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影食いリルマ  作者: 雨月
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第五十七話:年下の女の子

「うー、さみぃ……」

 急激な冷え込みのせいで、鼻水が出そうになる。しかし、そこは根性でカバーだ。蛍ちゃんの前で恥ずかしい真似や恰好は出来ない。年下の女の子に無理やり脱がされ、恥部を晒すなんて年上として絶対にありえない。

 こういう非常事態にこそ優しくて、リードできる先輩を目指さねば。落ちたであろう信頼を回復するしかないじゃないか。

 決意を新たにしていると、俺に近づく気配があった。

「ん? お……み、美空美紀?」

 年末に嫌なものを見つけちまった。

 仏頂面でコート姿。赤いマフラーをしている。冬なら当然の格好。まぁ、可愛いっちゃ可愛い。良く似合っている。赤いマフラーか。恰好いいな。

「何へらへらしているの?」

 怖い顔で凄まれた。

「いや、別に……え、へらへらしている感じだった? 流れ的に驚いてると思うけど」

「私を見てへらへら、いいや、にやにやしてた」

 ナイフのような視線は警戒気味の獣のよう。下手に刺激しないように、俺は両手をあげて降伏のポーズ。

「それは悪かったよ。すまんね」

 リルマとの一件があったものの、さりとてびびりまくるわけにもいかない。先日は勝ったわけだしな。それに、宗也がひとめぼれした時の道すがら、会ったことがある。割と好感触だったので、臆する必要もない。

「外出か。年末の買い物か何かか?」

「違う」

 一つため息をつかれた。

「兄さんから話は聞いたでしょ? 助っ人は私よ」

「……はぁ、兄さん?」

 だぁれ、それ、なんてとぼけたことは言わない。

「宗也が?」

「うん」

 寒さが引っ込んだ。同時に震えもなくなり興味がわいた。てっぺんからつま先まで美空美紀を見て改めて気づいたことがあった。

 胸はリルマの方が大きい。腰も細く、足はリルマよりいい具合に細そうだなぁ。

「お前、変なこと考えてない?」

「どういうことだよって考えてたよ?」

 冗談はさておき、宗也と美空美紀。似ても似つかない相手だ。本当に、どういうことだ?

 俺は蛍ちゃんの存在だって知らなかったし、奴には秘密がいっぱいだな。叩けばもっと、妹が増えたりしないか。

「教えるわけないから」

 かなり怖い表情で睨まれた。猫を殺した好奇心の気配に俺の興味はあっさりと引っ込む。

「……そうかい」

 まぁ、そうだな。何だか込み入った事情みたいだし。それなら最初から興味を引く余計な情報を教えないでほしいもんだ。

「ん? ああ、そういえば……遊園地に来たことがあったけれど、宗也に誘われていたのは妹だからか」

「ま、そうね。兄さんに誘われた」

 兄さん、ね。誘われたって割には、あいついなかったけど。

 何も裏情報を知りたいのなら、聞く相手は目の前の子じゃなくてもいい。直接宗也に聞けばいいんだ。

 あいつの好きな美少女フィギュアを提供すれば、喜びのあまり教えてくれるだろう。わいろは偉大だと歴史が教えてくれるからな。

「言っておくけど」

 刺々しい口調と蛇もすくみ上る視線を向けてくる。

「兄さんに余計なことを聞いたらどうなるかわかるわよね?」

 しっかり釘を刺されてしまった。無用な好奇心は何度も猫を殺すようだ。

「はっ、さては俺がトイレに入るたびにドアを思いっきり蹴っていくようにするとか?」

 気配もなくノックされることがあるけどあれはびっくりするんだよな。一回、ノックされたからはいはい出ます出ますと出てみたら誰もいないことがあったっけ(実話)。悪戯する奴がいるから困るぜ、まったく。

「ないわよ。あんたを痛い目に遭わせる」

「えーと、そうなの?」

「何、その反応は」

 てっきり、ねちねち来るのかなと思ってたんで。

「こほん、じゃあ裕二を探そう……影で追いかけること出来るんだろ?」

「ええ、探してやるから最後に裕二先輩がいたところに案内しなさい」

 命令口調である。しかし、きちんと先輩って文字を祐二にはつけているのな。俺にはつけてくれなさそうだけど。

 リルマもそうだし、俺って先輩面が足りないのかね。

 いや、良く考えてみたら蛍ちゃんが慕っているじゃないか。

「ん、メールだ……なになに、ぶら下がっていたもののことは忘れます……」

 ちょっと、ぶら下がっているって生々しい表現だからやめてほしい。これは慕われているとは言えないか。

「ぼさっとしてないで早くして」

「わかったよ。案内するからそう急かすなって」

 一切のおふざけなく、俺は真面目に最後に祐二が目撃された場所、公園に案内する。あれだ、威厳ある先輩になるには真面目に接しなければならないな。

「……厄介な奴が来たものね」

「厄介?」

 俺の言葉は無視して、美空美紀は続ける。辺りを見て何かを判断できるようだ。

「あの先輩、廃病院にいたときも変なのに取りつかれてた」

「知ってたのか」

「まぁね」

 じゃあ、どうして助けてくれなかったんだ。

 俺の言いたいことは視線だけで伝わったようで、首をすくめられる。

「だって、別に親しい仲でもなかったし」

「冷たいことを言う」

「ま、あんたたちがやられて、何日も放置されていたら助けていたけどね」

 つまるところ、俺らが助けに行かなくても裕二は一応助かっていたようだ。

「それに、誰かの仕掛けかもって思ったから。敢えて泳がせていたの」

 事も無げに言う美空美紀に俺は首をかしげた。

「どういうことだ、美空美紀……へぶっ」

 お腹にパンチをもらった。

 センスが光るいいパンチです。普段は辛口コメントばかりの私だけれど、今回のパンチは文句なく満点。でも、お食事後にもらうとリバースしちゃうからその点だけは気を付けてね。

 なぜか脳内でオネエ口調の男性からそんな評価が下った。

「呼び方が気に食わない。いちいちフルネームで呼ぶな」

「ぐぐぐ……わかった、美紀」

「それでいい」

 呼び捨てにするなと言われるかと思えば特に何もなかった。リルマの時もそうだったけれど、俺って影食いと相性悪いんじゃないかとたまに思う。

「じゃあ、カゲノイとは、私とは相性ばっちりってことですね、むふん」

 脳内に白い奴が湧いたので追い出しておく。あの人、本当に全部俺の中から出て行ったんだよな。

「で、さっきのはどういうことだ?」

「何だか妙な影に入り込まれてた。あれ、お前達が助けたでしょ?」

「ん、まぁ……そうだな」

 誘拐犯は美紀ではないと結論付けたが、てっきりあれもこいつの仕業かと思っていた。あれはまた別の何かの仕業だったのだろうか。

「さっきさ、厄介な奴がって言ってたろ?」

「それが?」

 どうかしたのか。お前に関係あるのかといわんばかりの態度だ。

「どういう意味だ? もう見当がついたのか」

「お前じゃ多分、わからない。影食い側じゃ少し有名な奴らだけどさ」

 それはおそらく俺の相棒に対しての皮肉だろう。情報でもないし、影食いについて詳しいわけでもないからな。

 ただ、今回は当てちゃっていいですかと言うしかない。

「……ジョナサン・ブラックか?」

 その名前を言うと美紀は面倒くさそうに夜空を眺めた。そこには星空に暗雲立ち込めるお空が広がっていた。とても浪漫チック。冬の大三角形ってどれかしら。

「どうして知ってるの? 影食いリルマ……は知らないだろうけど」

「最近会ったんだよ。俺のアパートにいきなり来たんだ」

 その時あったことを詳しく話すと、口をへの字にされる。婆ちゃんの事は俺にもよく分かっていないのでとりあえずぼかして伝えた。

「……ふぅ、面倒ねぇ」

「美紀、ジョナサンって何者なんだ?」

 あんたには教えてやらないと言われるんだろう。そう思いきや、顎に手を当て、しゃべり始めた。

「最近頭角を現してきた影食い。なんでも、世界中をかけずりまわって恨みをもつカゲノイを仕留めるつもりだってさ。それがどこの誰だか知らないけれど」

「へぇ、そうなのか。そりゃ大変だな」

 内心じゃ、ドキドキしてるよ。多分、そのカゲノイはうちの婆ちゃんだろう。

 ばあちゃん、一体何をしていたんだ。あの人、性格が悪いだけに何をしていても不思議じゃないぞ、おい。

「ついでにいうと、彼に口答えした影食いやカゲノイは行方不明になるって。これがどういう意味かわかる?」

「ああ。しっかし、そういう危険な奴がいるのかよ?」

 俺にとっての影食いはリルマで、あいつは平和をうんたらかんたらと言っちゃう奴だ。少なくとも、裕二や、白井を見逃したことに対して当てはまる。

「信用できないのなら、口答えしてみたら? 物腰は丁寧らしいけれどある一定のぷっつんライン超えると消されるらしいから」

 俺、女の子の方に注意が行き過ぎてジョナサン自体を少し軽く見ていたのかも。一歩間違っていれば、裕二を探す前に、俺が皆に探されていたかもしれなかったのか。

「でもよ、一般人には手を出さないって言ってたぜ?」

「試してみたら? 行方不明扱いされてもいいならね」

 ルールは守るものだ。一見すると、あのジョナサンという人物は物腰の落ち着いた感じだからそういうのは守りそうだがなぁ。

「見た目に騙されてると、痛い目に遭うわよ」

 そんな脅し文句に背筋が寒くなったところで、ぷっつんラインという表現はどうかと聞けなくなった。

「なぁ」

「何?」

「美紀でも勝てない相手か? 強いんだろ?」

 美紀に対し、前回はリルマが辛くも勝利を収めた。真面目な話、リルマ一人では負けていただろう。

 目の前の影食いだって他の影食いによく噛みつくと聞いている。それだけ、力に自信があるのは間違いない。ジョナサンが有名な影食いならば、美紀もまた有名な影食いのはずだ。

「それはない」

 ものすごい自信である。なぜそんなに自信満々なのか。

「そもそも、勝てない相手とは戦わない主義だから」

 負けた癖にとは言えるわけがない。一緒に居る相手のご機嫌を損ねて、へそを曲げられても困る。平時ならまだしも、今は裕二の行方がかかっている。

「ま、噂は聞いていたからね。会えるのなら是非、叩き潰して……」

 唐突に美紀の左手が影になり、俺の目へと入ってきた。影食いをされたと気づけただけ、俺の痛みへの耐性も少しは上がったらしい。

 それでも、痛いもんは痛いが。

「あが、あがががががっ」

 痛みに悶え、放れようとするが美紀は許してくれない。

 薄皮を剥がされるような痛みに、耐え、終わった後に俺は抗議する。

「いきなりなにしやがるっ」

「ちょっと、黙ってなさい」

 そういって口を押さえられた。

「噂をすると影とはよく言ったものね」

 目を細める美紀の先に、そいつらは居た。さっきまでの痛みを忘れ、俺は呆然と二人を見つめる。

「はじめまして。君が影食いリルマかな?」

「右記啓輔の相棒……なるほど、いつも一緒にいるのね? 仲も良さそうだし、やっぱり、あの時拉致しておけばよかった」

 そこにいたのはジョナサン・ブラックと女だった。女の方はなんだか物騒なことを言っている。あぶねぇ、やっぱり下手していたら俺が捕まっていたようだ。

 あと、仲が良い判定されちゃったよ。

「普通はまず自分から名乗るもんじゃないの?」

 不敵な二人に対しても美紀は相変わらずの強気だ。そういえばリルマも美紀の名前を改めて聞くとき名乗ってたな。

 速攻で、不意打ちと見せかけ俺の救助をやってのけたが。

「ああ、そうだね、これは失礼。ジョナサン・ブラックと申します」

「そっちの女は?」

「あなたに名乗る名前なんてない」

 じろりと睨み付け、鼻を鳴らす。幼い顔立ちに小さい背丈。それでも十分に威圧感のある怖い女だ。

 隣にいるのがリルマなら、泣きついていたところだった。

 リルマぁ、あいつだよぉ、あいつが僕ちんをナイフで脅したんだぁ、仕返ししてよぉ。といった、具合に。

 うん、噛ませっぽくていいかもしれない。

「ああ、そう、あんたみたいな貧相な女の名前なんて聞いてもすぐに忘れるから教えてくれなくたっていいわ」

 そしてこちらもやはり、怖い女だった。こいつに助けを求めたら弱者はいらぬ、消えろと粛清されそうだ。

 美紀の言葉に女は目をむき、睨んでくる。怖い女Aだな。こっちの怖い女Bも真っ向から受け止めて睨み返していた。

「なぁ」

「何よ?」

 このタイミングでどうかなって思ったけどさ、言える時に言っておかないとな。後悔したら、嫌だから。

 この一瞬が、今の俺だ。

「敵対心バリバリなところが病院で会った時のお前にちょっと似てるな……げほっ」

 怖い女Bからパンチをくらった。

 とっても素敵なパンチです。けちのつけようがないのがポイントね。鋭く、そしてキレのある一撃は何度も叩き込むとさらにマルっ。

 脳内でまた誰かが評価してくれた。誰だよ、お前。

「いちいち、どうでもいいことを言ってくるなっての」

 本当、そうですね。空気が読めていませんでした。

「仲が良いところを見ると本当にペアのようですね」

「うん」

 そして、相手は思いっきり勘違いしたままだった。こちらが訂正しない限り、間違いが正されることはなさそうだ。

「こちらも名乗りました。さて、名乗ってくれるのでしょう? わかりきっていることですが、是非あなたの口から教えてもらいたい」

「そうね、私が影食いリルマよ」

 美紀は不適に笑って嘘っぱちを口にする。更に嘘の上乗せ。人は嘘を一つつくと、その嘘を守るためにまた別の嘘をつかなくてはいけなくなる。

「お、おい?」

 しかし、この嘘には納得がいかないわけで、抗議しようとすると意外と小さな美紀の手が俺の口を再度塞いだのだった。

「それで、私に何か用事?」

「ええ。そうだけど。もうこちらの事、耳に入っているんだ?」

 目を細め、睨み付けてくる。しかし、敵もさることながらこちらの偽リルマも負けちゃいない。真正面から受け止めて睨み返していた。その背中は大きく見える。

 これは怖いパートナーですねぇとジョナサンが目で話しかけてきたが目で会話が成立するはずがない。そもそも、やぁらかいお手手でふさがれているので言い返せない。

「あんたたちの事はもう聞いてるわ。へたれで、ダメなパートナーをいじめてくれたんだって?」

 こいつ、告げ口したのかという怖い女Aの視線が痛い。別に、いいじゃんか。

「いやいや、事を荒立てるつもりはこちらにありませんよ」

 両手を広げてジョナサンの方はアルカイックスマイルを見せてくれた。

「偶然影食いに出会ったのだから、ちょっとご挨拶をしておこうと思いましてね」

「挨拶? そんな物騒なものを引き連れて?」

 美紀の言葉で俺は、ジョナサンの影からゆっくりと這い出る存在に気がついた。口を塞がれていなければ、情けない悲鳴の一つでも漏れていたかもしれない。

「ははぁ、さすがだ。隠しているこれに気づくとは」

 隠しているという割には、這い出て来たぞ。自己主張激しすぎだろ。俺、金持ちじゃないんだけど、明かりが欲しいのなら……ほら、これで明るくなっただろう的な匂いが漂ってるぜ。

「つーか、何だ……それ」

 美紀の手から解放された俺の口から、自然と疑問が口に出る。

「人を主にして、作った獣の影だ。獣の影では知恵が足りず、人の影だけでは貧弱だ」

 底知れぬ笑顔へと変わっており、その目には狂気が滲んでいる気がした。

「は、はぁ? 意味、わかんねぇよ」

「だからね、作ったんだ。今回のは傑作だよ」

 どこか光悦とした表情を浮かべ、新しいおもちゃを自慢するような感じだ。ちなみに俺の子供のころは、ままんがとても厳しかったのでおもちゃをあまり買ってもらった記憶はない。俺の父親は出てったきりで滅多に帰ってこなかったしな。

 船で来たのか飛行機で飛んできたのか知らないが、よくもまぁ、どこにも引っかからずにそんな化け物を連れてこられたものだ。

「……あれ、裕二先輩ね」

 目を細め、存在自体が危なそうな獣を美紀は判定する。

「あれが裕二だって?」

 なるほど、現地調達したものだったか。それなら何かで引っかかったりもしないな。

「……え、いや、マジかよ」

「ええ、真面目な話。まさかこんなに早く見つかるなんて思ってもみなかったけど」

 美紀の言葉に俺は口を開けっ放しにする。今の状態なら何でも受け入れられそうな気がする。

 たくましい腕、鋭利な牙、千里を軽く走るであろう足。

 裕二の奴、いつの間にかこんな立派になっちまって。元の要素、一つも残ってないぞ。ショックが大きすぎてまともに心配できそうな言葉が一つも浮かばなかった。

「では、顔見せは済んだので失礼します」

「おい待て、裕二に何しやがった」

 その獰猛な獣は、およそ存在していいとは思えない。ケツに栄養剤をぶっさされてもこんな化け物には成長しない。

 とても禍々しく、不幸を招きそうな面構えだった。

「この人は私を受け入れたから」

 その顔を見れば嘘だとわかる。こちらをバカにしているわけではなさそうで、何かあいつにも事情がありそうだ。

 だが、事情があろうとなかろうと、裕二がこの危険な二人に協力するとは思えない。

「受け入れたって……どうせ、勘違いか騙したんだろ」

 俺の言葉に反応したのはジョナサンの方だった。女の方はもう何も言わず、後ろに下がり始めている。

「まぁ、否定はしない。誘ったのはこちら側だから。乗りやすいように動く、動かすのは当然でしょう。彼はどちらかというと罠だとわかっていながら飛び込んでくる愚か者だろうな」

 そんな実に簡単だったと言ってやるなよ。というか、裕二ももうちょっとしっかりしろよ。

 俺は黒い獣に呆れた視線を送ると、少しだけしょうがなかったんだと間抜けな顔をしたような気がした。

「ちなみに人としての最後の言葉は、やっぱり騙されていたのか……美人は人を騙す生き物だもんな、だったよ」

 裕二、やはり騙されていたと気づいていたのか。

 でも、心のどこかでもしかしたらって気持ちが残っていたんだろう。まだ大丈夫、この子は俺に惚れているって思うのは、アウトだよ。女はそうやって男をあっさりと手玉に取るんだ。

 俺は心の底から呆れた表情で犬を見た。犬は、そっぽを向いて俺に視線を合わせなかった。都合が悪いと目をそらすのは犬になっても変わっていないようだな。まぁ、ただの偶然だろうが。

「これであいさつは済んだ。今日は顔見せ程度だから、今度こそ失礼するよ」

「あ、ちょっと……」

 待ちやがれ、裕二を元に戻せ。

 俺の言葉は美紀に口を塞がれて出ることはなかった。さらに、すさまじい腕力で俺の右手を握り始めたりする。

 俺の叫び声は再度口を塞がれている為に出ることはない。

「ええ、またね」

 美紀は二人を見送り、後には俺達だけが残る。

 二人になったこの場は水を打ったように静けさだけが残った。みすみす、裕二、そして騙した二人を逃がすだなんて。

「どういうことだよ。どうして逃がしたんだ」

「気がつかなかったんだろうけど」

 若干切れかけの俺に対して美紀は冷静だった。

「辺り一面にあっちが作った影が私達を囲んでいた。カゲノイみたいなこともできるみたいね。それに、あいさつって言うのも嘘っぱち。誰かしら影食いがここに来るのを待っていたんでしょう。もちろん、ここに来るのは裕二先輩を助けに来た影食いになるか、異変を感じた羽津市にいる影食いでしょ。案外、あいつらと顔見知りのあんたがいてよかったのかもね。事情も知らない影食いが来ていたら一般人を巻き込んでいたとしてその場でやりあって潰されていたかも」

 顔見せ自体、元から罠だったのか。俺があのまま突っ込んで言ったら裕二の事を笑えなかったな。

「もし、ここでやりあえばどうなるか分かってた?」

「……悪いことが起こるんだろ」

 俺はぐうの音も出ない。相手が余裕の態度だったのにはきちんと理由があったのだ。手を出していたら、多分、俺まで行方不明になるところだった。

 やはり、頭に血を上らせるのはいけない。冷静に、静かでいなければ。俺が怒ったりすると、周りに迷惑がかかる。

「ちなみに、私一人が勝っていた。決して勝てない相手じゃないからね」

 不適に笑う美紀。どこまでも自信に溢れた表情だ。

「その自信すげぇな。だったら何で手を出さなかったんだ?」

 罠でも関係ないのなら、裕二は助かっていたことになる。

「私はともかく、あんたは知らない。裕二先輩もね。多分、死んでた」

「死ぬって、そんな大げさな……」

「まぁ、確かにそうね。腹を裂き、臓物を引きずるような殺し方を連中はしないでしょう」

 しないのかよっ。おい、変にびびらせんな。そういう殺され方をするのかと思ったよっ。

「でも、前にも言ったでしょ。影にされたらどうなるか……」

 ジョナサン・ブラックに関わると行方不明者が出ると言っていた。

 例え、影になって生きながらえようと実社会から相手にされないだろう。自分に意識があるのかもわからず、ただ無為に時間を過ごすのだ。そして、影食いに出会えば食われて完全に終わりを迎える。

 白井が俺の中に入り込んだときも、彼女はこの世界から隔絶されるに至った。まぁ、彼女は俺と会話ができた分だけましかもしれないな。

 億を超える人間が居ながら、その誰ともつながることが出来ない。そんな孤独の日々を過ごしていればいつか狂うだろう。むしろ、狂わない方が異常だ。

「死ぬっていうのはね、色々あるから。肉体的な死、人が変わってしまった時もある意味以前の人間性が死んだって表現も間違いじゃないと思う。こうなるとあんたが想像している死とはちょっと違うんだろうけどさ。そういう事もたまにはある。もし、二人で組んでいて一人がいなくなったら、もう一人は悲しいからね?」

 どこか苦々しい表情でそういって俺を睨んだ。美紀は何か過去にあったのかもしれない。なんと言うか、頭ごなしに言われるよりもこうやって諭されるときついものがある。

「……わかったよ」

「あんたに失うものがないのなら、なりふり構わず進めばいいんじゃない? もちろん、そういう覚悟をして、影食いの相棒になったんでしょうけど」

 ほぼリルマを押し切って相棒になったのだ。裕二を探すときと今は似たような状況で、何があってもおかしくはない。

 俺はわがままを言って、リルマの相棒になった。

 もしかして、最近、影の数が減ったと思っていたのは、リルマが単純に俺を呼ばなくなっただけなのだろうか。

「どうかした?」

「……いや、なんでもない」

 こういう余計な事は、またリルマに聞けばいい。

「一度やりあって見てたけど、あんたは影食いリルマの指示通りに動いているわね」

「まぁ、基本的にはな。詳しくないし。全部リルマにお任せだよ。俺はぼさーっと一人の観客になっていると言っても過言じゃない。囮役って認識だから」

 基本指示はリルマ任せ。すすめと言われれば前に進み、止まれと言われたら動きを止めます。

「何それ? あんた、そんな軽い気持ちで一緒にいるの?」

 背筋の寒くなる声音になる。一番選んではいけない言葉だったらしい。

「身の危険が迫ったら逃げるのが鉄則でしょ。今日もただ隣に突っ立てただけ。作戦たてていないのなら、急いで逃げなさい」

 一気に責め立てる口調だった。

 どんな相手にも勝てると言った人間が、逃げるのをあっさり肯定するのは割り切りがいいってことか。

 一度対立した相手にこうやって協力してくれているのだから案外、尾を引かないタイプなのかも。

「で、でもだな、素人が背中を向けて逃げたって……いいことはない、と、思うん……だけど……さ」

 いかがなものでしょうか。

 美紀に睨まれて尻すぼみになっていく俺の言葉。ああ、年下の女の子に非難されて黙るなんて情けない。でも、美紀の言うとおりで、リルマに似たようなことを言ったのを思い出した。

「そのために、私がいるんでしょ」

「え?」

 曇っていた空に、月光がのぞく。月の光に照らされた美紀は堂々としていた。

「やっぱり、愚図ね。私はリルマよりも能力的に上。必ず逃がせる、お前をね」

 自信満々に言ってのける美紀は格好よくみえた。そして俺、格好悪い。

「いい? これから言うことをきっちり覚えておきなさい」

「お、おう」

「違う。返事をするときははいっていいなさい!」

「……はい」

「声が小さいっ」

「はいっ」

 腹の底から声を出すと意地悪そうな表情を浮かべる。人によっては、そう言う目で見られるのも悪くないと感じるだろう。

「よろしい。お前の相棒はリルマだけど、今回の仕事のパートナーは私よ。そこんところ、よく覚えときなさい。私が口先だけの人間じゃないってことを教えてあげる」

「お、おう……」

「違うでしょ、この愚図っ。返事ははいでしょ?」

 俺は路上で年下の女の子に尻を蹴っ飛ばされた。その日は結局、解散することとなった。


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