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バンドー  作者: シサマ
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第67話 心の旅路


 貸倉庫会社『アレクセイ・コンテナーズ』、そしてベオグラード水道局で発生した爆弾テロ事件は、東欧地域のみならず全世界に衝撃を与えたと言えるだろう。


 

 テロリストとの関係を隠し続けていたフェリックス社だが、会社の顧問弁護士であるドル・アシューレの自爆は想定外の造反だった。

 

 主犯格のルベン・エスピノーザ、サウール・ガルシアは死亡し、逮捕されて警察に情報を提供したジャンナコプーロスは自己保身の塊。

 この事実により、会社とテロリストとの関係を揉み消す事は可能となったものの、新興宗教団体『POB』を利用した反ロシア、反統一世界の運動に水を差され、一部信者の離脱も不安視されている。


 

 一方、怒りの余りルベン・エスピノーザを射殺した特殊部隊のニコポリディスは、あくまで凶悪犯に対する権限を行使したに過ぎない。

 

 だが、既に逮捕が決まっており、尚且つ手錠により抵抗出来ない人間を射殺した事による、警察組織の人道的調査は避けられない。

 本人の希望通り、謹慎後の退職という措置が取られるだろう。


 

 水道局のトイレが爆発し、不幸にも現場に居合わせたチーム・カレリンのクラマリッチ、バデリの両名は、病院に運ばれた時点で既に死亡が確認されていた。

 

 自責の念に駆られたカレリンは、その日のフェリックス社の報告会に顔を出さず、失意のうちに退社を決断。

 長年の相棒であるコラフスキはカレリンの精神状態を懸念して、自身もフェリックス社に退社を報告する。



 7月7日・9:00


 その頃、チーム・バンドーとレディーは、宿泊先の高級ホテルからの出発準備を整えながら、形容し難い無力感に襲われていた。


 「カレリンとコラフスキ、フェリックス社の専属賞金稼ぎを辞めるんだって……。でも、奴等がそう簡単に辞めさせてくれるのかしら……?」


 クレアは髪の寝癖も直さないまま、深いため息をついている。


 「あいつら、アシューレの顔も知らなかった。賞金稼ぎには、知られたらまずい機密は漏らしていないだろうよ。たが、交流のある俺達と共闘する可能性については、フェリックス社も警戒するだろうな……」


 フェリックス社の視点に立てば、粛清部隊を送らずともテロリスト達の始末に協力し、水道局の汚職役員を拘束し、尚且つ一般職員や顧客の死傷者を出さなかったカレリン達の活躍は好ましいもの。

 彼等の評価は上がる事こそあれ、下がる事はまずあり得ない。


 しかし、それでもハインツの言う通り、チーム・バンドーとの共闘をきっかけにして、カレリン達がフェリックス社の対抗勢力に追加される可能性を無視する事は出来ないのだ。


 「カムイ達が車を持ってアルクマールのアジトに到着したわ。あたしはここでお別れね。暫くは血生臭い仕事はやめにして、無難に泥棒とかを捕まえたい気分よ……」


 肉体的なダメージは余りなかったが、アシューレ達の死でかなり精神を消耗してしまったレディー。

 今は本来のチームメイトの元に帰り、鋭気を養う時なのだろう。


 「レディーさん、ありがとう。このメンバーのうち誰かひとりでも欠けていたら、俺達はまだテロリストに怯えていたはずだよ!」


 バンドーはレディーと固い握手を交わし、パーティーの胸にはようやくテロリストの脅威を払拭出来た安堵感が沸き上がっていた。



 『311号室にご宿泊の、シルバ御一行様。311号室にご宿泊の、シルバ御一行様。ミハエル・カレリン様がお呼びです。ロビーにお越し下さい』


 「……え!? カレリン!?」


 突然のホテルからのアナウンスに、驚きを隠せない一同。

 万一の事態に備え、滞在先のホテルは彼等に知らせてはいたものの、こんな朝早い訪問は予想だにしていない。


 「おう、色々心配かけたな」


 ロビーで待っていたのは、カレリンとコラフスキ。

 両者とも妙に軽やかな格好だが、それもそのはず、彼等は自身の代名詞である剣と防具を着用していなかったのだ。


 「どうしたの2人とも? 剣と防具は何処に置いてきたの?」


 完全に丸腰の彼等には、剣術学校時代にもそうそうお目にかかった事がない。

 クレアは目を白黒させながら、自らを落ち着かせて2人に訊ねる。


 「……今までの人生を振り返って、1回リセットしたくなったんだ。お前達と手を組む事を警戒したのか、契約期間中にフェリックス社を辞めたければ、賞金稼ぎの登録ごと解除しろって言われてよ。色々(しゃく)にさわったが、堅気でやり直してもいいと思ったのさ。賞金稼ぎ組合の退会届にサインして、剣と防具は東欧の仲間にくれてやったよ」


 自責の念から逃れる為に、両者が決断を急いだ印象は否めない。

 しかしながら、カレリンは早くも吹っ切れた様な清々しい表情を浮かべており、もはや彼と一心同体の相棒であるコラフスキも、賞金稼ぎへの未練を断ち切ろうとしていた。


 「……剣や防具を見ると、クラマリッチやバデリが苦しんでいる顔が浮かんじまうんだ。なに、フェリックス社だっていつまでも俺達を監視する程暇な会社じゃないだろ。入院中のヨヌーツは金持ちの家系だから心配は要らないし、いつか賞金稼ぎに戻る可能性もない訳じゃない。今俺達は、バンドーやリンが既に積んでいる社会人経験に挑むのさ」


 コラフスキはその瞳の奥に、まだ若干の迷いを窺わせる瞬間がある。

 だが、まずは心の御祓(みそぎ)を済ませたいという願望が、彼等のプライドを凌駕したに違いない。


 「……そうか……。まあ、あんな事があったから俺達が口を出す権利はねえな。だがこのご時世、若さと体力だけじゃ簡単に堅気の仕事は見つからないぜ? ラトビアに帰っても仕事探しは厳しいだろ?」


 ハインツが釘を刺すまでもなく、東欧の景気は冷え込んでいる。

 パーティーが彼等の再出発に頭を悩ませている最中に、バンドーの携帯電話が鳴り響いた。


 「……おお! スコットさんからだ! これはもしかしたら、渡りに船のタイミングかも知れないぜ!」



 歴代最強と呼ばれる、レジェンド剣士ダグラス・スコット。

 彼は剣士の第一線から退いた後、建設会社と孤児院を立ち上げ、地元グラスゴーに多大なる貢献をしている。


 彼の建設会社『GS(グラスゴー・スコット)コーポレーション』は、社員をヨーロッパ中で定期的にスカウトしており、前科者にもチャンスを与える懐の深さで有名。

 そんなスコットはスパーリングでバンドーの弱点を素早く見抜き、次に会う時は剣術を鍛え上げるという約束を交わしていたのだ。


 

 「はい、バンドーです!」

 

 「ああ、バンドー君久しぶりだな。今いいかな? 実は近い内に、ウチの会社も今年最後の社員スカウトを行う事になったんだ。今、開催地を検討中なんだが、君達は何処にいるんだ?」

 

 スコットからの電話は、やはり社員スカウトに関する情報。

 バンドーは満面の太字スマイルを浮かべ、カレリン達に向けて親指を立ててみせる。


 「今、俺達はベオグラードにいるんですけど、昨日爆弾テロがありましたし、治安の問題から離れるつもりです。スコットさんに会わせたい奴等がいるので、出来れば近くに来て欲しいんですけど……」


 バンドーはまるで他人事の様に昨日の事件をさらりと流し、両者の通話の流れに見当がついたクレアは、右手でOKサインを出して目の前の彼に自身の存在をアピールした。


 「皆、あたしの実家に来なさいよ! 久しぶりに帰省するつもりだったし、何せウチの屋敷は広いからね! あんた達全員泊められるわ!」


 クレアの実家は、ブルガリアのソフィアで長い伝統を誇る『クレア財団』。

 妹のローズウッドが大学を卒業する時点で、財団の権利を譲渡する事が既に決定しているが、現在はまだ財団の所有一家なのである。


 「スコットさん、俺達友達を頼って、ブルガリアのソフィアに行く事になりました! そこそこ長く滞在すると思うので、社員スカウトの候補地にブルガリアを入れて下さい!」


 東欧の中では比較的治安の良いブルガリア行きが決まり、更に宿代が浮くと踏んだパーティーの表情は一様に明るい。

 裸一貫の再出発を決めたカレリンとコラフスキにとっても、最初に馴染みの仲間を頼れる環境は理想的だ。


 「すまねえ、世話になるよ。クレアの親御さんとは、剣術学校卒業の時の挨拶以来だな。懐かしいな……」


 カレリンは剣士としての虚勢を張る必要がなくなったからなのか、何やら涙もろくなっている。

 服役期間があったとは言え、今日まで賞金稼ぎとして大怪我もなく、剣1本で食べていけた彼等は間違いなく、この業界の成功者である。


 

 「……ん? 何か揺れてませんか?」


 リンが感じ取ったフロアの小さな揺れは、すぐに大きなものに変わった。


 「わわわ……地震だっ!」


 バンドーとシルバの故郷、ニュージーランドで地震に遭遇してからというもの、大小問わず度々地震に見舞われているパーティー。

 とは言え、アジアやオセアニアならともかく、東欧で大きな地震はそうそうある事ではない。


 「くっ……かなり長い揺れですね!」


 ホテルのロビーが騒然となる最中、シルバは周囲の職員とともに自動ドアの電源を切って手動で脱出口を確保。

 バンドー達はロビーのテーブルから椅子を抜き、周囲にいた子どもを優先的に避難させた。


 「……収まった。実家の時より揺れたね」


 バンドーはホテルから周囲の様子を見渡しながら、通路では多くの人が興奮した様子で集まっている光景を確認する。

 このホテルは堅牢な造りだが、一般の家庭には何らかの被害があったかも知れない。


 「色々物騒ね。皆異論がなければソフィアに行くわよ。バスは当日券が取りにくいし、列車は時間がかかり過ぎるから、飛行機にしたいんだけど……。カレリン達は大丈夫?」


 フェリックス社在籍時には、結局1回の仕事しかこなせなかったカレリンとコラフスキ。

 クレアは彼等の懐事情に配慮しながらも、長旅になる事を避けようとしていた。

 

 「フェリックス社の退職条件をしっかり守ったから、報酬は仕事の契約分全額貰えた。飛行機代は問題ない。だが、死んだクラマリッチとバデリは身寄りがないんだ。明日の昼までに奴等をしっかり見送ってやりたい。クレアの屋敷の場所は知っているから、俺達は明日の夜にお邪魔するよ」


 コラフスキは神妙な表情を見せながら、最後まで仲間の義理を果たそうとしている。

 カレリンも当然そのつもりで、彼等の変わらぬ仲間意識の強さに安心したクレアは空港に電話をかけ、時期をずらした航空券を予約する。


 「……組合は空港の通り道にあったよね? カレリン達が拘束した水道局の汚職役員の情報が聞けるかも知れないし、行ってみようよ。それに、今の地震でシノブさんが資料の山に埋もれていたら大変だし」


 ベオグラードでの最後の仕事は、小柄で頼りない日系人オペレーター、シノブを心配しながらの情報収集。

 バンドーの提案はパーティーに採用され、失意から昨夜のフェリックス社の報告会に出席していない、カレリンとコラフスキも同行する事となった。


 

 7月7日・10:00


 アムステルダム空港への出発を控えるレディーと別れ、チーム・バンドーとカレリン、コラフスキはベオグラード賞金稼ぎ組合に到着。

 周囲では仕事の情報そっちのけで地震の話題が盛り上がりを見せており、伝統的な建造物には小さな被害も出ている様子である。


 「シノブさん、大丈夫……あれ?」


 あれだけの地震の後だけに、オペレーターのシノブはさぞパニクっていると思いきや、実に落ち着いた仕事ぶりで、笑顔さえ浮かべている。

 どうやら今日は、シノブ以外にも制服姿の正規職員がいるらしいのだが、その職員はバンドー達がこれまで会った事のない、浅黒い肌をした長身の男性だった。


 「……あっ、バンドーさん達ですね! この度はシノブが色々とお世話になっただけでなく、テロリストまで退治していただいて、感謝の言葉もありません」


 まるで大人と子どもの様な身長差がある、シノブと長身男性のコンビは見ていて何処となく微笑ましい。

 

 しかしながら、シノブの楽しそうな表情と、男性の手慣れた働きぶり。

 パーティーがこの男性の姿を見るのは今日が初めてだが、彼が派遣されたばかりの新人とは到底思えない。


 「……あ、申し遅れました。私、元来この組合のオペレーションリーダーだったサミールです。高額の引き抜きを受けてザグレブの組合に異動したのですが、やっぱりクロアチアには馴染めなくて帰ってきました。シノブを置いてきた事も心残りで……」


 「やだも〜、サミちゃんったら!」


 シノブが顔を赤らめながら、何処に隠し持っていたのか分からないお手製のハリセンを取り出し、サミールの後頭部を容赦なく叩く。


 「……何だ、のろけ漫才か」


 「……何でしょう、理由(わけ)もなくイラッとしますね……」


 バンドーとフクちゃんは冷徹極まりないリアクションを見せ、パーティーがそのまま空港に進路を変えそうになった瞬間、カレリンがサミールとシノブを一喝した。


 「おい、俺達だって事件解決には協力したぜ! 仲間が2人死んじまったんだからな! 俺達は今日、お前らに水道局の汚職役員について訊きたい事があるから来たんだよ!」


 サミールとシノブは、自分達を怒鳴りつける男性が先程賞金稼ぎを登録を解除したミハエル・カレリンだと気づき、慌てて襟を正す。


 「申し訳ありません! 先程報告が届きました! この度は熟考の結果、賞金稼ぎ登録を解除されたのですね」


 カレリン達の剣士引退はあくまで個人的な事情によるものだが、組合側から見れば、安定した実績をあげていた彼等の引退は大きな損失。

 サミールはカレリンとコラフスキに深く頭を下げ、シノブは警察からチーム・バンドー用に送信された確認資料を素早くプリントし、手近にいたシルバに手渡した。


 「……水道局の汚職役員は現在、ロシアの飲料水会社に渡ったとされる使途不明金と、水道局が受け取ったとされる賄賂について、警察から事情聴取を受けています。飲料水会社側がノーコメントを貫いているので、じきに汚職役員側が自白すると思われますね」


 「トカゲの尻尾切りって訳か。まあ、汚職役員も黙っちゃいないだろうし、これでロシアの会社とは仲違いだな。水道局の役員を入れ替えて、また水質維持に励んで欲しいもんだよ」


 及第点の結果に、取りあえず納得するコラフスキ。

 現在のベオグラード水道局に自浄作用が働くかどうかは疑わしいものの、フェリックス社も新しいビジネスパートナーの座を狙っているだけに、出直しのチャンスはある。


 「……カレリン様、お訊き辛い事なのですが、カレリン様のこの度の登録解除の経緯を、今後の組合経営改善の為に公表してもよろしいでしょうか……?」


 サミールは低姿勢のまま、カレリンの顔色を伺う。

 

 だが、カレリン本人はサミールとシノブの勤務態度に不満があっただけで、組合そのものに不満があった訳ではない。

 サミールの真意が分からず戸惑う彼の間に、組合の窮状を理解したシルバが割り込んだ。


 「……高額報酬目当てにフェリックス社に乗り替えても、向こうは途中で辞めさせてくれないと、カレリンの例を出してアピールするんですね……」


 シルバの言葉を苦々しい表情で耐える、サミールとシノブ。

 テロリストの脅威が一段落した今、組合の失地回復の為には手段を選ばない、本部の方針に従わざるを得ないのだろう。


 「申し訳ありません……お願いします!」


 日系人のシノブから伝えられたと思われる、土下座にも近い深いお辞儀。

 どうにも不愉快な気持ちを抑えられないカレリンは、彼等に背を向けて歩き始めた。


 「……へっ、何だよ!? 気分悪いな。俺の経験が役に立つなら、せいぜい好きにしろよ!」



 

 「……剣士になるまでは、お金に困った事がないあたしが言っても説得力ないだろうけど、どんな仕事も大変なのよね……」


 仲間の葬儀の為にベオグラードに残るカレリン達と別れ、ソフィアを目指して空港へと向かうチーム・バンドー。

 イチャつきから土下座へと、サミールとシノブの態度の急変を見せつけられたクレアは、職場のしがらみに囚われて生きる人々に、罪悪感にも似た複雑な感情を抱えている。


 「……クレア、余り気にするな。恵まれない奴が卑屈になる必要がないのと同じで、恵まれた奴が後ろめたさを感じる必要もねえよ」


 クレアの大切さを再認識し、彼女との無駄な煽り合いがなくなったハインツ。

 生まれ育ちは対照的とも言える2人だが、剣術への情熱がその壁を乗り越えたのだ。


 「……私達の仕事には危険がつきものですけど、自分がやりたくない仕事は断る権利があるんですよね……。この自由さからして、例え世の中が平和になっても賞金稼ぎはなくならないと思います……」


 リンは勤務先の図書館をフェリックス社に買収され、労働条件の悪化が決め手となって賞金稼ぎに転職した。

 彼女の目から見れば、仕事を選べる自分達も、心の御祓(みそぎ)の為に転職出来るカレリン達も、幸せな人間に違いないのだろう。



 「……それにしても、最近ヨーロッパでも地震多いね。やっぱりフェリックス社がやっている地層プレート周辺の強引な建設作業は、わざと震災を起こす為の実験なのかな?」


 重苦しい空気を払拭するべく、バンドーは話題を変える。

 フェリックス社の怪しい動きに関しては、バンドーファームのアジア流通バイヤーである、スンフン・クォンが調査に乗り出しているはずだが、今現在報告はない。


 「特殊部隊のキムはクォンさんと同じ朝鮮系なので、アジアの情報を交換しているみたいです。調査隊は中国の揚子江プレート周辺を視察する準備が出来ているらしいんですが、フェリックス社と繋がりのありそうなマフィアが睨みを利かせていて、なかなか近寄れないという話ですね」


 シルバにとって、軍隊時代の部下や上司が多い特殊部隊はチーム・バンドーに次いで安心出来る仲間達。

 目立つ事件の情報や共同戦線による仕事がない時でも、常に連絡は取り合っていた。

 

 「揚子江プレートってのはアジアだけじゃなく、北米やヨーロッパにも繋がったプレートなんだよね? そこで実験を続ければ確かに効果はありそうだけど、万が一、フェリックス社の地元のイスラエルとかにまで被害が拡がったら、打倒ワン・ネイションだとか、反ロシアだとか言ってられなくなるのに……」


 バンドーの疑問には、誰も正確な答えを用意出来ない。

 

 だが、ナシャーラやメナハムといったフェリックスを動かす一族の言葉には、ビジネスを超越した思想が含まれている。

 ロシア主導の統一世界のルールを変えるという結果さえ得られれば、もはや彼等はその手段と過程を問わない段階に来ているのかも知れない。


 パーティーは朝からぐずついた曇り空を見上げながら、その想いを遥か彼方の中国大陸の方向へと向けていた。



 

 「……皆聞いてくれ! 特殊部隊のキム君から情報が入ったぞ! 中国警察が拘束したドラッグディーラーの自白によると、明後日の早朝に河南最大規模の薬物取り引きがあるらしい。我々の邪魔をしているマフィアどもも恐らく現場に総出だ。その動きがあれば、明後日早朝に潜入するぞ!」


 中国河南省の安モーテルに潜伏している、クォンをリーダーとした調査隊。

 彼等はクォンの大学時代の後輩で、地質学の分野で実績を上げた現在、世界中の災害調査に協力しているエリートチームである。


 「クォン先輩、奴等だってこっちの動きは見ています。我々がここに張り付いている間は、向こうも最低限の戦力は残すはずですよ。一旦退却するふりをしましょう! 私が別の宿を確保してきます!」


 調査隊メンバーからの進言を受けたクォンは、敢えてその動きを制止し、全員一斉行動の重要性を説いた。


 「……すまないが、これからは個人行動を制限する。君達は私の大切な仲間だが、内通者がいないという確信は持てないんだ。明後日までは行動は5人で一斉に、宿の確保も車内で行う。外出時は携帯電話を預かる。息苦しい生活になるが、明後日までは我慢してくれ」


 昔馴染みの仲間を疑う様な発言に、クォン自身も苦渋の表情を浮かべる。

 

 とは言うものの、結局自分達は警察でも軍隊でもなく、銃のひとつも持てないただの調査隊に過ぎない。

 互いの信頼と結束こそが最も大切な彼等は、クォンの言葉に揃って首を縦に振り、手を握り合って忠誠を示した。



 7月7日・15:00


 ベオグラード空港内のバーガーショップで軽い昼食を済ませ、チーム・バンドーはブルガリアのソフィア空港に到着。

 

 僅か80分程のフライトである為、ハインツは若干緊張しながらもフクちゃんのシールド無しで飛行機の揺れに耐え、任務を完了。

 彼は普段から己にも他人にも厳しいが、飛行機嫌いという自分の弱点を改善しようとするその姿勢は、心の奥底で互いの未来を意識し始めたクレアにも好印象を与えていた。


 

 「すっげえ! 今まで来た街の中でも、一番ヨーロッパの伝統みたいなものを感じるよ!」

 

 ソフィアの街に降り立って第一声、バンドーは感動をストレートに表現する。

 この街並みは、3ヶ月程前まではオセアニアから出た事がなかった彼の考える、『ヨーロッパ』のイメージそのものの風景なのだろう。


 「……久しぶりに来たが、やっぱり落ち着くよな。洗練されているんだが、変わらない野暮ったさみたいなものもあるんだよ」


 クレアに気を遣う訳でもなく、ハインツも純粋にこの街を気に入っている様子だ。


 「ソフィアって、博物館とか図書館とか、文化的な施設が沢山あるんですよね! 私、全部見たいですから、出来るだけ長く滞在したいです!」


 機内でパンフレットを熟読していたリンは、早くも興奮を隠せない。

 

 「かつてのブルガリアは治安に難がありましたが、統一世界後は治安が安定したので、軍隊時代の自分は任務で来た事が殆どないんですよ。クレアさんと親しくならなかったら、訪れなかった土地かも知れません。人の縁って、不思議なものですよね……」


 「シルバ君、あたし達の中で一番若いのに、おじさん臭いわよ」


 感慨にふけるシルバにクレアのツッコミが炸裂し、パーティーは笑いに包まれる。

 

 

 ブルガリアは統一世界以前から、歴史の転換点に親ロシア派の大統領が誕生してきた。

 その見返りなのかは定かではないものの、大災害からの統一世界誕生後、ブルガリアはイニシアチブを握るロシアからのサポートを得て治安が安定し、この地域にはフェリックス社もビジネスを展開していない。


 

 「……標高が高いからでしょうか、気温の割には余り暑く感じないですね……。この街並みをフクロウになって飛ぶのも、気持ちいいかも知れません……」

 

 忘れた頃に、ぼそっと飛び出すフクちゃんの独り言。

 その気持ちは何となく理解出来るものの、フクロウになった経験のない他のメンバーは、誰も適切なリアクションを返せなかった。


 

 パーティーはクレアに付いていく形で空港からそのまま歩き、伝統のあるソフィアの街並みを眺めていく。

 今朝の地震の影響はこの地にもあるらしく、古い民家を中心に、所々修理屋が慌ただしく働いている光景が見られる。

 

 「……ところでクレア、さっきからバスや列車も探さないで歩いてるけど、クレアの屋敷って空港から近いの?」


 バンドーの素朴な疑問に、思わず吹き出してしまうハインツ。

 クレアは自身の口に人指し指を当ててハインツに沈黙を要求し、反対の手で空港向かいの大通りの先にある、大きな白壁を指差した。


 「あそこの白い壁の中にある高い建物、あれがあたしの実家よ!」


 その腕の伸ばし方にさえセレブな気品を漂わせ、クレアは自信満々に実家をプレゼンする。

 

 バリケードの役割を担う高い白壁の向こうには、更なる高さを誇り、長きに渡る歴史と伝統で複雑な威厳を放つ巨大な屋敷。

 いや、これはもう『城』と呼んでも差し支えない文化財がそびえ立っていた。


 「げげぇ〜!」


 「……ちょっとバンドー!? 感動するならもっといい言葉を選びなさいよ!」


 20世紀半ばの第2次世界大戦後に建設された、地上5階、地下1階建てのクレア財団の屋敷。

 以降150年余り、この屋敷は風雪や災害に耐え、補修の伝統を積み重ねて現在に至っている。


 バンドーの上げた声は悠久の歴史を前にした感嘆であり、恐らくはエレベーターもない5階建ての高層階の掃除などに於ける、圧倒的コストパフォーマンスの悪さへの落胆でもあるのだ。


 「基本的に、あたし達家族と財団関係者は屋敷の2階までしか使わないわ。あんた達の宿は3階から上の部屋が使い放題よ。ただし、泊まる為には何をすればいいのか、分かってるわね、フフフ……」


 伏し目がちにうつむきながらも妖しく微笑む、クレアの恫喝(どうかつ)オーラの向かう先はズバリ、屋敷の掃除の要請。

 

 数多の所有不動産の老朽化を筆頭に、全盛期に比べてクレア財団の力は衰えている。

 一族以外の人間であるワーグナーに権利の譲渡を控えた現在、後継の財政負担を減らす目的で、既に清掃担当のメイドは契約を満了していた。

 

 この事態に顔色を変えたのはシルバ。

 普段の生真面目なキャラクターからは想像がつかないが、軍事ミッションの過酷な環境下で仮眠を取る事に慣れている彼は、実は寝室の整理整頓が苦手。

 

 ポルトガルでバンドーと共同生活をしていた時は、寝床周りが汚い方がシルバだと判明し、クレアを驚かせている。

 これまではすぐに立ち去るホテルや、勝手知ったる故郷だからこそボロが出なかったものの、ここまで関係を築き上げたリンの好感度を、まさか寝室の汚さで下げる訳には行かなかった。


 「……じ、自分は足腰のトレーニングを兼ねて、5階の部屋に泊まりすよ! 皆さんは3〜4階の部屋を優先的に使って下さい!」


 自分の寝室を誰にも見られまいと謀略するシルバ。

 だが、クレアの野次馬根性はそれを許さない。


 「あ、そうそう。5階にも古い書斎があるのよ! 財団では使わない本ばかりだから少し汚いけど、逆に貴重な蔵書が沢山あるわよ〜!」


 「ええっ!? 本当ですか!?」


 本に関わる行動時のみ、魔法以外の潜在能力がフルに引き出されるリン。

 彼女はその目をまだ見ぬ書籍の山に輝かせながら、シルバとともに5階に定住する気満々である。


 「まあ、宿代タダだからな! 俺達が気合い入れて掃除して、ちゃんと生き物が住める環境にしてやるよ!」


 「そこまで汚れてないわよ!」


 バンドーとクレアのコントはいつの間にかヒートアップし、屋敷の玄関で愛娘の帰省を待ちわびていたクレアの両親の顔色が、徐々に微妙なものに変わっていた。


 

 「マーガレット、お帰り。突然の帰省と聞いて驚いたが、チーム・バンドーが勢揃いなんだね」


 クレアの父親で財団代表のディミトリーは、物腰が柔らかく口髭がダンディな、まさに絵に描いた様な理想の『お金持ちお父さん』。

 

 「……パパ、ただいま! 体調が悪いって聞いたけど、元気そうで良かった! もっと早く顔を出したかったんだけど、ごめんなさい」


 5月の社交会に、妹のローズウッドがディミトリーの代理で出席し、ひと騒動を起こした事は記憶に新しい。

 しかしながら、その件をきっかけに財団の権利を譲渡する流れが進み、ディミトリーの仕事は徐々に、後継者である代表補佐のディック・ワーグナーに移りつつあった。


 「ワーグナーさんのお陰でお父さんの仕事は減って、体調はだいぶ良くなったわ。マーガレット、そして、チーム・バンドーの皆さんね。武闘大会優勝おめでとう! 優勝して暫くは、私達も沢山の祝福を受けたのよ!」


 クレアの母親は財団の仕事には殆ど口を出さない、専業主婦のシャルロット。

 外見は歳相応に落ち着いた雰囲気を持っているが、表情と感情表現が豊かなその話しぶりは、順当に娘達へと受け継がれたのであろう。


 「パパ、ママ、剣術学校であたしとハインツの同期だった、カレリンとコラフスキは知っているでしょ? あいつらも明日の夜に来るから、暫く3階より上の部屋を貸してあげて。掃除はバッチリやってくれるから!」


 クレアも最低限の連絡はしていたのだろう。

 ディミトリーもシャルロットも表情ひとつ変える事なく、愛娘の要求を受け入れていた。


 「マーガレット、今夜はお父さんのお客様をもてなさないといけないから、皆さんの夕食は作れないの。そこだけは宜しくね」


 東欧の名門財団の代表が、毎日家族と夕食が取れる程暇なはずがない。

 シャルロットは申し訳なさそうな表情を見せているものの、罪悪感を感じているのは、むしろ自分から押し掛けたクレアやバンドー達の方なのである。


 「ママ、気にしないで。あたし達は今からこっちの夕食の買い出しに行ってくるから。料理もかなり上手くなったのよ!」


 クレアの手引きに従って屋敷に荷物を置いたチーム・バンドーは、近所のスーパーマーケットに夕食の買い出しに出発。

 武闘大会優勝後、初めての地元凱旋だけに、クレアの気分はまさに上々といった所だ。



 「……んん!? マーガレットお嬢かい!?」


 クレアは屋敷の側にあるスーパーマーケットの倉庫に顔を出し、馴染みの店長であるフリストと対面。

 財団の娘とは言え、気さくで庶民派のクレアは地域からも愛されている。


 「フリストキャプテン、お疲れ様! 暫くの間帰省しているから、度々ここに来るわ!」


 ここの店長になって長いフリストだが、どうやらこれ以上の出世は望めそうにない。

 まだ店長になりたての頃、幼いクレアに呼ばせた愛称である『キャプテン』は、今では少しばかり重荷になっていた。


 「いや〜、キャプテンって呼ばれるのも恥ずかしい歳になっちまったよ……。それはそうと、武闘大会テレビで観たぜ! 優勝おめでとう! 夕食準備の時間だからな、顔馴染みが沢山いるよ。ゆっくり見ていってくれ!」


 パーティーは正面入口に回り、混雑するスーパーに入店。

 剣と防具こそ屋敷に置いてきたものの、クレアもハインツも東欧では結構な有名人であり、顔バレするのも時間の問題だろう。


 「マーガレットちゃん!? まあ……こんなに立派になって……武闘大会観たわよ!」


 クレアが剣士になるという噂が流れ、当時はあることないこと散々話のタネにした近所のおばちゃん達も、今ではクレアを街の誇りに感じている。

 

 クレア本人は膝の負傷で納得の行かない戦績だったかも知れないが、勝利の凱旋はバンドーやシルバの地元ニュージーランドとは比較にならない盛り上がり。

 ヨーロッパに於いて、剣士や魔導士が如何に市民権を得ているかの証明だ。


 「……え? もしかしてバンドー!? すげー! サインちょうだい!」


 店内にチーム・バンドーの存在が完全に認知され、各々のファンとおぼしき人々が辺りを取り囲む。

 比較的安穏とした人生を送り、実年齢より幼く見える風貌のバンドーには、年少のファンが多いらしい。


 「……サ、サイン? 俺なんかでいいの?」


 突然の事態に戸惑いながらも、子どもが差し出したお菓子の袋にサインするバンドー。

 クレアとハインツは知人との再会を喜び、芸能人ばりに見た目の良いシルバとリンは、彼等を知らない一般人にも携帯電話のカメラで遠目から撮影されていた。



 「子どもにサインねだられちゃった! やっぱりクレアの地元では、俺達も人気あるんだね」


 両手に食材を抱えたバンドーは、ソフィアでのチーム・バンドー人気に驚きながらも、熱狂的な歓迎には満更でもない様子。


 「今日、子どもに書いてやったお前のサインの価値が上がる様に、これから頑張るんだな」


 自身も同じ様な経験があるのか、ハインツはバンドーの興奮から来る(おご)りを警告する事もなく、仲間の更なる成長に期待を寄せていた。



 7月7日・19:00


 クレアとバンドー、そして腕前は微妙だがやる気だけはあるリンが厨房に立ち、無事夕食を終えたチーム・バンドー。

 一方、地下の書斎にはディミトリーとワーグナー、そしてシャルロットが来客をもてなす。


 

 クレア財団に融資を求めて来たのは、大企業の下請け工場を経営するディミトリーの知人。

 

 元請けの方針転換の煽りを受け、経営は先細り。

 近い将来の廃業は避けられなくなり、銀行からも相手にされなかったが、従業員の転職先が決まるまで給料を出そうとする責任感に胸を打たれ、ディミトリーは短期融資を決定した。


 「ワーグナー君、すまないね。何かあればポケットマネーで補填するよ。最後の道楽だと思ってくれ……」

 

 身の引き際を意識するにつれて、ディミトリーは東欧の経済発展よりも、失った人情の奪還を意識し始めている。

 

 40歳で財団を引き継ぐ事が決まり、まだまだ野心もあるワーグナーにとって、現在のディミトリーは老害かも知れない。

 だが、これまで一族以外の人間をビジネスに入れなかったクレア財団が彼を採用した理由は、ディミトリーに息子がいなかったという現実だけではないのだ。


 「……ディミトリー代表、心配しないで下さい。稼ぎたいだけなら私はここに来ていませんよ。これからはブルガリアも変わり、フェリックスみたいな大企業も参入して来るでしょう。そんな時代には、貴方の生き方がひとつの指標になるはずだと、これまで疑った事はありません。娘さんを見れば分かります」


 現在はスペインのバレンシアで再出発を図るスベンソンに、彼を支えながら病と凶弾に倒れたマグヌソン。

 これまで財団に関わった人間は運命の悪戯に翻弄されてはいたが、財団を悪く言う事はない。


 これはひとえに、ディミトリーの人間性とシャルロットの献身性がなし得た信用だった。




 「何だ、そんなに汚れてないじゃん!」


 夏場の牛舎など、気合いを入れた清掃に慣れている農業青年バンドーにとって、屋敷の(ちり)(ほこり)など拍子抜けする程の軽作業。

 一匹狼だからこそ逆に自由だったハインツの悪戦苦闘ぶりを尻目に、たちまち自室の掃除を完了させる。


 「……ふむふむ。私は以前バンドーさんの事を、いい人だけどカレシにはね……と評してしまいました。しかしながら今、その認識を改めさせていただきます。掃除に料理と、人間のお嫁さんとして貴方は十分にハイスペックです……」


 女神として、自らの誤った認識はすぐに正さなければ気が済まない性分のフクちゃん。

 だが、この言葉はバンドーにとって、ぶっちゃけ嬉しくも何ともない賛辞であった。


 「フクちゃんはどうせ、ほいっと一発で何となく部屋を綺麗に出来ちゃうんだろ? いいよな〜女神様は」


 ハインツがその能力を羨む中で、フクちゃんは自室の窓を開け、ほいっと一発で何となく全ての塵と埃を窓から放り出す。


 「……ハインツさん、戦いに強いだけでは愛する者のご機嫌は取れないのですよ……」


 日に日に角が取れ、クレアとの関係が近くなっているハインツに向けて静かに微笑むフクちゃん。

 女神様のそのお言葉には、とてつもなく深い含蓄が込められていた……。




 「うわ〜! これってまさか初版!? 信じられな〜い!」


 一方、頭巾に防塵(ぼうじん)ゴーグルにマスクという、笑える程の重装備で5階の書斎を掃除するリン。

 150年分にも及ぶクレア財団の貴重な蔵書に興奮が止まらず、その格好と発言から、今の彼女は痛いお姉さんにしか見えない。


 「ジェシーさん、高い棚は自分が拭きますから、足元に気をつけて下さいよ!」


 リンが書斎の掃除に夢中になっている間、シルバは自腹の雑巾を用いて、自室や廊下の塵と埃を強引に水で拭き取る。

 積年の汚れが一番溜まっている5階は、まさに軍隊ばりのド根性雑巾がけが良く似合い、シルバはまるで上官に怯えている新兵の様に、真っ黒になった雑巾を自分のバッグに隠した。


 「……? こんな所にも本が平積みで……あっ!?」


 リンのモップが平積みされた蔵書の山を直撃し、数多の重量級書籍が一気に床へと雪崩れ込む。


 「あらあら……まあまあ!」


 本の壁が崩れ落ちる騒音に見合わない、リンの天然お姉さん発言。

 その状況を色々な意味で危惧したシルバが書斎に駆け付けると、入口のシルバと部屋の奥にいるリンとの間に、雄大な書籍の大河が流れていた。


 「シルバ君、そう言えば今日は7月7日……。日本の古い言い伝えでは、七夕は河に分断されていた恋人達が出逢う日でしたよね……」


 本の虫にとって底無しの興奮が持続しており、加えて文系女子ならではの妄想……いや、ロマンティックな感性の膨張。

 世界中の紛争地域で戦ってきたシルバの目にも、現在のリンの周辺が極めて危険である事が容易に理解出来る。


 (くっ……逃げちゃダメだ……逃げちゃダメだ!)


 シルバは自分に言い聞かせる様に首を左右に激しく振り、リンとともに過ごす厳しい大掃除を覚悟していた。



 7月7日・20:30


 「おいバンドー、携帯が鳴ってるぞ!」


 自室の掃除を終え、ブルガリアだけにクレア財団にも常備されているヨーグルトを食べながらリラックスしていたバンドー、ハインツ、そしてフクちゃん。


 手持ちのチョコボールをヨーグルトに投入するという、フクちゃんの果敢なチャレンジ精神に思わず目を逸らしたハインツが、テーブルに置かれたバンドーの携帯着信に気づいたのだ。


 「誰からだろう? スコットさんだな」


 この時間帯にバンドーへ電話をかける人間と言えば、社員スカウトでブルガリアに来てくれる可能性があるスコットくらい。

 バンドーはそう確信し、着信者も確認せずに急いで通話を開始する。


 「はい、バンドーです!」


 「……あ、バンドーさん!? こんな時間にごめんなさい! 今いい?」


 電話の主は、何とアニマルポリスのメグミ。

 相方のターニャとともに、セルビアのニシュで別れて以来の連絡だ。


 「メグミさん! こっちはもう寝るだけだし、全然大丈夫だよ!」


 突然のメグミからの電話に胸踊るバンドー。

 とは言え先日、メグミに想いを伝えた後だけに、彼女からの返事に関しては一抹の不安もある。

 

 しかしながら、電話越しの彼女の様子からシリアスな部分は何ら感じられず、むしろ明るく開放的な雰囲気に満ちていた。


 「バンドーさん、シンディの隔離期間が終わったの、コンビ復活です!」


 つい先月まで、メグミの相方だったアニマルポリスのシンディ。

 だが、彼女の祖父がフェリックス社の重役だった事もあり、ナシャーラから統一世界の腐敗を監視する旨の発言があって以来、シンディはその身の保護も兼ねて警察本部内に隔離されていたのである。


 「……前にも言った通り、フェリックス関係者の接触を避ける為に、シンディは一時的に違う名前になるの。でも、彼女は彼女だし、私もまたコンビが組めて嬉しいです!」


 「おめでとう! そりゃ何よりだよ! ターニャさんもいい人だけど、何よりシンディと組める人って、メグミさんしかいないから!」


 一見天然気味で、かつ鋭さと賢さを併せ持つ個性派のシンディ。

 そんな彼女とメグミのコンビは、今やド派手な車や衣装と並ぶアニマルポリスの代名詞として、バンドーのみならずヨーロッパ中が認めていた。


 「一時的な名義変更の為に、私達は明日の朝からシンディの故郷のイタリアに行く事になったんだけど、バンドーさんが近くにいたら……会いたいなって思って……」


 用事が優先とは言え、これはメグミからのお誘いとみていいだろう。

 バンドーのテンションも思わず急上昇し、その様子はハインツやフクちゃんにも伝わっている。


 「そりゃいいね! 今俺達はソフィアにいるんだけど、仲間の家だから問題ないし、暫くゆっくりするつもりだったから行くよ! イタリアの何処?」


 「トリノです! 飛行機だとソフィアから直行便があって、鉄道だとセルビア経由ですね! 時間がかかっちゃいますけど……」


 明日の夜には、カレリンとコラフスキが財団の屋敷に到着予定であり、明後日からはスコットのプロジェクトも動き出す可能性がある。


 行くなら、明日の飛行機しかないだろう。


 「明日一番の飛行機で行くよ! 妹もシンディに会いたがってるしね!」


 バンドーはフクちゃんに親指を立ててアピールし、フクちゃんも既にこの流れを理解していた。


 「バンドー、行ってこい。俺達の事は心配するな。だが、スコットが来た時はお前がいないと始まらないからな。明後日中には戻って来いよ」


 恐らくチーム・バンドーも、明日は丸1日リフレッシュの時間となるに違いない。

 ハインツはクレアと、シルバはリンとの外出が濃厚であり、バンドーの心配事は飛行機のチケット確保くらいである。


 「バンドーさん、そろそろですね……」

 

 シンディとの再会も楽しみだが、いつの日か彼女達に話さなければならないフクちゃんの正体。

 

 彼女自身も理解していた。

 その時が、遂に来たのである。


 

  (続く)


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