146 接触
前話の最後を少々変更しました。
「エレーナ、使える?」
「発動だけなら……」
「わかった。先行する」
エレーナの周囲に魔物の気配が無いことを確認した私は、助けると決めた二人組の援護をするために駆け出した。
本来なら護衛の私がエレーナの側を離れるべきではない。でも、エレーナがこの状況から抜け出すために、努力をしていることも私は知っている。
あのクルス人と闇エルフの二人は、十数体の虫の魔物に襲われていた。
見たところ戦況はギリギリか。闇エルフのほうは実力的に余裕がありそうだが、クルス人の少年はそれほどではなく、傷ついた彼を護りながら戦っているので、闇エルフも戦技のような隙が生じる大技を出せずにいるのだろう。
匂い袋に誘われている興奮状態の虫たちは逃げることがない。それが今の膠着状態を助長しているのだが、彼らにはその膠着状態を維持してもらい、私は今の状況を作っている〝根本〟の排除へと向かった。
戦場に駆け寄りながら〝眼〟を凝らす。
戦っている彼らと虫たちの気配に紛れてはいたが、魔素の色でそれを発見した私は、廃墟の壁にペンデュラムの糸を巻き付けながら駆け登り、そこに潜んでいた二人の猫獣人の前に躍り出た。
「「なっ!?」」
二人の獣人が驚愕の表情で弓を構えようとした瞬間、引き戻して旋回させた刃鎌型のペンデュラムが片方の頸動脈を深々と引き裂く。
「こ、この女、俺たちが誰だか知って――」
「知らない」
けれど察しはつく。即座に目撃者である私たちを排除しようとした彼らの行動から、おそらくは獣人の荒くれ者を束ねる犯罪組織、ムンザ会だと推測する。
ムンザ会とあの二人の関係なんて知らない。でも、その二人を罠にかけるため、こいつらは、ついでのように目撃者を殺そうとした。
でもそれはこちらも同じだ。ムンザ会に手を出した以上、私たちを目撃したこいつらを生かして帰す意味はない。
「小娘が!」
片刃の曲刀を抜いて襲いかかってくる獣人の刃を掻い潜り、私は一気に踏み込んだ肘打ちで男の喉を潰してから、腕を巻き付けるようにして首の骨を折り砕く。
刃を使わなかったのには意味がある。最初に殺した男が持っていた物は血の臭いが付いてしまったが、首をへし折った男の持ち物を調べると、封が切っていない匂い袋を見つけることができた。
目撃者も消すのなら、もう一度誘導するために予備があると考えた。予想通り予備を見つけた私が匂い袋の封を切って離れた場所に投げつけると、あの二人を襲っていた数体の甲虫がそちらに気を取られて二人から離れた。
だけどこれも一時しのぎだ。時間が経てば虫寄せの匂いが拡散して、さらに虫が集まってくるはずだから、その前に終わらせる。
「――【高回復】――」
数体の虫が離れて余裕ができた二人に、追いついたエレーナから回復魔術が飛ぶ。
高回復を受けたクルス人が驚きの表情を浮かべ、新たな獲物に興奮した二体の甲虫がエレーナのほうへと向きを変えた。
「――【水球】――」
さらに放たれたエレーナの水魔術が甲虫たちの足を止め、飛び散った大量の水がエレーナの足下まで迫ると、彼女はさらに魔力を集中しながら両手を泥に叩きつけた。
「――【雷撃】――」
『ギィイイイイイイイッ!!』
レベル3の水と風の複合魔法【雷撃】が泥を伝わり、神経を焼かれた甲虫が震えるように悲鳴をあげた。
虫系の魔物は痛覚が鈍い。自分より小さな敵から逃げることは稀で、多少のダメージなどお構いなしに襲ってくる。属性魔術でも風や水では大きなダメージにならず、火や土でも範囲を大きくしなければ効果が薄く、氷系でも動きを鈍らせる程度の効果しか及ぼせない厄介な敵だった。
でも雷系魔術なら別だ。硬い甲殻を抜けて、痛みに鈍い虫系魔物の神経を直接攻撃することができるから。
エレーナは火魔術の属性を失ったが、それに代わる攻撃手段として水と風の複合魔術である〝雷系魔術〟を使えるように努力をしていた。今はまだ発動させるだけで精一杯で、甲虫を倒せるほどの威力も出せないが、今はそれで充分だ。
外套を翻しながら、私は化鳥の如く遺跡廃墟の屋上から飛び降りた。
狙いは一点、動きが止まった甲虫の、首の境目に黒いナイフを突き立て、続けざまに二体の頭部を斬り飛ばす。
虫は頭を潰したくらいでは死なないが、命令系統を失った甲虫は攻撃することもできなくなり、いずれは死に至る。
道の先ではまだあの二人が戦っていたが、虫の数が減り、エレーナに癒されたクルス人の少年が、自分の身を守れるようになったことで、闇エルフの少年が二本の短剣で傷ついた虫たちにトドメを刺していく。
数がさらに減ったことでクルス人の少年も殲滅に加わり、残りが傷ついた数体になったところで、突然闇エルフの少年がその中から飛び出した。
ガキィインッ!!
疾風のように迫る闇エルフの短剣と私の黒いダガーがぶつかり、甲高い異音を放つ。
「なんのつもりだ、女」
「それはこちらの台詞だ」
ギンッ!
鍔競り合いはせず、同時に離れながら繰り出した刃が再び火花を散らす。
すかさず闇エルフが地面の砂を蹴り飛ばし、背転するように距離を取った私が回転しながら腿から抜き撃ちしたナイフを、闇エルフが短剣で弾いた。
「アリア!」
「カミール!!」
エレーナとクルス人の少年の声が響く。それを上書きするように闇エルフ――カミールの殺気が放たれ、それに呼応するように私も殲滅戦闘に移行する。
身体強化を速度に割り振って飛び込んだ私が、カミールが迎撃する鋭い刃から目を逸らさず掠めるように躱すと、初めてカミールが目を見開いた。
飛び込んだ私のダガーをカミールが下がるように躱す。それに合わせて数本の投擲ナイフを投げ放つと、体勢を崩したカミールが袖から放った黒い鎖が、すべてのナイフを撃ち落とした。
魔鉄の細い鎖分銅。山間の村で倒した女魔族も使っていたが、操糸スキルがあるなら威力は私のペンデュラムを超えるはずだ。そのまま連続で振るわれる鎖分銅が地面と岩を砕いて――
ガンッ!!
その高速で旋回する尖端に合わせて、軌道を読んだ分銅型のペンデュラムが迎撃して耳障りな音が響く。
お互い似たような武器を使い、息を飲む瞬間に絡まり合う鎖と糸。
どちらも手放すことなくそれを左腕で引き寄せ、互いに魔力の高まりを感じた私たちが、同時に戦技の構えを取ったその時――
「やめなさい!」
「止まれっ!!」
また私たちを止める叫びが間近で聞こえて、戦技が不発となった私たちの刃が、互いの眉間に突きつけられた状態で、ピタリと止まる。
「待て待て、カミールっ!」
残った甲虫を始末できたのか、息を切らしたクルス人の少年が私たちの間に割って入る。それを見て操糸スキルで鎖から糸を解いた私が彼らから離れると、その横に険しい顔をしたエレーナが並ぶ。
「どういうおつもり?」
エレーナが怒りを含んだトゲのある声を出す。かなり怒っているのか、魔術を放つ直前のように魔力が全身に満ちて、帯電するように緩やかに波立つ金の髪を逆立てた。
そんなエレーナの様子に警戒して前に出ようとしたカミールを、クルス人の少年が手を上げて止める。
「だから待てって。この場合はお前が悪い。僕たちは助けられたんだぞ」
「必要なかったさ」
「だからお前は……、まあ、すまなかったね、メルセニア人のお嬢さんたち」
「……っ」
人懐っこいクルス人の少年の言葉に、顔を隠していた自分のフードが外れていたと気づいたエレーナが、とっさにフードに手を伸ばす。でもエレーナはその手を止めて、素顔のまま睨むように彼と対峙することを選んだ。
……エレーナも気づいたか。彼が一瞬だけ、値踏みをするような鋭い視線を向けたことを。
「詫び代だけど……君が交渉役でいいのかな? 名前を聞いても?」
「女性の名を聞くのに、先に名乗らないの?」
「そうだね……ロンと呼んでくれ」
「では、私のことはレナと」
どう聞いても偽名だが、ここで本名を言う意味もない。
私のように、元から偽名のようなもので冒険者の名前なら知られても問題はないが、王女であるエレーナの名は言わないほうが賢明だ。
そんな偽りだらけの自己紹介でも、ロンと名乗った少年も気にしたふうもなく、今度は真面目な顔で頭を下げた。
「加勢に感謝する。少しだけ厄介な連中に目を付けられていてね」
「悪いことでもしたのかしら?」
ムンザ会のことをとぼけて話すエレーナに、ロンがわずかに苦笑する。
「彼らの商売を一つ潰しただけだよ。だけど君たちはもう安心……かな? ここに残っていた連中も、そちらの彼女が始末してくれたようだしね」
ロンの視線が私に向けられ、その眼がわずかに細められた。
「かなり強いね……カミールと互角に戦える女の子なんて初めて見た」
「そちらの彼もね」
カミールは強い。私と同様に外套のせいで戦闘力は正確に測れないが、私と同等かそれ以上の力があると感じた。
あのまま戦って負けるつもりもないが、それはカミールも同じだろう。刃を交えた感触として、彼もまだ奥の手を隠している気がした。
「あなたたちのような手練れは、あの町には多いのかしら?」
「まさか。カミールみたいな強さの奴がゴロゴロしていたら、僕はもうあの町から逃げ出しているよ。でもそれを知らないとなると、君たちは最近あの町に来たのかな?」
「それが重要なこと?」
探り合うような会話と言葉にエレーナが冷たく答えると、ロンは肩を竦めるように薄く笑う。
「別に関係ないさ。ただ、どこかのお嬢様と護衛みたいだな……と思ってね」
そんな言葉にエレーナも表情を変えることなく冷笑で返した。
「あら、まるで、あなたたちみたいに?」
エレーナとロンが冷たい笑みを浮かべながら見つめ合い、その隣で私とカミールが無言のまま睨み合う。
「もういいだろう」
張り詰めるような空気を破ったのは、意外なことにカミールだった。彼はどこか不満そうに彼を見るロンの肩に手を置き、一枚の貨幣を私に向けて指で弾く。
それを宙で掴み取って手を開くと、そこには見たことのない大金貨があった。
「カルファーン帝国の金貨だ。問題はないだろう」
「多くない?」
これがクレイデール王国と同額の大金貨なら、彼らを救った報酬としてはかなりの額になる。
「ロンがした無礼の詫びも含めてだ」
「カミール、そりゃないだろ?」
自分のことは棚に上げたカミールに、ロンが情けない顔で半眼を向ける。どこか緩んでしまった空気の中で、私の手から大金貨を摘まみ取ったエレーナが、彼らに向けて少し意地の悪い笑みを浮かべた。
「無礼の詫び代なら、少ないのではなくて?」
「…………」
ニコリと花のような笑みを浮かべるエレーナに、ロンはまた苦笑して、さらに小金貨を一枚私へ放る。
「結構高い値がついちゃったなぁ、まぁ、僕らの命の値段にしたら安いけど。それじゃそろそろ離れようか。虫がまた来そうだし」
「ええ、そうしましょう。町であっても他人ということでよろしい?」
「そのほうがいいだろうけど……それじゃ、一つだけ忠告だ」
ロンの言葉に、私たちは会話を終えて動き出していた足を一瞬止める。
「あの町では誰も信用するな。子どもでも老人でも、今日笑っていても明日には敵になる。もちろん、僕らも含めてね」
***
クレイデール王国、王立魔術学園。
王女エレーナの襲撃と行方不明事件が公になるのを防ぐため、上級貴族とその関係者以外は、学園の修繕名目で自宅待機を命じられた。
生徒の中には領地が遠い者や王都に別邸がなく動けない者もいたが、今の学園は、生徒が二割程度にまで減っていた。
上級貴族や王族である王太子が学園に残っているのは、残った生徒たちの混乱を鎮めるためと情報統制のためだ。
だからこそ忙しく動き回るのではなく、学園の日常が続いているように、茶会等をする姿を見せて生徒を安心させる必要があるのだが、そこに集まった者たちからは、安心とは程遠い目に見えない異様な緊張感が漂っていた。
「クララ……。君がこのアーリシア嬢に、厳しい言葉を使っていたと聞いた。どうしてそんなことを……」
「……不思議なことを仰るのですね、エル様。わたくしは、そちらの方に、貴族令嬢としての〝常識〟を説いて差し上げただけですわ」
王太子エルヴァンの言葉に、筆頭婚約者であるクララ・ダンドール辺境伯令嬢が、ゾッとするような冷笑を浮かべる。
学園にある最も新しい、上級貴族家の執務室がある第七校舎の薔薇の庭園にて、白い大理石のテーブルを囲んでいる五人の男女。
エルヴァンとクララの婚約者である二人は隣ではなく対面の席に着き、エルヴァンの横には中級貴族であるアーリシア・メルシス子爵令嬢が腰を下ろしていた。
その二人の両側には、本来いるべき王太子の側近である、ミハイルとロークウェルという辺境伯家の姿はない。だがその代わりに、王弟アモルと神殿長の孫であるナサニタルがその席に着き、二人はまるで敵を見るような視線をクララに向けていた。
テーブルから少し離れて彼らの従者や護衛騎士、それと王宮から派遣された侍女たちもいたが、その中で焦燥した顔をしていたクルス人の執事セオは、困った顔でこちらをチラ見する〝お嬢様〟に、渋い顔で首を振る。
そんな若い執事の態度に、少しだけ不満げに頬を膨らましたアーリシアと名乗る少女は、怯えた表情を浮かべてテーブルの下でエルヴァンの手に触れた。
そんな様子は見えていないはずだが、クララは何を察したのか、暗い目付きでアーリシアを睨む。
「まだ、わかっていらっしゃらないようね」
「クララ様、私はそんな……」
まるで見られる角度を計算したような憂い顔でアーリシアが俯き、そんな婚約者と視線を合わせられなくなったエルヴァンが、何とかしようと話題を変える。
「そろそろ、お茶が温くなってしまったね。煎れ直させよう。誰か」
アーリシアの前に置かれたすっかり冷めてしまったティーカップを持ち上げ、侍女たちに催促をしようとしたエルヴァンの手から、いつの間に近づいていたのか、白い指先がカップを受け取り、そのまま中身をアーリシアの頭からぶちまけた。
「まあ、皆さま、わたくしを仲間はずれにして、何をしていらっしゃるの?」
あまりのことに全員が唖然とする中、当然のようにそれをしたカルラは、酷く隈の浮かんだ青白い顔で心から愉しそうに微笑んだ。
次回は、乙女ゲームです(笑)
学園のドロドロした内情をお届けいたします。
ヒロインの頭に紅茶ぶちまけても、「あ、優しい」とか思えてしまう人徳。





