第五十五話:腕力に物を言わせて
十二月二十六日の午後二時。俺はアスファルトに片足立てて、ため息をついた。
「……この時期のバイクは辛いな」
寒いってのもあるがね、道路には車が溢れかえっていた。理由は不明だ。帰省ラッシュか、どっかで事故があったのかもしれない。
途中で切り上げ、五時前には実家にバイクを置いた。体が完全に冷え切っていた。きっと息子も縮こまっている。
「もう帰ってきたの?」
「車が多いし、もう暗いし」
夜走るのも楽しいけれど、まだ車が多いからな。ただ延々と続く一直線を走り抜けたい気分だ。
「帰ってきたのなら部屋を掃除して。次は家の前、それが終わったら窓ふきお願いね」
「……ちょっと、自分の足で走ってきます」
家でごろごろしているとこき使われるので、徒歩で近所をぶらつくことにした。
ただあてもなく彷徨うのもたまには悪くない。祐二あたりがいたら、俺は人生をさまよう旅人と言っていたかな。
暗い道を歩いていると、リルマと影食いをしに行ったことを思い出す。最近は呼ばれる回数がめっきり減ったので影が出なくなったのだろう。やはり白井のせいだったとリルマが言わないかちょっと不安だ。
歩き始めて十分後、暗がりを歩く人を見つけた。
「あれ? 啓輔先輩ですか?」
「ああ、蛍ちゃんか。買い物帰り?」
「はい」
彼女の右手には重たそうな買い物が握られている。
「それ、持とうか? これから家に帰るんだろ?」
「えぇと、はい。本当にいいんですか?」
「もちろんだよ。暗いし、夜道の一人歩きは危ないからな」
俺の場合は下手をすると影に襲われるのだ。それでなくても、この前は外国人二名に何かされそうだったしな。
荷物を渡される。それはかなりの重さだった。
少なくとも、女の子が持って楽なレベルではない。男の俺でも、思わず砲丸投げの要領で振り回し、放り出したいほどの重量感だ。
その重さは心地よいとは違う、疲労を伴うもの。手荷物レベルではないのは確かで、圧倒的とは言わないまでもその存在感は無視できない。
例えていうのなら、十代のアイドルの中に三十五オーバーを捻りこむ違和感、酢豚の中にパイナポーが輪切りで居座る感じだ。
絶対に無視できない、パイナップルの存在感。まず、脇役のくせに主役より主張が激しい色と、味。嫌いじゃないんだけど、お前の居場所はそこじゃないよと突っ込んでしまう。
「あの、やっぱり重たいですか?」
「何、これぐらい……俺ぐらいになると片手持ちも出来るよ」
「すごく腕がプルプルしてますよ」
「そりゃ幻覚さ。もしくはコラーゲンの過剰摂取だね」
もちろん、片手で長時間持つなんて真似はしない。見栄は張るものだが、実行するべきものじゃあない。
「さ、歩こう」
「はい」
手軽ではない重さを蛍ちゃんとの会話でごまかしながら、宗也の家についた。
その頃には寒さも吹っ飛び、汗が出ていたりする。なかなか手ごたえのある奴だった。
「大丈夫ですか?」
「……大丈夫、食べ物で言うところのスナック菓子程度だった。いわば、おつまみ程度の重量だったよ」
もちろん、一人でファミリーサイズだ。胃袋に直撃するそれは半分以降がつらく、どうして俺はこんなものを食べているんだと言う結果になる。ちなみに俺は手が汚れるからお箸で食べる派。最近ではレジ近くに置いてある透明のビニール袋を買って、それに手を突っ込んで食べるのが楽だと気が付いた。
「あのー、さすがに疲れが浮かんでますよ」
どうやら顔に出ていたらしい。
「結果論さ。蛍ちゃんが持つよりは疲れてないと思うよ」
到底、蛍ちゃん一人では持っていくことは適わない重さだと思う。
いや、待った。俺と出会うまでは普通に持ってきていたような気がするな。しかし、そんなことないはず。それでは俺より蛍ちゃんの方が力持ちになってしまう。
荷物を運び終えて、俺は帰ることにした。どうであれ、彼女が疲れる事態を回避したのだから俺の存在意義はあった。
「じゃあね、蛍ちゃん」
「え? あがっていかないんですか?」
まるでそれが当然だと言わんばかりだった。
「少し遅いし、お邪魔になるでしょ?」
「今日は大丈夫です。よかったらあがってください。お礼もしたいので」
「そう?」
じゃあ、お邪魔するとしよう。
何度か来たためか、蛍ちゃんの部屋に入ってもどきどきしなかった。あれ、確か三回目だったかな。
未体験ならそりゃドキドキもするだろうが慣れてしまうと(まだ二桁も行ってないが)胸の高鳴りも減ってしまうもんだ。
「……いや、前も別にどきどきしていなかったな」
ああ、戻らぬ青春。学園にいた頃は些細なことでどきどきしていた。布の擦れる音とかな、女子の部屋に行くとか最たるものだったのに今じゃぴくりともしない。大人になるって悲しいことなんだな。
別段蛍ちゃんの部屋で何かをするつもりはなかっのでリルマに買ってもらったスマホをいじりながら待つ。
「お茶をお持ちしま……ふあっ」
自分の右足に左足を引っ掛け、蛍ちゃんは転んだ。
お盆に載っていたカップは座っていた俺の股間へ狙い澄ましたかのように一直線。紅茶の熱いおもてなしが直撃した。
お茶の温度は八十度ぐらいがおいしいってよく聞くからそのくらいの温度で試したい奴はやるといい。愚息がおいしいって言ったら病院に行った方がいい。ちなみに紅茶の適温は何度か知らない。
「ぐあちゃあああっ……」
「ああああ、すみませんっ」
俺の息子が沸騰寸前である。ついでに今、紅茶が熱いと言うフレーズが思い浮かんだ。いや、待て、落ち着け俺。八十度ぐらいなら沸騰はしない。頭が一瞬で真っ白になったっという表現がおそらく正しい。
「すぐ冷やさないと! 脱いでください」
「あ、ちょ、やめて。こういう時は、衣服の上から冷やすのが……」
俺の腰にすがりついて、ズボンを下ろそうとする蛍ちゃんを抑える。
くそ、何気に力が強いな。これが火事場の馬鹿力という奴か。
そもそも、この場合はそのまま水を当てることだ。やけどして皮がべろりともっていかれないためにも気をつけなくてはならない。まぁ、紅茶がかかったぐらいだから大丈夫だとは思うが。
しかし、力が強すぎてこのままではっ押し切られてしまう。
「えいっ」
「あっ……」
予期せぬ方向へと体をずらされ、抑えていた蛍ちゃんが無理やり俺のズボンをずりおろす。
なに、遠慮はいらんとばかりにパンツ伯爵もズボン将軍に同行して下界へと降り立ってしまった。
そして、この汚れた世界に邪神が降臨されたのだ。
二人の間に静寂が訪れる。邪神が降臨したためか、天使が通ったのかもしれない。
数秒後、お互い我に返った。時を奪った誰かが時を返してくれたらしい。
「わ……わーお」
何かコメントが必要だと思ったのか、蛍ちゃんはそんなコメントをしてくれた。実に反応に困るものだ。叫ばれるよりはましだけどさ。
「……こほん、失礼」
すぐさまパンツとズボンを持ち上げる。さっきのおかげで冷えたのか、はたまた俺が急所にぶっかけられただけで実際はさして熱くなかったのか、すっかり冷えてしまった。
「今日は、もう帰るね」
「あ、えっと……」
「帰らせてください」
「あ、はい」
「お邪魔しました」
しかも、見られてしまった。見られたことに対しては何ら問題ない。重要なのは俺があっさりと蛍ちゃんに力負けしたことだ。
地味にショックを受けた一日だった。




