8、約束
***
ヴァスと二人、王都から数日かけてひたすら南に向かえば、竜谷の森が見えてきた。
「何度見ても不気味だな。本当に一人で行くのか? 付いて行こうか?」
「大丈夫よ。『竜』と約束したのは私なんだから。とって食われやしないわよ。もし竜がそのつもりならとっくに死んでる」
「あぁ、まあそれはそうなんだが……」
ヴァスはいつまでも私を『妹』のように扱うが、こんなに過保護にされては、彼の妹も大変だろう。
きっと彼女は『妹離れ』を強く望んでいるに違いない。
そんなことを思いながらヴァスを見ていると急に彼は真剣な顔をした。
「なぁ、……俺と来るか?」
「え? どこに? ジダル国? だから私今から竜谷に行くんだってば」
「ちげーよ。そうだけどそうじゃなくて……。その『約束』とやらが終わったら。……ほら、その後行くとこないだろ? お前一人の面倒ぐらい余裕で見られるって言ってんだよ」
なんとも言いにくそうに歯切れの悪い言い方をしているが、きっと私のことを哀れに思っているに違いない。
「もう、いつまでも子ども扱いしないでよ。独り立ちするんだから。分かった? ヴァス『お・に・い・ちゃん』」
『おにぃちゃん』を強調して言えば、ヴァスは軽く呆れたように鼻で笑う。
アカデミーのクラスでも、魔術師団の中でも、自分が一番年下で、誰もが可愛がってくれたことに感謝しかない。
家族では感じられなかった暖かさは、すべて魔術師団学校でもらった気がする。
初めて姉以外の人を守りたいと思わせてくれて、何より私を大切に思ってくれていた仲間だ。
けれど、これ以上彼に甘えてはいけないことくらい分かる。
「約束したのよ……竜と。『何でもする』って」
「そうか……。でも、その約束を果たしたら……。いや、なんでも無い」
「果たしたら、みんなに会いにいくよ」
「あぁ、……待ってる」
少し寂しそうに言ったヴァスは、ふと空を見上げて小さく息を吐いた後、いつもと変わらぬ笑顔でコチラを見る。
いつの間にか森の入り口が目の前にあった。
ヴァスは不気味だと言ったけれど、さわりと魔力の混じった心地いい風が頬を撫で、体いっぱいに空気を吸い込む。
「じゃあ、俺はこっちだから」
言いながら、隣国へと続く道を指して言った後、右手を差し出された。
「うん。また会えたら」
差し出された彼の右手を笑顔でぎゅっと握りしめると、彼も握り返す。
「……またな」
「うん。……またね」
再度、不確かな約束を笑顔でして、私は森の中に足を進めて行った。
この先の竜谷にいる白銀の竜に会うために。
「……シリウスがダメなら、俺がお前を幸せにしたかったんだけどな……。まぁ……あいつの代わりなんて到底無理か……」
そう小さくこぼしたヴァスの言葉は、私の耳に届くことは無かった。
***
「白線内もこう何度も来れば、慣れたもんね」
ガサガサと道なき道を進んでいると、ふと、小さな子どもの泣き声がかすかに聞こえた。
まさか、幻聴だろうと思いつつも耳を澄ませばやはり子どもらしき声が聞こえる。
「おかぁさん……」
その、胸の張り裂けそうな震える声に、行くべきではないと本能が警鐘を鳴らしながらも、無意識に足が向かう。
ここは人が寄りつくような場所ではない。
ましてや幼子など……。
幻術系や精神系を扱う魔物だろうか?
けれどこの黒い鱗を持っていれば魔物は寄ってこないはずだ。
少し開けた木々の合間に、五歳ぐらいの男の子と女の子がしゃがみ込んでいた。
一面真っ白な花が咲き乱れ、白線内にこんな場所があったのかと驚く。
いや、それよりもなぜ人の寄りつかないところに人間の子供がいるのか。
慌てて駆け寄るとその音に驚いたように二人ともこちらを向いた。
「どうしたの? 大丈夫? 怪我は無い?」
銀髪の子どもたちに声をかけると、こちらを向いたままの二人は、金色の大きな目を見開いて固まっている。
二人とも、まるでおとぎ話に出てくる妖精か天使かと見間違わんばかりの可愛さで、そっくりな顔立ちをしていた。
髪型と服装で性別が判断できるぐらいで、体格差もあまりないし、おそらく双子だろうか。
本当に信じられないほど綺麗な顔立ちをしていた。
男の子は泣いていたようだが、私に驚いたのか涙が止まっているし、女の子は息が止まっているのでは無いかと思うほど微動だにしない。
けれど、二人ともじっとコチラをみた後、不意に大きな金の目が潤み始め、強張っていた顔の筋肉も見るからに緩んだ。
「……あの? 大丈……」
「ママー!」
「おかあさん!」
「えっ⁉︎」
泣きながら飛びついて来た子ども達を驚きつつも受け止めようとするが、結構な威力とパワーの二人で、抱えたまま後ろに倒れ込んでしまった。
「ママー!」
「お……おかぁさ。う……っうっ。ひっく……おかぁ」
「………………」
えーと……?
泣きじゃくりながら私を母と呼ぶ二人に、何と答えていいか分からず花の中に倒れ込んだまま硬直してしまった。
「ママ。私を置いて何処行ってたの」
「生きててよかった。おかぁさん、会いたかった」
……この二人の言葉から察するに、彼らの母親は魔物にでも襲われてしまったのだろうか。
それであれば、もう生きているのは望みが薄いかもしれない。
そもそもその母親はなぜ白線内に?
冒険者か何かで、子連れでこんなところまで?
いや、無い無い。
疑問と混乱だけが頭を支配しつつも、「あなた達の母親ではない」とどう伝えるべきかと考えると、泣きじゃくる子ども達に言葉が出なかった。
私は母に優しく抱きしめられた記憶などないけれど、自分が幼い頃、悲しい時に抱きしめて慰めてくれたのは姉だった。
そんなことを思い出しながら少し強い力で二人を抱きしめると、更に強い力でぎゅっと私にしがみつく。
「エルピス、アマル。何してる?」
不意に背後から聞こえた声に振り向くと、そこには目の前の子ども達と同じ銀髪の男性が立っていた。
肩下まで伸ばした髪が、息を呑むほどの美貌に色を添えている。
子供達と異なり、男性の目は深い青い瞳であったが、顔の造形から一目で子ども達の父親だろうことは見てとれた。
けれど、身なりは質の良いものなのは分かるが、軽装で、とても竜谷に足を踏み入れようとする人間の格好ではないし、武装品の類もまったく所持していないようで、信じられないものを見たかのように彼を見た。
「おとぅさん!」
「パパ。ママがいたのよ!」
彼は、子ども達に視線をやった後、私に視線を移す。
「ああ、お前か」
「は?」
「ああ、……これでは分からんか」
そう近づいて来る彼に誰? と首を傾げる。
途端、男性がふっと笑ったかと思うと突然目の前の視界が白銀色に染まった。
大きく大気は揺れ、舞い上がる風に思わず目を細める。
感じる気配は、つい一ヶ月前に対峙した『あれ』と同じもの。
大きく鼓動が跳ねた。
「……っ!」
「分かったであろう?」
先ほどの心地よい声とは違う、圧倒的な圧を感じるそれにごくりと喉を鳴らした。
リズムの速くなった心臓を落ち着かそうと、ゆっくりと肺にいっぱいの空気を取り込む。
「竜……」
丈十五メートルはあろうかという大きな龍の、その立ち姿から神々しいまでの威圧感に息を呑んだ。
「人の姿に……なれるの?」
「こちらの方が何かと便利だし、まぁ他にも理由はあるが」
そう言いながら、また人の姿に戻ると二人の子供をひょいと抱え上げ、優しく二人を見て微笑んだ。
「エルピス、アマル。彼女はお前達の母親では無いぞ」
「「え!?」」
驚いた二人の瞳が大きく見開かれ、また金の瞳に涙が溢れる。
「う、うそだよ! ママだよ! ママだもん!」
「うっ……。おかぁさん……」
号泣する子ども達の背中を竜が撫でながら、くるりと反転し、視線だけこちらに向けた。
「ついて来い」
従う以外に選択は無く、大声で泣きじゃくる子どもたちを抱えた彼に私は黙って後に続いた。




