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14−6、彼の弟

「殿下、大丈夫ですか?」

「大丈夫……です」


 大きく深呼吸した後、殿下にソファを勧めれば彼はどさりと腰を下ろし、俯きながらも文字通り両手で頭を抱えていた。

 今にも倒れるのではないかと心配せずにはいられないほどに顔に血の気がない。


 慌てて彼に飲み物を持ってくれば、小さく『ありがとう』と声が聞こえた。


「竜が人型になるだなんて……驚きますよね」

「……そうですね。竜が人間の姿をするというのは聞いたことはあったのですが、本当だとは……思わなくて」

「殿下はご存じだったのですか?」

「……えぇ。王家の管理する書物の中にそのような文献を見たことが……。もう何百年も前の記述でその一文しかなく、信ぴょう性に欠けると……」


 ぼんやりと話す殿下は、心ここに在らずといった感じで、何か別のことに気を取られているようにも感じた。

 


「何にせよ、鱗はやらんからな」

「オルトゥス!」


 冷ややかに言ったオルトゥスに思わず叫ぶと、彼はこちらに視線だけ寄越す。


「誰がわざわざ痛い思いをしてそんなことをしてやると思う? 貴様は爪が欲しいと言われたらやるのか? 生えてくるから別にいいよとでも? 我は何の得にもならんのにそんなことをしてやる義理もないし、そもそも竜なので『人情』など持ち合わせておらん。貴様の妹など我には関係無い。アリアーナも適当に其奴を追い返せ」


「……っ!」

 

 言いたいことを言ったからなのか、オルトゥスはまたベランダに戻って、『旨っ!』と声を上げながらお酒を楽しんでいた。


 どうやったらオルトゥスを説得出来るだろうか。

 オルトゥスの言う通り、見知らぬ人間に『爪をくれ』と言われても簡単にあげる人なんていない。


 むしろ、第一王子たちを助けるために鱗をもらったことすら奇跡だと思ってもいい。


 けれど、今は症状は軽いとはいえ、重症になるかもしれない竜魔症に苦しむ幼い女の子を想像しただけで胸が苦しくなる。


 オルトゥスに王都まで足を運んでもらう?


 いや、簡単には頷かないだろう。

 

 王女殿下をここに連れてくる?


 けれど、安全にここまで連れてこられる確証なんてないのに、そんなことを国王陛下が許すとは到底思えない。

 デュオス殿下でも、今の私でも、幼い少女を守りながら白線内を進むのは困難を極めるはずだ。


 安全に進むならばどうやっても鱗が必要だし、以前のように奥様の鱗を貸してくれるとは到底思えない。


「ねぇ……」


 しん……と静まり帰った部屋にエルピスの震える声が小さく響いた。


「デュオスでんかって王子様なの?」

「「「え……?」」」

 

 殿下と私、そしてアマルが突然変わった話題に、きょとんとして彼女を見つめた。

 


「だから! デュオスでんかは王子様なの? さっき第三王子って言ってたよね⁉︎」

「ええ⁉︎」


 思わず声が大きくなり、言っていることが良く分からなかったものの、まさか……とエルピスを見つめた。


「エルピス、……ひょっとして『殿下』って名前だと思ってた?」

「え? 違うの⁉︎ デュオス=デンカって名前じゃないの⁉︎」

「違うのよ、『殿下』っていうのは、王族……ええとつまり、王様の家族に対する敬称なの」


 そう説明すれば、彼女は眉間に皺を寄せて、みるからに頭の中に『ハテナマーク』が浮かんでいる。

 

「でも絵本に『殿下』なんて出てこないよ? 王子様は『〇〇王子』だし、お姫様は『〇〇姫』って呼ばれてるもん!」


 鼻息荒く言ったエルピスの言葉に「確かに……」と思わず納得してしまった。


 幼い子向けのエルピスの絵本には『殿下』とか、『陛下』とか小難しい言い回しは出てこない。

 

 さらに、そこで初めて双子には私の『元』恋人の名前も、関係性も、詳しく説明していないことに気づいた。


 そもそも、この子達には『シリウス』という名前すらはっきり言っていない気がする。

 今、『この状況』を子どもたちはどこまで理解しているだろうか。

 

 私に対する双子の認識は恐らく『恋人に捨てられた人』ぐらいのもので、私もそのことにあまり触れたくなかったし、必要も感じていなかった。


 私の家のこととか、王家との関係とか色々、後でもう少し説明しておいてもいいかもしれない。

 いや、今か……?

 

「まぁいいわ。それで、貴方は王子様なのよね?」


 私が一人悶々としている間にエルピスはデュオス殿下に再度尋ねた。


「そうだよ」

「それで……病気の子は……お姫様……」

「……そうだね」


 何だろうと首を傾げるデュオス殿下にエルピスがソファから立ち上がって、まっすぐ彼の目を見る。

 先ほどまでの殿下を警戒した様子はないが、緊張しているように見えた。

 そうして、彼女は胸元でぎゅっとテディベアを抱きしめて、意を決したように口を開いた。


「もふもふ……飼ってる?」

「もふもふ……?」

「そう、王女様はもふもふ……飼ってる?」


 エルピスの言葉に殿下は完全に困惑しているが、私とアマルはもちろん彼女が何を言いたいのか分かっている。

 

 アマルがそっと殿下にエルピスの愛読書『お姫様と犬』を差し出せば、一瞬殿下は固まった後、その本をぱらりとめくった。


 そこにはお姫様と犬のハートフルストーリーが素敵な挿絵で描かれていて、殿下は読み終えた後、小さく頷く。


「ええと……。ここに描かれている犬とはちょっと違うけど、犬はいるよ」


 そう殿下が答えれば、エルピスはパッと顔を上げた。



「なら、私の鱗をあげる!」


「ぶっ!」

「エルピス⁉︎」

「え?」

 

 ベランダで勢いよくお酒を吹き出したであろうオルトゥスが、咽せながら慌ててリビングに戻ってくる。


 私も殿下も驚いたようにエルピスを見つめ、アマルは心配そう彼女を見上げていた。


「その代わり……!」

「ならんぞ! エルピス! 特に幼少期に鱗を取るなど痛みも激しい! そんなことは絶対にさせん!」


 エルピスの言葉に被せるようにオルトゥスが反対すれば、キッとエルピスが父親を鋭く見つめた。

 

「でもパパ! お姫様に何かあったら、お姫様ももふもふも可哀想だよ! それに……!」

「我はお前がそんな痛い思いをすることの方が大問題だ!」


 絶対にダメだと言ったオルトゥスに、エルピスは目に涙を溜めて頬を膨らます。

 

「でも……!」

「その王女とお前は何の関係もなかろう?」

「でも……でも……! だったら、どうしたらいいのよ!」


 とうとう涙を流しながら顔を真っ赤にして言ったエルピスにオルトゥスは狼狽え、視線を泳がせた。


 今日、赤線を越えられなかったことも、いつも読んでいた絵本への憧れと、『それ』を守りたいという幼い少女の複雑な心境が制御不能になっているのが分かる。


 オルトゥスももちろんそれはよく分かっていて、ぶつぶつと言いながら何やら困惑し始めた。


「いや……。だが、……我が行っては……。甘やかすのも……。だが……」


 うーんうーん……とオルトゥスが一人悩む姿を全員が息を呑んで見つめている。

 

「……パパ?」


 恐る恐るエルピスが尋ねれば、オルトゥスは何か意を決したように大きくため息をつき、エルピスの目線までしゃがみ込み、ぽん……と、彼女の頭に大きな手を乗せた。



 

「――ならば、お前がその『お姫様』とやらの魔力の解放に行ってこい……」


 

 


 

 


ここまで読んでいただき、本当にありがとうございます。


面白い、続きが気になると思って頂けたら、励みになりますので、ブックマーク、下の★★★★★評価で応援していただけたら嬉しいです。

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