第七十六話:二兎追う者は
俺は要件を伝え、通話を切ろうとするとふと疑問に思った事を口にしていた。
「なぁ、美紀。そう言えば俺に写真を送ったのはなんでだ?」
「写真?」
何のことかと疑問に思っていたようだが、思い出したらしい。あのリルマ曰く、破廉恥な奴だ。
「あれはあんたに対してのご褒美」
「ご褒美ぃ? 何かしたっけ」
写真の事と、面倒な事件が起こったおかげで軽く前後の記憶が思い出しづらくなっていた。画像は一応、消してある。
「人助けのね」
「……そういえば、そんなこともあったな」
「あの画像、どうしてる?」
まるで俺が余計な事を思い出さないようにするためか、早い口調で確認される。
俺はどうこたえたものかとしばらく考えてみると、またスマホから声が聞こえてきた。
「また、送ってあげてもいいけど?」
「お前ね、ああいうものを送るのはよくないよ」
「……どうして?」
「どうしてって、勘違いした男に襲われ……いいや、返り討ちだわ」
今、脳内で裕二が美紀に襲い掛かったけれど、数秒も持たなかった。俺もいってみたけど、やはり数秒しか持たなかった。
俺が覚醒したら涼しい顔して反復横跳びで避けてるね。
「ともかく、やめとけ」
「いつから私に指示出せるほど偉くなったわけ?」
何故だか楽しそうに言う美紀に俺は頭痛を覚える。
「……うるせー、一応パートナーなんだからそういう画像、よそ様のスマホで見たら気分悪いだろ。俺の半裸を他の奴が持っていて、それを美紀が見たら嫌な気持ちになるだろ?」
「ま、確かにそうかもね」
その後、わかったと言って通話が切られた。
俺は次に、白井の電話にかける。
ワンコールで相手が出たので驚いた。
「早いな?」
「私と啓輔さんは心がつながっています」
「はいはい。実は話したいことがあるんだ」
「なんでしょう?」
俺はあることを伝えた。
「なるほど、わかりました」
「理由も聞かないのか?」
「私は啓輔さんの事を信じていますから」
「……そうか」
そう言われると、嬉しかった。
「信じているって言葉って使い勝手がいいですよね。適度に信頼関係を築けた相手ならこの言葉だけで事足りますから。たとえ、本当は、あなたの事を、信じていなくたって」
「……え、マジで?」
「安心してください、嘘ですから」
俺は妙な顔になっていただろう。相変わらず、変わった奴だ。
「信頼っていうのは相手に甘えない事が重要ですよ。いずれすれ違いを引き起こして甘酸っぱい仲良しイベントが待っています」
「まぁ、言わんとしたことは何となくわかった気がするよ」
「でも、甘えたくなった時は甘えてくださいね」
予防線を張られたうえで、飛び込んで来いと言う。一筋縄ではいかない相手だ。
「わかった、肝に銘じとく。じゃあな」
「あの、これから会えませんか」
「いいけど、今どこだ?」
「西羽津市です。ちょっと駅前を一緒に歩きたいと思いまして」
「了解」
「素直に来ていただけるんですね?」
「そりゃあな」
断る理由がないからな。さすがに、約束している時間まで一緒に居るわけにはいかないけどさ。
「前、誘った時は拒否されましたけどね」
「……誘われたっけ」
「もう、覚えていないんですか?」
少し拗ねたように言われた俺は、慌てて記憶の端から端までを探し始める。
白井に誘われたのであれば、忘れていないはずなんだが。
「ええっと……」
「タイムアウトです。案外、覚えていないんですね」
「……すまん」
なんだろう、彼女に記念日を問い詰められている気分だよ。
「まだ私が啓輔さんたちと会って間もない頃です。あの時も私はあなたを誘いましたよ?」
「そういうことか」
変に焦ってしまった。あの状態で白井についていくわけがないだろうに。
それから俺は西羽津市で白井と会った。
「ちょっと歩きませんか」
「ああ」
レンガ造りの駅前をただあてもなく歩く。いったい、俺に何の用事があるのかわからなかったが、白井に誘われるまま歩いていた。
一つの喫茶店に入り、白井はコーヒーを二つ注文する。
「事前に伝えておきたいことがあります」
「電話した事についてか?」
「いいえ」
首を振られ、俺は次に思い当たることを考える。
「さては、ふざけた話だな?」
「空気読んでください」
割と、真面目に怒られた。へこむ。普段、ふざけている奴から駄目だし喰らった時ってショックがでかい。
「暴走したジョナサンを倒す時の事ですね」
「それがどうかしたのか」
結果としてジョナサンは助かった。俺はそれでよかったと思う。
「リルマさん、美紀さん、そして私。あの時、ジョナサンを倒すことに積極的でした」
「そうだな。少し見ていて怖かったよ」
俺は特に何もしていないのに、動いてくれた三人に失礼だとわかっていても口にしていた。
「あれは手帳の力だと思います。手帳は二冊あり、一冊は廿楽さんが持っているといっていて、もう一冊は啓輔さんの中、ですよね?」
「ああ。だが、手帳の力ねぇ。よく分からんが」
「あくまで仮説です。手帳は自身を滅ぼそうとするジョナサンを敵だと認識したのではないでしょうか。手帳の力に間接的に触れている私たちを使って、それを排除したと」
俺は首を振った。
「夢物語だ。そもそも、手帳に間接的に触れたっていつの話だよ」
「リルマさん、美紀さんは啓輔さんを影食いしています。私は、あなたの中に入りました」
筋が通っているのかいないのか、それで触れたことになるのなら白井の意見も通るだろう。俺の意見としては正直言って、わからない。
「ま、手帳の話は参考程度にとどめておくよ。廿楽すみれの件、よろしく頼むぜ」
すみれの一件がうまく終われば、羽津市で起きていた影食いの問題も少しは静かになるんだろう。
「わかりました。任せてください」
それから俺は、約束の場所へと向かう。まだ、時間的にかなりの余裕があるが、これはとても大切な約束になるだろう。遅刻していくわけには行かない。
駅前につくと、俺はリルマに電話をした。
内容はとても簡潔で、彼女は少し黙りこくった後、頷いてくれた。俺は静かに、目を閉じて待つことにした。
「うわー、何あの人。目をつぶって浸っちゃってる」
「きっと、彼女にフラれたんだよ」
「……こほん」
俺は近くの喫茶店に逃げ込んで時間を過ごすことにしたのだった。
時刻は夜七時を回った。すみれが来るのはまだ先だ。別の奴との待ち合わせ時間だ。
すみれは待ち合わせぎりぎりか、それ以降、つまるところ遅刻の常習犯だった。
ベンチに座って、俺がフラれた場所を眺める。
すべてはここから始まったのか。ああいや、すみれは俺と付き合っていたころから、それこそ幼少のころより手帳を手に入れるため、機会をうかがっていたはずだ
ただ、まぁ、やっぱり今の俺はここから始まったんだ。正しくはリルマと出会って始まった。
「お待たせ、どのぐらい待った?」
声のした方を見ると、そこにはリルマが立っていた。
「ごめん、少し遅れちゃった」
「いや、今来たところ」
「何見てたの?」
「俺たちが最初に出会った場所を見てた」
「ああ、けーすけがフラれた場所か」
リルマは俺の隣に座り、夜空を眺めている。まだ駅前は明るいため、何の情緒もない。
「他の人はいつぐらいに来る? あたしが最初なんだ?」
辺りを見渡し、誰かを探している。俺たちはこれからすみれと会う事になっている。
美紀や白井の事を言っているのだろうが、それはない。
「……来ないよ。俺が呼んだのはリルマだけだ」
「え、あたしだけ?」
「ああ。そうだ。人数が多いと相手を警戒させるからな」
今回は俺が作戦を考えた。集まったメンバーの中で、一番すみれのことを知っているのは俺だからな。
「……話が見えないんだけど?」
不安そうなリルマももっともだ。何せ、リルマ抜きで考えたから。
「廿楽すみれを呼び出す。それから黒の手帳の情報を渡す」
「手帳の情報? そいつが持っているんでしょ?」
「まぁな。だが、まだあるんだよ。俺も一度だけ見たことがあるんだが、たぶん、あいつが探している手帳とやらは俺の中に入っているんだろうな」
「え? そうなの?」
比較的真面目にうなずくと首を傾げられた。
「話によると影食いやカゲノイとしての能力を飛躍的にあげるそうじゃない。あたし、けーすけが力を出したところ見たことないんだけど」
「それなんだけどな。いくら強力だとしても使い方がわからなければ意味がないようだ」
以前、リルマが言ったかな。力を出さなきゃ、カゲノイだか影食いだか一般人なのかわからないって。
「何かしら問題が起こっても俺にはリルマがいたから。影食いがらみの事件はリルマたちが解決した……そうだろ?」
「うん、まぁ……そうね」
リルマがおらず、俺が自分一人だったらどうなっていたか。結果は変わっていたはずだ。
手帳の力の使い方を知り、解放していれば、一人で裕二を助け、白井を倒し、美紀を退かせ、ジョナサンたちも返り討ちにしていたのかもしれない。
リルマと出会ったから変わったんだろう、いろいろと。変わったと言うよりも、本来たどるべき道筋からずれてしまったのかもしれない。
ただ、俺はそれでよかったと思っている。リルマにぼこられ、裕二を二人で捜し、白井と共に美紀を倒し、ジョナサンを美紀と一緒にしばいて裕二を取り戻せた。そのおかげで俺たちは美紀や白井と上手くやれている。
白井から聞いた仮説をリルマに話そうかと思ってやめた。今は必要な情報じゃない。
「でもさ、黒の手帳を相手にそのまま渡すのって危険だと思う。いくら元彼女とはいえ、目的がわからないんじゃ……」
「その通りだ。だから、質問をして、俺とリルマが納得したら情報を渡すよ」
「ふぅん?」
納得しているのかしていないのかわかりづらい返しだった。ふと、リルマは俺を上目づかいに見た。
「あのさ、なんであたしなわけ? 交渉決裂したらやりあう必要もあるわけでしょ。戦力を考えると美紀のほうが上だし、説得関係なら白井だと思うけどな。手帳の情報関係ならイザベルも協力してくれるだろうし」
最後に、少し悔しいけれど、みんなの方が優れているところがあるとリルマは言った。
それは確かに一理ある。
「白井はこういう場でも茶化しそうだし」
ないだろう。あいつは真面目にやってくれる。
「美紀は血の気が多そうだ」
ああ見えて冷静なところもある。
「ちなみに、イザベルの事はまだよく知らないし、手帳を手にすると変貌するかもしれない。一番信頼できそう……いいや、信頼できるリルマにお願いしたってわけだ」
「そうなの?」
「そうだよ。それにな、リルマは俺の相棒だ。何よりそれが、一番大きい」
嘘じゃないと言うつもりで視線を向ける。俺らの間じゃ、アイコンタクトは上手くいかないことが多かった。だから、言葉で伝えて目を見ればわかると思うんだ。
「……けーすけの言い分はわかった」
リルマは少しだけそっぽを向いて顔を扇いでいた。
「どうした?」
「別に……あ、あのさ、あんた、子供のころ、何になりたかった?」
話を変えようとしているのが見え見えだが、これに乗っておくとしよう。
「そうだなぁ」
一日があっという間に過ぎ去っていた。今ほど未来の事を考えておらず、過去の事を思い出したりもしていなかった。願う未来も、懐かしむ過去もまだ持ち合わせていなかったんだろう。
成長するたび、余計な事を考えるようになってきた。将来への不安と、小さすぎる希望を今は持っている。
「特に、日々が楽しかったから考えたこともなかったよ」
今、この瞬間に全てを賭けていた。そんな気がする。
「子供なんてそんなものね」
「そういうリルマは?」
「お金持ち」
俺よりも明確なように見えてあやふやである。夢は果て無く終わりなくを体現した夢の一つだ。
ちっぽけな不安で将来を曇らせてしまう俺よりも、楽観的に考えたほうがいいのかもしれない。
「……死ぬまでいくら稼げるか、か」
「あくまで子供の夢だから」
そりゃそうだ。
それから八時になるまで二人でくだらない話をし続けた。
白井のファッションセンスのなさ、美紀がなんであんなにつんけんしているのか、イザベルの名前の由来は何なのか、等々。
こうやって長々と、どうでもいいことで話し合う機会はこれまでなかったな。
「けーすけ、待ち人が来た」
「おう」
立ち上がってすみれを見る。
「呼び出して悪いな」
「ううん、気にしてないよ。あのさ、ここだと人が多くて話しづらいんだよね。場所、変えてもいい?」
「わかった」
すみれの条件をのみ、俺たちは少し離れて歩く。
「ごめん……不安だから手をつないでいい?」
「いいぞ」
すみれに聞こえない小さな声でリルマに話しかけられ、手をつないだ。不安そうなリルマは久しぶりだな。裕二を助けるために病院へ向かった時を思い出す。
結構な距離を歩いて、人通りの少ない山のふもと付近の広い駐車場へとやってきた。
広い駐車場ながら、人がいない。とても静かで、そこは暗闇と静寂に支配された場所だった。
「それで、手帳の情報をくれるんだよね?」
この暗闇でもすれみも、リルマも相手を見ることが出来るのだろう。俺は微かに人の動きが把握できる程度だ。月には雲がかかっており、もう少しすれば明るくなるだろう。
改めての確認に、俺は首を縦に振った。
「ああ」
その答えに嘘偽りはない。
「だが一つだけ聞いておきたいことがあるんだ」
「何?」
「おまえ、手帳を手に入れて何がしたいんだ? こんなもの、何の役に立つんだ」
月が俺たちを照らす。この場所でようやく俺はすみれの姿をよく確認できた。
すみれは目を細め、じっと俺の目を見ていた。
「……子供のころから夢だった。強力な影食いの力を手に入れること」
「そんな力を持ってどうする?」
力はあくまで手段だろう。目的ではないはずだ。
欲する物を手に入れてこそ、やりたいことをやれるようになる。手に入れるだけがゴールだろうか。
俺にはそう思えなかった。人は本当に欲しいものを手に入れる手段を追い求めて、手段を手に入れて満足し、忘れてしまうことがあるからな。
「質問はさ、一つだけじゃなかったの?」
見たこともないような強烈な睨み。この人、こんな表情出来るんだと相手に思わせるには十分だ。俺の知らないすみれだった。
「……そうだったな。手帳は今、俺の中にあると思う。渡したいんだが、どうすりゃいい?」
「そっか、やっぱり知らずに使ってたんだ?」
「ああ、多分その通りだよ。しかし、俺が手帳の効果を知っていて、わざと使ったと考えないのか?」
「啓くんはそんなことしない」
俺がすみれのことを知っているように、こいつも俺の事を知っている。俺に近づいたのが嘘でも、相手をだまし続けるのは難しいのかもしれない。
「私が影食いして、取り出すよ」
影食いするつもりなのだろう、すみれは俺に近づくが、俺との間にリルマが割って入った。つないだ手はいまだに離れてはいなかった。
黒の手帳という異質な物を持つ相手を前にして、やはりリルマは微かに震えていた。
「……何?」
「あたしはそんな言葉、到底納得できない。こんなあやふやな人間が余計な力を持ったらどうなるか。簡単でしょ、けーすけ」
俺が手帳を取り込んで、すみれがもう一冊の手帳に執心せずに片方だけで暴れていたらどうなっていたんだろう。
もしも何て存在しないし、考えるだけ無駄だが、何かが間違っていれば起こっていただろう。
「悪いな、すみれ」
「……結局、啓君は渡す気ないんだね。そっちの子に骨抜きにされたんじゃないの。そんなに年下が良かった?」
侮蔑の表情を浮かべ、俺を睨むすみれにため息をつくしかない。
「わけのわからないことを言うんじゃないよ」
どれだけ怖い顔で俺を睨もうと、臆する相手じゃない。リルマの手を力強く握ってやると相手も握り返してきた。
「いてぇ」
「あ、ごめん」
つい、リルマの手を放してしまう。すみれは俺らを見て更に険しい顔になっていた。
「こほんっ、俺の婆ちゃんがどういう理由で手帳を保管していたかは知らない。でもな、俺もさっきの質問にきちんと答えてくれないのならすみれが持っていちゃいけないものだと思う。大きいものは、危険なもんだ。お前が変に怪我をしたりするのは見たくない」
リルマとの一件を見られて少し恥ずかしかったので一気にまくしたてた。それでも、確かに俺はすみれに間違った道へ向かってほしくない。
「そっか、啓くんの言いたいことはよくわかったよ」
すみれの目から影が出始め、右手にでかい棍棒のような影を握りしめる。
「渡してくれないのなら、力づくで奪うね」
虚ろな声が、その場に響く。




