第六十二話:悪役の高笑い、啓輔に立ちはだかる最大の壁?
今日は十二月三十一日、一年が終わる日だ。
羽津市では心身ともに傷つき、やせ細ったカレンダーを仰々しく燃やす日が制定された。それは江戸時代に起こった出来事。この行事をしっかりしないものはカレンダーの代わりに火あぶりに処せられたそうである。なお、これには見せしめの意味もあり、実際は幕府に反抗する者を処分していたらしい。
まぁ、当然嘘の話だが。
年末はいい。カウントダウンや特別番組、除夜の鐘と言った様々な出来事を体験できる。勿論、おひとりさまにも平等に年越しはやってくる。
俺の場合はちょっと特殊な事情があってまだ師走を終わらせそうにない。ま、裕二は無事にパートナーと力を合わせて助けられたので今度は俺一人の力でこの問題を解決すればいいさ。
「それで、説明をしてもらおうじゃないのっ」
「おう、そうだな……」
駅前の喫茶店は年内最終日の今日も頑張るらしい。俺は喫茶店のマスターに感心しながら、目の前のリルマを見た。
もっと、現実逃避したい。いつだって現実は辛く俺に当たってくる。
あぁ、なるほど。辛い現実を見たくないから宗也は引きこもっているのか。
「あの美空と一緒にいたんだって?」
きれいな顔立ちだが、眉が超危険ラインだ。怒って、いや、激怒していらっしゃる。金髪が何かの拍子に光り輝きそうだ。
そのうち、角でも生えて鬼になるかも。何も悪いことはしていない……はずだから、まったくもって後ろめたい気持ちはないね。ただ、早く現実から逃げ出したい。
「……まぁ、一緒にはいたかな」
ニヒルに答えてコーヒーを一口含む。ダンディーかつ、大人の雰囲気を纏わせて実際には持ちえない余裕を見せてみる。
「どういうこと? パートナーだとか抜かしてたわよ、あいつっ」
拳をテーブルにたたきつけた。俺は肩をびくつかせ、コーヒーもびびったのか受け皿に多少飛び散らせる。
よっぽど腹にすえかねているらしい。おかしいな、美紀が電話をして話していた時は全然、怒ってなかった筈だろ。
もしかして、時間差で怒りが来たのか。たまにいるよな。その時は冗談でからかっても、次の日ぐらいになんでこの前あんなこと言ったんだって、ものすごく怒っている人ってさ。
「がるるるるっ」
ほら獣になってないで周りを見ろ、リルマ。ウェイトレスさんが心配そうにこっちを見てるぞ。他の常連さんも、居心地が悪い顔をしていらっしゃる。
「やぁん、リルマちゃんのほっぺってばふにふにしちゃ、うぉうっ」
「がうっ」
浮気者が気安く触れるんじゃあない、そんな感じだった。おそらく、俺の勘だが今の上津気を避けられなかったら指が飛んでいたかもしれない。
はは、まさかね。
「うぉ、落ち着けってば。ちゃんと説明するから」
俺は落ち着き払って経緯を説明する。こちらに非がない以上、おどおどしてはいけない。
裕二の二度目の行方不明、ジョナサン・ブラック、黒い獣となった裕二、様々なことがあった。無論、一個一個丁寧に説明したさ。婆ちゃんの事は伏せておいた。ややこしいし、そっちの説明を俺は出来ない上にどうして名前がでてきたのかも俺は知らない。
わが祖母ながら、俺は婆ちゃんの事をよく知らなかった。
代わりに、美紀とリルマが実際に話したところは詳細を報告した。
「……ジョナサン・ブラックねぇ」
「ご納得していただけたでしょうか」
アップルティーを三杯飲みほして溜飲が下がったようだ。俺はずっとその間、椅子の上で正座していた。嵐というのは耐えて待つのが一般的だ。
反論しちゃいけない、相手が強大ならなおさらだ。力を持たぬものにはいつだって世界さんは厳しい。
火に油を注ぐって言葉があるけれど、油だと知らずに注いだんだろうな。事前にそうだってわかっていれば注ぐ人はいないさ。何事も、注意と確認が大事だ。
「あ、それ、油ですよ。水じゃなくて油ですって。あなた、油だってわかって注いでま……ああっ」
絶対こんな感じで周りの人の言葉を聞かずにかけたんだよ。
「やっべ、火がついた。これ、水? オーケー、水ね。よし消せるわ……って、油じぇねぇか!」
理想はこんな感じだ。
「ねぇ、けーすけ。私の話聞いてる?」
「あ、ああ。聞いてるよ」
つい、現実逃避しちまった。やけに顔が近いよ、リルマ。
「まず、一つ」
「うん?」
「なんで私に連絡をしてくれなかったの?」
ふ、ふはははは、質問がかわいいものだな、影食いリルマ。呼び出されるときにそういうことを聞かれるかもしれないと事前に準備済みだ。
自分の浅はかさを知らずに、俺の手のひらで踊っていろ。
「そりゃあ、あれだよ。あれ」
「あれ? あれって何よ」
「年末だろ? 忙しいだろ? 師匠が走るから師走だろっ?」
自分で言って悟った。勝てない。
戦車に対して俺は水鉄砲を準備していたようなものだ。対策しても、足りてない。くすん、ろくに思いつかなかったんだもん。
しかもこの水鉄砲、内部が故障していて発射出来ないやつだ。リルマだから適当に言えば何とかなるかもって思ったんだよ。それに、リルマの奴、もともと怒ってなかったじゃん。怒っていないリルマを想定していた言葉は意味をなさないね。
「……意味わからないんだけど」
どうやら今の回答はご機嫌を損ねただけのようだ。準備不足だったな、うん。次回に生かしたいと思う所存である。
「こほん、単純にリルマが忙しいと思ったからだよ」
しょぼい回答になってしまった。
「……なんだか納得いかないんだけど」
いやいや、俺はお前のことを思って相談しなかったんだよ。決して美紀が怖かったからじゃないよ。
そんなことを口に出すわけにもいかないのでにこにこしておいた。笑って乗り切るしかない、さぁ、リルマよ、俺の笑顔を見てハードルを下げてくれ。
俺は今、リルマと出会って最難関のハードルを、超えようとしている。しみじみ思う。相棒であるお前が俺の前に立ちはだかるとは思ってもみなかったよ。
「何、へらへら笑ってるの」
「うぐっ」
最近も似たようなことを女の子から言われた気がする。そんなに癇に障るだろうか。
「……まぁ、いいよ。わかった、啓輔がそう言うのなら信じる」
ああ、心がちょっとばかりちくっとした。
「二つ目」
「うん」
まだ質問があるのか。顔に出さないように気を付けて、心の中でげんなりする。何となく部屋に入って吊り天井だったから隣の部屋に逃げたら両脇の壁が迫ってきた気分だ。
「なんで美空美紀だったの?」
学習しないやつだなぁ、影食いリルマぁ。俺はきっかりばっちり、そういう質問が来ると踏んでいた。予習ってのは復習並みに大事なんだぜぇ。
一手先だけでは足りぬ。さらにその先を考えねば、明日は掴めないんだよぉっ。
「そりゃあ……あれだよ」
「だから、あれってなによ」
「た、たまたま、ぐ、偶然、美紀がいたんだよ」
「目、泳いでるわよ?」
ジト目のリルマが何を言っているのかさっぱりわからないな。俺の目が泳いでるだってさ。
はっ、目玉が泳ぐなんてあり得ないね。泳ぐんなら、金魚鉢の中に入れてそいつを飼ってやろうか。
うん、金魚鉢を目玉が泳いでいたら気持ち悪いな。飼うのはやめよう。もし、捕まえた場合は川から放流しよう。春になったら産卵のために戻ってくるだろうから。カエルの卵的な感じで生んで、ねずみ算で増えるのかも。うへ、気持ち悪い。
「けーすけ」
ものすごく優しい声で語りかけられた。混乱に拍車がかかっている俺はその声だけで落ち着くことが出来る。
「あのさ、怒らないから、本当のことを言ってよ。ね?」
両手で俺の手を包み込む。
温かなものが俺の心へと届く。気高く、孤高で、わがままだった俺の心へ一筋の光が差し込んだ。光、そう、照らしてくれるリルマの輝きだ。この光り輝く道しるべの先に進んでいけば俺はもう踏み外さない。
悪逆非道でラスボスとなった俺の心はあと一押しで折れるだろう。
「リルマ……俺は……」
「私たち、相棒でしょ?」
そう、そうだよな。
俺はリルマの相棒だった。
適当すぎる嘘を重ねてリルマを騙そうとするなんて俺はバカだっ。間違えていたんだ。
「実はな……」
俺は事細かに美紀と一緒にいた時のことを話すのであった。
両手を包んだリルマの片手は離れ、もう片方は俺が逃げられないようにしっかり保持。
「……あれ?」
俺の心を包んでくれていた温かな気持ちは、罪人を焦がす、いいや、消し炭にする灼熱の業火へと変貌した。
「何、デートみたいなこと、してるのよっ」
「ふがっ」
強烈な右ストレートが、俺の顔面に突き刺さった。
「お、怒らないって言ったじゃんかよぉっ」
「怒ってないっ」
「怒ってるじゃねぇかっ」
裁判長、その発言は、矛盾しておりますたい。
「別に美紀が悪い事をしていたわけじゃないし、むしろ裕二を助けてくれたんだから……」
「うっさい、けーすけのバカっ。もう、知らないっ」
「ち、違げぇよ、リルマ。話し合おう……ちょっと、待ってくれってばっ」
ああ、怒ったリルマの背中が遠ざかっていく。周りの客の視線が痛かった。
「何、夫婦漫才みたいなことをしてるんだ」
「うぅ、裕二か……」
どうやら約束の時間がやってきていたらしい。リルマの座っていた席に裕二が座っていた。
「見てたのか?」
「ちょっとだけな。安心しろよ、内容はきいちゃいないが……やましい気持ちが無いっていうのなら堂々としていればいいのに。あれじゃ、浮気が見つかった無様な男の姿だろ」
「俺は上手くまとめたかっただけだ」
そう言うのが一番駄目だと思うぜと言われた。
「で、なんで怒らせたんだ? 部外者の俺が聞いてやるよ」
お前も関係しているんだよとは言えなかった。
やれやれ、普通の友達にこんな情けない姿は見せられないな。ただ、素直に話せるわけでもない。
「こほん、ちょっとその大きなおっぱい揉ませてくれって言ったら殴られた。なんならその小さなケツでもいいって言ったらこうなった」
「ここでか」
おしゃれな喫茶店をぐるっと見渡して裕二が言った。割とお客さんがいる。
「ああ、ここで、だ」
「男らしいな」
「だろ」
「それが本当なら、怒るのは当然だな」
冷静な分析に頭が下がるね。俺もそう思うよ。
「こんな衆人環視で頼む馬鹿がどこにいる。そういうのは部屋二人きりの時に言えよ」
場所を選んだところでどのみち怒られるわい。周りが見ていないからもっとすごい一撃をお見舞いされそうだわっ。
わお、僕ちんの腹側から背中にかけて拳が貫通しちゃってるよ、ワンダホー的な?
「ま、啓輔が何をごまかそうとしたのかは重要じゃない」
「あらら、今日のゆうちゃんってば鋭いのね」
「はん、節穴じゃないからな。俺を呼び出したのは漫才を見せるためじゃないんだろ?」
今日の裕二は冴えているじゃないか。
って、俺の方もぼけている場合じゃないな。本来はリルマと一緒に聞いてどうしようかを考えるつもりだったんだ。
「そのことなんだが、裕二。ジョナサン・ブラックっていう外国人と話したんだろ?」
「んー、それがなぁ、記憶も今一つで。今度は啓輔に助けてもらったのが最後の記憶なんだよな。外国人に出会ったのは覚えているんだけれど、顔までは思い出せないんだ」
二度目の失踪も、家族からは酒でも飲んでうろついたんだろうで済まされたらしい。裕二自身も記憶が定かではないようで飲みすぎかなぁと言っていた。前回に比べて短く収まったからそのおかげで変に騒ぎは大きくなっていない。
しかし、本当によく怪異に巻き込まれる男だ。ご先祖様の行いが悪かったんじゃないだろうか。もしくはお前、何かの物語の主人公じゃないのか。
いや、立ち位置的にはヒロインか。攫われすぎだ。
「覚えてないんじゃ仕方がないな」
「なんだ、探偵ごっこか」
「ま、確かな記憶がない以上ごっこ遊びも終わりだ。そんなことより今日は年越しのイベントにみんなで行くんだ。集合は十一時だろ?」
「そうだな。楽しみにしておこうぜ」
無邪気に喜ぶ友達の顔を見て思った。無事に裕二を助けられてよかった。
美紀に会うとき必ずお礼を言っておこう。




