第七十五話:途絶えた道と進む先
買ってきた飲み物を各自に渡して、席についた。
「わりぃ、遅くなっちまった」
「いえ、話をしていたら時間があっという間に経ちましたので」
白井が昏く笑っている。不気味だ、何かよからぬことを考えているに違いない。
「あれ、けーすけ自分の分ないの?」
「あ、いっけね。忘れてたわ」
もうそこの自販機の何かでいいや。スポーツドリンクしかないけどさ。
「啓輔、甘いコーヒーを買ってきてくれたのはうれしいんだけどさ」
「おう」
「なんで美紀の奴だけパックなの? しかも、高そうだし」
高かったよ、高かったさ。
コスト度外視していたけどね。まさかこんな高いお茶があるとは思わなかった。それでもさ、人間、たまにはとてもいいものを口にした方がいい。
ただ生きるために口にするんじゃなくて、食への歓びや楽しみをもう一度だけ思い出してほしい。
とんかつのからっと上がった衣にぷりっとした肉の食感。レタスのしゃきっとしたサンドイッチや、チーズのとろーりとしたピザ。焼きたての鮭をほぐしてもうまいし、それを具にしたおにぎりなんかも行ける。
想像してほしいものだ、今本当に食べたいものを。ただ、作業になっていないだろうか。
「……啓輔?」
イザベルが多少不安そうに俺を見ていた。
「あ、すまん」
「たまに、どこかに意識を飛ばすのよ。放っておいたら戻ってくるから、気にしなくていい」
リルマが呆れたように俺を見ている。慣れたものだった。
「そのお茶はお店の人に選んでもらった」
「選んでもらったって……え、なんで美紀だけそんな高待遇なの」
不満そうなリルマだが、美紀は嬉しそう、でもなかった。
「別に飲めれば何でもよかった」
まるでやれるならだれでもよかった的な感じだった。
いいんだ、誰かのために頑張って報われなくたって、人生なんて報われないものだからな。人を助けて損をするぐらいなら、自分を守った方がいい。ただ、本当に余裕がある時だけ人を助けられればいいじゃないか。
「啓輔さん、もちろん私のメロンソーダも選んでくれたんですよね」
「メロンソーダは一種類しか置いてなかった」
「メロンソーダにやさしくないお店ですねぇ」
どこでもそんなもんだと思うけどな。メロンソーダなんて宇宙人の体液としか思えないね。
みんなも気を付けてほしい。もし、街中で体からメロンソーダを出しながら歩いている奴を見かけたら宇宙人だと思った方がいいぞ。
「さて、イザベルの話はどうなったんだ」
「え、甘いコーヒーの話?」
「違う、飲み物じゃなくてジョナサンだよ」
ああ、そっちかと言われた。
「ジョナサンは今、記憶を失っている状態。怪我もしていたみたいで、ここに担ぎ込まれたんだって」
生きていたのなら、よかったよ。ただし、記憶喪失か。記憶と能力を吸われているって言ってたな。
何も騒いでいないってことは、人間の姿をしていたわけか。よくわからないが、獣じゃなくてラッキーだった。
「……記憶を失っている、か。記憶が戻ったらまた手帳を探すんでしょうけど」
美紀はそういってため息をついた。
「廿楽すみれ……彼女の事を伝えたら彼女のもとへいくんでしょうかね」
「でも、けしかけたのはそいつだから自業自得でしょ」
リルマの言葉ももっともだが、ジョナサンよりすみれが弱いってわけでもなさそうだ。一度消滅したジョナサンをどうにかして復活させたのか、それとも俺たちが戦ったジョナサンが本物じゃなかったのか。
「ま、ジョナサンが無事でよかったよ」
「それ、けーすけが言うんだ?」
リルマがあきれた様子である。
「いいだろ、別に。いくら危ないことをしてきたからっていきなり消えるのはさみしいだろ」
「……相変わらず、甘ちゃんね」
美紀が俺を断じ、ほかも苦笑するか物珍しげだ。
「日常ならともかく、非日常の相手に情けは禁物よ」
冷ややかな視線で俺を見る美紀に、白井は無表情で俺を見ている。リルマは何かを言おうとしてやめて、イザベルも喋らなかった。
少しだけ重たい雰囲気。何かを言い返そうとしてやめた。美紀は俺の事を考えて言ってくれているし、白井はおそらく俺が言い返そうとしたら宥めるつもりのようだ。リルマもそれに気づいて口を閉じた。そして、イザベルはどちらかというとジョナサン側。うかつにしゃべると場を混乱させると思ったに違いない。
美紀って案外、心配性だ。出会いが今一つだっただけに惜しく感じられる。
「肝に銘じとく。ありがとな、俺の事を心配してくれて」
「別に、あんたのために言ったわけじゃないしっ、ふんっ」
仏頂面でそっぽを向いたが美紀の耳が赤くなっていた。俺はこうやって心配してくれる相手がいて運がいい。
それ以上、この場で俺たちが一緒に居る理由もない。病院前で解散となった。
解散後、俺はしばらく考える。やはり、もう一度すみれに会うべきだろう。
電話帳からデータは削除していたが、番号を諳んじてダイヤルをプッシュすることはできる。数度のコール音の後、すみれの声が聞こえてきた。
「もしもし、啓君?」
「ああ、そうだよ。よくわかったな」
「当たり前だよ。登録しているんだからさ」
そうかい。
「電話で話すの久しぶり。懐かしいね」
「そうさな……」
目を閉じれば思い出が、広がらない。影で霞んで影食いのリルマが現れる。リルマや美紀に影食いされて思い出もなくなっちまったのかもしれない。
「ジョナサンの記憶と能力を吸ったのかお前か?」
「さぁね。そんなことが聞きたくて電話をしてきたの?」
答える気はさらさらないようだ。
「ま、そう取ってもらって構わないよ」
俺が黙りこくったからか、相手は妥協してきた。他にもいくつか聞きたいことがあったものの、用件だけにしておこう。
「……黒い手帳について話があるんだ」
「あらら、さっそく本題? ここはとぼけた感じでいくつか思い出を挙げてほしかったな」
「そりゃ悪かった。だが、こっちもさっさと終わらせたくてね……直接話をしたい。こっちから手帳の情報も渡す」
「ふぅん?」
俺の真意を測りかねているらしい。
「今日の夜八時、駅前でどうだ?」
「わかったよ」
「じゃあな」
「あ、待ってよ」
そう言われて俺は律儀に待ってしまう。
「なんだ?」
「本当に用件だけなんだ?」
いったい俺に何を期待していると言うのか。彼女ですらなかった女の言葉に俺は軽くいらだちを覚えた。
ただ、ここで怒っても意味がない。
「ああ、そうだよ。じゃあな」
そこで通話を終える。
俺は別の人物の電話番号を眺める。これから俺のやるべきことは決まっていた。




