回り灯篭
海人。
いわゆる素潜り漁をする人のことなのですが、一般的には女性の海女さんの方が有名なため、海人と書かれると「うみんちゅ」と読みそうになる人の方が多いかもしれません。
その歴史は古く、以前にアマテラス様がアワビ好きになった経緯を説明したときに出てきたように、二千年前には漁を行っていたようですし、ほぼ同時期の日本の様子が書かれた魏志倭人伝においてもその存在が確認されています。
ちなみに現代になってもシュノーケルやウェットスーツといった潜水器具を用いない素潜り漁というのは世界的に見ても珍しく、日本以外では数えるほどしか行われていません。
これは伝統を守るという意味もありますが、それ以上に便利すぎてつい採りすぎてしまい環境への影響が懸念されたためだと言われています。
さすが日本人。自重をやめると何をやらかすか分かりません。
「とったどー!」
さて、そんなもの好きな素潜り漁を異世界でやってるのは、海猿系マッチョなカオルさんです。
雄たけびを上げるその手の銛の先にはビチビチと動くメバルが。手のひらには収まりきらない中々の大物です。
ちなみに普通素潜り漁というのは、サザエやアワビといった貝やエビのような比較的動きの遅いものを素手で捕る漁のことであり、決してどっかのよいこみたいに泳いでる魚を銛でぶっ刺す漁ではありません。
「あ、いたいた。ちょっとカオル探したわよ」
「ん? 何だディレットか」
銛にメバルをぶっ刺したまま岸に帰ろうとしていたカオルさんに、突然水面から顔を出したディレットさんが話しかけてきます。
人魚は水中でも会話ができますが、カオルさんは海人ではあっても人魚ではないので水中で会話はノリでやっちゃいそうですができません。
「どうした? 魚を焼きたいなら最近は婆さんたちが料理してくれてるだろ」
「それは今やってもらってるからいいんだけど、何か村にアンタを探してる人が来てんのよ」
「俺を?」
こんな異世界で自分を探しに来るような人間に心当たりがなく、立ち泳ぎをしながらはてと首を傾げるカオルさん。
流れ着いたのが他の国だったのなら、近辺に他の日本人が来ていることを知ることができたのでしょうが、アルジェント公国は物も情報もほとんど入ってこない田舎だから仕方ありません。
「何か北のメルディア王国の騎士だって言ってたわよ。メルディアってこの国の親玉みたいなもんなんでしょ? クラーケンを倒したって聞いて、アンタをスカウトしに来たんじゃない?」
「……面倒だな」
クラーケンも余裕で倒せるカオルさんではありますが、魔物相手ならいざ知らず、人間相手に戦わなければならないかもしれない軍人になる気はありません。
これがもし日本に居た時のことなら少しは考えるのですが、カオルさんには異世界の国のために体を張る理由もありません。
「問題になってもアレだし、逃げるか?」
「ふふ。そうつれないことを言うもんじゃないわよ」
「誰だ!?」
独り言に返事が来て、思わず叫び返すカオルさん。
「私よ!」
そして振り返った先にあったのは、小舟の低い欄干に片足を乗せ腕組みをしているオネエの姿。
海に来て解放的になっているせいか上半身裸のマッスルです。
波に揺られながらついーっとカオルさんたちの居る方へ寄ってきています。
何で漕いでないのに近づいてくるんだと言われても、オネエだからとしか言いようがありません。
オネエの筋肉美の前には常識など毛ほどの価値もないのです。
「な、何あのカオルが一歩劣るほどの筋肉の塊は?」
その圧倒的オネエな姿にドン引きするディレットさん。
どうやらカオルさんくらいの引き締まった筋肉は大好物ですが、オネエレベルの盛り上がったマッチョは苦手なようです。
「ふふ。また会ったわね人魚のお嬢さん。それで、そっちの子が噂の日本人……?」
「……?」
小舟の上から二人を見下ろしていたオネエでしたが、カオルさんの顔を覗き込んだ瞬間、目を見開いで固まってしまいます。
一体何が。そう思いながらディレットさんが隣を見ると、カオルさんも立ち泳ぎをしながら驚いたように目を丸くしていました。
「あ、貴方は国生ユウキ先輩!?」
「そういうあなたは浅口カオル。久しぶりねえ。私が高校卒業して以来かしら」
そう懐かしむように言いながら、カオルさんの手を取り小舟へと引き上げるオネエ。
どうやら二人は知り合いだったようです。小舟の上で展開される筋肉のコントラストに、ディレットさんが「うわぁ」となっています。
「どういうこと? カオルの知り合い?」
「ああ。同じ学校の部活の先輩だったんだ。久しぶりです国生先輩。髪型が変わってるから一瞬気付かなかったっすよ。あと……その……ずいぶんと鍛え直したようで」
「ふふ。あの子とどつきあってたらいつの間にかこうなってたわ」
「……お疲れ様です」
オネエの奥さんのことも知っているらしく、遠い目で言うオネエに労いの言葉をかけるカオルさん。
どうやらオネエは高校時代にはまだそれほどマッチョではなかったようです。
一体どのような死闘を繰り広げれば、某暗殺拳継承者のような肉体になるのでしょうか。
「でも新しくこちらに来た日本人が貴方だというなら話が早いわね。最近こちらに来たのなら、日本人が何人も召喚されてるのは聞いてるでしょう。顔合わせのためにも、メルディアに来てほしいのよ」
「それはいいっすけど。日本人同士で連絡をとりあってるってことですか?」
「そういうこと。まあどちらかというと勝手に集まってきた感が強いけど」
主に米とカレーのせいで。
「そういうことなら。顔を合わせておいた方がいざという時助け合うこともできますしね」
「ありがとう。それに貴方に是非とも会せてみたい人が居るのよ」
「へえ。どんな?」
「私は今メルディア王国の近衛騎士団に所属してるんだけれど、そこの団長が見た目から言動まであの子に瓜二つなのよ」
「へえ……へッ!?」
オネエのいうあの子が奥さんのことだと分かり、脳裏に走馬灯のように記憶が過ぎるカオルさん。
あんなこーと(苦)こんなこーと(痛)あったーでしょー?
「……帰る! 俺は帰るぞ!」
「こら! いつから海が故郷になったのよアンタは!」
必死に小舟から飛び降り海に潜ろうとするカオルさんと、後ろから羽交い絞めにして拘束するオネエ。
必死です。一体オネエの奥さんにどれほどどつき倒されたのでしょうか。
「た、助けてくれディレット!」
「ねえねえ。私も付いてっていい?」
「あらまあ。陸に上がりたがるなんて好奇心旺盛な人魚さんね。構わないわよ」
「ディレットー!?」
ディレットさんに助けを求めたものの、見事に裏切られて叫ぶカオルさん。
今日も異世界は平和です。




