1 長年の上官と部下はお見通し
本編終了から数ヶ月経った頃のお話です。
溺愛を目指します。是非お付き合い下さいませ!
軍務省の廊下を歩いていたロルフは、己を呼び止める声を聞いて機敏な動作で振り返った。
声で想像していたことなのだが、そこに居たのは数いる上官の中でも最も位が高く、そして心から尊敬する相手だったので、ロルフは必要以上に背筋を伸ばして敬礼した。
「ユングストレーム大将閣下!」
ユングストレームは相変わらず皺だらけの優しげな顔に笑みを浮かべていた。軍服を着ていなければ誰も軍総司令官だとは思わないような容貌だが、ロルフはこの男が歴戦の軍人であることを知っている。己などは足元にも及ばないような実力と人間性を兼ね備えていることも。
「久しぶりだね。元気にしていたかな?」
「は! 大将閣下におかれましても、ますますご健勝のご様子、何よりであります!」
「はは、相変わらず君は堅いねえ」
快活な笑みを浮かべるユングストレームの許しを得て、ロルフは敬礼の姿勢を解いた。それでもなお背筋が伸びたままなのは、軍人たる習い性だ。
「もう三月とは、なかなかどうして時が経つのは早いね」
「左様でございますな。まだまだ寒くはありますが、近頃は随分と日が延びました」
「昼が長いと気分がいいよね。……時にダールベック大佐。君、年度末パーティには参加するんだよね?」
唐突な話題転換に、ロルフはこの話こそが本題であることを悟った。
年度末パーティとは、毎年この時期に軍で催される懇親会のことである。各軍の司令官から軍務大臣などの政府関係者、その他賓客が多数招かれる重要な催しだ。
ロルフは基本的に社交の場など大嫌いなのだが、自身の立場上は強制参加を覚悟していた。
「は、勿論参加させていただきますが」
なぜユングストレームはわざわざ口頭で確認を取ろうとしているのだろうか。
疑問を滲ませて言葉尻を濁したロルフだが、その答えはすぐに返ってきた。
「今年こそはパートナー、連れてきてね」
「……は?」
いつもの笑みで告げられた爆弾発言に、ロルフは思わず不躾すぎる疑問符を口に出してしまった。
聞き間違いだろうか。何やらとんでもないことを言われたような気がするのだが。
「だから、パートナーだよ。これ以上の昇進は配偶者がいないと難しいというのは、君だって解っているだろう」
それについては周囲、特に上からの助言で痛いほどに理解している。
世の常としてそうした無言の圧力があるのは事実であるし、更に軍とは信用が全ての閉鎖社会。
結婚もしていないような者は人格に問題ありと見做され、出世の候補から外れる場合が多い。現に大佐以上の高級幹部で結婚していない者はロルフくらいなものだ。
そんな評価も年度末パーティにパートナーと参加すれば、ひとまずは覆すことができるだろう。
だがしかし、である。
ロルフはそもそも出世がしたかったわけではない。がむしゃらに職務を全うしていたら昇級してしまっただけで、今でも身に余る階級を賜ったと思っている。
それに何よりも、ロルフには特別な事情があるのだ。
「大将閣下、私は……!」
「ふふ、ダールベックくん。今年は誘いたい女性がいるのかね?」
「なっ!」
何故それを。驚愕の悲鳴は言葉になることはなく、顔を赤くした部下を見た長年の上官は、満足気に笑って肩を叩いてきた。
「おや、図星か。君もついに結婚かねえ」
「いえ、そうではなく、大将閣下!」
「パートナー殿に会えるのを楽しみにしているよ」
ユングストレームは軽やかな笑みを浮かべて立ち去って行く。
自身よりも小柄な背中に向かって手を伸ばしたロルフは、結局のところ何も言えずに再び降ろすことになった。
言われたことはわかる。もう良い年なのだからさっさと恋人を作って結婚しろと、そういうことなのだ。間違い無く正論だ。
ロルフは廊下に立ち尽くしたまま両拳を握りしめた。
そう確かに、誘うべき相手はたった一人だけいる。
エディットには生半可な覚悟で気持ちを伝えたわけではない。男なら責任を果たすべきという価値観は歪んだ生い立ちのせいで育まれたもので、結婚についてはごく当たり前のように考えていた。
だがしかし、なのである。
結婚相手としてパーティに誘うなど、いささかハードルが高すぎるのではないだろうか。
——もしもエディットに引かれたら、一体どうしてくれる……!
ロルフの脳裏にエディットの困り顔が浮かんだ。言葉を選び選び、「申し訳ありません、それは流石に難しいかと……」と言いにくそうに告げた台詞とセットで。
「だああああ!」
天下の英雄が奇声を発したので、通りがかった将兵たちはびくりと肩を揺らしたが、あまりにも鬼気迫る様子にみな一様に目を逸らしたのだった。
ユングストレームの命令らしきものを受け、ロルフは悩んだ末にマットソンに相談することにした。
情けないが完全に専門外の悩みなのだから仕方がない。ここは戦に出てまで奥方を口説き落としたという、部下の力を借りる他ないだろう。
終業後になって珍しくも執務室にまでやってきた上官に、マットソンは不思議そうな顔をした。応接用のソファに対面で腰掛けて、ロルフは状況についての説明を始める。
「うーん。普通に誘えば良いのでは無いでしょうか?」
そして話し終えたところで返ってきた平坦な助言に、ロルフは頭を抱えてため息をついた。
「……それができないから、恥を偲んで相談しているんだが」
そもロルフはこんな話題を持ちかけるような性格ではない。できる限り揶揄われるような隙は見せたくないし、何より他者に聞かせるような話ではないと思っている。
しかしマットソンほどの人格者なら信用できる上に、彼の経験からいい話が聞けるのではと思ったからこそ、こうして相談しているというのに。
「だって結婚がどうのというのは、ユングストレーム大将閣下が仰っているだけですよね。そんなに気にしなくても、不躾に『君たち結婚するのかい! 良いねえヒュー!』なんて誰も言いませんよ」
「む……! それは、確かに」
ロルフは周囲に恐れられているという自覚はある。確かにこんな自分を表立って揶揄いたがるのなんて、せいぜいがヨアキムとマリア、あとは気の置けない同期たちくらいだ。
「まあ正直、大佐殿が女性を連れていたら相当本気なんだろうなって誰もが思うでしょうけど」
「そうなのか⁉︎」
「はい、俺も思いますね。ですが、それは別に良いではありませんか。本当のことなのですから」
マットソンは揶揄うでもなく、ただ純粋に事実だけを述べたという調子で微笑んで見せた。
ロルフは口を噤むしかない。確かに彼の言う通りで、多少周囲から生暖かい目で見られようが、自分が恥をかけばそれで済む話だ。
「ところで、大佐殿はメランデル軍医少尉を年度末パーティに誘いたいのですか?」
「それは、どう言う意味だ」
誘うためにどうすれば良いのかを相談しにきているのだが。疑問が眉間の皺に出たのか、マットソンは首を傾げて苦笑している。
「大佐殿ご自身がどう思われているのかと言うことです。誘いたいのは命令を果たすためですか? それとも恋人をエスコートして楽しませるためですか?」
いつになく真剣な瞳に問われて、ロルフは珍しくも目を丸くした。
その通りだ。本当に誘うのなら、命令のためだなんて理由はエディットに失礼ではないか。
「メランデル軍医少尉なら、どちらの理由だとしても来てくれるでしょう。ですがもし前者なら……きっと気を遣わせるだけで、終わってしまうと思いますよ」
少し言いにくそうにしながら、それでもマットソンははっきりと厳しい意見を述べてくれた。
ロルフはこの男のこういうところを買っている。たとえ自身の評価が下がる結果になろうとも、仲間の為を最優先して行動するところを。
「マットソン中佐、感謝する。大分頭がすっきりした」
「は、大佐殿。それは何よりです」
「終業後に悪かったな。早く帰るといい」
マットソンの笑みはいつもの如く朗らかだった。ロルフもまた小さな笑みを返して、部下の執務室を辞したのだった。
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