第18話 魔物退治(表)
地下60階。
ソシエの奈落の折り返し地点。ここまで来れば一人前の冒険者。そう言われていた節目の階である。その地下60階だが、生態系が狂っていた。大体、階層で出る魔物が決まっているのだが、そんなルールは知らんとばかりに、多種多様な変異体が襲ってくるのだ。
最早、通常の魔物の姿はない。
変異体に駆逐されてしまったのだろう。
「……あァ、もう、次から次へと……鬱陶しいな!」
通路の奥から続々とワイルドウルフが姿を現す。
いつ途切れるのかも分からない餓狼の行軍だ。
テンカでなくても愚痴りたくなるだろう。
「ボサッとするな! 回復薬を飲め!」
テンカは指示を出しながら、矢継ぎ早に矢を放つ。
ワイルドウルフはソシエの奈落の低階層にいる魔物だ。ソシエの奈落のヒエラルキーは、そのまま変異体のカーストとなる。食事にありつけなかったらしく、ワイルドウルフは痩せこけている。餓えた狼は矢を恐れず、距離を詰めてくる。
テンカはチラと狂戦士を見る。
狂戦士は肩で息をしており、回復薬も飲めない有様だ。ここで狂戦士が倒れたら、戦線は崩壊するのは明らか。神官は息を荒げながら、無理を押して回復魔法をかけていた。
「……畜生ッ。やっとだ。やっとここまで来たんだ。死んでたまるかよ」
テンカが弱音を吐く。
ワイルドウルフが弱い魔物であっても、変異体となればそれなりに脅威だ。
疲労困憊の狂戦士ではワイルドウルフを止められない。ヨミも浮いている。が、暗殺者は遊撃が基本。足を止めての戦いに向いていない。頼みの綱のロイは別の枝道を一手に引き受けていた。
俺は走りながら、《風王領土》で状況を把握していた。
《ドラゴンホーン》が壊滅するかの瀬戸際だ。
だが、ギリギリ間に合った。
「紅蓮なる劫火よ。敵を阻む壁となれ」
燃え上がる炎の壁が、狭い枝道を覆い尽くす。火魔法、第四階梯《ファイアウォール》である。《ドラゴンホーン》とワイルドウルフが分断された。何体か、炎の壁を抜けてきたワイルドウルフもいた。だが、《煌氣》を練り、放った《ファイアウォール》だ。現れたワイルドウルフは半死半生で、手を加えるまでもなく、炎に巻かれて息絶える。
「……助かった、オウリ。そっちは片付いたの?」
言いながらテンカが額の汗を拭う。
「仲間に任せてきた。こっちの方がヤバそうだったからな。てか、素直に礼を言われるとは思わなかった。てっきり余計な真似を、とか言われると思ってたぜ」
「はぁ? 助けられたのに見栄を張る方が格好悪いでしょ」
今までの言動を思い出せ。突っ込みたかったが自重する。
これは俺のミスだからだ。
60階に近づくにつれ、段々と変異体は増えた。だが、次はどのパーティーが当たるか、ジャンケンで決めるぐらい余裕があった。その調子で変異体に対処していたのがマズかった。いつの間にか三つのパーティーが、別々に戦うようになっていたのである。
《ネームレス》はセティが一人で無双している。
シュシュとアリシアには《獣王の花冠》のフォローに向かってもらった。
「これ、飲んでくれ」
《魔力切れ》の兆候が出ているヘルゲと神官の前に魔力回復薬を置く。二人は礼もそこそこに魔力回復薬に口をつける。飲み干すと二人はきょとん、と顔を見合わせた。
「……嘘。《魔力》が全快した?」
「……ヘルゲの顔色、良くなってますよ」
それ、と空になった瓶を指しながらテンカが言う。
「セティが作ったの?」
「ああ。効き目は御覧の通り」
「二人を見てたら分かる。余ってる? 分けて欲しい」
「シュシュ達が《獣王の花冠》にも分けてるはずだし、構わねぇよ。回復薬、切れたか?」
「あるよ。でも、品質が悪くてね。セティの作った薬と比べたら、だけど。一分一秒を争う時に、何本も飲み干せないでしょ。回復薬と魔力回復薬、十本ずつ。いい?」
「何百本とか言われなきゃ平気だ」
薬の素材が豊富に生えた森で、セティは五百年引き籠ってきた。暇つぶしに作られた薬のストックは凄まじく、いくつあるのか把握しきれていない。インベントリと魔法の鞄に入るだけ詰め込んできたが、使い果たしたとしても隠れ家で補充できる。
回復薬をインベントリから出しながら俺は言う。
「なんか急に変異体の数が増えたな」
「ボクも正直、油断してた。変異体の群れは最深部にいる、って言われてたはずなのにね」
「それがどうかしたのか」
テンカは俺の顔をマジマジと見て、ああ、と頷いた。
「ゲーム時代は100階まであった。でも、今は60階までなんだよ。61階へ行くための階段がないんだ」
「…………は?」
根底を揺るがす情報に頭が真っ白になる。
「それより、ほら。オウリ、炎が消える」
俺は思考の迷路に迷い込み、夢現にテンカの話を聞いていた。
何それ。
この階が終点?
拍子抜けだ。
百キロ走る気でいたのに途中で、「ここまででいいよ」と言われた気分。
道理で。60階に挑む時、テンション高ったはずだよ。
そりゃ、ゴールが目前となれば気合も入るさ。
俺が最深部と言う。テンカが最深部と言う。互いの頭には違う階層がある。
しかし、齟齬が生まれたまま、会話は通じてしまっていた。思い込みって怖いな。
なぜ、気付かなかったのか。違和感はあったじゃねぇか。
いくら初心者の教導がメインとはいえ、ソシエの奈落の導入はチャプター4だ。そう簡単に踏破できる難易度ではない。一体一体の魔物は弱いため、数を揃えれば踏破もできるだろう。それでもレイドパーティーは必要だ。俺達は十五人もいない。《ネームレス》は数を補って余りある戦力だ。しかし、迷宮に入った当初、俺達は期待されていなかった。
だが、《ドラゴンホーン》にも《獣王の花冠》にも悲壮感はなかった。
ソシエの奈落の最深部が60階だと考えていたからだ。
あー、地図を真面目に見ていれば。すぐに気付いたはずなのに。間抜けだ。
ん? そうするとロイが一人で迷宮に入った理由も変わってくるか。願いの泉が機能しているか以前に、そこまで到達できないんだし。願いの泉まで行けるか試したってことか。
だが、階段がないだけなら穴を開ければ済む。
だから、ロイは自分の目で確かめろ、と言うばかりで、願いの泉へは行けないと断言しなかった……待て。あの発言は会議の時だ。穴が開けられるのか、分からなかったはず。結論が出るのを後回しにしてただけ? そうとも思えない。本当に願いの泉へ行けないとロイが考えていたら、希望を抱かせるような言動は慎みそうだ。
――ロイは願いの泉まで行けることを知っていた?
そう考えるとしっくりくる。
意味深なロイのあのセリフ。
――時が来れば分かる。テンカはひるむまい。
あれは周りが制止したとしても、テンカは願いの泉へ行こうとする、という意味だったのではないだろうか。《ドラゴンホーン》が単独で挑むには、願いの泉のある80階は遠いと言わざるを得ない。テンカはひるむまい、というのはそういう意味。元々はなぜ、テンカがファナ家の始祖と認められないか、という話だった。テンカが願いの泉へ行けば、その理由が分かる、ということか。ふむ。ファナ家の事情も察しがつくな。
だが、そうするとロイはなぜ、テンカに隠し事をしているのか――
「……ボク達、要らないんじゃない?」
呆れたようなテンカの声で我に返る。
ヨミが。狂戦士が。神官が。ヘルゲが。ポカン、と口を開けていた。やけに静かだった。死骸、死骸、死骸。魔物の死骸の小山の上に俺はいた。知らぬ間に魔物の掃除は終わっていた。誰がやったのだろうと思えば、俺の手には血を滴らせる八咫姫が。
「……あ~、これ。やったの、俺?」
「……覚えてないの?」
テンカの顔が引き攣る。
「考え事してた」
「……無意識に倒してたワケ?」
「まぁ、そうなるのかね。ザコだったんだろうな」
流石に危なければ正気に戻っていたと思う。
「……ザコ、ザコねえ。はぁ、いいよ。キミにとってはザコだったんだろう、実際」
「ロイだってこれぐらいできるだろ。なんでそんなに驚いているんだ?」
「獣神官に驚いていたキミなら理由が分かるんじゃない?」
「魔法使いらしくない戦い方をしてたか」
「とてもキミらしい戦い方をね」
何か含みのある言い方だった。




