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「第一話」落ちこぼれ巫女とタタリガミ


 武家屋敷に備え付けられた縁側。見据えるのは真正面の木桶。

 背筋を伸ばした正座のまま、私は手を合わせて掌印を組み上げる。


 発動する術を思い浮かべながら、体の内側に眠る力を呼び覚ます。呼吸を一定に保ちながら、ゆっくりと慎重に手順を踏んでいく。体の中心から掌印に集まっていく力……溜まり、整った。──今なら、いける。


 「──はぁっ!」


 ……。

 狙った木桶はびくともしない。そもそも、組んだ掌印からなにかが放たれることもない。

 失敗。もう何度目かわからない事実が、いつもと同じように突きつけられる。


 「っ……」


 もう一度、もう一度やろう。

 印を組み直し、深く息を吸い込もうとして。


 「もういい、やめろ。時間の無駄だ」


 遮るように、真横から重い声が聞こえてくる。

 見るとそこには、苦虫を噛み潰したような表情の父がいた。


 「お前は一体、あとどれほどの時間を無駄にすれば気が済むんだ」

 「う、うるさぁい! うるさいうるさいっ! いきなり話しかけてこないでよ集中が切れちゃったじゃん!!!」

 

 感情むき出し。それに対して、親父は冷ややかだった。


 「……弓さえ使えれば、目隠ししても当てられるわよ。わざわざ霊力使って印組んで? 回りくどいわよ、こんなの……」


 そっぽを向き、私はそう言い切った。

 父親はいつものように大きなため息をつき、声を少し低くしてから御高説を垂れ始めた。


 「祟神は腐っても神だ。霊力を扱える者でなければあちらに攻撃は一切通らず、戦うことはまずできない。……それは即ち、巫女としての”祟神を鎮める”という使命を果たせないということだ」


 悔しいけど何も言い返せなかった。だって、全部事実だから。


 私、天道ヒナタが生まれた天道家は、数ある巫女名家の中でも最上位である天道家。

 巫女としての素質や実力は勿論、契約するのは名のある神々ばかり。


 次女のライカは雷の神、末っ子のフウカは風の神と契約している。


 ……なのだが。

 長女である私だけが巫女の才能、即ち霊力を操る才能がない。

 霊力自体が無いわけではない。だが、何故か身に宿る霊力を練り上げることが極端に苦手、というか今まで一度もできたことがないのである。


 故に祟神の怒りを鎮めることなどできず、そんな私と契約してくれる神がいるわけもなく。……要するに、私はこの家唯一の落ちこぼれなのだ。


 「まぁ聞いてくれ、ヒナタ。別に私はお前に巫女であることを求めているわけではないんだ。お前でなくとも、もう十分ライカやフウカが……」

 「うるさいっ!」


 伸ばしてきた父の手を引っ叩き、私は後ろに下がる。


 「私だって頑張ってるの! でも全然上手く行かないの!」

 「ヒナタ……」

 「霊力が使えない、印も結界も使えない! ああそうよ、私なんてあんたら才覚に溢れる素敵な人間にとっては、邪魔だしお目汚しにしかならないわよね!」


 言いたいことを、口に出すべきではないことを、分かっていながらも吐き出さずにはいられなかった。 


 「……そうだな」

 「──っ」

 「お前に巫女は無理だ。私も腹を括るとしよう、天道家を継ぐのはお前ではなくライカだ」

 「はぁっ!? なんで!? だって、私はこの家の……」

 「この家の、なんだ? この家の長女だからか?」


 感情を表に出さない父だったが、抑えきれない片鱗がそこには漂っていた。


 「誰も巫女としてのお前を求めてはいない。……話は終わりだ、お前は花嫁修業でもしていればいい」


 背を向けたまま上下する肩の動きが生々しくて、恐ろしくて……気づけば私は、震えながら拳を握りしめていた。


 「……クソ親父」


 向けられた背中に背を向け、私は走り出す。

 庭を駆け抜けた門の手前には、掃き掃除をしているフウカがいた。


 「あれ、姉さま……きゃあっ!?」

 「どいて!」


 末の妹であるフウカを突き飛ばし、そのまま門から外に出て……一瞬、どこに行けばいいのか分からなかった。

 それでも私は走ることしかできなくて、ひたすらに走った。


 「はぁ、はぁ……ああ、あああ!」


 胸の中で、チリチリと熱いモノが燻っている。

 何もできない不甲斐なさと、とうとう見放されたことへの受け入れがたい無力感を薪にして。


 (悔しい、悔しい……!)


 ──どれだけ刀や弓が上手く使えても、霊力が扱えないんじゃ巫女になれるはずがない。

 ──天道家の長女のくせに、恥晒しを抱えた天道家は気の毒ねぇ。


 落ちこぼれ。

 何度、そう言われたことだろう。

 きっとこれからも言われ続ける。私が何もできないままでいる限り。


 ふざけんな。

 そんなの、受け入れられるわけがないだろ。


 「私だって、あんたらが腰抜かすぐらい超強い巫女になって……絶対見返してやるんだから!」


 怒りを決意に、無力感を踏み台に。

 私は、私のことを笑った奴らへの逆襲を誓った。





 ◇







 パサついた目元に痛みを感じた頃、私はようやく走るのをやめた。


 「ぜぇ、ぜぇ……」


 荒い息を吐きながら、近くの木に手をつく。

 周囲を見渡すと、自分が木々に囲まれていて……多分ここは山の中だということが分かった。


 残った涙を拭い取り、ふぅ、と。

 肺の奥に溜まった嫌な気持ちを、空気と一緒に吐き出してしまう。

 もう泣くのはやめよう、そう自分に言い聞かせるように。


 ────腹の虫。

 思ったよりも大きな音が、鳩尾辺りで鳴り響く。


 「あ……」


 そういえば、朝餉も食べないまま出てきたんだった。

 勢いで飛び出してきてしまったため手持ちが一銭も無い。加えて冷静に考えてみれば寝泊まりする家も無い。

 

 考えれば考えるほど、不安になってきた。

 だが、それでも。


 (絶対帰ってやるもんか)


 たった今、そう誓った。


 「……そうだ、飴あるじゃん」


 懐に何個か塩飴を紙に包んでいたのを忘れていた。懐に手を突っ込み……あれ? と、覚えのない感触に違和感を覚えた。


 「あれ、こんなの入ってたっけ?」


 巻物だろうか? 大きくて、でもなんでだろうか空っぽな気もするようなそんな感じの。

 取り敢えず”開クベカラズ”と書かれた古ぼけた紙が貼っつけられていたので、開けてみる。すると。


 「……なにこれ」


 真っ白だった。

 なーんにも、書かれてない。


 陽の光に透かしてもなにも見えないし、多分炙り出しとかでもないような気がする。


 まぁ、なにも書かれていないのならば価値もないだろう。

 それよりもいつの間にか懐に入っていたという気味の悪い事実に寒気がして、それをなるべく遠くにぶん投げた。


 ふぅ、と。本命の塩飴を口に放り込む。

 これからどうしようか? とりあえず山の中を歩きながら、私は色々な考えを巡らせていた。


 ──五感を突き刺す、痺れるほど濃い寒気。


 (え?)


 気付いた時には、既に遅かった。

 身の丈の数十倍はあるであろう怪物が、私に向かってその巨大な手を伸ばしていたのだ。


 (祟神──っ!?)


 どうにもならない、どうすることもできない。

 霊力がなければ、人が神々と戦うことはできない。霊力をまともに扱うことができない私が、こんな……こんな恐ろしい祟神に敵うわけがない。

 

 死んだ。

 私はこいつに握り潰され、殺される。

 突如訪れた不可避の死に、ただただ瞼を閉じて蹲るしか無かった。


 「【雷霆】」


 閉じかけていた瞼をこじ開けるかのような眩い白光と、鼓膜を殴り飛ばすような轟音が響き渡る。大地が揺れ、火花が散り、焦げ臭い匂いが鼻の奥を刺した。


 「……っ!?」


 目を開けると、そこには黒焦げになり地に伏している祟神がいた。

 充満していた妖気……否、穢れた神性は、圧迫感は全て焼き払われている。


 「間一髪、ってとこか」


 周囲が帯電する中、背後から声が聞こえてくる。

 振り向くとそこには見覚えのある赤髪の少女。その隣には、神々しい有角の異形が佇んでいた。


 「間に合ってよかったよ、ホント」

 「……ライカ」


 思わず奥歯を噛み締めた。

 だが何も言えなかった。だってこいつがいなければ、私は今頃食われていたのだから。


 ライカは隣に佇んでいた神々しい人型の異形……有角多腕、腰辺りから円を描くように取り付けられた模様付きの太鼓を生やし、左右合わせて四本の腕を持った【雷神】鳴神猛雷神に頭を下げる。ナルカミはそれに頷き、静かに消えていった。


 「つーかさ」


 ライカは地面にへたり込む私の方を見てきた。


 「なんで、姉貴がここにいるんだよ」

 「……うっさい」

 「おいおい、命の恩人にそりゃねぇだろ」


 まあいいか。ライカは心底興味なさげに、私から目を逸らした。


 「お父様にはアタシが言っといてやる。だからもう帰れ、危ないから」

 「なっ……!? 何もそんな……足手まといみたいに言わなくてもいいじゃない!」

 「ついさっきまで殺されそうになってた奴から聞ける台詞とは思えねぇな」


 初めに怒りを覚え、すぐに静かに消えていき、やがて納得だけが残る。


 私は、どうしようもなく弱い落ちこぼれの巫女。


 違いなんて、差なんて、考えなくてもわかるはずだった。なにも特別なことはない、ただ私が目を背け続けていただけの話だ。


 「夜になったら、あんなのはいくらでも湧いてくる。だから──」


 目の前から、喋っていたはずの妹が消える。左から右へと残像が見えた。


 「……らい、か?」


 見ると、そこには背中から木々に叩きつけられたライカの姿があった。ずるずる、と。力なく地面に倒れ込む彼女の体は痙攣しており、らしくなかった。


 なにが起きた。

 答えは、反対側で唸っていた。


 剥き出しの四足獣のような骨、それを不格好に覆う腐敗した肉塊。

 体中から無数の眼を覗かせるそれは、不気味と云うにはあまりにも生温く、とてもこの世のものとは思えない。


 その体躯は先程の祟神やらと比べれば遥かに小さい。犬と馬ほどの体格差がある。──だがその身が放つ穢れた神性は、それらを比べることも馬鹿馬鹿しいと思うほどに練り上げられていた。──祟神だ。

  

 「っ、ぁ……ぁ」


 右腕を抑え、壁に寄りかかったライカが起き上がるのが見える。まだ、生きている……それでも私は、喉の奥が締まりすぎて彼女の名前を叫べなかった。

 

 「畜、生……来んなよ……!」


 ライカは怯え、後ずさる。

 しかし逃げ道はもうどこにもない……それを楽しむように、嘲笑うような咆哮が山中に響く。

 

 ああ、こいつは弱い私なんか眼中に無いんだな。 

 よかった、私は逃げられるだろう。妹を餌にして、抵抗できない彼女が生きたまま食われる断末魔を背に。

 

 逃げればいい。勝てるわけ無いから。

 見捨てればいい。そうしなきゃ、死ぬから。


 ……あーあ。

 違うだろ、それは。


 「──っ〜あーもうどうにでもっ……なれぇ!!!」


 咄嗟に飛び出し、ライカを突き飛ばすように一緒に転がる。獲物を横から掠め取られた祟神は、そのまま木々を薙ぎ倒しながら頭から突っ込んでいった。

 

 「あっ、姉貴……なんで」

 「……っ」


 ギリギリだった。


 「ッ! 何してるの、早く逃げて!」

 「は、はぁ!? 馬鹿言うな! アタシより弱いくせに──」

 「〜っ! じゃあ担ぐ!」

 「は、ぁっ!?」


 私はライカを担ぎ、そのまま森の方へと走っていく。

 背後から祟神の唸り声、森の木々を片っ端から薙ぎ倒していく音が聞こえる。


 (諦めてたまるもんですか!)


 巨木を薙ぎ倒すほどの膂力を持ってはいるが、獣のような素早さはあまりない。

 戦うなら間違いなく殺されるが、逃げるだけならばなんとかなるかもしれない。

 

 「ハッ! 伊達に体鍛えてないのよ私……はぁ?」


 そんな私の甘い考えは、森を抜けた先で潰えた。


 「……っ!? 嘘でしょ!?」


 崖。


 逃げ道がない……私は歯を食いしばり、右に走り抜ける。

 だが、逃げ道を遮るように、祟神が木々を薙ぎ倒して私の前に飛び出してきた。


 「──ッあっ!」


 直撃は免れない。右側に鈍い痛みが走り、私は近くの木にふっ飛ばされた。


 「っ、あぁ……くぅっ!」


 立ち上がろうとして、とんでもない痛みが右腕に走った。 

 骨が折れたのだろう、熱さと気持ちの悪い冷ややかさが痛みを中心に渦巻いている。


 だが幸運なことに、ライカは比較的遠くに吹っ飛んだ。


 「……っ、逃げてぇ!」

 「──ッ!」


 飲み込んで、ライカは走っていく。

 遠ざかっていく背中をぼんやりと見つめながら、私は腕の痛みに苛まれていた。


 祟神が迫る。

 私を喰おうと、涎を垂らして迫ってくる。


 間違えたのだろうか。

 だとすれば、どこを間違えたのだろう。


 カッコつけて妹を助けたこと? 

 あの家から出てきたこと?


 「……」


 まぁ、上出来だろう。

 私なんかが、何の役にも立たない私が……誰かに期待されてて、誰かに必要とされているライカを助けることができた。

 私自身が輝くことはできなかったけど、他の誰かの輝きを守ることは、なんとかできた。


 (……死にたくないなぁ)


 縋っても、何もない事は分かっている。

 

 だが。

 どうせこのまま死ぬなら、と。 


 悔し紛れに、吐き捨てる。


 「助けて、神様……!」


 ああ、何やってるんだろうな私。

 ありもしない藁に縋るのは、まぁなんとも無様で、私らしいといえばそうなってしまう。 

 閉じていた瞼を開ける。受け入れるために、潔く諦めるために。

 

 「おう、任せとけ」

 

 ────吹き荒れる黒い……炎!!!

 

 (なに……熱い!?)


 祟神の攻撃か!? いや、違う、あの神はこんな権能を持っていなかった。

 しかし、突如顕れた黒い炎の壁の勢いは凄まじく、結果的に飛び掛かってきていた祟神が、わざわざ後ろへ飛んでいった。


 やがて、揺らめく黒炎が静かに消えていく。

 そこには、黒ずんだ白髪の青年が立っていた。


 (ってか、こいつも祟神!?)


 歪んだ、禍々しい神性。それは、神と呼ぶにはあまりにも抵抗感のある存在だった。


 「よぉ、会いたかったぜ。いやぁまさかこんな早く呼ばれるとは思ってなかったけど」


 黒ずんだ青年が背を向けたまま、やけに気楽な様子で私に話しかけてきた。 

 目の前の敵に身構えたり警戒する素振りもない。というか、どこから現れた? いやそれよりも、なんだ……この馬鹿げた神性は。先程まで周囲を覆っていた祟神の神性を消し飛ばすどころか、この山のほとんどを埋め尽くしてしまっているじゃないか。


 「あなたは、一体」

 「そういうのは後にしようぜ? 百年ぶりの顕現なんだ、ちったぁ楽しませてもらわねぇと……な?」


 そう言って、得体の知れない神はその場で掌を上に向ける。


 闇。


 いや、闇を醸し出す炎、怪しげに揺らめく黒炎が、その掌から生み出されたのだ。


 「ヒナタ。よく見とけ、これが……これがお前の、お前だけの神様の力だ!」


 雄叫びを上げながら迫ってくるボロボロの祟神。 

 それに対して避ける素振りも何も見せず、私の方を向いたまま神は笑った。


 「【天喰】ッ!」


 放たれる黒い火種。 

 次の瞬間、それは弾けて膨らみ、目の前の祟神の体を一気に包み込む。

 足掻く暇も、振り解くような隙もない……薄紫色の煙を立ち上らせる黒炎は、そのまま祟神の体を灰燼へと変貌させた。


 「つまんねぇな」


 ぶすぶすと音を立てる燃えカス、それを踏みにじる黒ずんだ神。 

 桁違いの強さ、神としての存在感。……違う、なにもかもが違いすぎる。


 「……私の、神様?」

 「そうだ」


 振り返ってきて、私と彼は目と目を合わせた。


 「改めて自己紹介だ。──【黒陽神】天翳日蝕神。お前だけの、最強の神様だ」

 (黒陽……? 黒い、太陽の神!?)


 この国における太陽の神は、ただ一柱を指す。──【太陽神】陽ノ輪空渡命。最強にして、全ての神々の頂点に君臨する【太陽神】。

 太陽は一つ、それを司る神も一柱。太陽の神が他にもいるということは、ヒノワ様の唯一神性の否定に他ならない。


 「……えっ、と」


 駄目だ、流石に。祟神との契約だなんて。

 断らなきゃ。開こうとした私の口を、神は指で遮った。


 「言っとくけど契約の解除はもうできねぇぞ?」

 「──え」

 「だから、な?」


 ずいっ、と。 

 ゆっくりと屈んで近づいてくるカゲルの顔、なんとも言えない満面の笑み。


 「これからよろしくな、相棒」

 「……は、はい」


 差し出された手を、苦笑いで掴む。 

 ゆっくりと交わされる握手の中、私は心底思った……なんでこんなイカれてるんだコイツは。これじゃあクソ親父や妹たち、他の巫女共をギャフンと言わせることなんかできっこないじゃないか。

 

 いや、ちょっと待て。

 唯一の太陽神であるヒノワ様の唯一神性を否定する、できるであろう祟神と、私は契約したわけだ。それはつまり、間接的ではあるが……あれ、もしかして私、もしかしなくても……?


 (……この国、敵に回しちゃった?)


 気づいても、もう遅い。

 最強の祟神と契約した私は、これから歩むであろう最悪の人生を覚悟するよりほかなかった。











評価とかしてくれると嬉しいナ!

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