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バンドー  作者: シサマ
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第57話 レジェンド剣士の真実


 6月29日・9:00


 テロリストと汚職警官の妨害に怯む事なく、囚人パパドプロスをスペインに移送する事に成功したアテネ警察の巡査部長、ニコポリディス一同。

 彼等に協力したチーム・バンドーとチーム・カムイは、それぞれシルバとカムイをニコポリディスの援軍に派遣し、2人の帰還まで自由行動を取る事が決定していた。


 

 「ケンちゃんからの連絡によると、パパドプロスのスペインでの収容先がまだ未確定らしい。だからケンちゃんのお義父さん達がいる警察の特殊部隊が、間に入って調整してくれるみたいだね。いつ帰れるかは2〜3日中に俺とハッサンへ連絡するってさ」


 「ロドリゲスさん達が一緒なら安心ですね。私、オランダは初めてだから楽しみです!」

 

 シルバとカムイのタフさ、そして特殊部隊の実力を熟知するバンドーは、彼等の無事を信じて疑う事はない。

 彼の報告を受けるまではシルバの身を案じていたリンも、ようやくオランダを満喫する準備が整う。

 

 「特に期待していなかった警察からの謝礼も貰えるみたいだし、あたし達もカムイに振り回されたけど、損はしなかったわね。まあ、やれやれって感じよ」


 捕物帖から一夜明け、ここ数日の疲れがどっと出たレディーのお肌はメイクの乗りがいまいち良くない。

 しかしながら、テロリストと汚職警官を撃退したニコポリディス一同、そして賞金稼ぎチームは一夜にしてアテネの人気者となり、治安改善のお礼として残り2日分の高級ホテルのキャンセル料は免除された。


 「バンドーさん、アテネにある『オリンピア技建』って建設会社の人事部長が、昔スコットさんの弟分だったそうです! 会社の作業場がここから歩いて10分くらいですから、多分スコットさんと仕事仲間ってのはそこにいますよ!」


 「お!? ミューゼル、仕事が速えじゃねえか! 俺達は細かい情報収集はシルバとリンに頼りっきりだったからな。いなくなって分かる2人のありがたみだぜ」


 偶然にもシルバとリンの穴を埋めてくれる生真面目なキャラクター、ミューゼルの同行に感謝するハインツ。

 オランダ組にもリンが入り、戦いに強いだけでは優れたチームは作れないという現実を、その場に居合わせた全員が実感していた。


 「……しかし、昨日とはうって変わって肌寒いな。地中海の夏でこんなに寒い日は久しぶりだよ」


 友人の結婚式に出席する為、単身フランスへと向かうゲリエ。

 元プロラグビー選手らしい、ずんぐりとした屈強な体格の彼が寒さに震える様は、何処か滑稽(こっけい)に映る。


 「ゲリエ、気を付けろよ。お前なら心配は要らないと思うけど、ギリシャの治安が悪いのは本当らしい」


 アテネの繁華街、時刻は朝の9:00。

 

 本来ならば老若男女がごった返していても良さそうな時間帯でありながら、目に見えるのは定職も得られずにギラついている男達ばかり。

 バンドーは辺りを見回した後、絆を深めた友を気遣っていた。


 「バンドー、気を付けるのはお前の方だぜ。奴等の目からは俺はマフィア、お前はお気楽な観光客に見えているだろうよ」


 剣と防具をスーツケースにまとめ、黒のスーツでキメているはずのゲリエが全く堅気に見えず、剣と防具に身を包みながら、頭に野良猫を乗せて遊ぶバンドー。

 相手に与える緊張感がまるで違う。


 「それじゃあバンドー、スコットさんに宜しくね! 危なくなったら早くギリシャから出た方がいいわよ!」


 手を振るクレアの姿を最後に、互いの目的の為に別行動を始める一同。

 もっとも、バンドー、ハインツ、ミューゼル、そしてフクちゃんの4人は、ホテルから真っ直ぐ10分程歩くだけのお手軽コースだ。



 「誰か、つけている様ですね……」


 フクちゃんは極力小さく、しかし隣のハインツには聞こえる音量で背後の状況を(ささや)く。

 

 彼女の能力をもってすれば、既に全貌は掴めているだろうが、40歳くらいに見える2名の男が、パーティーの背後10メートル程度の距離を維持したまま尾行しているのである。


 「……まあ、俺達のファンって感じには見えないな。今の所襲いかかる様な素振りはねえし、たかだか2人だ。気にするこたあねえさ」


 周囲では、剣や銃を持っていそうな人間は見ていない。

 せいぜい護身用のナイフ程度の武器を持つ男が2名いたとして、パーティーが恐れるには価しない。

 ハインツはそう確信していた。


 「……あ、バンドーさん! クレーン車が見えました! 多分あそこです!」


 ミューゼルの指差す方向は、現在パーティーが歩いている道から見て右隣の通り。

 

 歓楽街やオフィス街から距離を置き、騒音や粉塵に配慮したと思われる高い壁。

 ここから覗くクレーンに、オリンピア技建のスペルを示したアルファベットがなければ、何の気なしに通り過ぎてしまっていても不思議ではない。


 「……やっぱりあそこだ! おい、あんたらありがとよ!」


 突然、背後から大声が鳴り響き、先程までパーティーを尾行していた2名の男が、全力で作業場へと駆け出して行く。

 どうやら、彼等はスコットの従業員募集の応募者らしい。


 「……あれ? 何だ、求職者か。場所が分からなくて、俺達がスコットさんの話をしていたのを聞いたんだな」


 良い意味で拍子抜けしたバンドーだったが、取りあえず自分達が求職者の役に立った満足感からか、パーティーの面々は一様に穏やかな笑みを浮かべていた。


 

 「……ん? バンドー君じゃないか!」

 

 オリンピア技建の作業場正門に回ったパーティーは、早速スコットの目に留まり呼び止められる。


 「……あ、スコットさん。こちらの用が終わったんで、覗きに来ちゃいました。よく気付いてくれましたね!」


 いくら知り合いとは言え、本来自分達には関係のない仕事。

 スコットから声を掛けて貰えなければ、パーティーはただの野次馬扱いなのだ。


 「……よく気付いたも何も、剣と防具に身を固めた上に、頭に野良猫を乗せている男が目立たないはずはないだろう?」


 「みゃ〜」

 

 無邪気に挨拶する野良猫を前にして、たまらず爆笑を抑えたスコットはバンドーに歩み寄る。

 そしてその背後には先程の男達と、作業着に身を包んだ社員らしき男性の姿。


 「ダグラス・スコットさんですね! 僕はアレクサンダー・ミューゼル、貴方の大ファンです!」


 自身の目標でもあるレジェンド剣士、スコットを前にして、思わず舞い上がるミューゼル。

 

 スコットは家庭を持ち、自身の故郷であるスコットランドのグラスゴーに建設会社『GS(グラスゴー・スコット)コーポレーション』、そして恵まれない子ども達の為の孤児院を設立した40歳の時、剣士の第一線から身を退いている。

 

 しかし、それまで10年以上剣士ランキングの1位を譲らず、人間性の悪評も聞いた事がない、まさにレジェンド中のレジェンド。

 賞金稼ぎの地位を引き上げた功績を含めて、目標を持って剣術に打ち込んで来た者なら誰もが一度は憧れる存在なのだ。


 「こんな広い作業場を使うのに、2人しか応募者が集まらないんじゃ、レジェンド剣士の苦労が報われないよな……」


 思わず漏れたハインツの本音に、スコットは勿論、彼の隣にいる社員らしき男性も苦笑いを浮かべている。


 「ええ……。今日はいつになく肌寒いですから、これから遅刻して来る応募者がいると信じたいですね。しかし、そもそも集合時間は9:00と伝えていますから、最初に到着した彼等でさえ15分の遅刻ですよ。……あ、はじめまして! 私はオリンピア技建の人事部長、チャーラルです。皆さんの事は、スコットさんから聞いていました!」


 チャーラルと名乗る男性はそれなりの地位にあり、口調こそ紳士的だが、その表情にはやや落胆の色が窺えていた。

 

 「……罪を犯した人に再出発のチャンスが与えられたのに、面接に遅刻したり、寒いからってサボっちゃったりとかしたら、やっぱりワルはだめだなって、なっちゃいますよね……」


 バンドーの妹という設定とはいえ、ひとり蚊帳の外扱いになってしまったフクちゃんが、自身の役割に相応しい正直な意見で場の空気をまとめる。


 「……そうなんですよね。ワルだった頃は皆、自分勝手に生きてきたのでしょう。私も若い頃は、そんな生き方に憧れましたよ。でも、出直したい気持ちがあるなら、最低でも遅刻の理由を電話で知らせるくらいの礼儀は持って欲しいですよね」


 チャーラルの落胆ぶりに肩身が狭くなり、うつむいてしまった2人の中年男。

 だが、彼等は遅刻こそしたものの、ちゃんと再出発の意思を見せているのだ。

 

 「まあまあ、この2人はちゃんと履歴書も送っていたし、持病なし、酒やドラッグの常用なしという記載が本当なら、ほぼ内定だよ。勤務先は私の地元のグラスゴーになるが、大丈夫かな?」


 「……は、はい、ありがとうございます!」


 出来るだけ威圧感を感じさせない様に、作業場へ駆けつけた男達のやる気を汲み取るスコット。

 これまで数多の前科者を更生させてきた彼の眼力は、この2人の社会復帰に脈があると期待している。

 

 「それではまず、事務所に入って面接と基礎講習を受けて貰います。午後からは簡単な作業実習を行い、体力や判断力に問題がなければ採用です。その後の待遇は、オリンピア技建とは無関係ですので、あなた方の上司となるスコットさんに相談して下さい……」


 「……スコットさん、オリンピア技建にはあなたの弟分がいると聞きましたが、あの人なんですか?」


 バンドーは、いち社会人として責任のある業務も完璧にこなすチャーラルがスコットの弟分であると、にわかには信じられずにいた。


 レジェンド剣士たるスコットの弟分であれば、元来剣術か格闘技、或いは魔術でそれなりの実力を持っているはず。

 だが、目の前の男性社員は体格的にも一般人レベルで、その物腰にも修羅場をくぐった雰囲気は全く感じられない。


 「うむ、確かに今の彼は堅気100%だな。チャーラルはもともとトルコ出身で、私がここアテネで初めて出た武闘大会で仲良くなった、あのギネシュのファンだったんだよ。小さな建設会社の息子だったんだが、スパルタ親父が嫌で家業を継がず、自由気ままな賞金稼ぎになりたがっていた。私が武闘大会で優勝したからなのか、弟子にしてくれと頼まれてね」


 若く血気盛んだった、30年も昔の話を懐かしく振り返るスコット。

 まだ社会的な地位が低かった賞金稼ぎ同士を戦わせる事で、かつてのコロッセオの様な観光コンテンツを生み出そうと考えたのは、他でもないここギリシャだったのである。


 「まあ、私は弟子など必要なかったんだが、チャーラルは家柄のせいか手先が器用で、防具の修理も剣を研ぐのも上手かった。仕事も順調だったから、弟子というより便利屋として彼を雇い、コンビを組んでいたんだよ。5年もね」


 「へえ……!」


 「みゃあ……!」


 孤高な雰囲気を漂わせるスコットの、意外な一面。

 バンドーの感嘆はそのまま頭上の野良猫に伝染し、その一体化の光景はフクちゃんの目にも懐かしく映っていた。


 「30近くに今の妻と出会い、やがて結婚を決めると、チャーラルまで雇うのは環境や金銭的にも難しくなった。だが、彼もその頃には大人になっていて、堅気の仕事に戻ってもいいと考えていたんだ。まあ、実家のスパルタ親父は怒って彼を勘当していたから、トルコじゃなくてギリシャの企業に就職したんだがね。とんでもない親不孝者だよ」


 チャーラルとの過去を豪快に笑い飛ばしてみせたスコットだが、話を聞く限り、建設業としてはチャーラルの方が先輩。

 自身の建設会社設立の際には、かつての相棒の尽力があった事は想像に難くないだろう。


 英雄を支えているのは、普段は讃えられる事のない普通の人間である。

 バンドーは勿論、ハインツやミューゼルも、このエピソードを地位や大金だけで良縁は得られないという、人生の教訓にしたはずだ。

 

 

 「……スコット、いきなりで悪いんだが、俺も剣士として、あんたと一度戦ってみたい。多分、ここにいるミューゼルもな。次の応募者が現れるまで、軽く手合わせ出来ねえもんかな?」


 無礼を承知の上で、スコットにスパーリングを申し込むハインツ。

 

 スコットが飛び入りの挑戦者に備えて、旅先にも剣を持参している事は誰もが知っている。

 加えて、今日が身体を動かしたくなる程の肌寒さである事から、彼等にとっては今こそが最大のチャンスだと認識しているのだろう。

 

 「……そうだな、昼の作業実習までには身体を温めたいし、悪くない提案だな。だが、ハインツ君はゾーリンゲン大会のMVP、ミューゼル君は新人王。バンドー君も審査員特別賞なんだろう? 私はレジェンドと持ち上げられてはいるが、もう50歳を過ぎた下り坂。君達の期待に応える事が出来るかどうか……?」


 謙遜する素振りを見せつつも、自身をリスペクトしてくれる若い世代からの挑戦は新しい刺激が得られる事もあり、どうやらまんざらでもない様子のスコット。

 ハインツのミューゼルの胸が高鳴った、その時……。



 ブオオォォッ……


 コーナリングのブレーキを踏む事もなく、広い作業場にノンストップで突入してくる1台の高級車。

 

 オリンピア技建の役員でも手が出せないレベルと思われる、美しい光沢と凄味を放つ長いボディー。

 更に、そこには髪の毛1本分の傷すらついておらず、一見乱暴な運転に見えるドライバーのテクニックは相当なもの。

 

 「……何だ、マフィアか!?」


 テロリストと汚職警官を撃退した昨日の今日だけに、謎の高級車の乱入に剣を抜いて身構えるバンドー、ハインツ、ミューゼル。

 そしてスコットも、事務所に置いてある自身の剣をすぐに出せる準備の為、携帯電話でチャーラルに連絡する態勢を整える。

 

 しかし、停まった車から姿を現したのはマフィアではなかった。


 「……おっと、無礼な真似をしてすまない。俺もスポンサー代表として、スコット氏に協力させて貰いに来たよ」


 「お前……まさかメナハムか!?」


 フェリックス社がスコットに協力を申し出た時、その若者の登場はある程度予想されていたものの、型破りなパフォーマンスに驚愕の表情を隠せないハインツを前にして、メナハムは余裕の笑みで対応。

 

 「……チーム・バンドーの……ハインツだな? 面と向かうのは初めてだが、髪を切った俺を判別してくれて光栄だよ」

 

 イスラエルから世界規模の活動をスタートさせ、瞬く間に当代随一の若手剣士にのし上がったフェリックス社の第2御曹司、メナハム・フェリックス。

 

 ゾーリンゲン武闘大会当時のモヒカンヘアーを剃り落とし、修行僧の様な坊主頭に被さる野球帽とパーカースタイルは、21歳という年齢もあってやんちゃなストリート・キッズ風。

 半ばファン気質のお忍び参加であるが故、部外者に正体がバレにくいこのファッションを選択したのだろうが、全く忍んでいない登場の仕方は、根回しが慎重な兄ヨーラムとはある意味対照的だ。


 「……メナハム君、君達の尽力でギリシャ全土に告知出来た事を感謝するよ。だが、テレビクルーはテロの被害に遭い、20名の問い合わせがあった応募者も、来たのは2名だけなんだ……すまないね」


 自分に出来る事が限られる中、仕事には誠意と情熱を傾けてきたスコットからの謝罪に、複雑な表情を浮かべる一同。

 

 マノラスらテレビクルーの犠牲は、元を正せばフェリックス社の息のかかったテロリスト、エディ・マルティネスの暴走によるもの。

 裏稼業の犯罪に関与していないメナハムに直接の責任はないが、既に剣だけで自立出来るレベルになっている彼は、フェリックス社の看板を背負い続ける事への覚悟が、いよいよ問われる段階に入っているのだ。


 「……スコットさん、貴方の責任ではありませんよ。俺が車を飛ばしてここに来た理由は、貴方の下で仕事がしたいという人間が剣術ショップで俺にコンタクトしてきたからなんですよ。ひとりだけですが、後ろの座席に乗っています。よし、降りていいぞ!」


 敬愛するレジェンド剣士、スコットにはきちんと敬語を使うメナハムに促され、高級車の後部座席から薄汚れた格好の中年男性がその姿を現す。

 右足が伸びきった様な歩き方がやや不自然だが、身なりの割りにはしっかりとした体格である。

 

 「はて……? 求職なら私の会社かオリンピア技建に、電話か履歴書を郵送する事になっていたはずだが……?」


 今回の件はアテネで、いや、少なくともギリシャで生活をしていれば情報を得られているはず。

 いまいち合点の行かないスコットは顎に手をあて、眉間にしわを寄せていた。

 

 「それすら知らない、他の地域からの流れ者なのでしょう。見た目はラテン系の様ですしね。ただ、昔賞金稼ぎをやっていて、体力には自信があると豪語していましたよ」


 「ラテン系、昔賞金稼ぎ……もしかして……?」


 タイミングと条件が、余りにも揃い過ぎている。

 バンドーとハインツはとある人物を思い浮かべ、足下の野良猫をフクちゃんに預けて再び剣に手をかける。


 「……私がダグラス・スコットだ。君の名前は?」


 バンドーやハインツと同じ事を考えていたスコットは、警戒しながらも中年男性に歩み寄り、その風貌をまじまじと眺めた。


 「……フリオ・エルナンデス……」

 

 その男はうつ向きがちで、黒ずんだ顔の表情は確認出来ないものの、浅黒く日焼けした手足や、伸びっぱなしの無精髭も似合ってしまうバランスは確かにラテン系の雰囲気。

 一方でストレートの長髪白髪頭は、ラテン系としては少々違和感を感じてしまう。

 

 これはカツラだ。

 恐らく変装だ。


 「……エルナンデス君とやら、その頭はカツラだね。長い髪は実習の邪魔になるから、悪いがカツラは取って、顔を上げてくれ」


 スコットに変装を見抜かれた、いや、変装したと見抜いて貰えたその男は勢い良くかつらを投げ捨て、炭でわざと汚していた顔を上着の袖で拭き取り、不敵な笑みを満面に浮かべる。


 「久しぶりだな、スコット! 今日が最後の決戦だ! 俺が勝利して、永遠に勝ち逃げする!」


 バンドーとハインツ、そしてスコットの悪い予感は的中した。

 

 この男の正体はダニエル・パサレラ。

 スコット、ギネシュと並ぶレジェンド3剣士のひとりであり、確かな実力と熱い正義感を持ちながら、剣士人生の大半を打倒スコットに捧げてきた執念の男。


 スコットやチャーラルを通せば、彼が門前払いされるのは確実。

 

 チーム・バンドーに接触した所で、説得されてスコットと隔離されるのがオチ。


 スポンサーとしてスコットに尽力するメナハムに近づく事だけが、彼の悲願達成への道だったのだ。


 

 「なっ……お前、俺を騙したのか!?」


 スコットへの無礼と、自身が道化にされた現実を徐々に理解し、激しい怒りがこみ上げるメナハム。


 「……フン、よく見ろ! 俺は栄光とは無縁だったが、スコットの陰で何年も2位の座だけは死守してきたダニエル・パサレラだよ! 変装こそしていたが、接触したこの小僧の記憶にさえ残っていない、それが俺の現実なのさ。分かるだろう、この世界の2位に価値などないという事が!」


 やや自嘲的なニュアンスが込められているものの、声も高々に持論を展開するパサレラ。

 スコットに勝ちさえすれば、歪んだ栄光を享受する権利が自らにあるとでも言いたげに……。


 「パサレラさん、あんたはランキングではスコットさんに勝てなかったかも知れない。でも、現役の賞金稼ぎとして、凄い実績と信用があるじゃないか! もっと自分の価値を認めて生きようよ!」


 余計なお世話と知ってはいても、パサレラを説得せずにはいられないバンドー。

 だが、パサレラは彼を振り返る素振りも見せず、スコットを睨みつけたままだ。

 

 「……パサレラ、お前には何を言っても無駄だろうな。だが、今お前は最後の決戦と言った。今日私が勝てば諦めてくれるのか?」


 右足のズポンに隠していた剣を鞘ごと引き抜き、勝手にウォームアップを始めるパサレラ。

 しかしながら、スコットの話はちゃんと聞いており、やや苦虫を噛み潰した様に首を縦に振る。


 「……ああ。残念だが、俺に残された時間は少ない。これから先は、お前を倒せるだけの力は保てなくなるだろう……今日が最後のチャンスだ」


 彼に一体、何があったのか。

 一瞬の静寂に比例した、悲壮なまでの覚悟を感じさせるパサレラのオーラが、周囲から揶揄や嘲笑の言葉を奪っていた。

 

 スコットは彼の本気を理解し、再び携帯電話を取り出す。


 「……チャーラルか? パサレラが来た。とうとう今回が最後らしい。すまんが剣を持ってきてくれないか?」

 


 6月29日・10:00


 チャーラルの指示を受け、スコットに剣と防具を運んできたのは、このプロジェクトの数少ない収穫だったクリーンな前科者である、GSコーポレーションの「新入社員」2名。

 バンドー達にも道案内の礼を言うあたり、前科者とは言っても殺人やドラッグといった凶悪犯罪ではなく、詐欺や窃盗のレベルで済んだ者なのだろう。


 「……よし、この肌寒さだ。パサレラ、お前のラストチャレンジをポジティブなトレーニングと捉えようじゃないか。すまないが、メナハム君とハインツ君はレフェリーをやってくれ。出来るだけ公平に頼むよ」

 

 ここまでのいきさつや、互いの人徳を考慮すると、どうしてもスコットが善、パサレラが悪に見えてしまう。

 だからこそ、いち剣士としての実力のみにこだわったレフェリングを両者が期待していた。


 「ダラダラ続けても意味がないな。5分1ラウンド、10カウント、2ノックダウン、格闘技なしの剣士ルールでいいか?」


 「……ああ、それでいい」


 ハインツの仕切りに両者が納得し、バンドー、フクちゃん、そしてミューゼルも反則の監視に加わる。


 「……フッ、ハアッ……!」

 

 賞金稼ぎを引退して久しいスコットだが、剣という生涯のパートナーとは離れられない。

 ウォームアップでは、プライベートでトレーニングを重ねていたとおぼしき鋭い動きを随所に見せ、いよいよ決戦の時が来た。


 「ファイト!」


 スコットの話しぶりから推測するに、これまで武闘大会といった公式の対戦以外に、パサレラから何度も決闘の押し売りがあったのだろう。

 互いの持ち味を知り尽くしたラストバトルは、大方の予想通り睨み合いから始まっていたが、フットワークを継続しているのはパサレラの方。


 (……こうして見る限り、奴の身体能力に顕著な衰えはない。これからは力を保てないと言っていたが、一体どういう事なんだ……?)


 「……隙あり!」


 待ちの態勢からパサレラの様子を観察していた、スコットが見せる僅かな人情。

 闘争心の欠如を即座に感知したパサレラが、すかさず相手の右膝の防具を狙い撃ちにかかる。


 「……くっ!」


 間一髪、パサレラの攻撃をガードするスコット。

 

 鳴り響く剣の衝突音は、道行く人にとっては建設作業音との違いが分からない。

 世が世なら大金が動いたマッチメイクだが、今は周囲の関心を呼ぶ事もなく、僅かな人間の立ち会いのもと粛々と行われていた。

 

 「どうした!? お前らしくもない……よし、勝てる……勝てるぞ!」


 これまでの対戦とは別人の様に、スコットのカウンター攻撃にキレがない。

 パサレラは一気加勢とばかりに猛ラッシュを仕掛けつつ、時折緩急をつけたアッパースウィングで相手の上半身を起こしにかかる。


 「……す、凄い……! 2人とも50歳を過ぎているなんて、信じられないですよ……!」


 かつてのレジェンド剣士が、例え若干の衰えを見せていようとも、今の自分の実力では到底太刀打ち出来ない……。

 ミューゼルとバンドーは目の前の光景に圧倒され、ハインツとメナハムは闘志が揺さぶられる余り、レフェリーの仕事そっちのけでイメージトレーニングに意識が傾いてしてしまっていた。


 「……フッ、気を揉ませて油断させる作戦とは古典的だな! うおおぉっ……!」


 パサレラへの情けを振り払い、これまで以上の気合いを呼び起こしたスコットは後方へジャンプして間合いを確保し、空に向かって大きく咆哮を放つ。


 「30年前に戻れそうだ! 私もお前も、まだ何も手にしていない若造になれる!」


 「フン、何を今更……!」


 舌戦の傍ら、わざと上体を反らして胸の防具のガードを緩めるスコット。

 

 パサレラはスコットより小柄な為、リーチの面でやや不利な立場にある。

 つまり、相手の上半身に隙が生まれた時は、迷わず前突きで胸を狙うはず……スコットはそう読んでいた。


 剣士ルールでは、相手の胸の防具を破壊した時、その後の展開やダメージは全く関係なく、その場で勝利が確定するからである。


 「だああぁっ……!」


 「……来たな!」


 パサレラをギリギリまで呼び寄せ、彼の全体重が剣先に宿る瞬間、伸びきった両肘の防具を下から斬りかかるスコット。


 「……!? ぐおおぉぉっ!」


 相手の剣の軌道に気付いたパサレラは、自身の両肘を敢えて差し出す形で頭を下げ、前突きから強引に剣を振り降ろし、スコットの膝の防具に目標を改めた。


 「……がはっ……!」


 もんどり打って地面に倒れ込む両者。

 パサレラがスコットを押し倒す形となり、舞い上がる砂埃もあって、ハインツとメナハムは未だ戦況を掴めずにいる。


 「……パサレラ選手、左肘の防具が破損されました! スコット選手、左膝の防具が破損されました! 両者ともに1ポイントです!」


 ただひとり、フクちゃんだけが超人的な動体視力で戦況を把握し、的確なジャッジを宣言。

 彼女に関する情報を一切持たず、その存在すら意識していなかったメナハムは、目の前の少女を思わず凝視していた。


 「……流石はラストチャレンジと宣言するだけの事はあるな。私がここまでお前に押されたのは初めてじゃないか? パサレラ、早く起きろ。続きを楽しもうぜ!」


 これまでやや義務的にパサレラの挑戦を受け、危なげなく彼を退けてきたスコットの表情に、充実の笑みが浮かんでいる。


 

 孤児として育った本人のハングリー精神、そして真摯な努力は勿論あったものの、運命的な才能を持っていたスコットを苦しめる剣士は、同世代に殆ど存在しない。

 剣士デビュー当時のライバル、ギネシュとはやがてその実力差が開いていき、現在では互いを思いやる親友の関係となっていた。

 

 そんな中、2位では終われない執念を長年持ち続け、今なお剣術を磨き続けられる男、パサレラの存在が、自身にとって重要であった事を再確認したのである。


 

 「……くっ、がああぁぁっ……!」


 地面にうずくまり、額に脂汗を浮かべて唸り声を上げるパサレラ。

 その尋常ではない様子に、バンドー達はおろか、フクちゃんが抱えていた野良猫までもその場に駆けつける。


 「どうしたパサレラ!? 肘をやってしまったのか!?」


 自身の攻撃が肘を直撃しただけに、スコットの目には僅かばかりの罪悪感が滲んでいる。

 しかしながら、パサレラを仰向けにさせた瞬間、彼が押さえていたのは肘ではなく腹部だった。


 「……は、腹が……くそっ……!」


 パサレラは青ざめながら、苦悶で表情が歪む。

 彼の手が当てられている部分は、どうやら胃腸の周辺らしい。


 「パサレラ、何があった!? いつから腹が痛いんだ!?」


 30年来の宿敵、スコットに情けをかけられる屈辱に耐えながら、どうにか言葉を振り絞ろうとパサレラは口を開く。


 「……ほんの、2週間くらい前からだ……。胃が締め付けられる様な痛みで、最近は固形の食事が喉を通らない……身体が弱る前に、お前と最後の戦いを……」


 「……おいパサレラ、そいつは胃ガンかも知れねえぜ! あんたの生き方じゃあ、ストレスも半端じゃねえだろうしな。病院には行ったのか?」


 ハインツの冷静な忠告は、この場に居合わせた全員の気持ちを代弁するもの。

 だが、パサレラは半ば諦めた様に首を振っていた。


 「……そんな金は……いや、そんな暇は俺にはない……」


 

 生まれ故郷のアルゼンチンで、左翼系の活動家だった父親に抗う様に軍人志望となった熱血漢パサレラは、その父親の存在を理由に軍隊入りを拒否されている。

 

 その後は己の信念に忠実に、ラテン系の悪党を専門に捕らえる賞金稼ぎとなり、その報酬を剣の鍛練とスコットを追いかける旅費に全て注ぎ込んできたパサレラ。

 そんな彼には、自らの健康を(かえり)みる意識など存在しなかったのだ。


 

 「……パサレラ、お前のキャリアは今、調べさせて貰ったよ」


 メナハムの手に握られていたのは、ヨーラムやアシューレら、フェリックス社の役職者だけが持つ事の出来る、最先端の小型端末。

 彼はパサレラの賞金稼ぎとしての生涯キャリアを調べ上げ、その前代未聞の実績に感銘を受けている。


 「……お前は30年の賞金稼ぎキャリアで、972名の悪党を捕まえている。この数字は、単独の賞金稼ぎでは歴代ダントツだよ。ちなみに歴代2位はそこにいる。643名だ」


 メナハムが指を差す方向には、パサレラを気遣うスコットの姿。


 スコットやギネシュの様に、賞金稼ぎを引退して家庭や事業に尽力する剣士も勿論いるのだが、どちらかと言えばこの業界は、賞金稼ぎ時代の貯金を食い潰しながらアルコールやドラッグに溺れる、自堕落な人間の方が多い。

 ライバルへの執念の陰に隠れていた実績を知る事で、メナハムは自身の剣士としての(おご)りや偏見を恥じていた。


 「……銀行と病院には話をつけておく。これでまともな治療を受けろ」


 メナハムは車の中にあるバッグからプライベート用の小切手を取り出し、5000000CPの金額を記入してパサレラに手渡す。

 

 保険の様なものとはいかにも無縁そうなパサレラにとって、完治を目指して闘病するにはこの額でも完全ではないかも知れない。

 だが、そこにはメナハムなりの、彼のプライドへの配慮があったのだ。


 「……こ、こんな金、受け取れないぞ……」


 強情を貫くパサレラの頭を(また)ぐ様に仁王立ちし、メナハムは不敵な笑みを浮かべてこう豪語する。


 「……お前が病院に行かなければ、ウチの会社の使途不明金としてお前に監査が入るまでだ。早く容態を安定させて、残り28名の悪党を捕まえろ。お前が悪党1000人斬りを達成し、真実のレジェンド剣士になってから俺に金を返せ。お前なら返せない額じゃないだろ」


 「みゃ〜」


 パサレラから執念のオーラが消えたと判断したのか、野良猫は彼の側に寄り添いながら寝転がり、一種の御守りの様な存在感を放ち始めた。


 「良かった。こいつもパサレラさんを認めてくれたみたいだね。俺、救急車呼んでくるよ!」


 バンドーのお節介を止めるだけの気力は、もうパサレラには残っていない。

 いや、残す必要がなくなったと言える。


 永遠のライバルに存在価値を認められ、若い世代に自らの実績を知らしめる事が出来たのだから……。


 

 「……メナハム、俺達は色々な経験をして、正直おまえの会社、フェリックス社を信用していない。純粋な剣士としてのお前はリスペクトに値するんだが、お前の会社は、一体この世界で何をするつもりなんだ?」


 フェリックス社の第2御曹司メナハムを前にして、ハインツは臆せず最大の疑問へと斬り込んでいく。

 フェリックス社の事を、強引なビジネスを拡大する巨大企業程度の認識しか持たないスコットやミューゼルから、自然の破壊者と認識して最大限に警戒するフクちゃんまで、メナハムのその返答には皆が聞き耳を立てていた。


 「……その質問を10人の人間にすれば、恐らく10通りの答えが返ってくるだろうな。だが、俺個人の答えを言わせて貰うなら、それはロシア主導のルールを打ち破る事だ」


 考えをまとめる時間もそこそこに、メナハムは若さ故のストレートさで持論を突きつける。


 「……大災害の後、たまたま資源や国土、軍備を残せたという理由で統一世界のイニシアチブを握り、その持ち回りさえ許していない。剣士のランキングだって、現在のトップ3は皆ロシア人剣士。それも、年に1度のモスクワ武闘大会の勝者を無理矢理ねじ込んでいるだけ。スコットやパサレラが積み上げた、自己の鍛練や悪党の退治という価値観が(ないがし)ろにされている。おかしいと思わないか?」


 一躍世界トップレベルに躍り出たメナハムでさえ、ヨーロッパの剣士ランキングは4位どまり。

 この序列を覆すには、ランキング10位以内をキープしてモスクワ武闘大会に参加し、優勝する以外にないのだ。


 「兄や母のやり方を批判する奴はいるし、俺も彼等の全てが正しいとは思っていない。だが、俺達を責める奴等の憎悪の対象は、既に政治家や役人が裏の顔でやっている仕事だろう? 俺達は奴等のテリトリーに侵入して、この世の歪みを逆に見せつけてやっているまでさ。」



 ピピピッ……


 「……おっと、メールだ。もうこんな時間か。悪いが俺は別の仕事がある。今日はいいものを見させて貰ったよ。ハインツ、お前とはモスクワ武闘大会で戦う事になるだろう。それまでランキングを落とさない事だな!」


 メナハムは周囲に一礼して高級車に乗り込むと、荒々しくも繊細なドライブテクニックでアテネの繁華街を全速力で駆け抜ける。

 

 財政難のギリシャに恩を売っているフェリックス社の権限は、ここアテネでは絶大。

 スピード違反の一度や二度で、メナハムが罰せられる事はまずないだろう。



 「電話をくれたバンドーさんですね! 昨日はありがとうごさいます、あなた方はアテネの英雄ですよ!」


 パサレラの搬送にやってきた救急車のスタッフは、早くも昨日のニュースでバンドー達の活躍を知っているらしい。

 憧れにも似た熱い眼差しを受けながら、照れ臭そうに目を泳がせる賞金稼ぎ一同の陰で、スコットとパサレラは中断された「最後の戦い」の再開を誓い、固い握手を交わしていた。


 「みゃみゃっ……!」


 野良猫はすっかりパサレラに懐いた様子で、担架で救急車に運ばれる彼の後についてちゃっかり乗車し、猫好きのスタッフ達もこの小さな御守りを追い出す様な真似はしない。


 「……仕方ない、こいつと同じくらいは長生きしてやるさ……」


 出発した救急車に揺られながら、パサレラはこれから病を克服し、前人未踏の悪党捕獲記録「1000人」を達成してメナハムに借金を返済するという長い旅路を、生まれて初めて出来た小さな弟子の頭を撫でながら数えていた。



  (続く)

 

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