド第一王子と共に参加していた。
第一王子のそれとは比べものにならない程に、魔術の才能も、魔力も一際目立っていたが、何よりも驚くべきは彼を凌ぐ魔術師団員がいなかったと言うこと。
魔術師は、大きな魔法石のついた錫杖や、杖を使って魔法を使う。
もちろん、錫杖を使わずにも魔力を使うことはできるのだが、コントロール性や、錫杖に嵌められた魔石によって増幅されることを考えれば、錫杖を使うのが一番だ。
その錫杖を持っていたものの、使わずに魔術師団を圧倒していく。
だというのにも関わらず、多くの貴族が見ている中で、競技をしたくなさそうで、常に不満を露わにした表情で戦っていた。
唯一彼が錫杖に魔力を通したのは当時の魔術師団長と対戦した時。
ゆらめく錫杖に魔力を通したその色に息を飲んだ。
王太子殿下の魔力とは比べ物にならないその纏う色の濃さ。
はっきり見える青い焔のようなそれは、紛れもなく竜の濃い血を受け継いでいる。
王太子殿下も歴代の中でも三本の指に入る程の実力者と言われているが、その『青』の濃さは尋常では無い。
この模擬戦を皮切りに、彼を次期王太子へと推す声が大きくなり、父も『いつかお前の夫となることを心得ておくように』と私に言ったのを覚えている。
それが突然彼は転落の一途を辿る。
魔術学校入学後、彼の成績は常に最下位争いをしていると聞いていた。
次期王太子にと期待された姿はどこにもなく、自堕落な生活を送っていたのは有名な話だ。
勉強もせず、授業はサボり、試験すら『体調不良』と明らかな仮病で欠席していたと誰からともなく聞いたことがある。
でも、それが突然変わったのがアリアが入学した年だった。
最下位争いをしていたはずの彼の成績は突然トップに躍り出る。
授業態度も、筆記、実技の成績も上級生含め他の追随を許さないほどのものになったと社交界でもすぐに話題に上がった。
――そんな中、たまたま白魔術師団学校に来ていた彼と顔を合わせることとなる。
父からの指示で、授業終わりに学園長の部屋に行くようにと言われていた。
本を届けるように言われていたが、彼らは会う機会も多いのだから、自分で渡せばいのにと思ったのを覚えている。
そんな不満の中、学園長室をノックしようとしたその時。
「何度誘われても答えは同じです。俺は白魔術師団に入るつもりなんてないですよ。学園長」
「シリウス殿下。そのようなことをおっしゃらずに。今年は飛び級の話も出ていたでしょう? 魔術師団よりも、希少な白魔術師団の方が王家にとっても箔がつきます。それに、魔術師団と違って白魔術師団は実力が全てではありませんから。レイルズ公爵も将来は貴方に師団長の席を譲りたいと言っていましたよ」
まさかシリウス王子が来ていたとは思わず、ノックしようとしていた手が宙で止まった。
冷ややかな王子の声は、社交界で見かける彼そのもので、体が強張る。
「は? バカにしてます? 興味ないですね」
「何をおっしゃいます。卒業後にすぐに白魔術師団長に着任したとなれば、王太子への道もより……」
「『興味ないと』何度言えば気が済みますか。用件がそれだけなら失礼します」
「あっ! お待ちください! もうすぐロー……」
学園長の引き止める声を無視して出てきた彼とぶつかり、抱えていた本をバサバサと落としてしまった。
「あっ……」
「失礼しました。お怪我はありませんか?」
慌てて拾ってくれた本を受け取った時、青空のような瞳と目が合った。
冷ややかだった彼の目が、一瞬にして柔らかいものにと変わり、澄んだその瞳に、金色に輝く蜂蜜色の髪は一瞬で私の思考を停止する。
「あれ? ひょっとして、ローゼリア=レイルズ嬢ですか?」
「え?」
ほとんど会話のしたことのない私を知っていたのかと驚けば、彼は頬を緩めて柔らかに笑った。
先ほどまでの学園長との会話が嘘のようだ。
その優しく輝く晴れた空のような瞳に胸が跳ねた。
早くなる鼓動に、自分の顔が赤くなるのを感じる。
「『アリアのお姉さん』ですよね?」
「……ぇ」
微笑んだ彼の表情に自分の笑顔が凍りつき、顔に集まっていたはずの血の気が一瞬にして引いた。
何故、私が『アリアのお姉さん』なのか。
『アリアが私の妹』であって、あくまで私があっての妹だ。
「……まぁ、シリウス殿下。妹が大変お世話になっているのですね。ご迷惑おかけしておりませんでしょうか」
それでもなんとか公爵令嬢としてのプライドを持って顔面に笑顔を貼り付ける。
「ローゼリア嬢。お世話になっているのは僕ですよ。彼女の才能には驚かされるばかりだ」
「え?」
「本能ですかね? 筆記や記述は苦手なようですが、今までにない魔術を組み合わせて新しい魔法を生み出している。もちろん本人の努力もありますが、本能に近い。俺も日々学ばせてもらっています」
ふっと緩めた彼の柔らかな表情に息を呑んだ。
社交界でその表情を見たことのある令嬢がいるだろうか。
「そうですか……」
「ええ。姉君のお役に立ちたいと、本人が何より努力していますからね」
その言葉に、胸が暗く沈んだ。
結構ではないか。
それならば、私のために十分役立ってもらおう。
私が『王太子妃』となるために。
そう思っていたのに。
竜の血によって力を得た直後、『アリアとシリウス王子』の交際の話を耳にしたのだ。
――あぁ、またこの子は私を裏切ったのか。
あの日の自分の中に産まれた、ひんやりと渦巻く昏い感情を、忘れたことは無い。
***
「食事だ」
何日目かももう分からない地下牢で、冷ややかな衛兵の声に目が覚めた。
カビ臭く、血生臭い匂いのする牢屋は、常に異様な雰囲気が漂っている。
ガシャンと置かれた食事に手を伸ばそうにも、腰や関節が痛くて、とてもじゃないが取りに行くのも億劫だが、お腹も空いており、なんとか食事に手を伸ばした。
年老いた体はちっとも自分の思い通りに動かない。
「あら、……今日はいやに豪華ね」
いつもは野菜の屑が入った冷たいスープと、硬くてとても食べられたようなものではないパンが唯一の食事だが、今日は大きな肉の入ったスープにチキンの入ったサラダ、そしてやわらかな白パンにデザートのオレンジまで添えられていた。
そういえば何日か前に、『レオナルド王子の戴冠式』だと同じような食事が出ていたことを思い出す。
「今日は俺とアリアの結婚式ですからね。囚人の食事もいつもより良いものを出しているそうです」
懐かしい声に驚いて顔をあげれば、格子の向こうには冷ややかにこちらを見つめるスカイブルーの瞳が私を見下ろしていた。
彼が身につけている真っ白な正装は、確かに王族が結婚式の時に着る衣装に相違ない。
「……シ……リ……?」
そんな馬鹿な。
七年半。
あんなにも長い間目覚めなかったのだ。
アリアが王都に来て急に目覚めるなど、そんなことがあってはたまらない。
そんな奇跡は絶対に認めない。
「ローゼリア嬢、ご無沙汰しております。随分と大変だったようですね」
その言葉にピンときて思わず地下牢の格子を掴んで声を上げていた。
「シリウス殿下! 私は嵌められたのです! どうか、この誤解を解いてくださいませ!」
「あなたは嵌められたのではなく俺を嵌めた側でしょう?」
今にも全てを破壊せんばかりに殺気をまとう殿下の声に喉がひりつく。
あの時の話を聞いたのかもしれないが、実際彼は耳にしていないはずだ。
あの騒動があった時彼は眠っていたのだ。
今までシリウスの殿下の前でボロを出したことなどない。
「シリウス殿下! お目覚めでございますか! ローゼリアの言う通り我々は嵌められたのです!」
二つ隣の牢屋にいた父も格子に掴まり、天の助けと言わんばかりに声を上げた。
毎日の尋問による悲鳴に父も私も声がしゃがれ、それでも小さな希望に縋り付く。
けれど、自分の今の姿が人に見せられるものではないことを思い出し、顔を隠すように近くにあった布団とも言えない布をさっとかぶる。
「あ、あなたは……誰に何を聞かれたのか存じませんが、私は濡れ衣を着せられたのです。私はあなた達の邪魔をするつもりなどなかったことをご存知でしょう? あの時『アリアを追って』と申し上げ……」
「俺はずっと、レリアの祝賀会に参加してましたよ」
「……え?」
あまりに整いすぎた顔が、触れたら火傷してしまうのではないかと思うほどに冷たい怒りを纏っていた。
「あの場には……いらっしゃらなかったではありませんか」
「ワシも貴方をお見かけしておりませんぞ」
「いましたよ。デュオスを通して全てを見ていたといえば分かりますか? 竜谷に行った時から」
「……っそ……そんなこと陛下は何も……」
父の言葉に殿下は冷ややかな視線を向ける。
「信用ならない父に話すわけなど無いでしょう? もう父も『陛下』ではありませんが。 それから俺はローゼリア殿と話しているので公爵は口を挟まないで頂きたい。貴方の声を聞くだけでも今にも殺してしまいそうだ」
「……っ」
彼が嘘をついているようには見えないし、嘘をつく意味も無い。
その表情と仕草に息を呑む。
あぁ。
私は本当に詰んでいたのだ。
彼は、私の気持ちも、言動も、全てを知っている。
途端、私の中の何かがプツンと切れたような音を立てた。
絶望の中、無意識に自分の口角が上がっていることに気づかないまま彼を正面から見据える。
「ふふ……。殿下が……悪いのではありませんか」
「……どういう意味です?」
「殿下が、先に私からアリアを……あの子を取ったのではありませんか!」
全て知られているならば。と、何かが吹っ切れたように笑いが溢れた。
感情も、言葉も、後先考えずに口からこぼれ始めた。
「あの子の全ては私だったのに! 殿下があの子を唆したのでしょう⁉︎ アリアは私のことだけ考えて、私のためだけに努力をして、私のためだけに生きていた! なのに! いつの間にか貴方があの子の目標になっていたなんて、笑えもしない!」
「そうですか?」
「そうよ! 突然『魔術団学校に行って私の役に立つ』んだと! それまであの子は私が敷いたレールを歩いて来たのに! 突然、目を輝かせて言ったのよ! レイルズ家にはありえない『魔術師団学校に行く』と!」
そう声を荒げれば、どこか楽しそうに口元を歪める殿下に息を呑んだ。
その表情に、何かがストンと自分の中で落ちる。
「……貴方が……勧めたのね」
口元を歪めたままこちらを見ている殿下を睨みつける。
「貴方があの子を『魔術師団学校』に誘ったのね!」
「そうですよ」
「一体いつ……。貴方とアリアの接点など無かったはずなのに……!」
あの子は社交界の場には父が連れて行かなかった。
白魔術師としての才能が無いアリアを人の目に触れるのを極度に嫌がっていた。
レイルズ家の恥だと父は常にアリアの存在を隠し、幼い頃は体が弱いと言って社交界にも参加させてはいない。
「貴方の誕生パーティーでレイルズ公爵家に呼ばれた際、偶然彼女に会ったんですよ」
「あの子はパーティには参加してないはずよ?」
「ええ、公爵が体が弱いと言って離れにいさせたみたいですね」
そうだ。
白魔術学校に入学して一年目、私の誕生日パーティーには確かに王家の王子を二人招待していた。
レオナルド王子は常ににこやかに挨拶を交わされていたが、シリウス王子ははまるで関心がないという風に私への祝いの言葉も定型的なモノだった。
視線が合ったかどうかも定かでないほどに、私にも、周囲にも興味なさげな雰囲気を纏っていたのを覚えている。
そしてシリウス王子の言う通り、アリアは本邸の奥にある離れに行かされていた。
来客の際にはあの子は常にその離れで過ごしていたが、敷地内の奥にある鬱蒼としたあの場所には誰も近寄らない。
「それで、あの子とどうして……」
「ご令嬢方に声をかけられるのにうんざりして少し隠れていようと思ったんです。どんなに落ちこぼれた王子でも、『王子』と言うだけで人が寄ってくるのはご存知でしょう?」
「それで『離れ』に行ったのね……」
そう睨みつければ、シリウス王子はフッと笑った。
「ええ。本当に偶然だったんですよ。完璧とも言える公爵家の敷地の中でそこだけ誰も近づかないような荒れた異様な場所。ちょうどいいと思いながら中に足を踏み入れた瞬間、魔術を感知したんです」
懐かしむように言った彼の顔をじっと睨みつけ、無意識に唇を噛み締めた。
「息を呑みましたよ。冬だというのにそこだけがまるで楽園かと思うような、錫杖も使わず、光り輝く魔法。季節を感じさせない花と香りと暖かさ。複数の魔術を同時展開する少女に目を奪われないわけがないでしょう?」
その恍惚とした表情の奥にある瞳に唇を噛む。
『彼も』あの子の魔法に心奪われたのだ。
父は知らない。
知られてはいけないと、必死で隠してきたあの子の魔法。
よりによって、この男に……。
「それで、あの子に恋に落ちたと? 一目惚れ? ちょろいにも程がありますわね」
バカにするように尋ねれば、シリウス王子はふっと笑った。
「まさか。確かに魔術に心を奪われはしましたが、第一印象は『ちんちくりん』ですよ」
懐かしむように笑った彼の目には、先ほどまでの私を見ていた冷ややかな光は霧散し、とろけるような笑みを浮かべている。
「……は?」
「彼女に話しかけたんですけど、警戒心は剥き出しだし、礼儀もなってない。まあ、堅苦しいジャケットを脱いでラフな格好でいたので、使用人の誰かだと思ったんでしょう。パーティーの邪魔をするなと怒られましたよ」
「パーティー……?」
その時、また彼の目が冷ややかにこちらを見た。
「ええ。貴方の誕生日を祝っていたそうです。『時々しか会えないお姉様の誕生日』だと。煌めく光も、宙に舞う花も全て『姉様』のお気に入りの魔法で、彼女のための魔術だと。……これが公爵の隠している次女かとすぐに合点は行きます。そして、一体どこが病弱なのかと」
確かにアリアと会う時にはよくその魔術を見せてくれていた。
そう。私の『お気に入り』だった。
「それで……どうして貴方が魔術師学校にアリアを誘ったのか聞いても?」
「その時の彼女と過ごした短い時間で恋に落ちましてね。どうしても彼女が欲しかったんです。あぁ、彼女とどんな会話をしたのかは、俺の大事な青春の思い出なので内緒です」
口元に一本の指を当て、微笑む彼に殺意すら湧いてくる。
一体何をしにここに来たのか。
「はっ……それで自分の通う学校に誘ったと? なんとくだらない」
「ええ。恋する男が愚かだということは貴方もご存知でしょう?」
乾いた笑いをこぼした彼は、少し離れた奥の牢屋に視線をやった。
あの先にいるのは、アルバルト=フレイルだ。
思わず唇を噛み締める。
「それなのに、入学してきた彼女は俺のことなんて一つも覚えていないんですよ。あんまりだと思いませんか?」
「はっ……いい気味だわ」
「覚えてくれていたらもう少し早く恋人になれたのではと思うけれど、何事も上手くはいかないものですね」
その得意げな表情に苛立ちながらも、これ以上彼の自慢話を聞きたくもなく睨みつける。
一体本当になんのために式の前に来たのだろうか。
「貴方の思い出などに興味なはいわ。それで、私はどうなるのかしら。まぁ、極刑は堅いでしょうね。あの子は私の処刑に反対しなかった?」
「反対? したと思いますか?」
先ほどまでの高揚した声から一転し、彼の低い声と不満げな視線に乾いた笑いをこぼした。
あの子は反対などしない。
正義感の強いあの子は私がした罪を軽くすることが無理なことなど分かっているし、反対したくても口を噤むに違いないだろう。
それでも情の深いあの子は、私の死など本当は望んでいない。
いるはずがない。
「でもあの子の本心は分かっているでしょう? それであなたは死刑宣告をするために憎まれ役を買って出たの? どうぞ殺しなさいな。今すぐにでもあの子の心に深い傷を残して。……私を殺した人間と末長く幸せになど出来るわけがない。結婚生活に黒い影を落としたまま過ごすが良いわ! わたくしだって、このような姿で生きていくのは我慢ならない! 魔術も、美貌も、名声も何もない! お前達の幸せな結婚に暗い影を落として死ねるならこれ以上の復讐はないわ! さっさと――」
「そうか。ではやはり貴様を殺すのはやめておこう」
私の声を遮るように言った銀髪の『男』の言葉に息を呑んだ。
あの竜だ。
さらりと髪を靡かせ、人外の美しさを纏う彼の登場に息を呑んだ。
「レオナルドとやらが提案してきたのだが、貴様らが仕組んだ『魔獣に襲撃された村』や『疫病を流行らせた村』を回らせることとしよう」
「なんですって⁉︎」
「なんでも檻のような馬車で道中運ばれ、今まで聖女だ白魔術師の総裁だと彼らを助けたふりをして騙していたことを、知らせるのだと言っていたが、……どうもそれがお前を苦しめるのに一番よさそうだな。殺すことなどいつでも出来るが、貴様が苦しんでいる姿を見れば、多少は胸がすくであろうよ」
死んだ人間もいた。
怪我や病気の後遺症で悩んでいる者もいる。
そこに向かうなどどれだけの悪意を向けられるのかと、背筋がヒヤリとした。
「誰がそんなことを……。さっさと殺しなさいよ……」
「そんなことをしては遺族や被害者の心の傷に塩を塗るようなものではないかという意見も出たそうですが、特に被害の大きかった土地の領主が提案してきましてね。ただ、オルトゥス殿の意見を尊重するためにも最終判断を彼に任せようと」
「それでこんな地下牢まで足を運んでいただいたと……」
未だに私たちに救われたと思っている人間も多いだろう。
それが、『呪い』を受けた聖女と、欲深い公爵の仕業だったと領民の前に晒されれば無事には済まない。
事実を知った遺族や被害者からどんな恨みを、呪いのような言葉をどれほどぶつけられるのか、想像も出来ない。
石を投げても、どんな暴言を投げつけても、恨みは晴れないだろう。
「そ、そんな……殿下! どうかご慈悲を! ワシは関係ないのです! あのような愚民どもの前に晒されるなど! それこそなぶり殺しに……!」
「公爵…俺は黙っていろと言ったはずです」
「し……しかし!」
そう食い下がる父に殿下は睨み一つで黙らせた。
「貴様らの四肢がもがれようが命は落とさぬよう、我が魔法をかけておく。あぁ、もちろん公爵には魔力を封じる術を施すとレオナルドが言っておったな。まぁ、せいぜい我が貴様らの命を狩るまで頑張るが良い。……どんなに貴様らが苦しもうが、ウェイラを殺された恨みは消えぬ。貴様らを殺したとしてもな」
それだけ言って、竜は地下牢から出て行った。
父は今から来る『地獄』を想像したのか、泣きながら嘔吐を繰り返し始める。
「アリアは、何と……」
「何も」
「何も?」
殿下の言葉に目を見張れば、なぜかその目から『怒り』が消えていた。
「ただ、あなたに感謝している。と」
「……は?」
「『姉様があの時、私に声をかけてくれなかったら……たとえどんな理由だとしても、私が手に入れていたものは少なかった。魔術師を目指すことも、魔術師団に入ることも、シリウスに会うことも……。きっと、なんの目標を抱くこともないままレイルズ家でただ『生きていた』だけだ』、と……」
どこまでいい子ぶるのかと苛立ちが湧き、無意識に拳を握りしめた。
「それで?」
「『もちろんあなたのせいで、傷ついた人も、亡くなった人も多くいてそれを私は許すことはできないし、……ウェイラさんのことも、当然許せないし受け入れられない。それでも……ありがとうございました』と」
『ありがとうございました』?
バカにするにも程がある。
なのになぜ胸が震えるのか。
「ハッ……嫌味でしかないわね。自分で言いに来なさいよ」
「俺が貴女に会わせる訳がないでしょう。アリアが傷つけられるのを黙って見ていることなどしない。……それから、これは伝えるか迷ったのですが……」
「何よ」
「……『あなたを想って過ごした十数年は無くならない。大好きだった』と」
その言葉に唇を噛み締めた。
鼻の奥がツンとし、視界が滲む。
「……本当に驚くほどバカね。そうやって一生騙されて生きていくといいわ。昔から変わらない。愚かで、甘えん坊で、すぐに警戒心を無くすちょろい女のままで。……王子妃なんて務まりは……しない」
なぜか笑いながらも一つ涙がこぼれた。
「……幼い頃のアリアは可愛かったですか?」
「……何ですって?」
「アリアは可愛かったですか? 俺は十三才からのアリアしか知らない。肖像画も無いと言っていましたから。幼い頃のアリアを知る人間はいないに等しい」
どこか寂しそうなシリウス王子の表情になぜか優越感を覚え、口元が歪む。
「ええ。可愛かったわよ! 『姉様、姉様』と私の後をついてくる姿が。私だけを見つめて、私だけに向けるあの――」
笑顔は。
「愛していたんですね」
「は?」
この男は何を言っているのか。
けれど、その言葉を否定することなど出来ず、喉の奥が震え、また、ぱたりと小さな雫が一つ零れる。
「アリアを愛していたんですね」
同じ言葉を繰り返す彼の顔を呆然と見つめた。
愛していたのだろうか。
いいや、憎んでいたはずだ。
私よりも優秀で、私よりも努力家で、プライドと、見栄に塗れた私の愛をひたすらに求めたあの子を……。
見返り一つ求めず、キラキラと輝く、太陽のような金色の美しい瞳を、誰にも見せたくなかった。
「私は………」
言葉が出ない。
「……あぁ、時間だ。失礼致します」
言葉を失った私を残して彼が去って行く時、なぜかカツンと響いたヒールの音と共に、オレンジの香りが残っていた気がした。
「アリ……?」
いいや違う、きっとデザートのオレンジの匂いだろう。
呆然と、そんなことを考えた。




