8−2、約束
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竜谷の奥の奥。
以前は足を踏み入れなかった濃い魔力が立ち込める森の奥で、信じられないものを私は見た。
「え? ちょっと待って。家?」
赤い屋根に白い壁。
二階建ての可愛いこぢんまりした家は、まさに幸せな家族が住む理想の家といった感じで、庭には綺麗な花が咲き乱れ、奥の方には小さな犬小屋のようなものさえある。
犬小屋の中に何の姿も見えないが、何を飼っているのか逆に気になる……。
以前竜谷に来た時はこんなものは無かった。
いや、竜谷のこんな奥にまで足を運ばなかったから、知らなくて当たり前と言えば当たり前なのだけれど……。
「何だ? 穴倉にでも住んでると思っておったのか?」
「……」
そうです。
そう思っていたのだけど、あまりに普通の二階建ての家に言葉を失った。
どうやって建てたのか分からず、思わず『誰がここで建築を?』と首を捻るとそれを感じ取ったのか、竜は「魔法で運んだ」とだけ言い、それ以上の説明は不要だろうとスタスタと家の中に入って行った。
『竜の住まう家』とは? と言う好奇心が頭をもたげ、「入れ」と促されれば入るに決まっている。
「お邪魔……します」
恐る恐る足を踏み入れると、本当に普通の家がそこにあった。
「おぉ……」
建物の見た目通りの内装に、感嘆の声を上げる。
ウォールナットのダイニングテーブルに四脚の椅子。
キッチンにはフライパンとミルクパン。
そのあまりに竜のイメージとかけ離れた家具にキョロキョロと周囲を見渡した。
竜は双子たちを床に降ろし、「適当に座れ」とこちらに視線を寄越して言われれば、何となく近くにあったソファの左端に腰を下ろす。
すると、さっきまで父親に抱っこされていた双子がこちらに近寄ってきて、ちょこんと横に座った。
右側に座った柔らかな銀の髪を持つ少女はこちらに近づいて私の腕にぎゅっとしがみつき、私の左側に立った男の子は恥ずかしそうに、それでも私のシャツの裾を軽く摘んでいる。
――っ……かわっ。
思わず悶えそうになるのを我慢しつつ、男の子の座るところを、と少女に奥に詰めるようお願いして席を空ければ、彼は嬉しそうに微笑んで隣に座った。
竜が向かいの席に座り、宙に浮かせた人数分のカップと茶葉、お湯を魔法で準備しながらソファの前のテーブルに並べ、最後には焼き菓子までもが卓上に並べられる。
……おもてなしをする竜とは……??
そんなことに首を捻りながら、「ありがとうございます。いただきます」と言って、恐る恐るお茶を一口飲んだ。
これがまたとっても美味しい。
「そういえば、お前、以前つけていたあのマーキ……宝飾品はどうした?」
「ブッ……!」
突然の竜の質問に思わず口から紅茶が吹き出る。
「汚い小娘だな」
眉間に皺を寄せた竜にそう言われれば、思わず反抗心がもたげた。
振られた男からの贈り物など未練がましく持っていたりはしたくない。
しかし、そういえば竜はあのブローチに関心があったんだと思いながらも、正直に持っていないことを言わなければならなかった。
竜は、訝しげに私を見ながら紅茶を飲んでいる。
「その、……ブローチは……置いてきたので、今頃は誰かに捨てられているんじゃないでしょうか」
「ブッ……!」
「え⁉︎」
突然向かい側で紅茶を吹き出した竜に驚いて体が引き、飛沫を避けようとするも、ソファに背中を押しつけるだけになってしまった。
対して竜は、目を見開き、血の気の引いた顔で私を凝視している。
まるで、信じられないものを見るかのように、いや、それよりも寧ろ……怯えている?
「ここここ、小娘。お前……悪魔の子か?」
「は?」
「『アレ』をほっぽり投げて今頃は誰かが捨てているだと?」
いや、そんな言い方はしていないけれど、顔面蒼白。怯えるようにこちらを見る竜に、こちらは困惑するのみ。
震える手に持っている彼のカップからはばっしゃばっしゃと紅茶がこぼれ、飲むのはほとんど残っていないのではと思うほどだ。
「あの、……どういう意味ですか?」
「どうもこうも無かろう! あれをあれを……不用品と言わんばかりの! 何という恐ろしい娘か!」
「はぁ?」
意味がわからず困惑するも、彼は本当に悪魔か、はたまた魔王か、御伽噺に出てくる恐怖の対象が目の前に現れたかのように目を見開いていた。
いや、『人間』から見たら、怒れる竜が一番恐怖の対象なのだが……。
「『ウェイラ』ですらそのような非情なことはせんぞ!」
「ウェイラ?」
「私たちのママだよ」
知らない名前に小首を捻ると、隣にいた女の子が笑顔で説明してくれた。
「ママ?」
「そうよ。黒い翼がとっても綺麗で、キラキラの金色の目をしててね。優しくて、あったかくて、……大好きなママなの。病気で亡くなっちゃったんだけど……」
笑顔で説明していたはずなのに、だんだんと言葉が尻すぼみになり、俯いてしまった。
こんなに小さいのに、母親が既にいないというのは、どれだけ寂しいことだろうか。
「あぁ、そうだ。お前に貸していた鱗があろう? あれはウェイラの鱗だ」
「あっ……」
預かっていた黒い鱗のことを思い出し、すぐにさっと取り出した。
「あ、あの。これありがとうございました!」
「あぁ……」
竜に差し出せば、ひょいと横から男の子が覗き込み、パッと表情が明るくなる。
「あ、おかぁさんの鱗だ! おかぁさんの匂いがすると思ったら……鱗だったのか」
男の子が小さく呟きながらも、じっとこちらを見上げた。
「でも、おかぁさんのあったかい魔力も感じるんだけどな……」
そっと体を預けるように私にもたれる少年は、どこか安心し切ったように柔らかく微笑んでいる。
「『ウェイラ』の剣を使ったからな。魔力が混じっているんだろう。ただそれだけで、この娘はウェイラではないぞ?」
ウェイラの剣とはあの黒い短剣のことだろうか、そう聞こうと思ったが、彼の表情に息を呑み言葉が出なかった。
竜は返した鱗を愛おしそうに見つめ、優しくそれに触れている。
その美しい顔を緩め、深い青い瞳を柔らかく細めていたその表情だけで、彼がどれだけウェイラさんを想っていたのか簡単に見て取れた。
「……お借りした奥様の鱗のおかげで、無事に王都に戻ることが出来ました。奥様は魔物よけの特別なお力を持っていらしたのですか?」
素朴な疑問を投げ掛ければ、竜は一瞬きょとんとした表情をした後、ふっと笑う。
「違うな。そもそも魔物は竜に近寄らん。絶対的に敵わないとわかっているからな。ましてその竜の『番』など一番手を出してはいけない存在だと本能が知っている。その報復がどれだけ恐ろしいかわかっているからな。鱗という一部であっても魔物の本能がそれを避けるのよ」
「へぇ……」
王国でも竜の生態は実はよく知られておらず、祖先が竜だという話はあるものの、王国には白銀の竜の話しかない。
彼の話だと他にも竜がいそうだということしか分からなかった。
「まぁ、……その話はいい。して、娘。宝飾品の男だが……ん? 待て、まさか宝飾品をあんなぞんざいに扱うということは、間に合わなかったのか……?」
先ほどと同じように、だんだんと血の気の引いた顔になりながら言う竜への答えに一瞬詰まる。
「……いえ、間に合いました」
「……で?」
……で?
体を前のめりにし、青い目を見開き、その竜的に『非人道的な行い』の理由を説明せよと圧をかけてくる。
ただでさえ惨めなのに、なんでこんなことを言わなければならないのか。
けれど、彼には恩がある。
あの日、前回では守れなかった仲間の命を繋げたことは、感謝しかない。
「……られ……たので……」
蚊の鳴くような声で答えれば、「ん?」と聞こえなかったようで再度聞いてくる。
大変失礼とはわかっていても、その竜の表情にイラッとした。
「……だから。……だから! 振られたから! 後生大事に持っておきたくなくて置いてきたんですよ!」
何かに吹っ切れたようにそう大声を張れば、竜はさらに白い肌をさらに白くさせて体を硬直させる。
その、一拍遅れた後で、彼の大きな声が、この可愛らしい家中に響き渡った。
「お前は何をしに時間を戻したのだぁああああああ!!!!」




