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14−2、彼の弟


 見上げた先の顔に思わず呼吸が止まる。


 その瞬間脳裏をよぎったのは、『彼』が『彼女』を抱きしめたあの瞬間だ。

 


「シリ……」


 ここにいるはずなどない。


 王太子となり、姉と手を取り合って、今頃は幸せな結婚生活を送っているはずの彼が。

 こんなところに一人で――。

 

 魔物の巣窟など、王宮の誰も許しはしない。


 

 どくどくと耳に響く鼓動に、呼吸も浅くなる。

 落ち着かせようと大きく息を吸った時、「彼」が動いた。


 

 ふわりと目の前に降りてきた青年に目を凝らす。


 そこにいたのは、ダークブラウンの髪に紺碧の瞳の青年だった。


 

 シリウスではない。


 シリウスは陽の光を編んだような金髪に、もう少し水色に近い青の瞳だ。


 けれど、シリウスと瓜二つのその整った顔立ちに、まさか……と、別の驚きの声が溢れた。

 

「……デュオス殿下?」

 

 そう声をかけると、彼は一瞬ハッとした後、何かを思案するようにじっとこちらを見つめた。

 

「……アリア……姉様」

 

『彼』によく似たその声は、間違いなくはっきりと私の名前を呼んだ。

 最後に会ったのは竜谷へ遠征に行く前。彼が当時十歳だった時。

 

 あの幸せな頃の思い出に思わず胸が締め付けられる。

 

 幼い彼が大きな兄二人の背中を追いかけるように、一生懸命剣術や魔術の訓練に励んでいた。


 特にシリウスのあとをいつも追いかけていた、小さな可愛い第三王子。

 殿下は私とシリウスが恋人同士だと知る前から私のことを『アリア姉様』と呼んでいた。

 

 彼は私を本当の姉のように慕ってくれて、公爵家でも、学校でもどこにいても常に一番年下だった私は弟ができたようで嬉しかったし、大切に思っていた。


 何より殿下の穏やかで無垢な笑顔は心安らぐ時間だった。



「ど……うして、デュオス殿下が竜谷に? しかもお一人で来られるなんて……」

 

 当時の可愛らしさを残した面影に、艶やかなブラウンヘアと瞳は記憶のままだ。


 けれどその顔立ちは初めて出会った頃のシリウスかと見間違うほどにそっくりだった。

 違いといえば、少しシリウスよりも背が低いくらいだろうか。



「……アリア姉様こそ、なんでこんなところにいるのか聞いても? 貴女が去った後、王国の……」

「ママ、知り合いなの?」


 デュオス殿下の言葉を遮って、私の裾をツンと引っ張ったエルピスが少し棘のある声で聞いた。

 双子に視線をやれば、アマルは金の目をどこか不安そうに揺らしてしてこちらを見上げている。

 

「『ママ』……?」


 殿下が私と双子を交互に見て、小さく息を呑んだ。


 目に見えて血の気が引いているように見える。


 双子は殿下を睨みつけるように、私のスカートを掴んだまま彼を見据えているが、殿下が私を連れて帰るとでも思っているのだろうか?


「殿下、この子達は……ええと……その」


 竜の子どもだとは言えない。

 

 オルトゥスはこの子達の出生に関してどうしたいのか分からないけれど、私が他人に勝手に言ってはいけない気がする。


 そもそも『竜の子なんです』と言ったところで、この可愛らしさから誰が信じることができるだろうか。


「……ヴァスとの子ですか?」

「は?」


 予想だにしない方向から飛んできた言葉と、今までの記憶にはないデュオス殿下の冷ややかで、昏く、低い声に目を見張った。

 紺碧のその瞳が、私を鋭く見つめている。


「レイルズ公爵が言っていました。遠征でヴァスと恋仲になり……王国を捨てて去ったと。けれど、……そんなのは嘘だと思っていました……。その子達は五つ、……六つ? それとも……」

「なっ……」


 殿下の瞳に暗さが宿り、絞り出す声は震えているように聞こえた。


「だから……全て捨てたのか……」


 聞こえるか聞こえないかの小さな声で言った殿下の言葉を信じられない思いで聞いた。


 恐らく私に聞かせるつもりではなく溢れた言葉。

 

 捨てたのは私ではない。

 貴方の兄だ。


 そう言いたいのに、言葉が出なかった。

 

 私の言葉でそれを告げたらただの恨み言で惨めなだけ。


『貴方の兄が私を捨てた』と『私は選ばれなかった』と……。

 

 既に姉とシリウスは一緒になっているだろうに、何故私にその疑問を突きつけるのか。

 シリウスが姉と婚約した理由を『私がヴァスと一緒に国を出ていった』とでも本当に思っているのだろうか。


 悪いのは私で、シリウスも、国も捨てたと? 


 捨てられたと思われるくらいなら、こちらが捨てたと思われた方が、少しでも自尊心が保てるだろうか。


 俯き、黙ったままでいると、殿下は真っ直ぐにこちらを見つめた。

 

「アリア姉様。あなたたち第一魔術師団が去った日、王国が大量の魔物に襲われて大変だったことをご存知ですか? そのせいで、今国がどんな状況か……」

「魔物に襲われた? ……シリウスは……。姉様は? 国は……?」


 信じられない内容に体が強張り、震える声を抑えることができないまま聞き返すと、デュオス殿下の瞳に戸惑いの色が浮かんだ。

 私の言葉の真意を探るように、紺碧の瞳が私を見定める。


「……知らなかったんですね……」

「殿下、それで……無事なんですか? ……みんなは……」

「死人は一人も出ていません」

 

 緊張した体の力が抜け、ほっと一息つくと、彼はふっと嗤った。


「俺……は最後まであなたを信じていた。必ず戻ってくると。危機が去っても……。あなたなら、必ず……」


 デュオス殿下の絞り出すような声に、体の奥が震え、無意識に拳を握りしめる。


 もしも、王国が魔物に襲われたと耳に入ったなら絶対に戻っただろう。

 シリウスの元へ、姉様の元へ。

 守るべき人たちのために、私は戻って戦っていただろう。

 

 けれど……。

  

 そんなことが起きていただなんて露ほども信じられなかった。


「なぜ、国を捨てたのです? 貴方には……守りたいものが……姉上を守るという強い願いがあったはずだ。本当にヴァスと一緒になるためだけに、全てを捨てたのですか?」  

「……」

「言い訳はしてくださらないのですか?」


 私が国を出た理由を彼は本当に知らないのだろうか。


 沈黙をすることで、今私はくだらないプライドを保っている。


 何故私がここにいて、『今』シリウスの側に誰がいるのか、その理由を私から言わせたいのか……。


「シリウス……殿下は何かおっしゃっていましたか?」

「兄上は……何も。僕は貴方の話が聞きたい」


 その迷いのない視線に喉が鳴った。 


 彼から、自分を守るように……抱きしめるようにして視線を逸らす。

 

 

「……殿下、色々あったのです」

「国を捨て、出て行ったあなた達が、……第一魔術師団が魔物を手引きしたのだと言われていてもですか? アリア姉様はそんなことをする人ではないでしょう⁉︎」

「もちろんです! そんなことは断じてしていません! 私の仲間を疑わないで下さい!」


 殿下の剣幕に強く言い返すも、彼は怯むことなく一歩詰め寄る。

 

 髪の色や瞳の色は違えど、思い出の中の彼と同じ顔でこれ以上そんなふうに言われたくはない。

 そこだけははっきりと否定をしなくては。


 私の父は追い出したのは私だけのはずだったのに、第一魔術師団の人間が全て消えて国防の力が落ちたことを全て私の責任にしたに違いない。


 みんなが出て行ったきっかけが何であれ、リントヴルム王国のために戦ってきた誇りまで汚させたりはしない。


 デュオス殿下だって第一のみんなと交流があり、第一のみんなに愛されていた一人だ。

 そんな人に彼らが裏切ったなどと思ってほしくない。

 

 

「だったら何故……!」

「もう……あそこにはいられなかったんです!」

「そんな説明じゃ分かりません!」


 一歩近づいた殿下から、一歩下がれば、傷ついた表情を浮かべた。

 

「父が関係ないとはいいませんが……どっちにしても……私はあそこにはいられなかったのです」


「……っ!」


 父に追い出されたことは間違いないが、結局は私がシリウスのそばを離れようと思っていたのは事実だ。


 第一魔術師団として、裏切ったと言われたらそうかも知れない。

 

 私が王都を離れた日、第一魔術師団のみんなが戻らなかったのは何故だろうか。


 どの方角から魔物が来たとしても、誰も気づかなかったということが腑に落ちないが、少なくとも私とヴァスは魔物の襲撃など全く気づかなかった。

 

 ダン達は知らなかったのか、危機が去って、出る幕無しと決めたのか。


 分からないけれど、それに関しては国を出た私が突き止めるべき問題ではない。

 

 だとしても、デュオス殿下の言葉や表情からはきっと大変な状況で、奇跡的に誰も死ななかったのは姉様達のおかげに違いなかった。

  

 結局私の出番など……必要性も価値もない。


「私も色々あったんですよ。デュオス殿下に説明する必要はありません」 

 

 何と説明していいのか分からずに視線を避けると、彼も押し黙ったままこちらをじっと見ていて、その時間が何とも苦しく、嫌な雰囲気が流れるが、私にはどうすることも出来なかった。


「国は……あなたたち第一魔術師団を探しています。あなたたちが去った直後に魔物が襲ってくるのはあまりにタイミングが良すぎる」

「何度も申し上げますが、それは私たちとは全く関係がないことです」


 むしろ、私は追い出された側だ。

 かといって他のメンバーもそんなことをするような人間ではない。

 絶対に。

 

「……」


 殿下はじっと私の表情を探るように見ていて、後ろめたいことなど何もないのに落ち着かない気持ちになった。

 

「殿下。その件に関してはこれ以上何も申し上げることはありません。……ところで、先ほどもお伺いしましたが、デュオス殿下が何故こちらに? 赤線を越えてはいけないと、教えられませんでしたか?」


 これ以上魔物の襲撃事件に関していうことはないと話を変えれば、殿下は小さくため息をついた。

 そんな仕草まで『兄』にそっくりだ。


「アリア姉様こそどうなんです? 子連れでこんな赤線の内側に入るなど。親のすることではないのでは?」

 

 

 殿下のいうことはもっともだが、それは『人間』であればの話。


 双子がいるおかげだろうが、凶暴な魔物は今周囲にいない。

 けれどそれを知るはずのない殿下が単身で赤線内に来るなんて、無謀にも程がある。



「それは……」


「ちょっと、貴方。私が自分の身も守れないと思ってるの?」

「は?」


 足元から、エルピスが不機嫌極まりない顔で殿下を睨みつけて言った。

 

「エルピ……!」

「ねぇ、さっきから何なの? ママが困ってるじゃない。……いい加減にしてよね」

「エルピス! ダメよ!」

 

 彼を睨みつけながら、彼女が右手に魔力を込めたのを、止めようと叫ぶも、一瞬遅かった。


「……っ⁉︎」


 エルピスが魔力の籠った魔法弾をぶつけようとした瞬間殿下が結界を張り、私もエルピスの魔力を吸収する魔法を展開して彼女の右手を掴む。


 バチン!

 という音と共にエルピスの魔法を私の魔法が相殺し、もくもくと白煙が上がる。


「これは……」

「大丈夫ですか? デュ……!?」


 殿下も驚いているが、私も殿下の張った結界に驚いた。


 今、殿下が張っている精度の結界であれば、私が相殺しなくても、エルピスの攻撃が彼に当たることはなかっただろう。


 デュオス殿下は魔術よりも剣の方に優れていると思っていたけれど、この七年間で相当の修練を積んだに違いない。


 そもそも王族は潜在的な魔力量が他と比べても多いので、使いこなせれば第一魔術師団にいてもおかしくない。


 そういえば、第一王子も相当な魔術の使い手ではあったけれど、王太子としての仕事が多く、目立っていたのはシリウスだったように思う。


 私は見たことがないが、シリウスが『兄上の魔術はすごいんだ』とよく話していた。


 

「……なるほど? さすが貴方の子どもということだろうか?」

「ええと……」


 私と血のつながりのある子ではないと言おうかと思ったけれど、不要なことだと口を噤んだ。


 今後おそらく会うこともない人に私の子でないということも、誰の子なのかと説明する必要も無い。

 

「赤線の向こう側は魔物が跋扈すると思っていたけど、意外にもなんの魔物にも遭わなかった。ここの生態系も変わったんでしょうか。そうでなければいくら強いといえど、こんなところに子連れなど、正気の沙汰ではない。こちらには頻繁に来られるのですか?」


 赤線内で竜に近づく魔物はいないし、双子がいるから周辺にいた魔物が離れていったのだろう。

 と、殿下に話すわけにもいかない。

 


「この子達は幼い頃から魔法の訓練をしていますから……第一にも引けをとりませんよ。ただ、家族以外の人と会ったことがほとんどないので、感情的に殿下に攻撃をしてしまい……申し訳ありませんでした。私の教育不足です」

「なんでママが謝るのよ。あっちがママをいじめてたのに」

「エルピス!」


 意味わかんないと頬を膨らますエルピスに、殿下は何も言わない。


「お兄さん、本当に何しに来たの?」


 さっきまで黙っていたアマルが殿下に冷ややかな視線を向けて言った。

 いつも穏やかなアマルのあんな表情は見たことがない。


「……何だと思う?」

「おかぁさんを、連れ戻しにきたの?」


 ザワリと双子を纏う空気が一変し、その場に緊張が走る。


「……そうだよ。シリウス兄様が姉様を必要としているからね」


「「なっ……!」」

 

 その言葉に思わず体が強張った。

 双子が何か殿下に言おうとしたのを止めて私の後ろに下がらせ、真っ直ぐに殿下を見据える。


「何のために私が必要だと……? 第一魔術師団などいなくても、魔物の襲撃から国は守れたのでしょう? 最高の白魔術師の姉様や、竜魔症を乗り越えられた殿下方には私たち第一魔術師団などいなくても問題ないではありませんか」


「アリ……」


「それに私も既に新しい家族と新しい人生を歩んでいるんです」


 竜が対価を求めるまでの偽の家族かもしれないけれど、この数ヶ月で双子と築いてきた関係は私にとっては本物だ。


 あの日、私を必死に守ろうとしてくれた二人に、私は母親として何ができるかずっと探している。

 この子達がくれた思いに、私には返せないほどの想いがある。

 

「それでも俺は帰れません。もちろんアリア姉様を連れ戻したいというのはありますが、それだけではないので」

「それだけではない?」


「――竜に会いに来たんです」




 



 

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