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影食いリルマ  作者: 雨月
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白井海編:A'''(仮)の世界

 二月を目前に控え、俺は机に向かっていた。

 後期の試験で単位を落とさないためだ。裕二や、宗也の遊びの誘いを断って講義の理解を深めようとしている。

「……ふぅ」

 しかし、あまりうまくいかない。

 これまでは黒の手帳の騒動に巻き込まれる形で、考えるべきことが別にあった。

 今回はもう違う。それぞれの日常へと各々が戻りつつあって、少しはほっとしている。影食いと知り合い、非日常の日々を送ることとなり、今でもその付き合いはある。おかげで自分が本当は何をやりたかったのか、再度考えることになった。

 リルマや美紀は影食いとして生きていくのは明快だ。どういう仕組かは詳しくわからないが、ちゃんとお金が出ているからな。需要と供給が成り立っているのだろう。

 世間に知られていなくても、生活していけるのなら問題ないだろう。もっとも、定職扱いなのかは知らないが。

 イザベルも似たようなものだろう、兄貴が記憶を失っているのはでかいが、割とフランクな性格だし、手帳を滅ぼすことに情熱を注ぐ必要もないのかねぇ。少しのんびりしたいともいっていたっけ。

 結局、どれだけほかのみんなと関わろうと人間というのは基本的に一人の存在だ。集団の中に居ても、パソコンの前に居ても一人だ。

 人は集団の中で一人として生きている。さびしいとか、そういう問題ではない。

「うぐっ……」

 急に、胸が締め付けられるような痛みに襲われた。コップを倒し、その場でうずくまる。

 痛みを受け入れ、朦朧とする頭で何が原因なのか考えてみたが、思い当たる節はない。

 ふと、視界の隅に女の足が見えた。顔をあげると、白井がいた。

「白井……」

 しかし、名前を呼ぶと消えた。

 元からそこに、白井海なんていなかった。断言できる、今のは幻覚だ。

「……どうかしちまったのかね」

 数十分後、痛みが引いたので立ち上がる。

 濡れた机を拭いて、ふやけたノートを日の当たる窓に干す。そのあと、少し悩んでスマホを手に取った。

「虫の知らせじゃなきゃ、いいんだが……」

 白井の番号を呼び出し、通話ボタンを押す。

 何度かのコールの後、男の声が聞こえてきた。

「もしもし?」

「誰だ、あんた?」

 脳内には嫌な展開が所狭しと並び始める。そして、電気屋に売っているテレビのように様々な白井に起こった悲劇を映像として流し始めていた。

「羽津署、警察の者です。実は先ほど落し物として持ってきた方が居ましてね。ちょうどよかった。この携帯電話をお持ちの方ですか?」

 なんだ、警察か。驚かせやがって

「はぁ、友達です」

「本人と連絡とか取れますかね」

 面白いことを言う警官だ。

 そこまで考えて、俺は白井のスマホぐらいしか連絡先を知らないことに気づいた。俺がこれまで連絡を取っていた相手は、スマホだ。あくまで電話はツールだ。メールを送って返ってきたとしても、それは本当に白井が送ってきたものかわかりはしない。

「もしもし?」

「あ、えっと、俺、この電話番号しか知らないので他はちょっと」

「割と頻繁に会う中でしょうか?」

「たまに」

「では、次に会った時は教えてあげてください。こちらからもわかり次第、本人に連絡はしてみます」

「はい」

 電話は切れた。

 物言わぬ板となったそれを机の上に置いて、俺は布団の上に寝転がる。

 まぶたを閉じて、また開く。

 視界の隅に、白井が現れた。先ほどと同じ、幻覚だ。まぶたを閉じずにじっと見つめる。彼女は動いたりせず、虚空を見つめ続けている。

 俺は目を閉じて、一息ついた。

 そのまま、夢の世界へと向かっていった。

「……ん」

 眠ってしまって、何時間が経っただろうか。

 スマホが振動する音で目が覚めた。違和感を覚えた。相手は白井からだった。

「……白井か?」

「はい、スマホを落としてしまっていま、警察に行って取ってきましたよ。いや、証明が面倒ですね」

 どこか軽い口調は相変わらずだ。

「啓輔さん、どうしたんですか?」

「ああ、いや、特に……」

 俺は何とはなしに窓の方を見ようとして、固まった。

 俺の隣に、スマホを持った白井が座っている。

 いや、この白井は幻だ。なんだ、これは。

「啓輔さん?」

「……これから会えないか」

 白井の幻影を見ながら話した。

「どうしたんですか、声が真剣ですよ」

「たまに、不安にならないか? 自分が電話をしている相手が、本当にそいつなのかって」

 俺の言葉に、電話の相手は静かになった。

 電話の相手は白井じゃないのかもしれないな。いや、白井だ。俺は何を言っているんだろう。

「考え過ぎですよ、啓輔さん。何かそういう設定のドラマでも見たんですか?」

「……そうだな、悪い。変なことを言って。忘れてくれ」

 理由はわからないが、俺はたぶん、疲れているんだ。

「一時間後でしたら会えますけど?」

「駅前にある喫茶店に来てほしいんだ」

「わかりました」

 電話を切って、俺は立ち上がる。

 幻覚である白井もスマホを太ももの上に置いて虚空を見ている。薄気味の悪い出来事だ。

 俺は着替えて、外に出ることにした。

 部屋を出る時、振り返った。まるで一つの場面を切り取ったかのように、白井の幻覚は靴に履きかえていた。

 服も違っている、あの白い服ではない別の服だ。ベージュのタートルネックに、茶色のコート。スカートはブラウンのロングスカートだ。

 俺は扉を閉め、鍵をかけた。

 そこで、目を覚まして覚えた違和感を理解した。

「なんだこれ」

 まるで世界を一つ、レンズ越しに見ているような感覚だ。

 一人称のゲームや、映画を彷彿とさせるどこか、現実感に乏しい世界。確かに、現実に生きているのは理解できる、出来るのだが何か一人だけ蚊帳の外のような気分なのだ。

 そして、視界の隅には白井の幻覚が俺についてきている。気づけばいる状態だ。

 喫茶店について俺はコーヒーを頼む。

 目の前には幻覚が座っている。頼んだコーヒーが届いて口をつけていると、目の前の幻覚もいつの間にかコーヒーを飲んでいる。

 俺は白井が来るまで読書することにした。

 読書を初めて三十分程度、声がしたので顔をあげると俺は固まった。

「どうかしたんですか?」

「……今日は、あの白い服じゃないんだな?」

 ベージュのタートルネックに、舌はブラウンのロングスカート。そして、茶色のコート。動いている以上、これは幻覚じゃない。

「はい、汚れてしまいますし、それに今日はいつもの白井海としてではなく、プライベートとして会いに来ましたよ」

「プライベート?」

「普段はこのお姉ちゃん、大丈夫かなって印象が強いと思います」

 うん、衣装からそうだよ。

 会った時から、この姉ちゃん、大丈夫かなって思っているから安心してほしい。時折見せる年長者の眼差しはいいと思うんだけどね。時折見せる、そんな横顔がどきっとしていたんだけどさ。

「でも、今日はプライベートですからね。お姉さんが悩みを、啓輔君の困っていることを解決してあげます」

 君付けで呼ばれるなんてなぁ。

 いいかもしれない、こそばゆくて。

「……じゃあ、白井さんにお尋ねするけどさ」

「啓輔君、下の名前でいいですよ」

 馬鹿にしているわけでもなく、穏やかな視線がなんというか、むず痒い。

「う、海さ……ごめん、やっぱりいつもの呼び方でいいか?」

 俺はやはり、子供っぽいところが残っているようだ。恥ずかしさが勝ってしまう。

「呼び捨てで構いません。でも、二人きりの時は海って呼んでください」

 二人きりだから恥ずかしがる必要もない。

「……海」

「なんでしょう?」

「来てくれて、ありがとう」

「気にしないでください。啓輔君のためだったら、私は何だってしますよ」

 俺の目を見る海の瞳の中に、嘘は欠片もなかった。それは嬉しいことだが、同時に怖い事でもある。

 俺にはそうしてもらえるだけの理由がない気がした。

「今考えていること、当ててあげましょうか?」

 ここで海がふざけたら、いいや、どこかのタイミングでいつもみたいにふざけて空気をかき乱してくれるのなら俺は楽になれるかもしれない。

 先手を打ってふざけて、相手の調子を狂わせて空気の主導権を握りたがる白井らしい方法だろう。

「俺にはそう思ってもらう理由がない、ふざけてくれないかなって思ってますね?」

「……驚いた、当たりだよ」

 読心術でも持っているのかと疑いたくなる。

 そして、今日の彼女はいつものようにおふざけは絶対にしない。

「啓輔君が悩んでいるのは将来の夢、そして誰かが現れる幻覚……それは私ですね?」

 海はカップの淵を指でなぞっている。

「どうしてそんなにもわかる?」

 今、そんなことは考えていなかった。つまり、心を覗かれたわけじゃなくてまるで、俺の行動がわかっているような言い草だ。

「どうしてわかるのか、疑問だと思います」

「ああ、不思議だ。怖いぐらいに当ててくる」

「話さないつもりはありませんが、まずは私の過去を話してもいいですか?」

 関わってくる話なんだろう。それは間違いない。

 海は俺の心の中が読めるのだろうか。

 あまり認めたくないが、目の前の人物は首を縦に動かしている。

「ええ、その気になれば、ですけどね」

 俺は黙りこくるしかなかった。

「一つだけ、おふざけだと考えてくれて構いません。面と向かって聞きたいことがあります」

「……なんだ?」

「私の事を、どう思ってますか?」

 ずるい質問だ。そんな質問をされれば、一瞬でも真面目に考えてしまう。

 そしてその答えは、隠したくても目の前の人物に一発でばれてしまうのだ。

「嬉しい反面、戸惑いますね」

 俺から目を逸らし、照れている姿は可愛かった。

「何が。普段は飄々としているくせに……演じているのなら、最後までそういう人間でいて欲しかったよ」

 その場の空気を読み、上手くまとめ上げていた人間が率先して空気を壊しに行ったならどうなるのか。容易く色々な物が崩壊することだろう。

「ごめんなさい。でも、私は啓輔君が孤独を感じ、虚無に苛まされるのなら道化でいられません」

 虚無。なるほど、虚無か。孤独を感じた人間が行きつく先はそれかもしれない。

「私は子供のころ、異世界の影に襲われました」

「異世界の影?」

「はい。影よりも、異世界の方に興味が湧くかもしれませんね。詳しいことは私にもよくわかっていませんが、私たちが今いるこの世界と似たようなものです。たとえば……」

 そういって海は俺の手を握った。

「本来私は、啓輔君の手を掴むつもりはありませんでした。これが、Aの世界とします」

 そして次に、コーヒーの入ったカップを動かす。

「私が啓輔君の手を掴まず、動かそうとしたのはこちら、これがA’。こういうかすかな変化の異世界です」

「てっきり、影食いが一般的だったり、魔法使いが闊歩している世界かと思ったよ」

「そういう異世界もあるかもしれませんね」

「その程度の差違しかない世界があるのか?」

「立証できるものはありませんが、私を襲った影の世界は、ほとんどこの世界と変わりませんよ」

 存在していて何の意味があるのだろう。

 西洋風の世界が続いていたり、鎖国したままの日本なんかにも興味はあるが、まさかカップを動かしたか、俺の手を掴んだ程度の世界があるなんてな。

「その影は本来、人間でした。彼か彼女かはわかりません。仮に、女の子としましょう」

「影に性別ってあるのか」

 リルマと一緒に行っていたころは男が多かったが、あれが正しい性別とは思えない。

「仮です。そちらのほうが啓輔君には説明しやすいと思うので」

「そうかい」

 説明手がそういうのなら従う以外にほかない。

 俺はコーヒーのおかわりをお願いして話に備えるのだった。

「私たちがいるこの世界を、仮にA’としましょう」

「Aじゃダメなのか」

「おそらく、Aの世界ではありません」

「どうしてそう言える?」

「Aの世界は私たちが影と呼んでいる者たちは存在しないでしょう」

「……え?」

 それはどういう事だ。

「なんで存在しないんだ?」

「Aの世界をコピーしたA’の世界。コピーされた際に、元のAにいた人間が、影と呼ばれる者たちです」

「……いろいろと突っ込みたいところがある」

 いや、多すぎる。どれから突っ込めばいいのか。

「なんでしょうか?」

「まず、コピーした世界だ。世界をコピーできる技術があると仮定してだよ? コピーをした奴がいるってことになるよな?」

「ええ、そうなりますね」

「……そんなの、神様でもいないと出来ないだろ」

 俺は神様を信じているわけではないが、そんな技術があるなら周りから神様と崇められるはずだ。

「なるほど、神様ですか。まぁ、そこがわかれば話は早いんですけどね」

「宗教家だろうに」

「今日はプライベートですから」

 オンオフは切り替える主義なんですよと言われた。

「啓輔君。私もそこは調べるつもりです。今はまだ、わかりません」

 そうだろうな。

 もしかしたら、俺の目の前にいる人間こそがこの世界をコピーした神様と呼ばれるべき、存在なのかもしれない。

 ちょっと考え過ぎか。海の奴が苦笑いしてやがる。

「次の質問だ」

「はい」

「影についてだ。海は影が、Aの世界にいた人間だったと言ったな? 世界がコピーされたという解釈に対して、矛盾が生じないか?」

 Aという世界にいたはずの人間が、A’にいない。コピーというものは元からあるものをそっくりそのまま別の物に移すことではないのか。

「あくまでコピーされたのは、この地球と考える方が妥当でしょう。そして、人間にはメインとモブの二種類があるとします」

「二種類?」

「ええ、地球とメインのみコピーされて、モブは無作為に作り上げられる。ある程度コピーされている以上、Aにいた世界のモブもそのままA’の世界にいるが、構築される際に選ばれなければ人間にはなり得ない」

「じゃあ、影食いってなんだよ」

「おそらく、世界が作ったのか、それとも影との中で生まれた防衛機構ですよ。影が一方的に満ちることは絶対にありえませんから」

 確信に満ちた表情で海は言ってのけるが、どうしてそうはっきりと言い切れるのか俺には疑問だった。

「どうして、そう言える?」

「影が人を襲う以上、えさは必要です。肉食獣だって、草食動物が居なければ成り立ちませんよ」

 それは確かにそうだ。

「影食いに関連してですが、影食いの武器を見たことありますか?」

 この質問はとても簡単なものだった。

「もちろんだ。リルマは刀の形をしていて、美紀は籠手だな。イザベルは……なんだったかな」

 影食いなら誰もが所有する代物だろう。どこか次元をゆがめたような感じで所有者の手に存在するかっこいいものだった。

「あれも、なにかあるのか?」

「ええ、これまで話してきた私の言葉は適当なでっち上げや、妄想だと思ってくれても構いません。しかし、武器に関しては確定です。あれは、人を傷つける際に心に描く凶器です」

「そう言われるとすんなりかっこいいなと思えなくなるんだが?」

 やめようぜ、そういう事を言うのは。

「リルマさん、美紀さん、イザベルさん……これまで他にも影食いを見てきましたが、人を殺めた方はいませんね。得物を見れば、わかるんですよ」

「怖いことを言うなよ」

「すみません。でも、啓輔君も覚えておいてください。影が滴る得物を持つ影食いは、そういう事をやってます」

「ある意味、狂った影食いを見つける目印ってわけか?」

「はい」

「……なぁ、海。影食いの事はいいんだが、それだとカゲノイは何になる?」

「影食いとは別の防衛機能ですね。相手を滅ぼす以外にも、従わせるってわけです。二つ前の世界では人間、次の世界では影で、さらに次の世界では人間に戻ったものだと思います」

 その理論だと白井は元影、いや、その前が人間だから……ややこしい話になるな。あとは、カゲノイが存在するってなると世界のコピーは三度されたことになる。えーと、そうなるとA’ではなくて、A’’か。

「ま、今の世界の話ですからね。それに、カゲノイは今一つ関係しませんから」

 意外にさらっとした説明だった。

 俺はもっと聞きたいことがあり、頭の中で整理するためコーヒーを飲もうとする。手元にあったカップは空だった。

「っと、いつの間にか飲んでたのか」

 俺はカップをテーブルに戻した。

「何をですか?」

「コーヒーだ」

「入ってますよ?」

 そう言われてカップの中を見る。

 なるほど、確かに入っていた。これも一種の幻覚だろうか。

 だが、まるで誰かがクリームを入れたような味がした。

「啓輔君、他に聞きたいことは? 早くしないと邪魔が入りますよ」

「邪魔? いったい誰が」

「それはわかりません。でも、潜在的なものが表面化してしまい、誰かと疑問を共有すると充分危険だと判明されます」

 注意深くあたりを見渡している海に俺はため息をついた。

「そう急かすなよ。えーとだな」

 俺は次に疑問に思っていたことを口にしようとするのだった。


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