第77話 開戦……! ヨーラムの秘密兵器
7月19日・1:00
「……ロドリゲス隊長、申し訳ありません。コーエンは拘束出来ましたが、ヨーラムはフェリックスの貨物ヘリでハバロフスクに飛んでしまいました! あのヘリの大きさから想定すると、恐らく『ラ・マシア』のテロリストや集めた賞金稼ぎを2〜30名程度、そして武器も載せていると思われます!」
公務執行妨害容疑でコーエンを拘束したチーム・バンドーと、特殊部隊のガンボア隊員。
フェリックス社の影響力が強いブカレストに於けるコーエンの拘束に、警察も当然慎重になる。
だが、コーエンが拘束時に残した会話がガンボアの携帯電話に録音されており、その危険な思想が容疑の決め手となったのだ。
「コーエンを拘束出来ただけでも十分な成果だ。皆に感謝するぞ! ヘリコプターでの移動なら、奴等も何処かで給油するタイミングがあるはず。ヨーラムの悪行をたっぷり聞き出して貰うさ。そこからワルシャワまではまだ時間がかかるとは思うが、ナンバーを警察に通達して道を空ける様に言ってある。すまんが急いで合流してくれ!」
ブカレストからワルシャワまで車で行くには、仮にスピード違反の全速力で飛ばしても10時間はかかるだろう。
ロドリゲス隊長の言葉には労いも含まれてはいるが、キムやグルエソの調査が終われば、ワルシャワ組の移動も本格的に始まる。
隊列の乱れを最小限に抑える為に、チーム・バンドーとガンボアに休息の余地はない。
「すまねえな、運転頑張ってくれ。食料補給は俺達に任せろ!」
男性陣の中で唯一運転免許を持たないハインツは、いつになく謙虚な姿勢を見せている。
環境規制が強化された統一世界、とりわけヨーロッパに於いて運転免許は、必要に迫られた職種の人間が高額を支払って取得する贅沢品になっているのだ。
「暫くは自分ひとりで大丈夫です。眠れるうちに眠っておいて下さい!」
ハンドルを握るシルバの声に促され、一同は流れる景色を視界から遮断し、仮眠の準備を整える。
7月19日・2:00
「ワルシャワ空港が使えないだと!? もうワルシャワが近づいているんだぞ! 至急ワルシャワのスーパーにあるヘリポートに給油体制を準備させろ!」
通信中のヨーラムの表情からは、明らかに苛立ちの色が窺えていた。
フェリックス社の最新型の貨物ヘリは最先端の技術を駆使して設計され、スピードも燃費も従来の概念を打ち破る程の性能を持っている。
だが、テルアビブ本社から出発してブカレストを経由したヘリが、流石にハバロフスクまでの長距離を給油なしで乗り切る事は出来ない。
目的地のハバロフスクでは、救援物資と引き換えに地元業者と給油の便宜を了承済み。
後はフェリックス社が普段から利用している、ワルシャワ空港ヘリポートでの中間給油を行えば問題はなかった。
「……申し訳ありません。警察と軍の残党がワルシャワに集結しておりまして、我々を足止めしようとしているのです。幸いにしてワルシャワ警察の上層部が、スーパーのヘリポート警備に協力してくれました。焦らずとも軍を出し抜けますよ!」
ジルコフ一派がハバロフスクに送ったとされる軍の小隊のうち、空路移動は偵察用に派遣したと憶測されている戦闘機1機だけ。
残りは武力行使の威圧感を演出する為なのか、敢えて近隣都市からの陸路移動を選択したとされている。
そんな背景から、ワルシャワのフェリックス社員は給油に多少時間がかかっても、ヨーラム達が軍に遅れを取る事はないと確信している様子だ。
「……まあいいだろう。我々が先に到着した方が事は進めやすいが、軍の到着が早ければ我々への敵意の程が分かり、着陸前から対策を打てるというものだ」
通信を終えたヨーラムが話を振る、ふたりの男。
ひとりは迷彩服に身を包んだ、鋭い目つきの無精髭男。
もうひとりは小綺麗な短髪の男だが、精悍な表情に大きな剣を抱え、その道の達人という雰囲気を醸し出している。
恐らくはテロリストと賞金稼ぎ、それぞれの代表なのだろう。
「軍が我々の救援活動を静観してくれるのであれば、何の問題もないのだが……。エスクデロ、貴様は何か問題があった方がいいか?」
含みを持たせたヨーラムの微笑みに反応し、迷彩服の男は自身の最新型防弾チョッキを強く握り締める。
「この防弾チョッキがあれば、落下傘作戦も可能ですよ、ヨーラム様。救援物資の陰から銃撃する、そんな戦争に憧れる奴等を揃えていますからね」
スペインの犯罪組織、『ラ・マシア』の中でも血気盛んな若手テロリストを選抜したチームは、年齢の近いヨーラムの野望をリスペクトし、彼に取り入る事で更なる出世を目指していた。
その筆頭株が彼、ナチョ・エスクデロなのだ。
「報酬と安全対策次第では、落下傘作戦に志願する魔導士もいるだろう。たかが風魔法で軍の攻撃は防げないだろうが、武器を失う恐怖、車両が乗っ取られる恐怖を味わう事に奴等は慣れていない。最初の弾丸が撃ち込まれる前に心の勝利を決める必要がある」
短髪の剣士は、淀みない言葉で己の哲学を語る。
彼の名はデニス・アッガー。
デンマーク出身のベテラン剣士で、現在38歳ながらイグナショフの死去により剣士ランキング4位に繰り上がった、知る人ぞ知る実力派である。
「貴方の様な剣士が我々に手を貸してくれるとは、少々意外ですな。私はてっきり、ランキングで貴方を追い抜いた我が弟、メナハムを憎んでいると思っていたのでね」
目上の人間以外には上から目線でものを言い、エリート意識がやや鼻につくヨーラムも、歴戦の剣士には敬意を払っている。
アッガーは長年剣士ランキングのトップ10をキープしているが、自身のこだわりが強く仕事を厳選している為、若い剣士からは半ば仙人扱いを受けていたのだ。
「……フッ、俺は軍部に贔屓されていたイグナショフ達に嫉妬した事はない。奴等は数字の栄光と引き換えに、その数字に縛られる人生だったのだからな。メナハムが俺を追い抜いたのも、彼の仕事量と影響力を考えればごく当然だよ。俺は世のハードワーカー達によって居場所を与えられている、運のいい男さ」
酸いも甘いも噛み分け、長くランキング上位をキープしているベテランとは思えない、謙虚な言動を見せつけるアッガー。
彼はともに戦うチームという存在には興味のない、全くの一匹狼。
更に加えて、彼は末端の悪党にも興味を示さず、単独行動に徹する愉快犯や政治犯を独自の嗅覚で探し当て、そして葬ってきたのである。
アッガーに目をつけられた悪党は、生きては帰れない。
倒した悪党がひとりでもその後の影響力が評価され、アッガーのランキングは自然と上昇する。
スコットやパサレラとは違う意味で、彼もまたレジェンド剣士のひとりに違いなかった。
「……俺の近くにいた事で、家族も友人も死んでしまった。もう失うものはない。俺が最後に狩るべき獲物は、フェリックスと組まなければ射程距離に入らない男達なのさ」
まるで悟りでも開いたかの様に、アッガーの決意と自信は揺るがない。
とは言うものの、フェリックス側の武器は賞金稼ぎの剣やナイフ、テロリストの拳銃やライフル。そしてせいぜい幾つかの手榴弾といった所。
ギリギリまで発砲はないにせよ、戦車の大砲やマシンガンを持っている軍の小隊に勝てる戦力ではないだろう。
「魔導士達……とりわけようやく戦えるコンディションになったベガが、我々の秘密兵器だ。エスクデロ、アッガー、すまないが一緒に奴の様子を見に行かないか?」
ヨーラムは思い出した様にとある魔導士の名前を挙げ、エスクデロとアッガーを連れてヘリの隔離部屋へと歩き始める。
ホルへ・ベガという男はメキシコ出身の魔導士であり、本来ならば賞金稼ぎとしてもっと評価されるべき強大な魔力を持っていた。
だが、彼は重度の薬物依存症に陥っており、錯乱して仲間を攻撃する、更生中に魔法で施設を破壊してしまうといった行為でブラックリストに載り、界隈から追放されてしまう。
ベガは何はさておきドラッグを求めて『ラ・マシア』経由でヨーラムに近づき、フェリックス社の奴隷として生きる道を選択したのだ。
「……ベガ、調子はどうだ? ワルシャワに着いたら、少しブレイクさせてやる。もう少し待て」
ヨーラムの言うブレイクとは、僅かばかりのドラッグを服用する事。
ベガがハイになった時の戦力値は極めて高いが、同時に禁断症状時の恐怖も理解しなければならない。
「ああ……大丈夫だ。すまない……こんな俺を見捨てないでくれて……。俺は……皆に必ず恩を返してみせるよ……」
魔法で暴れる危険性に対処する為、ベガの隔離部屋には光が差し込む事はなく、外気も最低限の通気口から入るだけ。
しかし、更生施設からも見放された今、力なく声を振り絞るベガの居場所は猛獣の檻の中にしか存在しなかった。
「……優れた魔力を持ちながら、奴はまだ満足出来なかった。ドラッグと組み合わせて、より強大な魔法を生み出す術を覚えてしまったのだ。愚かな男だよ……」
いずれ破滅を迎える人間を、自身の野望の道具にする。
この行為には、流石の冷酷非情なヨーラムの表情にも翳りが滲んでいる。
ベガはメキシコでは比較的裕福な家庭に育っており、彼の依存症は差別や貧困から生まれたものではない。
魔法への探求心とちょっとした好奇心から転落した人生は、同情の余地のない完全なる自己責任。
だが、なまじ育ちがいいだけに、ベガはドラッグを渡してくれるヨーラムに心から恩義を抱いていたのだ。
「……仕方がないな。今こいつからドラッグを取り上げた所で、魔法で暴れる以上、もう更生は出来ないだろう。放置すればいつか野垂れ死にするとは思うが、最後の魔法できっと誰かを巻き添えにする。強大な魔力を持ちながら堕落した生まれついでの弱者として、腐った世界に撃ち込む弾丸にするしかない……」
アッガーの言葉に無言で頷くエスクデロ。
ヨーラムは今回初めて、自ら危険な現場に赴いて指揮を執っており、それがエスクデロやアッガー達の信頼を高めている。
これまで数多の部下から反旗を翻されてきた彼だが、その経験を振り返り、今ようやくリーダーの器というものに気づき始めていた。
『ヨーラム様、現在ワルシャワ空港は警察と軍の残党、そして賞金稼ぎがひと棟を占拠して対策会議を行っている様子です! 空港に近づき過ぎると奴等の視界に入りますので、こちらで誘導するコースからスーパーのヘリポートに移動して下さい!』
「了解した!」
ワルシャワ空港までおよそ2Km程の地点。
そこにはきらびやかな1台の大型トラックが待機しており、派手な電飾を光らせながら貨物ヘリに合図を送っている。
あのトラックに、ヨーラムと通信を行う部下が乗っているに違いない。
「我が社の宣伝車両だ。この外観は私の好みではないのだが、こんな時には役に立つものだな。高度とスピードを落とせ!」
軍の一線級パイロット並の技術を持つ、フェリックス社専属操縦士。
彼は貨物ヘリに乗り慣れていないヨーラムをはじめ、乗組員に極力負担を感じさせない安定した操縦を見せつけていた。
『ヨーラム・フェリックス様ですね? こちらはワルシャワ警察のシビエルスキ巡査長です。我々の立場はあくまで中立。ロシアの民が困窮している今、軍部と企業による救援活動の軋轢は、一致点による共闘で解消出来るという認識を持っています。ですから、ここからは我々がヘリポートに先導させていただきます!』
トラックからの通信に、聞き慣れない声が混じっている。
どうやら前もって警官を乗せているらしく、彼の声に続いて警察のバイクが2台、トラックを挟む様にして登場。
ポーランドは過去の歴史からユダヤ系に理解があり、イスラエルの企業であるフェリックスの経済活動にも障壁はない。
加えて、ロシアに良い感情を持っていない人間が多い事も手伝って、軍部の暴走を止めようと試みる特殊部隊や賞金稼ぎ、更にフェリックスの両陣営に活動の自由が与えられていた。
『ヨーラム様、先程も申し上げましたが、我々ワルシャワ警察の立場はあくまで中立。スーパーのヘリポートには警察の特殊部隊を代表して、ロベルト・ロドリゲス隊長が待機しています。彼はフェリックス社の救援活動には反対していませんが、軍部に暴走の動きがあり、彼等を刺激してトラブルが発生する事を恐れています。話し合いにご協力下さい』
「分かった。余り時間はかけられないが、話は聞こう」
野心家のヨーラムではあるが、彼とて圧倒的戦力差のある軍と戦争をしたい訳ではない。
だが、軍の強硬派が先に救援活動を妨害する動きを引き出す事で、統一世界の民がフェリックスを支持する流れに持って行く、それが自らの使命だと確信はしている。
ワルシャワ郊外にそびえ立つ、巨大なスーパーマーケット。
フェリックスはヘリポートを完備した店舗を構え、既に閉店後にもかかわらず、敷地内は貨物ヘリの給油体制で真昼の様な明るさに満ちていた。
慣れた手つきで貨物ヘリを着陸させた操縦士は、栄養を補給しつつ休憩。
ヨーラムはシビエルスキ巡査長に警護されながら、敢えてエスクデロやアッガーの存在を隠し、単身でロドリゲス隊長との話し合いに向かう。
「噂には聞いていましたが、お会い出来て光栄です。お手柔らかに」
「こちらこそ、フェリックスの次期社長と名高い御曹司と直接話せるなんて光栄ですよ」
夏とは言え、東欧の深夜はまだ肌寒い。
互いに無難な社交辞令から話し合いが始まるものの、両者ともにチーム・バンドーやコーエンらを挟み、心の奥底に薄ら寒い憎悪を忍ばせているのは明らかだった。
「……単刀直入に申します。ヨーラムさん、ハバロフスクでの救援活動をもう少し待っていただけないでしょうか? 現在、ジルコフ大佐を筆頭とした軍の強硬派が、フェリックスのロシア入りに不快感を示しています」
かつての鬼軍曹ぶりが信じられない程、紳士的にヨーラムと対峙するロドリゲス隊長。
軍の軋轢を認識しているヨーラムは、一瞬不敵な笑みを漏らしかけたものの、咄嗟に神妙な表情を繕いながら聞き役に徹している。
「……我々警察としては、この非常事態に軍も民間企業もなく救援活動が必要という認識なのですが、軍の強硬派は武力行使をちらつかせて貴方達を牽制する気満々です。万が一発砲があった場合、貴方達だけではなく被災者にも危害が及びます。我々が軍の強硬派を説得するまで、救援活動をウラジオストクに集中していただけないでしょうか……?」
既にナシャーラやメナハムが集結しているウラジオストクは、今回の地震による最大の被災地。
仮にフェリックス社がロシアでの影響力を強める事だけが狙いなら、ウラジオストクの民に感謝される活動を行えばいい。
ウラジオストク程被害が深刻ではないハバロフスクは、徐々にインフラ復旧が動き出し、より多彩な救援活動が始まるはず。
しかし、仮にフェリックスが違う目的でハバロフスクの救援活動に乗り出していた場合、軍の強硬派との衝突の危険性がより高まるに違いない。
ヨーラムは髪を搔き上げ、ロドリゲス隊長の目を真っ直ぐに見つめながら口を開いた。
「……ロドリゲス隊長、貴方達のご心配の程、ごもっともでしょう。我々はビジネスに深入りする余り、この50年間統一世界を統治してきた、ロシアのプライドを揺さぶってしまったのかも知れません」
ヨーラムの丁寧な言葉の選び方に、ロドリゲス隊長は事態の進展にかすかな希望を抱く。
だが、そこは裏稼業の取締役、一族の方針を軟化させる事はない。
「しかしながら、今、我々の正義を燻らせる訳にはいきません。戦いが起きてしまった時は、それが時代の呼び声だという事なのでしょう。今の段階では、私を拘束する証拠は出せないはず。ですから、これから50年の統一世界の統治には、ロシア至上主義者が退場していただく物語をお見せしましょう」
その迷いのない眼差しは、これまで発言に行動が追いついていなかったヨーラムのものとは違う。
いや、彼だけではなかった。
フェリックスは社長のデュークを除く重役がロシアに集結し、新たな時代の生き証人として、この世界の未来を切り拓こうとしていたのだ。
「……分かりました。フェリックスの救援活動は、決して慈善事業ではないという事ですね……。我々にも考えがあります。既にテルアビブのフェリックス本社に、アキンフェエフ警視総監の部下を派遣しています。貴方達フェリックスグループの汚職、武器やドラッグの密輸密売容疑、そしてこの地震が貴方達の自作自演であるという疑惑、全てを白日の下に晒させていただきますよ」
ロドリゲス隊長の意地も、ヨーラムに何ら引けを取る事はない。
両者ともここに到達するまでの間に、幾多の犠牲を払いながら困難を乗り越えてきたのである。
「給油は終わったか!? 出発するぞ!」
ヨーラムは自らに気合いを入れる様に作業員を鼓舞し、ロドリゲス隊長、そしてワルシャワの警官達に背を向け、やがてゆっくりと貨物ヘリに歩みを進めていた。
7月19日・6:00
深夜にイスラエルのテルアビブに到着した、モクーナをはじめとする警視総監補佐班の面々。
旧来の価値観に囚われない若手エリート揃いである彼等は、私服に着替えれば覆面警官だと気づかれる事はない。
加えて、その洗練されたファッションセンスは、テルアビブのセレブ達が集うフェリックス本社ビルというロケーションにも難なくフィットしていた。
「モクーナ、本当にこんな時間に会えるのか?」
補佐班メンバーのひとり、ナイティンクはオランダ出身。
長身のスキンヘッドという風貌が目を引くが、モデル並の甘い顔立ちで野暮ったさは皆無。
100メートルを11秒台で走れる俊足が武器で、オランダでは犯人追跡の核弾頭として恐れられていた。
「……ああ、デューク社長は誰もが知る仕事の虫だ。誰よりも早く出社して、誰よりも遅く退社する。警察に疑惑を持たれたからと言って、このローテーションを崩せば更に怪しまれるだろう。会社に入るとアポ取りもおぼつかないからな。ここで尋問する」
寝不足気味も何のその、モクーナはかえって高まるテンションで計画をまくし立て、コーヒースタンドに張り付いたままのナイティンクに適度な間隔を保たせる。
「モクーナ、ナイティンク、社長の自宅から車が1台出たようだ。もうすぐ到着するぞ」
デュークの自宅を監視する仲間からの連絡を受けるインド出身のITマスター、サイ。
彼は故郷インドや中国の大企業からのスカウトを蹴り、敢えて警官を志した変わり者だが、それ故にデューク社長の拘束に傾ける情熱は人一倍だ。
『……こちらはテルアビブ警察、ラビン警部だ。デューク社長は間もなくそちらへ向かうだろう。くれぐれも警告しておくが、彼はイスラエルNo.1のVIPだ。今回の責任はアキンフェエフ警視総監と君達にあり、君達に立ちはだかるのは法律の壁ではなく、令状も通用しない様な投資家達の私怨だと思え。以上だ』
協力が得られるはずだった地元警察からは、自己保身に満ちた捨て台詞が届くだけ。
反論の余地も与えられずに遮断された通信に天を仰ぐナイティンクを尻目に、モクーナは苦笑いを浮かべながら自慢のドレッドヘアーを掻き上げる。
「仕方ないな。俺達がナイトクラブ帰りのボンボンだと思われなかっただけマシさ」
世界的な大企業であるフェリックスの本社ビルは、セキュリティーの点でも抜かりはない。
デュークをはじめとする重役達は、監視カメラと警報システム完備の裏口駐車場に設置された、役員専用の防弾エレベーターにIDカードを提示する事で、オフィスへの最短距離を確保していた。
つまり、一刻を争う現在、モクーナ達は路上で車を止めなければならない。
その為に彼等が取った行動は、エリートらしからぬ短絡的なものとなる。
「……社長、道路の真ん中でおかしな若者が酔っ払っている様ですね。クラクションが聞こえないのでしょうか……?」
運転手とSPを引き連れたデュークの視界に、怪しく身体をくねらせる補佐班3名の姿が飛び込む。
幸い、まだ通勤混雑には早い時間帯である為、彼等の迷惑行為はさほど交通を乱してはいなかった。
「いいスーツだな、ナイトクラブ帰りのボンボンといった所だろう……。親に成功の土台を用意して貰いながら、若さを無駄にする人間の気が知れないよ。轢いてしまう訳にはいかないからな。仕方ない、また説教しなければならないのか……」
デュークにとって、これはごく日常的な光景なのだろう。
スピードを落としてモクーナ達に近づき、交通の妨げになる若者達にその顔を拝ませる。
「君達、交通の邪魔だ。そこを退き給え。テルアビブにいるなら、私が誰だか分かるだろう? 若さを無駄遣いするんじゃない」
現在の地位があるからこその上から目線に聞こえるが、デュークの説教は決して間違ってはいない。
だが、この若者達がテルアビブでは見慣れない風貌だと彼が気づいた時、既に車のウインドウにはモクーナの警察手帳が押し付けられていた。
「……昨日の電話を覚えているでしょう、警察です。会社ではなく、テルアビブ署に同行願いますよ」
「おいマジかよ……本当にデューク社長を連れてきたぜ……」
デュークの拘束に騒然となる、テルアビブ警察署の警官達。
この地でフェリックス社のご機嫌取りに慣れきっていた彼等にとって、目の前のこの光景はにわかには信じ難く、不条理な罪悪感すら身にまとい、そして言葉を失っている。
「……デューク社長、以上が我々の集めたフェリックス社の悪行と、その証拠の資料です。ですが、ここにある証拠だけでは貴方を起訴する事までは出来ないでしょう。会社の裏稼業は第1御曹司のヨーラムと、会長のデビッドが強い権限を握っている様ですからね」
モクーナがデュークを追い詰めようと試みる中、ナイティンクら補助班のメンバーは被疑者を取り囲み、無言の圧力をかけ続けた。
「我々は司法取引を求めています。この容疑から貴方を一時的に解放する代わりに、これから軍部との衝突が考えられるフェリックスの救援活動を休止し、ロシアから撤退させていただきたいのです。少なくとも、ハバロフスクに向かったヨーラムの救援部隊だけは撤退させて下さい。彼等にとどまらず、ハバロフスクの被災者達にも危害が及ぶ可能性が高いのです」
有能かつ勤勉な社長であり、時には冷酷非情な判断で先代からの繁栄を維持し続けたデューク。
しかしながら、彼はこれまで自分の手を汚した事はない。
だからこそ、リスクの大きい緊急事態の引き際はわきまえているはず……警察組織にとって、デュークはフェリックス最後の希望だった。
「……私には黙秘権があるはずです。カリブに出ている顧問弁護士を呼んで下さい。彼以外と話をするつもりはありません」
「な……!?」
デュークの取った選択は徹底黙秘。
それも、軍とヨーラム達の接触までには間に合わない距離からの顧問弁護士召還。
「カリブだと……脱税やマネーロンダリング指南でもしているのか!? 時間を稼ごうとするな!」
苛立ちもあらわに、デュークに詰め寄るサイ。
激しくなる追及からは目を背け、デュークはただひたすらに時の流れを待つ算段らしい。
「変な言いがかりはやめていただけますかな? 先代の顧問弁護士が不祥事を起こして死んだばかりなんです。弁護士がカリブに出ているのはハイレベルな研修を受けさせる為ですよ」
ヨーラムに反旗を翻し、セルビアでテロリズムに殉職したドル・アシューレ。
彼に代わる顧問弁護士が慌てて採用されているのは、恐らく事実。
弁解の切り札を最後まで伏せていたデュークの狡猾さは、エリート集団とは言えまだまだ若手の補佐班には持ち得ないものである。
「くっ……もし軍とヨーラム達が武力衝突してしまえば、社長としての貴方のキャリアも無事では済みませんよ!? 撤退命令を出して下さい!」
屈辱を噛み締めながら、デュークに懇願してでも局面打開を模索するナイティンク。
だが、デュークの目の色が変わる事はなかった。
「……私がいなくても、会社は回りますよ。留置場にでも入ってみせます。我々の救援活動の目的は、あくまで被災者の人命救助。ハバロフスクよりウラジオストクの被害がより深刻で、まだ公的支援も僅かしか届いていません。ヨーラム達はウラジオストクの被災者を、そして私の妻ナシャーラや父デビッド、メナハム達を守る為にハバロフスクで軍をせき止めていると、そう認識させていただきますね」
もはや演説に近いデュークの堂々たる見解に、テルアビブ署内は水を打った様に静まり返る。
フェリックスは全社で統率の取れた団結力を持ち、かたや軍部は司令官選挙から強硬派のクーデターを許す体たらく。
次代の警察を担うはずのエリート達は今、激しい無力感とともに自らの敗北を認めざるを得なかった。
7月19日・7:30
「……モクーナ達がデューク社長の説得に失敗した。慎重なイメージがあったが、本気で覚悟を決めていたらしいな……ロドリゲス隊長、どうすればいい?」
不眠不休の疲れもあるのだろう。
アキンフェエフ警視総監はがっくりと肩を落とし、最後の望みがまだ残されているのか、ワルシャワのロドリゲス隊長に力なく訊ねる。
「ワルシャワ基地の同志が、軍隊用の通信端末を持っています。この端末は軍用無線に割り込む事が出来ますので、ジルコフ大佐からハバロフスクの小隊に通信が入るであろう時間帯を狙い続けて説得するしかありませんね。奴がいかに強硬派とは言え、出会い頭に武力行使する程愚かな男ではないと信じたいです」
特殊部隊のキムとグルエソの調査により、東欧の陸路にトラップはない事がほぼ結論づけられた。
だが、ロドリゲス隊長の任務はジルコフ大佐の説得だけではない。
レブロフ司令官達を救出する為、仲間とともにモスクワの軍事会館に遠征し、ハバロフスク、ウラジオストクでの救援活動のトラブルにも目を光らせなければならないのである。
7月19日・8:30
「ロドリゲス、軍用無線にアクセス出来たぞ! この通話、誰だと思う!?」
軍隊用の通信端末を用い、辛抱強く軍用無線の傍受を続けていた肥満気味の巨漢、マズール。
彼はロドリゲス隊長の新兵時代からの顔見知りで、加齢と体重増加により戦場に出られなくなった現在、ワルシャワ基地の整備班に所属しているメカの達人だ。
『……奴等のヘリは見えませ……ウラジオストク程の被害は……まだまだ救援物資も足りていない様子で……継続支援が必要だと……』
「ウラジオストクかハバロフスクからの通信だな! 恐らく偵察機だろう、でかしたぞマズール!」
ヘッドホンを耳にあて、マズールに親指を立てるロドリゲス隊長。
ジルコフ大佐が軍の全権を握っている現在、救援活動に関する通信は必ず彼の耳に入っている。
まさに千載一遇のタイミングだ。
『こちら警察特殊部隊のロドリゲス、こちら警察特殊部隊のロドリゲス。ジルコフ大佐に伝えたい事がある、至急呼び出し願いたし、至急呼び出し願いたし!』
「……これは……おおっと!?」
突然の割り込み通信に戸惑う、偵察機のパイロット。
彼は慌てて機体の高度を上げ、通信に集中出来る環境を整える。
『ジルコフ大佐、緊急通信です! どうやらロドリゲス元参謀からのものらしいですが……どうしますか?』
「何だと!? まだ無駄な工作を続けていたのか……執念深い奴等だ。いいだろう、言わせてやれ」
自らが偵察機に指示を出す前に、思わぬ割り込み通信に行く手を阻まれる。
ようやく軍の最高権力者に君臨したはずのジルコフ大佐は、目の前の現実に辟易しつつかつてのライバルには敬意を表してみせた。
『はっ! 繋ぎます!』
『……ジルコフか!? ロドリゲスだ』
軍用の通信端末は、内蔵カメラで映像を送信出来る機能を備えている。
しかしながら、小さな端末の映像が軍事会館の大型スクリーンに引き伸ばされると、ロドリゲス隊長の姿はやつれた老人の様に見えてしまう。
「随分老けたなロドリゲス、これ程までに心労をかけてしまって、お詫びの言葉もないよ。だが、もう私の決意は理解しているだろう? 今更何の用だ?」
ジルコフ大佐の周囲には、腹心と呼べる部下が10名程着席しているだけ。
司令官選挙で彼に投票した支持者の大半は、レブロフ司令官ら穏健派の拘束と監視に駆り出されている様子だ。
『我々は警察として、お前達が敵意を剥き出しにしているフェリックスとの接触を避けようと、あらゆる手だてを尽くしてきた。しかし、彼等を止める事は出来なかったよ。ジルコフ、お前達が武力行使をちらつかせなければ、フェリックスも建前上、穏便な救援活動をするはずだ。ウラジオストクとハバロフスクの被災者の為、騒ぎを起こさないと約束してくれ』
過去の因縁や屈辱を封印した、ロドリゲス隊長の懇願。
期待出来る相手ではないと知りつつも、ここはプレッシャーをかけるしかない。
「……気持ちとして受け取らせて貰うよ。だが、我々もフェリックスも、理想の為に血が流れる事を恐れてはいない。だってそうだろう? いつの世も、君達の様な腰抜け穏健派は役に立たないのだからな……」
ジルコフ大佐のこの言葉を最後に、警察と特殊部隊の和平工作は全て失敗に終わった。
ロドリゲス隊長はこの瞬間から、かつての鬼軍曹の表情を取り戻す事となる。
『……レブロフ司令官と支持者達は必ず救出する。お前を軍法会議にかけるまで、どんな障壁も打ち破ってみせるからな!』
徹底抗戦を決意したロドリゲス隊長はジルコフ大佐との通信を終え、ワルシャワに集結した同志達を力強く鼓舞した。
「……やれる事は全てやった、奴等の衝突は避けられない。だが、今ここで引き下がって平和を待っていても、事態は改善出来ないだろう。皆に戦いを強要する事はしないが、戦う気のある者は一緒に来てくれ。マズール、モスクワとサンクトペテルブルクの部隊に念を押せ! お前達がジルコフを守るつもりなら、戦犯として一生獄中で生きる覚悟を決めろとな!」
「おうよ! 奴等を揺さぶってやる!」
端末を手にするマズールは、その威勢をかってジルコフ大佐の消極的支持者を切り崩しにかかる。
「ウラジオストクとハバロフスクへの救援物資は陸路で行う! 時間はかかるが公的支援と連携し、最終的にその場に届けばそれでいい、フェリックスとジルコフ一派を刺激する必要はないぞ! 我々の仕事はモスクワの軍事会館でレブロフ司令官と支持者達を救出する事! 警官、軍人、賞金稼ぎの皆とともに空路でモスクワ入りする、準備を整えろ!」
「おう! 待ちくたびれたぜ!」
ロドリゲス隊長に呼応して雄叫びを上げる、カムイ達をはじめとする賞金稼ぎ一同。
戦車や戦闘機、バズーカ砲が使えない軍事会館内の接近戦であれば、魔道士を擁する彼等が軍人に引け目を感じる事はない。
(……ガンボア、早く来てくれ。ケン、これが俺の最後の戦いになるだろう……。新しい時代は、お前達が切り拓くんだ……!)
ロドリゲス隊長は夏の陽射しに目を細めながら、救出作戦のラストピース、チーム・バンドーの到着を心待ちにしていた。
7月19日・10:00
「……ジルコフ大佐、こちらベレヅスキ小隊、ハバロフスクに到着しました! 現地では小規模な救援活動が行なわれている様ですが、フェリックスの貨物ヘリの姿はありません! 我々が先に到着した模様です!」
陽が昇り、救援活動としてはベストなタイミングでハバロフスクに到着した、ジルコフ一派のベレヅスキ小隊。
その戦力は戦車が1台に、装甲車が5台。
背後には救援物資を詰め込んだ大型トラックが3台だが、純粋な戦闘員は20名程度。
武器の性能にこそ大きな差があるものの、頭数はヨーラム達の部隊とさほど違いはなかった。
『ベレヅスキ中尉、よくやった。先手を取れたのはデカイぞ!』
これまで頭痛の種だったフェリックス社に、ひと泡喰らわせようと企むジルコフ大佐。
彼は部下の迅速な仕事ぶりを目にして、この騒動の中で初めて子どもの様にはしゃぐ姿を見せている。
『戦車があれば、大砲で奴等の貨物ヘリも牽制出来る。救援物資を空から降ろし、貨物ヘリはそのまま着陸せずに撤退する様に警告しろ! 奴等がその警告を無視したり、下手な動きを見せたら発砲して構わん、それはもう戦争なのだからな!』
「了解しました! この世界を奴等の好きにはさせませんよ!」
生粋のロシア人であり、ジルコフ大佐のお気に入りでもあるベレヅスキ中尉。
戦車の大砲からバズーカ砲、ライフルから拳銃に至るまで、射撃と名のつく腕前は超一流。
軍隊内で派閥に入ろうとしなかったレンジャー部隊の一匹狼、ノルドベイトには劣るものの、当時ロドリゲス一派だったシルバ達と上位を争っていたのだ。
「小隊長、前方に飛行物体発見! 恐らくフェリックスの貨物ヘリだと思われます!」
部下からの報告を受け、戦車内のレーダーで機体を確認するベレヅスキ。
「……間違いない、奴等だ。それにしても、貨物ヘリとは思えないスピードだな。机上の論理だけではこの機体は作れない……。フェリックス社、叩き潰すには惜しい利用価値がありそうだ……!」
軍用ヘリすらも上回るスピードに驚愕しながらも、ベレヅスキはジルコフ大佐への手土産として、貨物ヘリ破壊後の部品回収にまで意欲を見せていた。
「軍とフェリックスが来てくれたぞ! これでハバロフスクも安心だぜ! まずは水だ、汗をかくのも堪らん、下着もくれよ」
ひと目で救援隊と分かる大型トラックと貨物ヘリを前に、ようやく最低限の暮らしが出来ると色めき立つ、ハバロフスクの被災者達。
だが、動ける彼等は幸せであり、この地にはまだ瓦礫の下に残る負傷者、そして既に動かない亡骸が眠っている。
ウラジオストク程ではないものの、彼等を救出する作業は未だ夜を徹して行われているのだ。
「……おい、何で戦車なんかが来てるんだよ!? 来るなら救急車か消防車じゃないのか!?」
「戦車のバッテリーは大容量だ。救出作業の照明にはバックアップが必要だし、重傷者が雨風を凌ぐ場所も要るだろ?」
被災者達は軍の救援隊の編成に疑問を抱き、兵士は苦し紛れの言い訳でその場を凌ぐ雑務に追われてしまう。
フェリックス社を牽制する為には、救援物資に群がる被災者達を遠ざけなければならないが、ベレヅスキ小隊が対応に苦慮している間に、貨物ヘリは着実に被災者の元へ接近している。
『ベレヅスキ中尉、被災者を遠ざけろ! 私の名前を出しても構わん、フェリックスが善意の企業ではないと伝えるんだ!』
停滞する事態に痺れを切らしたジルコフ大佐は、あらかじめ小隊に提示していた文言を用い、戦いの準備を整える様に促す。
ベレヅスキは戦車の無線をスピーカーに切り替え、被災者に警告を発した。
『被災者の皆様、そして現場の救出作業にあたる皆様、こちらは統一世界軍のベレヅスキ中尉です。現在、フェリックス社の救援活動が我がロシアでも行われていますが、軍部の調査で彼等の狙いが統一世界の経済支配である疑いが高まっています! 彼等の真意を確かめるまで、暫くこの場から離れて下さい、お願いします!』
ベレヅスキの警告により、軍が戦車を持ち出した理由を理解する被災者達。
だが、まだ納得の行かない者は存在する。
「これからフェリックスを支持するかどうかは、俺達の自由だろ!? こんな時に、何無駄な争いをしようとしてるんだよ!」
「……この場から離れろと言っているだろ!」
焦りと苛立ちに支配され、遂に被災者に銃を向けてしまう隊員。
被災者が蜘蛛の子を散らす様に小隊から離れていくその時、貨物ヘリからも声明が発せられた。
『フェリックスのヨーラムだ。我々がそんな扱いを受けているとは、誠に遺憾だよ。我々の救援活動は無償だ。貴様らの様に、後から税金で回収する様な姑息な組織ではないわ!』
初めて最前線で指揮を執るヨーラムは、その高揚感と若さから本音が滲み出ている。
彼は両手で指示を出し、落下傘部隊の降下準備、そしてベガをはじめとする魔道士達に魔法をスタンバイさせる。
『こちらベレヅスキ中尉です。ヨーラム様、救援活動誠にありがとうございます。しかしながら上官の命令もあり、皆様をこの地に上陸させる訳にはいきません。救援物資を地上に落とし、あとはそのまま貨物ヘリごとお帰り願います』
努めて事務的に、冷淡な対応で切り返すベレヅスキ。
これでフェリックスが撤退するとは思えないが、少なくとも武力行使の口実にはなるだろう。
「ふおおぉぉっ……最高だよ! ありがとう、本当にありがとう……!」
悲壮感すら漂うベガは嬉し涙を流しながらドラッグを充填し、戦いの準備は万端。
彼等魔道士の役目は複数で強大な風魔法を発動させ、軍のライフルやマシンガン、バズーカ砲などを遠ざける事だ。
「俺達の出番は着陸した後だ。順調に行けば奴等の銃は風に飛ばされ、精々ナイフくらいしか残されていないだろう。いくら奴等が訓練された軍人でも、単純に俺達の剣の方が長い。フィニッシュに拘るな、美学を捨てろ、1センチでも先に刺した方が勝者だ。殺さずとも、戦えなくした者が勝者だ」
アッガーは剣士達を冷静に鼓舞し、エスクデロ達テロリストは救援物資の包装と同じ色のボディスーツに身を包み、落下傘作戦のシミュレーションに余念がない。
「皆、準備はいいか!? 行くぞ!」
ヨーラムの合図とともに貨物ヘリは高度を下げ、やがてホバリングしながらハッチが開けられる。
『ベレヅスキ中尉とやら、救援物資を投下する。だが、本来ならば着陸してから降ろす前提だった。デリケートな物も含まれている、物資が無事に着地するまでは人員をつける事を許してくれ』
ヨーラムは周囲を見渡し、被災者や救援活動に従事する者の姿がない事を確認。
それと同時に、ベレヅスキの乗る戦車の大砲がこちらに向けられている事も認識していた。
「よし、降ろせ! 相手が下手な動きを見せるまでは銃を出すなよ!」
エスクデロの指示により投下される救援物資。
高度はさほどでもないが、人間が乗っている重みで地面に叩きつけられる危険性に配慮し、早々に落下傘が開いている。
「軍の奴等の手から武器を飛ばす事だけを考えてくれ。皆の風魔法を集めれば、絶対に出来る!」
自ら魔道士達の先頭に立ち、その手から蒼白い光を滲ませるベガ。
しかしその一方で、貨物ヘリに向けられている戦車の大砲は魔法でも簡単には動かせない。
周囲に立つひとりの兵士に目をつけたベガは、ドラッグによって徐々に薄れていく温情と引き換えに、より残酷な作戦を選択していた。
「おおおっ……!?」
救援物資が順調に降下していると安心したその瞬間、予期せぬ自然の強風が吹き荒れ、ひとりのテロリストが地面に落下する。
幸い、この高さなら命に別状はないだろう。
だが、ある意味彼の命よりも大切なものが軍の目前に転がり落ちてしまった。
拳銃である。
「……ジルコフ大佐! 奴等は銃を持っています! 救援物資とともに降下した人員も、武器を持っていると思われます!」
『撃て! 開戦だ!』
パアアァァン……
ジルコフ大佐の命令を受け、遂にフェリックスに発砲を開始したベレヅスキ小隊。
拳銃を落としたテロリストは慌てて救援物資の陰に隠れたものの、軍が救援物資を守る為に発砲を止める様な真似はしないだろう。
「くっ……始まったか!? ベガ、奴等の武器を吹き飛ばせ! 大砲から逃げるぞ、高度を上げて旋回しろ!」
「おいおい……どっちかにしろよ!」
アッガーは高度を上げた機内の激しい揺れに足下をすくわれ、魔道士達は互いに固まりながらその場に踏みとどまった。
「行くぞ! そおぉりゃあぁ!」
ベガの雄叫びとともに、軍の銃器に向けて一斉に放たれる風魔法。
貨物ヘリの高度こそ上がってはいるものの、自然の強風と絡み合ったその効果は絶大である。
「……何だこの風!? 魔法でここまでの風が出せるのか……どわああぁぁ!」
拳銃やナイフとは比較にならない重量を持つ、ライフルやマシンガン、挙げ句の果てにバズーカ砲までもが吹き飛ばされる竜巻並の強風。
空中に投げ出されそうになっていた兵士達は、どうにかして地面に身体を残そうと、強風の盾になる戦車の周りに引き寄せられていた。
「まだ重い銃器を飛ばしただけだ! 奴等もナイフや拳銃は隠している、油断するな!」
テロリストの銃撃部隊を指揮するエスクデロは素早い身のこなしで兵士の合間を抜け、拳銃で身近な相手をまずひとり始末する。
「くっ……何をしている!? 素人どもに手こずるな!」
ベレヅスキも戦車のコックピットから顔を出し、的確な射撃でテロリストを撃退した。
『ええい、手ぬるいぞベレヅスキ中尉! 戦車の大砲で貨物ヘリを撃ち落とせ。所詮はヘリの速度、大砲まではかわせないだろう!』
軍の思わぬ劣勢に地団駄を踏むジルコフ大佐は、遂に明確な殺戮兵器である大砲の使用を許可。
その命令に、かつて射撃の名手として鳴らしたベレヅスキの目が妖しく光る。
「……!? まずい、ヨーラムさん! ヘリの高度を少し下げてくれ! 戦車の大砲がヘリを狙ってる!」
ドラッグによるものなのか、ベガは過敏になった感覚によって咄嗟にピンチを察知した。
「……何だと!? ならば尚更高度を上げなれけばならないではないか? 近づくなんて自殺行為だ!」
ヨーラムをはじめ、普通の人間にはベガの言葉が理解出来ないだろう。
だが、ベガは本来一流の魔道士、感情の高まりを利用して発火口を爆発させる火炎魔法の心得も持っているのである。
「大丈夫だヨーラムさん、俺を信じろ!まずは大砲の口を塞いでみせる!」
ベガは目にも止まらぬ早業で自然風の強い部分を探し当て、自身の魔力と結合させる。
やがて蒼白い光が渦を巻き、1本の太いローブの様な強風は戦車の隣に身を寄せるひとりの兵士を持ち上げた。
「わわわっ!? 何だよこれ? 身体が勝手に……助けてくれよ!」
兵士の身体は為す術もなく宙を舞い、瞬く間に大砲の発火口に貼り付けられ、ベレヅスキの攻撃を妨害する。
「……そんな馬鹿な!? こんな事が……! ジルコフ大佐、発火口にデミル曹長が貼り付けられました! 現在、大砲発射出来ません!」
『構わん、撃て! 今が千載一遇のチャンスだ! 人間の身体が貼り付いた程度で、戦車の大砲は暴発しない! ベレヅスキ中尉、撃つんだ!』
ジルコフ大佐と心中する覚悟のあるベレヅスキも、部下を自らの手で殺める事には、流石に激しい葛藤を抱えざるを得ない。
しかし、このままフェリックスに痛手を負ったままモスクワに逃げ帰れば、ジルコフ大佐から厳しい処分が下される事は確実だ。
「ヨーラム、ヘリの高度を下げろ! 今ベガを信じないでいつ信じる!? 明日のこいつは、もうどうなるか分からんぞ! 俺達も降りる、今なら剣でも奴等に勝てる!」
アッガーの気迫にも押され、ヘリの降下を許可するヨーラム。
火炎魔法のタイミングに備えるベガは、足下にこぼれていたドラッグに土下座する形で最後の吸引を行い、血走った眼差しでコンマ数秒の戦いに挑む。
「……デミル曹長、許せ! ジルコフ大佐……撃ちます!」
「ああああぁぁっ……!」
ベレヅスキがトリガーを引くタイミング、そしてベガの火炎魔法が発動するタイミングが一致。
大砲の発火口に貼り付けられたデミル曹長を巻き込み、戦車は爆音と火の玉を周囲にまき散らす。
「ぐはああぁぁっ……!」
間一髪、戦車からの脱出に成功したベレヅスキだったが、その瞬間戦車は大砲部分から大破。
そして高度を下げた貨物ヘリから飛び降りたアッガーの剣が、瀕死のベレヅスキに迫る。
「アッガーを援護しろ! 銃を持つものは軍の兵士を駆逐するんだ!」
初めて味わう戦場に心煽られ、ヨーラムも拳銃片手に後方から参戦。
その横では魔力を使い果たし、ドラッグのオーバードーズも災いしたベガが、口から泡を吹きながら最後の命を燃やしていた。
「戦車がやられた! 装甲車なら逃げ切れる、退却するぞ!」
未知の力に恐れをなしたベレヅスキ小隊は退却を余儀なくされ、残された僅かな兵士はヨーラム部隊の気迫の前に無惨に敗れ去る。
「後はお前だけだ! 悪く思わないでくれ、お前の無念は必ず上官にも上乗せしてやるさ!」
アッガーの追跡に怯えるベレヅスキは全身傷だらけ。
残された拳銃を構えるだけの手首の骨格さえ、今の彼は維持していなかった。
「がっ……!」
長剣のリーチをそのまま活かし、冷徹にベレヅスキの顎下を切り裂くアッガー。
鮮血を迸らせながら大地に崩れ落ちる最期は残忍だが、防弾チョッキの上からでは心臓を狙う事が出来ず、剣に残るダメージも考慮した場合、アッガーの初戦はこの勝利以外許されない。
「生き残っている者は叫べ! 今日の勝利は世界を揺さぶるぞ!」
拳銃を振り回しながら雄叫びを上げるヨーラムに呼応する、幾多の絶叫。
だがその一方で、お祭り騒ぎの中でも冷静さを失わないエスクデロとアッガーは、ヨーラム部隊にも4人の犠牲者が出ている事を確認していた。
『……ハバロフスクの被災者の皆様、この戦いを目の当たりにした貴方達ならお分かりだろう。統一世界の軍隊は民間企業の善意を撥ねつけるどころか、武力行使で瓦礫の山を築こうとした事を! 安心して欲しい、我々は貴方達を救援活動で支配したりはしない。新たな世界には、それに相応しいリーダーが必要だと言いたいだけなのだ!』
貨物ヘリのスピーカーから発せられるヨーラムの演説は、被災者からの大声援を味方につけている。
更に加えて、この戦いはフェリックス社が動画を撮影していた。
開戦の原因となったフェリックス側の拳銃さえ編集してしまえば、軍の横暴と彼等の自滅だけがクローズアップされる事になるのである。
「この動画をウラジオストクの母上様に送れ! 母上様を通してマスコミがこの動画を公開すれば、我が社の経済支配はもはや成功したも同然だ!」
部下に命令して意気上がるヨーラムを呼び止め、エスクデロとアッガーは戦いの犠牲となった4名の遺体を並べている。
その中には強大な魔法で一騎当千となり、実質的な最高殊勲戦士だった魔道士、ホルへ・ベガも含まれていた。
「……すまないな、ベガ。貴様は誰にも相手にされない人間に落ちぶれたかも知れないが、今日、時代を変える英雄になったのだ。貴様の亡骸は誰が何と言おうと、私が必ずメキシコに埋めてやる」
ヨーラムはエスクデロ、アッガーと協力して4名の遺体を機内に運び、救援物資の提供を行いながら貨物ヘリの給油を終える。
「軍部の黒幕、そして警察にチーム・バンドー。待っていろ。最後に勝つのは我々フェリックスだ!」
激しい戦闘が夏の気温を更に押し上げる中、ヨーラム達を乗せた貨物ヘリはフェリックス一族の待つ、ウラジオストクへと飛び立った。
(続く)




