17−2、再会
次回更新は明日の予定です。
ガチャリ。
とドアが開くその音に、心臓が早鐘を打ち始め、微かに足が震えた。
扉の向こうに、小さな女の子を抱き上げた男性を視界に捉えれば、思わず目を見開く。
『彼ら』が部屋に入ってくると同時に、メイドたちは部屋を出て、静かにドアを閉めた。
「お久しぶりですね。アリアーナ」
「レ……オナルド……殿下……」
ダークブラウンの髪に榛色の瞳を持つ彼は、柔らかな笑みを湛えてこちらを見つめている。
年は三十前だろうか。
シリウスではなかったことに安堵しつつも、それでも懐かしい顔に驚きは隠せなかった。
端正な顔立ちはそのままだが、少し貫禄というか、醸し出す雰囲気が、年月を感じさせる。
その彼に抱き抱えられた少女は兄妹というよりも親子と言った方がしっくりきた。
「ご無沙汰しており……ます」
最後にレオナルド殿下に会ったのはいつだろうか。
竜谷に向かう前には、すでに王太子殿下の竜魔症の症状が重くなり、シリウスと違って一度も会うことは無かった。
前世の記憶でも、鱗を持ち帰っても彼が回復に向かっているという情報だけで……。
今は、病の影すら見当たらない。
その元気な姿に、ツンと鼻の奥が痛み、少し視界が滲んだ。
仲の良かった三兄弟の王子達。
王太子として多忙であったレオナルド殿下とはあまり会うことは無かったけれど、それでも、記憶の中の彼は親切で柔らかい物腰の人だった。
デュオス殿下が大きくなられたなら、きっとこんな感じになるのだろうと思ったのを覚えている。
「君にお礼を言うのが遅くなって、申し訳なかったね」
「え?」
慌てて瞬きで滲んだ視界をクリアにすれば、レオナルド殿下が抱き上げていた少女を下ろして私の前で膝を折った。
深々と下げられた頭に息を呑む。
「君と、第一魔術師団のおかげで僕は命を繋ぎ止められた。感謝してもしきれないよ」
「で、殿下! 立ってください! そんな、当然のことをしただけで……」
「僕の命を救ってもらったと言うのに、……君の汚名をそそぐことなく今までいたことも、重ねてお詫びを言わせてくれ。今後は僕の名前で、改めて王都魔物襲撃事件に関して再調査を行い、真実を明らかにすると約束させて欲しい」
ゆっくりと言った彼の言葉に目を見開く。
「……魔物襲撃に関して、私ではないと信じてくださるのですか?」
「君や、第一を疑ったことなど、一度もないよ。君を知っている人間なら誰だってそうだろう。……僕の回復が遅いばかりに……色んなことが……。本当に済まない、僕の力不足だ」
なんの証拠もない。
それでも、疑ったことなどないと言い切る殿下の優しい瞳は私の心を震わせる。
「レオナルド……殿下」
「あぁ、そうだ。君に紹介しなくては、僕の妹のレリアだ。ご挨拶しなさい、レリア」
「はい。お兄様」
声をかけられた少女は少し不安げにこちらを見あげた。
ふわふわの金の髪に大きなサファイアの瞳。
マシュマロのような柔らかそうなほっぺたは、少し熱があるからか、赤みが差している。
私の横に立っていたエルピスが、不意にぎゅっと私の手を握った。
小さな王女は、淡いパステルグリーンのドレスの裾をつまんで完璧なカーテシーをする。
「初めまして。アリアーナ様。エルピス様。アマル様。リントヴルム国が第一王女、レリア=リントヴルムと申します。この度は、私のために竜谷から足を運んでいただき、深く御礼申し上げます」
「ご丁寧にありがとうございます。初めまして、私はアリアーナと申します。こちらはアマルに、エルピスと申し……エルピス?」
紹介をしようとしたところで、エルピスが一歩前に出た。
じっと彼女を見つめて「ふわふわだ……」と小さく呟く。
レリア王女はレリア王女で、エルピスに目を奪われたように見つめていた。
サラサラの銀髪とふわふわの金髪の二人の美少女。
「本の中のお姫様みたい……」
「天使様みたい……」
可愛いのか、綺麗なのか、もはや至高の絵画になりそうな二人がじっと見つめ合う。
「え……エルピス?」
ぼーっと彼女を見ていたエルピスにそっと声をかけると、ハッとしたエルピスがこちらに視線を向けた。
「えっと……ママ。この子の魔力を解放したらいいの?」
「え? ええ。分かる?」
暗に魔力の源がどこか分かるかと聞けば、エルピスは頷いて、レリア王女の小さな左手をそっと持ち上げる。
「あ……あの?」
「ここ、源だよ」
そっとレリア王女の人差し指の第二関節あたりに触れて、エルピスは彼女の顔を覗き込む。
「ここ、分かる?」
おそらくレリア王女にしか分からないが、オルトゥスが私に魔力の源を教えた時のように源の位置を示したのだろう。
「……はい。あったかい……」
「そこに、ゆっくり魔力流せる?」
「や、やってみます」
レリア王女は目を閉じて、深く息を吸ったその数秒後、ハッと目を見開いた。
「消えた。体のモヤモヤしたのが……」
驚いたようにレオナルド殿下の顔を見上げれば、彼も驚いたように妹とエルピスの顔を見た。
「うん。大丈夫。ちゃんと魔力解放できてるよ」
レリア王女の指に再度触れた後、エルピスは満面の笑みを彼女に向ける。
「体はどう?」
「大丈夫……です。すごく軽い感じで、気分も悪くないです」
「まぁ、元々そんなに酷くは無さそうだったしね。良かった」
「エルピス様、ありがとうございます」
小さく、朝露に濡れた花のようにお礼を言ったレリア王女にエルピスはどういたしましてと照れくさそうに応えた。
「すごいな。……デュオスから聞いてはいたが、本当に……竜だったのか……まさかお目にかかれる日が来るとは思っていなかったよ」
感嘆と戸惑いのため息と共に言ったレオナルド殿下は、エルピスの前に膝を突いて彼女の視線と自分の視線の高さを揃え頭を下げた。
その後ろにデュオス殿下とレリア王女も並んで王太子殿下に倣う。
「小さき竜の姫。妹に『祝福』を頂き、心より……感謝申し上げます」
「祝福? よく分かんないけど、どういたしまして。ええと…それで、ええっと……」
言いにくそうにデュオス殿下に視線をやったエルピスに、殿下はクスリと笑った。
「ドアの前にいるよ。レリア、あの子を連れてきてくれるかい?」
「はい、デュオスお兄様」
レリア王女は一旦扉の向こう側に行ってすぐにドアから顔を出す。
「わぁ……」
小さく感嘆の声を漏らしたエルピスは、目をキラキラと輝かせてレリア王女の隣にいる大きな犬に目を見開いた。
立ち上がれば私ぐらいはあるかもしれない大きさで、垂れた耳に少し毛足の長い黒い毛がふわふわと揺れている。
じっと真っ直ぐにこちらを見据える琥珀のような瞳が理知的な色を帯びていて、ピッタリとレリア王女に寄り添うように歩いていた。
「この子の名前は、シェリです」
「さ、触ってもいい……?」
「もちろんです」
一歩、エルピスが踏み出してシェリに近づけば、パタリパタリとゆっくりシェリのしっぽが揺れる。
シェリに向かってゆっくりと手を伸ばしたエルピスは、触れる直前にさっと手を引っ込めて私の顔を見上げた。
不安そうに揺れる金の瞳に、顔も強張っている。
安心させるように微笑めば、またエルピスはシェリに視線を戻した。
「エルピス様、噛まないので……大丈夫ですよ?」
「あ、うん。そうじゃないんだけど……」
そう言いながらゆっくりと手を伸ばして触れる直前に手が止まった……その瞬間。
すっとシェリが一歩足を踏み出して、エルピスの手に顔を擦り寄せてきた。
「わっ……。さ、触っちゃった……」
小さく驚いたエルピスが小さく驚きの声を上げて固まっている。
シェリはお構いなしにそのまま体をすりすりとエルピスに寄せてきた。
「ふ……ふわ……もふもふ……」
「シェリはエルピスが好きなんだな」
「え、え? 本当? デュオスからかってない?」
頬をピンクに染めてエルピスが尋ねれば、「揶揄うわけないだろう?」と微笑んだ。
「この子はデュオスお兄様が私のために連れてきてくれた子なんです。ずっと私を守ってくれるよって……。ね、デュオスお兄様」
シェリの首元を優しく撫でながら言ったレリア王女は、デュオス殿下を見て微笑む。
「え? あ……あぁ」
そう返事した殿下が一瞬少し困惑したように見えたのは見間違いだろうか。
「そうだ、レリア。エルピス達がここにいる間、シェリの世話の仕方を教えてあげてくれないか? エルピスの住んでいる竜谷には犬がいないから、ずっと会ってみたくて、いつか家族に迎えたいと思っているみたいなんだ」
「え? も、もちろんです。エルピス様は私でよろしいのですか……?」
「うん、いっぱい教えて欲しい!」
困惑しながらも、少し興奮したように言ったレリア王女にエルピスは嬉しそうに笑った。
「エルピス、後でシェリの食事を作っている者やトレーナー、獣医も紹介するよ」
「うん、ありがとう! デュオス!」
「エルピス様。よ、良ければあちらのお部屋で一緒にシェリと遊びませんか?」
「うん! 遊ぶ遊ぶ! アマルも行こう!」
「え? ぼ、僕も……?」
そう言って三人は横の続き部屋に入っていき、すぐに楽しそうな声が聞こえてきた。
レオナルド殿下は入り口にいたメイドに何か指示を出して、またこちらに戻ってくる。
レリア王女の魔力の解放が完了した報告だろうか。
「さて、アリアーナ。君はいつまでここにいられるかな? 僕の戴冠式まではいられるだろうか?」
「え? レオナルド殿下の戴冠式……ですか? 王太子は……シリウスではないのです……か?」
「「え?」」
声を揃えて驚いたデュオス殿下とレオナルド殿下にハッとして慌てて頭を下げた。
「し、失礼いたしました。この度はおめでとうございます」
レオナルド殿下は王太子のままだったということか。
結局父が言ったように、シリウスは王太子にならず、第二王子として過ごしているということだろう。
「ええと、国王陛下はご隠居なさるという……ことですか? まさか、ご病気とか……」
「はは、陛下はピンピンしてるよ。ただ……彼には王の座を降りてもらう。今回のレリアの竜魔症の治療に関して、解決すれば降りてもらう話になってたんだ」
「レリア王女……殿下の……竜魔症を取引に使われたということ……ですか?」
「……確かに結果的にはそうだったかもしれない。けれど、もうすでに貴族、特に地方の領主の我慢の限界が来ていたんだ。君は……この七年のリントヴルム国の現状を知ってるかい?」
「第一がいなくなって……人手が足りないと……。後は、姉が引きこもっているというようなお話だけ……」
「それだけかい?」
「はい……」
そう答えれば、レオナルド殿下は小さくため息をついて、横にいたデュオス殿下を呆れたように見た。
「『何も』話していないんだな」
「……」
「あ、レオナルド殿下、違うんです。私が……『関係ない』と突っぱねたので……」
そう答えれば、レオナルド殿下は小さくため息をついた。
「そうか……君とは色々と話をしないといけないな。どうも噛み合っていないことが多そうだ」
「……」
レオナルド殿下は知らない。
私が王都を出る時にはまだ完全に回復していなかったのだから。
どうして出ていったのか、その理由を話すのは正直辛い。
曖昧に微笑めば、レオナルド殿下は困ったように笑った。
「まぁ、無理強いはしないよ。……何にしても、君の元気な顔が見られて良かった。あまりに変わりがなさ過ぎて驚いたけどね。ところで――」
その時、ドアの外から男性の大きな声が響き渡り、三人ともハッとしてそちらに視線を向けた。
「どけ! 私を誰だと思っている! レオナルド! そこにいるんだろう⁉︎ ドアを開けろ!」
明らかに苛立ったその声に、緊張が走る。
『レオナルド』と、そう呼び捨てる人はこの国には一人しかいない。
「国王……陛下……」
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