第55話 愚か者の集う街
6月27日・7:00
「おい、ヤバい事になったぜ! エディの奴、マジで合流出来ねえみたいだ!」
見張り役の若手テロリストが、フェリックス社から派遣された指揮官代理のアシューレの姿を確認。
いよいよ、テロリスト達はマルティネス抜きでパパドプロス奪回に挑む事となった。
アテネに建設中のフェリックス社のスーパーマーケット、『ディス・フェリックス』。
これは、既にドイツ語圏に進出していた『ツヴァィ・フェリックス』のギリシャ版で、ポイントの2倍を意味する、フェリックス社の世界進出の先頭に立つビジネスである。
フェリックス社が関与しているテロの手法は、自社施設の建設現場をテロリスト達のアジトとし、どう見ても堅気とは思えない彼等のオーラや風貌を、社会更生中の建設作業員にカムフラージュする事。
伝説の名剣士、ダグラス・スコットがアテネで行おうとしている、かつての前科者を更生させて自身の建設会社職員にスカウトする慈善事業。
この事業にメナハムが進んで手を差し伸べた背景には、彼がスコットに恩を売って手合わせを申し出たいという個人的な理由だけではない、フェリックス社のアリバイ作りが存在していたのだ。
「フェリックス社顧問弁護士のドル・アシューレだ。この中の代表者は誰だ?」
マルティネスの不在に狼狽する若手テロリストの後をつけながら、シックなチャコールグレーのジャケットと縁なし眼鏡をかけた、クールな佇まいの男性が登場。
上半身はタイトなシルエットに見えるが、下半身は機動性も重視した同色のパンツ姿で、靴下を履いていない足首には素人仕事ではないテーピングが施されている。
「俺はルベン……いや、エディとはガキの頃からのマブダチさ。サウール・ガルシア。この部隊のNo.2だ」
ヒッピーの様な無精髭をたくわえ、長髪を後ろで縛った精悍な顔立ちのガルシア。
彼は銃の定期メンテナンスを自ら行いながら、マルティネスの代わりが務まるとはとても思えない、ビジネスマンの様な風貌のアシューレを怪訝な表情で見下ろした。
「……エディが何故指揮を執れないのかは聞いている。だが、まさかあんたが本気で俺達を指揮する訳ではあるまい? それなりの心得はあるみたいだが、パパドプロスは指図する者は敵味方関係なくぶちのめす男だ。温室育ちのビジネスマンが平常心でいられる現場じゃねえ」
フェリックス社が、「戦える弁護士」アシューレを指揮官代理に派遣した理由は、恐らくパパドプロスの暴走を見越して警察側に犠牲者が出た場合、その法廷闘争にも勝利出来る体制作りの為であろう。
だが、百戦錬磨のマルティネスがいるからこそ、ガルシア達もパパドプロスの奪回を決意したのだ。
現場を体験していない指揮官は、例え有能でも彼等には必要ない。
「ガルシアと言ったな。今回ばかりは警察側が徹底抗戦を決め込んでいる。いや、正確にはギオルガトス署長が部下に愛想を尽かされたとみていいだろう。とは言え、奴がどうにか援軍を揃える事さえ出来れば、いくらでも法律上の解釈は可能だ。俺の仕事はそこなのさ」
アシューレは不敵な笑みを浮かべながら、その手に握られた携帯電話とはまた異なる、見慣れない小さな端末を取り出した。
「ひょお〜! 流石はトップ企業の顧問弁護士様だな! そんなハイテク機器を使いこなすのかよ!?」
ガルシアの後ろで雑用をしていた小柄なテロリストは、まだ顔にあどけなさが残っており、年齢は20歳そこそこといった印象。
彼もまた、見た目によらず穏やかではない過去を持っているのだろうが、大災害以降の統一世界で意識的に制限された技術と情報の下、トップ企業の先進性に興味津々の様子である。
「こいつは携帯電話の録画機能を向上させたものだ。この端末で録画された映像はテレビや劇場のスクリーンに拡大しても鮮明で、映画の様な臨場感を味わえる。そして、映像データを本社のコンピューターに送信出来るのさ」
「……おい、警察ならまだしも、お前が俺達の映像を録ってどうするよ? テロリスト一般公募か?」
ガルシアの突っ込みは周囲のテロリスト達の笑いを呼び、プライドの高いアシューレはその反応にやや不機嫌な表情を見せていた。
「撮影ってよ、結局安全な所に隠れているだけじゃんよ? あんたはパパドプロスのご機嫌を取る為の金でも積んどきな!」
「ドニス、それは言い過ぎだ。並の男なら、ひとりでこの場に来る度胸すらないんだからな」
自身の言葉が若手の増長を招いた事を懸念し、静かに事態を収拾しようとするガルシア。
だが、既にアシューレの表情からは笑顔が消えている。
「……俺は世界のテロリスト達を見てきて、奴等が堅気の世界でも成功出来たはずだと実感している。しかし唯一残念な所は、奴等が皆、見た目だけで人間を判断する点だ……。辛い過去があったんだろうが、そんな事ではまっとうな成功を逃すぞ」
「……何だと!? 知ったふりをこくんじゃねえ! 雇い主だからって調子に乗るな!」
アシューレの説教に激昂したドニスは銃が並べられたテーブルを飛び越え、その勢いのまま目の前の相手の眼鏡を蹴り飛ばした。
「くっ……!」
ドニスの飛び蹴りで地面に叩きつけられた眼鏡は大破したものの、咄嗟の判断で顔面へのダメージを最小限にとどめたアシューレの身のこなしは、ガルシアに強い印象を与える。
「……ドニス、気が済んだか……? だが、俺の気は済んでいない……」
静かな闘気をたぎらせたアシューレがドニスを睨みつけ、その迫力に一瞬の沈黙が訪れた。
「場をわきまえないヤクザどもがあぁっ……!」
「……あぐっ……!」
アシューレの上げる怒りの雄叫びは、同時に目の前の相手への強烈な頭突きを呼び起こし、想定外な額へのダメージに思わずのけ反るドニス。
「はあっ……!」
ドニスの重心が後ろに下がる事を見越していたアシューレは、すかさず相手の片足を大きく外側に払い、そのままドニスを床に這わせる。
「俺がサツだったら、お前は眼鏡を蹴り飛ばすだけで満足するのか!? 違うだろ! お前は俺を、抵抗も出来ない男だと見くびっていたんだ!」
矢継ぎ早の説教で床に這うドニスを一喝し、アシューレはそのまま相手の左肩を捻り上げた。
「ぎゃあぁっ……! か、肩が……!?」
アシューレ一瞬の早業で左肩を脱臼させられたドニス。
だが、彼は痛みよりもあらぬ方向に曲がった肩というその光景が信じられず、両目を大きく見開いたまま身体を震わせている。
「……フン、俺を舐めた罰だ。荒療治ではあるが、取りあえず治しておいてやる」
「痛てててっ!」
アシューレは慣れた手つきでドニスの肩を元に戻し、ドニスはその強引な治療に顔を歪めながらも、どうにか動く肩に安堵していた。
「……気に入ったぜ、アシューレ。あんたはヨーラムとは違う、本物の戦士だ!」
プライドを傷付けた相手には自ら手を下す決断を躊躇しないが、あくまでも冷静で長期的な視野に立った振る舞い。
アシューレの器を高く評価したガルシアは晴れやかな笑顔を見せ、彼に握手を求める。
「ヨーラムか……。奴は俺の上司になってはいるが、大学時代は出来の悪い後輩さ。奴の母親を知っているか? 化け物みたいな身体能力と魔力を持っているんだ。身体能力は弟のメナハムが受け継いだが、ヨーラムが何を受け継いでいる? 奴は名ばかり社長の父親と同じ、ただのビジネスマンだよ」
ドル・アシューレは中流家庭から頭角を現した文武両道の秀才で、テルアビブの名門大学に特待生として入学。
入学後2年間は大学の顔だったが、3年目にフェリックス社の御曹司、ヨーラムが入学するや否や、大学の宣伝目的で彼のルームメイトに任命されてしまう。
ヨーラムはアシューレを家系で見下す事はなく、スポーツと法学を両立したい彼の望みを叶える為に、フェリックス社の顧問弁護士のポストを用意して厚遇する。
だが、大学から特別扱いを受けながら安泰な世襲役員に収まったヨーラムに、フェリックス社で更なる成功を望んでいたアシューレは複雑な感情を抱き続けてきたのだ。
6月27日・8:00
『バシリス・カムイ様、バシリス・カムイ様。緊急のお客様がお見えです。至急、ロビーにお越し下さい』
「……来た! ニコポリディスだ!」
朝食後の雑談もそこそこに、レストランから来客の元へ駆け出すカムイ。
今のカムイと自分達は、同じ目的に備える仲間。
レディーらチーム・カムイのメンバーをはじめ、チーム・バンドーの面々も遠慮なく彼の後を追い掛けていた。
「朝早くにすまないな。余り大声は出すなよ」
定年退職間近の警官、ニコポリディスは、頭髪こそ歳相応に白くなっているものの、その曇りのない眼光、そしてスーツの着こなしを含めて、外見は40代と言っても通用する程の若々しい雰囲気を醸し出している。
「久しぶりだな、ニコポリディス。退職が近づいて、逆に若くなったんじゃないか?」
普段は高圧的な振る舞いも目立つカムイが、長い付き合いの年長者には敬意を払っている様子が、その表情からも窺えていた。
「……おうおう、けっこうな大所帯だな、頼もしいぞ。場所が場所だからな。騒ぐのはまずい、まずはこいつを見てくれ」
周囲を用心深く見渡し、その身体つきや表情から、チーム・バンドーの面々を仲間だと素早く理解したニコポリディス。
彼はやがて1枚の紙をバッグから取り出して広げ、そこに書かれたメッセージを見せつける。
【パパドプロス移送は明日の午前中に決行する。だが、警察が決めた9:00出発というルールには従わない事にした。テロリストと接触せずに振り切れば、カムイの力を借りずともパパドプロスをスペインへ移送出来るからな。よって俺達は7:00に刑務所から出発する。お前達が力を貸すのは、スポーツ施設跡地辺りで俺達がテロリストに足止めを喰らった場合だけだ】
「……分かったな。もう2度と話さないからな」
チーム・カムイとチーム・バンドー、両チームのメンバーがメッセージを理解した事をアイコンタクトで確認後、ニコポリディスは普段家族や部下の前で見せているであろう、温厚な表情に一変した。
「さて、コーヒーくらいは飲んでいくか。ここのカフェのマスターは、新入りの鼻たれの頃から知っているからな」
レストランの隣に併設されているカフェは、イタリアから一流のバリスタを呼び寄せた、このホテルのセールスポイントのひとつ。
しかしながら、先日のアテネ空港の爆弾騒ぎが堪えたのか、バリスタは実にイタリア人らしい行動力で挨拶もなく早々に里帰り。
ニコポリディスとは旧知のマスターが、実に10年ぶりに自らコーヒーを淹れていた。
「……パパドプロスは、若い頃は巨体を武器に酒と喧嘩に明け暮れる、厄介なチンピラだったんだ。ある日、酔った勢いで格上のマフィアと喧嘩したせいで、大怪我を負わされて入院した。その病院で奴を担当していた看護師が、後にカムイの母親になるタマキだよ」
ニコポリディスは、己の過去をなかなか語りたがらないカムイに代わり、チーム・バンドーに事のいきさつを小声で語り始める。
カムイの母親、タマキは日本生まれだが、2045年の大災害で家族ごと被災。
大学の武術コーチを務めていた父タクマと、まだ幼いタマキだけが生き残ったが、ギリシャの観光要素として当時注目を集めていた日本文化の体現者である父娘は、ギリシャの補助を受けてアテネに移住する。
アテネで武術道場を繁盛させていたカムイ家ではあったが、父タクマが脳腫瘍で急死。
残されたタマキは道場の権利を手放す代わりに資金を得て、アテネで看護師になっていたのだ。
「……タマキは美人だったし、チンピラであるパパドプロスも恐れず献身的に看護した。その結果、退院後に奴からしつこくプロポーズされた。とは言え、タマキも道場の娘。押しの強い男に簡単に従う女じゃない。だから奴が諦める事を期待して、厳しい条件を出したんだが……」
「……でも、タマキさんとパパドプロスは結婚したんでしょ?」
何処か勿体つけた話し方をするニコポリディスを待ちきれず、クレアは突っ込み気味に話に割り込んでいる。
「……2年で堅気になり、尚且つ2000000CPの貯金を作るという条件だ。チンピラのパパドプロスが就ける堅気の仕事で、ギリシャで生活しながら2年で2000000CPを貯めるのは簡単じゃない。だが、奴は必死に働いてやってのけた。その頃には奴も酒と喧嘩を止めていたから、タマキも折れて結婚したのさ」
「……ここまでの話を聞いていると、パパドプロスさんがそこまでの悪党になるなんて想像出来ませんけど……」
改心した男と、芯の強い女。
読書家のリンの頭の中には、そんな2人の物語はハッピーエンドになる記憶しかない。
「2人の間にカムイが生まれて幸せの絶頂にいた頃、不運にも乱高下するギリシャの景気のせいで、パパドプロスが働く会社が倒産した。過去の悪行のせいで奴の再就職は難航したが、タマキは結婚まで奴に無理をさせたと感じて、自分が看護師に復職する。タマキの収入とこれまでの貯金だけでも生活の目処が立つと分かった時、奴は少しずつ酒と暴力の世界に戻ってしまったんだ。そして若い愛人を作ってタマキとカムイを捨て、更にタマキの稼ぎ目当てに暴力を振るい……」
「……おいニコポリディス、もういいだろう。奴はお袋を肉体的にも精神的にも傷つけて死に追いやり、俺の右足も奪った。俺の復讐から逃れる為に、愛人とその家族を半殺しにし、追ってきた警官も殺して刑務所に逃げ込んたんだ。奴がまともだった時の記憶なんて、俺にはねえよ。生きている価値なんてない男さ」
カフェには一般客の姿もあり、努めて小さな声でニコポリディスの話を遮るカムイ。
しかし、その表情は苦悶に満ち溢れ、両肩は小刻みに震えていた。
「……殺された警官は、俺の部下だった。俺も、パパドプロスの更生など望んではいない。だが、カムイが自分の金で奴を保釈させて殺すと言った時だけは止めたよ。俺達は一刻も早く、奴を自分の人生の記憶から取り除く必要がある。だから警察とテロリストの間に談合があったとしても、決定通りスペインに移送するんだ」
(……パパドプロスさんも、色々と可哀想な人ですね……。ちょっとした噛み合わせで、もっといい未来を選べたと思うのですが……)
沈黙に包まれるチーム・バンドーの耳に、フクちゃんからのテレパシーが届く。
いち女神としての素朴な意見であり、少女に見える彼女の風貌ならその発言は許される事だろう。
しかし、カムイとニコポリディスの感情を逆撫でする可能性を避けた、彼女らしい賢明な判断である。
「……好きな女をものにするまでは頑張れても、家庭を持つ資格のない男がいる。些細なしがらみにも耐えられない、言わば自堕落な獣さ。ま、賞金稼ぎなんてやってる俺達も、そんな人種なのかも知れねえけどよ……」
ハインツの言葉は、自らの矜持の為に警察組織を敵に回す事を恐れないニコポリディスを含めて、全員の心に重くのしかかっていた。
6月27日・12:00
テロリストとの談合を破棄し、パパドプロスの引き渡しを拒んだニコポリディスら一部の警官達。
自己保身に囚われたギオルガトス署長は、急遽彼等の「本来の警察官としての任務」を妨害する為、秘密裏に署内で協力者を募っている。
だが、一時的な延命処置で後先長くないギオルガトス署長に、命と名誉を危険に晒してまで協力する者は現れない。
彼はやむを得ず、規律違反から危険な潜入捜査に送られていた5人の「訳アリ警官」に泣きついていた。
「アテネの署長さんが、キプロス送りの俺達にチャンスをくれるとは、まだまだ人生捨てたもんじゃねえな。ヤクの取引をドタキャンしてまでアテネに来たんだ。2度とキプロスには戻れねえ。前金とアテネでの生活を保証してくれよ」
訳アリ警官のリーダー、マコスとその仲間達は、犯罪者からの押収品であるドラッグを秘密裏に売り捌いて私腹を肥やし、懲戒免職と服役の危機に立たされていた。
だが、そのドラッグの行き着く先がギリシャとも繋がりが深い、近隣キプロスのマフィアである事が判明した為、組織に売人として潜入し、地元警察に情報を伝える任務に強制参加させられる事となる。
表面上は警察官としての任務をこなしてはいたが、彼等の倫理観や風貌は今やマフィアそのもの。
警察の内紛ではなく、警察とテロリストの間に偶然取引中のマフィアが居合わせたというシチュエーションを可能にする、ギオルガトス署長最後の希望が彼等なのだ。
「マコス君、大丈夫だ。来月の議会では、空港のテロ未遂を受けて派出所の増設が決定される予定だ。人員不足を補う為にも、君達の恩情復帰は理に叶っている。安心したまえ」
滝の様な汗がようやく乾き、安堵の表情を見せるギオルガトス署長。
テロリストがパパドプロスに接触出来るシチュエーションを用意さえすれば、いかなる結末も「事故」として片付ける事が可能になる。
「おいマコス、あんな腰抜けに利用される人生、俺はゴメンだね。マフィアにいた方が、金にも女にも不自由しなかったのによ!」
ギオルガトス署長との通信が終わるや否や、たちまち噴出する仲間からの不満。
だが、計算高いマコスには更なる奥の手が用意されていた。
「……全く、どいつもこいつも笑っちまうくらいの悪党だな。いいか、もう俺達の生活は保証されたんだ。このネタをテロリストに売って更にひと儲けして、明日暴れたらトンズラ、ギオルガトスは失脚だよ。もう警官なんて続ける気はないだろ?」
マコスはそう言って笑いながら、ギオルガトス署長から教えられたテロリストの指揮官、アシューレの携帯電話番号にコールする。
6月27日・14:00
「いよいよ明日で、お前達ともおさらばだな。悲しくて笑っちまうよ」
アテネ刑務所の特殊監獄に投入されているパパドプロスは、獄中でも手錠をかけられた特別待遇。
それでも油断すれば、巨体を活かした頭突きやキックが飛び出してくる、文字通りの暴れん坊だ。
「……パパドプロス、お前とは長い付き合いだったよ。悪いが、お前が期待する脱獄の話はないぞ。俺も退職前に、まともな警察官としてひと花咲かせたいからな。明朝からアテネ空港、そしてマドリードまでノンストップだ」
「へっ、やってみるがいいさ。車のドアくらい蹴飛ばして脱出してやるよ」
目の前に立つニコポリディスに悪態をつき、床に唾を吐きかけるパパドプロス。
だが、その口調はあくまでクールで、息子のカムイにも受け継がれた図太い低音ボイスが響き渡る。
これまでの悪行の数々と、禁酒による禁断症状を抱えている人間としては、意外な程に表面的な狂気は感じさせない。
彼の素性を知らない女性であれば、このキャラクターはむしろ頼もしく見えるだろう。
それが、この男の恐ろしさなのだ。
「……少し休めよ。本来なら人間として扱ってやりたいんだが、すまないな……」
パスッ……
サイレンサー越しの破裂音とともに、麻酔銃の針はパパドプロスの腹部に命中。
アテネの暴れん坊は薄れていく意識の中、眉間にしわを寄せたまま深い眠りに就く。
6月27日・16:00
その頃、チーム・バンドーとチーム・カムイは、ホテルの地下にある小型アリーナで対戦型のトレーニングを行っていた。
組み合わせは武闘大会の並びと同じく、ハインツとミューゼル、バンドーとゲリエ、クレアとレディー、リンとハッサン、シルバとカムイ。
時折対戦相手を変え、フクちゃんはアリーナが破損しない為のシールドを準備して両チームの戦いを見守る。
ニコポリディスは強引な突破に自信を持っている様子だったが、両チームのメンバーの誰もが、そう簡単に物事は運ばないと確信している。
武闘大会さながらの熱いトレーニングは、互いに本気を出せる相手が少なかった、ここ1ヶ月程の鬱憤を晴らす良い機会となっていた。
「……バンちゃんとリン、めっちゃ強くなってるじゃない! ちょっとビックリよ!」
レディーをはじめ、チーム・カムイが一番驚いていた事。
それは、武闘大会の頃はメンタル的な脆さのあったバンドーとリンの急成長ぶり。
そのキャリアから戦う事に対して「覚悟」が出来ていたシルバ、クレア、ハインツとは異なり、バンドーとリンはいつでも帰る場所のある、言わば一般人。
しかし、様々な経験を経て安住の退路を断ち、賞金稼ぎとしての覚悟を決めた彼等には、今なお伸びしろが残されている。
「来年はもう、ゾーリンゲンの武闘大会は卒業だな。一緒にロシアに乗り込むか!」
久しぶりにかいた汗がカムイのもやもやを洗い流し、豪快で晴れやかな彼の笑顔が戻ってきた。
年末に開催されるモスクワ武闘大会は、チーム内に剣士ランキングトップ10選手がいなければ参加する事が出来ない、武闘大会の最高峰であり総括的なイベント。
従って、ゾーリンゲン武闘大会参加チームでは、現時点でチーム・バンドー、チーム・カムイ、チーム・ルステンベルガーの3チームにのみ参加資格が与えられている事になる。
「……いや、やっとトップ100に入ったばかりの俺がチームリーダーとして参加するには、まだまだ大それた大会だよ。それに、まずはテロだとか、フェリックス社の不穏な動きとか、身近な危険をどうにかする手伝いがしたいな」
「私も、バンドーさんと同じ気持ちです。もし賞金稼ぎ同士で戦うとしたら、私に勝つ事を目標にしてくれているメロナさん、そしてキャロルさんやスタフィー君達が成長した、オセアニアのチームと戦ってみたいですね」
バンドーやリンには、剣士や魔導士のランキングを極めたり、剣術や魔法の師範を目指すといった立身出世の欲はない。
彼等はただ、自分の人生を自由に選ばせてくれた家族や仲間の期待に、納得の行く人生で応えたいだけなのだ。
「……自分はもう、わがままを言って両親の仇を討たせて貰いましたからね……。この旅で出会った素晴らしい仲間達が自分を必要としてくれるなら、どの舞台でも全力を尽くしますよ」
辛い過去を背負っていたシルバの人生はようやく報われ、後は相思相愛であるリンとの未来を実現する努力が求められている。
とは言え、彼の人間性を考えれば、リンの家族の説得はさほど難しくはない。
加えて、彼のプライドからしても、創業者の息子という立場を利用して労せずシルバセラーの社長に収まる、などという邪念はないはずだ。
「……う〜ん、流石にそのレベルだと、勝って大金を貰うのは難しいわよねぇ……。火炎以外の魔法をもっと覚えてからにするわ」
クレアの夢である剣術道場開業の為には、先立つ資金と本人の健康が何よりも優先される。
パーティーの金庫番である彼女らしく、ゾーリンゲン武闘大会では収支の面から3位をノルマにハッパをかけたものの、自身は膝の負傷で全力を出し切れなかっただけに、慎重な判断が必要だろう。
「……けっ、お前らだらしねえな! カムイ、モスクワは個人戦もあるんだろ? 俺はそっちで参加するぜ。メナハムも個人参加だろうしな」
ハインツは、ゾーリンゲン武闘大会で鮮烈な印象を残したフェリックス社の第2御曹司、メナハムこそが次代の最強剣士であると信じて疑わず、彼と戦える舞台を重要視している。
目標は幼い頃から変わらぬ「最強の剣士」であるハインツだが、それはすなわち、常に数字の変動があり得る「ランキングの1位」という意味ではないのだ。
「カムイ、まずは明日の準備でしょ? ニコポリディスさんがテロリストを振り切って空港まで行ってくれたら一番嬉しいけど、何があるか分からないんだから」
レディーの言葉は、剣の前では時折現実を忘れがちな男達を再び引き締める。
「……そうだな。しっかり計画を詰めなけりゃ、俺達だって命の危険がある。そもそもニコポリディスの出発前に、テロリストどもが刑務所に襲いかかって来る可能性だってあるからな。まずは今日は1日、見張り役を分担しないとダメだ」
格闘センスと強力な魔法を併せ持ち、カムイの暴走を長時間止められる唯一の男、ハッサン。
その説得力をもって、彼がホテルの部屋からの見張りについて計算を始めた頃、遠慮がちに身を乗り出す小さな影がひとつ。
「……あの〜、私は前線に出る事が出来ませんから、今日だけ徹夜して見張りしてもいいですよ。皆さんは、明日に備えてしっかり計画を詰めて、しっかり睡眠を取って下さい」
如何にも「バンドーの妹」という設定らしく、自分が役に立てる事を探していたアピールに余念がないフクちゃん。
実際には、本気を出した彼女には銃を持ったテロリスト集団でさえ歯が立たない。
しかしながら女神という立場上、自身が危険に晒されない限り、安易な理由で特定の人間に肩入れは出来ないのである。
「え!? フクちゃん勿体な……いや、いいの!?」
思わず本音が漏れそうになったクレアは慌てて自身の頬にビンタを入れ、10代の女の子に徹夜をさせる事を躊躇している様に見せかけた。
「……はい、大丈夫です。皆さんが計画を詰めている時に仮眠しておきますから。何かあったらすぐ知らせますよ」
チーム・バンドーとしては、いざという時にフクちゃんの魔法で助けてもらい、「バンドーの妹は兄と違って天才魔導士」というネタで笑いを取りながら窮地を脱出出来る、そんな可能性も残したかったに違いない。
だが、万が一フクちゃんの正体がカムイ達に知られてしまった場合、色々とややこしくなってしまうのは確実。
これまで通りの旅を続けるには、見た目が中高生に見える彼女を危険な場所に連れていくという判断を、人前では避けるべきだろう。
「……すまねえな、お嬢ちゃんに頼もうか」
パパドプロスの処遇を巡り、ここの所気が休まる暇のなかったカムイが、バンドーの妹を名乗る少女の献身に対して、久しぶりに見せる優しい笑顔。
フクちゃんはその笑顔に、彼等がチーム・バンドーと出会い、戦い、やがて行動をともにする運命を見出だしていた。
6月28日・6:30
「ガルシア、今刑務所前で、3台の装甲車に荷物が積まれ始めた。7:00から始まる囚人達の掃除に合わせた出発だとしたら、ギオルガトスが指定していた9:00よりかなり早いな。悔しいが、アシューレの推理通りだぜ!」
最新式の双眼鏡を片手に、高台から塀の中を見渡す若手テロリストのドニス。
彼はガルシアの命を受け、朝日の眩しさに目を細めながら警察の動きを見張っている。
突然指揮官気取りで合流し、更に自身の肩を脱臼させたフェリックス社の顧問弁護士、アシューレに対して、当然ドニスは良い感情を持っていない。
とは言え、こうして最新式の機器を与えられ、極めて精度の高い行動を取れる充実感は、これまでのスポンサーとは比較にならなかった。
「よくやったぞドニス! 俺達は先回りして通路を封鎖する。後から合流しろ!」
ガルシアはドニスの労をねぎらいつつも、部下が合流するまでの時間を惜しむ冷徹な判断を下す。
テロリストとして生きる以上、銃弾飛び交う現場にも単身で合流出来る覚悟がなければならない。
「……さあ、どうするアシューレ。奴等は装甲車3台だ。俺達が通路を封鎖したとして、衝突が怖くて停車するとも思えないが……」
慌ただしくジープに乗り込みながらも、ガルシアは助手席のアシューレにより的確な一手を要求する。
「パパドプロスが噂通りの巨漢の暴れん坊なら、脱走を防ぐ為に普通の座席には乗せないだろう。コンテナに転がして、前方座席には恐らくニコポリディスと部下ひとり。俺の言っている事が分かるか? パパドプロスがコンテナ内で動けば、車の重心は簡単に揺らぐ」
「……なるほどな。ニーノ、ブルザイ、左右どちらかの通路の端に隠れて待機しろ。奴等の車が通ったら、片側のタイヤだけを撃て。通路封鎖用に並べる車には、デラスとシーフォを忍ばせておけ。残りの奴等の配置は、俺達が到着してからでいい。分かったな!」
すっかり意気投合したガルシアとアシューレは、互いの顔を見合わせて不敵な笑みを浮かべていた。
「これで頭を打って死んじまう様な奴なら、パパドプロスは俺達の仕事には使えないレベルだ。エディも納得するだろう」
くわえ煙草を力任せに揉み消し、仕事前のテンションを完成させたガルシア。
その傍ら、アシューレは動画撮影用の端末を眺め、世紀の瞬間が訪れる事を確信している。
「……アテネ警察のモラルは崩壊した。このスクープが撮れたら革命が始まるぞ」
6月28日・7:05
「装甲車らしき車が3台、通路に現れました。かなりのスピードですが、行く手を塞ぐ様に、テロリストと思われるジープも3台横並びになっています。ここからでは分かりにくいですが、双方10名前後の部隊の様です。気をつけて下さい!」
女神の能力であるテレパシーを使う事なく、バンドーの携帯電話からアナログな通信を行うフクちゃん。
通信を行う相手は、経験値を重視して元軍人のシルバに決定されていた。
彼女の能力をもってすれば、そもそも全ての戦況を見渡すのは容易な事。
最悪の事態を回避する為の指示は、チーム・バンドーだけにテレパシーで送る事が可能だが、その指示をカムイが素直に聞けるかどうか、それだけがフクちゃんの懸念なのである。
「お前の車、デカイな! もうここで暮らせるよ。これなら装甲車にも見た目は負けないぜ」
チーム・バンドーが乗り込み、通りへの入口付近でひっそりと待機する車は、元ラグビー選手だったゲリエの大型ワゴン。
「おいバンドー、俺の経歴知ってるだろ? 半端な体格の友達なんていないんだよ!」
この緊張感の中で、今敢えてこの発言をするバンドーを信じられないとばかりに睨み付け、ひとり神への祈りを捧げるゲリエ。
だが、一度通りに入れば世紀の捕物帖が行われる現状でありながら、通りを挟んだ隣の道では何気ない朝の生活が営まれているのだ。
笑いのひとつもかまさなければ、とても平静を装おう事は出来ない。
「自分達も10名の戦力ですから、まさに三つ巴ですね。幸いだったのは、テロリストの数が予想より少ない事。ニコポリディスさんが正義を貫こうとしなければ、談合が行われていたという噂はやっぱり、真実だったんですね……」
財政難と治安の悪化という、負のスパイラルに陥っているギリシャ。
とは言うものの、賞金稼ぎとして生きる中で軍人としての過去に引け目がなくなりつつあったシルバに、国家権力の堕落は少なからず落胆を与えていた。
ピピピッ……
ゲリエの携帯電話が鳴り響き、それがハッサンの車からの指示である事を認識していた彼は、すかさずカーステレオのスピーカーに電話を接続する。
『ハッサンだ。ニコポリディスからの連絡によると、まずは装甲車で強行突破を試みるらしい。ニコポリディスと部下、そしてパパドプロスが乗っているのは真ん中のトラックで、前後の車でガードしている。奴等にも色々策があるらしく、向こうから応援要請があるまではここで待機していいとの事だ。また連絡する』
ハッサンからの連絡内容に、クレアやリンは若干の安堵を覚えていたが、男性陣の不安が和らぐ事はなかった。
生殺しの様な緊張感の中での待機に、パパドプロスに一撃でも喰らわせてから連行したいと願うカムイが、果たして我慢出来るのか。
「……カムイさん、落ち着いて下さいね。テロリストが銃を手放すまでは、カムイさんの体格が標的にされやすいです」
普段は寡黙なチーム・カムイ最年少であり、武闘大会で一躍注目の若手剣士に名乗りを上げたドイツ人、アレクサンダー・ミューゼル。
未だ自信無さげな部分は残るものの、考える余裕すら与えれば、彼はヨーロッパ屈指の頭脳派剣士なのだ。
「へっ、言う様になったな、ミューゼル。ああ、俺も分かっているよ。剣も魔法も、残念ながら最強の武器じゃねえって事をな」
やや自嘲的な笑みを浮かべたカムイは、指の跡が残る程の握力で車内の取っ手を握り締め、車のオーナーであるハッサンは気が気ではない。
「間もなく両陣営の車両が遭遇します!」
フクちゃんからの連絡を受けたシルバは即座にハッサンへも連絡を入れ、各々が剣や魔法の準備の為にテンションを高める。
ブオオォォッ……
ドライバーの視界を遮る眩い朝日。
アテネの一等地に残された無人の大通りを爆走する3台の装甲車が、陽炎の中から姿を現した。
「真ん中のトラックだ! パパドプロスとニコポリディスが乗っているのは真ん中のトラックで間違いない!」
「ニーノ、ブルザイ、今だ撃て!」
ダダダッ……
ロシア製アサルトライフル、AKー47を構えて身を伏せるテロリスト、ニーノとブルザイ。
彼等はアシューレから助言を受けたガルシアの命令に従い、このライフルの欠点である銃身の跳ね上がりと弾道拡散に備える為、両者の銃口の間にターゲットを挟み込み、時間差射撃を活かしながら、前方車両ともども2台目のトラックの狙撃を遂行する。
キイイィィン……
金属音に紛れて、警察車両の2台目のトラック、その左側の前後タイヤを弾道が捕らえた。
「……!? 銃声です! あの発射リズムは恐らくAK……!」
通りの入口で待機するシルバ達にも、その銃声は届いている。
臨場感をもって襲いかかるその恐怖に、クレアやリンは思わず耳を塞いでいたが、銃器の知識と扱いに優れるシルバの表情は、むしろ明るい。
現在のワン・ネイション体制に於いて、軍隊や警察以外の組織でアサルトライフルを所有出来るという事実からして、この男達がかなりの後ろ楯を持つテロ組織である事は、シルバにも容易に想像がついている。
だが、AKー47は構造自体が古く、取り回しの重さや発射動作に於ける準備音の大きさに難があり、熟練した剣士や格闘家が隙を狙う余地が残されているのだ。
キキイイィィ……
左側のタイヤを損傷したトラックは重心が傾き、ドライバーは無意識に車両の安定の為に急ブレーキをかけながらハンドルを大きく左に切る。
だが、時既に遅し。
前後のタイヤが失われれば、転倒は時間の問題だろう。
「……よし! やったか!?」
タイヤを破壊した手応えを感じたニーノとブルザイが思わず上体を起こした瞬間、ガルシアから大声の指示が飛んでくる。
「お前達はそのまま後方支援にあたれ! 身軽な拳銃組がそっちへ行く! デラス、シーフォ、車から出ろ!」
「了解しました!」
アサルトライフルの弱点を知り尽くすガルシアはライフル組をその場に待機させ、別の部下をトラック前に派遣した。
ドオオォォン……
ドライバーは卓越したテクニックを見せ、ダメージを最小限に抑えたものの、警察のトラックは運転席を下に横転する。
この程度の衝撃であれば、恐らく車内にいるドライバーとニコポリディス、そしてコンテナにいると思われるパパドプロスは全員軽傷で生存しているだろう。
新たに派遣されたテロリスト、デラスとシーフォは気を引き締めながらも、まずは助手席にいると思われるニコポリディスの捕獲を最優先に考えていた。
「どいたどいた〜! 手柄は俺が貰うぜ〜!」
拳銃組の2人の背後から、場の空気にそぐわない陽気な男の叫び声。
昨日から鬱憤を溜め続けていた若手テロリスト、ドニスが拳銃を片手に、ニコポリディスの確保という大役を横取りに現れたのである。
「おいドニス、調子に乗るな! 戻ってこい!」
ガルシアの叱責は、ニコポリディスの危機を察知した他の警察車両の動きに掻き消されてしまい、その動きに対応したデラスとシーフォは、やむ無くドニスをニコポリディス捕獲に向かわせる事になった。
「アテネ警察だ! 囚人移送の公務執行妨害容疑で現行犯逮捕する!」
2台の装甲車から拳銃を構えて現れた警官達は、ニコポリディス巡査部長と完全なる運命共同体。
ギオルガトス署長とエディ・マルティネスの間に結ばれた談合は、今や完全に破棄されている。
「おうおう、すっかり強気な警察は久しぶりに見るな。だが、お前らのボスの命は俺達が握っているんだぜ。いいのかい?」
2メートル近い長身のテロリスト、デラスは、ギリシャ人らしい太い眉毛をつり上げながら、皮肉っぽい笑みを浮かべて警官を煽り、現場には暫しの沈黙が流れていた。
「ニコポリディス、いるんだろ!? 少しだけ痛い目に遭って貰うからな!」
パアァン……
助手席によじ登ったドニスは防弾ガラスに拳銃を突き付け、人間の頭を撃ち抜く事のない角度からカラスを撃ち破る。
だが、そこに座っていたのはニコポリディスではなかった。
いや、そもそも警官ですらなかったのだ。
「……何だぁ!? このクソガキが!」
「……ぎゃっ! 痛てえ、やめろ……!」
小柄なドニスの倍近くもある、その男の両手は未だ手錠に繋がれてはいたものの、人並み外れた握力は瞬く間にドニスの手首を痛めつけていく。
「どうしたドニス!?」
自身の立ち位置からはドニスの状況が確認出来ないガルシアは、拳銃を構えて現場へと駆け出し、アシューレは動画の録画スイッチを入れた後、自らも拳銃を片手にガルシアの援護に備えた。
「……俺がコンテナに入っていたのさ。全く、バカとハサミは使いようだな」
満足気な笑みを浮かべ、拳銃を構えながらゆっくりとコンテナから登場するニコポリディス。
テロリストを振り切るまではパパドプロスを助手席に乗せ、腕利きのドライバーがいかなるピンチに於いても助手席を上にして転倒する所までが、彼のシナリオに書き込まれていたのである。
「お前のその態度、俺を助けに来た人間には見えないな……死ねよ」
「……!! あぐっ……!」
手錠で繋がれた両手を輪にして、ドニスの首を包み込んだパパドプロスは、表情ひとつ変える事なく、小柄なテロリストの首をそのまま容赦なくへし折った。
「……ドニス!」
「うおおぉぉりゃあぁぁ!」
助手席のドアを蹴破り、即死状態のドニスを地面に叩きつけるパパドプロス。
その反動で、車両の転倒を機に弱っていた彼の手錠の鎖は、音を立ててちぎれ飛ぶ。
「……おっと……。やっと自由の身になれたな。おい、そこの小僧、お前の死は無駄にはならなかったぜ。良かったな」
百戦錬磨のテロリストをも沈黙させる野獣が、遂に野に放たれた。
長く暑い1日は、まだ始まったばかりである。
(続く)




