光編第四話:日常に潜むモノ
「ほーんとここの駐車場って必要以上に広いよね」
両手を広げて俺の彼女はクルクル回る。今時の子供だってそんなことはしないだろう。だが、見る目がいかれていればたとえそんなことをしようとかわいく見えるものだ。
俺たち二人がやってきたのは水族館。光の言う通り、ここの駐車場がすべて埋まった場合は中でおちおち魚なんて見る暇はないだろう。まるで満員電車のように苦しみながら時間を過ごす羽目になるはずだ。
チケット売り場には死んだ目をしたバイト君がぼうっとこちらを見ていた。
「大人二枚」
「……いってらっしゃいませ」
まるで幽霊屋敷の入り口よろしく、おどろしげな感じで見送られる。
「さっきの女の子、ずっと受付の子の隣にいたけど、カップルなのかな?」
「……いたっけ?」
「もー、見てなかったの? あ、もしかして私に見とれてほかの女は見えなくなっちゃった?」
「それはないな」
「またまたー、私にはわかるんだよ?」
「はいはい」
すでに暗く、ライトアップされた場所もあって月並みだが、きれいだった。
てっきり、ボーリングやバッティングセンターかと思っていたので意外だった。こいつには活動的なイメージしかない。
「あー、あれ、綺麗」
まぁ、なんだ、よく考えてみると以前にも他の連中と一緒に水族館に行った事はあったな。
「光」
先行する彼女に声をかけ呼び戻す。
「何?」
「せっかくだし、腕を組んで歩こうぜ?」
「うん、いいよ」
そしてなぜか差し出される光の腕。
俺は自分の腕をからめてみた。
はたからみると、彼女の腕に抱き着いている彼氏の図だ。うん、なんというかしっくりこないな。
「啓輔の胸が当たってる」
「あててんのよ」
一応、お約束もやっておいた。周りの人たちからは呆れられたが、まぁ、これでいいんだ。
腕を組むのが俺から光へと変わり、光がやると改めてその胸の大きさに驚いた。
「どう?」
「……いいと思う」
正直、歩きづらいけど。
「そっか、もっと大きな娘の方がいいって言われたらどうしようかと思った。よかったぁ……」
「胸の大きさは気にしないぜ?」
「でも、大きいか小さい方かって言われたら大きい方がいいんでしょ?」
「うん」
人間、素直でなければならない。
「この嘘つきめ! 世が世なら舌を引っこ抜いて膝の上にブロックを載せてやったぞい!」
「怖すぎだろ。あと、ぞいってなんだ、ぞいって」
水族館を満喫した後、俺らは公園近くのベンチに座った。近くに人はおらず、自動販売機の光が存在感を強めている。
「今日は比較的おとなしかったな」
「そりゃあ、しつけられましたから。よくできたのなら褒めてください。そうすると、喜びますんで」
「よしよし」
なでなでしたら手をはたかれた。
「はぁ? 撫でたぐらいで喜ぶかっての。そういう幻想、捨てなよ」
「お前はちょっと隙を見せるとすぐにかみついてくる面倒な奴だな……んで、なんだったら喜ぶんだ」
「お金が絡んでないと駄目だねぇ」
「愛情は?」
「金が欲しい」
殊勝なのはもう終わりか。
「なぁ、光、お前の事を話してくれないか」
「え? どういう事?」
阿吽の呼吸ってわけにはまだいかないか。これがリルマや裕二なら、うまくいっていたかもしれない。ま、今は二人とも関係ないな。
言葉は使ってこそ意味がある。
俺の目の前にいるのは光だけだ。こいつと向き合って話すのなら、情報を仕入れておかないといけない。
「そうだな、光のお兄さんとの話でいい。バッティングセンターに一緒に行ってたんだっけ?」
「うん」
ふざけた様子は消えて、光は一人立ち上がった。
「兄貴ってあほでさ。子供ながらにそう思ったんだよ」
さっそくそういう言い草かよ。
「バッティングセンターに行ったら今日は駄目だわーって言いながらもほとんど打つし、今回は調子がいいっていう日は逆に駄目。料理を作ったりもしたけれど、あの人が作るものは炭料理だった。レトルトカレーを温めて、レンジを爆発させたのは伝説だよ」
誇らしげに語る兄貴の事に、短かったと言えど確かな絆を感じていたのだろう。そして、お兄さんも光の事を大切にしていたようだ。
「兄貴との思いでなんてこのぐらいかな。他は、何が聞きたい?」
「お前が話したいこと。なんでもいいさ」
「……なんでも? というか、なんでそんなことを聞いてくるの?」
理由を聞いてくるなんて珍しいな。何にも考えていなさそうで、考えているのかもしれない。
「知りたいからだ。もっとお前の事を知って、好きになりたい」
「それさ、前向きにとらえていい? いつもの、いらない優しさじゃないよね?」
俺がいつ、こいつにいらない優しさを向けたかは覚えていないが、興味を持っているのだけは確かだ。
「違うよ」
「ふざけてもオーケー?」
「時と場合による」
「今は?」
「好きにしろ」
俺の許可が下りたところで、締まりのない笑顔が浮かぶ。
「うぇっへっへ。なんだよぉ、そっけない態度ばっかり取ってたくせに、あっさりいちころかよぉ。お前の事を知って、好きになりたいって歯が浮くようなセリフだっつーの。ねぇ、けいちゃん、今どんな気持ち?」
俺の方をぺしぺしと叩いてくる光。うざすぎて仕方がない。
「……そういうお前、大嫌い。付き合いを考えるレベルで」
「え、ちょっと、冗談だよね?」
光の顔色は悪くなった。血の気が引くとはこういう事か。目の前の光を見て、言葉が納得できた。
「……冗談だよ」
八割、いいや、九割は考え直そうと思った。なんというか裕二からの言葉も霞むぐらいにさ。
「あせったー、目がマジだったから、やらかしたかと思った」
「ふざけるのにも限度があるだろ」
「いいのと、ダメな奴の境目がわからない」
「俺が気に食わなかったら駄目、許せる奴はセーフな」
「もっと常識的な答えが出るのかと思ったら、非常にわかり辛いっ。屈伸はオッケーで死体蹴りは駄目、みたいな?」
一緒に居れば、わかるようになるさ。お互いにな。
あと、屈伸とか死体蹴りとかよく分からないことを言うな。
「あのー、さ」
「うん、何だ? またふざける気か?」
「怖い顔しないでってば。今度は、真面目な話だから」
よし、じゃあ真面目に聞きますかね。
「で、何だよ」
「ちゅーは、どのタイミングで?」
「……そんなのやりたい時にやれ」
「相手の許可は?」
「いらないだろ、別に」
「え、本当に? いいの? It’s いかなるときも?」
「まぁ、常識的な範囲で」
「ふーん、そっか。じゃあ、一緒に暮らそう?」
そのぶっ飛んだお願いを俺は聞けそうにない。
「……駄目だ」
「え、どうして? 啓輔だって私の事を知りたいって言った」
「む、それを言われると弱いな」
「ちょっとだけ、ほんのちょっとだけでいいからさ」
それでいざ言う事を聞いてみるとずるずるいっちゃうんだろ。
「まずは春休み中だけでいいから」
いずれ行き着くのは、やっぱりずるずるの将来だろう。
しかし、このお願いを俺は断れない。相手の事を知ろうと言うのに一方的に要求しているばかりでは意味がない。
「……まぁ、誰にも迷惑はかけないか」
「うん、そうそう。誰にも迷惑はかけないよ」
次の日、俺は郵便受けに手紙が入っていることに気づいた。
消印の押されていない手紙という事で、怪しい臭いしかしない。
さっそく読んでみると、内容もそれなりに危ない匂いのするものだった。
「あなたがお友達から聞いたお話は忘れてください。終わった話です。これ以上、あなたが首を突っ込み、ややこしい事態を引き起こすことをわたしは好みません。もう二度と手を出さないと誓ってください。さもなければ、あなたのお友達に少々不都合なことが起こるでしょう」
どのようにして相手が俺の事を知ったかはわからない。
つい、すみれの件もあって俺は光の事を疑ってしまう。二人目の彼女も俺を罠に貶めるべく動いていたのならショックだ。もう、女難としか思えない。
「そうだ、テストしてみよう」
実は腹黒く、計算高い人間かもしれない。普段はあほな態度をとりつつ、裏ではほくそ笑んできた可能性がわいた。
さっそく、計算高い人間かどうか判定する装置を作っておいてみた。
「ん?」
起きてきた光がその装置に気づく。
ガラス瓶に果物を入れた。腕が入り、中には果物がある。それを取るにはどうしたらいいか。なお、手を突っ込んで取ろうとするとその大きさではガラスの瓶から手を出すことはできない。
答えは手を突っ込まずに瓶をさかさまにすることだ。
「美味しそうなリンゴ、いただきー……あ。腕が取れなくなった! 無理やり引っ張っても……取れないっ」
こいつに策略は無理だ。
「疑って悪かった」
「啓輔、これ取れないよ」
「それはな……まず、瓶から手を抜けよ」
「だから、抜けないってば」
「リンゴを離したら抜けるだろ」
「……え? あ、本当だ、すげぇ」
「光……お前……」
俺は憐みのこもった目で彼女を見た。酷い酷いと思っていたが、まさかここまでとは。
「……知ってたよ? ま、前、何かで見たことあるし……」
これ以上の追い打ちはやめておこう。
「でも、これってどうやって取るの?」
前、見たことがあるんじゃないのか。
「その瓶をさかさまにしてみるといい」
「……あ、出てきた。すげぇ、なにこれ」
「そういう事だ」
「あのさ、これにどんな意味が? 同居生活における何かしらのテスト?」
さて、どうしようか。
「実はな、こういう手紙が届いたんだ」
俺は入っていた手紙を光に見せた。
「うん、なんだか変な手紙だね」
「だろ」
「それで、この瓶の関連性は?」
今日はやけに粘るじゃないか。
「手先の器用な奴が犯人かなと思って、瓶でテストをしてみた」
「つまり、クリアできていたら私が犯人だったかもしれないと? 容疑者候補に?」
「ああ、これですんなりとリンゴを取り出していたら怪しんでたね」
「うまくやってたら疑われてたのかー。よかったー、馬鹿で」
俺の彼女、この先、誰かに騙されないかちょっと不安だ。
こいつは俺がしっかりしてやらないと駄目だ。
「それよりさ、お腹すいた。ねぇ、啓輔、朝ご飯作ってよー」
「おう、ちょっと待ってな」
俺はエプロンをつけてフライパンを手に取る。
「ねぇ、その前にぃ」
身体をくねらせながら寄ってきた。
「光さんに、おはようのちゅーは?」
「朝飯作っているときに邪魔をするな。目やにがついてる顔でも洗ってこい」
「……はい」
数分程度で、光の朝ごはんを作って目の前に置いてやる。
「ほい、出来たぞ」
「目玉焼きとウィンナー、レタスだけだとぉ? 貴様、よくそんなものがわしの前に出せたな」
「いらないんなら食うな。もう二度と作ってやらねぇ」
「嘘嘘、嘘だって。ひかりん、おなかぺこぺこにゃん」
「その気持ちの悪い語尾をやめろ。生ごみにして一緒に出すぞ」
「うう、なんだか今日は遠慮がないよぉ……しかも、生ごみとしてじゃなくて生ごみにして? 命の危機を感じる」
「彼女に遠慮するわけない。これがお前の望んだ俺だろ?」
そう言うと腕を組んで考え始める。
「確かにそうかも。遠慮はしない、かぁ。じゃ、じゃあ、あーんしてもらっても?」
「それならいいぞ」
向かいの席に座らず、隣に座る。
「前じゃないんだ?」
「少し遠くなるからな。入れてる途中で落としたら嫌だろ?」
「まぁ、そうだけどさ」
「落としても食わせるけどな」
「それはそれで酷い」
「黙って口を開けろ。手元が滑って鼻に突っ込むぞ?」
お箸でウインナーをつかむ。
「はい、あーん」
「あー……これ、恥ずかしい」
「じきに慣れるって」
「慣れるのはちょっと、やだな。いつまでもこういうちょっと恥ずかしいままで……あーん」
口の中に入れてやると、そのまま咀嚼し、飲み込んだ。
「味はどうだ?」
まぁ、ウインナーを炒めただけだからうまいも何もないんだが。
「うん、肉の腸詰の味がする」
「そのまんまだな」
「あと、塩の味もしたよ」
もう少し何かコメントを考えてほしい。
「なにより、隠し味の愛情が一番おいしかった」
したり顔の光に、俺は首を振った。
「悪いな、愛情は今回入れてないんだ」
「え」
「お前が俺の料理を邪魔するからなぁ……」
「あ」
ばつのわるい表情を見せた光が可愛そうになったので、俺はおどけた調子で言った。
「ほら、次は目玉焼きだ」
「あーん……うん、うまい」
おいしいって言ってもらえるのは嬉しいけどな。
「どんな味がする?」
「えーと、卵」
「真理だな。的確過ぎて返しが思いつかない」
「あ、ごめん。そういうことじゃないんだよね」
空気が読めないくせに、読んでくれようとしているのか。
「黄身の味がするっ」
より的確になった。ボケなかっただけ、マシだよな、うん。
「……えっと、私はもっと固い方がいいかな」
「半煮え?」
「全部火を通しちゃっていい。黄身にマヨネーズかけて食べるとうまいんだな、これが」
そうか。
「お前、マヨネーズ好きだろ?」
「好きだよ。ご飯にかけてみたら意外とうまかったし、ポテチにもかけてみたけどうまかった。うん、大体何にかけてもおいしいよね、あれ」
「マヨネーズって太りそうなイメージだけど、別に光は太ってないよな?」
「ううん、太ってるよ?」
そうだろうか、ウェストは実際に見たけど全然だったしなぁ。それに、特別重たいわけでもない。
「ここに、さ。栄養が行っちゃってね?」
そういって胸を指さした。もちろん、俺は誘導されて見てしまう。
「いやん、どこ見てるの?」
「……本当、その通りだよな。その栄養が今頃頭に行っていれば……」
色々と悲しい気持ちになったりはしなかったのになぁ。
「はー? 何それ。じゃあ、啓輔は頭の良くて貧乳の女の子と頭が悪くて大きいおっぱい、どっちが好きなの?」
「んなの、決まってる」
「だよね、だよねぇ。私がその結果だよね」
「頭が良くて、巨乳だろ?」
これが世界の答えである。
「不満ありっ」
「青木光君。発言を認めます」
「そんな人間はいねぇ」
そうだろうか。
リルマは頭がよかっ……。
いや、よくなかったな。それで、あいつは胸が大きかったな。
「……ないない。光の妄想だわ」
「あの、さ。頭が悪くて胸が小さかったら私って?」
「安心しろよ。小さくても付き合ってるよ」
小さいなら小さいで夢があるじゃないか。
次の日、いきなり大きくなっていたらすごいだろ。期待値がやばい。夢を買うってことだと思う。
「そうだよね、よかったー、馬鹿で」
「光、俺に何かしてほしいことって無いか?」
「啓輔に?」
いきなりどうしたのかという目を向けられる。
「いろいろやってくれてるしな。お礼をしてやりたいんだよ」
「え、何そのいきなり見せる優しさ。ここ、ふざけていいところ?」
「好きにしろよ」
「ははーん、ひっかかるものか。これは罠だってわかってるもんね」
そうか、残念だったな。
「じゃあ、裸エプロン」
「おいおい、見たいのか」
「うん、男で、身長百七十メートルの裸エプロンはめったに見られないでしょ?」
「センチな。それを取っちゃうとすごいことになるから」
もうそれは巨人だ。真下からいろいろと確認できちゃう辺り、まずいフェチジャンルが確立する。
女ならまだニッチな需要があるかもしれないが、雄ときたもんだ。
「エプロン取るのとどっちがヤバい?」
「うーん……」
どっちだろうか。
「強いて言うのならエプロン、かな」
「だよね。エプロン取っちゃうと魂の解放しちゃうもんね」
俺も今度、光に裸エプロンやってもらおうかな。
思いが通じたのか、じっと光がエプロンを見ている。
「あのさ、啓輔ってもしかして今、裸エプロンの事考えてる?」
「すげぇな。そうだよ」
「そっか、うーん、これが彼女力って奴かな」
いつもみたいな茶化した様子はなく、光は手にエプロンを握ると言った。
「そんなにやりたいのなら、裸エプロン、やってみるといいよ!」
俺じゃねぇよと、心の中で突っ込んでおいた。




