193 消えない憎悪
――不遜――
暗闇の中で縛られた意識の中で、その存在が初めて〝言語〟として発したのが、その言葉だった。
その存在は、この世に生まれ出でたその時から〝強者〟だった。
親は知らない。存在したその瞬間から強者である彼らは、脆弱な生物と同じように親が子を育てる必要がなかったからだ。
たとえ幼体でも、鋼よりも強固な殻を破って生まれてくる存在が弱いはずがない。その存在は初めて自分の脚で立ち上がった瞬間から大地を駆け、飢えを満たすためだけに目の前にいた獲物へと襲いかかり、運のないオークの血肉を貪った。
幼体から成体になるのもさほど時間はかからなかった。食らえば食らった分だけ身体も大きくなり、翌日には倍の大きさとなり、その次の日にはまた大きくなり、気がつけばその周辺でその存在と戦えるような者はいなくなっていた。
そうして最初の脱皮をして成体となった存在は、自分の中に知性が育ち始めていることに気づいた。
幻獣のような高次元の生物は、血の中に歴代の〝経験〟を残し、成体となって血から魔石が生成されると、そこから〝知恵〟と〝自我〟を得る。
自分は『幻獣』と呼ばれる生物で、最強の存在である。そのような知識も自らの血によって知ったその存在は、今までのような下等な獣のようにただ貪り食らうのを止め、魔素を取り込むことによって、より高みの存在に至ることを模索し始めた。
それからどれだけの時が過ぎたのだろう。何万回と太陽が昇り、同じ数だけ月を仰ぎ見て、稀に戯れで生き物の血肉を貪る日々を送っていたその存在の前に、ある日、矮小な生物が姿を見せた。
その小さな生物のことは知っていた。魔物たちが『ヒト』と呼ぶ生物で、力は弱いが小賢しい知恵を用いて魔物や動物を狩る生き物だ。何度かヒトを食らったこともある。個体により鉄の〝殻〟で身を護り、長い鉄の〝爪〟を振るう者もいて、その存在からすれば、魔物ほど属性魔素も得られない、食らうのも面倒なだけの動物だった。
ヒトにも数だけが多い『平原ヒト』や耳の長い『森ヒト』、『洞窟ヒト』などの種類に分かれていたが、その『黒いヒト』どもはその存在の住処にまで訪れ、鉄の殻や爪を持っていない若い個体を差し出した。
他にも瓶に満たされた芳醇な香りを放つ液体に興味を引かれたその存在は、黒いヒトどもが自分を崇めているのだと推測した。
そういった経験は初めてではない。食らう価値のないゴブリンやコボルトなどの群を戯れで見逃すと、その後にそのような行動を取る個体がいたからだ。
だが……その存在は、脆弱なヒトという種の底知れない〝悪意〟を知らなかった。
あの日、その存在は捕らえられ、身も心も縛られた。
ヒトが差し出す肉や酒に呪術的な媒体が仕込まれていた。そしてあろうことか、ヒトどもは巣を漁り、脱皮をして脱ぎ捨てた爪や牙を媒体として〝呪術〟を使い、十年もの時をかけてその存在を隷属化したのだ。
常に霞がかかった、夢を見ているような意識の中で、ヒトどもの手先として敵を打ち倒した。
常に鉱石を食わせられ、ヒトはその存在が模索し続けた進化の道を、勝手に翼のない土属性の鋼に決めようとした。
高等な幻獣であるその存在を家畜のように扱い、戯れに種の違うヒトどもを生きたまま食わされもした。
それらの悲鳴と苦痛と呪詛を、血肉と共に食らいながら、その存在はヒトどもが使う言語を理解して思う。
――不遜――
矮小な生物が何様のつもりだ。必ずだ。必ずや、お前たちもこうして生きたまま食らってくれようぞ。
泣き叫べ、苦しみ悶えろ。必ずやこの呪縛の鎖を引き千切り、この大陸にいるすべてのヒトどもを貪り食らってくれる。
***
「――地竜!!」
地竜の咆吼が聞こえて、仲間を殺されたジェーシャが牙を剥き出すように歯を食い縛り、目の色を変える。
魔族軍は約五十。だが、それらすべてよりもたった一体の地竜の威圧があきらかに上回っていた。
どうするか……。今なら撤退をしても逃げ切れる可能性はある。でも、どこまで退けば諦める? 退きすぎればアイシェに抑えられていた好戦派が再び動き出すかもしれない。そして、ここを避けて別ルートを通ったとしても、目の前にいる敵よりも弱いとは限らないのだ。
「無愛想弟子。お前が決めな」
「…………」
師匠が決定権を私に託した。一番前に進まなければいけない理由があるのは私だ。だから師匠も、それに付き合うと言ってくれた。ここで退いても避けてもデメリットはある。それでも地竜と正面から戦うことよりも賢い選択だろう。でも――
「行こう」
退いても事態が好転するとは限らない。好戦派が動き出せばアイシェやカミールのやろうとしていることが無駄になる。それに……
「よし! さすがアリアだ!」
私の言葉を聞いて嬉々として両手斧を構えたジェーシャは、退くと決めても一人で残ったはずだ。ジェーシャの側近で、地竜との戦いで彼女を逃がすために散った老ドワーフは、幼い頃からジェーシャの世話役だったと聞いている。
その仇を討とうと前に踏み出したジェーシャを、誰が止められるというのか。
そんな私とジェーシャを呆れたように見て師匠が肩を竦め、ネロは自分と同じ幻獣種である地竜を見据えて一歩前に踏み出した。
私も負けるつもりで勝負をするつもりはない。
「来るよ!」
師匠の警告と同時に、まだ離れた位置にいた魔族軍から数十もの矢と火の魔術が放たれた。あきらかに偶然出会った不審者にするような攻撃ではなく、私たちだと理解した攻撃だった。
やはり砦の好戦派から連絡を受けた待ち伏せか。
「――【大旋風】――」
すかさず前に出た師匠がレベル5の風魔術を放って、矢と火魔術を吹き散らす。
砂塵を巻き上げ吹き荒れる暴風に魔族軍を乗せた鎧竜が浮き足立ったその瞬間、その背後から膨大な熱量が放たれた。
『ゴォオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』
地竜から放たれた火球のブレスが【大旋風】を構成する魔力ごと打ち破り、私たちの頭上を飛び越え、退路を断つように後方で爆炎を撒き散らした。
「最初から逃がすつもりはないらしいぜ!」
「らしいな」
師匠の護りをジェーシャに任せて私とネロが飛び出した。あのブレスを遠距離から使われたら私たちでは為す術がない。でも、乱戦になれば地竜はブレスを使えないはずだ。そう考えて飛び出した私の背に師匠の声が届く。
「アレの使いどころを注意しな!」
「了解」
【地竜】【種族:竜種】【幻獣種ランク6】
【魔力値:325/350】【体力値:788/820】
【総合戦闘力:4557】
近づくと見えてきた地竜の巨体と戦闘力に私は少しだけ目を細める。こうしてあらためて間近で見ると最強の幻獣と呼ばれるのも理解できた。
私はランク5になって戦闘力はかなり上がった。それでも最強の幻獣種との戦いには【鉄の薔薇】が必要となるだろう。だが、加護ではなく戦技である【鉄の薔薇】には時間制限があり、それで戦えるようになっても、私は地竜を倒す決め手を持っていなかった。
戦闘力の差ではない。技では補いきれない種族ステータスの差と、地竜の巨体そのものが問題だった。分厚い筋肉と骨に阻まれ、心臓にも脳にも、ナイフの間合いでは届かないのだ。
だから私の役目は、障害を排除して、誰かにトドメを刺させる隙を作ることにある。そのためにも、安易に【鉄の薔薇】に頼ることはできなかった。
キィンッ!
暴風からいち早く立ち直った魔族軍の矢をナイフで弾く。それに続いて複数の矢が放たれるが、私は速度を落とすことなく黒いナイフとダガーで斬り飛ばした。
「あの女を近づけさせるな!」
「魔術で狙え!」
指揮官らしき男が声をあげた。すかさず魔族軍から火矢が降りそそぐと、一瞬速度を落とした私の前にネロが躍り出る。
『ガァアアアアアアア!!』
ネロの耳から伸びた触手が帯電して、鞭のように火矢を打ち払い、広範囲に放出された電気の火花が次の攻撃を放とうとしていた魔術を阻害した。
「ネロ!」
――了――
ネロが尾を掴んだ私の身体を前方に投げ飛ばす。宙に舞う私に一瞬呆けていた弓兵が矢をつがえる前に、放った汎用型のペンデュラムが弓の弦ごと喉を斬り裂いた。
「おのれっ!」
接近していた兵士の一人が槍を突き出す。私は空中で爪先を使って切っ先を逸らし、同時に糸を蹴られた斬撃型のペンデュラムが兵士の顔面を掻き切った。
「ぐがっ!?」
そのまま顔面に着地して砂岩にぶつけるように首をへし折った私を、即座に魔族軍の精鋭が取り囲む。
四方から繰り出される槍と斧の斬撃を仰け反るように躱した私は、逆立ちをするように放った回し蹴りで槍の柄と斧の腹を蹴りながら、爪先で糸を絡み取ったペンデュラムで周囲にいた兵士たちの首を斬り裂いた。
「そいつは〝戦鬼〟以上だと考えろっ、不用意に近づくな!」
指揮官である壮年の闇エルフの声に魔族兵が下がり、指揮官の男は怒りと憎悪に満ちた視線を私へ向ける。
「人族の女が! 人族の血が混ざった紛い物の王子が! 我らの怒りと憎しみを……人族を滅ぼす悲願を、諦めろと言われて諦められるものかっ!!」
指揮官が叫びをあげて手に持つ剣を振り下ろすように私へ向ける。
「貴様らの首を和平などとほざく連中に叩きつけて、現実を知らしめてくれる!」
兵士が下がったその場所に影が差して、地竜の巨大な爪が振り下ろされた。
『ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』
「っ!」
咄嗟に飛び避けたが振り下ろされた衝撃で一瞬脚がもつれる。それを見た地竜が噛みつくように牙を振るい、その瞬間に飛び込んできた黒い影と衝突した。
ゴォオオオン――!!
『グァアアアアアアアアアアアアアアアア!!』
『ゴァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』
重い金属をぶつけ合うような轟音を立てて、ネロの身体と地竜の首が弾かれた。
その瞬間を狙ってスカートを翻しながら抜き放ったナイフを投げつける。だが、投擲ナイフは咄嗟に目を瞑った地竜の目蓋に弾かれた。
『ゴォオオ……』
「っ!」
地竜が攻撃をした私に目を向ける。私はその瞳に寒気を覚えて即座に飛び離れると同時に、地竜の口内に巨大な炎が煌めいた。だが――
「――止まれ!!」
『――――ッ!!』
背後にいた魔族兵から止められた地竜が噛み砕くように炎を消した。確かにあのままブレスを放てば周囲の魔族兵は全滅していただろう。私やネロでも避け切れていたか自信はない。でも――
「ネロ、下がって!」
『ガア!』
私は地竜の瞳に泥のように溜まっていく〝闇〟から離れるように飛び退いた。おそらくネロも同じものを見たはずだ。
あの闇は、地竜の果てしない憎悪と憤怒だ。それを見た瞬間、背筋を奔る寒気を感じて咄嗟に距離を置いていた。
最初の予定では、ネロと私で乱戦に持ち込んで地竜の攻撃を制限し、鉄の薔薇で隙を作った後にネロかジェーシャでトドメを刺すことを考えていた。
だからこそ、地竜の背後にいた獣使いたちに攻撃をしなかった。
……だが、その前提は〝今〟壊れた。
私が退いたことを見て魔族軍の指揮官が高らかに叫ぶ。
「行けっ、地竜よ! 我らの悲願、我らの憎しみと苦しみを人族に――」
ぐしゃ……っ!
次の瞬間、振り下ろされた地竜の牙が、指揮官の上半身を血の詰まったずだ袋のように噛み砕いた。
突然の出来事に魔族軍が硬直する。だが地竜が、それが現実だと知らしめるように上半身を食い千切り貪り食らうと、その無情な現実に、魔物使いたちから狼狽した悲鳴が聞こえてきた。
「……なっ!?」
「竜が何故!?」
「呪術を強化しろ、急げ!!」
《――不遜――》
地の底から響くような〝声〟で、この大陸でも使われる共用語で、それは聞こえた。
ドォゴォオオオオオオオオオンッ!!
その直後、地竜の尾が獣使いたちを一振りで叩き潰した。
地竜の灰色の瞳が血のように赤く染まり、濃緑色の鱗が欠け零れて……闇よりも暗い〝黒〟を覗かせた。
***
――不遜――
その存在は、自分の中に〝怒り〟という下等な感情が渦巻くのを感じていた。
何故、下等な生物が〝我〟を支配する?
何故、〝我〟が矮小な生物の家畜にならないといけない?
日を追うごとに汚泥のように溜まっていく、どす黒い感情……。
その存在の種は、成体となってから永い時をかけ、属性の魔素を得て、それぞれの属性に沿った個体へと進化して、明確な〝自我〟を形成する。
それが種の在り方であり、誇りでもあった。
だが、ヒトという矮小で下劣な生物は、高等幻獣である〝我〟の誇りを穢し、尊厳を踏みにじった。
そしてただ一つ許されていた〝戦い〟にさえ干渉され、〝我〟はついに誇りを捨てて憎しみに身を任せた。
無理に鉱石を食わされ溜め込まされていた土属性の魔素が、『怒りの精霊』によって闇属性に染まっていく。
古い鱗が剥がれ落ちる。鋼よりも強固な爪と牙が怒りに震えるように崩れ散る。
新たな鱗は闇の黒。その憎しみの深さを顕すように牙や爪までもが〝黒〟に染まり、その背にこれまで退化していた翼を、その巨体を覆うように大きく広げ、大空に羽ばたいた。
――死ね。愚かなヒトどもよ――
【黒竜】【種族:属性竜】【幻獣種ランク7】1UP
【魔力値:312/400】50UP【体力値:742/1035】215UP
【総合戦闘力:7879】3322UP
この世界のすべてを憎む邪竜となった黒竜から放たれた雷のブレスが、天の怒りの如く古代遺跡を撃ち抜いた。
前回の予告まで辿り着きませんでした!
うっかり地竜の心情を書き始めたのが原因です……。
とうとう現れたランク7。この大陸でも最強である属性竜を相手にアリアはどう戦うのか?
次回、その戦いに介入する者たちとは!





