茶番劇の舞台裏 (1)
卒業夜会の裏で何が起きていたのか、その一端をレーナが知ったのは、夜会の翌々日の新聞からだった。
その日の新聞では、一面に大きく政治事件の記事が取り上げられていた。
隣国シーニュから送り込まれた諜報員、およびその内通者が一斉逮捕されたという記事だ。
逮捕者には、学院の職員も二名含まれていた。ひとりは事務職員、もうひとりはレーナも名前を知っている人物で、美術教師パウル・ボルマンだった。
新聞記事を読みながら、以前ハインツが捜査について説明するときに浮かない表情を浮かべていた原因はこれか、と腑に落ちた。
記事は、半年前の冬休みにレーナも関わった捕り物劇から始まっていた。やっとこちらの事件も、報道規制が解かれたようだ。
ただしレーナの関わりがあったことは、記事では一切触れられていない。その代わり、レーナが知らなかったヨゼフと祖父母の活躍について詳しく書かれていた。
祖父母たちがこの半年ほどの間ずっと王都に滞在していたのは、捜査に協力するためだったらしい。今まで決して王都に寄りつこうとしなかったのは、王都では顔見知りにばったり出くわす可能性があるからであり、万が一にも生存しているとシーニュに知られることのないようにするためだったのだが、今回はそれよりも捜査が優先された。
叔父のノアが珍しくほとんど航海に出ずに家にいたのも、同じ理由だ。
驚いたことに、二十年以上前に祖父母たちがシーニュからこの国に亡命するきっかけになった事件と、六年前にハーゼ領でジーメンス公の偽書簡が出回った事件、そして今回の一斉逮捕とは、すべてが一本の線でつながっていた。
二十数年前、シーニュで祖父母たちを冤罪に追い込んだのは、国王派でも王弟派でもなく、同じ派閥であるはずの中立派の者だった。
ただし当時はまだ、それがわかっていなかった。今回の事件を解決したことで初めて、当時の黒幕が誰だったのかが判明したのだ。
その黒幕というのが、当時の中立派に属していた、とある伯爵だった。この伯爵は領地運営は可もなく不可もなく、政治的にもあまりぱっとした功績がないにもかかわらず、不思議と羽振りだけはよかった。
彼が黒幕となった目的は、地位でも権力でもない。金だ。
あまり知られていないが、この伯爵は実は、死の商人だった。つまり武器商人だ。
しかし、平和な世の中で武器を買う者はいない。かといって、戦争や内乱状態はごめんだ。そこで彼は「適度な緊張状態」を望んだ。その「適度な緊張状態」を作り出すために標的にされたのが、レーナの祖父母だったわけだ。
国王派と王弟派のいずれを狙っても、本格的な内乱になりかねない。そこで当時中立派の頂点にいたレーナの祖父母が、ちょうどよい標的として選ばれてしまったのだ。
そしてその結果、この黒幕伯爵の望んだとおり「ほどよい緊張状態」を作り出すことに成功した。
その「ほどよい緊張状態」は、王弟によりもたらされた。
レーナの祖母の姉が、王弟の妻なのだが、この王弟は非常な愛妻家だったのだ。だから派閥の垣根を越えて妻の親族をとても大事にしており、義弟一家が冤罪をかけられた挙げ句に無残に銃殺されたと聞いたときには激怒した。
十分な調査を行うことなく義弟を断罪した国王を、彼は決して許すことはなかった。
王弟は賛同者を募って、兄である国王を玉座から追い落とす。国王一家は形勢不利を悟って逃走を図ったものの、追っ手との銃撃戦により命を落とすことになった。本当に「銃撃戦」だったのかどうかについては、追われた側の生存者がいないため、もはや真実は闇の中だ。
このクーデターのために大量の武器が調達され、黒幕伯爵は狙いどおりひと儲けした。
こうして王位に就いた王弟は、外交政策面では強硬派だった。
これもまた、黒幕伯爵にとっては都合のよい政策だった。国境線が緊張状態に置かれれば、当然武器が売れる。
黒幕伯爵にとって理想的な環境が二十年近く続いたが、国王が代替わりしたことでまた状況が変わった。新国王は、外交的に融和をはかる方向に舵を切ったのだ。
平和になってしまったら、武器が売れない。
そこで黒幕伯爵は、国境に緊張状態を創り出すために工作を始めた。それが六年前にハーゼ領で始まった、偽書簡事件だ。あれはシーニュとの国境でいざこざを引き起こすことを目的とした工作だった。
偽書簡事件を引き起こすにあたり、もちろんオスタリア国内にも協力者が必要となる。
ここで、あろうことかオスタリア外務省の副大臣がこの協力者となってしまった。動機は金だが、あわよくばジーメンス公を排除することで自分が外務省の頂点に立ちたいという思いもあったようだ。
副大臣が黒幕の手先なのだから、ハーゼ領からいくら報告を上げようが、まともに取り合うわけがない。むしろジーメンス公の耳に入ることのないよう、門前払いを徹底していたことだろう。
美術教師パウル・ボルマンは、偽書簡の署名を偽造する担当だった。
絵画の高品質な模写ができる腕前を買われたらしい。学院の事務員が仲介役となり、偽造署名の発注が行われた。偽造署名は事務員ではなく、オペラ座のボックス席を介して間諜に直接渡されていた。
レーナの祖母はこの一年間、彼女の姉、すなわちシーニュ王太后と内密に連絡をとり、この件についての情報交換をおこなっていた。祖父母は故国を離れて以来、親族にさえ生存を知らせていなかったので、突然の連絡に王太后は大層驚き、そしていぶかしみ、最終的に本当に妹が無事に生きていたと知ったときには、喜びに涙したと言う。
こうした一連の事情は、数日にわたって新聞の一面を賑わし続けた。
身内の名前が当たり前のように新聞に載っているこの状況は、レーナには何だか夢の中の出来事のように、ふわふわと非現実的な感じがする。
夜会から数日後の昼下がり、居間で新聞を読んでいた叔父ノアにレーナは声をかけた。
「ねえ、叔父さま」
「うん?」
「叔父さまはシーニュにいらっしゃるの?」
「今のところ予定ないけど。どうして?」
ノアは新聞から顔を上げ、ソファーを軽く叩いてレーナに座るよううながした。レーナは素直に対角のソファーに腰を下ろし、ノアの質問に答える。
「シーニュでお祖父さまに爵位を戻す話があるって、新聞で読んだから」
「ああ」
ノアは口もとに笑みを浮かべて、レーナに答えた。
「あれは、父さんが断ると思うよ」
「そうなの?」
「うん。だって今さらでしょ」
「でも、お祖父さまがたはあちらに親戚もいらっしゃるんでしょう?」
「まあね。でも僕はこの国で育って、この国で教育を受けて、この国で仕事をしてきたノア・ノイマンなんだよ。今になって『お前は本当はノア・ド・アントノワだから、シーニュに戻ってこい』なんて言われてもさあ」
レーナが「そういうもの?」と首をかしげると、ノアは笑って「そういうもの」と請け合った。




