光編第二話:ホラーにおける鈍さの勝利
暗くなったので青木に送ろうかと言ったら、狼になるんでしょ、やらしいと言われたのであほらしくなってやめた。
青木という勝手にしゃべる存在が居なくなると、俺の部屋も静かになる。しかし、不思議な事に誰かが部屋にいる気がしてならない。脳みそが錯覚でもしているのだろうか。
「……風呂に入るかね」
廊下に出ると少しだけ外がうるさく感じた。どうやら雨が降ってきたらしい。窓を雨粒が出鱈目に叩いている。
脱衣所兼洗面所で衣服を脱ぎ去る。拘束から解放された感じがしたが、違和感があった。やはり誰かが部屋にいるような気がしてならない。辺りを見渡したところでいつもと何ら変わりのない場所である。いつまでも不思議に思っていたって仕方がない。
今日は青木の相手をしていたからか、変に肩が凝った。両肩を回したりして見たが、重さは抜けない。
のんびりと湯船につかり、身体の疲れを癒やすことにした。ちょっと年寄り臭いかと思ったが、まぁ、いいだろう。湯船に薔薇を浮かべたり、大量のアヒルを放牧してみたいが金が無い。もう一つやってみたいのは牛乳風呂だがあれって、牛臭くなるんかね。
「ん?」
脱衣所へと続くすりガラスに、人が立っているような気がした。しかし、俺の見間違いだったようですぐに消えた。
「よほど疲れているらしいなぁ」
何せ、青木が来てからずっとしゃべってばっかりだ。あいつは構ってちゃんなところがあるから、無視していると露骨に近寄ってくる。ちなみに構うと冷たくあしらわれるときがあって面倒くさい。
身体を洗い、俺は髪の毛を洗う事にする。
洗っている最中、人差し指で背中を触られた気がした。とても冷たく、生きている人間とは思えないものだった。
「っつ?」
まぁ、当然振り返っても人なんていないし、正体は天井にたまった湿気といった具合に違いない。何か大切な事を忘れている気がしてならないが、思い出せないという事は問題ないだろう。
「ねぇ」
女の声が聞こえてきた。
幻聴じゃない、すりガラスに、女がうつっていた。
心臓が早鐘を打つ。やばい、何か選択肢を間違えたと言う変な考えが頭をよぎった。
「ねぇってば」
その声は、冷静になってみれば聞き間違えることのない相手だ。
「雨にぬれちゃって、こっちに戻ってきちゃった。チャイム押しても出てきてくれないし、勝手に入っちゃったよ」
声の主は青木だった。
「お前、自由だなー」
「啓輔じゃないならしないよ。ねぇ、お風呂、借りていい?」
「いいぞ、だが後でだ」
「先に、トイレ借りるね」
トイレに消えた後、まぁ、この豪雨なら戻ってきても仕方がないかと考える。さっきまで感じていたものは、この虫の知らせではないだろうか。
トイレに行っている間に出よう。俺は急いで体を洗う。
「いやー、いきなり雨が降ってきちゃってさ」
「おいっ」
俺は今日一日で一番驚いた。
青木の奴、全裸で入ってきやがった。
「なんで風呂に全裸で入ってきてんだ」
「え、お風呂はふつう、全裸で入るもの……あ、もしかして着衣湯系の家系? 洗濯も一緒に出来ますよ的な?」
何それ、初めて聞いたよ。どういう家系だよ。
「確かに、おかしなことを言ったのは俺だな」
「でしょう? お風呂は全裸が当たり前」
うわ、この勝ち誇った顔がうぜぇ。
「せめて、タオルを付けて来い」
「湯船にタオルをつけちゃ駄目ってところもあるよね」
「ここはそういうところじゃねぇから」
「もういいじゃん、見ちゃったんだし。つまんないの、思ったよりも動揺しないし……あっ」
お馬鹿さんの視線は、俺の下の方へ。
顔を真っ赤にして湯船に入り、潜ってしまった。
「俺はもう出るぞ」
さて、どうしたものか。
一時間ほどして青木も風呂から出てきた。
しっかりと、俺の服を着ている。
「何勝手に俺の服を着てるんだ」
「はいはい、脱げっていうんでしょ」
「いや、借りる時は一声かけなさい」
例え、テイクフリーと書かれていても、ちょっともらいますねと声をかけるだけで違うものだ。いや、冷静に考えたらこの人、何言ってるんだろうって思われるだけか。
「じゃあ、借りますっ!」
「よし、許すっ!」
二人でこたつに入って、地上波初登場の代物を見ることにした。
今日やっているのはホラーだったりする。
「あのさぁ」
物語の導入部で俺は青木に尋ねることにした。
「ん?」
「どうしてお前ってそんなにぐいぐい来れるんだ?」
普通さ、風呂に男が入っていて、全裸で入ってくるなんて恐ろしくて出来ないぞ。たとえ相手が知っている相手でも、俺には無理だ。
「もちろん、啓輔の事が好きだから」
自信満々に胸を張って答えられた。一点の迷いも曇りも感じられないすがすがしい一言だった。
「そこだよ。どうして俺の事が好きなんだ?」
こいつに何かをしてやった事はないし、特別なつながりなんかもない。
「さぁ、知らない。好きだから、好きだって態度をしてるだけだよ?」
考えるな、感じろじゃないんだからさ。
「そりゃ、なんだ……いつから」
「結構前から」
「ひとめぼれってことか?」
「違う。啓輔ってあの時は彼女がいたし、私も別に何とも思ってなかったかなぁ。それから話すようになって、気づいたら好きになって。色々と策を弄したんだけれど、なかなか落とせなかったんだよねぇ」
徐々に登場人物へと迫るホラーは回りくどいともいえた。直接的な表現方法は今のところないため、断片的な情報が画面にちらほらと散見される。
「裕二君にも手伝ってもらったりしたよ。それなりにアピールもしてきたし」
「……そうなのか。気づかなかった」
「にぶすぎっ」
失礼だな。
何か日常に異変があったらすぐに気づいているよ。たとえば、俺がホラーの登場人物だったら勘違いせずにびびっと幽霊が来ていると感づいちゃうね。
「それにさ、リルマちゃんとか、変な白い人とか、一杯女の子の知り合いが出来たでしょ?」
「ああ」
「私だと、負けそうだもん」
「否定はしない」
そう言いたいところだが濃い面子なので負けてないと思う。あと、うざさで。
「ほらぁ」
影食い関連の話ばっかりだったら、俺は日常を忘れていただろう。
「だけどね、負けたくない。啓輔の事をあきらめたくない。だから、あの、私の事を、彼女にしてください」
立ち上がり、頭を下げてくる。
「……驚いたよ」
「えっと、何が?」
「お前、真面目に告白できるんだな。今年一番感心した事だよ」
目の前で青木がずっこけた。
「真面目にやったのにっ」
「今のは俺が悪かったな。うん、そういう気持ちは嬉しいんだけど……」
ここまで一途に思ってもらうほど、俺は目の前の女性の事を……。
「待った」
「なんだ?」
「啓輔に好きな人が出来る間だけでいいから。ね、お願いっ」
両手を合わせ、俺に頭を下げてくる。
「わかったよ」
ここまでされて、断れるはずがない。しかし、何だね、意外と辛いことを俺に強いてくるんだな。断っても、断らなくてもそれはお前の心を傷つけていないか。
「……お前がそれでいいのなら、俺は付き合うよ」
もし、もしもだ。
この流れで、関係が終わりに近づいた時。いいや、終わった時に友達関係すらなくなったら悲しすぎるぜ。
「よっし」
握りしめた両手を天に向けて、俺の彼女は勝利宣言。
「本当にこれでいいのかよ。俺、なんだか悪い事をしている気持ちになってるぞ」
「うん、一度捕まえたら放さないよ?」
ちょっと怖いわ。
「あのさっ、明日、紹介したい人がいるから時間欲しいんだけど」
「いいよ」
それだけ言うとまたもガッツポーズ。
「やった。これで帰れる」
「なんだ、泊まっていかないのか?」
「初日からそうやって求められてもぉ、ひかるちゃん困るぅ」
体をくねらせた光に俺は頭痛を覚えた。やっていく自信が無くなっていく。
「いきなり光にするわけないだろ」
「その心は?」
ちゃんと、好きでもない相手と出来るはずがないんだよ……とは言えない。
「……つーか、お前が言った通り普通に時期尚早だろう。初日からは俺もどうかと思うよ」
「私は三年待ったのだ」
「三年前には会ってすらねぇよ」
「じゃあ、ゲームしよう、ゲーム。彼氏と一緒にやりたいことっていっぱいあるんだ」
「……ああ、いいぞ」
ゲームぐらい、友達だって出来るじゃないか。
その後、朝まで二人で落ち物ゲームをやり続けた。最後の方はお互いに連鎖数が非常に少ないレベルで、ほぼ、足元を消して偶然での連鎖数での勝負となった。
朝を迎えた時、これほど人生を無駄に感じたことはなかった。
「さぁ、今から行こうか」
ただいまの時刻、午前六時。
「今からいくのか、正気かよ、おい」
いったいどこに行くのだろうかと。俺たち二人はフラフラになりながらバスに乗る。
バスは苦手だ。なぜかそんな意識があり、タイヤの上の席に乗ると最悪だ。こんな徹夜の状態で眠るようなものじゃない。
「気分、悪そうだね」
「お前のせいだよ」
「大丈夫、私も気分が悪いから。苦しみは分かち合わないとね」
「どの口が言う……」
こんな朝早くから会いに行く人なんてお豆腐屋さんぐらいしか思いつかない。
しかし、山の方へと向かう道に不安しか覚えない。
途中でバスを下車し、それからは坂道を登っていく。
たどり着いた先は霊園だった。
「ここはどこだよ」
「墓地だよ。会ってほしい人はもう喋らないけどさ」
相手は死んでいるのだろう。
「おい、敷地内に入れるのか?」
「うん、管理者に話はしているから見つかってポリースが追いかけてくることはないからね」
普通だったら午前九時ぐらいに開くので当然、正門は閉まっている。手慣れた様子で脇道へと移動すると、人が一人通れるほどの小さな門があった。
「知る人ぞ知る隠れた裏門」
なんだその隠れた名店みたいな言い方は。
「お墓参りをできない人たちや、見られたくない人向けの門だって」
「見られたくない人?」
どういう人なんだろう。
「うん、いろいろと事情があるらしいんだけどね。さすがに個人の理由は知らないけれどさ。もちろん、こっちから入るとなるとしっかり監視カメラでチェックされてる」
セキュリティに関してはばっちりなのか。
もっとも、霊園に来てすることなんて思いつかないんだが。
黙って光の後ろを歩いて、その場所へとやってくる。
「ここ」
「俺に会わせたかったのはこの人か」
「……うん、そうだよ」
二人で突っ立った後、光は手を合わせた。俺もそれにならって手を合わせる。
手がかじかむには十分な時間が流れ、俺たちはどちらからでもなく目を開く。
「今日は、もう帰るね」
「……ああ」
今日は、墓の下に眠る人物の命日か何かだろうか。
俺に対しての説明は、ほとんどない。
俺はこれまで青木に近づいてこなかった。青木が一方的に俺に近づいてきただけだから、そんな都合のいいことはないか。
例え今日がどんな日であろうと俺と光にとっては記憶に残る日になる。
「ごめん、帰りは……一人で帰ってほしい。じゃあね」
「そうか」
「うん、えっと。お昼ぐらいにはまた連絡するから。寝不足で、気分が悪いだけだから」
半分泣きながら、光は帰っていった。俺も気分悪いわい。
俺はこの墓の下の主が誰なのか気になった。大体、予想は出来る。
この下にいるのはバイク事故で亡くなったという光の兄貴だろう。話には聞いていたが、光から直接聞いたことはない。
彼女が話してくれるのを待つのが一番だと思うけど、それは相手から逃げているかもしれない。
冷たくなった手に息を吐きかけ、俺は光の背中が無くなるまでずっと、見つめ続けていた。
「啓輔」
声を掛けられ、俺はそちらの方へと視線を向ける。
驚いたことに、裕二がいた。
「何してるんだ、こんなところで」
首を傾げて俺の表情を窺っている。
「それはこっちの台詞だよ。朝から墓参りだなんていったい誰宛だ」
どこかの美人と墓場であいびきだろうか。もしかしたらその相手は半透明かもしれない。そうだとしたら守備範囲が広すぎて脱帽だよ。
裕二は俺の目の前にある墓に花束を置いた。
「なんだ、光の兄貴、知り合いなのか」
「まぁな。だが、その調子だと、何も知らないというか、聞いてないんだな。……それにやっぱり、覚えてないのか」
腰をおろし、墓を見つめている。
「何のことだ?」
「青木光の兄貴、青木亮介の事だよ」
「知らないな」
聞いたことすらなかった。
まるで俺が嘘でもついているんじゃないかという視線を向けられたので、本当だと首をすくめると拍子抜けた顔をした。
「そうか。んじゃ、俺でいいなら話そうか」
「お前が話すのか?」
「関係ない奴が……と、言いたいだろうがあいにく関係はあるんでね」
立ち上がり、俺を見る裕二の顔は俺の知らない表情だった。




