白井海編:微かに移ろい行く世界
二月が近づいてきている。
後期試験を見据えるのなら、そろそろ勉強を始めないと怖い。大学の三年、四年では卒業するための単位以上をすでに取得し、ちゃらんぽらん出来る体制を作っておきたい俺としては一年生、二年生の単位は絶対に、落とせない。
そして、そのちゃらんぽらんしている間に夢を見つけたい。自分で夢を探しても見つけられないのなら、他の人と関わりあって探すのも一つの手だという事を知った。それはすみれが道を見失い、リルマも似たような状況にあったことで俺と知り合って変われたのだと言われたからだ。
「さぁ、勉強をしようっ」
自分に言い聞かせるようにそう宣言。俺はやればできる子だ。
しかしまぁ、やればできる子も数分程度。かすかに芽生えたサボりの悪魔に唆され、俺は外を出歩いていた。意志が弱いとこういう時に馬鹿を見てしまう。目標を持っているからと言って、なかなかうまく事を運べるほど俺は器用な人間じゃなかったんだな、うん。
「いやいや、俺はまだ大丈夫。目標があるから、若いから。これから息抜きをほんのちょっとだけして、また勉強をするんだ」
勉強をしているわけではなく、さりとて友達と遊んでいるだけではない。現状維持のように見えて時間だけは言い訳しながら消費していく最悪な選択肢。残された時間の浪費は、豊かな未来に影を落とす。俺のちゃらんぽらんとした時間が短くなっていったり、無くなってしまう可能性もある。
現実逃避ですらない言い訳を並べつつ、街を歩き、息抜きを辞めることにした。
家に帰る途中、知り合いのものによく似たスマホを拾った。
「これ、もしかして白井のか」
似たようなスマホは五万とあるわけで、外見だけを見ても確かに特定人物の物とは決めることは出来ないな。より奇抜なものならそうだと言えなくもないが、白い外見にシンプルな手帳タイプの物では判断しづらい。
「しかし、どうして俺はこれが白井の物だと思ったんだろうなぁ」
どこにでもあるものだ。
まぁ、根拠はさておき電話してみれば答えはわかる。自分のスマホをいじって電話をしてみると、手元のスマホが震えた。
「ビン……ゴ?」
登録名が、愛しのダーリンになっていた。俺の心が、軽く震えた。え、なに愛しのダーリンって。
キャラじゃないよねって突っ込めばいいのか、ダーリンの方に突っ込めばいいのかわからなくなった。
嬉しいんだけどな。
「……まぁ、絶対に殺したい相手よりましか」
冗談か本気かよくわからない登録名だと思いつつ、落とし主を探すことにする。もちろん、登録名の事は見ていないことにしよう。
「連絡できるものを持ってればいいんだがなぁ」
手元には白井のスマホ。俺が白井の声を聴きたくて電話を掛けると俺にかかると言う皮肉っぽさをなぜか感じた。
今いる世界に超能力があれば、相手の気持ちを読み取れるかもしれない。もしくは、俺が何らかの主人公であれば、こういう時に相手と交信したいと思えば、必ず上手くいくと相場が決まっている。
そして、自分というものは必ず自分の人生における主人公だ。つまり、俺の証明は正しいことになる。
「よし、さっそく念じてみるか」
白井、白井海さん。愛しのダーリンが会いたがっていますよ。
「って、もっと強く念じないと駄目だな」
あー、今日の晩飯は肉にするかな、魚にするかなってレベルで願っても相手に伝わらない。
バカげた理論であったが、心の底から白井海という存在を求めてみた。心の片隅にいる俺は、何を馬鹿な事をしているんだとせせら笑っている。
白井海さん。あと、五分以内に現れたら、往来でキスしていいですよ。
念じて十秒、俺は諦めた。
「帰ろっと……」
「はぁ……はぁ……見つけましたよっ」
「……本当に来たよ」
よかった、口に出さなくて。もし、口に出して願っていたらそれを実行されていた。俺も、白井の事を好きだから、そういうノリでしてしまうだろう。本当に好きなら、制止しないといけないんだけどさ。
俺がぼさっと考えていると、白井はそのまま近づいてきた。
「んっ」
そして、キスされた。
彼女の汗と、元からの匂いが相まって、脳に多大な刺激を与える。軽く頭の中が真っ白になった。
もちろん、次の一瞬では元に戻って理性が仕事を始める。制止すらできなかった自分を恥じておいた。
「お、おいっ」
「していいって言いましたよ?」
「言ってねぇよ。思っただけだよ」
「ああ、すみません。口には出していませんでしたね」
こいつ、俺の考えていることがわかるのか。
そう思うと、にやりと笑われる。
「啓輔君、相手の考えていることなんてわかるわけありませんよ?」
「君ぅ?」
そっちですかとつぶやいて、小首をかしげる。
「不服ですか?」
「……いいや、さんよりいいかもな。君、君かぁ……とてもいいものだな。身近に感じる響きだ。盲点だった、誰かにそう言ってもらえば良かったが……しかし、これまでの面子は年下が多かったし、同年代は呼び捨てが多い。そういえば宗也は君で呼んでくれていたなぁ。ありがとう、白井」
「はぁ、ありがとうございます。たまに啓輔君って、おかしくなりますよね?」
「失礼な奴だな。俺はいつだっておかしいぞ」
「ん? んんっ?」
白井が面白い顔になった。
「俺だけじゃなく、この世界もおかしい。異常の中での異常は、正しいことだ。つまり、俺は正常ってことになる」
疲れたような目で俺を見る白井。
「たまに啓輔君といて、疲れる時があります」
うんざりとしているが、本人を前にしてよくもまぁ、そんな失礼なことが言えるものだ。
「安心しろ。その逆の時、俺は疲れているよ?」
「それはどうも、ありがとうございます」
「……敬語は、やめてくれないのな?」
「ええ、いくら啓輔君相手でもこれは大切な事です」
彼女なりの決め事があるんだろう。
「この流れで言うのもおかしな話なんですが、啓輔君、私とお付き合いしてくれませんか?」
「おつきあい?」
説明しようっ、お突きあいとは中世ヨーロッパで行われた決闘方法の一つであるっ。ついていい回数は三回までで、移動は禁止、万が一死亡した場合は敗者となる。シンプルで時間も短く、数多の決闘者たちを地獄に輩出していった方法だ。
もちろん、嘘だ。こんな嘘で騙されてくれるのは心にピュア成分がまだ残っている人たちだけだ。そして騙された彼らは今後、俺の事をうそつきと罵り、心に残っていたピュア成分が怪我されて世界を斜に見てしまうようになる。
つい、現実から乖離してしまったようだ。
「彼女と、彼氏?」
「はいー。男女の関係です」
照れた表情で頬を掻いている。
「実はひとめぼれに近い衝撃はありましたが、あの時はいろいろとありましたし、啓輔君にはリルマさんが近くに居ましたからね。そうなのかなーって思いながら過ごしていました。ちなみに、今も心に滾ってます」
その気持ちを聞いて、単純に嬉しかった。
「言ってくれればよかったのに」
「決めてたんです。啓輔君が私の事を好きになってくれたら言おうって」
「……そんなの、どうやって判断するんだよ」
「決まってるじゃないですか。心を読んで、ですよ」
さらっと流せるような事じゃない。
「それに、なかなか勇気がいるんですよ。ましてや、相手が年下の男の子ってなるとそれはもう、自分の気持ちも疑い始めます。おもちゃとして好きなのか、男の子として好きなのか」
「おもちゃ……えっと、どっちの感情が高いんだ?」
「どちらも譲れません」
おもちゃの気持ちは消してほしいな。無理な話なんだろうけどさ。
もし消えたらどんなふうに接してくれるんだろう。
「この愛情が歪む可能性もありますし、私はたぶん、狂った人間です」
どこか匂わせていた軽い感情は消えている。俺を見つめるその眼差しは、俺が惹かれた一つのものだった。
「それでも、私の事を受け入れてくれますか?」
「……さっき、キスしたような気がするけど」
「あれは許可が出たので、つい。それに、私がした方です」
「そうだったな」
俺が白井のお願いに対して、考える必要はない。逆にお願いする側だと思った。
「俺も、白井の事が好きだ。受け入れるも何も、とっくに受け入れているよ」
頭を下げ、右手を差し出した。
「だから、俺に言わせてくれ。白井海さん、俺と付き合ってください」
「……いいですよ」
優しく右手を掴まれて、顔をあげる。たまに見せてくれる穏やかな表情で俺を見てくれていた。
それがどこか、気恥ずかしかった。
「そういや海、スマホ、落としてただろ?」
「あ、はい。そうです。啓輔君が拾ってくれたんですか」
「偶然な」
「電話、しましたか?」
「したよ」
「登録名、見ましたか?」
「……み、見てないよー。あれぇ、海さん、なんでそんなに怖い顔になってるですかい?」
腕まくりをして、迫ってくる。
「引きましたか?」
「おいおい、よしてくれよ。俺がその程度で引くほどの凡人だと思ってるのか?」
もっと凄い行動をこれまでしてたからな。そんな可愛い行動で引くわけがない。
「悶絶した振りをしようかと思った」
俺の言葉に海はまぁ、そうかもしれないと頷いていた。
「じゃあ、さっそく不真面目な質問をしてもいいですか?」
「真面目な質問じゃなくていいのか?」
「……ええ。好きな場所はどこですか?」
てっきり、巨乳と貧乳はどちらが好きかと聞かれるかと思った。
「それはとても真面目な話だな」
普段に比べれば。
「真面目な話っていうのは、この世界の成り立ち、影食いの事、繰り返されるように見える一つの場面、幻覚の謎ですよ……あれ、引いてませんか?」
近くに居る人を捕まえて、そんなことを言ったら逃げられると思う。
「真面目な話……そうかねぇ?」
そっちの方が不真面目だ。大体、何だその怪しさ爆発の言葉の羅列は。
俺の呆れた表情にも海は負けず、目を輝かせ続けた。
「選択肢が出る限り、世界は広がり続けます」
「したり顔で言っているけどな、たとえ世界が広がろうと、体験できるのは一人だけだろ」
人間の可能性は無限だと俺は思っている。しかし、実際に選択できるのは数ある道の中から一本だけだ。
別の選択肢を選んだ世界が存在していること、それを証明できなければ無限の可能性なんて言葉、ただの釣り餌だ。
「啓輔君、啓輔君は今の記憶をもって、別の世界に行ってみたいですか?」
「今度は異世界の話か」
俺は頭を掻いて真面目に考えてみた。
「そうだなぁ、あったら面白いんじゃないのか?」
現代人が異世界へ、か。結構前からよくあるジャンルの一つってことは愛されているよな。設定が生み出され続ける限り、異世界の数は増え続ける一方か。
「あ、先に言っておきますけど異世界と言ってもこの世界が微妙に変わっているだけの世界です。見たこともない爬虫類なんかがいる世界じゃありませんよ」
「……微妙に違っている世界?」
「はいー」
「どのぐらいの微妙さ?」
「そうですねぇ」
自分の手で顎を支え、考え始める。
「私がスマホを落としたのか、落としていないのか」
魔方陣やら両刃の剣の世界をイメージしていたが、ものの見事にぶち壊された。俺が行く異世界とは、白井海がスマホを落とさなかったという異世界か。
「え、違いはたったそれだけ?」
それって、異世界って言えるのかよ。
「私が啓輔君の彼女か、そうじゃないのか。充分、異世界だと思いますよ?」
「ああ、そう言われると結構な差が出そうだな」
どの程度の差が出るかはわからないが、俺にとっては大きく差が出る事だろう。
「そういやさっき、繰り返される一つの場面って言ったけどさ、さっきの差違の話になるのか?」
「どういう事でしょう?」
「んー、この世界に実は起点と終点が存在していて、終点にたどり着くと起点に戻る? そんで、戻ったらまた別の選択肢を俺が選び、違う結果を迎える……とか?」
この世界はずっとループしている。そんなことを言われても鼻で笑うだろう。笑うのは当然だし、妄想家が既に想像してくれている。机の上でありうる、作り出される話だと証明しても、実際に体験できなければ一般的に言って意味はないだろう。
「啓輔君、何を言っているんですか? ただ無為なループなんて存在しませんよ」
すごく馬鹿にしている表情をした。こういう話を求めているのかと思った。
「違うのか? それだと繰り返される一つの場面が……」
「繰り返されるように見えるだけ、です。たとえループがあったとしても、一度目のループ、二度目のループと回数で数えられるという事は進んでいることになります。もっとも、それが前後どちらに進むのかはわかりませんけど」
「う、うーん?」
しばらく考えて、ため息をついた。この問題は考えるだけ無駄だ。疲れるだけで、得するとは何もない。
「俺にはよく分からないな。こんなことを考えるぐらいなら、海と遊びに行った方が有意義っぽい」
「そうですね、啓輔君の言う通りです。では、もっと有意義になることをしましょう?」
「……えっと? なんだ、それは」
俺を誘惑するような顔で手招きする。抗うことが出来なかった。
「ちょっと、耳を貸してください」
「う、うん……」
俺は海に近づく。その吐息が耳に当たると、嫌でもその有意義になることとやらを想像してしまう。
「啓輔君の部屋でぇ……」
「ごくり……」
「啓輔君の試験勉強、です」
「……そーですね」
後期の試験はこうしている間も刻一刻と近づいてきている。
俺は意地の悪い彼女によって、地獄に落とされた気分になった。いや、現実に引き戻されただけか。
落胆の色を見せる俺に対して海は楽しそうに笑っている。
「ふふ、冗談ですよ」
「冗談って、どこからどこまで?」
「最初から、ある地点まで、です」
「なんだそりゃ」
それがどこなのか分からなければ、俺の期待は先ほどのように残念な結果を迎えそうだ。
空を仰いだ。
別に世界があるのなら白井海という存在を忘れないでおこう。
はい、今回で白井海編終了です。個人的に、話を作るにあたってかなり手こずった人物です、はい。最初は彼女が持っていた狂気の世界に啓輔が巻き込まれる話でした。時折、舞台となっていた廃病院内で啓輔が白井と話をしながら異世界の影と呼ばれる存在を知っていく話でしたが、無駄に長くなってしまったので没となりました。次に、海に異常が起きたため、影裂きセレネという影食いの医者的存在を登場させるというお話もあり、そこで異世界の影とかかわる話も作ってみましたがこれまた話が膨らみすぎ、当初の異世界の影と同じ終わり方に。どちらにせよ薄気味悪い世界を啓輔が大体一人で歩いていくだけの話になったので没です。次にそれならと日常的な話をほかのメンバー加えて結局白井海という存在は何者なのか、宗教がどうたら言っていたがどこに所属しているのかという話でしたが煙に巻かれてしまうという話になり没。最終的に白井海というよりは右記啓輔に深くかかわりつつ、二人のある日の会話と不思議な現象を次作につながるような話になりました。どの話でも基本的に白井海と右記啓輔はその後、仲良くやれていることでしょう。
さて、次回からは美空美紀編。海編でかなり話が変わりましたがまたがらりと変わります。




