3 迷宮の悪意
暗がりから、近づいてくる者がいる。
不規則な足音。ずるりと何かを引きずっている。動きは緩慢だ。
足を止めて、アランは待った。
音の強弱や間隔から、相手の体格や状態を想定する。
やがて姿を見せたのは、思い描いたのと違わぬ少女であった。動きやすそうなホットパンツから剥き出しであった太腿から血を流しており、片手でおさえながら歩いてきた。
亜麻色の髪に、色白の細面。澄んだ湖面のような瞳。整った面差しのうつくしい少女である。
アランを見ると、みるみる間に涙を浮かべた。
「良かっ……」
「スピカ様。ひどいお怪我をしておいでですが、あなたの護衛はどこです?」
「はぐれ……ました」
言いながら、がくりとその場に両膝をつく。「くっ」と堪えきれなかったような呻き声がもれた。
表情を変えずに様子をうかがいつつ、アランは相手の情報を頭の中でさらう。
(ウィルゴのスピカ姫は五番目の組。エルハは十五番で、最終二十番の我々とぶつかっているということは、十番もいる可能性が高い、か。均等に入口へ案内していると仮定すると、入口は五つとなる。三番のアキラとは潜った位置自体が違いそうだな)
アランはちらりと座り込んだ姫君の傷へと目を向ける。
綺麗な切り口だ。魔物の牙や爪によるものとは思えない。
「人と人の争いがありましたか」
「はい……。あの、アラン様のお連れ様はどちらに?」
下から真っ青な瞳に見上げられ、アランは穏やかな声で言った。
「先程魔物と激しい戦闘がありましたので、手前で休憩をとっています。私は斥候のようなものですね」
「別行動なんて危険では……? お守りしているのはどちらの候補者ですか?」
「相方のスバルがついているので、平気です」
スピカの問いをさらりと流して、アランは手を差し伸べた。
「あなたは私の手を掴めますか?」
瞳に気丈そうな光を宿し、スピカはおそろしく緩慢な仕草ながら一人で立ち上がった。
「まるで、やましいところはありませんか? と聞かれているようですが。ありませんわ。でも、お疑いも最もです。手は借りません」
亜麻色の髪が、さらりと肩をすべって胸の前に流れた。
「お困りでしたら力にはなります。どうしますか。出口までお送りしましょうか? それとも、あなたの護衛を探すのをお手伝いしますか?」
「まだ試験が始まったばかりだというのに、引き返すわけにはいきません」
「入口の階段を上り切ってしまえば失格のようです。何かあったら命だけは助かるよう、階段の下でおとなしくしているわけにはいきませんか。地上には兵士も多数待機しております。別に、迷宮の奥底に潜って、何かを取って帰ってこいといったルールではなかったと把握しておりますが」
淀みなく話すアランを、スピカはじっと見つめていた。
アランが話し終えたところで、ゆるく首を振った。
「誰もがそう考えていたのなら、皆入口から動かなかったはずです。互いに他チームを信用しきれなかったからこそ、迷宮の中を進んでいるのではありませんか? あなたもそうなのでしょう?」
「否定はしません」
頷いたアランに対し、スピカはすうっと目を細めた。
「まだ迷宮に潜ったばかりだというのに……悪夢を見ました。この迷宮って、実在しているのでしょうか。私たちは本当は試験の最初に集められたあの日眠りにつかされていて、みんなで夢を見ているんじゃないかしら」
芝居がかかった言い回しを、アランは表情を変えることなく聞いていた。やがてスピカがそれ以上話す様子がないのを見て取ると、そっけなく言った。
「私はそうは思いません。現実だと思います。だからこそ、人と人で争うことは極力避けたい。申し訳ないが私にもなすべきことがあります。さほど時間はありません。あなたがいたずらに会話で時間を浪費するのであらば、私はこの場を立ち去ります。どうするかお決めになりましたか?」
しずかでいて、取り付く島もない話しぶりに、スピカは目をしばたいた。
溜まっていた涙がぼろりと零れ落ちたが、拭うこともなく言った。
「私は自分の護衛を探したい。まだそんなに遠くには行ってないと思うのです。半刻程度探して見つからなければ諦めます。そこまで力をお借りすることはできますか?」
「わかりました。一度戻って私の連れに説明してきます」
「ですが、その間にどんどん距離が開いてしまうかもしれません。この先、道が三つに分かれています。そのうち、一つは違うと確信があります。残り二つのうち、片方の途中まで私を連れて行って欲しいのです。そこまでで結構です。お願いできますでしょうか」
まるで相手の思考力を痺れさせるような、甘く可憐な声だった。
アランは目を細め、わずかに首を傾げたが、すぐに首肯した。
「わかりました。確かに時間を置けば護衛との距離が開くかもしれません。私もできれば途中で放り出すことなく、あなたを護衛の元へ送り届けたいと考えています。すぐに行きましょう。足はお辛いですか。どこか支えた方がよろしいでしょうか」
話している最中に、スピカは自分の背負っていた荷物から布切れを取り出した。携行食を包んでいたものかもしれない。
その布をくるりと足に巻き付け、傷口を覆う。
「これで十分です。歩けます」
アランはさりげなく視線を逸らしながら待っていたが、「了解です」と短く答えた。
実際に、連れ立って歩き出すと、スピカは痛みを完全に我慢しているようで、さほどの遅れもなくついてきた。
薄暗く遠くを見通せない通路の先へと、アランは目をやる。
差し当たりこれまでは一本道だった。スバルが追いかけてくるのも問題はないだろう。
それよりも、エルハの連れにもまだ出会っていないのが気になる。
いくつかの懸念事項を胸の中で並べながら、意識的にやや早歩きで道のりを進んだ。
二人が通り過ぎた後。
通路の側壁が両側からせり出してきて、反対側と出会い、壁となってつながった。
迷宮は刻々とその姿を変えていた。




