18、あの日の真実
更新が遅くなり申し訳ありません。
次回更新は明日の20時ごろの予定です。
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私達が王都に来て一週間が経った。
私たちは毎朝レリア王女と一緒にシェリのお散歩に行くのが日課になり、今日はそのお散歩の後に木陰の下で子ども達がお絵描きを始めた。
子ども達から少し離れた場所で木にもたれ掛かれば、心地よい風がどことなく眠気を誘う。
今日はデュオス殿下は朝早く用事があるから散歩には一緒に行けないと言ったが、お昼前には戻るという事だった。
「ねぇ、ママ見て見て」
「わ、上手に描けてる。この前見に行ったウサギ?」
「うん!」
得意げに掲げたエルピスの画用紙には、白と茶色の可愛らしいウサギがたくさん並んでおり、レリア王女もアマルもそれを覗いて顔を輝かせた。
父と会った後に行った牧場にはウサギや羊、そして牧羊犬が丁度出産を終えた頃で、生まれたての子犬にエルピスは夢中になっていた。
「わ、上手だねエルピス」
「本当。お上手ですわ」
そう言うアマルとレリア王女もかなり上手に描けている。
レリア王女は本当にエルピスに懐いていて、一生懸命シェリのお世話の仕方も教えてくれているし、エルピスの質問で分からない事があれば自分でトレーナー達に聞きに行ってくれている。
「え? 本当? 嬉しい。もっと描こう」
「じゃあ、私はお馬さんを描きますわ」
「僕は羊を描こうかな」
盛り上がる子ども達を微笑ましく見ながら空を見上げれば、キラキラと輝く木漏れ日に思わず目を細めた。
後どれくらい王都にいればいいだろうか。
アマルはまだまだ読みたい本があると言っていたし、エルピスはシェリといる時もとても楽しそうだ。
そのままゆっくりと目を閉じれば、数日前のベッドに横たわったままのシリウスの姿が否応無く脳裏を過ぎる。
あれからずっとあの姿が頭から離れなかった。
竜谷に戻ったらオルトゥスに聞いてみようか。
核に閉じこもったまま結界を張り続けることが出来るものなのか。
……いや、私にはもう関係ない。
ずっと……国を出てからシリウスは幸せになったと思っていたけれど、彼は本当に姉と一緒になってなどいなかった。
「だから何なのよ……」
くだらないことをいつまでも考える自分を小さく叱咤する。
「ママ?」
不意にかけられた声に現実に引き戻されて目を開ければ、エルピスが私の顔を覗き込むように、大きな金の瞳でこちらを見ていた。
「あ、エルピス……えっと。どうしたの?」
「うん。今度はかわいい羊をいっぱい描いたよ」
「わぁ! これも上手だね」
「えへへ」
満面の笑みで画用紙を見せてくれたエルピスはそのまま、ちょこんと私の横に座る。
エルピスはチラリとシェリに視線を移して私を見上げた。
「ママ。私決めたよ」
「決めた? どのもふもふを連れて帰るか決めたの?」
「ううん。連れて帰らないことを決めたの」
そう言った彼女の笑顔に目を見開く。
「……どうして?」
あんなにもふもふと一緒にいたいと願っていたのに……、そのためだけに頑張って、ここまで来たのではないのだろうか。
「だってね。一人だけ連れて帰ったら可哀想でしょう? ここに来て、もふもふ達を見るまで考えたことも無かったんだけど、……ウサギも、羊も、子犬だってたくさんの家族に囲まれてて、……もしも私が連れて帰ったら、竜谷には私とアマルとパパとママの四人しかいないんだよ? 他の生き物なんていない。もしも私が連れていかれる立場だったら……とっても悲しい。それに、竜谷にはあんなに弱い動物がいたら万が一……お散歩中に迷子になったりしたら一瞬で他の魔物に食べられちゃうよ……」
そのことを想像したのか、エルピスはちょっと目に涙を浮かべている。
「そっか……」
「あんなに『もふもふ』って大騒ぎしたのに、ごめんね」
「どうして? そんな事ないよ。そうやって考えられるのってとっても素敵な事だと思うよ?」
『普通の動物』これに関してはずっと私も懸念していたことだ。
ただでさえ竜は長寿の生き物で、普通の動物の命は『竜』にとっては一瞬だろう。
「あ、で、でもね! 例えば森で迷子になった子とか……家族がいない子とか……私と一緒にいたいって思ってくれる子がいたら連れて帰ってもいいかな⁉︎」
「うん。それだときっとみんなが幸せになれるね」
そう答えれば、沈んでいたエルピスの表情がパッと明るくなった。
「あ、後ね……レリアやシェリに時々会いにきても良いと思う⁉︎」
「……うん、きっと喜んでくれると思うよ」
初めてできた人間の友達。
いつもアマルとしか遊んでいない彼女の新しい世界は大きく変わったはずだ。
アマルだって、これからもっと世界が広がっていく。
「じゃあ、もうちょっとだけ王都にいてもいいかな?」
「いいよ。アマルももっと読みたい本があるだろうし、今度デュオス殿下が魔術付与の専門家をアマルに紹介したいとか言ってたしね。あ……でも……ちょっとオルトゥスに会いたいな……」
なんだかんだ言ってもやはりシリウスのことは聞いておくべきかもしれない。
私だけでも竜谷に戻って聞いてこようか。いや、でも子ども達を置いて行くわけにもいかないし……。
「何のお話ですか?」
気配もなく背後からかけられた声に振り向けば、デュオス殿下が立っていた。
午前中には終わると言っていた用事が終わったのだろうか。
どことなく目に生気がないように感じるが、疲れているに違いない。
「殿下。お帰りなさい。もう用事は終わったのですか?」
「ええ。それで、……何の話をしていたんです?」
「え? あぁ。エルピスがもうちょっとここにいたいっていう話ですよ」
エルピスもデュオス殿下に懐いていたから、きっと殿下とも離れたくは無いだろう。
「デュオス、もうちょっとだけいてもいい?」
「もちろんだよ。好きなだけいていいに決まっているだろう? あぁ、そういえば今度北の国境沿いへ魔物の調査に行くんだが、エルピスも行くかい? 北の寒い土地はもふもふの魔物も多いよ? 調査だけだから、もちろん竜の気配は上手くコントロールしてくれると助かるけど」
「え、行く行く〜! やった〜! ありがとう! アマルにも言ってこよっと」
嬉しそうに言ったエルピスは、急いでアマル達のところに駆けて行った。
これでは更に滞在が延びそうだと思いながらも、エルピスの嬉しそうな表情を見れば、文句の一つも言えない。
「横に座っても?」
「もちろんです。どうぞ。北で何かあったのですか?」
「何かというか、ここ数年定期的に調査をしているんです。色々なところで魔物が増えているのですが、特に北の被害が大きくて、討伐に手が回っていないんです。そこと接している隣国の領地も魔物討伐で大変なようです」
深いため息をつきながら横に座った殿下はやはりどことなく疲れているように見える。
「……お疲れですね。午前中のご用事は大変でした?」
「いえいえ。……それはすぐに片付きましたよ」
「父ですよね」
にこりと笑って誤魔化そうとした彼の表情に、間髪入れずに尋ねてしまった。
「え?」
きょとんとした殿下から視線を外して、子どもたちを見る。
「用事って父ですよね? 今日、レイルズ家の馬車が王城に入っていくのを見かけたんです。というか、今日だけでなくここ数日。引きこもっていた父が出入りする用件なんて、私のことしか考えられません。あの時、去っていく父の顔は何かを企んでいるようにしか見えなかったですから」
「アリア……」
「父は何を要求しているのです?」
殿下に視線を戻して尋ねれば、少し困ったように笑う。
「……娘と孫に会わせろと言って来たので丁重にお断りしたところです。父と結託しているようですが、兄上も私もいますので、安心して下さい」
「そうですか……」
父はこのまま引き下がるだろうか。
いや、絶対に引き下がることなどしないだろう。
この問題を解決しなければ、王都にいる間も、去ってからも面倒なことになりそうな気がする。
竜谷の白線内にまで来ることはできなくても、この先、子ども達と街に行くたびについて回られるのではないかと不安に駆られそうだ。
それに、エルピスがこの先レリア王女に会いにここに来た時、余計な問題が発生するのはどうしても防ぎたい。
私のせいで双子達を巻き込ませる訳にはいかない。
これは、私が向き合うべきことなのだろう。
「殿下……私、会います」
「え?」
「子ども達は会わせませんが、私は父に会いに行こうと思います。それに、聞きたいことがあるんです」
「聞きたいこと?」
訝しげに首を捻った殿下に、私は黙って自分の脇腹を示した。
「そこがどうかしたんですか?」
「『ヒェメル』ってご存知ですよね?」
「……!」
目を見開いた彼の反応に、王族なら知っていて当然だと納得する。
「ここに、刺し傷が残っているんです。竜谷にまで来たそのヒェメルを送ったのが誰なのか……もしも、父や陛下ならば……。私だけにヒェメルを送ったのか、第一のみんなは無事なのか、私のせいで巻き込まれていないのか……それだけは確認したくて。もし今後父がまたヒェメルを使うようなことがあって、子どもを巻き込むわけにはいかないんです……殿下?」
殿下の顔から血の気が引いていた。
そのまま気を失うのでは無いのかと思うほどに、真っ白だ。
けれど、その中に静かに冷たい炎が燃えているかのよう。
「殿下……?」
「ヒェメル……に……?」
困惑したような殿下の顔に、安心させようと笑顔を向ける。
「ええ。私が竜谷に行って数日後に彼らが来たんです。赤線内で遭遇して……。でももう大丈夫ですよ。瀕死に近い状態ではあったのですが、私もシリウスと同じように核に入ったので。……最初は、シリウスが送ったのかな……とか思っ……」
「それは絶対に無い!」
全力で否定した殿下に思わず「わかってますよ」と笑みが溢れた。
「シリウスが魔物の襲撃以降核に閉じこもったままならば、それができるだなんて思っていません。もちろんレオナルド殿下も体調は万全では無かったし、当然貴方である訳がないですし。そう考えれば、父以外に疑わしい人物はいません」
私の話を黙って聞いている殿下は、静かに続きを待っている。
「父は絶対にあの子達が竜の子だと気づいています。子ども達が、今後人と関わりを持つ中で、どんな大きな障害になるか簡単に想像出来ます。私に刺客を差し向けるほどですから。絶対に父に利用されるわけには行きません。ですから……ここにいる間に決着をつけます。父がまだ王城にいるのなら、直ぐにでも」
「今夜……、レリア……の魔力解放の祝賀パーティがあるので、その時に公爵も来る予定です。別室を……用意させます」
「ありがとうございます」
「……いいえ」
早々に父には今後二度と私に関わらないでほしいと、決別しなければ。
あの頃のように父の言うことを聞いていただけの私ではない。
追い出された時のように、彼の意思に従うなどと思われたくはない。
「ところで、アリアが核に……」
「「デュオスー!」」
「デュオスお兄様!」
殿下が何か言いかけた時、エルピス達がこちらに駆けてきて、自分たちの力作を掲げた。
アマルもレリア王女も、嬉しそうに自分達の描いた動物を見せ、エルピスに至ってはもふもふした魔物をたくさん描いている。
どうやら先ほどの殿下との会話で楽しみが爆発したのだろう。
父のことを考えてギスギスしていた心が、三人の笑顔を見るだけで和らいでいく。
守らなければ。
「みんな上手いな。特徴をよく捉えてる」
「へへ。デュオスも描いて?」
褒められたアマルが嬉しそうに画用紙と鉛筆をデュオスに差し出した。
「え? 俺? 俺はあんまり上手くないよ?」
レリア殿下もデュオス殿下に描いて描いてとおねだりを始め、子ども達三人に迫られた殿下は渋々といった顔で画用紙と鉛筆を受け取り、何かを描き始める。
興味津々な三人がそれを覗き込み、殿下が何を描いているのか全く見えなかったが、デュオス殿下は絵がとても上手だったので、子ども達も驚くことだろう。
『将来は画家になれますね』なんて会話をしたのを覚えている。
「デュオス、それなぁに?」
「お兄様、それは猫ですの?」
「犬だよ!」
「え、僕ウサギかと思った!」
そんな会話に驚きを隠せず殿下の手元を覗き込んで思わず息を呑んだ。
ちょっと長さのおかしい耳が特徴的な犬は、以前にも見たことのあるもの。
驚くほど絵の上手だったデュオス殿下ではなく、お互いの絵を見て自分のほうが上手いと言い争っていた相手。
「どうして……」
思わずこぼれた声に、何かが繋がった。
数日前、引っかかったレオナルド殿下の言葉。
『デュオスが竜魔症の時の症状と似ている』と言った時、何を以てしてそう思ったのか不思議だった。
もしも、『シリウスが倒れる直前に言っていた』とか、ならば分かる。
一度目の竜魔症ではあんなふうに核に閉じこもるわけでもなく、会話も、触れることもできる。
けれど、二度目の竜魔症は会話ができるわけでも無く、触れることすら出来ない。
――竜魔症の時の症状と似ているかどうかなんて、分かるのは本人だけ。
「アリア?」
きょとんとこちらを見上げた殿下に『彼』が重なる。
「シ……」
その時、突然近くで強力な魔力を感じ、上空が翳り空を見上げた。
「え?」
「あ! おとぅさんだ!」
「パパだ!」
白銀の竜が、あの日の夜のようにそこに居た。




