第六十八話:共同戦線
美紀と俺が黒い獣を討伐した公園へと全員で赴く。その時から作戦は始まっていたらしい。
「すでに白井と美紀がいないんだが」
欠員二名。俺の右隣りにはリルマ、左にはイザベルがいるだけだった。
「白井と美紀は定位置についてるから安心して」
「俺、何も聞いてないんだけど」
「非戦闘員だからね。余計な事をされると困るし」
「決断したのは俺だろう」
「確かに、決断するのはけーすけの仕事。それ以降はこっちの仕事。それに、美紀の奴が今回は火力があるから大丈夫って言ってたわ」
それで説明は終わったとばかりにリルマはあたりを見渡している。作戦のためなのか、美紀はリルマや白井と一緒に居ても何も言ってなかったな。
「じゃあ、不参加の俺は木陰に隠れて見守っているかね」
さすがに、じゃあ、お家でお留守番しているねと言うわけもない。
「いきなり飛び出してこないでよ」
「おう」
「特に、邪魔はしないでね」
「……わかってる」
ここに来る途中、お手洗いに寄った時にリルマに話しかけられた。
「人に危害を加える存在に、情けなんていらないから」
「はぁ?」
多少、リルマの顔が怖かった。俺の知っているリルマとは少しだけずれた感じ。
「躊躇してると、こっちに被害が出る。それで自分が傷ついたら嫌でしょ?」
「それは……しょうがないかなって思ってる」
情けをかけるのは覚悟が必要だ。自分が殺されてしまうかもしれないと言う、どうしようもない覚悟が。そしてこの考えは自分勝手だ。自分の周囲の人間の事を考えていない。
「ふーん?」
片眉を動かして少しだけリルマは不機嫌な顔になった。微妙な沈黙が流れた後、唇の端をひくつかせながら、リルマは言った。
「じゃ、じゃあさ、あたしが……傷ついたら、いやでしょ?」
「当たり前だ」
「だから、邪魔、しないでよ?」
そんなやり取りがあった以上、邪魔をするなと言われたら手を出せない。
もっとも、手が出せるほどどうにかなることはないだろう。あの黒い獣は素人が容易に手を出せる相手ではない。
これまで俺は影関係で実際の被害を見たことがない。裕二がさらわれているが、怪我せずに戻ってきている。しかし、今回はイザベルがけがをした。一般人だったらと思うと怖くなる。
そして、その相手を仕留めることは罪を背負う事になる。背負えるのだろうか、俺たちに。
「イザベル・ブラックも役目が済んだらさっさと隠れてなさい。大してやりあえないでしょ、肉体的にも、精神的にも」
「わかってる。今、兄さんを呼び出すから」
どんな感じで呼び出すのだろう。気になって彼女に近づこうとしたらリルマにお尻を蹴られた。
「おい、尻が二つに割れたらどうするんだ」
「お尻を蹴ったのは謝るけど、何、不用意に近づいてるの。隠れてなさいって言ったでしょ。あと、お尻は二つに割れてるから安心していいから」
「……わかったよ。ったく、美紀みたいな事をしやがって」
「本当にいう事を聞かない時はやれって言われたの」
ぶつくさ文句を言いながら俺は木陰に一旦、隠れておいた。美紀の奴め、余計なアドバイスを送りやがって。
俺が悪いのはわかっているんだけどね。あれかな、いつもと違うってリルマ自体もわかって緊張しているんだろうな。けどさ、、お尻を蹴るのは美紀ひとりで充分だ。
弱気になっちゃいけないな。応援しよう。空元気で、ごまかすしかない。自分たちが正義でやっているのだと振り切れられるのならまだいい。自身の中で気持ちがぶれると、内部から崩壊を始めてしまう。
「がんばれ、リルマっ。負けるな、リルマっ」
「声を出しての応援もいらないっ」
また怒られてしまった。
「けーすけ」
ただ、幾分落ち着いた調子でリルマの方から俺の名前を呼んできた。
「なんだ?」
「勝てるから安心して見ていて」
「わかった」
「……そろそろ呼び出していい?」
俺らのやり取りにつかれてきたのか、イザベルはため息をついていた。これでは単なるあほである。リルマの邪魔にならないよう、意識を集中して気配を消さねば。
「……兄さんが来る」
「あっ、意識を集中していたから呼び出し方法を拝めなかったっ」
「けーすけ、うっさい」
それから数秒後、空から何かが落下してきた。縦三メートル、横四メートルほどの大きさのそいつは、いつか見た黒い獣とはまた違っている。波打つ黒い毛皮に目は紫に輝き、闇を垂れ流しているのだ。口からは真っ赤なベロがはみ出ている。
そして、左足は欠損し、身体は何かに引き裂かれた痕が見受けられた。誰かと戦っていたのだろう。もしかしたら保健所の人とすでにやりあっていたのかもしれない。
「こいつが標的、ね」
手負いとはいえ、リルマの持つ影の刀もあの獣に比べたら貧相すぎた。何より、手負いの獣は危ないと聞く。俺とリルマが対峙した中で一番の大物だ。
獣は何かを探している。おそらく、イザベルだろうが、すでに彼女は俺の隣にいる。
「あんたが化け物ね。成敗してくれる」
切っ先を向け、リルマは宣言した。
「お前が? 笑わせてくれる」
「え、喋った……」
リルマは驚いているようだった。俺も、この前見た獣と違っていることに驚いた。
「イザベルはどうした」
紫の瞳に血管が歪に浮かび上がる。あからさまに血走っていた。
「あの女の事? ああ、あいつなら知り合いのカゲノイが止めを刺したわ。そしてそのまま、影を利用したの。あんたをおびき寄せるためだけにね。もう一度言うけれど、あたしじゃなくて、知り合いのカゲノイがやったわ」
いつの間にか白井が犯罪者になっていたりする。
「なるほど、お前の事は初めて見るが、この日本にも狂った影食いとカゲノイはいるらしいな」
どこか嬉しそうに笑った。妹への心配は一切ないらしい。
彼もまた、これまで悪い事をしていていざ自分がそうなったら自業自得だと思う人間なのだろうか。
反省しているのなら、まだ人間の意志が残っているのならやり直せるんじゃないのか。これまでどんなことをしてきたのか知らないが、罪は絶対に消えないし、償えないと俺は思う。だけど、同じ苦しみを持つ別の人間の気持ちをわかってやれるかもしれない。
この説教を垂れる力なんて俺にはなく、隠れて見守っているしか出来やしない。飼っても負けても、俺たちに得られるものは少ない。勝てば後味の悪い事になるだろうし、負ければ俺らがやられた後、彼は暴走を続けるだろう。
「イザベルは死んではいないんだろう」
自嘲気味に笑って、俺たちのいる方へと視線を向けた。
「どうせ、妹はそこらの草陰に隠れているだけだろうな」
そしてあっさりとばれていた。
「妹さんの心配している場合じゃないと思うけど? おとなしく倒されなさい。優しくするから」
その優しさはおそらく介錯だ。倒すことを決めた以上、変更はしない。
「……私の目的は手帳の奪還、ただそれだけだ」
手帳、手帳か。
差し出せばすべて丸く収められたのか?
「そしてこの力を完全に抑えることはできない。もし、見つかったとしても手帳の関係者すべての息の根を止めることだろう」
「そんなに大切な手帳なんだ?」
「ああ、そうさ。下らない考えを持つ影食いの手に渡れば大変なことになる」
時折噴き出る影の血を見て、いずれこの獣は自壊するのが想像できた。
「名も知らぬ影食い、どうせ、邪魔をするのだろう?」
「ええ、あんたから血の匂いがするからね……何人か襲ったでしょ」
リルマの声は固かった。
「さぁ、覚えてないな」
「なっ……」
遅かったと言うのだろうか。
「くくく、だが安心しろ。何せ、記憶がなくなっていたのでゼロかもしれない。こちらも数十分前に記憶を取り戻したばかりだからな……」
しゃべっていたジョナサンの頭に何かが落ちてきた。
風圧が俺たちのところまで襲ってきた。両手で顔を覆い、耐える。
そこには美紀の姿があった。やはり、影食いの基本は不意打ちなのか。
獣はこの美紀の一撃に、咆哮をあげている。
「手ごたえありね」
その言葉を皮切りにリルマも獣へと迫る。跳躍した次の瞬間には獣の頭を両断し、美紀も胴体の方へと移行する。胴体下に移動した後は腹部を殴打していた。
この二人、元から話を聞くつもりなんてなかったんだ。
もはや影の塊となってしまった獣は何をすることもできずにうっすらと消え始めていた。
「一方的すぎやしないか? この前、俺や美紀が相手したときと違いすぎるだろう」
以前は核を吹き飛ばそうとしたがジョナサンに阻止され、相手に場所を突き止められないようにいわば逃げ回っていた。今では一方的にサンドバックと化している。
「この前は兄さんだけじゃなく、私もいたから。ウィルで作り上げた獣は優れた指示があってこそ、優秀な動きができる。それが無いと駄目。それに、今は完全にコントロールを外れているし、兄さん自体もウィルに飲まれないようになんとか操って、身体が消えてしまわないようにしているから」
俺が裕二に触れた時、あいつはお座りをしていたっけな。
「今は、サポートに誰もいないから大した動きはできない。最大時の半分以下」
「じゃあ、俺が暴走させることができたのも、イザベルが近くに居なかったからか?」
「兄さんでも操作はできなくはない。けれど、あのリルマ、じゃなかった。美紀を相手にしながらは無理」
肥大化した存在を操るのには、優れた人物でなければ難しいのだろう。
「それに、相手となる影食いの連携もまぁまぁいいから」
なるほど、あの三人は意外といい連携をしているらしい。
「なぁ、俺がまたあいつを暴走させれば、ジョナサンは助かるんじゃないのか」
裕二の時は上手くいった。あの方法を活用すれば、行ける気がするんだ。
「あくまでその方法は核が影食いやカゲノイ以外の人間だけ。それに、今の兄さんの状態は本当の獣。一体化している状態。さっき兄さんが言っていたことは嘘じゃない」
「そっか……」
結局、ジョナサンに戻すなんて絵空事だったのか。
しかし、白井はどこに行ったのだろう。さっきから美紀とリルマの姿しか見ていない。
「白井はどこだろう」
「それも役割。あの二人は避けることを考えてない」
「捨て鉢ってことか?」
避けることを考えてないってさ、あんな巨体の一撃食らったら、なんてそんな想像したくないぞ。
「違う。二人の後ろ、よく見て」
「うん?」
黒い縄のようなものが見えた。不意に獣が反撃を仕掛けたが妙な動きで二人は避ける。
「なんだありゃ」
「影を引き延ばしたものを使って、二人の回避行動を担当してる」
「はい、私です」
白い衣服の白井が姿を現した。その手には薄汚れたヴェールのようなものが握られていて、どうやらあの影の縄につながっているようだ。
「あの二人のように攻めるのはあまり得意ではないですからね」
「え?」
そうだっけ。言われてみれば確かに見たことがない気もする。そもそも、こういう機会で白井の力を借りたのは美紀の時だけだ。それにあのときは俺の中にいたから、どうやっていたのかもさっぱりだった。
「二人には攻撃に集中してもらっています。世の中、下準備でほとんど決まるものばかりです。リルマさんと美紀さんで棲み分けし、二人がかち合わないように引っ張るのも私の仕事なんですよ」
白井の話を聞いているうちに、ジョナサンの悲鳴は消えていく。
胴体もほとんど消去され、残るは切り落とされた頭だけとなった。
「まだ何か言う事、ある?」
油断はしていないだろうが、リルマは両断された頭へと近づく。まだ、生きているらしい。
「見事な力だよ」
「どうも」
「……最期に、イザベルを呼んでくれ」
相手の最期の願いにリルマは首を振った。
「できない。危ないからね」
「それなら、伝えておいてくれ」
「それもちょっとね」
「なら、直接きけっ」
大きな声だった。悲壮感も、絶望も、ましてやいらだちも何も感じない声音だった。
「イザベルっ。あれを、黒い手帳を見つけ次第燃やしてしまえ。そして、その効果を知っている愚か者もだっ」
それは純粋な願いのようだ。
俺は黒い手帳という言葉を聞いて少しだけ考え込んだ。やはり、手帳というのは俺の中にあるものだろうか。
「わかった、兄さん」
気づけばジョナサンの近くにイザベルが移動している。近づくのを誰も止めはしなかった。
「どうして、こうなったんだろうな」
似非紳士の姿はもうそこにはない。ばあちゃんが生きていれば、もしかしたら何かが変わっていたのかも。
「だけどね、兄さん、私たちはやりすぎたのよ」
「そうか」
「みんなには、最初から探すのを手伝ってもらえばよかったんだよ」
みんなという言葉の中には俺たち以外の誰かも含んでいる気がした。
「……うちの問題だから、それはできない。それに、ウィルを知られれば他の影食いに滅ぼされかねない。お前もそうだろう?」
「ええ、そうかもね」
俺もリルマの方へと近づいて尋ねてみる。
「あれっていけないことなのか」
「さ、さぁ? 私、初めて見たからわからない。ちょっとだけ怖かった」
リルマの言葉ももっともだ。
「いけないってことはないだろうけれど、逐一監視はされるでしょうね」
「そうなの?」
「危険でしょ、どう考えても。暴走したら一般人すら襲うんだから」
美紀が俺の隣で教えてくれた。
「黒の手帳の事を知られるわけにはいかないからな……啓輔といったか」
突如、それまで完全に蚊帳の外だった俺の名前をジョナサンが口走った。
「なんだ?」
「迷惑をかけた。もう一つ。お前の祖母がくすねていった黒い手帳がある。あれは見つけたら即処分しろ」
てっきり、俺はあの手帳に何か秘密があり、喉から手が出る程欲しがるものだと思っていた。
「出来損ないの影食いやカゲノイに憑けばよくないと聞いた。邪な事を考える輩に渡れば、面倒なことになる。そんなものは失ってしまった方が平和的だろう」
「……わかった」
このタイミングでも俺は言えなかった。まさか、それが自分の体の中にあるとは。これまで誰にも言っていなかった。忘れていたと言っていい。もっとも、俺が取り込んだ手帳が違うものの可能性もあるが。
「もし、憑いたらどうしたらいい?」
「取り出して、どうにか消滅させろ。……影食いのリルマに相談してみるといい」
そういって目玉は美紀を見た。
「任せなさい」
「え、リルマはあたしだけど……」
ああ、ややこしいな。ジョナサンはリルマが美紀であることを知らなかったな。
「最後に、イザベルと二人きりで話がしたい。外してくれるか」
「……何もしない?」
リルマが再度確認をする。
「いったい、今の俺に何が出来ると言うんだ」
「そうね」
徐々に薄れゆくジョナサンの首を見ていると、白井が俺の腕を引いた。
「引きましょう。私たちの仕事は終わりました。あとは、彼らの時間ですよ」
茶化す表情でもなく、とても落ち着いた感じだ。本当の白井は、こんな感じなのだろうか。
「え、あ、うん」
「この女が襲われても別に構わないし」
美紀も白井も公園の端にあるベンチへと向かって歩き始める。美紀の言葉は何もできないとわかっているのだろう、
俺は動こうとしないリルマの腕をつかむと驚いていた。
「なんで驚いてるんだ」
「いきなり掴んだから……」
「それは悪かった。でもよ、離れていようぜ?」
「……うん」
その目は困っているようにも見える。
「ね、けーすけ」
「どうした」
「あたしは、あたしのままだよね?」
その不安そうな顔に俺は首を傾げる。
「そうだよ。リルマは、リルマだ」
「よかった、なんだか自分が自分じゃないように感じたから」
そのまま手をつないで離れると白井が何やら目線で伝えてきたりもした。目で伝えようとするな、ちゃんと口にしないと伝わらないことってあるんだぞ。何が言いたいのかさっぱりだよ。
美紀の方はどうでもよさげにブラック兄妹を見ている。その横顔からは心の中をうかがい知ることは出来そうにない。
数分後、ジョナサンは消え去った。立ち尽くすイザベルを見て、俺は無力さを痛感した。もちろん、これで襲われなくて済むと言う安堵の方が大きいのは事実だ。
「俺は、ジョナサンが助かるのならそれでいいと思ってた。上手くいかなかったと言うか、イザベルは全く何もしなかったように思える。どうしてだ」
駄目であっても、そういう姿勢すら見せなかった。
悪い奴なら、罪を認めさせて贖罪させるのがいいと俺は思っている。ジョナサンの場合は、俺らの出会いが悪かっただけできちんと話し合えれば協力出来たんじゃないのか。
「あのね、けーすけ……」
「人には人の道がある。その場で最善だと思った行動をあの女は選んだんでしょ。それでいい、あんたがあいつらを気にする必要はないから」
リルマが何か言う前に、美紀がそう言って俺を見ていた。
「それに、個別で立ち向かうと返り討ちにあっていた」
「わかってるよ」
「わかってない」
睨みを利かせ、俺を見ている。
「……あれはもう、人じゃないから。意志を持った、ただの影。放っておいても、被害は増えるし、ジョナサンは消滅してる」
美紀がそう言うのならそうなんだろう。リルマもため息をついている。
「できないことを無理にしようとすると、被害が出る。そのことは忘れないように。あと、リルマ」
「何よ」
「いつだって最悪の事態は考えておきなさい」
まるで気遣わしげな口調に俺は少しだけ驚いていた。あの美紀が、リルマに対してそんな事を言うなんてな。
「……わかってる」
「わかっているのならいいわ」
美紀がそういって回れ右をする。
「私たちも帰りましょうか」
「……そうだな」
白井の言葉にうなずいて、俺たち三人は動かぬイザベルを残し、帰ることにしたのだった。
妙な気持ちになった。リルマと違って、罪の意識ではない、嫌な感じ。
本当にこれで終わりなのだろうか。




