第29話 100階
……ロイの野郎。実は最深部まで辿り着けなかったんじゃねぇか。
この光景を見たら変異体を餓死させるのは不可能だと思ったはずだ。
「ガリガリ、ガリガリ、うるせぇな」
100階。今度こそ最深部に到達した俺達を待っていたのは大空洞だった。乱立する柱は壁の名残だ。鉱石を求め、壁を喰らった結果、迷路は姿を消し、大空洞ができた。幼体から成体まで。大小入り乱れた鉱石喰らいが、壁を掘り返しては鉱石を喰らう。
鉱石喰らいとのエンカウントが多かったワケだ。
餌には困っていなかったのだから。
「いやはや、おぞましい光景だのう」
「蜘蛛ばっかりだね」
「……ふ、ふふ……分かっていたさ。オウリがいて、すんなり終わるはずないと」
鉱石喰らいは数えられない。千を超えているだろう。数か月前までは普通の冒険者だったアリシアは、凄まじい数の鉱石喰らいを目の当たりにして遠い目になっていた。しかし、《ネームレス》にとっては、この程度の危機は日常茶飯事。ともすれば浮きがちなアリシアだが、今回浮いているのはセティとシュシュだ。
アリシアの仲間がいたからである。
「……ねぇ。これ、なんてクソゲー? 開発者のツラ、ぶっ叩きたい」
「…………テンカ様、最後はご一緒いたします」
「……女王ハーチェ。最深部にあるのは“故郷”ではなく、地獄だったようです」
途中何度か危ない場面があり、俺が手を貸すこともあったが、臨時パーティーは100階まで踏破した。かなりレベルも上がっている。全員、レベル170台になった。
状態異常への耐性は増したのに、三人は《萎縮》してしまっている。
やはり、精神に干渉する状態異常は心の持ちようが大きいらしい。
蜘蛛の巣が張り巡らされたその奥。
ひと際巨大な鉱石喰らいがいた。ヤーズヴァル並み。壁や天井に張り付いた卵は、あの鉱石喰らいが生んだのだろう。鉱石喰らいの女王たる、堂々たる威風である。
「鉱石喰らいならぬ、迷宮喰らいだな、こりゃ」
「ほう。上手いことをいうものよのう」
感心するシュシュの視線の先で、ダンジョンイーターは壁をもしゃもしゃ食べていた。俺は穴を開けるので一苦労だというのに、壁を豆腐かなにかように食べているのだ。
「直撃喰らったら即死だな……ま、いつものことか」
「……いつものことと言いつつ、生きているんだから恐ろしいよ」
真っ先に《萎縮》から立ち直ったのはテンカだった。魔王シュラム・スクラントと戦った経験があるからか。魔王は“魔王の威容”とでもいうべき、人を《萎縮》させるスキルを持っている。見るだけで発動するので、心を強く持たないと、戦うことすらできない。
「……わたし達はここまでのようね。楽しくなってきたところだったけれど……足を引っ張って仲間を見殺しにするのは御免だわ」
「……引き返しましょう、テンカ様。ラウニレーヤもこう言っています。これは……私達の手に余ります」
「そうだね。オウリ、悪いんだけど、転移門までボク達を送り帰して――」
ゴゴ、ゴゴゴ。階上から音がした。
テンカと顔を見合わせる。テンカは泣きそうな顔だ。
「……ボク、物凄く嫌な予感がするんだけど」
「奇遇だな、テンカ。俺もだ」
「妾も! 妾も!」
「あ、私も!」
「…………」
俺達がいたのは100階の入口だ。重苦しい足取りで戻ってみれば、階段が途中で蓋をされていた。
「は~。ノェンデッドの仕業だろうな。神様はほとほと試練が好きらしい」
「ノェンデッド? どうしてここでノェンデッドが出てくるのさ?」
テンカが俺を睨む。お前のせいか、と言いたげだ。肩を竦める。確かに俺はノェンデッドに目を付けられている。だが、俺が居なくても同じことは起きたはずだ。多分。
「《ゼノスフィード・オンライン》が剣と魔法の世界になったのは、ノェンデッドの意向だったらしい。ロイが言ってた。闘争の神っていうぐらいだし、人に強くなって欲しかったんだろうな。その人ってのはさ。テンカ、お前も含まれてる」
「…………」
戦争が技術革新を齎すように。供儀の神の離反を招いてでも、剣と魔法の世界にしたのは、人を追い込むためだったのだろう。俺は格別目を付けられているだけで、ノェンデッドの興味は人類全体に向けられている。それに今回は俺も巻き込まれた側だ。ロイに。
だから、親の仇を見るような目は止めて欲しい。
テンカが疲れた溜息を吐いた。
「……天井に穴、開けられないの? ショートカットしたみたいに」
「ノェンデッドが手を加えてなきゃイケるだろう。ただ、試すにゃ危険すぎる。成功すりゃいいが、失敗したら終わりだ。音を聞きつけてわらわらくるぜ。こんな狭い場所じゃ、俺も実力を発揮できない。セティのイフリートの息吹に巻かれて、鉱石喰らい諸共死ぬのがオチだな」
転移の標で一旦地上へ帰り、《ネームレス》だけで戻ってくる。それがベストだろう。
だが……できるか。ロイの話を思い出す。
――仲間割れはするな。転移させられるのは味方だけだ。害意のある者は転移させられない。
味方だけね。
全く。曖昧な基準だよ。
テンカの一言がなけりゃァな。カッとなっただけだろうが、俺のせいのような口ぶりだった。あれが余計だった。テンカは納得したが……ヨミがな。口八丁で煙に巻いて! とか思っていそうだ。信頼関係がないと転移の楔は使えない。困った。ヨミが使った場合、セティが取り残されそうだし。兄さんのせいにして、とぷりぷり怒っているのだ。
「……味方ってなんだろう」
俺がこぼすとセティが「潰す?」と耳打ちしてきた。
……誰をだ、セティ。聞きたくないが。
「引くことができないのなら、戦うしかないでしょう」
ラウニレーヤが強い眼差しでテンカを見ていた。眼差しに含まれる信頼に気付いたのか。脳筋は悩みがなくていい、とテンカが笑う。ロイに連れて来られたばかりのラウニレーヤでは、テンカに決断を促すことはできなかっただろう。
「わたし達ならできるわ」
テンカは天を仰ぐと俺の名を呼んだ。
「シュシュとアリシアを借り受けたい」
「俺じゃなくて二人に聞いてやれ。臨時パーティーのリーダーはお前だ」
テンカは二人に目をやると、頭を下げた。
「一緒に戦ってくれないか」
「くくく。まだ、臨時パーティーは解散しておらぬ。一言命じるだけで良いのだぞ、リーダー。お主は優し過ぎる。仲間が一人欠ければ、再起できぬほどにな。道理を弁えた冒険者を引退させるのは勿体ない。良かろう、妾が全員、守ると誓おう」
「私は守ることしかできない。だが――」
アリシアが苦笑いを浮かべる。
「――師匠もオウリも守られてはくれないだろうな。私はできることをするだけだ、テンカ」
ざわめく。武具を貰ったワケでもないのに、アリシアが人名を覚えただと?
テンカがなんなの、と不貞腐れたように言う。認められ、照れくさそうにしていた。それを揶揄されたと思ったらしい。気にするな、と手を振り、表情を引き締める。
「ダンジョンイーターは俺がやる」
「……ダンジョンイーター?」
テンカ達が首を傾げる。
《萎縮》していたので俺がそう呼んだのを聞き逃していたらしい。デカいのだ、と教えてやると、ああ、と納得していた。
「私はどうすればいいの?」
「セティは手あたり次第、鉱石喰らいを排除してくれ。テンカ達は入口で戦え。押されたら階段まで引き込め。ただ、さっきも言ったが、押し込まれるのはマズい。そうなるくらいなら、セティに助けを求めた方がいい。ま、そこは臨機応変にだな」
「階段が狭ければ《魅了の魔眼》で片っ端から同士討ちさせるんだけど」
……あ。そういや、そんなスキルがあったな。《魅了の魔眼》を使えば、全員転移させられたんじゃ……やる気になってるんだし、水を差すのもアレだしな。いざという時、脱出の手段ができたと思おう。
「やれるか、八咫姫」
進化するはずだ、と言われているが、まだその兆候はない。刀は刃筋を上手く立てられないと《耐久度》の減りが早い。だが、ダンジョンイーターが相手となれば、乱暴な使い方をする場面も出てくるだろう。かといって、八咫姫を温存して俺が死んだら本末転倒だ。こんなことになると知っていれば、進化を阻害するとしても修理してきたのだが。
問題ない、と八咫姫が震える。
悪いな、と柄を撫でていると、胡乱な目でテンカに見られていた。
「この刀には意思があるんだよ」
「は? それ、八咫姫でしょ」
「だから?」
「MVP報酬の武具は意思がある、って言うのは聞いたことある。オーファンから渡されたでしょ、魔王殺しの槍。あれ、MVP報酬なんだけど、魔族以外を攻撃すると、“違う!”って怒られるらしい」
「……道理で。インベントリに仕舞いこまれてたワケだ。呪いの槍じゃねぇか。八咫姫はMVP報酬じゃないが、なんでか知らんが意思を持ってる。あー、長く使い込んだ武具には意思が宿るとか、そういう付喪神的なアレじゃねぇか」
言いながらこれが正解かも、と思った。
MVP報酬を除けば、意思がある武具はどれも使い込まれた……と、そうだ。もう一本、あったのだ。意思を感じさせる武具が。インベントリを開き――
「アリシア、受け取れ」
レベルも上がったし、使える可能性が高い。
アリシアは手を伸ばすが、受け取るのを躊躇っていた。
「……これは。この剣は……」
「聖剣アーヴァチュア。世界最強の一振りだ」
「……私に渡していいのか」
刃物大好きのアリシアが言うと怪しく聞こえるが……俺が使った方がいいのではないかということだろう。親父との戦いで聖剣が活躍したのをアリシアも見ている。
「聖剣の意思は眠ってる。何かを待つみたいに。そして、その待ち人は俺じゃない」
恐る恐るアリシアが聖剣を受け取る。その瞬間、聖剣の意思を感じた。薄目を開けただけ。覚醒するには程遠い。だが、確かに興味を示した。
「弱い」
アリシアが目を細めた。
「聖剣にそう言われた――気がした。これが剣の意思なのか」
「おいおい認めさせればいいさ。まぁ、普通に使う分には問題ない。抜いてみろ」
頷き、アリシアは剣を抜く。徐々に露わになる白銀。見詰めるアリシアの目は怪しく……人斬りってこういう目だと思う。
「使えそうか?」
「力が漲ってくる」
大丈夫そうだな。
「……っと。来たな」
階下が騒がしい。
「ま、気楽にやってくれ。俺とセティで片づける」
無茶はするなと言ったのだが、テンカはムッとしたようだった。身の丈を知っているのに、それでも自尊心が傷つくか。負けん気が強い。《ドラゴンホーン》は強くなるだろう。
「簡単に言ってくれるけどね。ボクが見たところ、あのダンジョンイーターは神罰騎士団が当たるような魔物だよ」
思わず笑ってしまった。テンカにしては底の浅い反論だ。一言言わずには気が済まず、無理やり捻り出したのだろう。テンカはオーファンから聞いているはずだ。
「その神罰騎士団を潰したのは俺だぜ?」




