第44話 運命の地バルセロナ (後編) 〜それぞれの絆〜
シルバの11年にも及ぶ執念の追跡の末、チーム・バンドーと特殊部隊の隊員ゲレーロは、遂にシルバの両親の仇・アロンソを特定する事に成功した。
爆弾を用意したアロンソとの待ち合わせを間近に控えていたゲレーロは、早速チーム・バンドーに連絡を入れ、テロリストに成り済ましたシルバとバンドーが取引に合流する。
一方、所属は警察、メンバー構成は軍隊OBの特殊部隊。
彼等はスペイン最大の犯罪組織である「ラ・マシア」の調査に加え、軍のクーデター未遂の間接的要因とされている新興宗教団体「POB」に賞金稼ぎを潜入させ、ひと騒動を機に捜査令状の獲得に成功していた。
5月28日・12:30
「……あの女、リンと言ったか。一緒に行くとは言わなかったのか?」
ドライブスルーで入手したハンバーガーを高級車内で頬張りながら、ゲレーロは急遽それらしい風貌に扮装したシルバとバンドーに質問を浴びせる。
彼の目にも、シルバとリンの距離感は印象的に映っていたに違いない。
「……勿論、一緒に行くと言ったよ。リンはケンちゃんに尽くしていたからその権利があるし、もしケンちゃんがアロンソを前に理性を失ったら、魔法で仲裁する気満々だったしね。ケンちゃんが頭を下げて断った時は、かなりがっかりしていたな……」
とてもテロリストになりきろうとしている様には見えない、穏やかな表情でハンバーガーをたいらげたバンドー。
「……自分としても心苦しかったんですが、今回は特殊なケースです。アロンソがこちらに接触した時に、ジェシーさんみたいな女性がいると怪しまれますよね。その点、自分は軍隊出でスペイン語を話せますし、ブラジルの血も流れています。バンドーさんにもサモアの血が流れていますから、サングラスをかけて目元さえ隠せば、髪や肌の色からも南米のテロリストで通るんですよ」
両親の仇を近くに感じながらも、シルバの言葉には未だ冷静な計算が貫かれていた。
「テロリストに変装って事で、疑われない様に剣は置いて来た。でも、俺も風と水の魔法なら使えるから、アロンソが銃や仲間を隠していても何とかなるし、肉弾戦なら、この3人がそう簡単には負けないっしょ!」
普段はこうして楽観的なバンドーも、いつの間にか、本当にいつの間にか強くなっており、今や魔法まで覚えている。
シルバはそんな幼馴染みを横目に、自分のわがままに付き合ってくれる仲間達の存在に、深い感謝の意を捧げずにはいられなかった。
「……シルバ、例のテロを調べてみた。爆弾はそれほどの威力では無かったみたいだが、選んだ座席が悪かったお前の両親だけが亡くなっている。……残念だが、犯罪者の多い南米やスペインでは、死者2名までの事件は10年で時効だ」
敢えて感情を押し殺した様に、非情な現実をシルバに伝えるゲレーロ。
シルバの両親が犠牲となったテロから、今年で11年目。
だが、シルバも軍のネットワークを駆使してアロンソを探していた男。法律に無知であるはずが無い。
「……自分も分かっていますよ。アロンソを逮捕出来る口実は、あくまでテロ目的で爆弾を作り、見せ金を受け取った事による現行犯だけ。でも、過去の罪を憎む人間が目の前にいると知れば、奴も安易な保釈は考えないはずです」
「……人を殺して10年で時効だなんて、ニュージーランドじゃ考えられないな。ケンちゃんがアロンソを一発ぶん殴るくらいなら、5分で時効だから安心しなよ」
あくまで冷静なシルバと、仲間思いでユーモアを忘れないバンドーとのやり取りに安堵の笑みを浮かべたゲレーロは、自身の携帯電話と手錠を取り出してアロンソ拘束までの手順を説明し始めた。
「……お前らは車で待て。アロンソが金を受け取った時点で、俺がメールを送る。友達が礼を言いたいという名目で奴をここに連れて来るつもりだが、奴が渋ればその場で拘束する。メールして5分で俺の姿が見えなければ、裏口から入ってすぐ隣の喫煙室に来てくれ」
「分かりました」
最終の打ち合わせを終えた3人は、決意も新たに目的地へと車を走らせる。
「……そろそろ、シルバ君とバンドーさんが合流した頃ですね……」
自身の腕時計を眺めて呟くリン。
シルバに同行を断られてからというもの、彼女は宿舎内で腰を下ろす事も無く、所在無さげに室内をうろついていたのだ。
「……なあリン、少し落ち着けよ。シルバは怒りで我を忘れたりする様な男じゃねえし、今のバンドーなら十分頼りになる。ゲレーロだって、ヤクの問題さえ無けりゃ1級の実力者だ。何も心配は要らねえよ」
自身が公私に渡って支えていたシルバの一大事とは言え、普段のリンからは明らかに異なる様子を懸念したハインツが、彼女に声を掛ける。
だが、その懸念はあくまでも男性の視点による懸念。
物事を安全かつ円滑に進めるという目的と、女の意地とも言うべき自身の存在価値の揺らぎの解消との間には、何の関連性も無いのだ。
「ハインツ、そういう事じゃないのよ。リンが感じているのは不安じゃなくて、孤独みたいなものなの。例えばあたしが、バレンシアまで来てエミールの再出発に立ち会う事が出来なかったら、リンみたいな気持ちになるって事」
シルバと同様、自身の一大事に仲間の協力を仰いだクレアには、結果として安全と秤にかけられたリンの孤独が理解出来ており、その助け船にリンも小さく頷く。
「……そうですね……」
メンバーの心情とは対照的な、雲ひとつ無い青空を窓から眺めていたフクちゃんは、やがて伝えるべき事の整理が終わったかの様にリンに歩み寄る。
「あくまで法に乗っ取っているとは言え、シルバさんが追い求めていた真実とは、つまり復讐です。あの3人なら心配は要らないでしょうが、復讐はハッピーエンドにはなりません。現場に行けなかった皆さんには、彼等が帰ってきた時にも、未来のハッピーエンドを信じて迎えてあげる義務があるのだと思いますね」
全てを悟りきった様な、フクちゃんの真っ直ぐな眼差しに言葉を失うリン、クレア、そしてハインツ。
その瞬間、ハインツは自身の上着のポケットから身体に振動が走るのを感じた。
「……グルエソからだ!」
この一件で親交を深めた特殊部隊の隊員、グルエソからの電話に飛び付くハインツ。
非常事態発生か、リンとクレアにも緊張が走る。
「……ハインツか?グルエソだ!今、チャイナタウンの怪しい宗教団体に捜査令状を持って乗り込む所なんだが、何かあった時、俺達が拠点に借りているカフェを守る奴が必要なんだ。高くは無いが報酬は払う。暇なら来てくれないか?」
「……グルエソから仕事だ。チャイナタウン側のカフェの見張り、行くよな?」
受話器に手を当て、クレアとリンに視線を向けるハインツ。両者ともふたつ返事で頷いた。
「……ありがてぇ、こっちもちょっとモヤモヤしてたのさ。すぐ行くぜ!」
ハインツがグルエソからカフェの詳細を訊いている間、クレアとリンは一斉に身支度を整える。
すっかり賞金稼ぎが板に着いたリンを含め、彼女達を穏やかな笑みで見守るフクちゃんは、心強い言葉で皆を送り出す。
「ここは私ひとりで十分……いや、十分過ぎるくらいですね。お気を付けて」
5月28日・13:00
「……あそこだ!」
警察宿舎から徒歩10分、拍子抜けする程近くに目的のカフェ『フジョナル』は存在していた。
チャイナタウン側という立地からしても、多彩な人種同士の融合をテーマにしたネーミングである事に疑いは無いだろう。
ラテンとアジアの雰囲気を併せ持つ様な、ハイセンスな中にも何処かエスニックなアクセントが効いている。
「……待って、誰かいるわ!」
一足先にカフェの窓に近近付いていたクレア。
そこには、およそ店員には見えない屈強な体格の男性がふたり。
「グルエソ!来たぞ!」
用心の為、先頭を切ってドアを開けるハインツ。
右手の指を剣にかけ、肩で自動ドアのスイッチを押す形での侵入だ。
「……おう、来たな。奴等は署内で対策中だ。しかし……たかが見張りに5人も集めてどうするんだ?なあパク」
警戒心を見せずに来客を迎え入れたのは、つい先程まで特殊部隊に協力して宗教団体に潜入していた、チーム・HPのハドソンとパク。
「……貴方達、確か武闘大会で……?」
突然の遭遇にも動じる事無く、冷静に記憶の糸を手繰り寄せるリン。
パクはともかく、ハドソンの個性的な風貌は、彼等と殆ど接触の無い彼女の記憶にも残っていた様だ。
「……なるほどな。教祖がフェリックス社長のカミさんたぁ、奴等金儲けだけじゃなく、本気でロシアと政府の転覆を狙うつもりなんだな」
ハドソンとグルエソからの情報、そこにチーム・バンドーの経験と考察を交えてハインツが出した結論。
それは、フェリックス社絡みのトラブルを放置するのは危険であるという事。
「ま、俺達はただの賞金稼ぎだ。正義の味方を気取る権利は無いし、そもそも今のロシアや政府にも不満はある。だが、フェリックス社のビジネス拡大を考えると、これからは金で賞金稼ぎを組合から引き剥がし、利用するだろう。賞金稼ぎを育成する学校に資金を出しているのは奴等だからな。昔の仲間が俺達の仕事を邪魔する時代が、もうすぐ来るさ」
元来鑑賞用であり、来客用に用意されている訳ではない窓際の高級ソファーにふんぞり返りながら、近未来の到来を嘆くハドソン。
万一の事態に備えてカフェのスタッフを避難させた事を、これ幸いと言わんばかりの振る舞いである。
「……へっ、こちとら金でプライドを捨てる様な奴は仲間にしてねえよ。政府がフェリックス社の横暴を許しているのは、貧しい地域の経済に貢献しているとか、お偉方にヤクの顧客がいるとか、自分達のボロ隠しが理由だろ」
学者の父親を持ったからなのか、ハインツは物事の表も裏も見定める性分。
親交を深めたルステンベルガーやカムイにも力だけに頼らない懐の深さがあり、大金に揺らぐ可能性のある仲間と言えば、強いて挙げると底辺脱出を目指して故郷を飛び出したカレリンくらいか。
「……それはともかく、あのナシャーラとかいう教祖、魔導士としてかなりのレベルらしい。クレアさん、リンさん……でいいのかな?ここに5人も集められた理由は、恐らく貴女達が魔法を使えるからなんだと思う」
キレてさえいなければ表向き紳士的なパクは、ハドソンとハインツの喋りの圧に押されて戸惑う女性陣に声を掛けた。
「……貴方が格闘家で、ハドソンは剣士。シルバ君とバンドーの代わりだと考えれば、普通にチームとして機能するメンツよね。大丈夫!あたしは火の気がある所しか魔法が使えないけど、ここにいるリン以上の魔導士はそうそういないわ!」
「……そんな、プレッシャーです……」
クレアに発破を掛けられ、少々萎縮気味のリン。
とは言うものの、精神的な弱さや魔法発動までのタイムラグに突け込まれない限り、魔導士の力が剣士や格闘家を凌駕する事は明らかなのである。
「……なるほど。確かにチームとしてバランスが良くなった。報告名はチーム・HPでいいよな?」
「何でそうなるのよ!」
ハドソンのボケに容赦無く突っ込むクレアのキレ味に、この即席チームが機能するまでにさほどの時間はかからないであろう確信を、チームの誰もが持っていた。
5月28日・13:15
運送会社「インテル・カルガ」の裏口駐車場に車を停めたゲレーロは、面接時とは対照的に、敢えて大型トラックに隠れる目立たないスペースを選択する。
徐々に高まる緊張感を紛らわせるかの様に、シルバはアロンソの逃走に備えて周囲の通路を確認。
バンドーは魔法のイメージトレーニングを兼ねて瞳を閉じ、首の後ろの感覚を研ぎ澄ましていた。
「……よし、行ってくる。元の持ち主が持ち主だけに、この車の窓は防弾だ。車内にいる時は、誰に脅されても窓を開けるな」
「わかりました、気を付けて下さい」
車から離れ、裏口に侵入するゲレーロを見送るシルバとバンドー。
数分後、辺りを見回しながら同じコースに忍び込む人影。
外見こそありふれたスーツ姿だが、不似合いな大型のリュックを背負い、それが原因で足元が覚束無く見える程のバランスの悪さ……すなわち小柄な体格の男性が現れる。
「奴がアロンソか」
シルバは幼い頃から追い続けた両親の仇を前にして眉間にしわを寄せ、普段の彼からは想像もつかない殺気を放つ。
隣に座るバンドーも、そのただならぬ気配に畏れにも近い感情を抱いていた。
「……時間通りだ。流石は元軍人だな」
人事部長の権限で一般社員と昼休みをずらし、喫煙室にゲレーロと2人だけの空間を作り上げたアロンソ。
物騒な取引の場であるにも関わらず、意外にも部下や特殊な武器等の根回しはしていない様子である。
「お前こそ、流石は中間管理職。万一に備えて、部下のひとりくらいは連れてくると踏んでいたがな」
ゲレーロからの正直な告白に肩をすくめ、お手上げのポーズを取っておどけて見せるアロンソは、やがて取引相手と真正面から向き合い、声のボリュームを落として本音を語り始めた。
「万一に備えて応援を頼めば、俺の取り分が減る。ましてやラ・マシアに話を通せば、かなりの額をピンハネされるからな。お前とは昔仕事をしているし、何よりまだヤク中だ。長い付き合いになったら、色々とこっちが有利だろ」
アロンソはまだ、ゲレーロが特殊部隊の一員である事、警察の監視下で薬物依存症の治療を行う事を知らない。
外見や仕事ぶりこそ真っ当な社会人に見えるものの、自分に有利に働くものは全て利用するその姿勢は、爆弾テロリストだった頃と何も変わっていないのである。
「……金は持って来た。爆弾を見せてくれ」
内なる怒りを抑え、努めて冷静に振る舞うゲレーロは自らの手で持参したバッグを開け、綺麗にまとめられた5束の紙幣を机上に置いた。
「こいつがブツだ、2種類ある。大したコストはかかっちゃいねえ。リュックごとくれてやる」
アロンソもリュックを机上に置き、互いに取り引き品の鑑定に入る。
「……安心しな、全て本物の札だ。真ん中に偽札なんざ挟んじゃいねえ」
血眼で札束をチェックするアロンソを見下ろしながら、ゲレーロは警察の協力の下、銀行からナンバー順に卸した新札に胸を張った。
「爆弾は本体と火薬管を分割してある。電池ボックスの隣のスペースにセットしろ。ディスプレイが20の数字になっているのは、それぞれ20時間と20分にタイマーが設定された時限爆弾だからだ。別途のリモコンを使えば、即爆破も可能だぜ」
札束のチェックが進み、その表情から安堵感が滲み出るアロンソの説明を聞くゲレーロ。
しかしながら、20時間と20分の時限爆弾とは、使い勝手の面で少々疑問も拭えない。
「……おい、もっと使いやすい時間の爆弾は無いのか?24時間とか、1時間とかのやつだよ」
ゲレーロからの不満を鼻で笑い飛ばすアロンソ。
そこには、爆弾テロの第一人者としての知識と経験が裏打ちされていた。
「爆弾をよく見てみろ。空気清浄器に見立てた送風口と、サーモグラフィー的な色合いが入っているだろ?誰かが爆弾を見付けた時、温度計が周囲の温度を20℃に知らせているという細工なんだよ。公共の施設の温度は、25℃であれば誰もが少し暑い、暖かいと気付くが、20℃であれば誰も不審に思わないんだ」
ここまでの会話を、ゲレーロは全て録音している。
アロンソの逮捕と、罪状の確認の為に有力な証拠となるだろう。
「……よし、5000000CP全て本物だ。お前さえ良ければ、これで取引成立だな」
満足気なアロンソの表情を確認したゲレーロは上着のポケットに手を入れ、予め用意していた携帯メールを車内で待つシルバとバンドーに送信する。
「ケンちゃん、メールが来た!取り引き成立だね!」
「……バンドーさん……。アロンソが来た時はケンちゃんじゃなく、ロドリゲスで通して下さいよ……。自分達は南米のテロリストになりきっているんですから……」
テロリストに扮装しても相変わらずのバンドー節に、沸き上がる殺気と緊張感を不意に削がれてしまうシルバ。
だが、バンドーの狙いは当然そこにあった。
彼は親友である幼馴染みに、アロンソを普段の仕事で接するレベルの小悪党として退治して欲しいと願っていたのだ。
「取引成立だ。……アロンソ、実は車に友達が乗っている。お前に礼を言いたいのと、今後の付き合いを考えての事らしいんだが、会ってくれるか?」
この作戦最大の肝である、アロンソとシルバの対面を実現させる為、ゲレーロの言葉にも若干の緊張が混じる。
アロンソは軽い笑みを浮かべて顔を上げ、自らスーツのポケットから小さなレコーダーを取り出して口を開く。
「……悪いが、このやり取りは録音させて貰っている。万が一残りの5000000CPが来なかった時には、残念だがラ・マシアに報告してお前らを追跡しないといけないからな。いいぜ!これだけ気前のいい奴等なら、末長くお付き合いしたいもんだよ!」
アロンソ自身は、年齢的な体力・行動力の衰えを理由にラ・マシアから戦力外を通告された立場。
しかしながら、反社会的行為で大金が動く事態に、彼等の力と人脈以上に頼りになるものは存在しなかった。
「……よし、これからお得意様になる可能性もあるからな。そこの大型トラックの陰に停めてあるから、一緒に来てくれ」
金銭面以外に不安を抱いていないアロンソの姿を確認し、ゲレーロは胸を撫で下ろす。
これでもう、いつでもアロンソを逮捕出来る。
後はただ、シルバの無念と怒りをどこまで汲み取るか……その情状酌量だけが残されていた。
「……来た!アロンソだ!」
車の窓に貼り付いて人影を確認するバンドーの隣で、シルバはサングラス越しに両親の仇を凝視する。
11年前、テロ現場からの逃走を試みるアロンソに、当時はまだ30代の軍曹で、たまたま近隣で休暇を過ごしていたロドリゲス隊長が飛び掛かっていた。
両者の体格差から、格闘はロドリゲス軍曹が圧倒的に優位に立っていたものの、バスから吹き込む第2波の爆風で2人は引き離され、それ以来アロンソは警察の目を逃れ続けて来たのだ。
「……お客様だぜ」
これ以上は必要無い程の簡潔な伝言とともに、車の窓をノックするゲレーロ。
シルバとバンドーは一旦冷静を装い、サングラスの奥から愛想笑いをアロンソに投げ掛ける。
「恩に着るぜ、親友」
シルバの流暢なスペイン語を耳にして、彼等を「本物」であると認識したのか、無言で軽く頷いてみせるアロンソ。
「スペイン語はラティーノの誇りだ。ワン・ネイションとやらを理由に英語が蔓延るこの世界で、マトモにスペイン語を話せる奴が客で嬉しいよ」
「紹介する。長身の男がロドリゲス、丸顔の男がバンドロスだ」
アロンソの仲間意識に安堵したゲレーロは、そのままシルバとバンドーを紹介。
自身の特徴を丸顔と表現されたバンドーはやや不満気だが、事実故にやむを得ない。
「これで仲間を侮辱した議員を殺れる。コロンビアにも爆弾を作れる奴はいるが、スペインまで安全に運ぶ手段が無かったんだ。必ず成功させて、残りの5000000CPもゲレーロ経由で届ける、心配するな」
シルバがテロリストの立場を代弁してアロンソを安心させたその時、バンドーからのアイコンタクトでゲレーロが本題へと斬り込んだ。
「……アロンソ、昔の話に付き合ってくれ。お前、ブラジルでテロをやった事があると聞いたが、11年前、サントスのバス爆破テロに関わったか?」
ゲレーロからの突然の追及に、アロンソの表情は疑念と困惑に染まっていく。
だが、既に時効である事が彼を後押ししたのか、暫しうつむいて目を瞑っていたアロンソはやがて顔を上げ、ゆっくりとその口から言葉を紡ぎ出す。
「……ああ、俺がやった。仲間から頼まれて、脅しのつもりでやったんだが、2人死者が出ちまった。今でも悪いとは思っているが、あそこで捕まったり自首したりしていたら、今の俺は無かっただろうな」
遂に探し当てた両親の仇。
この瞬間、シルバは我を忘れてサングラスを投げ捨て、怒りも露にアロンソの胸ぐらに掴みかかっていた。
「……うおっ!? 何だテメェ!いきなりどうしたよ?」
動揺を隠せないアロンソを尻目に、瞳を血走らせて肩を震わせるシルバ。
この段階では、バンドーもゲレーロも事態の静観を決め込んでいる。
「……アロンソ、このロドリゲスはあの時死んだ夫婦の息子だよ。そして、あの時お前を捕まえようとした軍人は、このロドリゲスの義父であり、今の俺の上司だ」
狼狽するアロンソをまるで見下すかの様に、自分達の正体を冷酷に告げるゲレーロ。
目の前の男達の目的をようやく理解したアロンソの表情にも、みるみる内に怒りの色が拡がっていく。
「……テメェら、最初から俺をハメるつもりだったんだな……!あのテロはもう時効だろ?わざわざ小細工しやがって……ぶおっ!?」
大声を上げるこの男を黙らせる為、そして何より、シルバが11年間抱え続けてきた怒りの矛先として、アロンソの頬に強烈な右フックが叩き込まれた。
「……がはっ……!」
シルバとの体格差もあり、一撃であっさりと駐車場に転がるアロンソ。
口の中を切ったのか、唇周辺から若干の出血が見られるものの、その様子を確認したバンドーやゲレーロからの制止はまだ無い。
「……アロンソ、俺達は南米のテロリストなんかじゃない。アジア系の賞金稼ぎだよ。このロドリゲスは俺の親友だ。何の罪も無い彼の両親が殺される程、あんたのテロとやらに正当性があったのか、話を聞かせてくれ」
バンドーはシルバに続いてサングラスを外し、自らの正体を顔ごと明かした上でアロンソに事の真相を問い詰めた。
「……俺はただ、金回りのいい仲間から頼まれただけだよ!」
ゆっくりと立ち上がったアロンソは唇の血を拭い、悪びれる事も無く堂々とした態度で過去に想いを馳せる。
「……その日はサントスのサッカースタジアムで、ブラジルとアルゼンチンの親善試合が予定されていた。だが、当時のサントス市長はアルゼンチンの一部サポーターのマナーを警戒して、アルゼンチンからの観客全員を入場禁止にしたのさ。貧しい中、もう旅費もチケット代も払った多数の観客に謝罪の一言も無い。だからサントス市長に一泡吹かせる為に、スタジアム近くにあるバス乗り場の中から、一番乗客の少ない路線バスに軽い爆弾を仕掛けただけなんだ!あの程度の爆弾で、死者が出るとは思わなかった!」
「……貴様……たかがその程度の怒りで、人の命を……!」
アロンソの弁明に業を煮やしたシルバは右足一閃、全力のミドルキックを振り上げ、ガードする余裕すら無かった相手の左テンプルを直撃。
頭を地面に打ち付ける形で卒倒したアロンソに慌てて駆け寄るゲレーロは、彼の意識がある事を確認して安堵の表情を浮かべると、シルバと向き合い、やがて大きく頷いた。
「……よし、ケンちゃん、ここまでだね!まだ怒りが収まらなければ、俺とスパーリングしよう!」
肩で息をするシルバを背後から抱き締めたバンドーは、いつもの彼らしい穏やかな太字スマイルを浮かべ、親友にして幼馴染みであるシルバの心情を巧みに汲み取る。
「……奴の爆弾は軍隊レベルの完成度だ。恐らく今まで何件もの爆弾テロに関わっているだろう。安心しろ。お前の両親の仇は時効でも、奴は保釈を選べるレベルの人間じゃない」
ゲレーロはアロンソに手錠をかけて身柄を拘束し、シルバの肩を叩いて積年の恨みを労った。
ピピピッ……
突然鳴り響く、シルバの携帯電話。
ディスプレイに表示された番号はバルセロナ警察の本部だが、特殊部隊のメンバーを通さない連絡は極めて珍しい。
順調に事が運べば、今頃宗教団体に乗り込んでいるはずの彼等に身に、何かあったのだろうか?
「……はい、シルバですが……」
緊張した面持ちで電話に出たシルバを待っていたのは、思わぬ報せだった。
「シルバさんですね?こちらはバルセロナ警察です!特殊部隊から事情を聞きました。貴方のご両親が亡くなられた11年前の事件で、爆弾の煙と破片を吸って肺に障がいを負ったもうひとりの被害者様が先日お亡くなりになり、肺の病と爆弾との因果関係が認められました!つまり、先の事件の犠牲者は3名となり、時効が15年に延びたんです!」
「……え!? それはつまり……?」
「拘束した容疑者に間違いがなければ、彼を11年前の事件で裁く事が可能になります!容疑者の供述を我々が引き出せば、彼に仕事を依頼した容疑者、しいてはラ・マシア人脈にも斬り込む事が出来ますね!結果として、我々の捜査に協力していただきました。誠にありがとうございます!」
警察の担当者とのやり取りの合間に、シルバの表情が明るくなっていく過程を眺めていたバンドーとゲレーロにも、やがて微笑みがこぼれていく。
「こちらこそ、ありがとうございます!天国の両親も喜んでくれるはずです!」
シルバは通話しながら、誰もいない空間に向けて何度もお辞儀を繰り返し、その光景を何故か遺伝子レベルで知っていた日系人のバンドーは、目の前の現実をガッツポーズで受け入れていた。
「……最後に、これから多忙になるという事で、ロドリゲス隊長からの伝言をお預りしました。そのままお伝え致します」
チーム・バンドーがニュージーランドへと赴く可能性がある事を、ゲレーロから聞いたのだろうか。
普段改まった話をする事のない義父からの伝言に、シルバの背筋が伸びる。
「……あの日、私が犯人をちゃんと捕まえていれば、お前が人生に重荷を背負う事は無かっただろう。だが、お前の無念を晴らしていれば、お前が軍人になる事も、私の養子になる事も無かった。私は父親らしい事は余りしてやれなかったかも知れないが、お前は私と母さんにとって、世界一の誇れる息子だよ」
厳しい訓練に耐えた日々。
両親の仇の手がかりを探し続けた日々。
各地の紛争を潜り抜けた日々。
バンドーやリンを始め、仲間達に癒された日々。
伝言を聞きながら、知らず知らずに涙が込み上げるシルバの姿を目の当たりにしたバンドーは、無言で彼の元に寄り添い、崩れ落ちそうなその大きな身体を支えていた。
「……くっ、げほっ……!」
大きな叫び声を上げ、突如として地面に倒れ込むゲレーロ。
つい先程とは別人の様な顔色である。
「ゲレーロ!」
意識を取り戻したアロンソを蹴飛ばすかの様な勢いで、バンドーとシルバはゲレーロを介抱する。
視線は虚ろで、呼吸も不安定だ。
「……来ちまったな。3日に1回くらいある、ヤクの禁断症状だ……。こいつはもう暴れて叫んで、ピークが過ぎるまで耐えるしかねえ……。バンドー、俺のバッグにもうひとつ手錠がある。俺を拘束しろ」
「……!! そんな事……」
「死にてえのか!? さっさとやれ!」
武闘大会でさえ見せた事の無い、ゲレーロの鬼の形相に怯むバンドー。
一度は彼を拘束した事のあるシルバは、言われるまま冷静に手錠をかけ、自身とともに車の後部座席にゲレーロを押し込む。
「警察本部に行きましょう!バンドーさん、アロンソを助手席に乗せて運転を宜しくお願いします!」
「オッケー!」
凶暴化したゲレーロと同じ後部座席に座らなくてもいい安心感からなのか、すっかり観念した様に見えるアロンソを助手席へと押し込み、バンドーは慣れない高級車を目的地に向けて走らせた。
「がああぁぁ!こから出せええぇぇ!」
狭い車内でフルパワーを駆使して暴れるゲレーロ。
今の彼を食い止める事が出来るのは、ほぼ同じ体格を誇るシルバ以外に存在しない。
「ケンちゃん、頑張って!ここから警察本部まではそんなに遠くないから!」
検挙寸前のスピードで慣れない高級車を飛ばすバンドーを横目に、アロンソは醒めた眼差しでひとり呟いていた。
「……俺の親父もヤク中だったよ。物心着いた時には一家離散さ。だが、俺がラ・マシアで稼いでいた頃は、会った事もねえ親族や友達が金を求めてゾロゾロと湧いて来やがったぜ。ラ・マシアからインテル・カルガに左遷されてからは、また波が引く様に人は消えていった。結局世の中、嫌な事から逃げる為に誰かを食い物にするだけなんだよ……」
アロンソには彼なりの、過酷な経験に裏付けられた人生哲学があるのだろう。
仲間の絆や人間の良心に触れてきたバンドーは一言、「それは違う!」と強く否定したかったが、説得は諦めた。
自身が恵まれた環境で生まれ育っていたという現実を、既にヨーロッパで嫌という程思い知らされていたからだ。
5月28日・13:20
バンドー達と時をほぼ同じくして、ゲレーロを除く特殊部隊4名は、宗教団体「POB」のナシャーラ教祖のSPが起こしたトラブル動画を証拠に、教堂と雑貨屋の捜査令状を得て現場へと乗り込む。
雑貨屋店主のヤンとともに対応を迫られた、宗教団体「POB」 のナシャーラ教祖は、自身のSPがハドソンとパクに完敗するとは思っていなかったのか、彼等の無礼と自身の命令を素直に詫び、特殊部隊の訪問を自らの控え室に受け入れていた。
「……この度は、我々の行動がご迷惑となってしまった事を深くお詫び致します。私の家族への注目もあり、産業スパイや誹謗中傷目的のメディア対応を強化せざるを得なかったのです」
イスラエルと旧アメリカ系財閥の手で勢力を拡大し、今やアースNo.1の巨大企業に成長したフェリックス社の社長夫人ともなれば、確かに外部接触者には最大限の警戒を要するだろう。
彼女の護衛の為、ある意味盲目的な味方の育成が必要となり、その結果が「新興宗教の教祖として彼女の美貌とカリスマ性を活かす」というビジネスコンセプトに繋がった……という見方も出来る。
「……ヤンさん、初めまして。自分はドンゴン・キム、ソンジュン・パクの古い友人です。貴方個人には何の恨みも無いのですが、関係筋から、貴方の店が中国からの武器やドラッグの密輸中継地点になっているという噂を耳にしたのです。店頭や帳簿の記録には無い荷物の中身を確認した事はありますか?」
雑貨屋の密輸疑惑の調査は、店主ヤンと同じアジア系のキムの仕事となっていた。
ラ・マシアの雑用係だった少年・マジードの証言もあり、警察組織として既にヤンの容疑を仮定してはいたものの、彼の機嫌を損ねてしまっては、フェリックス社との大切な窓口を失ってしまう。
この件の担当に関しては、両者の共通の友人であるパクが存在し、既にラ・マシア本部周辺事情を熟知したキムこそが相応しい。
「ああ、ミスター・キム、貴方もですか……。我が故郷・中国は、これ程までにアースの全てを支え続けているのに、一体いつになったら正当な評価を得られると言うのでしょう……?私の店は荷物を一時的に預かるだけで、荷物はインテル・カルガの集荷トラックが取りに来ます。中身は見た事も無いですね。中国からの荷物ならば、トラブルに対処するには中国に詳しくないといけないので、たまたま私の店が利用されているだけです。報酬も金利手数料レベルですよ」
中国への過小評価という、ややもすると被害妄想とも取られがちな嘆きで瞳を曇らせるヤン。
この時点で彼は既に、先日軍でクーデター未遂事件を起こしたチェンと同じ精神状態にあると言え、新興宗教「POB」による洗脳が一定の効果を上げている裏付けとなるだろう。
ヤンのその姿に、同じアジア系としてキムは少々同情的な素振りを見せつつも、これからゲレーロ達が連行するであろうアロンソを尋問すれば、雑貨屋とラ・マシアとの関係性について早々に事実が判明する確信を持っていた。
「……ナシャーラさんと言ったな、俺はグルエソだ。信仰の自由は誰にでもある。だが、俺の友達のチェンは、あの雑貨屋のオヤジみたいな事を嘆いて軍でクーデターをやりかけたんだ。あんたの教団で、チェンに行動を急かして強引に追い詰めたりした事は無いのか?」
「そこの君!ナシャーラ様に何て事を言うんだ!」
堪えきれずに発したグルエソの正直な疑問は、当然の様に熱心なPOB信者であるヤンの怒りを買う事となる。
だが、こんな質問は既に織り込み済みとも言いたげに、涼しい表情でグルエソを真っ直ぐ見つめるナシャーラの口元には、妖艶な笑みさえ浮かんでいた。
「……我々の教えに基づいた貴方のお友達に何かあったのであれば、私も出来るだけの責任を負わせていただきます。しかしながら、軍隊とは大変に封建的で、上官の命令は絶対な組織であると聞いています。そんな環境で日々を過ごしていれば、そのお友達は時折訪れる我々の教えに、むしろ救われていたと認識しますね。信仰だけを責めるのは、お門違いというものではありませんか?」
そう言ってナシャーラは部屋の椅子から立ち上がり、彼女が壁のスイッチを押すと同時にSPとは違う、剣士らしき護衛の男が複数、特殊部隊の前に立ちはだかる。
「……これは……賞金稼ぎ?」
これまで対峙した相手とは異なる、高額な剣と防具に身を包んだ剣士達の登場に、ガンボアは戸惑いを隠せない。
「……ふふふ、久しぶりに面白い奴等を相手にするな!何でもアリだ!」
百戦錬磨のロドリゲス隊長は、暫く忘れていた鬼軍曹時代の闘争本能が蘇る感覚を味わいながら、若手隊員とは対照的に素手で戦う気迫に満ちていた。
「……次の街での仕事がありますので、私はここで失礼致します。この者達は、皆様が手をお出しにならなければ危害は加えません。ご安心下さい。では、ごきげんよう!」
迎えの連絡か、携帯電話を片手に颯爽と走り去るナシャーラ。
魔法による加速もあるのだろう、不惑過ぎの女性とは思えないスピードである。
「グルエソ!カフェのメンバーに応援を要請しろ!お前の足でナシャーラに追い付けなければ仕方がない、行け!」
「おう!」
元レンジャー隊員で、スピード・スタミナともに自信のあるグルエソは、ロドリゲス隊長からの直々の指名にモチベーションを高め、カフェに電話を入れながら自身の足だけでナシャーラに勝負を挑んだ。
「ペドロ、お前はここに残れ。俺とナバスはナシャーラ様をお守りする」
豪華な装備の重さをものともせず、3人の賞金稼ぎのリーダー格・ゴメスは、細身の相棒・ナバスを連れてナシャーラの援護に飛び出して行く。
「ここは私ひとりで十分だ!ガンボア、キム、奴等を追い掛けろ!」
「はい!」
剣を持つペドロに対し、拳銃こそ所持してはいるものの、相手の攻撃から身を守る防具は無いロドリゲス隊長。
それでも、何の躊躇も無くガンボアとキムが走り去って行った背景には、彼等がロドリゲス隊長の実力を全く疑っていない現実がある。
そう、彼はそもそもシルバの師匠なのだ。
「……親父みたいな年齢のアンタが、丸腰で俺とやるつもりなのか……?舐めんじゃねえよ!うおりゃあぁ!」
小柄なペドロは基本に忠実なステップを駆使してロドリゲス隊長との間合いを詰め、無駄の無いスウィングから相手の太股を斬り付けにかかる。
「おっと!この動き……さっきのSPよりは出来る様だな」
ペドロの身長から計算した手数とコースの読みが的中したロドリゲス隊長は、次なる一手に備えて瞬時にジャンプの態勢を整える。
「……喰らえ!」
再び太股を狙うと見せかけ、反動を付けて下から上へと剣を振り上げるペドロ。
だが、その動きを読んでいたロドリゲス隊長は剣の先より高く飛んでおり、刃を避ける様に強烈な回し蹴りを相手の首筋にお見舞いした。
「……ぐはああぁっ……!」
首筋を押さえてよろめくペドロの背後に素早く回り込み、分厚い防具のカラー部分に腕を割り込ませて、相手の首を急速に締め上げるロドリゲス隊長。
「……ぐっ……ぬおおぉっ……!」
立派な防具が災いして首の逃げ場を失ったペドロは、瞬く間に意識を失い、その場に崩れ落ちた。
「……俺が軍に入った動機も、元はと言えば金だからな……。若い頃は、金に目が眩んでもいいのさ。ケン……獲物を待ってるからな!」
「……あそこだ!」
カフェから道路に飛び出し、こちらに走って来るナシャーラの姿を確認するハドソンとパク。
「……あれがナシャーラ?レンジャー隊員のグルエソが追い付けない程速く走れる、中年の女性なんているの?」
長い黒髪をなびかせ、優雅に風を切り裂いて走るナシャーラは、同じ女性であるクレアの目にも美しく見えた。
だからこそ、その驚異的なスピードと実年齢とのギャップに驚きを隠せない。
「……加速魔法を一瞬ではなく、あんなに継続して使えるなんて……ただ者じゃありませんよ!」
驚愕するリンを含めて、殆どの魔導士は瞬間的にしか使用出来ない高等魔法「加速」。
安定した高速走行の為に、単なる風魔法ではない浮力の調整と、自身の肉体への負担を計算しなければならないこの魔法は、魔力以上に魔導士本人のタフネスが重要。
言い換えるならば、ナシャーラは素の状態でも陸上選手並の能力を兼ね備えていると言えるのだ。
「……あんな魔法、フクちゃんくらいにならないと使えねえと思っていたぜ……!」
自身がフクちゃんの加速魔法を体験した事のあるハインツは、人間としての努力や根性の壁を軽々と乗り越える「魔法」という化け物に、己の価値観を大きく揺さぶられている。
「挟み撃ちだ!ナシャーラを止めてくれ!」
レンジャー隊員の意地を見せ、辛うじてナシャーラに喰らい付いているグルエソが救援を要請。
このスピード相手に、剣や格闘は無意味だ。
火の気もない現状に於いて、ナシャーラに対抗出来るのは、焦点を定めたリンの空気球のみ。
「はああああぁぁっ……!」
急速に集中力を高め、これまで以上の大きさの空気球を生成するリン。
幸い、今日は雲ひとつない晴天である。
(……あのスピードでは、狙いが外れると弾かれてしまう……。相手の意識は足の浮力に集中しているはず。減速させるより、むしろ加速させた方が転倒の可能性が高い……よし!)
「でえええぇぇいっ……!」
豪快な叫び声から、サイドスローで巨大な空気球を投げ付けるリン。
その軌道は大きく右側に膨らんだコースからナシャーラの背後に回り込み、相手の後頭部を直撃した。
「……あううっ……!?」
バルセロナの街に一瞬、まさかの竜巻が発生。
通りの端に避難していた通行人が慌てて近くの建物に逃げ込む中、自身の加速の限界を超えたナシャーラは前のめりに地面へと転がる。
「……やった!リン!」
クレアを始め、歓喜の声を上げるチーム・即席とグルエソ。
「……ナシャーラ様!? 貴様らぁ……!!」
ナシャーラ、グルエソに遅れて追跡を続けていた護衛剣士、ゴメスとナバスは怒りの余り剣を抜き、その背後から更に追跡を続けていたガンボアとキムが、ジェスチャーで注意を呼び掛けた。
「やっと出番だな!任せろ!」
互いにアイコンタクトで合図し、それぞれの正面から迫り来る相手の前に立ち塞がるハインツとハドソン。
ハインツはゴメス、ハドソンはナバスとの勝負である。
「……くっ、この私を……!……まだまだ世界は広いという事なのですね……」
美しい黒髪を土埃で汚しながら、それでも澄んだ瞳を濁らせる事の無いナシャーラ。
やがてゆっくりと立ち上がった彼女は、自慢の衣装の汚れを祓い、リンと正面から対峙した。
「……貴女、なかなか見込みのある方ですね。その瞳の奥底に、高貴な雰囲気も持っていらっしゃる。私と一緒に、魔法を極めに行きませんか?」
この時点で、リンとナシャーラは初対面。
ナシャーラがリンの素性を知る由も無いとは言え、自らを地面に這わせた相手を即スカウトするという器が、逆に彼女とフェリックス社の野望の大きさを窺わせている。
「お断りします。私は貴女方の会社に職場を買収されて仕事を辞めた人間ですから」
リンの勤務していた図書館である「アメリカーノ・ライブラリー」は、フェリックス社に買収され、図書館業務の縮小を迫られた。
彼女が賞金稼ぎとして生きていく事を決めた背景には、まずシルバの存在があった事は否定出来ないものの、正規職員として図書館司書を続けられない現実が決断を後押ししていたとも言える。
いずれにせよ、他のメンバー達とは異なり、リンにはフェリックス社を憎む明確な理由が存在していたのだ。
「……そうですか、申し訳無い事をしましたね。後悔の無い、それぞれの道を歩まなければいけませんね……」
少々残念そうに瞳を伏せ、ナシャーラが自らの携帯電話を高々と宙に掲げる。
その行動と時を同じくして、耳をつんざく爆音がバルセロナの街を包み込んだ。
ナシャーラが呼び寄せたフェリックス社のヘリコプターが1本のロープをぶら下げて、強引に低空飛行で割り込んできたのである。
「……バカな!? この騒動を揉み消せる程の力が、フェリックス社にあると言うのか!?」
ガンボアとキムが茫然と空を見上げる中、ヘリコプターへの合図の意味もあるのだろう、ナシャーラは携帯電話のライトを最大に照らし、やがて精神を統一して何かに備えている様に見えた。
「……まさか……!?」
ナシャーラが一瞬開けた彼女の口の奥に、蒼白い光を確認するリン。
口の奥が魔力の発射口であれば、外部からの魔法阻止は不可能である。
「……それでは、ごきげんよう。ご縁があれば、またお会いしましょう……はああぁっ!」
ナシャーラの口の奥から発せられた蒼白い光は、瞬く間に携帯電話のライトと融合し、目を開けられない程の強烈な照明となって、その場に立ちすくんでいたリンとクレアを襲った。
「……あっ……!眩しい!」
「……くっ!目が、目が……!」
一瞬の目眩ましに倒れ込むリンとクレア。
背後にいて難を逃れたパクが、慌てて両者を介抱する。
「たあああぁぁっ……!」
その卓越した身体能力で、軽々とロープに飛び付くナシャーラ。
長い黒髪を大きく乱す強風も、むしろ楽しんで浴びている様に思わせる、そんな彼女の満足気な微笑みとともに、ヘリコプターはバルセロナ上空に消えて行った。
「……おい、教祖様はお帰りだぜ!まだ戦うのか?」
あれから一進一退の攻防を続けている、ハインツ・ハドソン・ゴメス・ナバスの4名。
実力ではハインツ・ハドソン組が若干上だが、確かな腕前に加えて最高級の防具に助けられているゴメス・ナバス組には、流石の彼等も大きなダメージを与えられずにいる。
「……当たり前だ!ナシャーラ様と教団の邪魔になるものは、断固排除する!」
ハインツからの呼び掛けを即座に却下するゴメス。
流石は新進気鋭の実力派剣士・メナハムを育成したフェリックス社、剣士は人格も重視した選考がなされている様だ。
「それだけいい剣と防具が買える金を貰っているんだからな!忠義に厚い男、俺は好きだね!」
同じ長身ではあるものの、パワーとスタミナでナバスを大きくリードするハドソンは、ハインツより余裕があると見える。
「ハインツ、このままじゃ明日は筋肉痛で終わっちまう。戦う場所を交換しないか?」
「何だと?……なるほど、そうか!」
ハドソンからの提案を理解したハインツは、互いの歩調を合わせて攻撃のパワーを弱め、少しずつ後退りを始めた。
「……へっ、偉そうに!ただ疲れただけじゃねえか!お前らを倒せば俺達のランキングも上がる、契約更新だな!」
甲高い声で自信の程を窺わせるナバスは、ここぞとばかりハドソンを押し込み、自らの相手とハインツの背中が近付いている事に、まだ気が付いていない。
「とどめだっ……!」
ゴメスとナバス、両者が互いにとどめの一撃を相手に繰り出すその瞬間、ハインツとハドソンは巧みに戦線から脱け出し、ゴメスとナバスは互いに正面衝突する。
その結果、互いの最高級の剣を、互いの最高級の防具に炸裂させたのだ。
「……ぐおおっ……!」
斬り掛かった部位が互いの肩口であった為に致命傷とはならなかったが、裂けた防具の間から鮮血が滲み、両者はもんどり打ってその場に崩れ落ちる。
「やったな!ハドソン、お前とは意外と合うかもな!」
「おうよ!……ところでハインツ、今からでもカナダ出身にならねえか?」
両者の息の合った掛け合いに、視力の回復したリンとクレアは微笑みを浮かべ、パクは毎度の如く頭を抱えていた。
「……チーム・バンドー、そしてチーム・HPの皆さん、この度は本当にご協力ありがとうございました!ナシャーラを逃したのは残念ですが、ゴメスとナバスを尋問すれば多少の情報は引き出せるでしょうし、つい今しがた、中尉とゲレーロ、バンドーさんがアロンソを警察本部に連行したとの連絡がありました。我々の目的全てに解決への道筋が記されましたよ!報酬は明日の朝、振り込ませていただきます」
ゆっくり徒歩でこちらに向かっているロドリゲス隊長に代わり、場を仕切るガンボア。
チーム・バンドーのメンバーは、シルバとバンドーの無事と目的達成を何より喜んでいる。
「……お前らとの仕事、楽しかったぜ。来年は武闘大会でいいクジ引けよ」
親交を深めた新しい仲間達との、暫しの別れ。
武闘大会決勝で会おうと言わない所が、未だチームメンバー募集中のハドソンらしい。
「チーム・バンドーの皆さんは、来月にはニュージーランドに行かれる可能性があるとの事ですよね?ハドソンさん、パクさんとともに、今月末までは警察宿舎をお貸し致します。暫くゆっくりなさって下さい」
「ガンボアさん、キムさん、そしてグルエソ!本当にありがとう!」
クレアは賞金稼ぎチームを代表して、警察と特殊部隊の厚意に深い感謝を述べた。
5月28日・16:00
「ただいま〜!」
警察との雑務、そしてゲレーロの見舞いを終えたバンドーとシルバが、警察宿舎に帰還する。
両者ともに、アロンソを怒りに任せて袋叩きにした訳でもなく、尽力してくれたゲレーロの容態に後ろ髪を引かれる結末となってしまったが、何はともあれシルバの復讐は終わったのだ。
「……シルバ君、バンドーさん、お帰りなさい」
玄関で両者を最初に迎えたのは、やはりリン。
その表情は、別れ際に見せた悲しげなものではなく、明日を見つめる決意を感じさせる晴れやかなものである。
彼女には新たな目標が出来た。
チーム・バンドー、そしてシルバとの未来。
更にはナシャーラという、自分より強く、しかし、いつかは対峙する事となるライバルの存在。
「……ジェシーさん!」
自身が敢えて突き放した彼女が、全てを受け入れて迎えてくれた目の前に現実に感激したシルバは、無意識の内に彼女を抱き締めていた。
「……ただ今戻りました。自分のわがままに文句を言わずに付き合ってくれたジェシーさんがいない人生は……もう自分には考えられません。バンドーさん、クレアさん、ハインツさん、そしてフクちゃん……。明日からは自分が、この力を皆さんに捧げます!」
涙を浮かべて感謝の意を述べるシルバの腕の中、これまでとは違う深い愛情に満たされるリン。
だが、彼女のサポートはここで終わる訳では無い。
チームの誰もが薄々感じている、新たな時代の到来と激動。
その中で、自分達の生活の為だけに賞金稼ぎを続けてはいけないという使命感を、警察や特殊部隊との共同戦線が教えてくれたのだ。
しかしながら、張り詰めた緊張の糸が切れそうな今、ニュージーランドで鋭気を養う権利が彼等にはある。
フクちゃんが語っていた、未来のハッピーエンドの為に、自分達の歩みを振り返る時が来たと言えるだろう。
「……シルバ君、貴方を必要としているのは私だけじゃありません。自分の運命を自分で切り開く手助けの為に、私達みんながいるんです……」
想いを上手く言葉に出来ず、もどかしさを隠せないリン。
あれだけ沢山の本を読んで毎日を過ごして来たのに、込み上げる熱い涙が邪魔をする……。
「……おお、こりゃあ俺達、早く退場した方がいいな〜」
「何だよ、今帰って来たばかりじゃないか!」
ハインツとバンドーのやり取りは部屋の爆笑を誘い、やがてシルバとリンを残し、チーム・バンドーは別室のハドソンとパクに合流した。
……尚、この後バンドーはパクからチーム・HP加入への勧誘を執拗に受け、その瞬間、いつもとは正反対にハドソンが頭を抱えていた事は言うまでも無い。
(続く)
いつも超・長文の「バンドー」の後愛読、誠にありがとうございます(笑)!
この度私は、新たなるチャレンジとして、短期集中連載のハイファンタジー小説に挑む事となりました!
つきましては、4月と5月を当該作品にあて、「バンドー」の新章スタートは6月となります。
ご迷惑をお掛けして申し訳ありませんが、作者としての成長と、「バンドー」の更なるパワーアップの為、ご理解のほど宜しくお願い致します!




