10、消えた第一魔術師団
「アリアが……国を去った?」
「ええ。シリウス殿下とは一緒になれないと。危険な竜谷に少人数で向かわせたのが気に食わなかったのか、嫌がらせのように魔術師団の人間をごっそり引き抜いて去っていきましたよ。それに、何と言いましたかな……そう、ヴァスという男と一緒になると」
毎日来る白魔術師団の一人でアリアの父、レイルズ公爵の言葉に耳を疑った。
今日、この部屋に来て開口一番の言葉に。
銀髪に、紫の瞳の彼はやれやれと言いながらため息をつく。
あまりの衝撃的な言葉に頭が回らず、なんと言っていいか分からなかった。
アリアへのヴァスの想いは昔から知っていた。
けれど、それをヴァスは表に出すことはぜず、『兄』というポジションに甘んじていたのも理解していた。
いつアリアがヴァスの想いに気づくかというのを恐れていた自分がいたのも事実。
だが、しかし……。
「何か、例えば……急を要する遠征の要請が出たのでは?」
「アリアーナが向かう予定の遠征はなかったはずです。この日の為に他の魔術師団に行かせる予定に変更いたしましたし」
「……何かの間違いでは?」
「いいえ、第一魔術師団の寮はもぬけの空ですよ」
あまりに信じがたい内容に、チラリと第二王子付きの護衛官のザインを見ると、困惑した表情で分からないと首を振った。
「それでですね。シリウス殿下、今日の誕生祭ですが……」
「中止だ。やっと歩けるようになったものの無理してまで人前に出られる状況ではない」
アリアとの婚約を発表するからこそ無理して治療に専念していたのだ。
無理して会いに行っても、アリアは『寝てろ』と怒るに決まっている。
会いたくても我慢していたというのに……。
「何をおっしゃいます。未発表とはいえ、王家とレイルズ公爵家の婚約の話は既にある程度噂になっています。アリアーナがいなくなった今、シリウス殿下とローゼリアの婚約を……」
「話にならない」
バッサリと言えば、公爵はわがままをいう子どもを見るような目でこちらを宥めようというのが透けて見えた。
その表情はアリアの事などなんら心配していないのが分かる。
まさか、と言葉を選ぶ余裕もなく、口を衝いて出た。
「公爵……貴方がアリアを追い出したのでは……?」
「何をおっしゃいます! いくらなんでも娘を追い出すなどそんな非道なことは致しませぬ!」
白々しい言い方に、やはり公爵が関係しているのではという思いが強くなる。
アリアが戻ってからも、自力でベッドから出られない俺を毎日公爵が訪ねてきては何かとアリアとの面会を遠ざけているのは薄々感じていたが、まさか追い出すなど考えもしなかったし、それにアリアや第一魔術師団のメンバーが従うとも思えなかった。
あのメンバーはアリアの為に揃えたと言っていい。
俺を第一に考えるのではなく、何よりもアリアを大切に思うメンバーを。
だからこそ安心していたし、彼女を安心させるためにも自分の回復に専念した。
自力で竜魔症を克服したのだから、大丈夫と言ったのに、『早期回復のため』と言われれば舌触りの悪い竜の鱗も服用した。
それに、約束した婚約の発表を延期になどと情けないことはしたくないし、俺自身も先延ばしにしたくない。
『第二王子の婚約者』という立場は、今後アリアの身を守る為にもどうしても用意しておきたいものだった。
今回の遠征だって、もしもアリアにその立場があれば簡単に遠征に行かされるようなことはなかったはずだ。
――何も疑わなかった。
アリアが、俺の元を去るだなんて。
――何があった?
いい知れない不安が腹の奥から込みあがり、吐き気すら催してくる。
アリアが去ったというならば、探しに行くことしか考えられなかった。
「ザイン、上着と剣を」
「しかし、シリウス様まず事実を確認をしてからでも……」
ザインに捜索に行くためのものを用意するよう伝えると、彼は困ったように硬直した。
それに合わせて公爵も抗議の声を上げる。
「シリウス殿下! このめでたい時に! あなたの誕生祭を行わないなどできませんぞ、国民も楽しみに……」
「何がめでたいと言うんだ。兄上はお目覚めですらないというのに。貴方は出て行ってくれ」
そう言って、公爵を部屋から追い出すと、小さな頭が入れ替わりに見えた。
「シリウス兄様……」
ドアからそっと覗き込むように、ダークブラウンの柔らかな髪に青い瞳の弟が、こちらを心配そうに見上げている。
「あぁ、心配しなくていい。デュオスはそろそろ剣術の時間だろう? 先生を待たせるものじゃないぞ。今日はお前がバルコニーに出ることはないから、何も心配しなくていい」
「はい……」
不安げにこちらを見上げつつも、出ていく弟を笑顔で見送る。
これだけ大声で話していたのだ、いつからあそこにいたのか分からないが、話を聞いていたと思って間違いないだろう。
デュオスもアリアに『姉様』と懐いていたから、不安がるのも当然だ。
一人になった部屋から窓の外に見える魔術師団の寮を見た。
アリアのブローチの魔力を感じ、アリアはそこにいる筈だと自分に言い聞かす。
「ザイン。急いで魔術師団の寮を確認してこい。アリアのブローチもだ」
「ハッ」
少なくとも今の俺が急ぐよりも、ザインに頼んだ方が早いだろうと、彼を見もせずにそう告げると、短い返事とともに去っていくのが聞こえた。
「嘘だと言ってくれ。……アリア」
呟いた言葉に、『あの日』の出来事が蘇る。
帰ってきたアリアを抱きしめたあの日。
婚約に頷いた彼女を。
腕の中に閉じ込めていたアリアを。
今日が来るという日を疑うことなく過ごした自分の何と愚かなことか。
けれど、まだ、寮に彼女の魔力を感じる。
それは本当に彼女の正しい居場所ではないのかも知れないと、頭の中で希望と、願いと不安がないまぜになる。
『そこ』にいてほしい。
今、彼女の魔力を感じるその場所に。
しばらくして、だんだんと近づいてくるブローチに、不安と恐怖。けれど、きっとアリアが戻ってきてくれているのだという希望を捨てきれずにいた。
「――シリウス様」
息を切らして戻ってきたザインの手の中にあったものに息を呑む。
カレンデュラのブローチ。
間違えようのないその存在に、心が凍りついた。
彼女の魔力を纏うブローチは、今ザインの手の中にあった。
「アリアーナ嬢の寮の部屋の机に置かれていました。他に荷物は無く、各部屋も確認しましたが、第一魔術師団もまさに……もぬけの空という状況でした」
気まずそうに話すザインの言葉に、重く、暗い何かに包まれたように体が動かなくなった。
「報告は……それだけか……?」
「はい」
「メモとか、……手紙とか、何か……」
「……何も……ありません」
誰か夢だと言ってくれ。
悪夢なら今すぐに覚めてくれ。
こんなこと、現実ではないと。
『冗談だよ』と、そのドアの入り口から笑って顔を出して……。
けれど、シン……と静まった部屋の中には誰も入ってこず、言い難い沈黙だけが流れた。
「なんで……」
喉の奥からこぼれた言葉に、居ても立っても居られず、ドアの外に足を進めた。
「シリウス様⁉︎ どちらへ⁉︎」
「アリアを連れ戻してくる」
何か、彼女がこの国を出ていく理由があったのではないか⁉︎
どう考えてもアリアは黙って国を出るような人間ではない。
例えば、遠征の帰りに魔物に襲われた村があって、助けに行ったとか。
例えば、貧困にあえぐ村に救援物資を届けに行ったとか。
例えば、公爵が……。
「シリウス様! 落ち着いてください!」
「これが落ち着いていられるわけないだろう⁉︎ アリアが俺にとっての唯一だぞ!」
引き止めたザインを睨みつけると、彼はゴクリと喉を鳴らした。
「どけ」
「心中はお察しいたします。ですが、もうすぐ陛下が来られ……」
「察するならどけ!」
強引に部屋の外に出ると、外には父とレイルズ公爵とローゼリア嬢がこちらに向かって歩いて来た。
公爵が父を呼びに行ったのだろう。
『第二王子』が駄々を捏ねていると。
「どうだ。調子は」
「なんとか歩けるようになりましたので、アリアを探しに行ってきます」
とても以前のような動きができるような状況ではないかもしれないが、アリアが本気で身を隠そうと思えば、本当に間に合わなくなるかもしれない。
幸い魔力は増幅しているから、それに頼れば何とかなるだろう。
誕生祭用に誂えられた上着をばさりと脱ぎ捨て、ザインが用意しなかった剣と上着を持って来るようドアの外にいたメイドに指示を出す。
「………元気ではないか。誕生祭に出席しろ」
「嫌です」
「お前……」
「誕生祭に出ても、婚約者の公示が行えません。体調不良が原因と伝えれば国民は納得するでしょう。実質全快ではありませんから」
そう言って、メイドが恐る恐る指示した剣と服を差し出したところで父がそれを叩き落とした。
「ならん!」
「父上!」
「いい加減にしないか。彼女は第一魔術師団を引っこ抜いて王都を去った裏切り者だ。お前の管理不行き届きと言いたいが、お前が竜魔症に罹っている時期のことで不問にする。それに彼らがすでに国境を越えた旨の報告は受けている」
「なぜ止めないんです!」
「なぜ止めねばならん? 国に忠誠を尽くす気もないのに。いいから早く礼服に着替えてバルコニーに来い。国民も待っておる」
父がはたき落とした剣と上着を拾えば、「シリウス!」と牽制するように名前を呼ばれる。
「国民に今日発表できることなど何もありませんよ」
「レオナルドが……王太子があの状況では、お前が次期王太子として立つことも視野に入れねばならん。どこぞに行っておる場合ではない」
ダークブランの髪に、優しい榛色の瞳を持つ兄は、未だにベッドから動けないでいた。
高熱は下がったものの、まだ深い眠りの中にいる。
俺よりも長く竜魔症を患っていた後遺症だと医療班は言うが、鱗治療による症例が少なく、本当のところは分からない。それに伴い、国民は王太子の長い眠りに不安を抱いているのは知っていた。
父の言葉に、目を見開き、真正面から向き直る。
「まさか、今日そんなことを発表すると? 兄上こそが次期国王に相応しい方だ。俺では兄上の足元にも及ばない」
「目覚めぬままのレオナルドを王太子に据えたままでは国民の不安も更に高まるというものだ。確かにレオナルドは王太子として文句は無いが、お前も十分に素質があるのは国民も理解しておる! むしろ、功績はお前の方が多いだろう」
「俺は少し目立った功績があるだけで、兄上の方がよほど国民の為になることを成し遂げられております!」
「しかし、王太子がこのままでは第二王子が立つのが当然であろう!」
「……っ!」
父の言葉は正しい。
そんなこと俺でも分かっている。
けれど兄のいぬ間に彼の居場所を奪うようで気分が悪い。
まるで裏切り行為だ。
あぁ、何という煩わしい立場か。
「父上、俺は……!」
その時、耳を劈くような警戒音が王宮に響き渡った。
王都を守る結界が破られた音だ。
あり得ない。
「何だ⁉︎ どこから……⁉︎」
窓の外を見れば、南の方角から数羽の鳥のようなものが飛んで来た。
一瞬三年前に竜が王都を襲ったことが脳裏をよぎった。
「陛下! 魔物の攻撃です! 南方から大群が! 魔鳥が五十羽はいます!」
衛兵が息を切らして駆けてきて、大きな声で報告する。
「何だと⁉︎」
「何でこんなタイミングで……。結界の再構築を行え! ザイン、第一魔術師団に召しゅ……」
ハッとしてザインを見れば、何とも形容し難い表情で困惑していた。
彼らはいない。
探しに行って戻るように指示する時間も無い。
「いや、第二魔術師団と第三魔術師団を召集して、討伐隊を至急編成させろ。それから、白魔術師団に結界を張るように指示を出して怪我人のサポートに回るよう連絡してくれ」
「かしこまりました」
父は、詳細を聞き、俺に指揮を任せると言って衛兵と戻って行った。
父が去った後、レイルズ公爵がさっと頭を下げる。
「シリウス様、賢明なご判断です。白魔術師団も魔術師団も私の管轄下でございますから、すぐにそのように致します。しかしあれですな、南の方角とはアリアが去った方角です。まさかアリアが追跡を恐れて魔物を放ったという可能性も……」
「それは無い。絶対にだ」
「しかし、殿……」
「公爵、俺は魔術師団を、あなたは白魔術師団で後方支援の指揮をお願いする」
彼の言葉を遮り、ザインに第二と第三の魔術師団を招集場所の指示を出し、市民への避難誘導の指示も出せば、公爵は不満そうに頭を下げた。
「……御意に」
公爵とザインが去っていったあと、何故かローゼリア嬢がそこに残っていた。
「ローゼリア嬢。あなたも急いで白魔術師団のところへ。魔鳥はまもなくここへ迫ってきます。ああも簡単に第一の結界が破られるなら時間の問題です」
「シリウス様…どうぞアリアを追ってください」
「え?」
こちらを見上げたローゼリア嬢は今にも泣き出しそうだ。
「魔鳥があんなにいては王国はどうなるかわかりません。第一魔術師団もおりませんし……どうか、せっかく取り留めたお命です。アリアを追ってくださいませ」
アリアを今すぐに追いたい。
それは紛れもない事実だ。
確かに第一魔術師団がいなければ魔鳥はこの王都を破壊し尽くしまうかもしれない。
けれど、今ここで立場を捨て、国民を見捨て、何より、彼女が守りたいと、アリアが自分の命よりも大事にしていた『姉様』を見捨てて王都を出ても彼女に顔向けなど出来ない。
「ローゼリア嬢、アリアはきっとこの知らせを聞けば王都に戻ってくると思います。常にあなたのことを何よりも心配してたのですから。ですから、どうぞご自身の身もお守りください」
「シリウス様……」
「それに、今俺の魔力は解放されています。確かに体調は万全ではなく簡単にとはいきませんが、討伐はできますから。そのあとですぐにアリアを追います。お気遣いありがとうございます」
魔物の襲撃を聞けばアリアは戻ってくる。
それは間違いない。
間違いないはずなんだ――。
彼女に小さく礼をし、メイドにローゼリア嬢を白魔術師団に案内するように伝えて俺は部屋を出ていった。
「追えるものなら……ね」
そう呟いたローゼリア嬢の声は、俺の耳に届くことはなかった。
――その後、魔鳥の討伐は思っていたよりもスムーズだった。
今までにない力が体の奥底から湧き上がり、単純に今までの攻撃魔術と比較してもの五倍の威力が出ていた。
けれど、一撃で仕留めなければと、急がなければと思えば思うほど自然と攻撃の出力が上がり、その度に体に熱が籠るのを感じていた。
――この感覚は覚えがある……。
そう思いながらも、全ての魔鳥を討伐すると、ザインが即時に報告に来る。
「シリウス様! 死者は一人も出ておりません! 魔鳥の攻撃もローゼリア様の結界を貫通せず、瀕死の状況にあった負傷者もローゼリア様の広範囲の治癒魔法で完治しております。これはもう……奇跡です!」
歓喜に声を張り上げたザインの言葉に安堵しつつも、急いでアリアを追わなければという思いが頭を過ぎる。
民衆の声がローゼリア嬢を称える声がぼんやり耳に届いてきた。
「そうか、悪いが後の……」
言いながら足を踏み出した瞬間、くらりと視界が歪む。
体が、熱い。
「シ、シリウス様‼︎ 空をご覧ください! 新手の魔物が……! シリウス様! シリウス様⁉︎」
ザインの上擦った声が聞こえるが、倒れ込むように体が膝から頽れた。
「……っく……」
「シリウス様⁉︎」
何とか今ある結界に重ねて数枚結界を張ろうと魔力を込めるも、更に体の熱が跳ね上がってゆく。
つい最近まで苦しんだ『あれ』にそっくりで……体がいうことを聞かない。
「アリア……」
そのまま視界が真っ黒に染まり、遠のく意識の中、ザインの俺を呼ぶ声が聞こえた気がした。




