#031 奇妙な偶然
「なるほど、双子だったんですねえ……似てるはずだわ」
真由美は大の男を向こうに回して堂々と英語で事情を説明する大河に感心し、その場を動くことも忘れていた。
若い女性の醸し出す空気が為せる業だろうか。場の緊張は徐々に収まりを見せたが、真由美を席に案内しようとしていたフロア係と、その場を逃げそこなった大河の二人は難しい顔を隠せない。
「ふん、『確認作業はいらない』ねえ……あんたの言うこともあまりアテにはならないってことか」
マクシミリアンが皮肉たっぷりに当てこするが、当のディーデリヒは気にもしない。
「たまにはこんなこともあるさ。聞けば彼等は双子だって言うし、あながち間違ってもいないんじゃないか? 君達の大好きなDNA的には」
「とりあえず、キャンセルってことなら俺はもうここにいる意味はない。帰る」
「お好きにどうぞ。ああ、食事の代金は君が払って行くんだぞ。君が彼をここに連れてきたんだろ? 数千円というのは高校生が支払うには痛い金額だ」
「ああ……」
憮然とした表情のままマクシミリアンはその場を去って行く。大河と真由美は無言だが、少しばかり安堵の表情を浮かべてそれを見送った。
「ところで―― ちょっといいかな、お嬢さん」
「ちょっ……何するんですか!」
ディーデリヒは立ち上がって真由美の方を向くと両手を伸ばし、真由美の喉、耳の下、顎、目などを触り始めた。ディーデリヒの表情は真剣そのもの。つられて大河も真由美も真剣な表情になる。
「診察……ですか?」
真由美は反射的にディーデリヒの手を振り払おうとしたが、その手つきが本職さながらのものだと分かると抵抗を止めた。ディーデリヒが触診した部位は、毎週彼女の主治医が触るところとほとんど同じだったのだ。
一通り首から上の症状を確認したディーデリヒはふぅと息を吐き、マクシミリアンが置いていったコーヒーに当たり前のように口をつけると、ゆっくりと話し始めた。
「ふむ、やはりそうか」
「え?」
「大河君と言ったか。この女性に言ってやってくれ。彼女が抱える問題を解決したければスイスに来いとね。この名刺に連絡先が書いてある。決断は早いほど良いとも言ってやって欲しい」
「どういうことですか?」
「君は知らないほうが良い。こちらのお嬢さんには解る筈だ」
「ディーデリヒ! 探したのよ!? 勝手にうろつかないでよ。びっくりするじゃない!」
ようやく緊張が解けそうな場に走る新たな金切り声。大河が振り返ると、そこには目を吊り上げた瞳が立っていた。
「瞳さん?」
「大河さんじゃありませんか。どうしたんですこんなところで? 今日は学校がある日ですよね?」
「それはちょっと、何と言うか……」
「後でちゃんと説明してもらいますからね? 当然お父様へ報告もさせてもらいます」
「うぇえ……よろしく手加減のほどを」
ディーデリヒの勝手な離席と大河のサボり、二つの不祥事を同時に咎めなければいけない状況に瞳も混乱気味だ。
我関せずとばかりコーヒーを飲んでいるディーデリヒと叱られた子犬のように萎縮している大河。この場を覆い始めた気まずい空気を切り裂くように素っ頓狂な声が上がった。
「あれ!焼き鳥屋のお姉さん?」
「へ?」
声の主は真由美だった。「老いない人」として大地から教わった情報を確認するため真由美は何度か仕事の合間に瞳が働く焼き鳥店を訪れていたのだ。
「初めまして!私、樋口真由美と申します。実は私、お姉さんとお話ししたいことがあってずっとチャンスを伺ってたんです!」
「はああ?」
「なにかおもしろい話のようだね。ゆっくり話すといい」
混乱の表情を浮かべる瞳を横目に、ディーデリヒは顔に静かな微笑みをたたえながら二杯目のコーヒーを取りに席を立った。
◆◆◆◆◆
「ははは、そんなことがあったのか。1日に2度も報告の電話が入るなんて珍しいと思ったら」
「冗談じゃないですよ本当に……」
この日2度目の瞳からの報告は影山にとっても興味深いものだった。もっとも、その報告には多分に瞳の愚痴と苦情が入っていたのだが。
ちなみに愚痴の大半は樋口真由美から質問攻めにあったことについてだ。大地が亜希の代わりに自分を真由美に差し出しのだと気がついた瞳のやるせなさはそのまま愚痴の長さに直結していた。
「それは大地が悪い。親として謝っておく。でだ。大河が樋口真由美をこっそり見に行ったのはさておき、ディーデリヒがその二人にわざわざ接触したというのが気にかかるな。とても偶然とは思えない」
「どの勢力がどういう意図を持ってそういうことをやっているのか、ですね?」
「そういうことだな。さっきの報告でディーデリヒがどういう人間かはこちらでも調査を開始した。俺もどこかの学会の発表で一度、彼を見たことがある。その時は貴子さんに似ているとは思わなかったが言われてみれば確かにそうだ」
「ですよね? 壬生家の人を紹介してくれなんて軽口を叩いてましたよあいつ」
「そこだよ。 普通の人間は旅行先でコングロマリットの当主一族と会いたいなんて考えもしないだろう。どこの勢力かは知らんが、壬生か、もしくは俺達をターゲットにしていると考えたほうがいい。 目的が穏便なものならいいんだが」
「能力持ちですしね。その能力がどこから来たのかも分かりません。私達の知らない能力者がいる事自体が凄くイレギュラーに思えます」
「貴子さんの例もあるからな。過去の担当者の子孫が例外的に能力を持ったってケースもないとは言えないだろう。もっと現実的なセンで言えば、壬生の爺さんがどこかで作った子供かもしれないし」
「お父様が……なんですって?」
「えっ?」
影山が振り返ると、そこには不機嫌極まりない顔をした貴子が立っていた。
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「ふうん……これがその新たな能力者、ディーデリヒ? で、この方が私と会いたいと言ってるんですか?」
「ああ、瞳が言うには君に似てるそうだ。写真を見る限り俺もそう思う。どっちかと言うと、壬生翁に似てるんじゃないかとも思うけどね」
貴子は影山から受け取ったディーデリヒの写真をまじまじと見た後、ぷいと自分のオフィスに戻り、一冊の分厚い書物を持って帰って来た。
貴子は壬生本社にもオフィスを構えているが、影山物産にも未だに自分の部屋を持っており、都合の良いように使い分けている。本来複数の場所に居室を設ける必要はない筈なのだが、どうも今のスタイルが気に入っているようだ。
「なんだそれ? えらく立派な装丁だな」
「壬生の社史を綴ったアルバムですわ。創業五十周年の年に、記念に作りましたの」
「てことは21世紀になるかどうかぐらいの時か」
「そうですわね。影山さんちょっとここ見てくださらない?」
「うん……って、ええっ!?」
貴子の指差した先にあったのは二代目社長・壬生由武の若い頃の写真だった。そしての姿はたった今影山が貴子に渡したディーデリヒの姿と瓜二つだったのだ。
「他人の空似というにはあまりにも似すぎているな」
「その上そのディーデリヒさん、能力者なんでしょう?」
「ああ……」
「誰かが作ったお父様のクローン……と考えられませんか?」
「そう考えた方が、今の俺達にとっては自然だな」
貴子の顔が見る見る険しくなって行く。
知らない間に作られていた自分の親のクローンがその辺りを飄々と歩いているだけでなく、 自分に接触してきた―― その状況を咀嚼するのは本人以外には困難なことだろう。
「で、ディーデリヒさんてどういう方ですの? まだ新しい能力者としか聞いていませんが」
「スイスにある生物学の研究所の所長だということまでは分かっている。本人も高名な脳科学者だ。いささかぶっ飛んだ研究をしていたので一部では有名だな」
「スイス? どの辺りですの?」
「バーゼルだそうだ。解るか?」
「いえ……私、中高がスイスだったのでちょっと聞いてみただけです」
貴子はぐっと口を閉じて首を振り、アルバムをぱたんと閉じてしばらく考え込んだ。
「影山さん」
「何だ?」
「この方と、一度お会いしてみましょう」
そう言った貴子の背後には青い炎がめらめらと燃えていた。




