#035 オールドスタイル・サバイバー
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「違法クローンがいけしゃあしゃあと……」
貴子の怒りはこの場にディーデリヒを呼び寄せた直後から沸騰している。指先から走る電気火花はそんな貴子の感情を如実に表していた。
「貴子さん、一旦落ち着け。彼がクローンであってもそれは彼のせいじゃない。その怒りは彼ではなく彼を作った連中に向けられるべきだ」
「う……」
煮えたぎる怒り。影山の差し水が入っても、貴子の鋭い目はなおディーデリヒを捉えて離さない。その様子を見て影山と瞳は目を合わせ、困った顔で深い溜め息をついた。
「さて、三つ目があるなら聞こうか」
「あまり自信がないが、最近世界中の非合法組織がある特殊な条件のDNAサンプルを血眼で探していて、その発注主がウチの研究所なのが気に食わない、とかそういう事ではないかと考えている。
だが、この件に関してはこんな誘拐まがいの手段を取らなくても人を介して非公式な会談を設定すれば良い。こんな拐い方をする必要はない筈だ」
「そうだな。だから三つ目はハズレだと思ってもらっていい。興味が無いわけではないんだが」
影山は垂れた前髪をかき上げてディーデリヒに正対した。
「さて、ではお前さんをここに連れてきた説明をしよう。約束だからな」
「拝聴しよう」
ディーデリヒは興味津々といった顔で目を光らせた。
「ここにいる瞳が、お前さんが能力者であると看破した。そしてお前さんのその姿がそこにいる壬生貴子さんの今は亡き御尊父、壬生由武氏の若い頃と瓜二つだということ。その二つが最近我々の周囲を賑わせているとある事情に遠からず関連していることから、君と話をしてみようと言うことになったわけだ」
「つまり私の推測はほぼ正解だったと考えていいのかな?」
「感情的な部分を抜きにすればそのとおりだ」
「感情か……そっち関係は疎くてね。ところで、私が能力者であることはどうやって分かったか聞いてもいいかい?」
「能力者なら分かるだろう。そういうものだ」
「なるほど、確かに」
能力者をターゲットした時に感じる、乗っている自転車のハンドルを横から掴まれて揺らされるような感覚。これは小脳に拡張野を持つ能力者だけが理解できるものだ。
「それで、私が能力者であることは君達にとって不都合な事なのかな?」
「不都合であればこんな手間のかかることはしない。お前さんが河原でやったことは我々にも出来るからね」
「どうかな。私なら相手の持つ情報を洗いざらい吐かせた後で始末するが」
「少し、調子に乗っているようね」
貴子のドスの効いた低い声。直後に一条の稲妻が貴子の指先から走り、ディーデリヒの左腕に巻かれたスマートウォッチを直撃する。時計は一瞬大きな光を放ち、バチっと音を立てるとケミカル臭を撒き散らす汚い腕輪に変わってしまった。
「事情を話すとは言ったけど何でも答えるとは言ってないわ。好奇心で死ぬのは猫だけじゃないって学校じゃ教わらなかったの?」
「随分乱暴なお嬢様だな……」
「クローンの貴方には、自分の親のクローンが勝手に作られて、それもヘラヘラしながら生きてるなんて事の悔しさや怒りを理解できないでしょうね」
「そう思われているなら心外だな。私は生まれこそクローンだが、それでも家族の愛情に守られて育ったつもりだ。たとえ……その愛情が偽りに満ちたものだったとしてもな!」
「なんですって?」
珍しく声を荒げたディーデリヒ。貴子はその怒りの表情に驚いたのか、指先で火花を散らせていた二発目の電撃がフッと消える。
それを見届けたかのようにディーデリヒは目を伏せ、そっと壊れた腕時計を外してポケットに入れた。
「確かに私はクローンだ……ご推察の通りあなたの父君、壬生由武氏の生検サンプルから作られている。生まれたのは2005年だ」
「貴子さん、聞こう。話をしたいと言ったのは貴方じゃないか」
2005年といえば暗礁に乗り上げていた世界の幹細胞研究にようやく光明がさし始めた時期だ。家畜の体細胞クローンの是非が問われていたような時期にディーデリヒは生まれている。
iPS細胞の製法がまだ論文にもなっておらず、試薬もツールもまだまだ旧世代のものしかなかったこの時期に作られたディーデリヒという存在に影山は興味を抱いた。
「私を作ったのはエト・ディシット研究所……現在、私が所長を務める生化学研究所だ。作らせたのは君達もご存知の『羊飼い』。彼らと敵対する人口削減の担い手に稀に現れる超自然的な能力が、その生化学的な特性に依るものだと考えられて、その仮説検証のために私は作られた」
「なるほどな」
「多分、これも君達の予想の範囲内だろう」
「確かに」
影山は頷いたが、同時にひっかかりもした。iPS細胞登場より前の時代の哺乳類の体細胞クローン技術は未成熟で、ヒトクローンなど作ろうとしても複雑すぎて奇跡のような確率でしか成功しないと予想されていたと聞く。
完成体を一つ作るだけでも天文学的なカネが必要だった筈だ。羊飼い達はそこまでしてディーデリヒを作り、仮説の検証とやらをやりたかったのか? 本当に?
「しかし、ES細胞であれその前の電気刺激でやるオールドスタイルであれ、二、三十年も前に採取したグリオーマの生検細胞から胚を作るとなると成功確率は非常に低い筈だ。よくまともな形で生まれることが出来たものだな」
「所長になって、当時の研究資料から試作本数を知った時は2日寝込んださ。それに比べれば今はいい時代だ。一人作るためのコストも試行回数も文字通り桁違いなんだからね」
貴子の視線を気にして、肩をすくめながらディーデリヒは答えた。
「貴子さん、古い世代のクローンってやつは今みたいに促成はできないんだ。特に人間の場合、今の技術でも情緒教育や技能教育は培養プラントの中では出来ない。クローンをまともな人間にしようと思ったら親に育ててもらう必要があるんだ。彼がまともに社会参加をしていたのであれば、それはそれなりの情緒教育を彼が受けてきたことの証明に他ならない」
「そう……ですの……」
「まともに社会参加しているかどうかは怪しいところですけどね」
瞳がぼそっと呟く。確かに、この場にいる誰一人としてまともに社会参加している者はいない。それが分かっている影山は苦笑いした。
「まあ、その親というのがまともな人間じゃなかったのが私の人生の汚点でね。どうにかこうにかその親の支配から逃れ、今は逆に私を作った連中を私自身で管理監督しているというわけだ」
「そっ……」
反射的に反論をしようとして、貴子は口ごもった。
ディーデリヒが40代なのだとしたら、彼を作った連中はもう70を超えているのではないか。もう引退して庭仕事を趣味にしていてもいい筈だ。
貴子は最初そう考えたがディーデリヒを見てそれが間違いだとはっきり気がついた。ディーデリヒの顔は20代にしか見えない。
なるほど、自分を実験台にして細胞や遺伝子を弄る分には違法でもなんでも無い。そんな国のほうが多いだろう。そしておそらくは彼の親やその周囲の人間達もまた、自らの肉体に遺伝子的な操作をしているに違いない。ちょうど影山が指圧と称して自分のテロメアを弄ったように。
そして、自分の知識欲に忠実な科学者がやっていいことをやらない筈がない。
ディーデリヒは彼の親が用いたのと同じ技術の枠組みの中で、彼の親達が彼を支配するために仕掛けたなんらかのギミックを克服し、自らを解き放って逆襲したのだ。肉体年齢の若返りはその役得か副産物といったところだろう。
何百、何千という実験の中から生まれた奇跡の一体。自分を弄ぼうとする狂気の科学者達。そんな連中に課せられた自らの運命に抗いようやく手に入れた小さな自由。
その壮絶な生を前に自分が何を言えるというのか―― そう考えた貴子のこめかみに汗がつう、と一筋流れた。
「いえ、何でもないわ……」
貴子の目から怒りが消えたのを見た影山は少し軽くなった肩を回しながらディーデリヒに歩み寄った。
「それで、今回ウチの息子に目をつけたのは新しい仮説検証体が必要になったからか? 確かに N=1 では検証もクソもないからな」
「そこは全くの偶然だ。心中騒がせたのならお詫びする。ウチの連中が小脳に特徴的な変異を持つ細胞サンプルを求めたのは確かだが、それはあくまで小脳の働きを調べるためのもので、お宅のご子息のクローンを作って何かしようと思ったわけじゃない……少なくとも、私の目の届くところでは」
「それを聞いて軽々に『はいそうですか』と信じるわけにはいかないな」
影山の目に厳しさが宿る。子供の髪の毛を毟られたのを怒っているわけではないことは明らかだ。
ディーデリヒは観念したように鼻で大きなため息を付き、「お手上げ」のポーズを見せた。
「解った。話そう……私がヒロシマに来たのは研究所の連中が良からぬことをこの地で計画していると聞いて、それを探りに来たんだよ」
「ほう?」
「えええっ?」
それまで事の成り行きを見守っていた瞳が大きな声を上げた。
分化多能性を持つ幹細胞研究という点ではES細胞を基としたものもありますが、作中ではあまり言及しないことにしています。




