17−4、再会
次回更新は月曜日です。
ぶつかった拍子に、着けていた私のイヤリングが落ちた音が静かな廊下に響いた。
「ぁ……」
小さく溢れた声に、一瞬大きく目を見開いた『彼』は、直ぐに柔らかな笑みを浮かべる。
「失礼いたしました、レディ。お怪我はありませんか?」
メガネをかけた栗色の髪の毛の彼は、落ちたイヤリングを拾いあげて私に差し出した。
一瞬彼が驚いたように見えたのは、ぶつかったのにびっくりしただけで、決して私の顔を見たからではないと自分に言い聞かせる。
自意識過剰だ。
王都に戻ったことで過敏になっているだけだ……。
「あ、ありがとうございます。こちらこそよく前を見ておらず、申し訳ありません」
「いえいえ。それでは」
「はい、失礼いたします」
彼に軽く頭を下げて、不自然にならないようにと、その場を足早に離れた。
早くなった鼓動だけが耳に響き、身体中が嫌な汗でじっとりとし、呼吸も荒くなる。
アルバルト=フレイル。
彼は、私の姉のそばにいつもいた白魔術師で、彼とは一度挨拶をした程度。
会話をしたことはほとんどないが、白魔術学校の姉の同級生で、白魔術師団に入ってからも姉といつも一緒にいた人物だ。
姉と一緒にいたということは間違いないく優秀だと思うし、七年も経てば高位のローブを着る立場になってもおかしくない。
今の私は普段と違う格好をしているし、『アリアーナ=レイルズ』とは分からないだろう。
私だって、彼が白魔術師団のローブを着ていなければ分からなかっただろうし、彼も、それを指摘しなかった。
大丈夫。
大丈夫だ……。
足元から這い上がる不安に押しつぶされそうになりながらも、殿下達がいる一階の受付へと急いだ。
***
王立図書館からの帰りの馬車で、アリアは心ここにあらずといった表情で窓の外を眺めていた。
双子達は馬車の揺れが気持ちいいのか、そんなアリアの膝を枕に、すうすうと寝息を立てている。
アリアの表情は暗く、どう見ても楽しかったという表情ではない。
彼女の様子がおかしいのは、王都に来たから、それとも何かあったのか。
「アリア、どうかしましたか?」
声を掛ければ、彼女はハッとしたようにこちらを見た。
「いいえ。ただ……懐かしいなと、景色を見ていただけで……」
「なら良いのですが……。ご気分が悪かったら言ってくださいね」
「ありがとうございます」
そう曖昧に微笑んだ彼女はまた視線を窓の外に移し、ただただ静かに外を見る。
沈黙が広がり、暗い彼女の横顔を眺めながら、昨日の兄とのやりとりを思い出してた。
――レリアの魔力の解放を行う半刻前。
「ここにいたのか、『シリウス』」
「兄上」
『第二王子』の寝室で、目の前にあるベッドに横たわっている自分の体から視線をあげて、声をかけられた方に振り向けば、王太子である兄が立っていた。
薄暗い部屋の中を静かにこちらへ歩いて来る。
「すぐにご挨拶に向かわず申し訳ありません」
「構わないさ。デュオスが心配なのは当然だからね」
アリア達を客室に案内した後、レリアの準備をと言いつつも、まず自分の部屋に足を向けた。
そう言って動かした兄の視線の先には薄い膜のようなものに覆われた自分がベッドに横たわっている。
今、横たわっている俺の体にはデュオスが入っていて、竜谷での報告も兼ねて弟の様子を見に来たのだ。
「何か、話したか?」
「ええ。アリアが王都に来ていることと……彼女が結婚して子供がいたこととか……」
「そうか……」
兄には、アズ伯爵家から先に早馬で連絡を送っていた。
アリアが竜谷にいたこと、彼女が結婚して子どもがいた事。
そして、その相手が『竜』だと言うことも。
今回のレリアの件に関してはその子どもが魔力の解放をしてくれると言うことも伝えた。
ただその報告は父ではなく、王太子である兄に送り、父には『竜の協力は得られた』とだけ伝えるように頼んだ。
アリアが絡んでいることを父が知れば、また厄介なことになりかねないと思ったから。
「父上はどうですか?」
「レリアの回復の見込みがあるとだけ伝えておいたが、竜と帰還するのか鱗を持ち帰るのかどちらかということを気にしていた。おそらく気づいているだろうけどね。……父上の魔力の解放は『竜』には頼まないんだろう?」
「もちろんです。当初はあくまでレリアのために鱗を持って帰るというのが目的でしたから。それに父の魔力を解放したら、全てがダメになってしまう」
「そうだな」
兄の同意の言葉の後にしばらく沈黙が続いた。
「……大丈夫か?」
「何がです?」
「アリアーナのことに決まっているだろう」
ゆっくりと探るように言った兄に視線をやれば、彼はこちらを見ることなく、ベッドの上にいる俺の体をじっと見ていた。
思わず乾いた笑いがこぼれる。
「大丈夫なわけがないでしょう?」
「シリ……」
「俺がアリアを『捨てた』そうですよ」
「何だと……?」
あの日の彼女の言葉は嘘を言っている顔では無かった。
それは、誰よりも長く彼女を見てきたからこそ、アリアの苦悶の表情が、何よりも胸を締め付けた。
ローゼリア嬢を選んで、俺に捨てられたと思って過ごしたその七年で、竜という最強の伴侶を得て、子宝に恵まれ、新しい人生を歩いていると……。
七年の苦しみがどれだけ辛かったのかなんて想像しなくてもわかる。
俺自身がアリアに捨てられたと、永遠とも思える闇の中を彷徨っていたのだから。
一年前にデュオスが竜魔症にかかり魔力の解放がなされるまでは。
デュオスが竜魔症にかかり、数ヶ月前に魔力が解放された後、俺とデュオスは突然念話ができるようになった。
ただ、なぜか魔力を解放したはずの兄上とはそれが出来ず、その理由は分からない。
デュオスに念話を通じてアリアの様子を尋ねれば、王都に彼女は帰って来ていないと聞かされ、やはり捨てられたのだと思わずにはいられなかったが、デュオスも兄上も、アリアの裏切りを信じていないと言ってくれたからこそ彼女を探しにいくことが出来た。
まず、『竜谷』に足を運んだはのもちろんレリアのために鱗を持ち帰ってからということもあったが、彼女の足取りもそこで途絶えていたからだ。
『自分の足で行ってきてください。シリウス兄様の納得するまで、僕の体を使ってください。今まで……兄様たちのために何もでなかった僕でも、できることがあるのなら』
そう言って、竜谷という危険な場所へと行くことを了承して体を預けてくれたのは、感謝してもしきれない。
「アリアの中で俺はローゼリア嬢に婚約を申し込んだことになっているそうですよ」
「作り話にしても稚拙だな。だが……シリウス、これを……」
「何です?」
兄に差し出された資料に目をやれば、思わず呼吸が止まった。
「『ヒェメル』……?」
王家御用達の暗殺集団の最後の足取りがアリアの暗殺の為に竜谷に向かったとなっている。
ただ、誰一人帰還していないと。
あまりの怒りでグシャリとその報告書を握りつぶした。
目の前が真っ赤に染まり、何も言葉がでてこない。
殺そうとしたのだ。
アリアを。
誰が?
いや、そんなの答えは分かっている。
「お前から帰還の連絡をもらった後、これを発見した。ただ、アリアーナも一緒に帰って来ると言うから安心してはいたが。……『ヒェメル』は父上が指示したと思うか?」
「公爵にうまく言いくるめられたんでしょう。真実を知っている彼女を消したかったのか、魔物の大量発生後にローゼリア嬢が白魔術師団に引きこもり、最高の手札を無くしたことに不安を覚えたのか……何にしても公爵の悪手でしょうね。完全に判断を見誤っている。アリアが……復讐などするわけがないのに」
自分の娘を殺すつもりだったのかと、憎悪が込み上げる。
自分が散々彼女を貶め、今まで自分が他人にしてきた物差しで自分が『処理』されるとでも思ったのだろう。
彼女はそんな薄汚れた人間には決してならないというのに。
「この件に関しては、俺が捜査します」
「それで、どうするんだ。彼女に事実を話すのか?」
「いいえ」
「私は話すべきだと思うがな」
「……そうして、彼女に縋れと? デュオスの体で?」
思わず皮肉的に言ってしまった言葉にすぐに後悔する。
「……すみません。八つ当たりです」
「気にするな。お前がどれほどアリアーナを大事に思っていたか、分かっているさ」
兄の言葉に、感謝しながらも、窓から覗く白魔術師団の本部の一部に視線をやった。
「ただ、アリアを消そうとしたことと、嵌められた落とし前はつけます。その理由がなんであれ、今後アリアが生きている以上彼女に害を為さないとも限らない。それが彼女のそばにいられないとしても……です」
公爵の指示だったのか。
ローゼリア嬢の判断だったのか。
二人の共謀だったのか。
その『目的』がなんだったのか。
なんであれ、アリアを消そうとしたことだけは決して許すことは出来ない。
暗殺集団、『ヒェメル』は竜谷から戻ってこなかった。
アリアに辿り着く前に魔物に喰われたのか、アリアに返り討ちにあったのかは本人に聞かなければわからないが、もしも彼女の前に現れたのならば、『王家』が彼女を消しに来たと思ったに違いないだろう。
もしくは『俺』がその指示を出したと……。
けれど、彼女はそのことを言わなかった。
知らないのか、言わなかったのか……。
『デュオス』は何も知らないと思って言わなかったのか……。
考えれば考えるほどに絡まっていく疑問を正しく解いていく方法が分からない。
「アリアーナは……『竜』に返すのか?」
「……」
返したくない。
けれど、『俺』が触れることも出来ない。
何より、彼女には既に家族がいる。今更真実を知ったところで、……『愛する人』を捨てることなどしないだろう。
その時もう一度俺は彼女を失うことになる。
「シリウス……」
「最後に、彼女との思い出を記憶に焼き付けることぐらいさせてもらいますよ」
明言を避ければ、兄は心配そうな表情を浮かべるも、何も言わない。
このまま、アリアを城の奥に閉じ込めたって、それは俺ではない。
アマルとエルピスが王都を満喫したら帰っていく。
それまで、それまで……。
先の見えない暗闇の中に戻る前に、たとえデュオスに向けられた笑顔だったとしても、その記憶だけ残しておきたい。
七年。
たった七年。
あの時、彼女を追っていれば何か違っただろうか。
国を捨てて、魔物の襲撃を放置して。
たらればなんて、何の意味もないことは分かっていても考えずにはいられない。
心配そうな視線を向ける兄に、この話は終わりにしようと肩をすくめる。
「ところで、レリアは……」
「あぁ、あの子は『竜』の話が好きだからな。期待と緊張で朝からずっとソワソワしているよ。……アリアーナの子たちはどんな子だい?」
「素直で、可愛らしい子たちですよ。何より竜の子だからか、アリアの子だからか、馬鹿みたいに強いですけどね」
「……複雑だな」
「……」
双子は可愛い。
アリアと同じ金の目で、こちらを見上げる瞳を可愛いと思わない訳がない。
けれど。
もしも、あの子達が――……。
胸の奥底で渦巻く冷たく重い複雑な感情は、言葉に表すことなど出来なかった。
ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。
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