第七十二話:二人の会話
外へ出るとリルマが待っていた。微妙に俺から視線を外している。何か後ろめたいことでもあるんだろうか。
「元カノは?」
「さぁ、消えた」
「消えたって……帰っちゃったの?」
「いいや、文字通りの意味だ。影食いの関係者っぽい」
俺の言葉にリルマは目を丸くしていた。
「え、嘘? 何も感じなかったけど」
困惑するのも無理はない。俺だって今も頭の中で整理できておらず、頭の中にいる小さな俺は右往左往している。
「さっき初めて聞いたから俺にもよくわかってない。改めてみんなに話すから、とりあえずジョナサンが見つかった場所に行こう。そこにみんないるんだろ?」
「そうね」
リルマと二人で並び、歩き始める。すみれのことは一旦脇に置いておこう。落ち着く時間が必要だ。
最近は何かと誰かが首を突っ込むようになったのだが、出会った当初はよく二人で影を退治しに出たもんだ。
俺は呼び出される側だった。問題ごとが起こるたびにリルマを頼っていたのが他も巻き込むようになってたな。信頼できる相棒も悪くない。
日常的な知り合い以外にも、変わった知り合いもでき始めた。そうなるにつれて、リルマとの時間は相対的に減ってしまった。
「啓輔と二人きりで歩くのは久しぶりね」
「俺も今、同じことを考えていた」
この言葉に対してうさん臭そうな視線を向けられる。
「本当?」
なんとも、残念な言葉だ。信じられていないだなんてさ。信頼できる相棒なんて俺一人の妄想だった。
「本当だとも
「今晩のおかず、どうしようかな」
ちらりとこっちを見てくる。何かの振りだろうか。
「俺も今考えていたところだ」
リルマに軽く睨まれた。こういう態度が信頼を削っていくんだろうか。失った信頼は二乗の努力が必要になる。
「これから先がちょっと心配」
「俺も今考えていたところだ」
「……明日の天気、どうなるんだろ」
「羽津市は午前中晴れ、午後から曇りのち雨。山間部に関しては雨がふるでしょう。折り畳み傘を持ってお出かけください」
「そこは俺も今考えていたところだ、でしょ」
「俺も今考えていたところだ」
「そこで言うなっ」
実に切れのある突っ込みに俺は噴出した。
「なんだかんだで阿吽の呼吸だよな」
「あ、あうん?」
「えーさんがだよねっていったらびーさんがあ、うんっていう関係。つまり息があっているってことだよ」
「へー、そうなんだ」
あらやだ、この子、すんなり信じちゃった。
こういうあほなやり取りが出来るようになったのも時間のおかげか。
うぅん、思い出してみると最初っからあほな事を言い合っていた気がする。ストローの話とかな。教えた飲み方をしているのだろうか。
「なぁ、リルマ」
「何」
「……俺さ、リルマに出会えてよかったよ」
「いきなりどうしたの」
なんだか死にゆく者を見るような目つきを向けられる。失礼な奴だな。
「いや、ね。感謝っていうのは言えるうちに言っておかないとな。忘れたら大変だろ」
気づいたらいなかったなんて、よくあることだ。
だから今、一緒に居られるときに言っておかないと駄目なんだ。俺とリルマがこの先ずっと一緒に居られるわけでもない。
「感謝の気持ちは大切だっていうけどね。前にも感謝の言葉は受け取った気がするけど?」
「お礼の言葉に階数の上限は存在しない。言える時に言っておくのが俺のポリシー」
男は背中で語ると言うがやはり言葉があるのなら伝えておこう。
「あんたのポリシーってころころ変わりそう」
「俺はそんなに軟弱者じゃない、首尾一貫タイプだ」
「へー、じゃあ将来の夢は?」
「お金持ち……あ、適当に遊んで暮らせる仕事があるならそっちがいいな」
「早速ふらふらしてるっ! もうちょっとしっかりした人生設計立てなさいよ。自分の根っこを忘れない事じゃなかったの?」
「ほぉ、覚えていてくれたのか」
俺、感激。
多少ぐだぐだ話しながら目的の場所へと向かう。リルマをからかえたのは良かった。
「遅い」
「悪いな、遅くなっちまって」
美紀に睨まれ俺は首をすくめた。彼女は次にリルマを見ている。
「リルマ、さっさと戻ってきなさいよ。何、ちんたら戻ってきてるの」
「はぁ? じゃんけんで勝ったのはこっちだから。別に時間なんて決めてなかったし」
「え、何だよ、じゃんけんって」
いがみ合う二人を無視して白井を見るとしたり顔をしていた。
「元彼氏と元彼女が一体、何を話すのか……非常に興味深かったので勝者一名に聞き耳を立てるプレゼントをしたのです」
「最悪だな。というか、白井が与えたのかよ」
「おやおやぁ、ちょっと怒ってますか?」
「怒ってないけどさ。何様だっつーの」
お前は俺の何なんだよ。
「心の恋人です」
「あぁ、そうかい。しかし、仮にそうだとしてもあげっぱなしはなしだろ」
「なるほど、つまるところギブ&テイクですね。何かを与えてほしいと?」
「……まぁ、くれると言うのならもらうけど」
「じゃあ、いいことを教えるので耳を貸してください」
「はいはい」
スリーサイズでも教えてくれるのだろうか。
「ふー」
「うおああああ……」
不用意に耳を近づけた俺に、お姉さんの耳ふーが直撃した。
身体中に電気が走ったような気がする。
「いかがでしたか」
「……ノーコメント」
「恥ずかしがりやさんですねぇ」
頬をつつかれて、俺は相手をにらむ。
「うるせぇ」
リルマと美紀に見られなくてよかった。
耳ふーはともかく、俺とすみれの話は聞かれていないだろう。まぁ、全員に話すからリルマは勝ち損か。
「なぁ……白井も参加したのか?」
「もちろんですよ」
そうか。
「ちなみにじゃんけんは心理戦後、あいこ三回、のちに私とイザベルさんが負けて美紀さんとリルマさんの一騎打ちになりました」
「私はどうでもよかったんだけどね」
イザベルはため息をついていた。そりゃそうだろう。
じゃんけんの心理戦、俺、ぐーだすよってやつだな。
実際に拳と刀を振り回してやりあうよりは実に穏健で素晴らしいと思うよ、うん。
「で、リルマ。何話していたの?」
「それがさぁ、全然声が聞こえなくて……」
「え、うっそ。小声で話してたとか?」
「……かも。耐えられなくなって話しかけちゃった」
しかも、いがみ合っていたと思ったら仲良く話しているし。
「美紀も案外、こういう話が好きなんだな」
終わった関係でも、色恋沙汰に興味津々か。若いな。
「啓輔さん、それは美紀さんに言わない方がいいですよ」
「なんだ、言ったらどうなるんだ?」
「ぐちゃぐちゃにされます」
そういう生々しい表現やめて。
「理由はわからんが、アドバイスとして受け取っておく」
「ええ、あと私にも聞いてください」
まったく、構ってちゃんめ。
「白井もそういう話が好きなんだな」
「大好きです。しかも、啓輔さん限定でね」
「そりゃよかった……しかし、病院跡地は別に問題なさそうだな」
順調に取り壊しが進んでいるようで塀に囲まれ入れそうにない。白っぽい塀の高さは数メートルあるので、俺らが覗くことも出来なさそうだった。
もちろん、以前リルマがやってくれたように忍び込もうと思えばできるだろう。
「そうでもないですよ。ああ、あった」
これから先、どうするかを考えていると白井が足元を見ていた。
「あったって何があったんだ」
「微量ながら妙な影があったんですよ。血痕みたいな感じで、これを追えば影の主に会えます」
「へぇ、すごいな」
まるで検察官みたいだな。あれ、科捜研だっけ。
「影食いよりもカゲノイのほうが得意なんですよ……そしておそらく、この影はジョナサンの物でしょうね」
自慢というよりは特性を話すようにして白井は歩き始める。姿勢正しく、綺麗な後ろ姿だ。
「あたしもやろうと思えばできた」
「私は万能だから」
リルマ、美紀は張り合うようにしながら先へと進む。イザベルは少し表情を引き締めて白井の後を追うのであった。
俺もみんなの後に続き、ジョナサンの安全を祈っていたりする。




