第76話 ヨーラム包囲網 統一世界の危機を救え!
7月18日・14:00
「……おかしい、13:00前には選挙が終わるはずなのに、レブロフ司令官から警察に結果報告がまだないな。遅すぎる、呼び出そう!」
軍の司令官選挙の異変を察知し、慌ただしく動き出す警察組織。
次期司令官候補の下馬評では、票の買収も厭わないと噂されるジルコフ大佐の優勢が伝えられていた。
それだけに、レブロフ司令官はアキンフェエフ警視総監を誘い、開票結果に合わせて票の買収の真偽調査、そして今後の監視体制について話し合う予定だったのである。
「アキンフェエフ警視総監、ダメです! レブロフ司令官の携帯電話はおろか、会議室の公式無線にすら繋がりません!」
「……何だと!? 軍部の役員選挙だぞ、外部のテロリストに破られるレベルの警備ではない! 仮に内部の問題だとしても、今更軍部でクーデターが起きるとも思えんが、まさか……!?」
アキンフェエフ警視総監の脳裏をよぎるのは、ジルコフ大佐に本来入るはずの票が入らなかった場合。
つまり、仲間の自己保身による裏切りで彼が追い詰められた時の懸念だ。
ブブーッ、ブブーッ……
「警視総監、軍部からの通信です! しかも非常回線……全警察や大統領官邸にも届きますが、どうしますか!?」
「出ろ! 出るしかないだろ!」
先の読めない事態に、焦燥感を隠せないアキンフェエフ警視総監。
全警察に通信の録音を命令し、回線を開ける。
『……親愛なる警察、そして政府要人の諸君、ご機嫌よう。私はこの度、EONAの暫定司令官となったジルコフだ』
敢えて音声のみの通信を選んだのであろう。その声色からは、ジルコフ大佐の表情や周囲の空気感までは窺えない。
しかしながら、彼自身が暫定という言葉を用いている事から選挙の結果はレブロフ司令官の再任、或いは奇跡的に同数票に終わり、再投票になったと推測出来た。
「ジルコフ大佐、暫定とはどういう事だ!? 正式に次期司令官が決まったのであれば、速やかに警察と大統領に報告する義務があるはずだ! この1時間程の間に何か事件でもあったのか!? 我々ならいつでも手を貸すぞ!」
激動の予感に揺れる警察組織と、大統領官邸。
アキンフェエフ警視総監は巧みに先回りをしながら、追及の手を弛めない。
ジルコフ大佐は何かを隠している。
そして、その事を隠し続けるつもりもないのだろう。
『……その声、アキンフェエフ警視総監だな? 私も軍人として、選挙結果は厳粛に受け止めるつもりだったよ。だが、フェリックスが災害につけ込んでロシアと統一世界を経済支配しようとしている事は、もはや明白だ。私は君達の様な平和主義者ではない。例え愚か者と罵られようが、この世界の秩序を守らねばならないのだ!』
遂に一線を越えてしまった、ジルコフ大佐の歪んだ使命感。
このひと言でおおよその状況を理解した警察と大統領が、来るべき未来に備えて取るべき行動はふたつだけ。
フェリックス関係者に軍部の武力行使が及ぶ事を防ぎ、同時にレブロフ司令官をはじめとする軍部穏健派の安全を確保するのだ。
『……心配は無用だよ、アキンフェエフ警視総監。我々は統一世界とロシアの未来の為にフェリックスを追い出し、短期間だけ防波堤になるだけだ。不慮の事故により犠牲者がひとりだけ出てしまったが、レブロフ司令官をはじめとした平和主義者諸君の安全と生活は保証しよう。伝える事があるとすれば、数日の間だけは我々の邪魔をしない事だな!』
「な……!? 待て、ジルコフ大佐! 犠牲者とは誰だ!? フェリックスの疑惑は我々警察が追及し、武力の威嚇なしに彼等を抑えてみせる! 武力行使をしない事を約束し、レブロフ司令官達の解放を速やかに行え! 応答しろ!」
アキンフェエフ警視総監の必死の呼び掛けは、無慈悲にも遮断されていた。
クーデターの現実化を恐れる彼の耳に、更なる追い打ちをかける悲報が届く。
「警視総監! モスクワとサンクトペテルブルクの軍事基地もジルコフ一派に占拠されていました! そして犠牲者の件ですが、投票を巡ってジルコフ大佐を欺いたリトマネン参謀が射殺されたとの憶測です……」
「くっ……何という事だ! 我々はあくまでも警察、大統領の命令がなければ軍に介入する権限はない。せめてレブロフ司令官と連絡が取れれば……!」
がっくりと肩を落とし、重苦しい空気に身を沈めるアキンフェエフ警視総監。
ロシアの軍備はモスクワとサンクトペテルブルクに大部分が集中しており、地方基地のレブロフ一派を団結させるだけではクーデターの抑止力にならないのだ。
「……やむを得ん、計画を変更する! 特殊部隊と賞金稼ぎは暫くワルシャワに待機させろ。私がフェリックスにロシアの救援活動撤退を申し込む。もし彼等が撤退を拒否した場合、我々はイスラエルに飛ぶぞ! 人工地震と密輸の容疑で強引にでもフェリックスの重役を拘束し、指令系統を止めなければ。最悪の事態を回避するにはそれしかない!」
「社長、統一世界警察のアキンフェエフ警視総監からお電話です。一体、何の用件なのでしょう……?」
イスラエルはテルアビブにある、フェリックスの本社。
電話に対応した社長秘書の声色からは、得体の知れぬ不安が伝わってくる。
企業の代表に警察からの電話が来る事がない訳ではないが、警察組織を代表する立場の警視総監が直々に電話を入れる事はそうそうない。
単なる不祥事や社員の死傷ならば、もっと下の立場の警官から連絡が来るのだから。
「……はい、代わりました。私が社長のデューク・フェリックスです」
良くも悪くも仕事の虫である現社長のデュークは、感情を示さない普段の冷徹な対応のまま電話に出る。
「多忙な中、お手間をとらせてしまい、誠に申し訳ありません。私は統一世界の警視総監、アキンフェエフです。私の話を暫くの間、落ち着いて聞いて下さい……」
アキンフェエフ警視総監は時間をかけて、軍部の対立とクーデターの発生までを説明。
更にその原因のひとつに、フェリックス社のグローバルな経済活動が一部の反感を集めている事を慎重に伝えた。
「……おっしゃりたい事は理解致しました。我々の善意は、まだロシア内と警察や軍の力で賄えるから、救援活動はもう少し待てと言いたいのですね……。しかしながら、私ではお力添えは出来ません。直接の責任者は、もうイスラエルにはいないのですから」
予想はしていたが、警察側に落胆の色は隠せない。
裏稼業には殆ど関わっていないとされているデューク社長が、軍部の対立やクーデターという言葉にすらまるで動揺せず、むしろ計画通りといった落ち着きを見せているのである。
「……事態は一刻を争います。ジルコフ大佐の一派は目的の為には武力行使も辞さない集団です。このままでは貴方達の社員や協力者に被害が出る可能性も否定出来ません。ロシアから一時撤退していただくには、誰にどう伝えれば良いのでしょう……?」
アキンフェエフ警視総監は出来る限りの譲歩を覚悟した上で、フェリックス社のロシア撤退の可能性を模索する。
だが、デュークからの返事は予想外のものだった。
「……我々としても、ビジネスに少々の混乱や犠牲は付きものだと考えております。私の妻は宗教団体の教祖を務めているのですが、この度の地震の直前にウラジオストクで講演を行い、十数名の信者を予期した地震から救ったのです。彼女の先見性と貢献を含めて、この救援活動は間違っていないと確信しており、彼女達の居場所を教える訳にはいきません」
統一世界との対立姿勢を、遂に社長自ら明確に打ち出したフェリックス社。
それと同時にアキンフェエフ警視総監の仏の仮面は脱ぎ捨てられ、鬼の面を着用した相手への追及が始まる。
「……分かりました、理解して貰えず残念です。我々としても貴方達の全てを信用している訳ではなく、この地震がフェリックス社の自作自演である疑惑、それと並行した武器やドラッグの密輸、密売の容疑を裏付ける証拠を用意しております。貴方がロシアから撤退する決断をして下さらないならば、我々が貴方を拘束しに伺います!」
確固たる決意で電話を切る、アキンフェエフ警視総監。
しかしながら、この一大事に警察組織の実行役トップが危険に飛び込む事は、今後の指令系統を考えると現実的ではない……それは誰の目にも明らかだった。
「警視総監、補佐班に命令を下さい! 俺達は選びぬかれた精鋭の警察官、成果なく手ぶらで帰る様な真似はしないと約束しますよ!」
みなぎる自信で重要任務に志願する、ひとりの警官。
このドレッドヘアーの黒人青年は、南アフリカの警察学校を首席で卒業し、弱冠29歳でアキンフェエフ警視総監の補佐班に大抜擢された有望株、フィルモン・モクーナである。
「……フェリックスが実際に武器やドラッグのビジネスに関わっているなら、法律が通用しない時もある。命の危険を覚悟しなければならないだろう。モクーナ、お前達にやれるか!?」
モクーナは警察学校時代から文武両道で、貧民街出身ながら対外的な礼儀も身につけている。
だが、制服を独自に着崩し、頑としてドレッドヘアーを切ろうとしないそのメンタリティーを上層部は持て余し、アキンフェエフ警視総監が彼を近くに置いて育成してきたのだ。
「貴方がいなければ、俺は貧民街に逆戻りでしたからね。いや、俺だけじゃなく、補佐班には貴方に恩のある元問題児が溢れていますよ」
レブロフ司令官、ロドリゲス隊長とともに、統一世界のロシア化、ヨーロッパ偏重を喰い止めてきたアキンフェエフ警視総監。
彼の補佐班には人種、出身地を問わない「扱いにくい実力派」が顔を並べている。
「……分かった、イスラエルに飛んでくれ。私服になれば、お前達が警察官だと思われる事はないだろうな。だが、くれぐれも無茶はするなよ! デューク社長の拘束が理想だが、決定的な証拠はこれからも増えるだろう。近隣の警察にも協力を要請する。フェリックスの足並みを崩せればそれでいい」
モクーナをはじめとした補佐班にイスラエルの任務を遂行させ、指令系統のトップとして警察本部に残る事が決まったアキンフェエフ警視総監。
軍の要職がまとめて選挙会場に閉じ込められた今、元来軍部の風見鶏だったユーシェンコ大統領にリーダーシップは望めない。
アキンフェエフ警視総監はワルシャワ入りした特殊部隊のロドリゲス隊長と連絡を取り、軍隊OBの人脈からジルコフ一派に汚染されていない東欧基地に呼びかけを始める。
退役覚悟の同志を募る事で、最小限の戦力を集めようとしていた。
「……大統領官邸から報告は受けました。ジルコフが選挙に勝っていれば、ここまで事を急ぐ事はなかったかも知れませんが、いずれにせよ危険の兆候はありました。我々の見通しが甘かったと言うしかありません……」
苦虫を噛み潰すロドリゲス隊長だったが、仲間が続々と集結する中、彼もワルシャワを離れる訳にはいかない。
最悪のシナリオを防ぐには、フェリックスの救援活動を指揮する人間を捕らえる事が最も効果的だろう。
「……この状況では、我々も東欧の警官をひとりでも多く確保しなければならない。ロドリゲス隊長、君の仲間で今、フェリックス幹部の捜索にあたれる様な人材はいないか? 情報によると、ルーマニアのブカレストにあるフェリックススーパーに、第1御曹司ヨーラムの部下が常駐しているらしい。そこから幹部の捜索は可能か?」
先日逮捕したパウリーニョとフェルナンジーニョから、ヨーラムと彼の腰巾着であるコーエンの情報を得ている警察組織。
コーエンを拘束して尋問すれば、少なくともヨーラムの居場所は掴めるはず……アキンフェエフ警視総監は藁にもすがる思いで、フェリックス幹部の捜索を特殊部隊に要請する。
特殊部隊の隊員と賞金稼ぎ達は、その殆どがワルシャワに空路で向かってしまっているが、希望はまだ残されていた。
「私の部下ガンボアと、彼が迎えに行く賞金稼ぎチーム・バンドー、彼等はまだソフィアから出ていません! 幸いにして、彼等は陸路からルーマニア経由でワルシャワ入りする予定でした。至急連絡します!」
「おお、君の義理の息子がいるチームだな! ジルコフ一派も、救援活動が行われているハバロフスクやウラジオストクに部隊を送るには、流石に時間がかかるだろう。我々もやれる事は全てやらなければ!」
最後の望みとばかりに両者の目に光が差し、装甲車をソフィアへと走らせるガンボアに新たな任務が追加される。
7月18日・16:00
「ガンボア、事態はニュースでもそれなりに推測出来ている。お前がソフィアに到着次第、今夜にでも出発するとみて間違いないな!」
「……はい中尉! 後で詳しくお話ししますが、我々には新たな任務が追加されました! ブカレストのフェリックススーパーに常駐しているアルモグ・コーエンは、フェリックス第1御曹司ヨーラムの部下です。彼を拘束して尋問し、幹部とコンタクト出来る環境を作ります。ジルコフ大佐の部隊とフェリックスが鉢合わせすれば武力衝突の恐れがあるので、その危険を避けなければいけません!」
互いを知り尽くしたシルバとガンボアの通話は実に澱みなく、短時間でチームの理解と覚悟を高めていた。
ジルコフ大佐の声明以外、軍に接触出来ていないマスコミのニュースは庶民の不安を煽るだけ。
だが、既に軍の強硬派のやり方も、フェリックスのやり方も味わっているチーム・バンドーに迷いはない。
これが自分達に出来る最大の、そして最後の政治的戦いなのだ。
「マーガレット、貴女は警官でも軍人でもないわ。何も今、危険なロシアに近づかなくても……」
夕食のリクエストを受け付ける為、たまたまパーティーの部屋に入ろうとしていたクレアの母シャルロット。
彼女はただならぬ様子を察知し、愛娘の身を案じている。
「……ママ、安心して。あたし達には夢がある。生命の危険を感じたら戻ってくるわ。でも、これまでの仕事であたし達は、あいつらに顔と名前を覚えられているの。悪い奴を捕まえないと心配だし、あたし達の経験が世界の役に立つから行くのよ」
クレアの晴れやかな表情を目の当たりにしても、シャルロットは不安を隠せない。
パーティーを代表して何か言おうと身を乗り出したバンドーを制止し、代わりに口を開いたのはハインツだった。
「安心してくれ、俺がクレアを守る。そして仲間が俺を守る。仲間はクレアが守る。俺達が誰かの親になり、子どもの心配が出来る歳になるまで、絶対死なない」
バンドーはハインツに発言機会を奪われた形となったが、パーティー全員、この形こそがベストだとすぐに認識する。
シャルロットも、クレアとハインツにとってお互いが如何に大切な存在なのかを理解した事だろう。
「……ありがとう。マーガレット、貴女は素晴らしい友達を持ったのね」
シャルロットは最後に愛娘と熱い抱擁を交わし、それ以上何も言う事はなかった。
7月18日・16:30
地震と津波により被害を被った、ロシアのウラジオストク空港。
現在は空港としての機能が麻痺しており、旅客機は出発出来ない状況である。
まだ公的機関からの救援物資も疎らなこの地で、フェリックス社は貨物ヘリを駆使しながら救援活動を開始。
表向きは現地から救出する形となった、新興宗教団体『POB』信者の協力を得て、ブカレストに滞在するヨーラムを除く会社の重役を集結させていた。
教祖のナシャーラに、彼女のボディガード役を務めるメナハム。
そして、統一世界が自らにひれ伏す悲願の瞬間を目の当たりにしようと、老体に鞭を打って参上したフェリックス創始者であるデビッド・フェリックス、彼の相棒のレオン・ファケッティという、錚々たる顔ぶれが揃っている。
つまり、フェリックスの指令系統はヨーラムを除き、既に全員ロシア入りしていたのだ。
『……デュークだ。さっき警視総監から電話が来たよ。軍の強硬派が我々を救援活動から排除するつもりらしい。警察は我々の裏稼業の証拠を握っていると脅し、最悪私を拘束してでもフェリックスをロシアから撤退させるつもりだ。私は君達の居場所は言わなかったが、いずれ軍もそちらに向かうだろう。ナシャーラ、気をつけるんだよ』
警察や軍部からの傍受を防ぐ為、デュークは携帯電話や無線ではなく、フェリックス社の役員専用の端末を用いてナシャーラに話しかける。
「ありがとうございます。私の考える理想郷、お義父様達の考える統一世界、ヨーラムやメナハムの考える未来……恐らく全てが違うのでしょう。しかし、それも全て貴方のご協力があっての事、感謝の言葉もありませんわ」
社長としての夫デュークを支える役割ではなく、新興宗教による革命をライフワークに選んだナシャーラ。
その決断を後押ししたのは仕事の虫であり、元来結婚や子育てにさえ興味を持っていなかったデュークだったのだ。
『……私は夫として、父親として失格だったかも知れない。だがナシャーラ、君の輝きは私に費やすだけでは余りにも惜しい。私をビジネスに専念させてくれたお礼に、君の理想郷を創る手伝いは惜しまない』
人間離れした魔力を持つナシャーラとは言え、正面から軍隊と戦う事は出来ないだろう。
端末のディスプレイ越しに見えるデュークの表情はいつもの冷徹なそれではなく、妻を心配する夫のもの。
「……私達の生き様をとやかく言う人はいるでしょう。でも、私にとっては貴方のスタンスこそが安らぎでした。愛しています」
『……私もだ。警察は私が何とかする、生きて帰って来てくれ』
デュークと束の間の愛を語らうナシャーラ。
通信を終えたその瞳は、真っ直ぐに前を向いていた。
ナシャーラ・フェリックス、旧姓ナシャーラ・アル・フサイニーはテルアビブに生まれる。
アラブ系の両親は元来パレスチナ寄りの思想を持ち、イスラエルのユダヤ系を快くは思っていない。
しかし、2045年の大災害と統一国家の成立をきっかけに、両地域の衝突が鎮静化。
貧困層の中では飛び抜けた美貌を持っていたナシャーラの元には、人種を問わない求婚者が押し寄せた。
だが、それまでナシャーラ本人が隠していた魔力が、求婚者から暴行を受けるピンチにより大爆発。
求婚者に予想外の重傷を負わせてしまった彼女は、前代未聞の魔法が理解されず過剰防衛の判決を下され、服役の危機を迎える。
そこに目を付けたのが、当時のフェリックス社長デビッド。
息子のデュークはビジネスマンとして間違いなく有能だったのだが、余りにも仕事一筋で結婚や家庭に興味を持とうとしなかったのだ。
デビッドは金の力でナシャーラを保釈し、判事と被害者男性の家族の買収にも成功。
自由の為に仮面夫婦も許されたナシャーラをデュークの妻に据える事により、次期社長の体裁を繕う。
それに加えて、ユダヤ系でありながらアラブ系の悲劇のヒロインをめとる進歩的な企業という、フェリックス社のブランドイメージも確立したのである。
娘を守る為とは言え、ユダヤ系の男性と結婚した事で両親はナシャーラから距離を置く。
やがてデュークの不器用な優しさを理解したナシャーラは、持って生まれた美貌と魔力を活かす人生の指針を遂に見つけた。
この世の差別や争いを自身の魔力、そしてフェリックスの財力で抑え込み、統一世界を自身の理想郷に変えるという人生の指針を……。
7月18日・18:00
「いただきま〜す!」
恐らくは暫し口に出来ないであろう、クレアの母シャルロットの手料理。
クレア財団当主のディミトリー、次期当主のワーグナー、更にキリエフやフリストキャプテンとの挨拶を済ませ、チーム・バンドーはガンボアの到着を待つだけとなっていた。
『……未だハバロフスクとウラジオストクのインフラは回復せず、近隣地域からの救援物資も僅かしか届いていません。現在は地元の被害者捜索隊と、貨物ヘリを駆使したフェリックス社の救援活動が頼みの綱ですが、軍部がフェリックス社をロシアから撤退させようと目論み、戦車を含む小隊を南下させているとの情報です』
食事もそこそこに、テレビニュースに釘付けになるチーム・バンドー。
軍の動きは不穏だが、確かにフェリックス社にはこの災害の自作自演疑惑があり、この救援活動も近未来の経済支配を見越している事は明らかだろう。
しかしながら、一枚岩になりさえすれば、統一政府はもっと早くフェリックス社の暴走を抑えられたはず。
緊急事態にも共闘出来ない世界のしがらみを見せつけられ、チーム・バンドーは最後の晩餐も重苦しい空気に包まれたままだった。
「マーガレット、ガンボアさんが来たぞ! 別れは辛いが食事はそこまでだ! この世界を頼んだぞ!」
愛娘の身を案じつつも、ディミトリーは当主として精一杯気丈に振る舞っている。
チーム・バンドー、遂に出発の時。
「みんな行くぞ!」
「おう!」
威勢の良い雄叫びでチームを焚き付けたバンドーだったが、不眠不休で運転を続けるガンボアを気遣い、テーブルのパンを2個ナプキンに包んで自身のバックに入れていた。
「……まずはルーマニアのブカレストに向かいます。この調子で飛ばせば、4時間以内に到着出来ますね。ブカレストのフェリックススーパーは深夜0:00まで営業していますし、フェルナンジーニョの情報によると、最後に本社への日報を出しに寄るのはコーエンの仕事です。退社前の奴を拘束出来ますよ!」
バンドーから差し入れのパンを貰い、体力を回復させるガンボア。
最初はバンドーが運転を代行していたが、一刻も早く現地に到着する為、ヨーロッパの地理に詳しいシルバと再度運転を交代している。
「ひょう! 凄えな! 周りの車が気持ちいいくらいに道を譲っていくぜ!」
歓喜の声を上げるハインツを乗せ、夜の街をひた走る物々しい装甲車。
一見して国家権力の所有物と分かるそれに対して、マッチレースを挑もうとする一般車両など存在しなかった。
「ヨーラムか……。マジード君の供述が本当なら、奴はスペインの『ラ・マシア』のボスなんだよね? 武器やテロリストを一旦ブカレストに集めて、ロシアに乗り込むつもりなのかな!?」
かつてスペインで、アニマルポリスのメグミによる説得から警察に身柄を保護された少年マジード。
彼は犯罪組織『ラ・マシア』の雑用係をしていた事から、警察に組織とフェリックス社、とりわけ第1御曹司ヨーラムとの関係を明らかにする。
バンドーが懸念する策略はフェリックス社にも大きなリスクを背負わせるものの、軍部の出方次第では十分にあり得る脅威である。
「……出来る事なら、考えたくないですね……。奴等が軍のいち小隊レベルに勝てる戦力を集められるとは思えませんが、災害被害者を盾にするゲリラ戦が始まってしまえば、まさにこの世の地獄ですよ……」
ガンボアは冷や汗を拭い、眉間にしわを寄せて言葉を振り絞った。
フェリックス社は有事に備えて、既に剣士や格闘家、魔導士による賞金稼ぎ部隊を揃えている。
ここに拳銃や爆弾が加われば、軍もこれまでの実績を超えた戦術が必要となり、苦戦は免れないだろう。
「フェリックスと軍が鉢合わせするのを待ってるだけなんて、時間の無駄だぜ。ガンボア、ワルシャワに集まった仲間は動かないのか!?」
苛立ちを募らせるハインツ。
彼でなくとも、一刻も早く行動を始めたい所だ。
「ロドリゲス隊長によると、アキンフェエフ警視総監の部下が空路でフェリックス本社に飛んだそうです! ワルシャワ組も陸路のロシア入りコースの安全を確認中ですね。記憶力と地理に長けたキムを運転手にして、爆弾のスペシャリストであるグルエソが地雷やトラップを調査しています。もうすぐですよ!」
フェリックスのデューク社長に直談判する警視総監補佐班に、まだ軍部の説得を諦めていないワルシャワ滞在組。
ガンボアはその目に力を込めながら、精一杯希望をアピールする。
「……本当に、このまま戦争が始まってしまうんでしょうか……? 私達つい最近まで、美術館や博物館を観光していたのに……」
リンは不安に肩を落とし、クレアはルームミラー越しに見えるシルバの神妙な表情を確認する。
「ベストを尽くすだけさ。フクちゃん達だって遊んでる訳じゃないんだからね、全ての奇跡を上手く繋げてみせようぜ!」
神をも味方に付けている、その自信からやや強引な太字スマイルを作ったバンドー。
その笑顔に勇気づけられたリンの手を優しく握りながら、クレアも満面の笑みで頷いていた。
7月18日・22:30
スピード違反も何のその、誰もが道を譲る特殊部隊の装甲車は、公共交通機関をも軽々と追い越してブカレストに到着する。
「……これがブカレストのフェリックススーパー……!? ヘリポートが屋上にあるみたいだな。離れにヘリポートがあったザルツブルクのスーパーより、まだデカいよ!」
ワニの捜索で初めてフェリックス社との因縁が出来た、ザルツブルクでの仕事。
当地のスケールすら凌ぐブカレストが、如何にフェリックス社の影響力が強いのか、バンドーは目眩がする程に思い知らされていた。
「何でもブカレストはヨーラムお気に入りの場所らしく、郊外には奴の別荘があるという話です。そこにテロリストや武器を集めているかも知れませんね……。あ、今はまだスーパーには行きませんよ」
「……あれ? 張り込むんじゃないの?」
目的地を横目にあっさりと通り過ぎるガンボア。
拍子抜けしたバンドーに、ハインツが呆れた様な表情で突っ込みを入れる。
「バンドー、お前自分の職場にこの車が停まっていたらどう思うんだよ? 何かやらかしたと思って警戒するだろ?」
「バンドーさん、自分達はブカレスト警察に合流して、情報を仕入れてから違う車で張り込むんですよ。このひと手間があったから、夕食も途中で切り上げて急いだんですから」
ハインツとシルバに説明され、バンドーは改めて自分の乗っている車に気づく。
その瞬間、車内は爆笑に包まれ、この道中で初めてパーティー全員の笑顔が揃った。
「チーム・バンドーの皆さん、初めまして。私はブカレスト警察のラズバン・イリエ警部です。最近の地震ではルーマニアにも被害が及び、ロシアの混乱は他人事ではありません。ただ、非常に言いにくい事なのですが……」
出会い頭から、どうにも歯切れの悪いイリエ警部。
情報を織り込み済みなのか、ガンボアは柔和な笑みで彼の立場に配慮する。
「……分かっています。この土地で地元警察がフェリックス社に物申すには、例え犯罪でもアポ無しという訳には行かないのでしょう。ただ、今回ばかりはアポを入れたら意味がないですからね。我々が全てやりますよ」
両者のやり取りを見て、バンドー達はこの地に於けるフェリックス社の力を再確認。
イリエ警部はガンボアに深く頭を下げた上で、これからコーエンを拘束出来る証拠を提出した。
「……まずは先日、スーパーの警備員を務めていたフェルナンジーニョに店長殺人事件の被疑者、クリストフ・フィッシャーの始末を依頼した時点で、彼が使ったクレジットカードはヨーラム名義でした。フェルナンジーニョの拘束とほぼ同時に、カード名義はコーエンに書き換えられましたが、それは店で通常業務に励んでいた彼が、完璧なアリバイを利用してヨーラムを庇った形になります。従いまして、この件で皆さんがコーエンを拘束し、ヨーラムにその真意を訊ねる権利は保証されています」
イリエ警部は眠くなりそうないきさつを一気にまくし立て、短時間で一同を任務に戻す手続きを完了する。
彼が最後に手渡したものは、まずは特殊部隊から発行された事になっている捜査令状。
そしてフェルナンジーニョ達が拘束された時刻と、彼等の携帯電話からコーエンに送られた合図とのタイムラグ4分を証明するスクリーンショットの比較図だった。
「ご協力ありがとうございます! 我々の目的はヨーラムの狙いを訊き出してロシアでの悲劇を避ける事ですので、これ以上の援軍は必要ありません、それではまた!」
まだ閉店には十分な時間がある。
一同は覆面パトカー用のオンボロワゴン車に乗り込み、低所得層の買い物客としてフェリックススーパーでの張り込みを開始する。
7月18日・23:30
閉店時間が近づく中、顔が割れている可能性の高いチーム・バンドーの男性陣は車内に待機し、ガンボアと作戦会議。
クレアとリンは武器を車内に置き、ファッションと髪型、そしてメイクを微調整して一般客になりすまし、監視カメラや非常口をそれとなく確認していた。
(……クレアさん、あの男性、もしかしてコーエンでしょうか……?)
リンが指差す方向には、高級そうなスーツに身を包んではいるものの、頭が薄くて年齢不詳の冴えない男が慌ただしく動いている。
閉店間際には一部食品の割引がある為、大都市では1日の中でも多忙な時間帯。
その身振り手振りは明らかに従業員を動かしており、彼がコーエンである可能性は高い。
(御曹司の部下なんだから、多分ヨーラムのブカレスト滞在に合わせて一時的に店長をしているだけだと思うけど……結構真面目に働いているのね。ついて行く人を間違えたんじゃないの?)
クレアはコーエンの身の上を心配する余裕を見せていたが、実はフェリックススーパーのお菓子とワインの品揃えに嫉妬すら覚えていた。
「ガンボア、お前は特殊部隊とは言え、まだ奴等には顔が割れていないだろう。今正体を明かすのは勿体ない。俺達がコーエンに近づけば、恐らく奴は俺達がチーム・バンドーだと認識して裏口から逃げるはずだ。そこで待機して捕まえてくれ」
「はっ……了解です中尉!」
久しぶりに軍隊時代のフィーリングが噛み合った、シルバとガンボア。
彼等のコンビネーションは頼もしい事この上ない。
「クレアからメールが来た。非常口と監視カメラの場所は分かったぜ。いつでも準備OKだ!」
ハインツは時計に注目する。
閉店まであと5分、従業員が入口のスタンドやポップを収容し、クレアとリンも店舗を追い出されている。
「よし、行こう!」
クレアとリン以外の一般客の姿が消えた瞬間、バンドーの合図とともにフル装備の一同が真正面からコーエン拘束に挑む、力押しのミッションが幕を開けた。
「あっ……お客様? 本日はもう閉店です。また後日のご来店をお願いします」
想定外の対応に追われる従業員を尻目に、監視カメラを避ける様に蛇行運転で店舗を練り歩くチーム・バンドー。
男性陣の背後から再び入店したクレアとリンは、ガンボアから預かった警察手帳のレプリカを誇らしげに掲げ、覆面警官になりすましている。
「動かないで、警察よ! 心配は要らないわ、店長のコーエンさんに訊きたい事があるだけなの!」
クレアの堂々たる立ち振る舞いは、従業員に彼女が覆面警官だと信じさせるに十分なもの。
このパフォーマンスに気を良くした男性陣は、店長室前の監視カメラの真正面に立ち、コーエンに堂々と自らをアピールした。
「コーエンさん! あんたなら俺達が誰か分かるよね? 訊きたい事があるんだ、出てきてくれ!」
顔が割れているなら、身を隠す相手を反対に睨み返してやれ。
そう言わんばかりのチーム・バンドーの迫力に、末端の警官であれば居留守を使って誤魔化そうとしていたコーエンも、もはや逃走せざるを得ないだろう。
「パウリーニョ達が寝返ったのか……早くヨーラム様をロシアに送り出さなければ!」
フェリックス社開発の店長用防弾チョッキを着込み、警備員時代のフェルナンジーニョが愛用していた警棒を握るコーエン。
だが、彼は無駄な抵抗を犯して墓穴を掘る様な男ではない。
護身用の拳銃を金庫に隠し、フェリックス役員専用端末の電源も切る事で、警察に渡せる情報を積極的に選択していたのだ。
「……よし、これなら万が一捕まっても大丈夫だろう、さらばだチーム・バンドー!」
店長室のドアに体当たりをするバンドー達の行動がパフォーマンスだとは知らずに、コーエンは意気揚々と裏口から外に飛び出す。
「……とおっ……!」
作戦通りにコーエンに飛びかかるガンボア。
彼の軍隊仕込みのタックルに、体力面のアドバンテージが皆無なコーエンは為す術もなく、そのまま地面に転がった。
「アルモグ・コーエン! お前には容疑者隠匿の疑いによる捜査令状を取ってある。逮捕されたくなければ真実を話し、ヨーラム・フェリックスの居場所を教えろ!」
ガンボアはコーエンの胸板の硬さから防弾チョッキの存在を見抜き、胸部への攻撃を断念。
顔面に拳を振り降ろす素振りを見せ、コーエンの絶望感を巧みに誘導する。
「……くっ、馬鹿な事を! ヨーラム様はフェリックスの次期社長候補だぞ? そんなチンケな脅しで、私の忠義を揺さぶるとは片腹痛いわ!」
齢35歳にして頭髪が寂しくなる程の、上流階級専属運転手というストレス。
自身の出世の為ならどんな苦難にも立ち向かってきたコーエンにとって、幼い頃から成長を見守るヨーラムはむしろ扱いやすい上司。
ヨーラムについて行く事こそが、コーエンに唯一残された栄光の道なのだ。
「コーエンとやら、よく考えるんだな! ヨーラム達の軍への対応次第では、統一世界を崩壊させた世紀の大悪党の腰巾着という評価のまま、惨めに人生を終える事になるぜ!」
ハインツの言葉は説得というよりは恫喝に近いが、一刻を争う事態ではなりふり構っている暇はない。
「フェリックスの裏稼業を担当するヨーラムを捕まえれば、ロシアが火の海になる事を避けられるかも知れません、コーエンさん、お願いします!」
悪党にも誠意を持って対応するリンの懇願にも、頑として首を縦に振らないコーエン。
やがて興奮が極限まで高まった彼は、恍惚とした表情で大空に両手を拡げ、次世代の到来を高らかに宣言した。
「フェリックスが……ヨーラム様が生み出す新たな統一世界は、私を英雄として再評価するだろう! その瞬間が訪れるまで、私はいくらでも獄中で待とうではないか! チーム・バンドー、残念だか少し遅かった様だな! 今、ヨーラム様は歴戦の戦士を従えてロシアに、ハバロフスクに飛ぶのだ! 思い上がった旧世代の軍人どもに、目にものを見せてやる!」
コーエンの独白とほぼ同時に、フェリックススーパーの屋上にあるヘリポートから耳をつんざく爆音が響き渡る。
その正体は貨物ヘリの離陸音と、スピーカーから大音量で発せられるヨーラムの声。
『コーエン、よく時間を稼いでくれた、貴様はフェリックスの英雄だよ! チーム・バンドーの諸君、遂に会う事が出来たな。これまでの幾多の屈辱、私は決して忘れんぞ。所詮、貴様らはこの世で何かを成し遂げる力など持っていないのだ。我々フェリックスがこの世界を変える瞬間を、指を咥えて眺めているがいい!』
ヘリポートから遠く離れた大地にまで降り注ぐ、憎悪と謀略が混じり合った砂埃。
ヨーラムの出発を確信し、激しい興奮で気力を使い果たしたコーエンは、その場で深い眠りに就いた。
その影に圧倒され、苦し紛れに巨大な貨物ヘリに向かって発砲を繰り返すガンボア。
絶望の虚空にナイフを投げつけるバンドーやシルバ。
全力の風魔法を用いて、ヘリポートの気圧に干渉しようと試みるリン。
彼等はあと一歩、いや、あと半歩遅かったのである。
「……くそっ! こんな事って……! 畜生、諦めないぞ! 俺達は絶対、この世界を諦めないからな!」
ヘリポートを飛び立ち、やがてその影も見えなくなっていくフェリックス社の貨物ヘリ。
バンドーはヨーラムの高笑いをその目と耳に焼き付け、統一世界の未来の為に全力で戦う決意を新たにしていた。
(続く)




