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バンドー  作者: シサマ
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第62話 運命を駆け抜けて


 ブリュッセルに乗り込んだチーム・バンドーは、アニマルポリスのメグミとターニャ、特殊部隊のキムの協力を得て、ボロニンとライザの所在を突き止める事に成功する。

 

 そして、シルバの推理とキムの情報から、ボロニンとライザを操る黒幕が軍の実質的なトップである、強硬タカ派のジルコフ大佐である事が明らかとなった。


 だが、ジルコフ大佐の懐刀(ふところがたな)としてボロニンの援軍に派遣されたイバノビッチという男は、軍隊時代にシルバとの因縁があった事が判明。


 悲痛な過去とドラッグで人生を狂わされたイバノビッチに対して、この仕事に意欲を燃やしていたはずのシルバは一転、非情になれず苦悩してしまう……。



 7月1日・20:15


 「……雨が強くなってきた。取りあえずレストランに戻って、カムイ達と合流してからホテルを探して計画を立て直そう」


 バンドーは太股を負傷したシルバに右肩を貸し、取りあえず雨風を凌げる繁華街のフードの下をパーティーの通り道に決定する。


 「……俺も仕事で、悪党を殺しちまった事はある。正当防衛は成立したが短期拘束されちまったし、軍隊にいたシルバとは違って、恨みを買うと直接狙われるからな。最悪の気分だったぜ。だが、そうしないと俺が死んじまっていたよ」


 ハインツもシルバに左肩を貸し、クレアとリンはそれぞれレディーとメグミに、メールで近況を報告していた。


 

 

 「……ちょっと待って! あの黒服の2人、もしかして、ボロニンとライザ!?」


 夜道で突然うろたえるクレア。

 レストランの明かりが見えてきた頃、彼女が通りで発見した黒服の2人組は、その外見は勿論、体格と身長差もかなりボロニンとライザに近い。


 「……ちっ、奴等俺達を弱らせてから待ち伏せするつもりだったのか!」


 顔を歪めるハインツはバンドーと立ち位置を素早く入れ替え、利き側の左手を剣の鞘に添えて有事に備えた。


 「……は〜い、ニカッ!」


 ハインツが身構えたその瞬間、ボロニンらしき大男の背後から突然顔を出して愛嬌を振りまく、見慣れたアラブ系の男性。

 チーム・カムイの魔導士ハッサンと、同じくチーム・カムイのミューゼル、ゲリエも姿を現す。


 「……え!? あんたら一体……どういう事?」


 摩訶不思議な光景に目を白黒させるクレアを横目に、ボロニンとライザだと思われた黒服の2人組は、ゆっくりとマスクとサングラスを外してみせた。


 「どうだ、かなり上手く化けていただろ?」


 「……カムイさん、レディーさん……!」


 黒服の変装から正体を現したカムイとレディーに、普段は物静かなリンも思わず大声を上げる。


 「何だぁ!? ビビらせやがって! 一体どういうつもりだ!?」


 極限まで高まった緊張感を解除され、ハインツは怒りと安堵が入り混じった表情でカムイを問い詰めた。


 「……ここまで派手にやり合ったからには、どうせボロニン達との決着は避けられねえ。それならこっちからおびき寄せようと考えたのさ。奴等と体格の近い俺とレディーが黒服と黒マスク、黒サングラスでキメりゃあ、お偉方の近くに行けば勝手にボロニンとライザだと思われるからな。上手く行けば、黒幕の顔も拝めるかも知れねえぜ」


 シルバは楽観的なカムイの言葉を聞きながら、ジルコフ大佐はそこまで軽率な男ではないと確信していた。

 しかしながら、偽者を倒す為にボロニンとライザがカムイ達に意識を集中すれば、自身はイバノビッチの相手と説得に専念出来る。

 

 この作戦は極めて単純だが、数で優位にあるチーム・バンドーとチーム・カムイにとって、間違いなく効果的であった。



 

 「お帰りなさい! ふう……少し食べ過ぎてしまいましたね……」


 レストランに戻った大所帯のパーティーを迎え入れるフクちゃんとメグミ、そしてターニャの3人。

 

 人間の食べ物は味わった後にさっさと気化してしまい、体内に消化する事はないフクちゃん。

 とは言うものの、フライドポテトをベルギー人換算で2人前たいらげた直後だけに、満腹の演技には余念がない。


 「ガハハ、お嬢ちゃん幸せそうで何よりだな。さ、俺達も遅い晩飯と行くか!」


 チーム・バンドーと入れ替わりに食事を始めるチーム・カムイ。

 

 クレアとリンは電話予約に悪戦苦闘しながらも、裏通りのビジネスホテルにどうにか5つのダブルルームを確保。

 フクちゃんを含めた女性陣のみが3名1部屋、残りは2名ずつを部屋に割り当てた。


 「あたし達はこれから2日ブリュッセルに滞在するけど、その後は少し休暇を貰えるの。あたしの故郷のセルビアで良ければ、皆を案内するわよ」


 ターニャは別れの前に自身の予定を打ち明け、特に予定のないメグミも彼女に付き合う素振りを見せている。


 「……お、セルビアか! 実は俺も、毎年夏にベオグラードに用があってな……。このタイミングは少し早いが……まあいいだろう、俺も行くぜ!」


 ターニャの予定に乗っかったのは、意外にもハインツ。

 彼が毎年ベオグラードを訪れているという情報は、バンドー達には初耳だった。


 「……ハインツ、あれまだ終わってなかったの?」


 ハインツとは腐れ縁の境地に達しているクレアだけは、彼の事情を理解している様子。

 だが、最近宗教団体絡みでベオグラードの治安が悪化している事もある為か、どうにも不機嫌な表情をしている。


 「悪いな、今年で最後だよ。これで晴れて貸し借りがなくなるのさ!」

 

 旧友との約束か何かだろうか、ハインツは晴れやかな笑顔を浮かべて大きく背伸びをしてみせた。


 「うん、ケンちゃんやリンが反対しなければ、俺も付き合うよ。ターニャさんの故郷って、ベオグラードなの?」


 「違うわ、あたしの故郷は南部のニシュ。今はベオグラードの治安が悪いけど、ギリシャでトラブルを起こしている宗教団体の信者がニシュを経由して、ベオグラードを煽っているのかも知れないわね」


 ターニャとのやり取りの中、静かな緊張に見舞われるバンドー。


 地理的にもギリシャに近いニシュ。

 ベオグラードの治安悪化の裏で、チーム・バンドーを狙うテロリスト、エディ・マルティネスが動いている可能性があり、先日フェリックス社の専属賞金稼ぎに立候補したカレリン達も、敵として自分達の前に立ちはだかるかも知れない。


 「……これからはもう、余裕を持ってこの仕事をするのは難しいな……。でも、避けられない戦いだよ!」


 チーム・バンドーのリーダーとして意識が高まるバンドーは、メグミとターニャに暫しの別れを告げ、仲間とともに一足早くホテルへと向かった。



 7月1日・23:00


 チーム・バンドーとチーム・カムイが早々に眠りに就いた後、安ホテルの一室から聞こえる話し声。


 イバノビッチの事が気掛かりなのか、なかなか眠れなかったシルバは、キムと同じく軍隊時代の部下である特殊部隊のガンボアから、更なる情報を聞き出していた。


 「……中尉、近年のイバノビッチを調査してみました。奴はジルコフ大佐の懐刀として、左翼系議員や検察の有力者の暗殺事件に関与していたという噂がありますね」


 「……何だって!?」

 

 ガンボアからの情報に言葉を失うシルバ。

 

 イバノビッチが重度の薬物依存症である限り、公私を問わずトラブルは避けられないだろう。

 だが、それはシルバの想像を遥かに超越していたのである。


 「……ドラッグ欲しさに酩酊した精神状態での犯行かも知れませんし、今後ジルコフ大佐の関与が立証されれば、奴の刑も軽くなる可能性はあります。しかし、奴は軍隊時代から個人的な罪も重ねていますから、仮に精神面で特赦(とくしゃ)を受けたとしても、薬物依存症の完治まではサポートされません。ストリートか、それとも獄中か、いずれにせよ野垂れ死ぬ運命ですよ」


 「……くっ……そんな……」


 ある意味、これは軍人としての自己責任である。

 イバノビッチが依存症を治療しようとせず、いつでもドラッグを横流し出来るジルコフ大佐の元に戻っていた時点で、こうなる事は誰の目にも明らか。


 「……中尉、中尉が進言しなくても、奴はいずれ軍を追われていましたよ。我々がいくら同情した所で、奴はドラッグをやめろと言う人間には牙を剥いて来ます。下手な情けはかけず、ひとりの凶暴な悪党として、速やかに葬り去るしかないんです」


 「……分かった。ガンボア、夜中にすまなかったな……」


 ガンボアからの説得に、シルバはどうにか言葉を振り絞って通話を終え、放心状態で窓の外を眺めていた。


 

 7月2日・8:00


 昨晩から降り出した雨の影響か、この日は朝から薄暗い曇り空。

 調剤薬局の店主、バシンとの繋がりで宿泊したホテルで目覚めたボロニン、ライザ、そしてイバノビッチの3名は、借り受けた小型端末でバシンとの通信を開始する。


 「……おはよう、よく眠れたか? まずはお前達に伝える事がある」


 ジルコフ大佐の配下に就いて久しいバシンは、感情を表に出さないポーカーフェイスの持ち主。

 だが、権力者からの庇護(ひご)に安住している様に見える彼の卑屈さは、傷つく事を恐れず前を向くボロニンやライザから見て、半ば軽蔑の対象だった。


 「昨日の夜、イバノビッチに喰ってかかってきた男はケン・ロドリゲス・シルバ。元軍人で、かつてジルコフ大佐と対立していたロドリゲス元参謀の養子だ。そして、現在のシルバは賞金稼ぎチーム・バンドーに所属しており、奴等はチーム・カムイとともに、アムステルダムの組合から俺達の調査を依頼されている事が分かった」

 

 「……何いッ!?」


 2組の賞金稼ぎチームから狙われていた事実には、百戦錬磨のボロニンも驚きを隠せない。


 「……流石に10人規模を3人で相手するのは厳しいな。とは言え、秘密を嗅ぎ付けた奴等を生かしてはおけない。イバノビッチ、シルバが憎いだろう? 賞金稼ぎともども、射殺を許可する!」


 「ヒャッハー! 殺しを許されるのは久しぶりだぜ! あの世で後悔させてやる!」


 ブリュッセルの厳戒体制とジルコフ大佐の権力を考慮すれば、周囲での揉め事も軍や警察の上層部を黙らせる事が可能だ。

 バシンの命令を受け、拳銃とドラッグを手にしていたイバノビッチは一気にテンションが高まる。


 「……ボロニン、ライザ、お前達が仮にピンチに陥った時は、EONP会館裏の4番倉庫に逃げ込め。そこはジルコフ大佐直属の部隊が警備にあたっている。会議を妨害する不審者として、賞金稼ぎどもを始末してくれるだろう」


 そう告げて不敵な笑みを浮かべるバシンは、通信の最後に端末の新機能の解説を始めた。


 「ディスプレイの左上にある青いマークを押せ。ウチの薬局の系列店の監視カメラ視点が一斉に表示される」


 バシンに命ぜられるまま、ボロニンの脇から青いマークに触れるライザ。

 その瞬間、ディスプレイは8分割され、系列薬局8ヶ所の監視カメラから、ブリュッセル市内の主要通りの様子が映し出される。


 「……こいつは凄い! 奴等を探す手間が省けるというものだ。バシン、感謝するぞ!」


 最後にそう言い残し、通信を終えるボロニン。

 気合いも新たにストレッチに励むイバノビッチを尻目に、彼は瞑想でもするかの如く両目を閉じていた。


 「……セルゲイ様、仮に私達が奴等に敗れたとして、部隊に助けを求めるつもりですか?」


 ライザはボロニンの真意に気づいたのだろうか。

 彼女自身、ジルコフ大佐やバシンに全幅の信頼は寄せられないと、彼等の動きを警戒している。


 「……恐らく、俺達が役に立たなければ賞金稼ぎと一緒に消すつもりだろうな。バシンがこの端末を持たせたのも、逃亡に備えた逆探知の意味があるのだろう。俺達は勝つしかない。だが、最悪の事態になった時には、この端末を賞金稼ぎどもに持たせてみるのも面白いかも知れないな」


 「セルゲイ様、それはつまり……?」


 瞑想の様な神妙さから、ボロニンはやがて何処か吹っ切れた様な、穏やかな微笑みを浮かべていた。

 ライザはその様子を目の当たりにし、背中合わせの期待と不安から、次の言葉が続かない。


 「……折角有利な条件で武闘大会に参加出来るのだから、ジルコフ大佐やバシンとの関係は穏便に終わらせたいものだ。だが、もしもの時が来たら、ライザ、お前と一緒に、誰も俺達の事を知らない遠くの土地で、静かに暮らすのも悪くないと思っている」


 「……セルゲイ様……」


 戦いを前にして、甘い期待は許されない。

 ボロニンはカムイやバンドーを相手に、情けの欠片も見せる事はないだろう。


 しかし一方で、ライザの胸の奥底には、この戦いに於ける「敗北の後の可能性」が芽生え始めてしまっている。

 その事実は否定出来なかった。


 

 7月2日・9:00


 その頃、チーム・バンドーとチーム・カムイは作戦会議の為、ただでさえ狭いビジネスホテルの一室にすし詰め状態。

 

 ボロニン側の戦力は3名で、賞金稼ぎチーム側の数的優位はまず揺るぎないものの、相手には軍の実質的トップであるジルコフ大佐がついている。

 軍や警察組織を敵に回しては勝ち目がないだけに、まずはアムステルダムの賞金稼ぎ組合に昨日1日の成果、そして事の詳細を報告したのだ。


 

 「……レディーさん、アムステルダム警察は、ドンクの遺体からボロニン達のDNA鑑定をしているんでしょ? まだ結果は出ないの?」


 実行犯はボロニン達にほぼ確定しており、彼等はカムイ達を倒すまで間違いなくここ、ブリュッセルに滞在している。

 

 鑑定でボロニン達がクロと判断されれば、警察組織も動き、より確実な逮捕が可能なはず。

 それ故に、バンドーは警察の鑑定スピードの遅さを嘆いていた。

 

 「バンちゃん、あれだけ綺麗に現場を消毒していたら、すぐに鑑定結果は出ないわ。これだけ軍人と警官がいて、たった3人の悪党に手が出せないのは笑っちゃうけどね」


 レディーは凄惨な事件と、実際の光景と矛盾する小綺麗な現場とのギャップを回想し、額に手をあててうつむいている。


 「みんな、グッドニュースよ! あたし達の報告と特殊部隊の協力で、実行犯の特定と黒幕の情報提供という仕事は形式上終了したわ! 3200000CP、満額入るわね!」


 「よっしゃあ!」


 組合からの連絡を受けたと思われるチーム・バンドーの金庫番、クレアからの伝達に歓声が沸き上がる。

 それぞれに正義や価値観があろうとも、結局は皆、賞金稼ぎである事に変わりはないのだ。


 これからの大捕物に待つ危険を想像すると、この額でさえ十分とは言えないが、このまま最終決戦を回避したとして、平穏な日常は送れない。

 戦うしかないだろう。

 

 「……でもよ、俺達がボロニン達を倒しても、黒幕が軍のトップと来りゃ、並の警察じゃ買収とか恫喝とかされちまうよな。結局、ジルコフとやらは野放しなんじゃねえのか?」


 諦めにも似たハインツの問いかけに、チームメイトの殆どは言葉を失っている。

 だが、シルバはまだ諦めていなかった。


 「現在の警察トップは、アキンフェエフ警視総監です。彼は義父……ロドリゲス隊長を特殊部隊にスカウトした張本人で、ブリュッセルの会議にも出席しています。ドラッグで縛りつけられているイバノビッチはともかく、ボロニンとライザを捕らえれば、粘り強く証拠を集められるはずです。最初から諦める訳には行きません!」


 「そうだね、ケンちゃんの言う通り、最初から諦めちゃ始まらないよ。ハインツはボロニンを倒せば、メナハムを抜いていきなりランキングTOP3も夢じゃないんだ。気合い入れようぜ!」


 バンドーはすかさず親友の肩を持ち、チームリーダーとしてパーティーの士気を高める。


 「おおっと待った、昨日の借りを返さないとな。ハインツ、TOP3の座は俺がいただくぜ!」


 義足の弱点を突かれて完敗したカムイは鼻息も荒く、ボロニン以外は眼中にない程の執念を見せていた。


 「……みんな待って、メールが来たわ! アムステルダム組合と警察の協力が得られそうよ! EONP会館の西口にある第1倉庫は、アムステルダムの警官が警備に派遣されているわ。そして、会館を北上した公園は立ち入り禁止になっているけど、噴水付近は警備を空けているみたい」


 「フート巡査長も口利きしてくれたのね。クレアもありがとう!」


 既に黒服に着替えていたレディーは、アムステルダムでカムイの危機を救ったフート巡査長に感謝し、予想以上に上手く運ぶプランに満足気な笑顔を浮かべている。


 「……よし、ほぼ完璧だな。俺とレディーは倉庫の警官に事情を伝えてから、ボロニン達をおびき出す為に会館に向かう。だが、警官や軍人のいる前で暴れる訳には行かねえ。ボロニン達の姿が見えたら公園に誘い込むから、バンドー達は公園で迎撃態勢を整えてくれ!」


 「分かりました! でも、おふたりだけで大丈夫なんですか……?」


 自信満々に指示を出すカムイだが、ジルコフ大佐の配下にあるボロニン達が、既に一部の警官や軍人を味方につけている可能性はある。

 不安を拭えないリンは、バックアップの必要性を訴えている様子だ。


 「心配するな。俺がカムイ達の後ろから、奴等に絡む酔っ払いのふりをしてついて行くぜ。小道具も買ってきたんだ、ガハハ!」


 ハッサンは自身のTシャツをわざと汚し、酒の小瓶をぶら下げたホームレス風の男に扮装。

 後方から彼の魔法支援が可能なら、公園への移動時間が稼げるだろう。


 「……よし、作戦開始だ! 言っておくが、ボロニンとライザは強かった。頭数だけで勝てると思うな、余計な情はかけるなよ!」


 「おう!」


 カムイの音頭で一致団結した両チーム。

 

 バンドー達は公園で待機し、ミューゼルとゲリエは会館と公園の中間地点でナビゲートを担当。

 カムイ、レディー、ハッサンの3名はボロニン達をおびき出す為、意図的に表通りから行動を開始した。



 7月2日・9:30


 「それではこれより、EONポリス、EONアーミー合同対策会議、2日目を開催致します」


 アキンフェエフ警視総監の挨拶で幕を開けた、会議2日目。

 

 警察と軍それぞれに、会議初日に簡単な自己紹介や現状の認識は終えている。

 会議2日目は、先日フェリックス社が打ち出した、「権力の腐敗への監視を強める動き」に対して、具体的な対策を議論する場だ。


 「……警視総監、我々の調査だけではフェリックス社の全貌は掴みにくい。折角素敵なゲストがいるのだ。彼女の話を聞いてみたいものだね」


 表向きはリスペクトを装いながらも、数々の因縁があるアキンフェエフ警視総監をけしかけるジルコフ大佐。

 アキンフェエフ警視総監は情報の漏洩(ろうえい)を防ぐ為、警察組織の参考人として召集せざるを得なかった、元アニマルポリスのシンディに視線を送る。


 「……私は構いません。統一世界の安定のお役に立てるなら、祖父の情報をお伝えします」


 アニマルポリス時代には、真面目な先輩メグミの存在もあって、元芸能人志望らしい天然キャラを振りまいていたシンディ。

 しかし一方で、彼女はフェリックス社隆盛の立役者、レオン・ファケッティ顧問の孫娘でもあったのだ。


 「皆様、おはようございます。昨日、名前だけは覚えていただけたと思います、シンディ・ファケッティです」


 アニマルポリス時代の彼女は、まだ芸能人気取りが抜けていなかったのか、金髪をツインテールにした実年齢よりも幼く見えるルックス。

 だが現在は、自身の置かれた環境のシビアさからなのか、落ち着いた印象のストレートロングになっている。


 「……私は長く祖父とは離れていて、両親とともにイタリアで暮らしていました。ですが、当時の私は芸能人志望で、大した努力もせずに、イスラエルで絶大な権力を持つ祖父のコネを頼ろうとしていたのです」


 過酷な訓練と修羅場を潜り抜けた警官と軍人にとって、シンディの告白は笑い話の様なもの。

 しかしながら、彼女の真剣な表情からか、会議中に格好を崩す者はいなかった。

 

 「私がテルアビブの買い物で何気なく使ったカードから個人情報が抜き出され、テロリストに拉致されそうになった所を、EONアーミーのシルバ小隊に救出されました。それからは祖父との接触を避け、警察組織に属して自分の身を守る様になったのです」


 シルバの名前が出た瞬間、ジルコフ大佐の表情は曇り、アキンフェエフ警視総監の口元にはしてやったりといった雰囲気の、勝ち気な笑みが浮かんでいる。


 「皆様が私に訊きたい事は、恐らくひとつだけでしょう。私が盾になれば、祖父はフェリックス社の方針を軟化させるのか否か。答えはノーです。祖父の長年の夢は、今は亡きアメリカ合衆国の遺産と影響力を、イスラエルの同志とともに統一世界に刻む事。その仕事に対する執念は、息子夫婦……つまり私の両親を捨てる程に強いのですから!」


 鬼気迫るシンディのスピーチに、一瞬静まり返る会議室。

 ジルコフ大佐をはじめ、彼女を利用するつもりだった有力者は、皆一様に肩を落とした。


 「……シンディ君、よく分かった。我々が浅はかだったのだよ。君の拘束はこれで終了だが、今後君に、友人のふりをしたフェリックス社の関係者が接触するかも知れない。一時的に偽名を用いた別の身分証を作って君に渡す。それまで少々、窮屈な思いに耐えてくれたまえ」


 アキンフェエフ警視総監は、あくまで紳士的な対応で拘束されていたシンディを(ねぎら)っている。

 だが、そんな彼でさえ、警察内部を知る彼女がフェリックス社に利用されるリスク、これに対しては厳しく管理しなければならない。


 「警視総監、準備が出来ました。フェリックス社の会見映像を、今一度皆で分析しましょう!」


 会議室の明かりが静かに落とされる中、役目を終えたシンディはひとり控え室に戻される。

 そんな彼女の目には、一見して怪しいと分かる黒服の2人組が、会館の西口に近づいていく様子が映し出されていた。



 7月2日・9:45


 「……セルゲイ様! モニターの5番カメラに怪しい2人組が映っています!」


 カムイ達を探す為、端末のモニターを注視していたライザからの報告に、剣の手入れを止めて駆け付けるボロニン。


 「……これは……!? 服装だけじゃなく、背格好まで俺達にそっくりじゃないか……! あの大型の剣も見覚えがある。カムイと奴の仲間が、俺達に変装しているに違いない!」


 「やっぱり奴等ですね! でも、何故私達と同じ格好を……?」


 ボロニンの興奮を前にしながらも、ライザはカムイ達の真意を掴む為、冷静に5番カメラの地理を確認する。


 「……セルゲイ様、奴等は会館の西口方向に向かっている様です!」


 「何だと!? あの姿で会館に向かっても、不審者として拘束されるのがオチだが……?」


 カムイ達の不可解な行動に眉をひそめながら、ボロニンとライザは追跡態勢を素早く整えた。


 「ケッ、奴等も所詮、ケチな賞金稼ぎだ。俺達になりすましてカムイ達を倒したと嘘をつき、ジルコフ大佐に金でもせびるつもりなんだろ! 2人だけで来るたぁ、いい度胸じゃねえか!」


 目覚めのドラッグを一発キメて、テンションMAXのイバノビッチを先頭に、勢い良くホテルを飛び出す3人。

 だが、端末を懐にしまい込んだライザは、カムイ達の背後を距離を置いて追跡するホームレス風の男……魔導士ハッサンの姿を見落している。



 

 その頃、一足早く公園で戦いに備えるチーム・バンドー。

 

 アムステルダムの組合、そして警察からの連絡がアキンフェエフ警視総監の秘書に伝わり、公園を警備する警官達も、この賞金稼ぎの駐在を許可した。

 警官の目にはやはり、リンとフクちゃんの魔法リハーサルの様子が新鮮に移るらしい。


 「……リン、ちょっといいかな?」


 クレアとハインツが互いに剣のスパーリングを行う中、シルバとストレッチをしていたバンドーが突然、思い出した様にリンに話しかける。


 「……はい? バンドーさん、何でしょう?」


 リンは噴水の側にポジショニングし、風魔法と水魔法、どちらも使える態勢を整えていた。


 「リンが時々見せる、手足に魔力を宿してパンチやキックをパワーアップさせる魔法があるよね。あれって、どうやるの?」


 剣の未熟さを、格闘技で補ってきたバンドー。

 リンの魔法はレベルが高いものが多いが、格闘技の心得を持つ彼が、会得し易そうな魔法に意欲を見せている事は間違いない。


 「……この魔法は元々、手刀に風魔法を凝縮する実験から始まりました。以前、ウォーミングアップで石を割った時なんかは、その方法を使っていたのですが、それだと手刀の面積しかダメージを与えられません……」


 「……う〜ん、ボロニンはデカいから、もっと広くダメージを与えたいな……」


 まだ魔法が会得出来た訳でもないのに、要求のハードルを上げるバンドー。


 「この魔法は私も偶然会得したので、明確な発動方法がないんですよ……。でも最近、コツは掴めてきました! 発動の条件としては、武器がない状態で、魔法を準備する時間も取れない程に相手との距離が近い時、手足に意識を集中する事ですね。力がみなぎるのを感じられたら成功です!」


 「……手足に意識を集中、か……」


 バンドーは取りあえず、首の後ろと額という、彼の魔力ポイントに念を送った後、自分の手足に意識を集中させる。


 だが、初挑戦で上手く魔法が発動するなら、この世は魔導士ばかりになってしまう。

 当然、何の感触も掴めなかった。


 「……こればかりは、ピンチに陥らないと発動は難しいと思いますね。ピンチを招かない様にするのが一番ですよ……」


 「は〜い!」


 母親に諭された子どもの様に、バンドーは太字スマイルを浮かべて素直に引き下がり、シルバとの格闘スパーリングを開始する。



 7月2日・10:00


 「……何だお前達、ここで何をやっているか知っていて、この辺りをうろついているのか!?」


 黒服とマスク、サングラスで変装したカムイ達が会館西口に近づく頃、既に連絡を受けていた警備の警官が、親指を立てながら笑顔で彼等を牽制(けんせい)していた。


 「俺達は来賓だよ、VIPだぜ! ジルコフ大佐に伝えてくれ。邪魔者を始末出来たが、仲間がひとり大ケガしちまった。治療費をよこせとな!」


 必要以上に熱い演技を見せるカムイ達の背後で、ホームレス風の酔っ払いに扮装していたハッサン。

 彼は中に水が入っている酒の小瓶を煽りながら、あくまで単なる野次馬のふりを貫いている。

 

 ジルコフ大佐がこの光景を見れば、イバノビッチの姿がない事はすぐに分かり、それでいて黒服の2人をカムイ達の変装だと見抜く事は難しいだろう。


 「ジルコフ大佐が、お前達の様な浮浪者と関わりがあるはずがない! その時は罰金程度の刑では済まさんぞ!」


 西口の警官達はカムイ達を取り囲み、周囲から怪しまれる事がない様に軽く拘束する素振りを見せ、会議室へ連絡を入れた。


 【会議室へ緊急連絡、会議室へ緊急連絡。ジルコフ大佐の関係者を名乗る正体不明の2人組が、何やら大佐に金銭を要求している様です。大佐と無関係である場合、即拘束しますが、どうしましょう?】


 警官からの報告を受けて、会議室にはざわめきが広がっている。

 

 元来、ジルコフ大佐が自身の目的の為に手段を選ばない人間である事は、地位の高い人間であれば熟知している。

 しかしながら、配下の者が直接金銭を要求しに現れるなどという隙だらけのマネジメントを、彼が行う訳がない、その驚きが会議を揺さぶっていたのだ。


 ジルコフ大佐は会議室の防弾ガラスから西口を見下ろし、イバノビッチの姿がない事に一抹の不安こそ抱いたものの、心の動揺を見せずに返信する。


 「ジルコフだ。あんな者達には全く見覚えがない。私の名を出せば何かにありつけると企んだ、テロリストくずれの物乞いだろう。私も嫌われたものだな。拘束する必要などない、銃を見せて追い払え」


 「了解しました! おいお前達、ジルコフ大佐は全く見覚えがないそうだ。テロリストとして処分されたくなかったら、さっさと寝床に帰るんだな!」


 警官の演技により会館から追い出されたカムイ達だったが、東側から段々と大きく近づいてくる足音だけはハッキリと聞こえていた。


 「お前ら、何者だ!?」


 黒服の2人組を追い詰める、黒服の2人組プラス1名。

 会議室の要人達はジルコフ大佐を含めて事態を全く把握出来ず、会議そっちのけで西口の追いかけっこに注目させられている。


 「よっしゃあ、計画通りだな! ハッサン、援護頼むぜ!」


 カムイとレディーは勢い良くマスクとサングラスを投げ捨て、時計回りに会館を一周。

 ボロニン達を公園へと誘い出す為、全速力で十字路を北上した。


 「ヘッ、ご苦労なこった! 俺には拳銃があるんだよ!」


 「……イバノビッチ、待て! ここで発砲はやめろ!」


 自身に背中を向けて走り去るカムイとレディーに、躊躇(ちゅうちょ)する事なく拳銃を向けるイバノビッチ。

 

 彼はドラッグでハイテンション状態にあり、第4倉庫に陣取る部隊はジルコフ大佐直属とは言え、要人の視線の中、脅威なき発砲は許されない。

 ボロニンは慌ててイバノビッチのジャケットを掴むものの、拳銃の照準は揺るがないまま。


 「……くっ、あいつ正気かよ!? うおりゃああぁ!」


 カムイとレディーの逃走を援護していたハッサンは、いち早く危機を察知してネックレスを引きちぎり、風魔法をイバノビッチの拳銃にピンポイントで合わせた。


 「……何だ!? わわわっ……!」


 ハッサンの首から発せられる蒼白い光は、細い風のロープとなり、イバノビッチの両手から拳銃を奪いにかかる。

 

 だが、敵もさるもの。

 イバノビッチは両肩をいからせたコンバット・シューティングの構えに切り替え、地面に膝こそ着いたものの、どうにか拳銃を守り抜いた。


 「……カムイさん、公園まであと少しです!」


 中継地点でカムイ達をバックアップする、ミューゼルとゲリエ。

 彼等の周りには、ゲリエのパワーを活かして集められたと思われる、公園のベンチやゴミ箱が並べられている。


 「……そらよ! 喰らいな!」


 カムイ達の通過を見届けたゲリエは、追いすがるボロニン達にベンチとゴミ箱を転がし、相手の進路を塞いだ。


 「こんなもの……はああぁっ……!」


 公園に近づき、地盤が若干柔らかくなっている事を確信するライザ。

 彼女はすかさず左足の地殻魔法を発動させ、細かな振動で強引に障害物を取り除き、通路を確保する。



 「……来たぞ! 全員無事だ!」


 ハインツの合図とともに、一斉に臨戦態勢に入るチーム・バンドー。

 

 事情を話し、フクちゃんは警官達の車に保護された。

 本来ならば、彼女こそが最強なのだが……。


 「ひいぃ〜! 何とか逃げ切れたな!」


 「グッジョブ! 木陰で少し体力を回復させて!」


 肩で息をし、公園に滑り込むカムイとレディーを労うクレア。

 2人の穴を埋める為、ボロニンにはバンドー、ハインツ、ミューゼル、ゲリエの剣士4名が、ライザにはリンとハッサンの魔導士2名、イバノビッチには彼の捕獲に燃えるシルバと、火炎魔法で拳銃を暴発させる事が出来るクレアがそれぞれ対峙する。


 

 「シルバ、俺の居場所を奪ったてめえだけは許さねえ!」


 自分からシルバの間合いに割り込んだイバノビッチは、己の美学に乗っ取ってナイフを構えた。


 しかしながら、シルバも相手のナイフに2回もやられる事はないだろう。

 彼もナイフは持っているが、まだ素手で戦う決意を緩めてはいない。


 

 「貴女にはまだ、未来があるはず……こんな事はやめて下さい、はああぁぁっ……!」


 リンの瞳が妖しく光り、その蒼白い光が噴水の水とクロスした瞬間、蛇の様な水流が渦を巻き、ライザへと襲いかかった。


 「フッ、いくら水流が強くとも、滝を飛び越えてしまえば水は無力……何っ!?」


 「どうりゃあぁ!」

 

 地殻魔法のパワーでリンの水魔法をかわそうとしていたライザに、ハッサンが突如として覆い被さる。

 自身が瞬殺ノックアウトされた手口を、リンに繰り返させる訳には行かない。


 「ハッサンさん! そのままだと水魔法に巻き込まれます! 離れて下さい!」


 「……な〜に、心配するな。少しの間呼吸が出来なくても、この小娘よりは俺の方が心肺が丈夫だからな。おっと、ダジャレじゃないぜ!」


 余裕すら感じさせるハッサンの態度は、空中からの水魔法に地面を揺るがす地殻魔法は通用しないという読みから来ている。

 だが、ライザはそんなハッサンを上半身に抱えたまま、更なる大ジャンプに挑んだ。


 「……舐めるなっ……!」


 ボロニンの負傷時には、彼を抱えて戦線を脱出したライザ。

 ハッサンが全体重をかけていたとしても、彼女の魔力とフィギュアスケートで鍛えた集中力は、その力を遥かに凌駕(りょうが)していたのである。


 「どわああぁっ……!」


 再び地面に叩きつけられるハッサン。

 正直、これはかなりカッコ悪い。


 「……女の華奢な身体なら、本気を出さずともこの左足1本で再起不能だろう。運が悪かったな……」


 「……さあ、それはどうでしょうかね……?」


 リンの水魔法を空中でかわし、そのまま急降下するライザを目の当たりにしても、リンの冷静さは変わらない。

 彼女は上着のポケットからミューゼルの壊れた双眼鏡を取り出し、レンズの穴に鈍く光る両目をあてて風魔法を送り込んだ。


 「……何だと!? あううっ……!」


 双眼鏡のレンズの穴の形に細く凝縮されたリンの風魔法は、ライザの顔面を正確に居抜き、バランスを失った彼女はハッサンと同じ姿勢で地面に叩きつけられる。


 「……くっ、こんな相手に……」


 背中を強く打った事で息が詰まり、立ち上がる力を失っているライザ。

 体力が回復したハッサンは、リンとともに彼女の足首をクロスさせ、地殻魔法の大ジャンプを封じて拘束した。


 

 「……せいっ!」


 ボロニンのパワーと威圧感に押され、普段とは異なるガード主体の戦いを余儀なくされるハインツ。

 バンドーとゲリエは得意のラグビータックルでボロニンのバランスを崩したい所だが、長身でリーチの長いボロニンの間合いに潜り込み、更に上からの剣を避ける事は容易ではない。


 「上がダメなら、下から行くぜ……どりゃあぁ!」


 重心を下げたついでにボロニンの(すね)当てを確認したハインツは、攻撃のターゲットを下半身に変更する。


 「……くっ!」


 4人の敵を前にして緊張感が途切れず、徐々にスタミナを消耗してきたボロニン。

 彼はハインツの攻撃を最小限の動きでかわす為、左足だけを後ろに下げた。


 「……ゲリエ、今だ!」


 ボロニンがバランスを崩した瞬間を見逃さなかったバンドーは、ゲリエとともに2人分のヘビー級タックルをお見舞いし、その勢いで相手を地面に這わせる事に成功する。


 「バンドー、ありがとよ! これで勝負ありだぜ!」


 ハインツは意気揚々とボロニンに飛びかかり、胸の防具を破壊して相手の呼吸を制限する決め討ちに入った。だが……


 「甘いな、ティム・ハインツ。だからお前は未だに10位なのだ!」


 「……何いっ……!?」


 ボロニンは右手に握り締めたメインの剣を捨て、左手で予備の短剣を素早く引き抜く。

 そのスピードにハインツのとどめの一撃は追い抜かれてしまい、逆にボロニンの短剣がハインツの胸の防具を破壊する。


 「……くっ……がはっ!」


 「ハインツ!?」


 ハインツが胸の防具を破壊される瞬間は、その剣士キャリアの中でもそうそうお目にはかかれない。

 防具の破壊とともに呼吸が圧迫され、更に短剣の先が胸に刺さり、わずかな出血とともにハインツはもんどり打ってその場に倒れた。


 「……畜生、俺が相手だ!」


 ハインツのピンチを目の当たりにし、異様なテンションに支配されたバンドー。

 実力的に厳しい相手に、敢えて立ち向かおうとしている。


 「……や、やめろバンドー、お前じゃ無理だ!」


 ハインツは胸を押さえながら、声を振り絞ってバンドーに警告する。

 その姿に、疲労を押してカムイも現場に駆けつけて来た。


 「……やってみなくちゃ分からない! 俺達を相手にして、ボロニンだって肩で息をしているじゃないか!」


 膝を着きながらも、どうにか立ち上がったボロニンと剣を交えるバンドー。

 疲労の色が濃い今のボロニンであれば、パワーに限定してバンドーにも勝機はある。


 「喰らえっ……!」


 不器用だが、バンドーの本気の全力がその剣に乗り移る。

 ボロニンは短剣を使わざるを得ない事情もあり、その一撃一撃を受け止めるのが精一杯だ。


 「くっ……このパワー、ランキング97位の男のものではない……だが、俺はこんな所で負ける訳にはいかんのだ! うおおぉぉっ……!」


 キイイィィン……


 最後の力を振り絞ったボロニンのパワーは、バンドーの剣をその手から弾き飛ばす。

 剣を失い、丸腰になったバンドーは絶対絶命のピンチに陥る。


 「……ここまで来て、ようやくひとり目か……。だが、俺は諦めん。お前らを皆殺しにするまでは、俺の戦いは終わらない……!」


 バンドーに向けて振り降ろされる、ボロニンの短剣。

 万事休すのバンドーは、咄嗟に自身の手足に意識を集中させていた。


 「……来た!」


 バンドーの額が蒼白い光を放ち、その眩しさに一瞬短剣の動きが止まるボロニン。

 その隙を見逃さず、バンドーは魔力を宿した右足の全力ローキックを、ボロニンの右脛に叩き込む。


 「でええぇぇいっ……!」


 想像を超えるパワーを秘めたバンドーのキックは、ボロニンの脛当てもろとも右脛を破壊した。


 「ぐわああぁぁっ……!」


 ボロニンは想定外の激痛に雄叫びを上げ、再び地面に倒れ込む。


 「バンドー、大丈夫か!?」


 呼吸と疲労が回復したハインツとカムイが駆けつけたものの、一気に魔力を使い果たしたバンドーは動く事が出来ない。

 ボロニンは這いつくばる様に短剣を地面に刺し、最後の一撃をバンドーに加えようとしていた。


 「……おっと、そこまでですよ!」


 バンドー達とボロニンの間にすかさず割り込んだミューゼルが、動くのもやっとのボロニンの喉元に剣を当てる。

 これでようやく勝負あり。


 「……小僧、またお前が最後か……」


 「……貴方とは、縁がありますね……」


 偶然にも、ボロニンの突進を2度に渡って止めたのはミューゼルだった。

 

 

 「ライザ! ボロニン!」


 2人の仲間を失い、たったひとりになってしまったイバノビッチ。

 

 それでも、彼のモチベーションはあくまでもシルバへの復讐。

 ナイフごと右手をシルバに掴まれながらも、徐々に相手を押し込んでいた。


 「イバノビッチ、お前は利用されているだけだ! 警察に投降して、薬物依存症を治す道を探した方がいい!」


 長い力比べに痺れを切らし、クレアも剣を抜いてシルバを援護しようと試みるものの、シルバの強い意思が感じられるその目力に、彼女は圧倒されている。


 「しゃらくせえ!」


 力比べではらちが明かないと、イバノビッチは膝蹴りで活路を見出だそうとする。

 両者の身長差から、彼の膝蹴りは偶然にもシルバの股間に打ち込まれた。


 「……がっ……!?」


 クレアには理解不能な激痛にうずくまるシルバ。

 イバノビッチは一気攻勢とばかりに、シルバの腹部を大きく蹴り上げ、相手を地面に大の字に転がす。


 「くっ……やめなさい!」


 1対1の男の戦いに、出来るだけ水は差さない主義のクレアも、流石に看過する事は出来ない。

 咄嗟にイバノビッチに詰め寄り、彼のナイフを剣で弾き飛ばした。


 「クレアさん、すみません……でやああぁっ!」


 痛みを堪えて立ち上がったシルバは、まだ十分に腰は入らないものの、ローキックを立て続けにイバノビッチの下半身に叩き込む。


 「……畜生! くおおぉっ!」


 ドラッグの力で痛みは抑えられていても、格闘技を日常としていないイバノビッチのスタミナには限度がある。

 足元がふらつき、彼はそのままうつ伏せで地面に倒れ込んだ。


 「チーム・バンドーの皆さん! たった今DNA鑑定の結果が出ました! ボロニンはクロです! 3人の逮捕にご協力します!」


 ようやく警察の助太刀が得られ、一気に包囲されるボロニン、ライザ、そしてイバノビッチ。

 

 後はイバノビッチに手錠をかけるだけ……。

 シルバが彼を背後から起こそうとした瞬間、イバノビッチの胸からこぼれる鈍い光沢を、クレアは見逃さなかった。


 「シルバ君、危ない! 銃が見えるわ!」


 「……へっ、死ねよシルバ!!」


 最後の力を振り絞り、イバノビッチはシルバに銃口を向ける。

 シルバが驚く間も与えず、既に引き金は引かれてかけている。


 「あああぁぁっ……!」


 感情を一気に高め、火炎魔法を発動させるクレア。

 イバノビッチの拳銃が弾丸を押し出す瞬間、火花が増幅し、彼の手元で拳銃は暴発した。


 「ぎゃああぁぁっ!」


 顔面に火傷を負い、暴発した弾丸の破片で手首を負傷するイバノビッチ。

 噴水を利用したリンの水魔法が拳銃とイバノビッチを冷却し、こうしてロシアからの刺客の敗北が決定する。



 

 「……さあ、あんた達の上司を紹介して貰おうか。ジルコフ大佐で間違いないか!?」


 体力が回復したバンドーは、手錠をかけられたボロニンを尋問し、ジルコフ大佐を追い詰める証拠の収集に取り掛かった。


 「……フッ、身の安全が保証されるまで、迂闊な事は口にしない主義でね……ライザ、端末を渡してやれ!」


 ボロニンの指示を受け、両足を拘束されながら両手が空いているライザは、バシンから貸し与えられた軍人用の端末を明け渡す。


 「……この端末は……!」


 馴染みのある端末を目の当たりにし、軍部の関与を確信するシルバ。


 「……軍の上層部は、既に回線を変更して自己保身に走っているだろうな。だが、バシンという男とだけは連絡が取れるだろう。奴だけお(とが)めなしなのは(しゃく)にさわる」


 「よし、早速逆探知だ!」


 ボロニンの告白を受け、もうひとりの重要参考人であるバシン拘束の為、慌ただしく動く警察。

 しかしその一方で、大地から足を離されてしまったライザが微力な魔法を使い、ボロニンの投げ捨てた剣を自らに引き寄せている事に、周囲は気づいていなかった。


 「……ライザは殺しに関与していない。俺の言う事を聞いていただけだ。両親も彼女を捜索している。俺はこの足だ、もう逃げられん。まだ若く、未来のあるライザの罪だけは軽くして欲しいものだな……」


 本音か、それとも演技か。

 脛を骨折したボロニンは諦め気味に視線を落とし、ライザの将来を懸念している。


 「セルゲイ様、逃げましょう! 武闘大会には出られなくとも、私達の戦いはまだ終わっていません! 生きるという戦いが……!」


 覚悟を据えた、迷いのない瞳。

 周囲の目を盗んで、ボロニンの剣で両足の拘束バンドを断ち切ったライザは、自らしっかりと大地に立っていた。


 「……しまった、油断した!」


 ライザの拘束を担当したハッサンとリンは、慌てて彼女の前に立ち塞がるも、ライザの左足から地中に潜り込む蒼白い光は、瞬く間に大地を激しく揺さぶる。


 「うわああぁっ……!」


 これまで以上の想いを注ぎ込んだ、ライザ渾身の地殻魔法が局地的な大地震を生み出し、周囲が地面に伏している瞬間、ボロニンの手錠は素早く切断された。


 「私が……私があなたの足になる!!」


 互いに感極まり、熱い抱擁を交わしたままのライザとボロニンは、地殻魔法を利用して空高く舞い上がる。

 半ば絶望的な、最後の逃避行に全ての望みを託して……。


 「緊急手配だ! 陸、海、空、全ての通路を塞げ!」


 総力を結集し、ボロニンとライザの逮捕を誓う警察。

 激動の事態に、バンドー達はすっかり冷静さを失っていた。


 「……大変! イバノビッチもいないわ!」


 クレアが気づいた時には既に、両手に手錠をかけられたまま、前のめりに転がる様に混乱を抜け出していたイバノビッチ。

 彼はジルコフ大佐直属の部隊が警備を行っている、EONP会館裏の第4倉庫を目指してひたすらに走り続ける。


 「第4倉庫……第4倉庫だ……。ここなら俺を、助けてくれる……!」


 ボロニンとライザを警察に任せ、シルバを先頭にイバノビッチを追跡する賞金稼ぎ達。

 だが疾走虚しく、イバノビッチはタッチの差で第4倉庫に吸い込まれていた。


 「……イバノビッチだな。ジルコフ大佐の命令だ。貴様の役目は終わった。あの世でゆっくり休むがいい」


 息も絶え絶えに第4倉庫に駆け込んだイバノビッチを待っていたのは、上司からの非情な通知。


 「……そ、そんな……嘘だろ……!」

 

 絶望に激しく首を横に振る彼の最期の叫びは、部隊が構えるライフルの銃声に掻き消されていた。



 7月2日・12:00


 アムステルダムから派遣された、賞金稼ぎ組合の職員がブリュッセルに合流。

 警察を交えて、今回の仕事の総括が行われている。


 ボロニンが放棄した軍人用の端末から、彼等の通信を待っていたバシンはいとも簡単に摘発され、東南アジアへのドラッグ密売の重要参考人としての拘束が許可された。


 とは言え、ジルコフ大佐には絶対的な忠誠を誓うバシン。

 自らが全ての罪を被り、ほとぼりが冷めた頃にポストを用意された保釈の警戒をしなければならない。


 どうにかしてジルコフ大佐の関与を立証する為、警察は威信に懸けてボロニンとライザを捜索している最中だが、残念ながら彼等は未だ逃走を続けている。


 一方、EONP会館の第4倉庫に侵入し、警備の軍人により射殺されてしまったイバノビッチに関して、軍が声明を発表。

 その内容は、「要人の会議場に無断で侵入し、加えて違法薬物の反応が顕著だった不審者は軍の法規により射殺が許可される」だった。

 

 こうして事件の重要参考人のひとりが消され、イバノビッチを救えないどころか、ジルコフ大佐の保身を許してしまったシルバ。

 彼は彼なりにベストを尽くし、バンドー達に励まされてはいたものの、深い自己嫌悪に陥っている。



 「……リンさん、貴女は新しい風魔法を難なく使いこなし、更に今回はバンドーさんの魔法も引き出しました。人間として、堂々トップレベルの魔導士ですね。感服しました」


 今回バンドーの妹役に徹していたフクちゃんは、リンの複雑な胸中を見抜きつつ、彼女の仕事に於ける貢献を称えていた。


 「……私がライザさんをしっかり見張っていれば、もっと穏便に仕事は終わっていたはずです。シルバ君の役にも立てていたとは思えないし、色々と後悔もありますよ……」


 伏し目がちに言葉を絞り出すリン。

 しかしながら、その表情には何処か安堵にも似た感情が滲み出ている。


 「……ボロニンさんとライザさんのした事は、間違いなく凶悪犯罪です。2人は早く自首して、真実を話す義務があります。……でも、あんなに真っ直ぐな信頼で結ばれている2人が、罰を受けて引き裂かれるのは悲しい……。許されない事ですけど、出来るだけ長く逃げ延びて欲しいと思う、そんな私もいるんです……」


 読書家のリンだけに、ドラマティックな恋愛に憧れがある事は確かだろう。

 だが、ボロニンもライザも、様々な困難の中、純粋に自分自身の価値を探し続ける旅人だった。

 

 彼等のその旅は間もなく第1幕を終えるかも知れないが、第2幕は存在しない。

 絶対に存在しない。


 「……私は神族ですから、凶悪犯罪を犯した者に(ゆる)しが必要であると考えた事はありませんし、これからも考えはしないでしょう。でも、その無駄な優しさや甘さは、ある意味貴女の魅力です。いつまでも、なくさないでいて欲しいと思います……」


 全てを包み込む様で、全てを突き放す様な、女神としてのフクちゃんの「あるべき姿」。

 言葉に出来ない想いを汲み取って貰えたリンは、泣いている様で、微笑んでいる様な、そんな熱い感情を、フクちゃんの頭を撫でる指先に込めている。

 

 「……ありがとう、フクちゃん……」


 ブリュッセルの雲間から覗く太陽が、互いをいたわるリンとフクちゃんの姿を照らす。

 姉妹の様に見慣れたこの光景も、今日ばかりはいつもとは少し違う、深い余韻を大地に与えていた。



  (続く)

 

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