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バンドー  作者: シサマ
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第82話 そして最強へ……バンドー、奇跡を起こせ!


 「くっ……物音に駆けつけてみたが、野良猫1匹だけだったとはな!」


 手負いのバンドーにとどめを刺すべく、執念の仕置人アッガーは軍事会館を捜索する。


 両陣営に睨み合いが続き、統一世界の命運を握る戦いとは思えない静寂が現場を支配。

 だが、アッガーが辿り着いた会館の中庭は、水溜りに浮かぶ泥の山に野良猫が座って水を飲む、拍子抜けする程の平穏な光景が広がっていた。


 「何処にいるバンドー!? その怪我ではもう走る事も厳しいだろう、早く楽になったらどうだ!?」


 静まり返る現場の至る所に、アッガーの呼び声は響いている。

 

 賞金稼ぎ達はバンドーの安否が気にかかるものの、この緊張感の中、敵に背中を向けて彼を救出しに行く訳にはいかない。

 メナハムを囲うハインツ達は勿論、ナシャーラの隙を探るリン達も、仲間の無事を天に祈るしかなかった。


 「お前に恨みはない、早くここから逃げるんだな。泥だらけになるぞ」


 流石のアッガーにも動物愛護の精神はある。

 彼は泥の山から野良猫を担ぎ上げる為に左手を伸ばし、首を掴んだ後に水溜りから乾いた地面へと放り投げる。


 だが、その泥山はただの泥ではない。

 泥を全身に塗りつけたバンドーが、水溜りの中で息を潜めて反撃のチャンスを狙っていたのだ。


 

 「わああぁぁっ……!」


 泥まみれの全身から、バンドーの血走った両眼だけが浮かび上がる。

 泥の飛沫を上げて飛び出してきた彼は、迷う事なく両手で剣を頭上に振り上げ、アッガーの左太腿ごと大地を全力で貫き通す。


 「ぐおおぉぉっ!?」


 アッガーは仰向けに倒れ込み、流れ出る鮮血が泥の河を赤茶色に染めていく。

 倍返しの報復に張り上げるアッガーの悲鳴を尻目に、バンドーは相手の逃走を防ぐ為、非情にも剣を抜かずに相手に馬乗りになった。


 「あんたは何故……そんな歪んだ考えを……!」


 起死回生の一撃が決まり、どうにか冷静さを取り戻したバンドー。

 

 だが、まだまだ油断は出来ない。

 戦わなければ。

 殺したくはないが、殺さない程度に徹底的に痛めつけなければ。


 「おおあぁっ!」


 剣士としての勘から、アッガーは咄嗟に顔面をガードする。

 だが、バンドーは元オセアニア格闘女王エリサの孫として、幼い頃から格闘技を学んでいるのだ。


 少なくともこの体勢で、彼が負ける訳がないのだ。


 「ぐふっ……!」


 これまでの人生の中で、最も力を込めた鉄拳。

 立て続けに打ち込まれる3発目からは、彼の拳を受け止めるアッガーの左腕から異音が聞こえる様になる。

 

 骨折に紛れて漏れてくる、アッガーの声にならない嗚咽。

 だが、そんな事はどうでもいい。

 むしろ戦いが快調な証拠だ。


 「……くっ!?」


 アッガーは骨折した左手を諦め、剣を手放した右手でバンドーの顔面をどうにか掴む。

 北欧人らしい大きな掌がバンドーをギリギリと握り潰しにかかり、両者の眼は更に充血の度合いを深めている。


 「舐めんじゃねえぞ、このクソガキが……!」



 デニス・アッガーは、北欧はデンマークのコペンハーゲンに生まれる。

 

 両親はともに教師であり、厳しい規律の下で育った彼だったが、悲しい事に学問もスポーツも成果が出ない。 

 やがて彼は両親から見放され、自ら荒れた生活を送る様になっていた。


 そんな時、不良仲間がマフィアの金に目をつけて窃盗を敢行。

 犯罪者から狙われたアッガーは破れかぶれの戦いから剣を拾い、マフィアを殺害してしまう。


 だが、そのマフィアは世界的に指名手配されていた凶悪犯であり、未成年だったアッガーには正当防衛が認められた。 

 そして彼は、自分に残されたただひとつの道である剣術と、殺害しても許されるレベルの悪党の始末に人生の全てを懸けるのだ。


 

 「……お前も知っているだろう? 北欧は統一世界になっても教育と福祉で回っている。だがそれは、落ちこぼれを見捨てない善意なんかじゃないんだ。税金は高く、成功者は皆北欧を捨てていく。北欧は高い税金が取れる新たな成功者を生み出す為、教育と仕事には容赦ない。落ちこぼれは人間以下の存在として疎外され、ただ福祉で食わせて貰うだけの人生が待っているのさ!」


 バンドーの顔面に決めたアイアンクローを緩めないアッガーは、剣がなければただの落ちこぼれ。

 彼の生き様は持たざる者、劣等感や疎外感を抱える者達の支えであり、彼等に世界を裏から操る夢と希望を与えているのである。


 「……くそ……だから何だってんだ? あんたが欲しかったものは何なんだよ!? 富か? 名声か? それとも畏怖(いふ)なのか? 自分を見放した親に謝って欲しいのかよ!?」


 指の痕がつく程に握られたバンドーの額から、徐々に魔力の蒼白い光が滲み出す。

 その光は頭上のホースから流れ落ちる水を自身の頭上に旋回させ、天使の様な悪魔の輪となりアッガーを威嚇した。


 「フッ……親はもう殺されたよ。仲間も恋人もな! 悪党はどいつもこいつも俺に隠れて、俺の外堀を埋めていきやがる……卑怯者どもが! 俺にはもう、剣士としての欲や名誉はないのさ。だが、お前だけは死んだら悲しむ奴がいそうだな……。俺の前に現れなければ、余計な事を言わなければ……ぐぼっ!」


 今のバンドーに、アッガーの演説を聞く心の余裕はない。

 

 容赦なく水魔法を相手の呼吸器に送り込み、腹部を全力で殴打しながら水を吐き出させ、また水魔法を呼吸器に送り込む……。

 バンドー自身も止められなくなってしまった地獄のループで、アッガーを確実に死へと追い詰めていく。


 「……ちくしょう! 魔法が止まらない! あんたのせいだよ……あんたが悪いんだよ……うわああぁぁっ!」


 目の前の悪夢が、自ら作り出した現実である事を信じられないバンドー。

 彼は自身とアッガーの悪夢を終わらせる為、アッガーの左太腿から剣を抜き、そのまま相手の胸へと振り降ろした。



 「ひゃあー!」


 その瞬間、突如として中庭に姿を現した1羽のフクロウ。

 その小さな身体は全力でバンドーに体当たりを敢行し、そのまま相手を泥の河へと突き飛ばす。


 「わぷっ……!? フクロウって……まさか……!?」


 度重なる泥攻めにより、バンドーはすっかりブロンズ像の様な見た目になっている。

 だが、自身に体当たりしたフクロウの懐かしい姿に、見た目とは裏腹な彼本来の姿を急速に取り戻していた。


 「バンドーさん、そこまでです!」


 フクロウは瞬く間に少女の姿に変貌し、その強大な魔力でアッガーを空中に持ち上げる。

 魔法によって体内から泥水を抜かれたアッガーはどうにか呼吸を取り戻し、少女が生成する透明なシールドに収容されて水溜りの上をのんびりと漂う。


 「……フクちゃん……ありがとう! ありがとう……!」


 悪夢の終焉(しゅうえん)に安堵し、太腿の怪我から脱力したまま足がガクガク震え出すバンドー。

 小柄な少女の姿になっているフクちゃんに支えられ、その目からは再び涙が溢れ出していた。


 「どうにか間に合いましたね……。バンドーさん、貴方は十分に成長しました。貴方にとって最後の成長とは、人を殺せる様になる事ではありません。貴方にとって最後の成長とは、貴方のままでこの戦いを終わらせる事なのです」


 剣士入門時代から、フクロウとしてバンドーを見守り続けてきたフクちゃん。

 彼女は時にバンドーを諭し、時に魔法のヒントを与え、時にはパワハラばりに突き放し、そして時にはメグミとの仲をかなり的確に取り持ってきたのである。


 「俺のままって、どうやって……? 今の水魔法で、今日はもう魔法が使えない。メナハム達はまだしも、ナシャーラさんに今の俺が、魔法なしで勝つ事なんて出来るの?」


 バンドーの疑問はもっともだ。

 

 彼の資質は魔道士ではなく、その魔法は剣や格闘技の補助的な存在に過ぎない。

 この3ヶ月、魔法は幾度となく鍛錬してきたが、魔法の使用回数が増える事は殆どなかったのである。


 「バンドーさん、魔法の使用回数に限度のある人間は、魔法が使えなくともまだ魔力が残っているのです。魔力の証明である蒼白い光は、それだけでは攻撃や回復の効果はありません。しかしながら、同じ魔道士相手にだけは効果があるのです。魔道士の魔力を奪う効果が……」


 フクちゃんの告白に、バンドーは驚きを隠せない。

 これまでどんな魔道士も、魔法のストップが魔力切れであると認識し、時間をかけて魔力が回復するまでは、敢えて魔法を絞り出そうとはしなかった。


 また、生命の危機に見舞われた魔道士が、仮に限界以上の魔力を振り絞っても、その光に効果を見出す者はいなかっただろう。


 「……但し、これは最後の魔力です。人間がこれを使うと、恐らく魔法は2度と使えなくなるでしょう……どうしますか?」


 フクちゃんはバンドーの目を真っ直ぐに見つめ、真剣な表情で彼に選択を迫る。

 

 だが、その顔はやがて柔和な笑みに変化していた。

 バンドーを知り尽くす彼女には、彼からの返答に揺るがない確信があったのだ。


 「やるよ! 俺は魔道士じゃない、剣士だ、格闘家だ! いや、ぶっちゃけ本業は農家だよ! モスクワの武闘大会や、メグミさんとの未来や、バンドーファームの明日に、魔法はなくてもいいよ! 平和が戻って来たら、自分の力だけで生きていくのが俺の宿題なんだから!」


 一瞬の迷いもなく、力強く返答するバンドー。

 

 それなりに大きな農家の次男というボンボン育ちからの、何となくの渡欧。

 アルバイト感覚で剣士としての自覚が足りず、クレアやハインツから突っ込まれ続けた春先。


 それから3か月後の夏、これこそが彼の成長だと言わんばかりに、満面の笑みを浮かべるフクちゃん。

 彼女は限りなくゴミに近い見た目の彼にホースの水を浴びせ、その手を強く握り締めた。


 「分かりました! 貴方に最後の魔法の使い方を教えます! 全ての気力を集中して下さいよ!」



 7月20日・5:30

 

 「ロドリゲス隊長、最後のマシンガンの弾が切れました! ここからは拳銃とライフルだけです!」


 「くっ……ジルコフ達に無駄弾を使い過ぎたか!? 奴等はたった4人だが、マシンガンと弾丸は豊富な様だ。焦らず長期戦に持ち込め!」


 ヨーラム達と睨み合いを続けていた、賞金稼ぎを除く軍人と警官達の部隊。

 しかし、フェリックス陣営の殴り込み自体が想定外だった為、ここに来て武器が心許なくなってきている。


 「畜生め! 撃てないマシンガンなんてくれてやらぁ!」


 自暴自棄になったひとりの軍人が投げつけたマシンガンは、睨み合いから停戦状態にあったヨーラム達を刺激してしまう。

 宙を舞う銃身を攻撃だと早合点したフェリックス側のテロリストが、遂に沈黙を破りマシンガンの乱射を始めたのだ。


 「このバカモノが! 奴等を勢いづかせてどうする!」


 部下の思わぬ失態に、百戦錬磨のロドリゲス隊長も流石におかんむり。

 彼等から距離を置いた別部隊は当初の作戦を後回しにし、ロドリゲス隊長達の支援に回らざるを得なくなっている。


 「……エスクデロ、我々は武器では負けていない様だ。あそこの非常階段に登らないか!? 高所からマシンガンで一網打尽にすれば、こちらの身を守りながら奴等を数十人単位で葬れるはずだ!」


 「素晴らしいアイディアです、ヨーラム様! パラシオス、フィゲロア、俺達を援護しろ!」


 ヨーラムとエスクデロの息の合った掛け合いから、両者は軍事会館の非常階段を目指す。

 半壊した非常階段は4階までしか使えないものの、各フロアの天井が高い軍事会館ならばかなりの高さが稼げる為、マシンガンの有効性はそのままに、相手の単発攻撃は当たりにくくなるのだ。


 「ヨーラム達を逃がすな! 撃て! この状況ならば殺してもやむを得ん!」


 「させるかっ……!」


 混合部隊とパラシオス、そしてフィゲロアとの激しい銃撃戦。

 

 フェリックス側のマシンガン2丁は強力だが、相手とは頭数が違い過ぎる。

 混合部隊にも被弾者は出たものの、パラシオスとフィゲロアは複数の銃弾を受け、その場で戦意を喪失した。


 「ヨーラム! エスクデロ! 貴方達を死なせはしません、はああぁぁっ……!」


 派手な銃声を聞きつけ、リン達の捜索を一時中断したナシャーラ。

 彼女はその叫びとともに喉元から蒼白い光を放ち、砂塵を巻き上げる程の風魔法を発動させる。


 「くっ……どわあぁっ!」


 軍人と警官、100名近い歴戦の猛者どもを地面に這いつくばらせ、ライフルや拳銃までも吹き飛ばすナシャーラの風魔法。

 人間離れした彼女の脅威に、混合部隊側の戦力的なアドバンテージは徐々に奪われていた。


 

 「よし、いい眺めだ! エスクデロ、捻れた足元に気をつけろよ! 革命の弾幕を喰らうがいい!」


 非常階段に到着したヨーラムは、半壊した足場から安全地帯を確保し、恍惚とした表情でマシンガンを連射する。


 「YEAH! ロックンロール!」


 ヨーラムに続くエスクデロの気分も高揚し、高所からのマシンガン攻撃に混合部隊は負傷者を続出させていた。


 「皆、シャトルバスに隠れろ! ここは奴等の弾切れを待つしかない!」 


 「援護します! たあぁっ!」 


 ナシャーラを追い、裏口から飛び出した魔道士トリオ。

 バーバラはバンドーが流したホースからの水を魔力の光で拾い上げ、ナシャーラの背後から水魔法を浴びせる。


 「くっ……!?」


 ホースからの弱い水圧を高める為、水魔法は糸の様に細くなっている。

 その切れ味はナシャーラの肩口を直撃し、流石の彼女も顔を歪めてバランスを崩した。


 

 「……!? ねえ皆、今揺れてない!?」


 その頃、メナハムを弱らせる為にスパーリングを続けていた剣士達は、クレアの言葉に自らの足下に意識を集中させる。


 確かに揺れている。

 しかも、段々と揺れが強くなっている。


 「おいおい……また地震かよ!? こいつもお前らのせいなのか!?」


 ハインツはメナハムに剣ごと詰め寄り、互いに激しい技の応酬を展開。


 「……知るか! 俺達が関与した地震は……ハバロフスクまでだと聞いている……くっ!?」


 念願のハインツとの一騎打ちを叶えたメナハムだったが、流石に体力の限界。

 もつれた足回りは元に戻らず、そのまま大地に倒れ込んだ。


 「地震だ! かなり大きいぞ!」


 ロドリゲス隊長をはじめとする混合部隊は、地震を警戒しつつもシャトルバスの側から動けない状態。

 万一のバス転倒に備えて、屈強な軍人達が前方を両手で支えている。


 「うおっ……!? 揺れが止まらん! エスクデロ、一旦階段から降りるんだ……ぐわああぁぁっ!?」


 激しさを増す揺れに耐えきれず、半壊状態の非常階段から真下へ転落してしまうヨーラムとエスクデロ。

 4階とは言え、元来フロアの天井が高い軍事会館の作りでは助からない高さだろう。


 「……ヨーラム!? ええいっ……!」


 息子の危機に慌てて強力な風魔法を放ち、下からヨーラム達を持ち上げる算段のナシャーラだったが、時既に遅し。

 魔法が到着する寸前、ふたりは頭から地面に叩きつけられていた。


 「そんな……ヨーラム!」


 「今だ、奴等を捕らえろ!」


 ヨーラムとエスクデロが非常階段から落ちた。

 その事実だけは、疲れ果てて地面に伏していたメナハムにも、フクちゃんから最後のレッスンを受けていたバンドーにも、風の便りで伝わっている。


 無我夢中で息子の元に駆けつけるナシャーラを追って、混合部隊も非常階段下に全力疾走。

 皮肉にも、ヨーラムとエスクデロの転落と時を同じくして、あれ程激しい揺れが嘘の様に収まっていた。


 

「ヨーラム……ヨーラム!」


 ヨーラムとエスクデロの周りには血の海が出来ており、どう見てもこれは頭部強打による即死。

 いくら人間離れした魔力を持つナシャーラでも、死者を蘇らせる事は出来ない。


 「……ナシャーラさん、彼等は我々を苦しめていました。あのまま攻勢が続けば、貴方達が勝者になっていても不思議ではありません。とは言え、こんな形で彼等を失ってしまった現実は、貴方達がこのアースを痛めつけてきた事への報いだったのではありませんか?」


 ロドリゲス隊長は失意に暮れるナシャーラに近づき、今回の地震がフェリックスによるものだと詰め寄った。

 

 ナシャーラやメナハムは関与していないものの、フェリックスが統一世界を混乱に陥れた証拠として、同時多発的な地層プレート実験による人工地震の裏付けが取れている。

 クォン達の犠牲とレオンの懺悔によって暴かれた真実は、最後の最後に主犯格のヨーラムに牙を剥いたのである。


 「……そうかも知れません。私には私なりの正義と革命がありました。しかしながら、私達フェリックス一族の野望全てを叶えようとする余り、各々の望む未来がこのアースのキャパシティを超えてしまったとも言えるでしょう……。ですが、ロドリゲスさん……」


 悲しみに沈むその顔をうつむかせたまま、ナシャーラはロドリゲス隊長を鋭い目つきで睨みつけた。


 「息子の仇を取りたくない母親などおりません! 私はただ、ヨーラムの母親として貴方達をこの世界から抹殺致します!」


 ナシャーラの身体を包み込む、魔力の光。

 

 だがその眩さは、これまでとは比較にならない。

 大変な事が起きようとしている……ロドリゲス隊長は勿論、彼女と対峙しなければならないリン達魔道士までもが、恐怖に後退りを始めていた。


 「むううぅぅ……はああぁぁっ!」


 「わっ!? 水が逃げて行くよフクちゃん!」


 ナシャーラの絶叫は強大な水魔法を呼び込み、バンドー達のいる中庭の水さえも根こそぎ奪い取る。


 「地獄の苦しみに悶えなさい!」


 賞金稼ぎ達はナシャーラの水魔法を背中の気配で感じ取り、素早く身体を地面に伏せる。

 だが、逃げ遅れた軍人や警官の顔面には、容赦なく彼女の水魔法が貼り付いて呼吸を阻害していた。


 「た、助けて……ぐはっ……!」


 「力を貸して下さい! ナシャーラの水魔法を皆から剥がします!」


 リンはハッサンとバーバラに呼びかけ、3人の水魔法を合体。

 彼女達が動かす水は、軍人と警官の顔面に貼り付いた水そのものである。


 「……ぶはあぁっ……!」


 魔道士トリオの全力魔法でも、ナシャーラの水魔法を引き剥がすのがやっと。

 彼女にダメージを与えられなければ、100対1の戦いにすら勝機がないのだ。


 「畜生! 生身の女だからって舐めんなよ! 死ね!」


 怒り心頭の軍人は容赦なくナシャーラに拳銃を向け、トリガーに指を掛ける。


 「フン……ハァッ!」


 ナシャーラが軍人を睨みつけ、叫び声を上げたその瞬間、彼女から発せられた火炎魔法が炸裂。

 銃口から暴発した弾丸は軍人の右肩に飛散し、彼は転倒して激痛に悶えている。


 「オリバー!? くそっ、やっちまえ!」


 仲間の負傷を目の当たりにし、冷静さを失った軍人と警官は一斉にナシャーラへ銃口を向ける。

 この状況では、流石の彼女も打つ手がないと思われた。


 「……私にこれだけの魔力が備わったのは、このアースを司る何かが私に意味を与えたから……。今、ここで退場すべきは貴方達であるという、シナリオが書かれていたから! だああぁぁっ……!」


 ナシャーラの魔力の光は更にその眩さを増し、最大レベルの風魔法が準備されていたその瞬間、一陣の風に乗った大きな石が彼女の背中を直撃する。


 「……あうっ!?」


 想定外の攻撃に意表を突かれたナシャーラはその場に倒れ込み、屈強な軍人と賞金稼ぎ達が中心となって慌てて彼女を取り押さえた。


 

「良かった、間に合った!」


 「……キャロルさん!?」


 懐かしい顔の登場に、思わず歓喜の声を上げるリン。

 ガンボア達バックアップ隊を乗せたバスがようやく軍事会館に到着し、キャロルの風魔法がナシャーラの魔法発動より僅かに早かったのである。


 「ロドリゲス隊長、魔法を使える限りこの女は危険です! 今ここで殺しましょう!」


 筆舌に尽くし難い恐怖を味わった軍人達は、ナシャーラの即時射殺をロドリゲス隊長に迫る。

 賞金稼ぎ達はその問答を複雑な気持ちで見守るしかなかったが、同じ魔道士であるリン達は顔をしかめ、首を激しく横に振っていた。


 「ちょっと待て! 魔法が危険だから殺すってのは、俺達も都合のいい時だけこき使って殺すって事かよ!?」


 ハッサンは魔道士を代表して軍人に意見し、内紛の可能性を嗅ぎつけたメナハムはすかさず母親を擁護する。

 

 「母上様は理由のない暴力は振るわない! 母上様を殺すなら、胡散臭い正義の為に人を殺せるお前ら軍人だって皆殺しだろ!」


 メナハムは疲弊した身体を引きずり、ナシャーラの前で両手を広げる。

 フェリックスの裏稼業に深入りしていない彼にとって、ナシャーラは教祖でも影の支配者でもなく、ただの優しく聡明な母親でしかないのだ。


 「……メナハム、ありがとう。私が若い時、もう少しこの世の不条理を我慢する事が出来たなら、今ヨーラムを失う事もなかったのかも知れません。貴方はこれからの子ども達の為に、強い剣士であり続けて下さい。私は何処か遠い所で、大自然とともにひとりで暮らします。ここにいる敵を滅ぼしてから……!」


 怨念に囚われたナシャーラは、遂に自身も地殻魔法を発動。

 彼女の喉元から呼吸とともに荒々しく発せられた魔力は、いつの間にか地面深くに浸透している。


 「うひいぃ! またまた地震かよ!?」


 「……いや、今度は魔法だ! ナシャーラのいる地面が光ってる!」


 ハインツとカムイのやり取りも、もはや笑うべき状況ではない。

 最強魔道士と呼ぶに相応しいナシャーラは、ライザなど極少数の人間が先天的に得られるだけの地殻魔法までも、その気持ちでものにしたのだ。


 「やめて下さい、ナシャーラさん! このままでは貴女の愛したものでさえ、地割れと津波に消えてしまいます!」


 ヨーラムの亡骸に後ろ髪を引かれ、悲痛な叫びでナシャーラの説得を試みるリン。

 だが、ナシャーラの魔法は既に彼女の精神を離れ、喉元から垂れ流しの様な状態になっている。



 

 「ナシャーラさん! そこまでだ!」


 激しい揺れに、ナシャーラ以外の全ての人間が地面に這いつくばる中、ひとりの男が仁王立ち。

 いや、厳密にはひとりの男と、彼の陰から姿を現したひとりの少女が、背筋を伸ばして堂々とこちらに歩みを進めていた。


 「バンドー! そしてあれは……フクちゃん!?」


 彼等の正体を、いち早く突き止めたのはクレア。

 

 仲間の声に手を上げて応えるバンドーだったが、その表情に笑顔はない。

 まして怒りや苦悶も感じられず、まるで全てを悟りきった様な穏やかな顔つきになっている。


 「フクちゃん……全身に感じるよ。今、俺の最後の魔力が、この熱い血を沸き立たせている事を。でも、もうすぐこの感覚がなくなって、全てがゼロに戻る予兆まで分かる!」


 バンドーの心技体、経験から来る喜怒哀楽の全てが絡み合って遂に到達した、最後の覚醒。

 それを確認したフクちゃんは静かに微笑み、バンドーに最後のアドバイスを送った。


 「バンドーさん、見えますか? ナシャーラの魔力の蒼白い光と、大地を揺るがす実際の魔法の間にある僅かな隙間が。あれは魔力が光に絡みついて魔法となっている事の証明。あの僅かな隙間だけは、魔道士が如何に本気を出そうと相手に何のダメージも与えられないのです! あの隙間に入ってナシャーラの魔法を止め、貴方の魔力の光で彼女の喉元を狙って下さい!」

 

 フクちゃんの言葉は、一聴しただけでは無理難題に思える。

 

 だが、今のバンドーには分かっていた。

 その隙間に入り込める唯一の武器は剣の尖端部であり、戦いながら剣と魔法を両立出来る者でなければ勝利は得られない。


 すなわちこの役割が、この場にいる人間の中で自分にしか務まらないという事を。


 「何故……何故私の魔法を受けて立っていられるのです!? 消えなさい……ここから消えなさい!」


 ナシャーラは魔法を地殻魔法から風魔法に切り替え、丸太の様な太さで一直線の魔力を放出する。

 この魔法の直撃を喰らえば、首が吹き飛んで即死する危険性すらあるだろう。


 「バンドーさん! 逃げて下さい!」


 シルバは大きなジェスチャーでバンドーの避難を促し、リンやクレアは絶望に顔を背ける。


 ババババッ……


 砂埃を巻き上げる強風と爆音を残して、砂丘の様に高く盛り上がる非常階段前。

 おそるおそる目を開けたシルバの目前に広がっていたものは、バンドーの剣がナシャーラの風魔法を上下に2等分する信じ難い光景だった。


 「……ケンちゃん、大丈夫だよ! 魔力の光と魔法の間ってさ、何の力もないんだよ!そこを斬り裂く集中力が、俺の最後の魔法……でええぇぇい!」


 バンドーは最後の魔力を額に集め、自身の光でナシャーラの口から喉元を狙い撃ち。

 激しく喉元を焼かれたナシャーラは苦痛に悶えながら、首を押さえてその場に崩れ落ちる。


 「母上様!」


 メナハムがナシャーラの元に駆けつける頃には、彼女を包み込んでいた不穏な魔力はすっかり消え失せている。

 慌てて身体を起こしたナシャーラだが、その時点ですぐに自身の異変に気がついていた。


 (メナハム、声が……声が出ません……)


 激しく声を振り絞ろうと口を動かすナシャーラだったが、彼女の声は既に失われていた。

 だが、幸いにも魔力が喉元のシールドとなり、彼女の生命だけは守られたのである。


 「……皆さん、もうナシャーラには魔力はありません。彼女を逮捕して下さい」


 眩しい朝日の登場とともに、この長い戦いの終わりを確信するフクちゃん。

 彼女は初対面の軍人や警官に堂々と指示を出していたが、戦いの一部始終とその溢れ出る神々しいオーラから、彼女に疑問を呈する者はひとりもいなかった。


 

 「凄えぜバンドー! お前、いつの間にそんなに強くなったんだよ!?」


 ハインツを筆頭に歓喜の輪が広がり、その中心に据えられたバンドーは仲間から手荒い祝福を受けている。


 「……うん、魔法を使い切っちゃったんだけど、まだ俺の魔力だけは残っていた。フクちゃんから魔力の最後の使い方を教えて貰ったんだよ……。そうだ、アッガーが重傷なんだ! 救急車を呼んでくれ……あ、ごめん……もう俺、限界だよ……」


 激闘の疲労と、全ての魔法を失った気力の限界。

 バンドーは初めて魔法を発動させたあの日の様に、その場で倒れ深い眠りに就いた。


 人生2度目の『眠り病』である。



 7月20日・19:00


 「……!? ここは一体……?」


 長い眠りから目覚めたバンドー。

 彼の視界に映るのは医療器具の数々と、一睡の余地もなく詰め掛けた仲間達の姿。


 どうやら彼は、モスクワ中央病院に運ばれていたらしい。


 「バンドーさん、気がつきましたか? 戦いは終わりましたよ!」


 「……メグミさん!? どうしてここに……?」


 バンドーはメグミとの思わぬ再会に驚きを隠せない。

 

 とは言うものの、メグミ達アニマルポリスはシンディを励ます為に、レオンの救急搬送に同伴している。

 メグミ達の決断とバンドーの決断が重なる事で、この運命的な再会は既に約束されていたのだ。


 「ハインツがあんたに気を利かせて、最初にメグミさんを呼んだのよ! あと、あんたを車まで担いだシルバ君にも感謝しなきゃね!」


 「バンドーさん、3ヶ月前より重かったです! この重さが筋力アップの成果ならいいんですけどね!」

 

 クレアとシルバの言葉に、病室は場違いな大爆笑。

 バンドーは戦いの終わりと仲間のありがたみを改めて深く感じ取り、その目には自然と熱いものが込み上げている。


 「レオンとアッガーも意識が戻りました。命には別状ないとの事で、シンディもノルドベイトさんも安心しています。何より大事な証人ですね!」


 事務的な報告をするメグミだったが、その表情からはバンドーの無事を誰よりも喜んでいる様子が窺える。

 厳格なメグミの父親も、娘の彼氏がこれだけの偉業を成し遂げれば誇らしいに違いない。


 「……あ、そうだ! ナシャーラさんとメナハムはどうなったの?」


 あれだけ暴れたからには、母子揃って無罪放免とは行かないだろう。

 しかしながら、ナシャーラの声と魔法を奪った張本人であるバンドーとしては、ふたりの処遇は気になる所だ。


 「ナシャーラの罪状は今日の戦いを除けば、大半が宗教団体の信者を扇情(せんじょう)して行動に走らせた間接的なものだ。10年レベルの刑期はついても、人工地震プロジェクトを推進したデビッド会長の様な重い刑は望めないだろう。メナハムについてはその剣士としての功績から、モスクワ武闘大会までは刑の執行猶予がつくと思われる。犯人隠匿と公務執行妨害程度の罪だからな」


 悔しそうな口調こそ見せるロドリゲス隊長だが、その表情にさほど無念さは感じさせない。

 

 黒幕であったデビッドの逮捕と、その後継者ヨーラムの死。

 レオンは出頭して素直に処分を受け入れ、社長のデュークも逃げ場はないのだ。


 ナシャーラが服役中の宗教団体『POB』の動きさえ監視すれば、フェリックスのビジネス以外の脅威は殆どなくなるだろう。


 「バンドーさん、ナシャーラとメナハムは下の病室に運ばれています。会いに行きましょうか?」


 フクちゃんからの唐突な提案に、病室はざわめきに包まれた。

 

 ナシャーラは魔法と声を失っているものの、メナハムは恐らく絶賛怒り心頭中。

 いくらフクちゃんがついているとは言え、疲労困憊のバンドーは戦える状態ではない。


 「……あのふたりは、それ程の悪党とは思えないな。これから憎み合いたくもないし……よし行こう! 俺も言いたい事があるんだ」


 「おい、バンドー正気か!? ナシャーラはともかく、メナハムを今刺激する必要はねえよ!」


 ハインツの意見には、賞金稼ぎの大半が賛同している。

 あれだけの魔力を見せつけられた以上、メナハムがバンドーを敵視しないはずはないからだ。


 「……あれ、変だな? フクちゃん、今日はずっと自分の兄貴の事をバンドーさんって呼んでるよね? どうして?」


 シュワーブは未だに、フクちゃんがバンドーの妹である事を疑っていない。

 しかしながら、チーム・バンドー以外の人間は皆、彼女の魔力とただならぬオーラに長らく違和感を感じている。

 

 人間界での役目が終わりに近づいていたフクちゃんは、チーム・バンドー以外で真実を知る数少ない人間であるメグミやレディーの力を借り、遂に自身の正体を明かす事となった。



 「そ、そんなバカな……? し、信じねえぞ、俺はアラーの神以外は信じねえからな!」


 フクちゃんが女神だと聞いた一同、とりわけ敬虔なイスラム教徒のハッサンとゲリエは、思いっきり動揺がだだ漏れ。

 とは言うものの、バンドーの魔力を導き、ナシャーラの魔法攻撃にもびくともしないフクちゃんを普通の人間として傍観するのは、流石にもう限界である。


 「……長い間嘘をついていて、誠に申し訳ありませんでした。ただ、私は間もなく皆様とお別れしなければなりません。私がこれから人々の暮らしに干渉する事は恐らくありませんので、ご安心下さい」


 遂にフクちゃんの口から出た、別れの言葉。

 チームメイトとして付き合いを続けていたチーム・バンドーの表情からは、形容のし難い寂しさが滲み出ていた。


 「……うむ、ウラジオストクの空爆で被害が殆どないという報告は、常識ならばまずあり得ない話だ。だが、バンドー君のあの魔力を導いた神が彼の地に赴いていたとするならば、この奇跡にも納得しなければならないな……」


 ロドリゲス隊長も未だ神の存在を信じきれていないものの、そうとでも結論づけなければ統一世界の平和は脅かされていただろう。


 「……せっかく歳の近い女の子の仲間が出来たと思ったのに、残念だな……」


 バンドーに取り入ってまでフクちゃんをマークしていたシュワーブは、勝利の喜びよりもフクちゃんロスの悲しみの方が大きいらしい。

 彼の年頃の女の子は、危険の割に大金を稼げる保証もない賞金稼ぎに関心があるとは言い難かった。


 「シュワーブさん、色々と力になってくれてありがとうございます。貴方が剣士として、バンドーさんの様な人の力を継承し、いつの日か神に近づく程に強くなってくれる事を期待しますよ!」


 フクちゃんはシュワーブの手を握り、彼を力強く励ます。

 シュワーブは自身が想いを寄せていた女神の手に触れ、そこが自分の想像とは違う事に気がつく。


 女神にとって借り物だと思っていた人間の身体は、とても暖かかった。

 バンドー達と出会ってから今日までの日々が、フクちゃんに人間としての暖かさを与えていたのだ。


 「よし、最後にナシャーラさんとメナハムに会いに行こう! フクちゃんとさよならする寂しさは少し忘れようぜ!」


 バンドーの前向きなひとことに励まされ、チーム・バンドーとフクちゃんの6名は、階下の病室を目指す最後の旅に出る。



 7月20日・20:00


 「なっ……お前達何の用だ!? よくもぬけぬけと姿を見せられるな!」


 ハインツの予想通り、やはりメナハムは怒っていた。

 負傷箇所に治療とテーピングを施した痛々しい姿ではあるが、顔色は極めて良好、今すぐにでも戦えそうだ。


 (メナハム、待ちなさい。話を聞きましょう)


 声を失ったナシャーラは身振り手振りでメナハムを制止し、ゆっくり大きく口を開く事でバンドー達に自身の唇の動きを読ませようとしている。


 「ナシャーラさん、メナハム。戦いは終わったよ。俺達は剣と魔法に生きた人間として、強大な力があるという恐怖を理由にあんた達を殺したくなかった。いや、ヨーラム達だって殺したくはなかったんだよ。アッガーはそういう所が甘いと怒ったけど、俺はこういう男のまま、今まだ生きているんだ」 


 バンドーは自らの立場から、ナシャーラの射殺を望んでいた一部軍人との違いを主張。

 メナハムはその言葉に恩着せがましさを感じ、バンドーから顔を背けていたが、声を失って人一倍聴力を重視する様になったナシャーラは無言で頷いていた。


 「ナシャーラさん、俺もあんたに勝つ為に、あの戦いで魔力を全て失ったんだ。喋れるだけ幸せだけどね。魔法に慣れちゃうと、これから普通の人と同じ当たり前の苦労をするんだろうなと不安になる。でも、そうやって生きる事で、俺達の次の世代とより良い世界を作れるんじゃないかって思うんだよ」


 モスクワ武闘大会を最後に、賞金稼ぎを引退する事を既に決めているバンドー。

 その迷いのない心は会心の太字スマイルを生み、ナシャーラはバンドーの言葉を噛み締める様にじっくりと聞いている。


 「メナハム、お前は大した罪にはならねえ。俺からもモスクワ武闘大会に出られる様に嘆願しとくよ。俺のランキング第1位は、所詮暫定さ。年末までこの地位を守っておくぜ、またな!」


 ハインツもメナハムに伝えるべき事を伝え、バンドーが一礼して病室から退場する準備を整えたその瞬間、ナシャーラは激しくベッドを叩いて彼等を呼び止めた。


 (バンドーさん、わざわざ来ていただいて、誠にありがとうございます。今の私は、声と魔力を失った悲しみはありますが、生まれて初めて、普通の女性として生きるチャンスを貰えた喜びも感じています。私は刑期について特に争うつもりはありませんし、フェリックスの財力を活かして、私の声を取り戻す事も諦めません……)


 チーム・バンドーとフクちゃんは、全神経を集中してナシャーラの唇を読み取り、彼女の心境を理解する。

 そして最後に、ナシャーラは見よう見まねでバンドーの太字スマイルを再現し、こう言い残す。


 (もし、私の声と一緒に魔力が戻る事があれば、またその時代に相応しい革命を準備させていただきますよ。それが私の仕事ですからね!)




 「フクちゃん、今まで本当にありがとう! 寂しくなるわね……」


 バンドーの病室に戻ってきた一同は、フクちゃんの簡易送別会を開催。

 しかしながら、彼女からの思わぬひとことで、送別会は極めて明るいムードになっていた。


 「人間の姿で皆さんと会うのは、今日が最後になります。神族の力をこの姿で見られてしまうと、世界を混乱させてしまいますからね。ですが、フクロウの姿であればいつでも人間界に来る事は可能です。皆さんの晴れ舞台には駆けつけますよ」


 「良かった! やっぱりフクロウの姿でバンドーさんの頭に乗っているフクちゃんが、一番馴染みますからね!」

 

 確信を突くリンのコメントは、この長い旅の記憶を鮮やかに呼び起こす。

 

 この幸せな時間が、もう少し長く続いて欲しい……。

 誰もがそう思っていたその時、突然1匹の子犬が病室に乱入してきた。


 「わっ! 何だよ!? 病院に犬なんて入れるんじゃねえよ!」


 流石にフクロウは見慣れたハインツだが、彼は元来動物が苦手な男。

 そのプードルの様な見た目は愛らしいものの、子犬は何やら尋常ではない様子でフクちゃんにがっついている。


 「動物の姿で修行しているからね、ワンちゃんもフクちゃんに親近感を感じるのかな?」


 無邪気に子犬を撫でるバンドーとは対照的に、フクちゃんの表情は何故か焦燥感に満ちている。

 彼女はワニこそ苦手らしいが、他の動物にアレルギーはないはずだった。


 「こ、これはまずいですね……。それでは皆さん、ご機嫌よう! ひゃあー!」


 何の弁明もなく、フクちゃんはフクロウに変身。

 その光景に呆然とするハッサンやゲリエを尻目に、フクロウは子犬の背中を咥えてそそくさと窓から飛び立ってしまう。


 「……え? 何!? フクちゃん、こんなコントみたいな別れでいいの!?」


 動揺を隠せない人間達から遠ざかるフクちゃん。

 彼女は咥えた子犬を睨みつけ、テレパシーで会話を試みた。


 (15番、何故あんな所に出てくるのです!? 貴方はまだ修行中ではありませんか!)


 フクちゃんが咥えたこの子犬は、実は2級神。

 彼女のひとつ後輩に当たる神族の末っ子であり、現在は動物の姿で人間界に潜入しながら、満月の夜まで生き延びるという昇格試験の最中である。


 (だって〜、あれがねえちゃんの世話をしてくれた人間たちなんだろ? 俺も世話してもらいたいよ! 修行終わるまで楽できるし、ねえちゃんみたいなデカい手柄をあげられるかも知れないじゃん!)


 神族の末っ子『15番』は、人間に例えるとまだ小学校高学年くらい。

 悪知恵だけは働く、現役バリバリのクソガキなのだ。


 (……縁とは自ら築くもの。自然の守護者たる神族として、何たる体たらく……。神官ヤロリームに、貴方の修行のやり直しを直訴します!)


 (ええ〜!? 待ってよ! あともう少しで満月なんだからさ〜!)



 統一世界の平和が守られた、記念すべき1日。

 その長い1日が終わろうとしている今、神族の間では新たな問題が勃発していたのである。



  (続く)


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― 新着の感想 ―
[良い点] 呼吸器に水魔法を送り込んで腹パンのループ……バンドーはん、あんたエグいでw [一言] こんばんは。 久しぶりに読んだらフクちゃんのネタバレがww でも文章の端々からシサマさんの熱が感じられ…
2023/04/20 21:39 退会済み
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