第1話 プロローグ
――― 宿屋の主人 ―――
キシャ村。
ドレスザード神国の外れにある小さな村だ。
村人は全員顔見知りで、これという特産も無い。
そんな村で私は農作業に従事するかたわら宿屋を営んでいた。
子供は都会に憧れ、神都へ行ってしまった。エルフとは思えないほど子宝に恵まれた。部屋は沢山余っていたし、たまに訪れる旅人は無聊を慰めてくれる。
思いつきで始めた宿屋だったが案外性に合っていたと思う。
もう百年は続けているか。
だが、未だに別れには慣れない。
「丁重にもてなして頂きありがとうございます」
黒衣の少年が手を差し出す。私は手を握り返し、言う。
「それが私の仕事だからね」
少年が悪戯っぽく笑う。
「俺はハイヒューマンですよ?」
「この村は国境の森に近い。ヒューマンの商人も来る。彼らは人種で差別をしない。私もそれに倣っただけだよ」
「それなら俺は行儀のいい商人に感謝しないといけませんね」
「ははは。いいよ。しないで。商人程差別する人達を私は見た事が無い。商人は種族ではなく金の多寡で差別をするだけなのさ。ウチの村は貧しいからね。客にはならないらしい。それはもう横柄なものだよ。彼らにあったらよろしく言っておいてくれるかな」
「横柄なのに?」
「客は大切にしないといけないだろう。私は彼らからそれを学んだんだよ」
「どっちが商人だか分かりませんね」
「彼らが言うには素を出せる場所は貴重らしい。下手に客がいる場所だと気を張ってないといけないから。王国と神国を行き来する時は大抵数日泊まって行くんだよ」
「ま、会えたら伝えておきますよ」
少年はそう言うと一行に向きなおり……朗らかな顔から一転し、物凄い渋面になった。
エルフの子供達が少年にジト目を向けていたからだ。
少年の一行は十三名の大所帯である。
流石に部屋が足りず、何名かの子供は私の部屋に泊めた。
宿屋という場所柄、色々な人達を見てきた。
だが、こんな奇妙な一行を見たのは初めての事だった。
エルフの子供を連れたヒューマンと言うと奴隷商しか思いつかない。しかし、子供達の首には隷属の首輪ははまっておらず、子供達の少年に対する態度は尊大ですらあった。
好奇心に負け、子供に関係を訊ねた。
すると思いもよらぬ話を聞かされた。
子供達はヒューマンに攫われ、奴隷とされていたらしい。
そこを助けてくれたのが少年だという話だった。
今は親元に帰るため旅をしている最中なのだという。
経緯を考えれば心に傷を負っていても不思議ではない。しかし、子供達にそんな陰は一切見えなかった。だからこそ、迂闊にも踏み込んで訊ねてしまったのだ。
私は微笑む。
子供達の遠慮のない態度が、少年への信頼に思えて。
「なんだよ、シュシュ」
少年が声をかけたのは、子供達のリーダーの少女だ。
「お主、本当にオウリか?」
「礼節には礼節を以って接しろ、ってのがウチの教えなんだよ」
「あれ、兄さん。目には目を歯には歯を、じゃなかった?」
「同じ意味だ」
「信じるでないぞ! 似て非なる言葉だ、セティ!」
「チッ。細けぇな、シュシュは。はいはい、分かりましたよ。これからは敬語使ってやるから。そうやって小さい事に目くじら立てるから、いつまで経っても胸が大きくならないんですよ」
「丁寧な言葉遣いにはなったが!」
「な? 言葉を取り繕う事に意味はないのさ」
「言葉を取り繕わなかったら、ただの悪口ではないか!」
「あれもダメ。これもダメ。小姑みたいだな。てか、アリシアは? どこ行った?」
「ここにいるぞ。見たか、オウリ。あの包丁を。素晴らしい研ぎだ」
「はい。平常運転、と」
少年が「行くぞ」と一声かけると、騒いでいた子供達が黙って後に続く。少年の隣には彼の妹が並ぶ。少年の背中をシュシュと呼ばれた少女がよじ登っていた。しかし、少年は彼女を一顧だにせず歩き続けていた。良くある事なのか子供達ですら無視だ。最後尾に包丁に見惚れていた女性がつく。無言で組まれた隊列に彼らの旅路を垣間見た気がした。
「オウリ、がんばれよ」
「負けたらぶっ飛ばすからな」
「すぐ負けるのダメ。おやつ沢山買って来た。全部、食べるまで耐えて」
子供達がバシバシと少年を叩いていた。
「おーおー。てめぇら。他人事だと思ってよ。好き勝手言ってくれてまァ。あれから更にデカくなってんだろ。もうね、俺は今から憂鬱ですよ。つか、おやつ多くねぇ? 小遣いの500ルピでこんだけ?」
「ふへへへ。シュシュから巻き上げた」
「シュシュ、賭け事弱い」
「ち、違うぞ、オウリ! 妾は勝ったのだ! 最初は……」
「最初に勝って気を良くして、根こそぎ全部持っていかれた、と。お前、それ、カモられてるから。シュシュ、今後一切賭けごと禁止な。破ったらお前、小遣い無し」
「くっ。お、横暴だ!」
「えぇ? 働けよ。不甲斐無い魔王サマと比べ。ガキ共は逞しくなったなあ」
私は入口で手を振り……はた、と気が付いた。
「待ってくれ、どこへ行く気だ!? その先には山しかないぞ!」
少年が振り返る。
「ええ、山に用があるので」
「悪い事は言わない。今はよした方がいい」
「ヤーズヴァルがいるから?」
「そう。知っていたのか。まさか君も王に?」
ヤーズヴァルは各地に塒を持つ。キシャ村の近くの山も塒の一つ。一旦、羽を落ち着けると、一か月は籠っている。この期間は村の者も山には近付かない。
だが、稀にヤーズヴァルがいると知って山に登る者がいる。
王国の故事からヤーズヴァルは王騎竜と呼ばれる。ヤーズヴァルを従える事が出来れば王になれるという話だ。昔話である。従えたからと言って、王座はついて来ない。
しかし、未だにヤーズヴァルに挑む腕自慢は後を絶たない。
私は進路を塞ぎ、両手を広げる。
少年だけなら兎も角、子供達がいるのだ。
見す見す命を散らせるわけにはいかない。
少年は苦笑し、こう言った。
「玉座になんて興味無い」
山に目を向け、目を細めた。懐かしそうに。
「ペットに会いに行くだけ」




