第五十九話:年末攻防戦
個人的には早すぎる朝食を食べ終え、いまだ薄暗い外を歩く。空気はよく冷え、時折早朝ランニングに興じている人とすれ違ったりもするが、基本的に人通りはない。
「美紀、目的地は?」
そう言った時、視界の端に知り合いっぽい何かを見た気がした。ま、話しかける必要性は薄いし、無視しておこう。
「ここらを一望できる場所。あのビルの屋上が手頃ね……聞いてるの?」
「聞いてる、けどあたりに気を配ってる」
「臆病なのね?」
「まぁな」
「いい心がけよ」
今は意識を集中しておかないとな。知り合いを見かけたら逃げなくてはいけない。青木あたりなら、また後日あの女の子は誰だと聞かれるかもしれない。
目的のビルの真下に近づく。俺の手を掴み、影となって壁を昇る。そして、非常階段へと移動してそこからは歩きだ。
「これ、非常階段を真面目に歩いていたら疲れただろうなぁ」
屋上についたころには寒さが吹き飛んでいたりする。地上よりも寒いのは、遮るものがないからか、はたまたさっきより強い風が吹き始めたからだろうか。空を見上げてその広さに驚く。寒空も悪くないな。
次にビルとビルの間を覗き込んだ。たぶん、落ちたら死ぬ。
それでもなぜか、吸い込まれそうな何かがあった。何かに誘われている。そんな気持ちに見ていてなった。
「ここならあの二人組がどこにいるのか手に取るように分かる。常時能力を使用しているなんて、影食いにしては珍しいけどね」
鋭い表情で町を見下ろし、美紀は両手を温めたいのか、白い息を当てていた。
「そんなことも分かるのか?」
リルマは影の力を使っていないと、一般人と影食いの違いが判らないって言ってたな。だからすぐには、こ、こいつ、俺と同じ能力者かって展開にはならないみたいだし。
「あの二人は特殊だからでしょうね。姿は出していないけれど、獣を影に入れてるから」
なるほどねぇ。と、言っても詳しくはよくわからなかった。影食いの事を研究している人はいないのかねぇ。
「影食いの事さ、よくわからないんだけど……人によって出来ることが違うのか?」
「さぁね。私もいろいろな影食いにこれまで会ってきたけれど、そうだと言えばそうだろうし、違うと言えば違うんじゃないの」
答えをはぐらかしたと言うよりは美紀は知らないのだろう。リルマより詳しそうに見えても、美紀だって知らないこともあるようだ。
俺はこのまま影食いの事を深く知るのは危険な事なんだろうと思っていた。俺一人に対して問題が降りかかるのなら構わない。しかし、周りが巻き込まれるのなら話は別だ。
そうだとしても、リルマたちとの縁を切ろうとも思わないので今後も知っちゃったらしょうがない、巻き込まれちゃったら諦めずに解決する方向で行こうと思う。
目的も、目標もなくただ生きているだけの俺からすれば大層な方向性。うん、自己満足だが流されるままに生きて行こう。
「ちょっと、なにぼーっとしてるの?」
「すまん。それで、どうするんだよ?」
撃ちぬくって言っていたけれど、ビルやら建物で人は見えない。そもそも、薄暗いから遥か下の人間を認識するなんて無理だ。
どういった方法で打ち抜くのだろう。何か、狙撃銃のようなものでも取り出すのだろうか。不謹慎ながら俺の心は少しだけ踊っていた。リルマと一緒のときは地道に調べたり、相手からのアプローチで動いていたからな。
「集中するから、黙ってて」
「……わかった」
お口チャックして、邪魔にならない場所へと移動。膝を抱えてアスファルトにお尻を付ける。やだ、冷たい。
あれ、俺って何のためにいるんだろう。
ああ、自分でもさっき言ってたじゃないか。支払担当が俺だよ。
さっきふざけて、レジの支払いの時に冗談で俺に支払いは任せて先に行くんだって言ったら尻を蹴り上げられた。ちょっとした冗談だったのに、どうして蹴り上げられるんだと疑問に思ったよ。その後、少し顔を赤くしてお手洗いに向かってたから俺がそれを察したと思ったんだろうか。
そんなことを考えながら数分が経った。これまで動きのなかった美紀が一度頷いてみせる。
「把握した。こっちきて」
「ん、了解」
「影食いするから」
宣言されただけまだましか。結局、痛みを伴う作業が待っているのだ。
俺がここにいる理由が分かった。このためだけか。支払担当だけじゃなかったらしい。
叫ぶのだけは我慢して、俺はなんとか耐えた。誰か俺の事を褒めてくれてもいいだろう。
「ん、よし。集中するのに邪魔だからあっちに行ってて」
「……はーい」
影の補充が終わったのか、美紀は朝日に目を細める。俺のほうは脳内が真っ白になりつつあった。
ほら見て、あなたにも見えるでしょ。ビルの谷間から血まみれの女の人が俺を誘ってくれているわ。
そっちは暗くて寒いですか? いつか私も、そっちへ行くんですかねぇ。
「……影食いリルマがあんたを相棒にしている理由、分かるかも……あんた、どこにいこうとしてるの?」
「おっと、いけね」
一気に現実に引き戻され、俺は首をかしげた。もう少し先に行っていたら躓いて落ちていたかもしれない。このビルの屋上には落下防止用の柵がないからな。
「なんでそう思うんだ?」
「あんたの影は使いやすい。量も十分あるし」
リルマに影食いされたことはあまりない。
「……よく、わからないんだが。詳細を説明してくれ」
「気が散る。黙ってて」
「はーい、黙ってまーす」
それだけ言って、美紀は目を閉じた。
俺は黙って彼女を見る。一般人の俺にもよくわかるようなことが一つ。影が肥大化し、徐々に形を変えていく。さらに影が濃くなり、そこから一本の槍のようなものが地を張って、瞬く間に行ってしまった。
数秒後、聞きなれない音が響く。何かがぶつかり合った音だ。
「ん?」
何かの気配を感じて俺はビルから見える世界を眺めた。もちろん、その気配がなんだったのかはわかったりしない。寒空は相変わらずで、この世界は何一つ変わっていないように思えた。
そして、近くから美紀の舌打ちが聞こえてくる。
「……ちっ、邪魔された」
どうやら駄目だったらしい。眉根を寄せて、爪を噛んだ。
「行くわよ。ここに用はなくなった」
帰りは非常階段を使って降り、俺達は町をぶらつく。俺の後ろを歩くようにして、次の作戦を考えているようだ。
「……直接、は危険。でも、離れると威力が……」
「美紀? おーい、みそらみきー」
完全に自分の世界へと入ったようだ。
俺を連れているということはまだ、アタックするつもりなのだろう。俺に出来ることはなく、美紀について歩くだけ。
まるで、彼女のご機嫌を損ねた駄目男みたいじゃないか。なんだか情けないぞ。
「お、着信だ」
そんな中、俺のスマホに電話があった。
相手はリルマだ。なんとなく久しぶりに話す気がする。
「もしもし?」
「あ、けーすけ?」
「おー、どうしたよ」
「年末さ、年越しにみんなで集まるんだけど……けーすけも来るでしょ?」
時折うるさく感じる声ではあるものの、久しぶりに聞いたためか懐かしい。
「年末……ね」
それは楽しそうだ。しかし、みんなって誰だろう。宗也や、青木だろうか。いや、それなら断るだろう。何せ、裕二が行方不明なのだ。まさか、あいつを行方不明にしたままイベントに誘おうって奴はいないよな。友達だし。
でも、実際に裕二不在のまま年越しを迎えるとなるとどうだろうか。
「裕二君、また女の子のお尻を追いかけて行方不明? そのうち、やばい人の女に手を出して海に沈められて、深海魚になって戻って来れなくなるんじゃないかなぁ? ねぇ、青木さん」
「うん、宗也君の言う通り本当に困った人だよねぇ。股のゆるい女の子は嫌いだって言っていたくせにさ、お金握ってほいほいついていったんじゃないの」
あの二人なら意外と裕二がいなくても楽しめるだろうな。これが日ごろの行いの結果か。世知辛い。宗也に至っては美紀を寄越しただけだからな。
「なぁ、リルマ、皆って誰だ?」
最少は俺の知り合い。最大限広めるとこの地球の全人類を一同が参加するお祭り規模が想定される。人類が始まり、人類がその終わりに行き着くまであり得ることはないだろうが。
「えっと、ごめん、けーすけの知り合いは蛍ぐらいかな。あとはほとんど私の友達だから……どうかな? あ、けーすけのことはみんなに話しているから変に気を遣わなくても大丈夫。みんなも、会ってみたいって言ってるから」
そうか、男友達も混ざっている可能性はあるが女の子も間違いなく、いるだろう。いや、蛍ちゃんは何となく男を苦手としていそうだからむしろ女の子が多いに違いないね。そういえば以前は友達にどうやって話すんだ的な事を言っていたけど普通に話したのかねぇ。
裕二の奴、本当にかわいそうだな。もしかしたらおまけで呼ばれていたかもしれないのに。
ふと、美紀のほうを見ると睨まれていた。
うるさかったのか、それともどこかに神経を逆撫でする要素が入っていたのかもしれない。
単純に、自分を負かしたリルマという存在が気に食わないのかもしれない。
「ど、どうした?」
「……友達が居なくなったのに、年末の予定?」
ただわかるのは間違いなく怒っている。地獄の底から怒りに震えた番人が鎌首をもたげた。
「い、いや、違っ……」
「少し、浮かれすぎじゃない? それ、貸して」
「あ、おい、勝手に……ひぶっ」
スマホを取り上げられ、おまけに頬もぶたれた。いてぇよぉ。
「もしもし、影食いリルマ? そう、私が誰だかわかる? そう、そうね。あの廃病院で会った……ちがうっ、白井じゃないっ。本当、誰よ、それ」
リルマの奴、真っ先に白井だと思ったのか。口調が全然違うだろうに。あいつは丁寧に話すだろ。
それと、美紀。俺はちゃんと白井の説明はしたと思うんだが。襲った覚えもないって言っていたけど、あの後、白井にメールしたら覚えてるって返ってきたよ。
「そう、美空よ。どうして私と啓輔が一緒にいるかって?」
ちらりとこちらを見て、美紀は言った。
「啓輔に誘われたの。どうしても、ついて来て欲しいってね。だから今は仕事中……そう、二人で。どう思う?」
え、なんでそういう角が立つようなことを言うの。もし、俺とリルマが恋人だったらこの後、嫉妬コースからの胸倉掴まれた後軽々しく投げられるコースだよっ。
また、どっかの空き家の塀をぶち破って、深夜のファミレスで謝罪しないといけなくなるじゃんっ。
「……ふぅん、そう、じゃあね」
そういって電話は切られ、俺のスマホは美紀のポケットに入れられた。
「あ、おい。なんで自分のポケットに入れるんだよ」
やり取りも気になるが、なんでそっちのポケットへ行くんだ。
そのスマホは、リルマからもらったものだから大切にしたいんだが。やはり人からもらったものとなると思い入れが違う。
「取るなっての。手、突っ込むぞ?」
「どうぞ、ご自由に」
許可も得たので俺は躊躇することなく美紀のポケットへ自分の右手を突っ込んだ。意外にもあっさり返してくれるのかと思えば、美紀も俺の手を掴んでくる。
「……えっち」
「は?」
どこか湿っぽさを感じさせる声音に俺は驚き、手を抜いてしまった。何が起こったのか理解できない俺は混乱してしまい動けなかった。
「連絡取られると邪魔されるから」
美紀は俺の方を見るでもなく、空を見上げている。
「……美紀とも取れなくなるぞ」
「だからこれ」
手渡されたスマホは俺の物より少し小さかった。
「これは?」
「私のスマホ。余計なところを触ると滅するから」
俺は悪霊か何かかよ。
「ぐへへ、さっそく電話帳を確認しちゃうぞぉ」
「滅っ!」
「ぎぃゃあああああっ」
でこぴんされて予想以上に強かった。
「文句言ったらお前のスマホを壊して、お前も壊す」
あなたを殺して私も死ぬわ、みたいな感じだった。今の言葉はどのみち、俺しか損しない。そして、さらにリルマからも恨まれそうだ。
せっかく新しくなったのに人質に取られるとはひどい話だよ。
「えーと、リルマは何か言ってた?」
「……別に、事情があるなら仕方ないってさ」
そうか、それはよかった。
「なぁ、美紀。年内に裕二を助けよう。そうしたら、何かしらのイベントには参加出来るだろ?」
「まぁ、年内にはね。いつまでも構っているわけには行かないし」
「おう、やれることは何でもやる」
俺のやる気はあがっていた。
「お前、そんなに年越しのイベントに参加したいの? バカ丸出しで、騒ぐだけじゃない」
うんざりとした口調の美紀に、俺はどうやったら楽しさが伝わるのか考えてみた。
まぁ、答えなんて出ないんでその場の低調気味のノリと元気の足りない勢いでどうにかするしかない。
「実際に参加してみりゃ楽しいさ。だからさ、そんときゃ美紀も来いよ? 裕二を助けるんだから、あいつから何か奢らせる。もちろん、俺も感謝の意を表すダンスを踊ってもいい」
「めんどい」
ぷいっとそっぽを向かれた。
普段ならここで諦めるところだが、俺はお前が案外悪い奴じゃなく、いいやつだという事を知ったからちょっとお節介を焼きたい。
うまくいったという証が欲しいじゃないか。たとえば、無事に助けたやつがバカ騒ぎをしている所を見せるとか、さ。
「ダメダメ、絶対に俺が連れて行く。じゃないと、リルマと白井を呼び出して拘束してでも連れていくからな。感謝されるべき人間は感謝されないといけないんだ」
「だから、白井って誰よ」
俺はその後、数分間美紀の周りをぐるぐると回った。結局、美紀がうんざりとした顔で首を縦に振ってくれたのだ。最初はお前に恥はないのかと聞かれた。目的が果たされるのなら地面にだって這いつくばってやるさ。
「お前を絶対に連れて行く。罵られようと、本気で殴られようとな! 覚悟しとけよ」
「……わかった、考えとく」
最大の功労者を労わなくてはな。ま、その時は俺から何かをプレゼントしよう。




