20−8、目覚め
今日はもう1話更新予定です。
「アリアーナ姉様……」
柔らかなイントネーションの響きは、記憶のそれと何ら変わらない。
栗色の髪に、穏やかな深いブルーの瞳。
こんなにも纏う空気が違うのに、どうして本当に気づかなかったのかと自分の愚かさに呆れてしまった。
「ご無沙汰しております。デュオス殿下」
「ご無沙汰しております。……お会いしたかったです。アリアーナ姉様」
「私も、お会いしたかったです」
デュオス殿下は、『シリウス』の時とは全く異なり、少し幼さの残るはにかむような笑みを浮かべている。
「僕はずっと声だけしか聞こえていなかったのですが、本当にあの日のアリアーナ姉様とお変わりないですね」
「ふふ。殿下はとても大きくなられて、あんなに小さかった王子様がこんなに素敵になるなんて」
「ありが……、あぁ、もう兄様うるさいよ。別に色目なんて使ってないだろう?」
ベッドに横たわっているシリウスの方を見ながら、デュオス殿下が呆れたように言った。
「あらあら、起きて早々大変ですわね、デュオス殿下。シリウスのくだらないヤキモチですか?」
「そうなんですよ、ビアンカ殿。『笑うな。口説くな。目を合わせるな』だそうです」
「「「うっざ」」」
第一のみんなの声があまりに揃いすぎて思わず笑う。
その時、殿下と私の間にアルズさんが割り込むように入り、まじまじと私のブローチを凝視していた。
「おまおまおまお前さん……。その、ブブブブローチは……」
「え? このカレンデュラのブローチですか?」
プルプルと震えるように胸元を指差したアルズさんに聞き返す。
アルズさんは目を見開き、何なら瞳孔すらも開いているように見えた。
「ほう、アルズよ、やはり貴様もそのブローチに興味を持ったか。珍しかろう? あの男のマーキング……」
「これでシリウス殿の失った魔力の穴埋めができるかもしれん!」
「何っ⁉︎」
ソファにだらんとなっていたオルトゥスが勢いよく体を起こし、アルズさん同様に目を見開く。
「え……こ、これでですか⁉︎」
「そうだ。これにはシリウス殿の魔力が相当濃縮して詰まっておる。一体このブローチは……? どど……どうやってこんなものを作ったのじゃ……」
触りたいのに触れられないかのように、ブローチの手前でアルズさんの震える手が上下左右に動いていた。
「あ、これは……私に命の危険が迫った際、シリウスの命と魔力を引き換えに私を守る魔法がかかっているそうです。シリウスがどうやって入手したかは知らないので、作り方とかはちょっと……」
「何と! これが例の重苦しい魔術のブローチか⁉︎ まぁでもそうか! 竜の子孫であればその重たい愛も当然だな。しかしこれは一両日で作ったものではないぞ……? 何年も魔力を込めて作り上げた……恐ろしいほどの執念の塊の魔法ではないか」
『言い方!』と思うも、この場にいる全員が大きく首を上下に動かし誰もシリウスのためにフォローの言葉を出さない。
というか、シリウスが魔力を込めたものだったのかと驚き、改めてブローチを凝視した。
それよりも……。
「あの、それで……『これ』で減ったシリウスの魔力の穴埋めができるんでしょうか⁉︎」
ブローチを外してアルズさんに渡せば、目をキラキラと輝かせ、裏に表に日の光に透かしてみたりと、ブローチに刻まれた付与魔法の術式をブツブツと言っていた。
「やってみんことには分からんが……、成功する確率の方が高い。なんにしても目覚める時間が遥かに早いに違いない。だが、この魔法石に込められた魔力を全部シリウス殿に戻せば、このブローチは二度と使い物にならん……」
神妙に言ったアルズさんの言葉に、私は息を呑んだ。
そんなの……。
「これ以上ない、最高の使用方法です!」
自分が思ったよりも大きな声が出て、アルズさんがびくりと体を大きく揺らす。
「よ、良いのか?」
「もちろんです! シリウスの魔力を取り戻せるのならば、ぜひ使ってください! ……これ以上の使い道はありません!」
そう言って、アルズさんの手をガシッと握れば、すっとレオナルド殿下が横に立った。
「アルズ殿。僕からもお願いいたします」
「レオナルド殿下。本当によろしいのですか? 先ほども申し上げましたが、強引な魔力の調節を行えば、魔力が大幅に減る可能性もあります」
「それは事前に伺いましたので、シリウスも分かっていると思います。……その魔力は戻る可能性はありませんか?」
「何とも言えませんな。仮に魔力が戻ったとしても短時間では戻らないでしょう。……当然国防の要である彼を失うのは国にとって大きい損失でしょうが、よろしいですか?」
そう確認したアルズさんに、レオナルド殿下は穏やかな笑みを浮かべた後、頭を下げた。
「もちろんです。弟が大事な人と過ごす時間を守るために、今度は僕ら兄弟が力を尽くす番ですから。僕は、本当に昔からシリウスに助けられてきた……。あの子一人の幸せを守れないなど、そんなことを言っては民にも将来の妻にも愛想を尽かされますよ。どうぞ、お願いいたします」
「レオナルド兄様、僕もいますからね」
レオナルド殿下の横に立ったデュオス殿下も兄に倣ってアルズ殿に頭を下げた。
「でもあれだな。シリウスのやつあのブローチ使ったらブチ切れそうだな」
「だね。あれでシリウスがアリアを守ってるっていう実感が得られる精神安定剤みたいなもんだからね」
「病んでるわ〜」
そんなヴァス達のやり取りに、乾いた笑いが零れる。
「でもあれじゃない? 結局シリウスの執念が自分の覚醒の力になるってことだよね?」
「そうね。執念だわ」
「やっぱあいつ、こえーな」
「あー……、シリウス兄様の声が聞こえる。『止めろ』って喚いてるけど、僕はレオナルド兄さんや第一の皆さんが怖くて動けませーん」
私たちには聞こえないシリウスの声が聞こえているであろうデュオス殿下が耳を塞ぐが、おそらくその行為は意味が無いのではと全員が笑った。
「では、本当によろしいのですな?」
最終確認と言わんばかりに尋ねたアルズさんに、みんなの目がキラキラと輝いている。
「「「「「やっちまってください」」」」」
そう声が揃えば、アルズさんはこれ以上おかしい事はないと笑いながら手元に魔力を集めた。
「よし、オルトゥス呪いを解いてくれ」
「分かった」
アルズさんの合図でオルトゥスがベッドに横たわるシリウスに手を翳す。
オルトゥスの全身から滲み出た淡い銀色の光がシリウスに吸い込まれていった瞬間、黒い靄のようなものがシリウスの体内から現れてすぐに消えた。
「ぁ……」
その瞬間、部屋にいた全員が窓の外に視線をやる。
王都を囲むようにシリウスが張っていた結界が中央からキラキラと光を放ちながら消えていった。
「魔力の流出は止まった……ということ……?」
私の小さな問いかけにオルトゥスが頷く。
「そうだ。それではアルズよ、本番と行こうか」
アルズさんが頷くと、魔力を込めていた手元にカレンデュラのブローチが浮かび上がり嵌め込まれた青い魔法石が淡く光り始めた。
「さて……どうなることやら……」
魔術を展開しながら興味深そうに言ったアルズさんの手元でブローチの魔法石が割れたと当時に、そこから放たれた青い光がシリウスを包み込む核と溶け合うように混ざり、彼の体に吸い込まれてそのままシリウスを包んでいた淡い光が全て消える。
「核が消えたな」
静まり返った部屋の中でオルトゥスの声だけが響いた。
「ママが目覚めた時と一緒だ」
「うん……」
双子の言葉にごくりと喉を鳴らし、恐る恐る手をのばして、シリウスの右手を握る。
そこにあるあたたかい体温に胸が締め付けられ、視界が滲んだ。
彼に触れられるということは……。
「完全に魔力が馴染んでおるはずじゃが……」
アルズさんの言葉に緊張での喉が渇くのを感じ、指先が震え、冷たくなる。
早くなる鼓動に、無意識に呼吸も浅くなった。
「シリウス……」
その時、ぴくりと彼の右手が動き、私の冷えた指先をそのまま優しく握りしめた。
「シ……リウ……」
スカイブルーの瞳を隠す瞼がそっと開き、視線が合うまでのその時間が、まるでゆっくりになったような錯覚に陥る。
涙が滲み、はっきりと彼の瞳に焦点が合わない。
声が震え、まるで呼吸の仕方を忘れたかのように短い呼吸と嗚咽だけが溢れた。
「シリ……」
「何してんだー‼︎」
ベッドから勢いよく起き上がった彼が私に叫び、流れていた涙が一瞬で止まる。
「お前な! あのブローチはもう二度と作れないんだぞ! 肌身離さず持ってるって約束したばっかだろ! ヴァス! お前達もなんで止めないんだ! 兄上もデュオスも一緒になって……! 俺の魔力が無いってことは、アリアを守っ……」
起きて早々抗議の声を上げたシリウスに抱きつけば、そのまま彼の体が硬直した。
「会いたかった」
何も考える余裕などなく、口にする。
「会いたかったよ。シリウス……」
最後に彼と視線を合わせたのはいつだったろうか。
「行くな」と言われたあの日が最後だ。
辛そうな彼の瞳だけが脳裏にこびりついて離れなかった。
シリウスがデュオス殿下の体を使って話をしても、どんなにシリウスの言葉を聞いていても……、もう一度『貴方』に会いたかった。
どこまでも澄んでいるスカイブルーの瞳。
苦しいくらいに抱き締め返され、その腕が震えている。
「バカなことを……あのブローチは……もう二度と作れないんだぞ」
「あんな重たいものいらないわよ。むしろ清々したわ」
「お前な……」
少し辛そうに……いや、困っているのか呆れているのか、何とも言えない表情のシリウスを腕の中から覗き込む。
「会いたかったよ……」
「……俺も、ずっと会いたかった。ずっと、アリアを……この腕に取り戻したかった……」
そう言ってさらに腕の力が強くなったシリウスの腕の中で、私はただ頷くしか出来なかった。
「それでシリウス殿、体の方はどうじゃ?」
少し気まずそうに言ったアルズさんにハッとしたシリウスは、姿勢を正す。
「アルズ殿、オルトゥス殿、この度はありがとうございました。なんとお礼を――」
「お気に召されるな。して、体の方はどうですかな? 魔力は?」
「……そうですね……」
少し戸惑ったシリウスに、私も腕の中から彼の顔を見上げた。
「……どう? 大丈夫?」
そう尋ねれば、彼は自分の手のひらに魔力を集めたかと思うと、ろうそく程度の小さな炎が現れて、すぐ消えた。
「体は平気だけど……、魔力はほとんど無いな……」
『分かっていたけど』と言いながらも、その表情に落胆は隠せていない。
ぼんやりと見つめていたその手のひらに、そっと手を重ねればシリウスは少し驚いたように目を見張った。
「魔力がなくたって、出来ることは……貴方にしか出来ないことは沢山あるじゃない? 少しの魔力さえあれば付与魔法の武器だって使えるし、シリウスは武器の扱いにも長けてたでしょう? それに第一にいた時に楽に戦えていたのはシリウスの魔術だけじゃなく、あなたの知略が大きいと思うけれど?」
デュオス殿下はよく仰っていた。『シリウス兄様は魔術だけでなく剣術もすごいんです』と。剣を振るうシリウスに憧れ、自分も始めたのだと。
第一魔術師団にいた時もあの少人数で任務をこなせていたのはシリウスがいたからだ。
国一番の魔術師というだけではない。
誰よりも状況判断に長け、どんな状況でも乱れることのない冷静さと深い知識量に的確な指示。
そして彼の持つ圧倒的なカリスマ性が第一だけでなく全ての魔術師からの信頼を集めていた。
彼の魔力がほとんどなくなったからといって、一体誰がシリウスに敵うと……彼の代わりをすることが出来るなどと思うだろうか。
そんなのはよっぽど彼を知らない人間だけだ。
「……そうだな。七年も休んでたから……色々、一から鍛え直さないとだな……」
そう言ったシリウスがさらりと私の頭を撫でた。
「大丈夫だよ。私も……ずっとそばにいるから」
「アリア……」
少し苦しそうに笑ったシリウスは、きっとまだ色々と考えているに違いない。
だから私は彼のためにも強くあらねば。
心配などしなくていいよと、私が……。
「して、結婚式はいつぞ?」
キラキラと目を輝かせたオルトゥスの顔が割り込んできて「ヒェっ……」と思わず声が漏れた。
「え? え? 何?」
「だから結婚式だ。これでめでたしめでたしであろう?」
「え……いや……は?」
あまりに唐突すぎるオルトゥスの言葉にいつの間にか周囲の人たちがニヤニヤと笑っていたことに気づいた。
「そうよね。本来ならアリアとシリウスの婚約は七年も前のはずだったんだもの。結婚しててもおかしくないわ」
「ブランカ殿の仰る通りですね。僕も兄様とアリアーナ姉様の結婚式が見られるなんて嬉しいな」
「そうだね。なるべく早く式が執り行えるように手配しよう。長らくシリウスは表舞台に立ってないから、きっと国民も喜んでくれるよ」
「よし、王太子とやら、我も参加してやるからさっさと式の手配をしておけ」
「かしこまりました」
そんな会話が飛び交い、当の本人である私たちは置いてきぼりにされたまま話が進んでいく。
「ちょ、ちょっと待って。っていうか国がそういう状況じゃ無いっていうか……」
そう言葉にすれば、シリウスがポンと私の肩を叩く。
「アリア、これはもう誰の耳にも入ってないな」
「いや、本人たち無視して話進められても……。シリウスだって今の状況でって思うでしょう?」
本当に私たちを取り残して話だけが進んでいく。
「俺は、アリアと一緒になりたいと思ってるよ」
まっすぐに見つめられた言葉に息を呑む。
「シリ……」
「今までの時間を無駄にした分早くアリアを俺のものにしたい。昔から、いつアリアがどこかに行ってしまうんじゃないかってずっと不安だった」
スカイブルーの瞳が私の目を捉え、そこに映る私のポカンとした間抜けづらがなんとも滑稽だ。
「また、変な冗談ばっかり……」
「冗談なわけないだろう? あの時、アリアに婚約を申し込んでいれば、少しは違ったかもしれない」
「でも、陛下が認めないわ……」
陛下のことが頭をよぎれば、思い出すのは私を冷ややかに睨みつける冷たい目。
祝福など、シリウスとの結婚の許可など簡単に頷くとは思えない。
「もう父は関係ないよ。兄上が王位を継ぐのは決まっているんだ。『国王の許可』というのを言っているのならそれは心配ない」
「でも……」
「嫌?」
私の戸惑いを遮るように言ったシリウスは、割れたカレンデュラのブローチをそっと握り締め、私の手に握らせた。
「嫌じゃなくて……、姉様のこととか、公爵家のこととか……貴方の後ろ盾になるものなんてないどころか足を引っ張るだけだわ」
「本当にそう思ってる? 俺にそれが必要だと、本気で思ってる?」
「え?」
「情けないと言われても、俺はアリアがいなければ立ってなどいられないよ。幼い頃に自分で捨てた、『第二王子』という立場を作ってくれたの、はアリアだ」
「? どういう意味?」
「情けなくて……詳しくは言えないな」
シリウスは昔から第二王子だ。
混乱に頭を傾げれば、シリウスは微笑むだけだ。
「アリアーナ様、後見人であればご心配はありませんわよ」
「レベッカ様?」
優しい声に振り向けば、レベッカ様は得意げに笑っていた。
「私の婚約者であるレオナルド殿下の鱗を取ってきて下さったのは他の誰でもない貴方で、他の王家の皆様の魔力の解放に際して尽力して下さったんですもの。次期王妃としても、我が公爵家も貴女を支持しますわ」
「そうよ、アリア。何なら私も後押し出来るし、ウチの国と有効な貿易を約束させるわよ」
「それに、俺とレクスが第一に戻るのはお前のためだからな。国防のこと考えたらお貴族サマ方も認めるしかねーよ」
「そうだよ。それに実質アリアが国で最強かもね」
「みんな……」
大丈夫と笑うみんなの言葉に涙が滲み、シリウスの手に私の涙がひと粒落ちる。
「アリア。どうか、この哀れな男に慈悲をくれないか?」
「は?」
握られた手にやわらかな唇を落とし、視線だけでこちらを見上げた。
その醸し出す色気に到底『哀れ』などという言葉は似合わない。
「もう誰にも邪魔などされたくない。誰にも奪われたくない。あの時、アリアに伝えられなかった言葉を、国民の前でみんなの前で誓う権利を俺に欲しい」
「シリ……」
「魔力がこんな状況で、……お前に相応しいかと言われればぐうの音も出ないけど……」
「魔力なんて関係ない……」
情けないと笑ったシリウスの手を強く握る。
あの実地試験のあった日、彼の言葉で救われた。
死の迫る恐怖で体が硬直し、思うように魔術が使えなかったあの時。
『今強くなるんだ』と背中を押してくれた言葉は、彼がくれたもの。
甘えるなと怒るでもなく、差し伸べてくれたあの手があったから、今の私がいる。
「シリウスが、シリウスだから、好きなんだよ……」
もう今日何度目かわからない涙に、震えた声で彼を見れば、シリウスの目も潤んでいるように見えた。
「愛してる」
瞼に落とされたキスに、胸が締め付けられた直後、心臓が早鐘を打ち始める。
「アリア。この先の人生を、……幸せに、アリアがずっと笑っていられるものにすると誓うから。『妻』としてずっとそばにいてほしい」
「シリウス……」
溢れた涙は、止めることなど出来ず、ただ彼の名前を呼ぶので精一杯だ。
「返事を貰っても?」
不安気に揺れたスカイブルーの瞳に小さく頷く。
「……私も、シリウスをずっと笑顔にするって誓うよ……」
私の返事に、シリウスが嬉しそうな、とろけるような笑みを浮かべた。
いつぶりの彼の笑顔だろうか。
その笑顔だけで、私の不安は霧散していく。
「――あ、でも式の前に指輪は用意したいな」
「え! いらない! また変な魔法を付与されたらたまったもんじゃないもの!」
一瞬で現実に引き戻され、そう答えた私の耳に、シリウスの舌打ちが小さく聞こえたのを私は聞き逃さなかった。
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