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19、ローゼリアという聖女

次回も明日更新予定です。

 小さな部屋に一歩入れば、窓際に置いてある椅子に白魔術師のローブを纏った女性が座っていた。

 ひんやりとした場所には幾重にも張られた結界で息が詰まりそうな空気感が漂い、部屋の中では魔法具の類や、魔術は使えないようになっている。

 部屋の中には魔法陣が二つ、天井と床に刻まれていた。

 誰ともコンタクトを取れないようにであろう、天井には内側の声が聞こえないものを、床には外からの声が聞こえないものが貼ってあるが……不意に違和感を覚えた。

 


 そんな中、姉はチラリと私に視線を寄越すと、ゆっくりとこちらに向かって歩いてくる。

 ホールでの貴族たちの騒ぎなど嘘かのように、この結界内ではコツコツという姉の杖をつく音だけが響く。


 まるでこの世界には私と彼女しかいないかのような錯覚に陥った。

 

「アリア。久しぶりね。会いたかったわ」


 その懐かしいイントネーションに胸が苦しくなり、返事に詰まった。


「本当に姉様……だったのね……」

「そうよ。アルバルトも父もそう言っていたでしょう? ところで……あなたの夫が、『私が黒い竜を殺した』と勘違いしてるようなのだけど、誤解なの。アリアだって分かってるでしょう? 私がそんなことをしないって」



 背中は曲がり、骨ばって乾燥した手を私の頬に添えてゆっくりと姉が話す。

 


 そんな中、姉はオルトゥスが夫ではないと言った時、すでに連れて行かれていたから知らないのかと、どこかぼんやりと頭の隅で考える。


「姉さ……」

「ねぇ、アリア。あなたは……信じてくれるわよね?」


 姉の口調はそのままなのに、体の中をざわりと撫で付けれられるような不快感だけが這い上がった。


「私はオルトゥスの妻ではないし、あの子達は、私の子ではないの。……ウェイラさんという……金の目に漆黒の鱗を持つ竜がお母さんだと。私は母親がわりにすぎないから……」

「そう。それで? でも貴女はあの竜達に大事にされているんでしょう? 誤解だと説明してくれたらいいのよ」

「こ……子ども達が……ずっと失われていたあの時の記憶を取り戻したの……。貴女を見た瞬間に……、見た目も違うのに。……それは魔法で封じられた記憶で、……ですから……その……」



 なんと説明したらいいのだろうか。

 もしも間違いであるならば……そんな微かな期待が胸をよぎりつつも視線はどうしても下を向いてしまった。


「そう、信じないの。……『また』私を裏切るのね?」

「……え?」


 氷よりも冷たい、体の芯を冷やすような声に顔をあげる。

 目の前には、何の感情もない、暗い瞳の老婆がこちらを見ていた。

 

「『また』……?」

「そうよ」


 チラリ、と姉が天井に描かれた魔法陣を確認し、クスリと口角を上げる。

 悪意の滲んだ姉の視線に、体がすくんで動けなくなった。


「貴女が私を先に裏切ったんじゃない。私は『白魔術学校に来なさい』と言ったのに、勝手に魔術師団学校に入って。どうして言うことを聞かなかったの?」


 その言葉に当時の記憶が蘇る。

 確かに魔術師団を受験する時、姉に白魔術師団で一緒に勉強しようと言われた。

 けれど……。


「私には……白魔術師の才能なんて……ありません。それならばと、魔術師団に入って、将来姉様の役に……」


 少しでも、貴女の力になりたいと……。


「誰もそんなの頼んで無いじゃない」

「ね……ぇさ……」

「貴女は私の言うことだけを聞いていればいいのに」


 吐き捨てられた言葉と冷たい視線に、膝の力が抜けて冷たい床にへたりこむも、立つ気力も湧かない。

 ただ茫然とこちらを見おろす年老いた姉の姿を見つめた。


「ねぇ、アリア? 貴女はレイルズ家の落ちこぼれなの。それなのに、どうして私が手に入れられなかった『首席』での入学をしたの? どうして貴女が『王子』の恋人なの? それは本来私のものでしょう?」

「何を言って……。私が入学したのは魔術師団で……」

「そうよ? でも『首席』でしょう? 私の前を常に歩いていた『レベッカ』と一緒。首席で第一王子の婚約者。どうして貴女がそれと同じものを持つの」


 王太子妃を『レベッカ』と呼び捨てる紫色の瞳に浮かぶその憎悪に、吐き気すら催してくる。

 私の知っている姉ではない。


 そう思いたいのに、これが現実で、私はずっと憎まれていたのかと、胸が悲鳴をあげていた。

 目の前に立つ姉の姿に、私は一体今まで何を見てきたのかと、全てが崩壊したような感情に飲み込まれていく。


「だから、あの留学先で、『竜』の記述を見つけた時、これだと思ったのよ」


「留……学」

「そうよ? 貴女が二年生の時かしら? 私がアレンダ国に二週間の短期留学に行ったのを覚えていない?」


 覚えているに決まっている。

 あの数日後だ。

 姉が帰国してから数日後に行われた実地試験で命を落としかけ、シリウスが負傷し、その夜にオルトゥスが王都に攻め入ってきたのだから。


「アレンダ国の図書館には禁域があるの。そこには沢山の秘術があると聞いていたから、アレンダの王子をたらし込んで入ったのだけど……そこで見つけたのよ。竜に関する書物を。その中に、『竜の血』は怪我や病気を治したり、魔力を高めたり、寿命を伸ばしたりと、ありとあらゆる効能があると書かれてたわ。だとすれば、実践するしかないでしょう? 運よく我が国には竜が戻ってきていたのだから。本来は竜谷は立ち入り禁止区域だからね。貴女達の魔術師団の実地試験に合わせてアルバルトを連れて行ったの。あとは貴女達の想像通りかしら?」


 ふふふと軽やかに笑う姉の奥にある昏さに、怖さを覚え、心臓の音がうるさく騒ぐ。


「やはり、私が見た赤線内の人影は、姉様とアルバルト殿だったのですね」

「そうよ。貴女が止めに来ようとするものだから慌てちゃったわ。そこで想像していた白銀の竜ではなく黒い竜に遭うなんて想像もしていなかったけど」

「血……だけ、なら……ウェイラさんを殺す必要なんて……」

「そうね。でも……」


 考えるように、ふと視線を空中で彷徨わせたあと、私に視線を戻して嗤った。


「殺してしまっていたのよ。金の目に黒い肢体の竜なんて、貴女にしか見えなくて」


 ひゅっ……と、一瞬呼吸が止まる。

 姉のはずなのに、姉ではない。

 私は、今までこの人の何を見てきたのだろうか。


「でも、随分と弱っていたようだから、放っておいても死んだんではなくて?」

「ね……えさ……」


 姉様。

 もう昔の貴女の片鱗すら見えない。

 いや、それすらも幻だったのか。

 

「その子ども達がいたことも気づかなかったんだけどね。白線の向こう側にいたのかしら? どうして出てこなかったのか不思議だわ」


 出てこなかったのではない。

 出られなかったのだ。


 まだ、白線を越えられなかったから。


 何もできないまま、命の消えていく母の姿を目のあたりにするなど、どれだけ心に深い傷を負ったのか。


 そのことを思えば涙が溢れ、止められなくなってしまった。


 

「それからよ、貴女も知っての通り私の魔力が国内随一となり、白魔術に関してレベッカすら足元に及ばなくなったのは。……それなのに、シリウス殿下が貴女に想いを寄せているのは知っていたけど、いつの間にかくっついてしまって……。でもすぐに私との婚約が整うと思ったのに、一向に整わない。お父様を使って疫病を流行らせたり、魔物に村を襲撃をさせて私の威光を示したものの、ちっとも効果がないんだもの」

「なんて……ことを……」


 信じられなかった。

 今まで姉の功績が自分の力を示すために仕組まれたもので、それが『最強の聖女』と呼ばれるためのものだとは到底信じられない。

 悪夢かと疑うほど。


「それに、色々と人を使って貴女を消そうと思ったのに……何一つ上手くいかない。お前を取り囲む人間の何と煩わしいことか! 魔物討伐のどさくさ紛れを狙っても、遠征時の移動の隙を狙っても……。特にシリウス殿下は……どこで勘づくのか、こちらが仕掛ける前に全てを壊してくる。私の足取りがバレないように隠すので精一杯よ!」


 だんだんと怒りが込み上げてきたかのように、先ほどまで嗤っていた姉の表情が険しくなり、ギロリ、とこちらを睨みつけた。


「あの男とお前を離そうと、魅了魔法や、記憶操作、秘薬に秘術まで手を出しても、何一つ攻略方法が見つからない! 何をやってもシリウス王子を突破できない。……だから、ずっと、ずっと待っていたのよ。たった一瞬の隙を。あの男が弱るたった一度のあの瞬間を」


 またしても嗤い始めた姉の表情は、もはやこちらを見てはいないようで、心などどこかに行ったようだった。


「姉様……」

「アリア、お前は知らないでしょう? あのカレンデュラのブローチが、どんなものか」

「……え?」

「幾重にもかけてある魔法の一つに、殿下はお前があのブローチに込めた魔力の位置を感じることができるのよ。感じたことはない? お前が危険な時に、戦う時に、常にあの男が側にいたと。どんなに危険な任務でも逸れたことなどないでしょう? 常に身につけておくよう言い含められたでしょう?」 


 確かに、姉の言う通り、魔物討伐のために陣形が広範囲に広がっても、大量の魔物と戦って周囲の状況がわからない状況でも、確かに、彼を見失うことは無かった。


「だからお前のブローチを持って、魔力も体力も全てが完全に回復していない弱った殿下の元に行ったのよ。幻覚魔法を最大限に使って。本来なら絶対に見抜かれるであろうそれを、私の魔力の全てを使ってね。あぁ、ストールも十分大きな役割を果たしてくれたわ。私は柑橘系の香りは好きじゃないから。彼の目には、間違いなく『アリア』に見えていたはずよ。この日のために、私は自ら仕掛けなかったのだから」


「でも……。あの日の朝、私が姉様にブローチを……ストールを渡すなんて、そんなの分からないじゃない……」


 そうだ、あの日の朝、私が姉に貸す保証なんて無かった。

 あれは、偶然……――。



 ふっと姉の笑う声が聞こえた。

 

「バカね。貴女は貸すに決まってるわ」

「……え?」

「私のくしゃみ一つで貴女なんて思いのままよ。『風邪をひいちゃいけないから』『暖かくして』『治療をするならストールが邪魔にならないようにブローチを』そんなの、寝ぼけてても分かるわ」


 クスリと笑った姉が私の耳元に口を近づける。


「貴女が、招いた結果よ。アリア」

「っ……」

「恋人からの大事な贈り物を、簡単に人に貸すなんて。シリウス殿下が可哀想だわ」


 

『貴女が招いた結果よ』


 呪うように、頭の中をその言葉だけが木霊する。


 そうだ。

 簡単に貸したのは私だ。


 大事なものだったのに。


「お前がシリウス殿下を失った理由はただ一つ。殿下を信じなかったからよ。お前なら私の言葉を全て信じると知っていた。お前なら私のために身を引くとわかっていた。お前が信じたのは私だけ」

「……」

 

 その通りだ。

 姉の悪意など疑ったこともなかった。

 


「でも、本当にうまくいき過ぎて笑っちゃったわ。タイミングも全てが完璧で、お前が出ていくのも、お前に執心する連中が一緒に出ていくのも、何もかも予定通り……なのに――」


 脱力した私の頭を両手で掴んだ姉が、強引に私の顔を上に向けた。


「ね……姉様っ……」

「なのに、どうして私がこんな姿なの? お前が去って、仕掛けた魔物の襲撃から私が国を守り、殿下も私と結婚をせざるを得ない状況を作ったのに。追えない状況を作るために『二度目の竜魔症』を狙って『鱗』まで飲ませたのに!」



「――ぇ……?」


 今、なんと言ったか。

 二度目の竜魔症?



「二度目の竜魔症は三日で克服するのでは無かったの? アレンダで読んだ本にはそう書いてあったのに……殿下は目覚めない。私の魔力は全て失われ、美しかった私の美貌は見る影もない。七年よ……七年もずっと神殿の奥深くに隠れて過ごして……。こんなはずではなかった。私は新たな王太子となったシリウス殿下の横に並んでいたはずだったのに‼︎ 全てを手に入れて私の耀しい人生はそこから始まるはずだったのに!」


 混乱するも、姉の言葉に思考が上手く纏まらない。

 姉は、ペタリ。と私の顔に触れて、私の目をギョロリと覗き込む。


「ねぇアリア。呪いはどうやったら解けるの? 竜の血で受けた呪いは竜の血でしか解呪出来ないのかしら? じゃああの竜の子でも良いから血を貰ってきてよ。代理とはいえ母親なんでしょう? 貴女が招いた結果なのだから責任取りなさい。それくらいしてもいいでしょう?」

「無理に……決まってるわ……ウェイラさんを殺した姉様に、……こんな話を聞いた人に……誰も血なんて渡さない……」

「中の会話は誰にも聞こえないんだもの! 真実はあんたしか知らない。私はどこに出ても本当のことなんて言わないわよ! 私が呪われているなど竜にしか分からないなら、なんの証拠もないんだから――!」

 

 そう姉が私に向かって叫んだ瞬間、周囲の結界が全て消え、先ほどまで『祝賀会』が開かれていた王宮のホールの真ん中にいた。


「は……?」


 目を見開いて固まった姉は、時間が止まったかのように微動だにしなかった。

 結界のあった場所を取り囲むように、多くの貴族だけでなく、両陛下をはじめ、デュオス殿下、レオナルド殿下、オルトゥス、レクス、アルズ殿がこちらを見ていた。

 

 父親も、アルバルトも兵士に拘束された状態でそこにいる。


 そんな中、双子の姿は見えず、それだけが救いだ。

 こんな話聞かせられない。


 あれ以上傷に塩を塗るような、……こんな悪意に触れてはいけない。

 

「みんな、知ってますよ……」


 そう言いながら見上げれば、姉の顔がわなわなと震え始める。


「な……なん……」

「防音の結界は外からの音を遮断するもの『だけ』が発動していました。魔力を全て失った姉様には感じられなかったかも知れませんが、中の声はダダ漏れですよ……。結界が……部屋ごと移動しているのも気づかなかったでしょう?」

「アリア……、お前……?」


「……姉様。私はずっと……貴女のために魔術を極め、貴女の役に立ちたかった」

「だったら今役に立ちなさいよ!」

 

 大声で叫ぶ姉をまっすぐ見つめる。


 見た目も、表情も、声も、記憶にある面影の姉はどこにもない。

 あるのは目を釣り上げ、見たこともないほどに醜く歪んだ老婆の姿。



 

 ぱたり。



 

 涙がひとつ、床に落ちた。



 

「さようなら。姉様」


 


 

 

 

 

 

ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。


面白い、続きが気になると思って頂けたら、励みになりますので、ブックマーク、下の★★★★★評価で応援していただけたら嬉しいです。

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