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影食いリルマ  作者: 雨月
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白井海編:幸せを望む世界

 自室の布団の上で、俺は海に膝枕をしてもらっていた。これほど、影食い関係で嬉しく、そして優しい時間が流れたことがあるだろうか。いいや、なかった。

 俺はすみれにフラれたことを今日ほどこのための布石だったのだと納得しないわけにはいかなかった。もし、神様がいたのなら全裸で大好きだ、最高だよと迫っていた事だろう。

 しかし、この幸せは条件付き。海の出す質問に答えるという事だ。これがどれもこれも変な質問続きだった。

 元からおかしなところがある人物だけに、何がおかしいのか説明するのは難しい。むしろ、考え方によってはそれが自然な事のように思える。彼女が正しく、海をいぶかしむ俺こそがおかしいのだ。

「それで、啓輔君、最後の質問の答えは?」

 ただ、安寧に身を任せ続けているだけではいずれ終わりを迎える。

 彼女が俺へと求めた最後の質問だ。

 まぁ、海の事だ。本当は一連の質問の途中に彼女が求めていたものを紛れ込ませていたのだろう。

「……目が覚める必要はある」

「じゃあ、起きて」

 何度か軽く頭を叩かれた。

「勉強、頑張ってください。目が覚める必要はあるんでしょうから」

 失敗だったな。まさか最後の問題が俺へのボーナス出題だったとは。このまま身を任せているが正解だったか。

「残念でしたね?」

「ああ、本当に」

 ボーナス問題が出たという事は、海が望んだ質問の答えを俺は途中でちゃんと答えていたらしい。

「ほら、早く机に向かってくださいな」

「……あーい」

 後期のテストは近づいてきている。

 裕二や宗也たちは遊んでいるが、俺も一緒になってやっているわけにはいかない。夢や目標なんて俺には必要ない。海と一緒に未来を築く。そのために、邪魔になるものはすべて排除していかなければならない。手段は問わないから、将来的に金と時間を手に入れればそれでいい。

 つぶれたクッションが載せてある椅子に座り、俺はノートをめくる。ふと、視界の隅に女の足が入り込んだ。

「ん?」

「え?」

 そこにいたのは海だ。

 お互いに見詰め合って首をかしげている。相変わらず、綺麗な顔だ。

「どうか、したのか?」

「いや、何も……ただちょっと、違和感を覚えただけです」

 海の言葉に、俺も頷く。いかんね、見惚れている場合じゃなかった。

「そっか、俺もだ。視界に女の足が入り込んで、顔をあげたら海がいた」

「それ、違和感でもなんでもないですよね?」

 この部屋に居て当然の相手が視界に入り込んでも問題ない。

「うん、そうなんだけど。こう、なんだろうな? 感覚的に、海が二人いた気がするんだよ」

「二人?」

 辺りを見渡す。

 当然、いない。

 ここにいるのは俺と海の二人だけだ。海がこの場所にいる理由もしっかりとしている。

「でも、自分がもう一人いたら、嬉しいですよね」

「そうかぁ?」

 自分がプラスされても、海が二人になってもややこしいことにしかならないだろ。新たな事件の火種にしかならない。もし、海が二人なら狂気版と現状版で出てきそうだし。

 どっちを取るかと言われたら、唸るだろうし、迷うだろう。どっちもと言ったらよくばりさんと言って刺殺されそうである。

「啓輔君が二人いたら間違いなく一人は私で、もう一人は浮気するでしょ?」

 本気か嘘かわからないような表情。この表情の時の質問は、間違えたらお仕置きされるのだろう。

「するわけないだろ。海の取り合いになる」

「即答ですねぇ。嬉しいです」

 もし、俺が別の誰かと付き合っていて、海が現れたらわからないな。いや、浮気まではしないだろうが、ふとした動作で見透かされ、注意されることはあるかもしれない。勘が異様に鋭いからな。

 ああ、それも悪くないか。

「あれ、即答の割にはなんだか怪しい間をあけますね?」

 まさか、脳内で海に呆けていたとは言えなかった。いつでもどこでも、脳内海にデレデレしてしまう自信がある。リルマ、美紀、イザベル、ジョナサン、裕二や光、さらには宗也から、うわ、気持ち悪いとすでに言われ済みだ。

「浮気はしないのが当たり前ですよ」

 脳裏に海が湧いて誘惑してきた。だいぶ、俺は重症らしい。

 そのうち、俺の目や鼻と言った穴という穴から小さい海が飛び出してくるんじゃないだろうか。もうそうなったら世界に解けるしかないな。本望と言えようか、冷静に考えると薄気味悪い事だけどさ。

「今日の啓輔君はまっすぐです」

「俺は海に対しては、いつもまっすぐだろ?」

「そうですね、気持ちは十分伝わりました」

 いやぁ、よかった。この流れで、ちょっといちゃいちゃしても罰は当たらないよな。

「さ、勉強を開始してください。手が止まっていては駄目ですよ」

「……はーい」

 俺が大人しく勉強している間、海はちょっかいを出してこない。静かに読書をしている。これが友達関係なら全力で邪魔してきていただろう。

 以前、どうして邪魔をしてこないのか聞いたことがあった。すると、海は邪魔をするために隣にいるんじゃありませんよと答えたのだ。

 すごく真面目に答えてくれて嬉しかったんだけどな、うん。

 誘惑されながら、正確にはご褒美を目の前にぶら下げられて勉強がしたかった。

 普段、リルマや美紀と一緒にいる時は相変わらずねじの外れた言動を繰り返すけど、二人になった時の破壊力がやばい。好きなだけ甘えさせてくれるし、逆もたまにある。

 寝ても覚めても海の事を考えることもあったりして、溺れるとはこういう事なのかと軽くぶるっちまったこともあった。もう身を任せてしまえばいいと割り切ったけどな。

 一度、海が夢の中に出てきたとき……海が起こしてくれなければ夢の中にいる海とずっと過ごしていたかもしれない。

 そんなことが怖いと思っていても、俺はその先に進みたい。溺れて駄目人間になってしまっても構わないと思っている。夢の中でおしまいを迎えてしまってもいい。

 もっとも、今近くに居る海がそうさせてくれないだろう。

「……なぁ、海」

「なんですか?」

「デートしよう」

「いいですよ。勉強は終わりました?」

「終わった! 終わったよ。俺はやればできる子だから」

 そう言うと俺の首に海の腕が巻き付いてくる。

「さ、この後何をされるでしょうか?」

「模範解答、ヘッドロックをかけられて凶器攻撃を追加でもらう」

 俺と海の間は確かに甘い、甘いが、それだけでもない。

 シリアスな場面にいきなり俺がヘリコプターをぶっこんでくるところを想像してくれればいい。

 ヘリコプターが何のことかわからない? 嘘はいけないな。

「で、正解は?」

「ぶぶー、ただ甘えるだけです」

 いつもは甘えさせてもらっているから、たまにこういうのがあると嬉しい。

「こっちに、来てくださいよ」

「わかった」

 完全にスイッチの入った海に誘われ、俺はついて行く事にした。この幸せを、どこかの誰かに発信したいなぁ、うへへ。

 布団の上で散々いちゃいちゃしたあと、海は窓の外を眺めていた。

「デートはどこに行きますか?」

「丘の上の公園。この時間帯なら夕焼けがまだ拝めるだろ」

 ベージュのタートルネックに、ブラウンのスカート。首からは銀のロケットがかけられている。

「さ、行きましょうか」

 茶色のコートに手をかけて、俺たちは立ち上がった。

 外は普通に寒く、引っ付いて歩いていた。

「外に出るのは早まりましたか」

「いいや、逆にもっと早く出るべきだったかもしれない」

 夕焼けを見て、おっと、そろそろ寒くなってきたね。部屋に帰って温まろうかの流れにすればよかった。

 失敗だったな。もし、もう一度だけ似たような事になったら絶対に間違えないようにしよう。パラレルワールドの俺がいるなら、きっとうまくやっているに違いない。

「海、寒いけど大丈夫か?」

 海が寒いって言ったら……おやおや? あそこにホテルがありますね。ちょっと、暖を取りに行きたいですねぇの流れにしたいが、ホテルがなかった。

「……ああ、啓輔君の幻覚が見えます」

 すでに寒さでおかしくなっていた。

「そいつ、今、なにしてる?」

「裸で踊ってます」

 幻覚の俺、先走り過ぎだろ。路上はまずいぞ。

 結局、戻るわけにも暖を取るわけにもいかず、俺たち二人は身を寄せ合って当初の目的を果たそうとした。

 俺は別に、暖を取るだけでもよかったんだけど……。

「何、ごにょごにょ言ってるんですか。がんばりましょう?」

「……ああ、そうだな」

「あれ、啓輔君泣いてませんか?」

「泣いてないよっ」

 努力をして実際に得られた結果が想像していた物より少ないと、人は怒ったりする。それは当然だと思っているからであり、そう思うのは努力すれば報われると考えるおめでたい人だけだ。

「……疲れたー」

「でも、身体は暖まりましたね」

「……そうだな」

 これで体を温めあう必要はなくなったわけだ。

 丘の上の公園には数人程度いた。犬の散歩をしている老人、買い物帰りなのか井戸端会議をしているおばさんたちだ。

 その先にある展望台へと二人で歩いて行き、夕焼けを眺める。

「きれいな夕焼けですね」

 海の方がきれいだよとそんな言葉が頭に浮かんだ。

「……その言葉を聞くたび、私、思うんです。比べるんじゃないと」

「そうか? 俺は夕焼けよりも雄大な海が好きだけど」

「あ、そっちの海ですか」

「そうだよ」

 あなたの好きな景色は何だろうか。

 そんな質問をされて思い浮かべるのは海の景色だ。そして、同じ答えは出たとしても、まったく同じものが頭の中に浮かぶ人間はいない。青い海なのか、それとも夕焼けに染まった海か、もしくは闇に沈んだ海なのか。

「あと、ナチュラルに人の思考を当てるんじゃないよ」

 すみません、そういって海はペロッと舌を出して謝った。

「啓輔君に真面目な話があります」

「なんだ?」

 俺たちはいま、互いの顔を見ていない。

 見ているのは同じ夕焼けだ。

 たとえ同じものを見ていたとしても、それは同じ物としてその目に、その心に映らない。人の心に世界が映る限り、本当に同じものを見る事なんてありえない。

 どれだけ親しい、近しい人間がいたとしても、多かれ少なかれ、見ている世界に差違は生じる。些細な事でいさかいを起こして、憎しみ合う事をしてしまう。

「今あるこの世界が、自分の選択してきた結果の世界として」

「うん」

「やり直す方法があるとしたら、啓輔君はどうしますか」

 改めて夕焼けを眺める。

 きれいなものだ。俺が夕焼けを眺め、くだらないことを考えている内に海もまた、何かを考えていたらしい。

 海の考えを俺は知ることは出来ないし、何を求めているのかも察することは出来ても言い当てることは出来ない。いまだ人間は、世界の答えを見つけておらず、それどころか隣にいる人間の気持ちを理解する道具すら作れていないのだ。

 隣人との距離は近くて遠い。だから、人は相手の事をわかりたいと、理解してほしいと思うんだろうかね。こんな恥ずかしいことは海にからかわれそうで言わないけどさ。

「啓輔君?」

「真面目に考えてるよ」

 果たして海は、俺のこの嘘をわかったりするのだろうか。

「……そうだなぁ、方法は知っておきつつ、何もしないかな」

「それは、どうして?」

「まだ、世界のすべてを知っているわけじゃないから。俺は海の考えていることを言い当てることだって出来やしないさ。それに、この先、挫折するようなことが絶対に来ると思うけれど、必ずしもやり直したくなるほど悔やむことはない。失敗を経験してこそ、次に生かせることだってある。やり直すってことは、その失敗もなかったことになるかもしれない。やり直してしまったら、また同じ失敗を繰り返すことになるだろう?」

 俺の言葉は白井の望む答えにすらなっていないかもしれない。

「……その通りかもしれませんが」

 そして案の定、海の言葉は歯切れが悪い。

 そもそも、この質問に対する答えは俺が出せる物じゃなさそうだ。

「こんな質問するのは、俺の答えが聞きたいんじゃなくて、本当は相談に乗ってほしいんだろ?」

 海が抱えている悩みを、俺が答えを出すこともあるかもしれないが、早々上手く行ったりはしない。

 手助けは出来ても、問題の答えは自分で出さなければ意味がない。誤魔化したり目を逸らせば、歪んだ結果が待っている。

「いったい、何がやり直したい事なんだ?」

「啓輔君と初めて会った時の事、です」

 脳裏によみがえる、白い女との出会いとやり取り。

「……その程度かよ」

「やり直せるのなら、もっと、綺麗な出会いにしたい」

 難しいと思うけどね。

 だって、あの時の海と今の海は明らかに違う。

「世の中にきれいな物なんてねぇよ。だから、綺麗っぽいものに人は惹かれるんだ。それに、やり直して海とはなんともない関係になったとか、本末転倒もいいところだ」

「……そういう事ってありえますか?」

「あるだろ。俺があの日、外出していなかったら?」

「会わなかったかもしれません」

「だろ」

 今の自分は選択肢と他者の選択肢の上に成り立っている。そして今の自分もまた、その選択肢の柱に組み込まれていく存在だ。

 今の自分は結果であり、過程である矛盾した存在。

「やり直しはしない方がいいですね」

 迷いを振り切るように、首を振る。

「……でも、もっとうまくいっている世界はあるかもしれない」

「また、そうやっていじわるな事を言うんですね」

「ごめんな」

 海と話していて、ひとつだけ気になったことがあった。

「なぁ、海」

「なんでしょう?」

「ここを、この世界をやり直す方法が……あるのか?」

 否定した手前、尋ねる事には抵抗がある。おかしな話だとは思ってるよ、あり得るわけがないのにな。

「なんですか、啓輔君。もしかしてやり直したくなったんですか?」

「そういうわけじゃない、が……」

 あったら怖いな。誰かがそんな方法を試していたら、俺はこの景色が嘘になってしまう気がしてならなかった。

「もし、そんな方法があるのならとっくに試していますよ」

「そうか」

「はい、残念だと思いました?」

「いいや、ほっとした」

「私も今はほっとしています」

 こちらを一度だけ見ると、また沈みゆく夕焼けへと視線を向ける。俺は弛緩した気持ちを引き締めることなく、これからも続くだろう日々を想像した。


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